トップページ > チエの話発行まで

☆目 次(東京水俣病告発する会の通信より転載)

死後17年も放置して「資料がない」と棄却(通信14号2000/07)
不誠実な熊本県の回答、舞台は環境庁へ(通信16号2001/01)
環境庁宛の抗議文(2000/11/13)
溝口さん行政不服裁決へ向けて(通信19号2001/10)
溝口さん遺族、熊本県に棄却処分の取消求める行政訴訟を提起(通信20号2002/01)
提訴にあたって(通信20号2002/01)
環境省裁決に対する抗議文(2001/11/08)
「当たり前のことが通る裁判に」(通信21号2002/04)
雨の中、各地から傍聴参加(通信22号2002/07)
第3回口頭弁論報告・原告紹介(通信23号2002/10)
被告熊本県はどんな反論ができるか(通信25号2003/04)
山口弁護士 県の開き直りを激しく追及(通信26号2003/07)
残暑の中、水俣・熊本から多数の傍聴参加(通信27号2003/10)

トップページ > チエの話発行まで(目次へ)> 通信14号より転載

行政不服審査請求でまたも熊本県の悪事発覚!

死後17年も放置して「資料がない」と棄却

 私たちが代理人を務める溝口さん(水俣市)の行政不服審査請求の過程で、溝口さんの死後17年間も資料収集を怠るという、驚くべき熊本県の“不作為”が明らかになっています。溝口さんは1974年8月に認定申請したものの、検診未了のまま1977年に死亡。1995年8月に「水俣病ではない」と棄却されたため、溝口さん遺族は同年10月に棄却処分の取消しを求めて環境庁に行政不服蕃査を請求しました。

死後17年も「検討中」として審査を放置

 処分を下した熊本県は弁明書の中で「被処分者が生前受診した医療機関に対して病院調査を行ったが、すぺての医療機関から調査報告が得られなかった」とし「“判断するための資料が揃わないため判断できない"との審査会の答申を受け秦却したのは妥当である。」と主張してきました。
 これに対し、請求人側が病院調査の時期や方法を間いただすぺく再弁明を求めたところ、なんと溝口さんが亡くなって17年たった1994年6月に、県はようやく調査を行ったという事実が判明したのです。
 しかも、溝口さん遺族が毎年県に電語して、母の件をどうするのか尋ねていたにもかかわらず、県からは「検討中です」の答えしか返ってきませんでした。
 私たち請求人側は、こうした経過を踏まえ「認定申請者が死亡するまでに検診を終了せず、さらに死亡後もカルテが消失するまで病院調査を行わないのは、県の怠慢どころか故意による被書者切り棄てであり、棄却処分は取り消されるぺきだ。疫学的事実・申請時の診断書・検診結果から溝口さんを水俣病と認定せよ」と反論しています。

早期に棄却取消し判決を

 本2000年5月には、代理人が環境庁を訪れ反論の補充書を提出しました。その骨子は溝口さん死亡後毎年の遺族からの間い合わせを無視し続け、17年間も病院調査を放置していた県の対応に焦点をあて、手続上の誤りは明らかであること、審査庁(環境庁)が県の不作為を厳しく指弾する取消し裁決を出す以外に「行政の適正な運営を確保すること」(行政不服審査法第1条)は実現できない、というものです。合わせて、県が調査を放置した事実関係と責任の所在を明らかにするとともに早期の取消裁決を出すよう求めました。
 1995年の政府解決策により、水俣病事件は「最終的かつ全面的な解決」が図られたとされていますが、認定制度の欠陥を浮き彫りにする事例が相次ぎ、溝口さんの場合もそのひとつだと言えます。今後は病院調査についての再弁明要求、遺族参加の口頭意見陳述を申し立てる予定。
 ぜひ注目をお願いします。

平郡真也(溝口さん行政不服代理人)目次へ


トップページ > チエの話発行まで(目次へ)> 通信16号より転載

溝口さん行政不服審査請求の経過報告

不誠実な熊本県の回答、舞台は環境庁へ

 溝口さん(水俣市)の行政不服審査請求について、その後の経過を報告します。

「17年間の空白」を問う

 まず溝口さんのケースで最大のポイントは、死後17年たつまで処分庁(熊本県)が、生前カルテ入手のための病院調査を行わなかった。−いわば「17年間の空白」の真相と責任の所在を明らかにすることです。
 というのは、県が早くの段階で病院調査に着手していれば、当然生前カルテが入手でき、その資料があれば溝口さんは水俣病と認定された可能性が高い訳です。
 ところが県は17年間も病院調査を行わず、水俣病か否かを判断する資料が揃わなくなり、これを理由に棄却しました。県の認定審査における手続上のミスは明白であり、この1点をとっても棄却処分の取消はまぬがれません。さらに「17年間の空白」の真相を解明することは、県の怠慢(不作為)をより強固に裏付け、取消裁決を促す決定的な証拠となるからです。
 以下、具体的な経過を述べましょう。
 6月30日に病院調査に関する方法や責任者の氏名、および毎年の遺族の間い合わせに応答していた部署・担当者の氏名などを明らかにするよう求める再弁明要求申立書を提出。続いて7月13日には、遺族(二男)も参加して審査庁(環境庁)への口頭での意見陳述を行いました。
 意見陳述の中で二男の方は「毎年母の命日に県に電話をして『審査はどうなっているのか』と間い合わせていた。答えはいつも『検討中』だった。17年間ものあいだ県は一体何をしていたのか、きちんと調べてほしい」「生前のカルテはなくても、申請時の診断書や家族の症状の重さから判断して母は水俣病に間違いない。ぜひ認定を」と強く要望。陳述後、原徳壽・環境庁特殊疾病対策室長は「環境庁独自にカルテの有無の確認など病院調査をするかどうか検討したい」と答えました。

何も答えぬ熊本県再弁明

 9月22日付で県から再弁明書が提出されたのですが、請求人からの弁明要求にこたえていないどころか、17年間放置の責任を自覚し真相を解明しようという姿勢がまったく見受けられない内容でした。すぐさま反論の準備にとりかかり、11月13日、二男の方が書いた反論(別記)と合わせて環境庁に提出しました。
 反論書の主眼は、県の再弁明批判に加え、真相解明のために審査庁が独自の調査をするよう要請することにあります。
 対象として、遺族の毎年の間い合わせに応じた県職員。溝口さんの主治医であり長年審査会委員を務めた三鳴功氏、溝口さんが生前受診した2医院の承継者などへの事情聴取を挙げています。

争点をはぐらかす環境庁

 席上、原室長は「2医院への調査を行つたがカルテの有無は確認できなかった」と回答。その一方で「かりに県が17年間調査を怠っていたとしても、そのことが溝口さんが水俣病か否かの判断とは直接の関連がないのでは」と、争点をはぐらかす発言をしたため、代理人らは「カルテが入手できなかった責任はすべて県側にある。そのために審査に必要な資料が揃わなくなったのだから手続上のミスは決定的で、棄却処分の取消は必至だ」と念を押しました。
 今後とも環境庁に対して独自調査と早期の取消裁決を働きかける行動を予定しており、ご支援をお願いする次第です。

平郡真也(溝口さん行政不服代理人)目次へ


トップページ > チエの話発行まで(目次へ)> 環境庁宛抗議文

遺族の抗議文

 熊本県の再弁明書は、こちらの質間に何も答えていないというのが私の最初の感想です。「答える気持ちもない。調べるつもりもない」、ひとことで言えばそういう回答だと思います。
 「1」にしても、氏名を聞いているのに、それすら答えていません。「3」では、「調べるつもりはない」と言っているのに同じです。「4」でも名前を明かそうとしません。
 先目の熊本日日新聞に、熊本県が情報公開を進めるために「開示する公文書のコピー代を安くし、ネットで請求できるようにする」と報道されていました。しかし、こうやって文書で聞いても、答えてあたりまえのことを答えないなら、何が情報公開かと笑えてきます。
 さらに私がもっとも腹立たしかったのは、熊本県が嘘をついていることです。
 「6」で、「応答者は、代々の水俣病相談事務所職員であり」と回答していますが、私は県庁に直接電話していたので、水俣市にある相談事務所に電話していたのではありません。ここでも名前を明らかにしていないのは、嘘をついているからではないでしょうか。応答の記録が残っているように書いてありますが、それならすべての記録を見せていただきたい。
 こんなでたらめな回答を再弁明として認めることはできません。こんなことを公の手続きで許していいのですか。正式の争いごとである不服審査請求がこんなにいい加減なやりかたでごまかされてはいけないと、強い憤りを感じます。
 私は、私の質間について環境庁が直接事実を調べるように求めます。熊本県はまったく調べる気がなく、事実を明らかにしようという姿勢がありません。死亡者を17年も放置した責任などまったく感じていないのです。こうなったら審査をする環境庁が動くしかないと私は考えます。

溝口秋生(原告)目次へ


トップページ > チエの話発行まで(目次へ)> 通信19号より転載

溝口さん行政不服裁決へ向けて

 溝口さん(水俣市)の行政不服蕃査請求の続報です。  昨年11月13日の反論書提出以降、審査の進展が見られない状況を打開しようと、本年1月29日に審査庁(環境省)への申入れを行ないました。
 その趣旨は、「“17年間の空白”(溝口さん死後17年もの間、処分庁=熊本県が病院調査を放置した)の真相を解明するために審査庁が独自の調査をして欲しい」との要請への答えはどうなっているのか?物件提出の扱いは?など審査の現状を問い質すことです。
 申入れに対し、原徳壽特殊疾病対策室長は「物件提出を処分庁に求めず、現有資料で判断する」「三嶋功氏に事情聴取したが、記憶になく主治医かどうかも不明との返事だった」と答弁。裁決の時期については「なるぺく早く」と答えるのにとどまりました。
(東京告発編者注:物件とは、溝口さんと県庁職員との間での電話応答記録)

「裁決を起草」と環境省は言うが・・

 5月初めに、環境省の担当係官に口頭で質問した際、「裁決の起案がほぼ終わった段階」と返答。また同じ時期。別のルートからは「遅くても6月中には出る見込み」との情報があったにもかかわらず、7月に入っても裁決は出ません。そこで請求人らは対策を協議し、次の方針を決めました。

@裁決の作成はすでに終わっており、いつ出してもいい状態であるのに、何らかの事情で交付しない。いわば棚上げの状態ど判断せざるを得ない。

Aここで想い起こされるのは「Y氏裁決放置事件」(Y氏の行政不服で、3回も取消裁決が準備されながら政治的思惑により隠蔽された。)
 Y氏の事例では、請求人らが審査庁に審査の進捗状況を何度問い合わせても「審理中」の回答しかなく、その裏で裁決の内容や時期について、処分庁と事前協議を重ねていたこと、そして処分庁の頑強な抵抗にあい、取消裁決を棚上げ、先送りしていた事実が明らかとなっている。その二の舞を踏んではならない。

B催促と監視の意味で早急に取消裁決を出すよう、再度、働きかける。

『迅速な裁決を」と申し入れ

 8月7日、代理人らは溝口さんのご遺族(次男)の書いた申入書と合わせて、審査庁に申入書を提出しました。当日は原室長ら4人の担当者が応対。
 まず原室長は、裁決の交付が遅れている理由どして「関西訴訟大阪高裁の判決を受け、上告理由の検討など対応に追われていたこと」や「担当の業務係長が7月に交代したのに伴い、引き継ぎに時間を要したこと」を挙げました。
 次いで審査の現状にふれ「部内で結論、方向性はほぼ固まっている。あとは“書きぶり”(表現)の問題。裁決案が完成し、上司の決裁を得て、交付するまでに数週間はかかる見通し」と説明。「いつごろに」との質間には「できるだけ早く出したい」と答え、時期を特定するのを避けました。また、請求人らの危慎する処分庁との事前協議は「やっていないし、する考えもない」と明言しました。

棄却処分取消しの裁決も?

 最後に代理人らは「処分庁は17年間も病院調査を意図的に放置した末に、溝口さんを棄却した。この上、審査庁までもがいたずらに救済を遅らせるのは許せない」「“簡易迅速な手続きによる救済を"という行政不服審査法の根本趣旨に立ち返り、一刻も早く取消裁決を出して欲しい」と強く求めました。
 なお、裁決の予想ですが、もし棄却裁決(原処分妥当)ならば、“書きぶり"は間題にならないし、大臣決裁がおりるまでそんなに時間がかかるとも思えません。とすれば原室長の発言から逆に推測するに、取消裁決の可能性があり、どれだけ拘東力の強い裁決にするか(単純に原処分を取消して処分庁=熊本県にあらためて審理をやり直せと差し戻すか)、あるいは溝口さんは水俣病相当と審査庁=環境省自らが判断し強い拘束力をもたせて差し戻すか)で議論が分かれ、当然時間もかかると考えれば一応の説明がつきます。
 ただ裁決案ができ、部長・局長・事務次官と決裁していく段階で、まだまだ紆余曲折が生じるのは十分に予想され、決して楽観は許されません。

平郡真也(溝口さん行政不服代理人)目次へ


トップページ > チエの話発行まで(目次へ)> 通信20号より転載

<速報>環境省裁決、死後17年の不作為を不問に付す

溝口さん遺族、
熊本県に棄却処分の取消求める行政訴訟を提起!

 東京告発通信で2年前から報告してきた水俣在住溝口さんの行政不服審査請求1)に対して、審査庁(環境省)は昨2001年10月29日、「処分庁が被処分者を水俣病として認定しないとした原処分は取り消すべきものとはいえない」と、請求を棄却する裁決を出しました。
 これを受け、溝口さんのご遺族(次男)は、「このまま泣き寝入りするわけにはいかない」と原処分の取消しを求める行政訴訟を、12月19日、熊本地裁に提訴しました2)

1 故意にカルテを放置した熊本県

 これまでの経過を簡単に整理しておきましょう。溝口さんは1974年8月に認定申請、1977年7月に検診未了のまま死亡、18年後の1995年8月に棄却処分となり、同年10月ご遺族(次男)が原処分の取消しを求めて行政不服審査請求を起こしました。
 不服審査の過程で、処分庁(熊本県)は当初「被処分者が生前受診した医療機関に対して病院調査を行ったが、すべての医療機関から調査報告が得られなかった」と弁明していましたが、請求人からの再弁明要求によって、処分庁の病院調査は溝口さんの死亡後17年たってからのものである事実が発覚。さらに、その間、次男が毎年県に電話して「母の件をどうするのか」と尋ねていたが、答えは決まって「検討中です」だった、との事実も確認されました。
 つまり、処分庁は単なる不注意ではなく、わかっていてわざと病院調査を17年間放置していたのです。死亡後17年たっての調査ではカルテ入手はほとんど不可能に等しく(カルテの法定保存期間は5年)、しかも溝口さんが検診未了で亡くなっていることを考えれば、処分庁は溝口さんを水俣病と認定するための資料収集を故意に放棄したと判断せざるを得ません。いわゆる「17年間の空白」問題です。

2 県の不作為を追認した環境省裁決

 請求人の溝口さん次男と私たちは「17年の空白の真相解明(原因調査と責任の所在)こそ審査請求の最大の争点である」と訴え、「そのことが認められれば、県の認定審査における手続き上の誤りは決定的となり、水俣病棄却処分は取り消されるべきだ」と主張。合わせて審査庁に対して、溝口さんの申請にかかわった関係者への事情聴取など独自調査を行うよう要請しました。
 ところが、10月29日付けの裁決書を読むと、この点には一切言及せず、「溝口さんが水俣病か否かが審査の対象」と限定して、「水俣病と認定するに足る資料が得られない以上、原処分は妥当」と結論づけたのです。不服審査の存在意義をみずから否定する不当裁決と言うぺきでしょう。

3 行政訴訟の決意固める

 私たち、請求人の故溝口さん次男と代理人は、ただちに審査庁に抗議しました。その席上、原徳壽・特殊疾病対策室長は、「17年間の調査放置は明白な手続き上の誤りとは言えない」「17年間の空白の真相解明は本審査の対象外」と発言。また、裁決以外に処分庁に対して公的な指導や注意をする考えもないことが判明しました。
 このままでは、17年間の放置という行政の意図的な怠慢があっても、どこからもチェックされないという“無法状態”が再生産され、社会的不正義がまかり通るのは火を見るより明らかです。
 溝口さんの次男、行政不服の代理人である現地と東京の支援者、御手洗鯛右さんの行政訴訟を勝利に導いた山口紀洋弁護士の三者で話し合いを続け、原処分の取消しを求める訴訟を起こす決意を固め、昨年12月末に提訴しました。

4 この訴訟の意義

(1)まず、直接的には「溝口さんへの棄却処分を取消す」との判決を得て確定させ、熊本県に水俣病と認定させることです。その前提として「17年間の空白」の真相解明が必要なのは言うまでもありません。

(2)さらに、溝口さん個人の間題にとどまらず、こうした事例を引き起こす行吸の体質、構造こそ問わねばなりません。

(3)運動論の観点からみると、水俣病の歴史は、病像を狭くとらえ被害を少なく封じ込めようとする行政側と、被害の実態を明らかにし加害責任を追及する患者側との対抗関係の展開ととらえられるでしょう。現在の状況への決定的な契機をなす1995年の政府解決策は「最終的かつ全面的な紛争の解決」を図ることを目指し、それは一見功を奏したかに見えました。しかし、解決策を拒否して続けられる関西訴訟での新しい病像論の呈示や、鹿児島県出水市での集団認定申請など、政府解決策の政治性を根底からゆさぶる動きが相次ぎ、新たな対抗関係が生まれています。今回の新たな訴訟もそれに連なり、「被害者の闘いこそが救済の道を切り開く」との水俣病運動の本義を具現化する現在的な意義をもつと私たちは考えます。

5 支援のお願い

 裁判の勝利にむけてお願いがあります。まず法廷を維持するために弁護士費用などさまざまな経費が必要です。是非とも基金カンバをお願いします。また、一人でも多くの方にこの訴訟の意義を知ってもらい、裁判所を取り巻く世諭を作っていきたいと思います。次号以降でも継続的に経過をお知らせし、必要な時には集会なども設けますので、ご注目・ご参加下さい。
 溝口さん遺族を孤立させることなく、物心両面から支えて下さいますよう、ご支援をお願いする次第です。

1)法律に碁づいて行われた処分に不服の場合に、上級の省庁に審査を申し立てる制度。1974年以降の新法(公害健康被害補償法)では専門の不服審査会が設置されているが、旧法時代の認定申請では環境省特殊疾病対策室が審査に当たる。1971年にはこの争訟で故川本輝夫さんらが県の棄却処分差戻し→認定をかちとった。溝口さんは1899年生まれの女性で、亡くなった時は77歳。

2)山口紀洋弁護士が熊本地裁に訴状提出。棄却取消を求める行政訴訟は、1997年御手洗鯛右さん勝訴の訴訟に次いで水俣病で2件目。1995-96政府解決(政治決着)以降水俣病認定審査をめぐる訴訟は初めて。

2002年1月(平郡真也 記)目次へ


トップページ > チエの話発行まで(目次へ)> 通信20号より転載

提訴にあたって

 母チエのことについては、環境省に対する行政不審査請求が棄却裁決されたため、応援してくれるみなさんと今後のことを相談してきました。訴訟には費用も時間も多大なものを必要とするためかなりの迷いもありましたが、やはり行政のやりかたは許せないという思いが強く、提訴に踏み切りました。
 母が亡くなってから私は毎年の命日に熊本県に電話をかけて、母の認定申請をどうするのか尋ねました。答は決まって「検討中です」でした。私は「ずいぶん長い検討ですね」と皮肉りました。「死んだ人を先にするべきだ」と注文もつけましたが、結局熊本県は何もせずに放置したのです。
 そのために市立病院はカルテを廃棄してしまい、ほかの二つの病院も廃院となってカルテが不明になっています。それを理由に棄却とは納得のできようがありません。たよりに思っていた環境省も熊本県のやり方を認めてしまい、私にはもう訴訟しか残されていなかったのです。
 水俣病被害者を救済する仕事をするはずの熊本県が、こんな許せないことをしておいてひとことの謝罪もないのです。私は裁判でその行政の姿勢をただそうと思います。また、同じように悔しい思いをしたであろうたくさんの人たちのかわりにこの裁判をやりぬこうと考えています。
 数年前に、未認定患者の政府解決策に応じて、胎児性患者にまちがいないと信じていた息子の訴訟を取り下げました。どうしても息子の水俣病を認めようとしなかっだ行政に今でも腹が立っています。息子の時のくやしさもいっしょにして今回の裁判は闘います。たくさんの方々の応援をお願いします。

12月25日 (原告・溝口秋生)目次へ


トップページ > チエの話発行まで(目次へ)> 環境省裁決抗議文

抗議文

環境省大臣 川口順子 殿

 10月29日付けであなたの脅名捺印がある裁決書が請求人のもとに送られてきました。これほどに心ない文書を送りつけることのできる日本国環境省の厚顔無恥を、私たちは国民として恥ずかしく思います。
 不服審査請求とは何ですか。行政不服審査法第1章第1条に書かれている「この法律は行政庁の違法または不当な処分その他公権力の公私に当たる行為に関し、・・国民の権利利益の救済を図る」ものではないのですか。この条文に基づいて環境省の蕃査がおこなわれるべきものではないのですか。
 審査請求人の母は昭和49(1974)年8月に水俣病認定申請し、昭和52(1977)年7月1日に検診未了で死亡しました。熊本県はこの事実を死亡後2週間で確認しています。水俣病の認定審査にあたっては、検診未了で死亡したものについては生前の医学的資料を民間医療機関のそれも含めてできるだけ収集し、認定申請者が水倶病に罹患していたかどうかを判断すべきことは行政にかけられた当然の義務です。ところが、なんと平成6年6月に至るまで17年間、この病院調査が放置されていたのです。これが本件の根本不条理なのです。
 すでに申請後3年を経過しても検診が未了であったこと事態が熊本県の不作為違法を構成していることは、確定判決となった訴訟からも明白です。その上に17年間の放置、サポタージュがある。だからこそ認定審査会が、「判断できる資料が揃っていない」として熊本県知事の詰問に答申し返しているのです。不作為の上に、不作為を重ねて、水俣病認定申請者の「権利利益」を二重にも三重にも犯しているのが本件の根本不正です。
 どころがあなたは裁決書に何と書かれたか。「本審査は、・・処分庁が行った水俣病認定についての判断そのものを審査するものであり、また、審査庁としては、・・追加的な資料の収集に鋭意努めたが、水俣病と認定するに足る資料は得られなかった」
 これほどに物事の本質をすりかえる文言があり得ましょうか。「水俣病認定についての判断そのもの」の審査ができないのが本件の出発点ではないですか。16年間が徒に過ぎ去りカルテが廃棄され病院が閉鎖されてしまった事実があるのに、よくもまあのうのうと「水俣病と認定するに足る資料は得られなかった」などと言い放てるものです。
 環境省の追認がそのままとおるなら、熊本県は検診をできるだけさぼり申請者を放置して死亡させ、さらにその後も知らぬ顔で何年かをすごせばそれで認定業務の一丁上がりとなる。今回の裁決はこの筋書きの是認です。あなたの署名捺印の意味はそこにあることを私たちは怒りをもって指摘します。一国の国務大臣としてのあり方に猛省を求めるものです。

平成13年11月8日
審査請求人 溝口秋生
審査請求代理人 高倉史朗、荒谷徹、平郡真也、鎌田学、石川直美
目次へ

トップページ > チエの話発行まで(目次へ)> 通信21号より転載

溝口さん行政不服訴訟第1回口頭弁論報告

「当たり前のことが通る裁判に」

 東京告発通信20号で報告した溝口さん(水俣市在住)の棄却取消行政訴訟は、昨年12月に訴状を提出したのにつづき、第1回の口頭弁論が3月15日、熊本地方裁判所(田中哲郎裁判長)で開かれました。
 弁論に先立ち、原告側からは主張全体の骨格というべき内容を盛り込んだ第一準備書面(後段で要旨紹介)および書証を、一方被告側は原告の請求棄却を求める答弁書を、それぞれ裁判所に提出していました。

多くの仲間が傍聴

 3月15日は初夏を思わせるポカポカ陽気で、裁判所敷地内にある桜のつぼみもふくらみ、いまにも開花しそう。水俣から原告の溝口さんをはじめ、行政不服審査請求で闘っている患者のOさん、ガイア水俣の高倉さん、元チッソ第一労組の山下善寛さんやほたるの家の坂本しのぷさん、伊東さん、谷さん、砂田さん、反農連の大沢さん、ほっとはうすの加藤さん、熊本市から阿南さん(水俣病研究会)、花田さん(熊本学園大)などの方々が傍聴に駆けつけてくれました。また、マスコミの取材も多く、1995年の政府解決策以降はじめて提起された認定問題をめぐる訴訟への関心の高さが感じられました。
 午後1時10分、口頭弁論開始。田中裁判長が原告被告双方に対して書面が提出されていることを確認したあと、溝口さんが冒頭意見陳述書をしっかりとした口調で読み上げました。 今後の予定は、被告が5月末までに水俣病に関する一般論および溝口さんのお母さん(故人)の処分経過を述べる準備書面を提出し、6月10日に第2回口頭弁論を開くことが決定。この間約20分でしたが、第1回にふさわしくピンと張りつめた空気が満ちていました。

「同じ立場の人のためにも」と溝口さん

 法廷のあと、裁判所前で報告集会を開き、まず溝口さんが「当たり前のことが当たり前に通る裁判になれば、と願う。私だけでなく、同じ立場におかれている人のためにもがんばりたい」と決意を表明。次に山口弁護士が、川本さんの行政不服以来30数年とつづく未認定運動におけるこの訴訟の意義を強調、これからの見通しにふれ「被告が病院調査を17年間怠ったことや申請から処分まで21年を要した事実関係について争いはない。あとは、それらの事実をどう法律的に評価するかの間題だ。ぜひ早期結審をめざしたい」と意気込みを見せました。
 傍聴に参加してくれた人々から連帯のあいさつ。「1969年の第1次訴訟のときに、何度もこの裁判所に足を運んだ記憶がよみがえる」(山下さん)。「私も第1次訴訟の原告だった。水俣病は終わっていないと強く感じる」(坂本さん)。「昨年の水銀国際会議での議論をみてもわかるように、水銀汚染の全体的な広がりについて基本的認識が共有されつつある。被害を点ではなく面でとらえる認識だ」(谷さん)。「鹿児島県出水市での集団検診を行っており、地域ぐるみの汚染という視点を大切にしたい」(阿南さん)。「川本さんの行政不服は認定制度への挑戦だった。制度の運用がデタラメだからこそ被害者が運動せざるを得ない」(伊東さん)。「私は4度目の認定申請。この裁判にとても勇気づけられる」(Oさん)。また、1週間後に関西訴訟上告取下げを訴えるために東海道を歩き始める大沢さんは、行脚にかける決意を語ってくれました。
 最後に弁護団事務局が「多くの訴訟を見てきて、訴えに名を連ねたら即原告、ということではないと思うようになった。溝口さんもぜひ今から原告になっていくのだという気概で訴訟をやりぬいてほしい。最後まで応援します。」(高倉さん)、「次回の6月10日の法廷にもぜひ傍聴を。今後さらに支援の輪を広げていきたいのでご協力ください」(平郡)とアピールし集会を終えました。

準備書面の構成

 第一準備書面は3章で構成されており、その要旨を紹介します。

@溝口さんのお母さんに対する認定審査手統の違法性
 溝口さんのお母さんは1974年8月に認定申請、77年に検診未了のまま死亡、処分が出たのは申請してからなんと21年たった95年8月。このあまりにも遅い被告の対応は、認定業務の怠慢を違法と断じた不作為違法判決(1983年、熊本地裁で確定)に照らしても違法なのは明らか。とくに溝口さんのお母さんへの審査手続の中でもっとも重要な誤まりは、死亡後17年たってようやく被告が資料収集のための病院調査に着手したこと、その時点でカルテの法定保存期間(5年)をはるかにすぎカルテを入手できなかったことです。
 この病院調査の放置は、1977年7月に出された環境保健部長通知「後天性水倶病の判断条件について」の第4項に違反するばかりでなく、そもそも病院調査は被告の専権事項であり、被告のみが独占的に行使できる権限であること、さらに溝口さんのお母さんと同様に検診未了のまま亡くなった申請者に対して被告は早期の調査を行っていることなどから、審査手続そのものを違法とする重要な要素と言うべきです。
 もう一点つけ加えると、溝口さんは毎年お母さんの命日に被告に電話して、審査の進み具合いを間い合わせていましたが答えはいつも「検討中」でした。つまり被告は単なる不注意ではなく、わかっていながら故意に病院調査を行なわなかったのです。もはや被告の審査手続上の違法性は決定的と言わざるを得ません。

A本件訴訟における主張・立証責任
 原告は被告側が「溝口さんのお母さんへの棄却処分は適法である」との立証責任を負うぺきであると考えます。理由は、被告側の怠慢のせいで溝口さんのお母さんが水俣病と判断できる資料が収集できなかったにもかかわらず、そのリスクを原告に負担させるのは不公平であり、まず被告が溝口さんのお母さんが水俣病でないとの証明をすぺきだからです。認定業務の根拠法規である救済法の制度趣旨、本訴訟に先行する御手洗さんの棄却取消訴訟での被告の言明、水俣病認定処分の法的性格という3つの視点から、「証明責任の転換」を論拠づけています。

B求釈明
 「17年間の空白」の真相解明のために、溝口さんが毎年被告に問合わせていた電話の応答記録、未検診死亡者への病院調査について定めた要綱、「17年間の空白」に関する調査の結果内容などを開示するよう求めています。

平郡 真也(弁護団事務局)目次へ


トップページ > チエの話発行まで(目次へ)> 通信22号より転載

<溝口さん行政訴訟報告>

雨の中、各地から傍聴参加

 水俣市在住の溝口さんの起こした棄却処分取消行政訴訟は、第2回口頭弁論が、6月10日、熊本地方裁判所(田中哲郎裁判長)で開かれました。折しも九州地方はこの日に梅雨入りし、お昼過ぎから降り出した雨が法廷の始まる頃には本降りに。それでも水俣・熊本・筥崎・東京から14人が傍聴に参集しました。
 13時15分、弁論開始。まず田中裁判長が裁判所の構成の変更(左陪席裁判官の交替)を告げたあと、原告側代理人の山口紀洋弁護士が意見陳述に立ちました。

県の書面を厳しく批判

 山口弁護士は、提出済みの第2・第3準備書面の要旨を述べ、とりわけ被告側第1準備書面1)への反論を内容とする第3準備書面の意義を強調。「被告の第1準備書面は原告側の主張をはぐらかすものであり、病像・手続きの羅列にすぎない。しかも、その病像論も20年前とまったく同じで、最近の知見を一切無視している」「被告は未処分者が膨大だったため病院調査が遅れたと弁解に終始するが、救済法の趣旨とは何か、法の求める病像・認定審査のあり方とは何かを論じていない。つまり法律論になっていない」ときびしく批判しました。
 次に、被告側代理人が第1準備書面を立証する書証を提出したのに対し、山口弁護士が「病像論に関する証拠は、古い資料ではなく最近の知見を提出せよ。これらの証拠は取り調ぺに価しない」と取り調べを拒否する場面も。
 最後に田中裁判長が原告側に「実態上の違法は主張するのか」2)「溝口さんと同様に、未検診死亡者で棄却され取消訴訟を提起した例はあるのか」と質間。後者の間いは、裁判所が未検診死亡者の実態解明に正面から取り組もうとする姿勢のあらわれと評価できるでしょう。次回は9月2日(15:30〜)と決まり、約30分間の弁論を終えました。

溝口さん、県の応答記録に注目

 そのあと裁判所となりにある熊本県弁護士会館3階で報告集会を開き、まず原告の溝口さんが「私は毎年母の命日に県に電話して、審査の進み具合をたずねていた。その応答記録がきょう初めて提出され、大変関心を持っている。いったい県は何をしていたのか、ぜひ真相を明らかにして欲しい」とあいさつ。
 山口弁護士は裁判所からの質問にふれ、「実態上の違法を証明したくてもカルテがない。それは被告が病院調査をおこたっていたせい。そのリスクを原告側に負わせるのか。被告こそが溝口さんのお母さんが水俣病でないことの立証責任を負うべきだ」と語りました。

Oさん「自分の裁判と受けとめる」

 続いて宮崎の宮澤信雄さん(関西訴訟の「上告取下げを求めるネットワーク」代表)が関西訴訟での病像論をめぐる議論を紹介し、「国・県は水俣病の主要症状である感覚障害の原因は末梢神経の損傷によるとの説にいまでも固執し、水俣病と判断するためには感覚障害だけでは足りず組み合わせが必要で、1977年の判断条件こそもっとも妥当な認定基準どいう主張をくり返している。しかし原告側の立証により、感覚障害は大脳中枢の損傷に由来すること、1977年の判断条件になんら科学的根拠のないことが証明された」と述べ、本訴訟については「Y氏裁決書放置事件3)」での県の言い分や、これまでの議論を活用し、手続き上の違法性をもっと力説すべきだ」とアドバイス。
 水俣のOさんから「溝口さんの裁判を自分の裁判として受けとめている。被害者の置かれている状況をきちんと世の中に伝えたい」との力強い発言もあり、東京の事務局が「今後とも膀聴をはじめご支援を」と呼びかけ散会しました。

1)「水俣病の病像」「認定業務の概要」という一般論に約8割をついやし、残り2割で「本件処分の適法性」を主張しています。処分の遅れについては「死亡から医療機関調査が行なわれるまでに約17年が経過しているが、これは当時、熊本県が抱えていた未処分者数が膨大であったことによる」と抗弁し、処分の内容についても「『判断できる資料が揃っていないため判断できない』旨の答申をうけて本件申請を棄却する処分を行なった」と述べるのみ。救済法の根本趣旨である「認定申請者の迅速かつ幅広い救済」に照らし、本件処分の遅れや内容がどうして適法なのかをまったく説明していません。

2)裁判の争点は大きく分けて@被告が溝口さんの死亡後17年閻も病院調査をおこたり処分に長い年月を要したこと(手続き上の違法)と、A溝口さんのお母さんは水俣病ではないと判断し棄却したこと(実態上の違法)の2つあります。原告はこれまで前者の論点は主張してきましたが後者には言及していないため、裁判所が、どうするのか意向をたずねたわけです。

3)認定申請を棄却されたYさんが起こした行政不服審査請求で、環境庁は三度も取消裁決(原処分不当)を準備しながら棚上げにしていた事件。マスコミのスクープにより事件が発覚し、内部調査を実施した環境庁が公表した資料によると、熊本県は認定業務や他の裁判および「和解」への影響を理由にあげ、取消裁決に頑強に反対していました。

平那真也(弁護団事務局)目次へ


トップページ > チエの話発行まで(目次へ)> 通信23号より転載

溝口さん行政訴訟第3回口頭弁論報告

 昨年12月、母の死後17年間の調査放置の挙旬の水俣病認定申請棄却処分を不服として、熊本県知事に対し「棄却取消の行政訴訟」を提起した溝口さん。9月2日には、第3回の口頭弁論が熊本地方裁判所で開かれた。これに先立って原告患者側は第4・第5準備書面を提出しており、法廷はそれらの確認などで数分間という短いものだった。そして裁判官・被告代理人と原告代理人山口紀洋弁護士による進行協議。その後、弁護士会館で、水俣などから膀聴にかけつけた十余人で集いを持った。遺族原告の溝口秋生さんはもとより、行政不服で闘っているOさんや、水俣に学習に来ていた大学生らも傍聴参加。この裁判が、溝口さんの言われるように「私ひとりの裁判ではない」ことが多様な顔ぶれからも示された。

(弁護団事務局)目次へ

原告紹介

溝口 秋生さん

 訴訟原告の溝口秋生さん(71)は、長年、「アイガモ農法」による米作りなどに励んでおられる。その農法指南で、近所の「アトリエ空」の故・安川栄さんとも交際が深かったため、夏の「安川さんを偲ぶ東京の集い」に、ほっとはうすの皆さんとともに現地からはるばる参加、ご自身の裁判について以下のように訴えられた。
 「こんにちは、水俣の溝口と申します。水俣では高倉史朗さん、東京では弁護団や春日事務所の方たちの応援を得まして、去年12月、熊本県知事を提訴しました。みなさんのおかげで頑張っております。
 これは、ただ私のお袋だけの間題ではないと思うんです。ほかにも言えない人がいっばいいると思うんです。私の次男も、胎児性なのに、それもぜんぜん認めずに、棄却・保留の繰り返しだから私も腹が立ちまして、これはどうしても、もうちょっと娑婆を正さねばいかんと思いまして、ついては思い切って提訴をしたわけなんです。
 もう最近ではいらいらいらいらしまして、どうも健康状態もおそろしいんですけれども、みなさんのご支援のおかげで頑張りたいと思いますから、どうぞよろしくお願いします。」(拍手)

目次へ


トップページ > チエの話発行まで(目次へ)> 通信25号より転載

溝口さん棄却取消行政訴訟第5回口頭弁論報告

被告熊本県はどんな反論ができるか

山口弁護士の意見陳述

 溝口秋生さん(水俣市)がお母さん(チエさん)の棄却処分の取消しを求めて提訴した行政訴訟の報告です。その第5回口頭弁論が、沈丁花のつぼみがふくらみ始め春の足音が響いてくる2月24日、熊本地方裁判所(田中哲郎裁判長、101号法廷)で開かれました。
 まず原告代理人の山口紀洋弁護士が意見陳述。「今回提出した書面で当方の主張・立証はほぼ出そろった。あとは被告の反論をまって今後の方針を決めたい」と前置きし、書面の要旨を述べました。

同居の孫の毛髪が16.1ppm

 <第8準備書面>「原告の次男(チエさんの孫)の生後3ヵ月の毛髪水銀値は、胎毛で作った筆により測定するど16.1ppo。これは平均の約8倍で、生活を共にしていたチエさんの水銀被曝の事実は明らか」

カルテは入手可能だった

 次に<第9準備書面>「チエさんが生前受診していた医院への聞き取り調査により、『平成4年3月に廃院したあども、カルテは5年間倉庫に保管しており、いつでも見られる状態だった』ことが判明。被告はチエさんの死後17年たってようやく病院調査に着手した際、医院の廃院を確認したのみで、承継者やカルテの存否についての追跡調査を一切行っていない。当時カルテが保存され、電話一本すれば入手できる状態だったのに、それすらしなかった。
 これでは病院調査を行ったとは到底評価できず、重大な過失・怠慢である。被告は、生前も死後もチエさんをほったらかしだった」

申請−処分に21年という極限的な遅延

 そして<第10準備書面>の核心である「極限的な手続きの遅れの場合には、認定権限者は申請者を棄却処分にすることはできない」との法理の意義を強調。「申請から処分まで21年間を要した。ふつう病院に行って診断が出るのに21年もかかるなんてことはありえない」。
 審査会ではそれがまかり通っている。21年間の遅れのため、原告は『判断できる資料がない』こどを理由に棄却されるどいうデメリットを負った。他方被告は『資料がないから水俣病ではない』と片付け、申請者が死亡し資料がなくなるまで何もしなくていいと言わんばかり。本件手続き上の遅れは『極限的な遅延』と言わざるを得ず、それに対する法的効果として、被告は原告の認定申請を棄却する権限を失う、との法理が働く」としめくくりました。

沢田一請元知事の陳述書

 その他、沢田元熊本県知事の陳述書を含む書証の説明、宮澤信雄さん(認定制度の歴史ど実態を立証)や歴代の公害部長(制度運用の実質的責任者)、原告本人など5人の証人申請も合わせて行いました。
 一方被告代理人は「原告の第6、第7準備書面への反論は3月末をめどに提出。第8〜第10準備書面への対応は時間がかかりそう」ど述べるにどどまり、口頭弁論終了。

異例の「率直な」進行協議

 引き続き503号法廷に移り、裁判所・原告・被告の三者がラウンドテーブルで今後の裁判の進め方を話し合う進行協議に入りました。
 冒頭、田中裁判長が「基本的な考え方が定まっていません」と切り出し、「水俣病の定義は?法令に明記していない以上、裁判所が解釈で示すしかないのか」「検診を定めた法令はあるのか。その法的拘束力は?」「71年次官通知の『否定できない場合は認定せよ』どいう文言と蓋然性の論議どの関係は?」「立証責任は原告・被告のどちらにあるど考えればよいか」などの疑問点を呈示。

次回は6.27午前11;00〜

 この、異例と言うべき裁判長の心証表明を受け、原告被告双方が自説を展開しましたが、裁判長は「聞いておきます」どいう態度に終始。最後に次回期日を6月27日(金)と決め、進行協議を終えました。

弁護士会館で報告集会

 そのあと、県弁護士会館で報告集会を開き、参加者からは進行協議の場で裁判長が心証を披露したことに意見が集中。
 「水俣病や認定制度はよくわからないとはっきり言ってくれて良かった。丁寧に説明してあげる必要あり」「裁判所は法律の文言どおりに考えようとしているのではないか」「医学上の議論に関心をもっているみたいだが、医学論に入るべきではない。手続違法論で押し通すべき」などの発言がありました。

訴訟はこれから正念場

 この先、被告熊本県はどんな反論ができるのか。また、裁判所は私たちの申請した証人をどこまで採用するか。今年、訴訟は重要局面を迎えます。
 そして、この訴訟は、原告が言われる通り「私一人の裁判ではない」普遍性を有しています。一層のご支援をお願いする次第です。

平郡真也(棄却取消訴訟弁護団事務局)目次へ


トップページ > チエの話発行まで(目次へ)> 通信26号より転載

報告・溝口さん行政訴訟/第6回口頭弁論

山口弁護士 県の開き直りを激しく追及

 6月27日、熊本は時折降りの激しくなる梅雨空で、それでも陽射しを連想させるノウゼンカズラの赤黄色の花があちこちに咲いていました。10時50分頃20人弱の傍聴人入廷。みんな顔見知りの方達で心強い限り。勿論、溝口さんも元気な顔を見せています。

患者側10書面vs被告県側1書面

 ここでちょっとおさらいをします。前回の報告の見出しは「被告熊本県はどんな反論ができるか」でした。
 前回の2月まで原告側(私達です)は1から10までの書面と、それにともなう証拠、そして証人申請書を提出してきました。
 ところが、被告・熊本県は極めておざなりな病像論を記述した第1書面を提出したのみで実質的な反論は一切してきませんでした。前回の法廷でも、なんらかの反論はするが全てについて反論するとは確約しませんでした。

第2〜第4、悪質さを増す被告書面

 4月30日付けで被告の第2準備書面が出ます。原告の第6書面「認定制度の違法運用の歴史」への反論でした。「なぜ、異常な長期間、処分をしなかったか」の弁明は一切なく、数字や字句の異同にこだわる癇性病みの上役の書くような書面でした。この被告の書面について私達は数回の打ち合せを持ち対策を検討しましたが、結論は「これに逐一反論していくと細かいことの言い合いになり本訴訟の本質が見えにくくなる。被告の反諭が出揃ってから対応しよう」ということでした。
 6月16日被告第3書面が出ます。捜しもしなかったくせに「平成4年にはカルテはなかったと推認される」とか、前号に書いたチエさんのお孫さんの毛髪水銀量測定法にいちゃもんをつけたり、日本精神神経学会・研究と人権問題委員会の見解を医学界のコンセンサスを得たものではないと決め付けるなど非常に問題の多いものでした
 第6回の法廷まで時聞がないので反論書は作らないが、被告の第2・第3書面について口頭で批判しようと方針を決め27日に臨みました。ところが直前の25日、今までで一番問題の多いと思われる第4書面が提出されました。(後述)

山口弁護士の大奮闘

 法廷は山口紀洋弁護士の大声から始まりました。「被告の反論は重箱の隅をつつくが如きもので異常な長期間の放置に対する弁明が全くないこと」、「疫学、公衆衛生にたいする考えが間違っていること」・・・裁判長にいつ制止されるかとヒヤヒヤなくらい県の代理人を責め立てます。
 普通、証人尋間でもない限り民事訴訟や行政訴訟の蕃理というものは退屈で、何をやっているのか傍聴人にはさっばり解らないものです。ゴチョゴチョと書類を出し、代理人どうし小声で言い合って結局わかったのは次回期日だけ、という例も稀ではありません。しかしこの法廷はそうではありませんでした。
 被告の言い分のあらましをまとめ、それに身振り手振りをまじえて反論する山口弁護士の姿は身贔屓を別にしてもなかなか絵になるものでした。被告の書面の要旨を述べそれに逐一反論を加えていく陳述はこの裁判の中間総括のようでとても解りやすいものでした。

次回は9.12(金)午前

 弁論は被告の反論が第2・3・4書面で一応終了したことを確認し、次の第7回口頭弁諭の法廷までに原告側が全面的な反論書面を提出することを約して終了。次回はこちら側の希望通り9月12日午前11時より1時間となりました。

患者と遺族を難ずる第4書面

 最後に、参加者の感想でも批判が続出した被告第4準備書面について書かねばなりません。被告は24ぺ一ジのこの書面で、故・溝口チエさんの審査を異常な長期にわたり放置したことの理由は殆ど述べていないのです。では彼らは何を言っているのか。あきれることに被告の主張は、「原告にもやれることはあったはず。それをしなかったから責任の一端は原告にもある」というものなのです。
 被告が原告に要求すること、それは「チエさんを解剖すればよかった」「国・環境庁の臨時審査会に申請替えをすればよかった」「カルテの収集を自分等でもできた」ということです。おまけに言うにこと欠いて「チエさんは77年に亡くなっているから生存者に比して急いで処分することはなかった」とまで書いています。

被告が一線を踏みはずし、新たな局面へ

 水俣の高倉さんは「裁判とは自分に都合のいいように言葉を装うものだが、それでも言ってはいけないことがある、県はその一線を犯したと思う」と語りました。
 この書面で溝口行政訴訟は新たな局面にはいったとみるべきでしょう。県の異常な放置への批判に加え、「県は認定の意味をどう捉え、被害者の救済とはどういうことだと考えているのか」を問いたださねばなりません。
 水俣病が発生して半世紀を過ぎてなお被害者の救済とは何かを問わねばならぬのは悪い冗談のような気もしますが。なお一層の支援をお頭いします。

荒谷徹(棄却取消訴訟弁護団事務局)目次へ


トップページ > チエの話発行まで(目次へ)> 通信27号より転載

報告9月19日第二次棄却取消訴訟第7回口頭弁論 於熊本地裁

残暑の中、水俣・熊本から多数の傍聴参加

 溝口秋生さん(水俣市)がお母さん(チエさん・故人)の棄却処分の取消しを求めて提訴した行政訴訟は、その第7回口頭弁論が9月19日、熊本地方裁判所で開かれました。当日は残暑がぶり返し、グングン気温が上昇するなか、101号法廷には熊本・水俣から約20人の患者・支援者が傍聴に集まってくれました。

原告側山口弁護士の意見陳述

 午前11時、弁論開始。田中哲朗裁判長が原告・被告双方から提出されている書面を確認したのを受けて、原告代理人人の山口紀洋弁護士が提出した書面の概要を照会する意見陳述に立ちました。それらを整理すると次の通りです。

*第11準備書面・チエさんの認定申請から処分に至るまでの審査手続におけるさまざまな疑問点・不明な点を列挙し、被告に釈明を求める(求釈明)。

*第12準備書面・被告第2準備書面への反論。認定制度の違法な運用実態を再論。

*第13準備書面・被告第4準備書面への反論。立証責笛ま被告が負担すべきことを再論。

*甲43号証(宮澤意見書)・認定制度の歴史と実態。被害民を棄民扱いする意図的な制度であり、 チエさんの処分もその意図に沿うとの意見。

*甲45号証・チエさんが認定申請時に診断してもらったS病院の看護婦さんの陳述書。その陳述によれば、医院の廃院後もチエさんのカルテを保存しており、被告の資料収集の怠漫がより浮き彫りに。

*証人尋間に関する上申書・宮沢信雄氏(ジャーナリスト)、津田敏秀氏(岡山大医学部)、原告本人。他方、敵性証人として県公害部長・原告の電話に応じた県職員。公害部長を第一優先に。

*今後の進行に関する上申書・準備書面の提出予定。

被告熊本県「争点が未整理」と突然発言

 次に、これからの裁判の進め方を協議する議論に移りました。
 被告側代理人が、原告の求釈明への釈明の残りについては主張するか否が検討中と述べたのにつづき、「争点はまだ整理できていない。原告の証人申請に対する意見は、争点の整理が終わってから述べたい」と言い出しました。「意外だ」という表晴を見せた田中裁判長が「争点が整理できていないとは?」と質問。被告側は「原告の主張は手続き上だけだったのに変化してきている。病像論は争わないと言ったはずなのに主張し姶めている」と答えました。
 すかさず山口弁護士が立ち上がり「争点は不明確ではない。病像論を争わないと言ったことはない。手続き上の争点が眼目であって、医学的争点を眼目にするのには反対と言ったのだ」ときびしく批判これには被告はなんの反論もできませんでした。
 最後に、田中裁判長が「原告は以前の進行協議の場で『あわせて一本』(手続き上と実体上の2つの観点で棄却処分を取り消すべき)と言っていた。大枠は変わっていない。ただし、両者の比重 が動いているのかな、という印象をもっている」
と集約し、次回期同を12月5日、11:OO〜と決定。弁論を終了しました。

二つの観点

 上記の議論の意味を理解するうえで、若干の解説が必要でしょう。

@この裁判の根本争点は、チエさんの処分が適法(取消す必要なし)か違法(取消すべき)かですが、その結論にアプローチするにあたり2つの観点が設定されます。つまり手続き上(認定申請から処分に至る審査手続の過程に誤りがあるか否か)と、実体上・医学上(チエさんは水俣病ではないとした判断が誤りか否か)の2つの観点です。再三言及しているチエさんの死後17年間も被告が病院調査を怠ったのは、まさに手続き上の勧点の核心に位置する事実です。

A原告は手続き上の観点が中心の争点であり、こちらに力点を置いた主張をしてきました。もっ とも実体上の観点についても、中心争点ではないにせよ、チエさんが水俣病であるとの主張・立証をしています。

Bこれに対し被告は、一応の反論を終え、前回の弁論で、主張はほぼ出そろった旨述べました。

Cつまり、双方の言い分を突き合わせ整理することにより争点が明確になった、さあいよいよ証拠調べ(証人尋間)に入ろうというのが、裁判所を含めた現状認識であったねずです。
 そこに被告の「まだ争点が整理できていない」との突然の発言。これは訴訟の流れに逆行し、いたずらに進行を妨害・混乱させるものに他なりません。もし仮に争点が整理できていないとするならばその責任は約1年にわたり一切準備書面を提出してこなかった被告が負うべきであって、原告に責任はありません。

弁護士会館で活発な意見

 傍聴したメンバーはほぼ全員、県弁護士会館3階の会議室に移動し、まとめの集会をもちました。
 まず、訴訟事務局から8月30日の水俣現地での集まりの報告をしたあと、山口弁護士が裁判の現状と今後の見通しを説明。とくに被告の「争点が未整理」の発言にふれ、「いますぐに証人調べに入るのは得策ではないとの判断だろう。時間稼ぎの口実だ。」と、その真意を分析しました。 原告の溝口さんが「多くの支援の方に集まっいただき、人生の喜ぴです」とあいさつしたのにつづき、参加者から活発な意見が出されました。
 「証人として証言する機会が与えられれば『認定制度は被害者を隠蔽・棄却するためのもの』ということを強調したい」(宮澤さん)、「チエさんが生前受診していたI医院の話では、2000年頃までカルテを保存していたのに、県は無視した」(山下さん)。さらに、熊本学園大の花田さんは「裁判を支える陣型を作ることが急務だ。法廷内での争い・法律上の議論だけでは勝てないし、勝っても波及カをもたない」と間題提起。「大学院生でもできる作業があれば教えてほしい」と間題提起。「宮澤意見書をブックレットにして情宣に役立てたらどうか」などの意見が相次ぎました。

訴訟は長期化の様相も

 原告および訴訟弁護団は当初「短期決戦」で勝つ方針を立てましたが、被告の不誠実な対応により、裁判は長期化の様相を呈してきました。長期戦に向けて、あらためて裁判を支える態勢・運動作り(資金集めと、訴訟の意義を広める情宣)が必要となっています。
 いまだ具体的な提案はできませんが、皆さんのご協力をお願いする次第です。

平郡真也(棄却取消訴訟弁護団事務局)目次へ