原告第4準備書面
本書は、被処分者故溝口チエ(以下 単に溝口チエという)の水俣病罹患の疫学的・医学的根拠を主張するものである。
1 溝口チエの生活歴を確認すると、溝口チエが水俣湾内にある袋湾の魚介類を日常的に多食していたことは認定申請書にも、被告側の疫学調査(甲4号証)にも、さらに環境庁の現地審尋録取書(甲3号証)にも明らかである。
2 また、昭和30年代の前半に溝口チエ家の飼い猫や周辺の家の飼い猫が何匹も狂死している。
事実、周囲には多数の水俣病患者が発生し、認定されている。
3 溝口チエの子ら11名のうち、戦死をした者を除く子らは「水俣病総合対策事業」の対象者となり、そのうち「医療手帳」の発行を受けたのは、Y1、原告溝口秋生、Y2、M、Y3の5名にものぼっている(甲第17〜19号証)。
4 原告溝口秋生の二男・Tは、甲第20号証の2頁の傷病名欄、「md疑」記載や、3頁の診断書の些細な水俣病症状の記載通り、水俣病罹患者である蓋然性が高い。
そこでTは胎児性水俣病患者として確認されるべく、訴訟を起こしていた。
しかし政府解決策が強行され、Tは患者団体の一員であったためにこれを受け入れざるを得ず、訴訟を取り下げ、総合対策医療事業の対象者となった。
5 ところで政府がチッソと患者との和解をもくろんだ政府解決策の、中心施策であった「水俣病総合対策医療事業」は、平成8年1月に「水俣病発生地域において、過去に通常のレベルを超えるメチル水銀の曝露を受けた可能性のある」、「四肢末梢優位の感覚障害を有すると認められる者」を「医療」の対象として審査を開始した制度である。
しかし当時医学者の「四肢の感覚障害」の発生機序に関する研究が未熟或いは意図的であり、感覚障害は末梢神経の障害によってのみ発生するという思いこみ或いは独断が横行していた。
そのために政府は当時、「四肢末端の感覚障害のみ」では水俣病と判断すべきではない、という誤った基準を恣意的に引き、真正な「水俣病罹患者」とは認めなかった。
そのため水俣病総合対策医療事業の対象者は、不当にも水俣病患者と認められず、真の救済もされなかった。
しかし現在の水俣病の医学研究によれば「四肢末端の感覚障害のみ」の症状によって、水俣病と診断すべきことは明かである。
6 なお溝口チエの肉親では、当時、神川の川下に住み(チエ宅とは2キロの距離)、溝口チエと毎日行き来し、魚介類のやりとりをしていた溝口チエの妹は水俣病罹患者として認定されている。
7 以上により溝口チエが生前、水俣病に罹患する水銀など濃厚な重金属汚染を受け水俣病疫学条件に充たしていることは確実である。
1 溝口チエは、甲1、2号証の通り、「手足のしびれ、歩行の不自由、よだれ、味がわからない」などの自覚症状があり、申請時に添付された近隣のS医院のS医師の診断書には他覚的に「四肢末端の鈍麻」が確認されている。
従って、この診断書の根拠となるカルテを被告が収集していれば、水俣病を診断できる多種の情報が確認されていたはずである。
2 熊本県の検診では眼科で「眼球運動に異常」が確認されている。
しかも、平衡機能障害の検査時には「頭がフラフラして気分が悪い」と訴え、検査が出来ないなど、平衡機能障害を疑わせる所見が確認されている。
以上の通り溝口チエが水俣病の疫学的条件を完全に充たし、医学的条件もほぼ充たしていることは確実である。
従って被告が当時、さらに溝口チエの医学的資料を積極的に収集していれば、以上の条件を根拠付け、更に水俣病罹患の蓋然性を高める情報が入手出来たことは疑いもないことである。
従って溝口チエは上記の疫学的・医学的事実だけで、水俣病と認定されるべきである。
以上