原告第2準備書面
目次
第1章 はじめに
第2章 未検診死亡者に対する被告の対応
第3章 未検診死亡者の放置が被告の基本方針であった
第4章 溝口チエの場合
第5章 求釈明
原告は第1準備書面第1章において、被処分者溝口チエ(以下、溝口チエという)に対する被告の認定審査手続きは違法であることを、違法業務の実態、故意の審査拒否、病院調査の放置懈怠の観点から主張した。
そこで本準備書面では、溝口チエと同じく申請後検診未了のまま死亡し、処分の行われていない認定申請者(以下、未検診死亡者という)に対する被告の取り扱いの実態について述べる。
このことにより、溝口チエに対する被告の認定審査不作為の違法性がより明白になるからである。
以下 1979年〜1992年までの処分実態を概覧する。
1、上述第2章の処分実態により、1981年1月から1990年7月までの約9年半ものあいだ、被告は未検診死亡者への認定業務を中断していたことが明らかである。
即ち、1979年7月に沢田県知事(当時)が処分保留となっていた死亡申請者66人を大量処分したのにつづき、1981年1月に未検診死亡者を処分したのを最後に、1990年7月に再開するまで、被告は未検診死亡者への認定業務をストップしていたのである。(1986年7月の処分は検診を完了した死亡者への処分)
その数は1985年1月当時で約350人、1989年12月時点では386人にのぼっていた。
2、この9年半もの間、被告は一体何をしていたのか。
この点についても事実経過により次のことが言えるのである。
すなわち被告は1985年1月頃から、被告指定の医療機関以外で生前申請者が受診していた病院のカルテ(いわゆる民間カルテ)を収集・活用することにより未検診死亡者の処分を進めようと検討を始めた模様である。
以降、1986年2月、同年7月、1989年12月、1990年3月と被告は県議会などで同趣旨の見解を表明しているのであるが、実態は問題を先送りにしたまま放置していた。
そして1990年7月になってようやく新たな答申ランクを設定し、認定業務を再開しているのである。
ところで未検診死亡者の審査にあたり民間カルテを審査の判断材料として使うことに消極的な理由について被告は「死亡者の間に民間カルテが残っている人、残っていない人があり不公平が生じる。」、「民間カルテを使う死亡者と使わない生存者との間に公平さが保てない。」(甲第12,13号証)と弁解していた。
また再開が遅れた理由として「生存者の処分を優先するため。」(甲第14号証)等をあげているが、いずれも自らの怠慢を合理化するための詭弁に他ならない。
3、まず、「死亡者の間に民間カルテが残っている人、残っていない人があり不公平が生じる。」について。
この論点を議論するにあたっては、その前提として未検診死亡者全員を対象に病院調査を行い、生前の民間カルテが残っている人数、残っていない人数、両者の比較など実態を把握する作業が不可欠である。その上ではじめて民間カルテ導入に伴う公平性に関する議論が成り立つのであって、もし仮に死亡者の内民間カルテが残っている人の割合が100%の近いのであればそもそも不公平が生じるか否かは問題にならない。しかし溝口チエの例一つをとっても、被告は未検診死亡者全員について民間調査を行っていないのは明白であり、実態把握を踏まえない議論自体無意味であり、本末転倒と言うべきである。
カルテの保存期間が5年であることを考慮すれば、無意味な議論をする前にともかく至急に全員分の病院調査をすべきだった。と、同時に仮に全員分の民間カルテが収集していない段階でも、収集した人から処分を進めるべきだった。
4、「民間カルテを使う死亡者と使わない生存者の間に公平さが保てない。」について。
この論点につき不公平が生じることを懸念するのであれば、生存者に対しても認定審査にあたり民間カルテを活用すれば何ら問題は生じない。実際に公害健康被害補償法成立の際の国会決議でも主治医の診断を尊重するよう求めているところであり、被告は死亡者・生存者両方について民間カルテを収集活用して処分を進めるべきだった。
5、「生存者の処分を優先するため。」について。
この主張がなぜ未検診死亡者の処分を中断させていた理由になるのか理解に苦しむ。また、生存者と死亡者との間に取扱上の区別を設ける根拠が不明であり、もし生存者を先に処分するために死亡者の処分を後回しにするという趣旨ならばそれこそ被告の懸念する公平の原則に反する。生存者の処分を優先するために死亡者を放置していいとの理由には決してなり得ないのである。死亡者については時間がたてばたつほど民間カルテを含めた資料の収集確保が困難になるのは明らかなのだから、被告はただ放置するのではなく少なくとも民間カルテの収集に努めるべきだった。
6、被告の認定業務にとって最優先の課題は救済法が要請する申請者の迅速かつ幅広い救済であるということは言うまでも無い。
この迅速かつ幅広い救済という救済法の根本趣旨に照らせば、民間カルテの活用にともなう死亡者間あるいは死亡者と生存者間の均衡の問題は些細な議論である。
まして生存者の処分を優先することが死亡者を放置して良いとの正当化根拠になる訳がない。
民間カルテの活用によりたとえ一部のみ検診死亡者が対象となるにせよ処分が進むのであれば、実際にそれしか再開の方策が見つからないのであれば早急に実施すべきだったのである。
7、一方、未検診死亡者を多数抱える患者団体の対応について、申請協・連盟らの動きを中心に第2章の事実経過と若干重複するが再度整理しておく。
@ 1979年6月 政府、熊本県宛て要求書。不作為違法下の死亡者への弔慰金、答申保留者の認定要求。
A 1978年8月9日 熊本県宛て要求書。処分保留死亡者遺族への弔慰金要求。
B 1979年11月10日 熊本県審査会宛て申入書。話し合いの申入れ、処分保留者66人の処分と手続きについてなど。
C 1980年8月19日 熊本県審査会宛て公開質問状。答申保留の意味、国会附帯決議(主治医の診断を尊重せよ)の実施状況など。
D 1982年5月10日 人権擁護委員会への提訴。認定申請中死亡者177人の指摘と勧告等の措置を求める。
E 1983年7月20日 環境庁、熊本県への要求書。待たせ賃訴訟第一審判決を受けて保留者の即時認定等を要求。
F 1985年6月17日 熊本県に要求書。未検診死亡者に対する責任、民間カルテを使うよう要求。
G 1986年4月2日 人権擁護委員会に提訴。認定申請者への長期保留は人権侵害と訴え。
H 1989年8月21日 熊本県に要求書。未処分死亡者の救済、遺族への弔慰金の支払い要求。
I 1990年7月18日 熊本県に要求書。未処分死亡者を認定し、遺族に弔慰金、葬祭料を支払え。未検診死亡者で主治医が水俣病と判断したものは、その診断を尊重せよと要求。
これら遺族らの申入れの要求は、主治医の診断を尊重して未検診死亡者の認定を急ぐこと、それまでの過程措置として遺族に弔慰金を支払うことであり、それでも放置を続ける被告の対応は人権侵害だとして人権擁護委員会に救済の申立すら行っている。
つまり申請協らは、未検診死亡者の処分を急ぐよう被告に対して絶えざる積極的かつ具体的な提案要求を繰り返していたのである。
にもかかわらず被告は一向に処分を進めようとはしなかった。
ちなみに1980年10月14日付回答書(甲第15号証)によれば、被告は公害健康被害補償法成立の際の国会での附帯決議(認定審査にあたり、主治医の診断を尊重すること)の実施状況に関する質問に対し「死亡者に付いては出来るだけ広く資料を収集する為、全員について病(医)院調査を実施しています。」と回答している。
しかしこの回答は、1977年7月に死亡した溝口チエの病院調査を1994年6月まで行わなかった事実をひとつをとっても、虚偽であることは明らかである。
この被告の回答と、前述の民間カルテ活用を巡る被告の対応と合わせてみれば、被告はこの間「やる」「やっている」と言いながら、「何もしない」、「やろうとしない」というのが実態であった。
被告の怠慢ぶりは極限的・犯罪的であると言わざるを得ない。
8、被告の認定業務は国の機関委任業務という法的性格を持つので、国の対応についても一言触れておく。
環境庁は1986年2月に、棄却者を対象にした特別医療事業による医療費支給の受給者選定は被告の裁量との方針を被告に伝えた際、未検診死亡者についても残存する開業医のカルテなどを使って、被告が独自処分するよう求めている。(甲第16号証)
さらに、1979年1月15日に成立した「水俣病の認定業務の促進に関する臨時措置法」により、救済法関係のみ申請者について認定業務を行うようになった環境庁は、1990年3月に民間カルテを補足資料とし検診未了の死亡者を認定した。同時に「今後こうしたケースには他の医療機関のカルテがあれば利用する方針。」との見解を表明している。
9、以上を要するに1981年1月から1990年7月までの約9年半、未検診死亡者の取扱いについて、申請協ら患者側は被告に対し処分を急ぐよう不断の動きかけを行っており、さらに環境庁は被告に早急な処分の必要性を表明していた。
にもかかわらず独り被告のみが処分を行おうとせず、ただ放置していたのである。
従って未検診死亡者の放置は被告の単なる業務怠慢ではなく、むしろ意図的な行政方針であったと見るべきである。
1、溝口チエは、1974年8月に認定申請し、1977年7月検診未了のまま死亡。そして棄却処分が出たのは1995年8月である。
つまり認定申請後処分が出るまで21年間も放置されていたのであるが、この時期はまさに被告が検診未了死亡者に対する認定業務を中断していた時期(1981年1月から1990年7月)に合致しているのである。
従ってこの異常長期処分放置は、溝口チエの個別事情によるものではなく、上述のとおり被告の未検診死亡者放置の基本方針に基づくものである。
すなわち溝口チエの処分の遅れは決して偶然的なものではなく、個人的な事情に由来するものではなく、被告の方針に基づく構造的なものと言わなければならない。
以上の通り、溝口チエに対する被告の認定審査手続きの違法性は極めて明白である。
2、更に溝口チエに対する審査手続きの中で最も重要な位置を占める病院調査の放置については、第1準備書面・第1章「3、病院調査の放置懈怠」で述べたが、本書面の論旨を踏まえて再度強調しておく。
溝口チエが死亡した1977年7月に環境庁は「後天性水俣病の判断条件について」(環境保健部長通知)を出し、「認定申請後、審査に必要な検診が未了のうち死亡し、剖検も実施されなかった場合などは・・・(中略)・・・臨床医学的知見についての資料を広く集めること。」を求めている。
一方、原告溝口秋生は、溝口チエ死後毎年その命日に被告に電話をして「母の件はどうなっているのか。」と問い合わせていた。つまり溝口チエの病院調査については環境庁が保健部長を出して資料収集を要請し、原告は毎年督促の電話をしていたのであるが、それでも被告は着手しようとしなかった。この構図は、第3章・9で述べた、被告の対応とまったく同じであり、被害者救済に背を向ける悪質な姿勢と言わねばならない。いや、そればかりか被告は1980年10月14日付回答書で「死亡者については出来るだけ広く資料を収集するため全員について病(医)院調査を実施しています。」と述べるとおり、やっていないにも関わらずやっていると、黒を白といいくるめる明らかな虚偽の回答をするに至っては、もはや被告の言動はまったく信用出来ない。
環境庁からも申請者遺族からも病院調査の必要性を何度も指摘され、それでも放置し、加えて実行していると虚偽の回答をする被告の態度は厳しく責められるべきである。
3、要するに、溝口チエに対する病院調査の放置、処分の遅れは被告の方針に基く必然的なものであることが明らかになり、これにより溝口チエに対する認定審査手続きの違法性がより根拠づけられ、その違法性はもはや決定的と言うべきである。
原告らは第1準備書面 第3章 求釈明(3)において未検診死亡者に対する審査状況についての釈明を求めた。 しかし上記の通り溝口チエの処分放置は、構造的なものであることが明らかになったので、さらに1989年12月6日の時点での未検診死亡者386人全員について以下の点を明らかにされることを求める。
以上