更新日2012/04/16:福岡高裁判決文を掲載しました(福岡の経過表)。
更新日2012/04/04:判決要旨、チエの話(36)を掲載しました。
更新日2012/04/03:トップページを新しくしました。
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<熊本地裁の経過・準備書面>
<福岡高裁の経過・準備書面>
<関連リンク>
半世紀にわたって水俣病被害者を苦しめ続けている″水俣病認定制度″。その政治的な認定基準や行政の不合理な運営に対する患者遺族の闘いが続いています。
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控訴審(福岡高裁・2012/2/27)は、チエさんを水俣病と義務付ける全面勝利をしました。 しかし、熊本県はこの判決の指摘(下記を参照)を無視して、3月8日に最高裁に上告しました。 私たちは熊本県・国に対して上告取下げを求める署名運動を開始しました。 多くの方のご協力をお願いします。 |
下記の署名用紙をダウンロードしてご利用ください。
<上告取下げ署名用紙(pdf)>
<連絡先> 〒337-0033 埼玉県さいたま市見沼区御蔵 1247-8 鈴村方
*福岡高裁判決のポイント
1.公健法の認定基準としてS52年(1977)判断条件を否定
公健法の認定基準のあり方として「その(症状:編者注)原因がメチル水銀のばく露によるものであるとの蓋然性がそうでない場合を上回ることで足りるとされている救済法の下では、認定申請者のメチル水銀に対する曝露状況等の疫学的条件に係る個別具体的事情等を総合的に考慮することにより、水俣病にかかっているものと認める余地がある」と述べ、そして「そうであれば、52年判断条件は、認定手続における認定判断の基準ないし条件としては、十分であるとはいい難い」「52年判断条件の基準を満たさない場合に水俣病とは認められないとする解釈が、これに適合しないことは明かである」とS52年判断条件が公健法の認定基準として不適切であると結論づけました。
さらにS52年判断条件の成立過程や1985年医学専門家会議の内容、また認定作業の実態を検討した結果、「52年判断条件が、メチル水銀の経口摂取により末梢神経の障害を来すものと理解されて運用されたことなどにより、中枢神経障害説により認定されるべき申請者が除外されていた可能性は否定できず」「そうすると、上記のような認定手続の運用は、52年判断条件の運用として、適切でなかったというほかない」つまり、S52年判断条件を適用することによって、水俣病患者と認定されるべき人々が切り捨てられてきたことを指摘しました。
国と熊本県は、直ちに過去に認定棄却した申請者の再調査をして、中枢神経障害に基づいた審査を始めなければなりません。
2.感覚障害のみの水俣病を認める
国・熊本県は、複数の症状の組合せがないと水俣病の診断はできない、感覚障害のみの水俣病は認められないと主張してきました。
これに対して判決は「当該症状が他の原因によるもの(メチル水銀ではない:編者注)ではないと鑑別することができるのであれば、これを水俣病と診断できる」
と述べ、国・県の「組合せのみ診断」を否定し、臨床症状として四肢末端優位の感覚障害しか把握できない場合には「メチル水銀ばく露歴に相応する四肢末端優位の感覚障害が見られ、当該感覚障害が他の原因によるものであることを疑わせる事情が認められない場合には、当該感覚障害はメチル水銀の影響によるものである蓋然性が高いというべきである」として、メチル水銀曝露と鑑別診断があれば、四肢末端優位の感覚障害のみでも水俣病と認められることを判示しました。
3.症状を捉える根拠として、民間医師の診断書を採用
そして、チエさんに四肢末端優位の感覚障害が認められる証拠として、地元開業医のS医師の診断書を採用しました。熊本県はS医師が神経内科の専門医ではないことを挙げ、その診断書は信用できないと主張してきました。
しかし判決は、S医師が1959年の水俣保健所勤務に始まり、水俣病現地で開業し水俣病患者を診てきたこと、「水俣病に関しては、水俣市立病院勤務時における臨床経験、医師会等の勉強会などで知識等を得て」いたこと、診断書作成の時には、様々な検診を行っていたことを認め、「その検査の精度を疑うべき事情は認められない」とS医師診断書の信憑性を認めました。
4.認定患者がいない家族でも、メチル水銀曝露の高濃度汚染を認める
熊本県は、チエさんの同居家族に水俣病認定患者がいないこと、チエさんの孫の胎毛の毛髪水銀値(16.1ppm)等からは、溝口家が高濃度にメチル水銀に曝露していたとは認められない。あまつさえ溝口家は農家であり、チエさんが老人であったから小食で汚染魚を多食していたとは言えないとまで言いつのっていました。
また、チッソ水俣病関西訴訟大阪高裁判決では、チエさんのように二点識別覚検査がなされなかった人について、本人のメチル水銀曝露の確実性を高める担保として「家族内に認定患者がいて、四肢末梢優位の感覚障害がある者」との準拠を示していました。
溝口訴訟高裁判決では、チエさんが住んでいた袋地区内にも認定患者家庭が多く存在していること、チエさんと食生活を共にしていた原告やチエさんの孫(いずれも1995年の政治決着による医療手帳)に水俣病の疑いがあること、などを挙げ、家族内に認定患者がいない場合でも、様々な情報を総合的に判断すればメチル水銀の高濃度汚染が認められることを判示しました。
5.発症時期は本人でも分からない
チエさんに限らず、申請者は症状がひどくならないとそれが自覚できず、認定申請時期が遅れ、発症時期の記憶が曖昧になる場合が多くあります。国・熊本県はここにつけ込み、チッソによる水俣湾へのメチル水銀垂れ流しが止まってから時間が経ってから発症したことになり、これはおかしいと主張してきました。
これに対して西裁判長は「メチル水銀のばく露と症状の発生の関係は明かではなく、発症の時期とそれが判明しあるいは診断される時期とが一致するわけではない」「慢性の症状に分類されるものであり、本人が自覚しにくい」「それらの時期に関する認識が正確なものかも定かでない場合がある」と判示しました。水俣病に関する正しい情報が得られず、なかなか認定申請ができない患者の実情を正しく理解した内容と言えます。
また、この判示は、国や当該の各自治体が、積極的にメチル水銀に曝露していた住民の悉皆調査をしなければ、本人が気づいていない潜在患者がそのまま埋もれてしまうこと、本人申請主義の認定制度の欠点を指摘しているとも言えます。
*この事件のあらまし
1995年8月、熊本県知事はチッソ(株)が垂れ流したメチル水銀の曝露歴は認めながら「公的資料がない」という理由で溝口チエさんの水俣病認定申請を棄却しました。1974年の申請以来、実に21年後の処分でした。チエさんは申請から3年後の1977年に死亡しましたが、この間に県は終えているべき検診を完了させませんでした。申請者が検診未了で死亡した場合には、環境省が金科玉条とする“1977年(S52)判断条件”でも、生前に受診していた医療機関のカルテ収集を明記しています。
しかしチエさんの次男・秋生さんの起こした行政不服審査請求によって、県の病院調査は死亡後17年も経ってからであったことが判明しました。また地元支援者の調査で、少なくとも県が病院調査を始めた当時はまだカルテが残されていた可能性があったことが分かりました。
県がまともに調査をしていればチエさんの水俣病罹患は証明できたのです。
さらに、裁判で県の提出した証拠から、1988年11月には、未検診の死亡者について「病院調査についても、積極的に行うことはしない」と旧環境庁と合意していたこと。その結果カルテが廃棄されてしまうことを十分認識していた(環境庁側の協議資料には「病院調査は適宜やっておく必要がある−カルテ保存期間」と明記されていました)ことが判明しました。チエさんを含む未検診死亡者は意図的に放置されていたのです。
秋生さんもただ21年間じっと待っていたわけではありません。毎年チエさんの命日に合わせて、県に「母の件はどうなっているのか」と問い合わせを続けてきたのです。
これに対し県は、上記のように病院調査の棚上げをしていたのを隠して、問合せには「検討中」と答えるのみで、放置を続けていたのです。
*棄却取消・義務付け訴訟
2001年10月に環境省の行政不服審査請求も棄却されたため、秋生さんは同年12月に熊本県を相手取り、棄却処分の取消を求める行政訴訟(棄却取消訴訟)を提訴しました。
そして、2005年10月には加えて義務付け訴訟を提訴しました。これは認定棄却した処分を取り消すだけではなく、積極的にチエさんを水俣病と認めるよう熊本県に義務付けるものです。
*熊本地裁判決
2008年1月25日に熊本地裁(裁判長・亀川清長、裁判官・内山真理子、中島真希子)で言い渡された判決は、唯一の医学証拠であるS診断書を不十分としたうえで、そうなってしまった原因については「やむを得ない」と熊本県の責任を不問にしました。
前述の証拠(病院調査はしないと決めていた)があるにもかかわらず、「意図的に病院調査を放置したと認めることはできず」とするなど、提出された証拠もちゃんと見ない一方的なものでした。
*福岡高裁
2008年2月6日に控訴した福岡高裁では、チエさんは水俣病であったか否か、という実体論(病像論)が争点となり、双方から医学証人が立ち、審理が続いていました。
*溝口棄却取消訴訟弁護団東京事務局
東京:山口紀洋(弁護士) 荒谷徹 鎌田学 鈴村多賀志 平郡真也
水俣:高倉史朗
*連絡先(東京事務局)
〒337-0033 埼玉県さいたま市見沼区御蔵 1247-8 鈴村方
Faxのみ 048-683-7098
事務局ではこの事件の進行状況を伝える通信「チエの話」を発行しています。是非ご連絡をお願いします。 チエの話一覧へ
また、行政不服審査からチエの話発行までの経過については、「東京・水俣病を告発する会」の通信に寄稿した文章を転載しています。 チエの話発行以前
「チエの話」それは溝口チエさんの話。「知恵の輪」それは一見複雑だが実は単純なカラクリ。この裁判では熊本県認定審査の非医学性、違法性を明らかにして、溝口チエさんが水俣病であったことを認めさせます。みなさまのご支援をお願いします
郵便振替:「水俣病行政訴訟事務局」 00130-9-482335