原告代理人(東)
甲第95号証を示す
001 陳述書ですが、原告溝口秋生と書いて印鑑が押してありますが、この文書は、溝口さんがしゃべって、山口先生のほうでまとめられて、内容を確認した上で印鑑を押されたということで間違いないですね。
はい。
甲第123号証を示す
002 これは、溝口さんのところの家庭の構成ということで書いてもらったんですけれども間違いないですね。
はい、間違いありません。
003 チエさんは、あなたのお母さんですね。
はい、そうです。
004 明治32年8月15日生まれということで間違いないですね。
はい。
005 お父さんは、喜三さんですね。
はい。
006 この方は、明治26年9月15日生まれということですね。
はい。
007 チエさんが生まれた場所は、県境の神ノ川地区ということで聞いていますけれども、簡単に言うと、どういうところですか。
神ノ川というところは、熊本県と鹿児島県の県境のところで、その川のすぐ近くが実家でした。海岸までは300メーターぐらいのところです。
008 この地区からも結構認定患者さんは出ているんですね。
はい。
009 チエさんが結婚したのは、大正9年3月15日、チエさんが20歳のころというふうに伺っていいですね。
はい。
010 チエさんが結婚してから亡くなられるまで、ずっとあなたのところで住まわれていたんですね。
そうです。
011 そこから一時期移り住んだとか、そういうことはないですね。
全然ありません。
012 あなたのお父さんの喜三さんがチエさんを嫁に選んだ理由というのは何か聞いていますか。
はい。
013 どういうことだったんですか。
健康で働き者でということが一番だったと思います。
014 好き嫌いというよりも、丈夫かどうかとか働き者かどうかというのが基準だったわけですね。
はい。身体も頑丈である、大きいということですね。
015 そういうことで嫁にもらわれたということですか。
はい。
016 その結果、11人の子供さんがいらっしゃいますね。
はい。
甲第123号証を示す
017 ここに、長女D1から、次女D2、長男S1、三女D3、次男秋生、四女D4、三男S3、四男S4、五女D5、五男S5、六男S6と、この11人の子供さんがいらっしゃるということで、それぞれいつまでいたかということをその欄に書いてありますけれども、例えばD1さんは昭和30年ごろ日奈久へ転出ということで、ほかの方もずっと書いてありますね。
はい。
018 この内容自体は問違いないですか。
間違いないと思いますけどね。
019 移動状況、いつごろどこに転出したということは間違いないですね。
間違いありません。
020 秋生さんは、昭和34年7月6日にNさんと結婚されたと書いてありますが、間違いないですね。
はい、間違いないです。
021 その間に、昭和35年8月24日のT1のほか3人の子供さんがいらつしゃるということですね。
はい。
022 先ほど話に出ていたのは、次男のT2さんのことですね。
はい。
023 それぞれの方が、その中で何人か医療手帳を持っていらっしゃる、ここに書いてあるのは、チエさんと喜三さんの子供さんの中で、D1さんと秋生さん、D4さん、D5さん、S5さんは医療手帳を持っていると書いてありますけれども、先ほどおっしゃったのは、だれが持っているということですか。
D3というのが、確認しまして。
024 この方は持っていらっしゃるということですか。
はい。
025 子供さんの中で合計6人が医療手帳を持っていらっしやるということですね。
はい。
026 ほかには、秋生さんの子供さんのT2さんが医療手帳を持っているということですか。
はい。
027 そのほかにも知的障害者の手帳を持っていらっしやるんですか。
はい。
028 奥さんは保健手帳と、こういう状況ですね。
はい。
029 溝口家は代々農業でしたね。
はい。
030 どのくらいの田畑がありましたか。
水田が大体50アールぐらいと畑が50アールぐらいだったと思います。
031 50アールというのは、要するに5反ですね。5反5反あったということですね。
はい、そうです。
032 あなたが住んでいらっしゃる南袋の地区では、反数としては多かったほうなんですか。
はい、大体多いほうですね。
033 一般的に言うと、例えば5反百姓とかいう言葉もありますけれども、5反の水田だけではかなり生活は厳しいですね。
はい。
034 畑も5反あったというふうにおっしゃっていますけど、何を作っていらっしゃいましたか。
サツマイモ、麦、野菜ですね。
035 サトウキビなんかもあったんですか。
サトウキビも作っていました。
036 そういうことで、田畑を作っていらっしやいましたけれども、喜三さんは、農業のほかに何かされていませんでしたか。
山の仕事を割とやっていました。現金収入というか、そんな方面ですね。
037 農繁期は別にして、喜三さんは山仕事を現金収入のためにされていたということですから、忙しいときは別として、農作業は専らだれが受け持っていたんですか。
母チエがほとんどやっていました。
038 戦前は当然ですけれども、昭和30年代の中ごろ、ちょうど結婚されたあたり、その時期までは、耕運機とかトラクターなんかはなかったんでしょう。
ありませんでした。
039 そうすると、牛馬中心ということになりますね。
はい。
040 チエさんは、ほとんどメインでされていたということですけれども、身体は頑丈だったんですか。
健康そのものでしたね。
041 例えば肥料運びなんかがあるでしょう。
はい。
042 そういうのはどういうふうにされていましたか。いわゆる人糞ですよね。
担ってですね。
043 どういう方法で。
水俣弁では肥たんごと言うんですれども、それを担って、大きなやつぼまで運んでいって、それからまた畑にやるというようなことはほとんどやっていました。
044 いわゆる肥たごですね。
はい。
045 肥たごを天秤で担って、それに両方、前後ろ入れて、そして運んでいたということですね。
はい。
046 そういう状況からすると、かなりチエさんは足腰も強かったというような印象ですかね。
はい。
047 米作り自体も、そういう機械がないときには重労働ですけれども、サトウキビも作つていらっしやるとおっしやいましたね。
はい。
048 サトウキビなんかも結構重労働だったんですか。
暑いときの重労働で、蚊帳の中で仕事するような格好でですね。うちの家内はその仕事を一番嫌っていました。
049 それが一番重労働だったということですね。
はい
050 そういう農作業をあなたが継ごうと思ったのはいつごろですか。高校を卒業されたのは、いつですか。
26年です。
051 すぐ継ごうと思われたんですか。
いや、大分考えまして、農業では食っていけないから、しかし、親が大分体力が落ちてきているみたいでと思って、大分考えまして、28年ぐらいからではなかったかと思いますがね。というのも、みかんを新植して、そして、農業をやっていこうという考えになったと思います。
052 そういう思いで、新しい農業をしていこうと思われたわけすですか。
はい。
053 高校卒業されたあたりのチエさんの農作業ぶりですけれども、そのころはどうだったんですか。
その当時はまだ頑張っていたと思います。
054 以前と同じでばりばりにされていたわけですか。
はい。
055 農家の代替わりといいますか、それをされたのはいつごろですか。
結婚直後です。34年ですね。
056 結婚されたのが34年ですね。
はい。
057 おたくが結婚された経緯については、甲第95号証の13ぺ一ジに、一番下ですけれども、「私が結婚した当時、チエはすでに「身体のきつか」と、体力の衰えや体調の不良を訴えていました。そして、チエ自らが、市内山間部の長崎から袋に嫁いできた親戚であるNMに、嫁の来手の相談を持ちかけ、NMが長崎のHIとN父娘に赴き話をまとめたというのが実情でした。」と書いてありますけれども、結婚されたころはかなり体力が弱られていたわけですか。
結婚前ぐらいからです。
058 それで、嫁をお母さんのほうが探していたということになりますかね。
女は女ですから、そうだと思います。
059 結婚されたときには、かなり身体は既に弱くなっておられたわけですかね。
そうです。
060 先ほど例えば肥たごを天秤棒にかついで肥を運んでいたというような話がありましたけれども、結婚された当時は、そういう天秤棒で肥たごをお母さんがかついでいくというような光景はあったんですか。
なかったみたいと思いますけどね。
061 もう既にそのころにはできなかったということですか。
はい。
062 昭和35年にあなたの長男が初めて生まれますね。
はい。
063 合計4人子供さんがいらっしゃいますけれども、その子供さんを、チエさんにとっては孫ですけれども、背中におぶってあやすというような記憶はありますか。
いや、ないですね。
064 チエさんが孫をおぶるというような光景は記憶にないですか。
はい。
065 チエさんは、そういう肥たごを天秤棒にかついで行ったり来たりするような体力が昔はあったわけでしょう。
はい。
066 このころには孫をおぶるような体力もなかったということですか。
もう既にうちの家内にすべてを任せるというような形でした。
067 陳述書によると、チエさんは、カキ打ちとか員採りによく行っていたようなことが書いてありますが、元気なころ、大量に取ったカキなどは天秤棒をかついで持って帰ってきたんですか。
はい。
068 陳述書の8ぺ一ジに、「チエは、重たいものが持てない身体だったので、Nにメゴ(女籠)を持たせてカキ打ちに連れ出していました。」というくだりがありますね。
はい。
069 これは、Nにとありますから、結婚された後の話なんですね。
はい。
070 だから、結婚された後には、もう自分でカキ打ちに行っても、自分で天秤棒をかついで持って帰るということはできなかったというような状況だったんですか。
はい。
071 チエさんが最後にカキ打ちなどに自分で行かれたのは、いつごろか記憶ありますか。
次男のT2が生まれて、何かの祝いみたいなのをするときに、カキ取りに行ったような記憶があるんです。
072 それが最後の記憶ですか。
カキということは、少し寒くなってからと思うんですけれども。
073 チエさんは、どうしてT2さんの何かの祝いにカキを取りに行かれたんですか。
その前から、T2が、けいれんなんかを起こして身体が弱かったもんだから、家内に、おっぱいがたくさん出るように、取って食べさせた、自分がたくさん食べさせたから、身体が弱かったんじゃないかというようなあれがあったような気がするんです、私に言わせると。
074 カキはそもそも、飲ませるとおっぱいが出るという言い伝えみたいなのがあったわけですか。
はい
075 それで、T2さんには、お母さんに乳が一杯出るようにということで、祝いか何かのときにカキ取りに行ったということですか。
特に弱かったからですね。
076 たくさんおっぱいを飲ませたいと。
はい。それが逆になったんじゃないかと思ってですね。
077 後から考えると逆になったんじゃないかと思うわけですか。
はい。
078 陳述書の10ぺ一ジには、県の疫学調査記録(乙第24号証)で、<経過>の欄に「チエは昭和47年頃から座っている日が多くなりだす」とかうんぬんと書いてありますね。
はい。
079 その下に、「その頃も、チエは、天神様あたりまで歩いて通っていました。行き帰りに田んぼの様子を見たかったし」ということが書いてあります。そして、「何より、子どもの頃から慣れ親しんでいた味の、カキ打ちやらビナ採りやら、毎日のように続けていたこと」うんぬんというふうに書いてありますね。
はい。
080 こういうふうに書いてあるんですけれども、まずカキ打ちとかビナ採りやら毎日のようにと書いてあるでしょう。
はい
081 カキ打ちとかビナ採りというのは、いつ採るんですか。
大潮のときだけです。
082 だから、月に2回ですか。
2回以上だったと思います、そ前後です。要するに大潮のときだけです。
083 だから、今日、明日、明後日、その次と、1週間毎日行くというような意味ではないですね。
ないです。
084 甲第4号証の疫学調査の記録のところにもそういうようなことが書いてあるんですが、11ぺ一ジに食生活という欄がありますね・その下に、魚介を好んでいたと、その下に、昭和48年4月まで袋湾でカキ、ビナを採ったり、神ノ川の実家からもらったりうんぬんという記録がありますね。
はい。
085 47年とか8年とかいう年数が出てくるんですれども、大体チエさんはどこにカキ打ちとかビナ採りに行っておられたんですか。
今の袋小中学校の下、天神さんのお宮の下。
086 お宮の下ですか。
はい。
甲第100号証を示す
087 2枚目に地図がありますが、手書きですけれども、この中に溝口家というのが書いてありますが、ここがおたくの家ですね。
はい。
088 今言われた天満宮というのは、それの左側に天満宮と書いてありますね。
はい。
089 神杜のマークがありますね。
はい。
090 この下辺りに採りに行かれたわけですか。
はい、この辺が主でした。
091 それが埋め立てられたわけでしょう。
はい。
092 現在はこの下は何になっていますか。
袋小中学校の学校と運動場ですかね。
093 もともとは、袋小学校は、溝口家と書いてある上のほうにありましたね。
はい。
094 袋中学校は、そこの左側に文と書いてありますが、それが袋中学校ということで矢印が書いてありますけれども、昔の小学校中学校は今言ったところですか。
はい、そうです。
095 それが、埋め立て後、天満宮の下にできたということですね。
そうです。
096 小学校、中学校が新しくできたのはいつごろですか。
45年ですかね。
097 大体そのくらいの記憶ですか。
はい。
098 埋立て工事が始まったのはいつごろですか。
それより2、3年前だと思います。
099 じゃ、42〜43年ですか。
はい。
100 47〜48年にそこらへんにカキを打ちに行くということはできないんじゃないですか。
そうですね。
101 ここらへんはかなり埋め立てられているわけでしょう。
はい。
102 この地図によると、点線が埋め立てラインでしょう。
はい。
103 だから、47〜48年と言われているのは、事実とかなり違うんじやないですか。勘違いじゃないですか。
そしたら、37〜38年と勘違いじやないかな。
104 じゃ、47じゃなくて、37〜38年ということですか10年違うんですけど。
はい。私の勘違いですかね。
105 じゃ、37〜38年というと、さつきおっしゃったように、次男のT2さんが生まれたころですね。
はい、そうです。37年ですね。
106 じゃ、記憶としては37〜38年のほうが正しいですか。
と思いますね。
107 間違いないですね。
はい。
尋問続行
以上