原告第8準備書面
1 被処分者溝口チエ(以下 チエという)の有機水銀被曝歴については、すでに原告第4準備書面で述べたが、更に被曝の医学的根拠を主張する。
2 まず水俣病の本質であるが、熊本県が事件発生当初の1959年(昭和34年)10月に作成した報告文書の題名、『熊本県水俣湾産魚介類を多量摂取することによって起る食中毒について』の名が示す通り、食中毒なのである。
事実、「環保企第7号、昭和46年8月7日、環境事務次官通知」の第1水俣病の認定の要件に規定されているとおり、水俣病は、病因物質、すなわち有機水銀が蓄積された原因食品すなわち「魚介類を経口摂取する、ことに起因する」集団食中毒としての健康障害である。
3 チエの不知火海の魚介類経口摂取による被曝歴は被告が乙第31号証および、乙第34号証において認定している通りである。
4 すなわち乙第24号証および乙第28号証の1の通り、溝口チエは明治32(1899)年、水俣市袋地区の神ノ川に出生した。
大正9(1920)年の結婚後も、同地区のXXXX番地に居住し続け、同地区を離れて生活した経歴はない。
また息子の溝口秋生夫婦(1959年結婚)とは同居し、短期の入院以外には別居したことはない。
チエの孫にあたる秋生の二男・Tも、1962年8月24日の出生以来、溝口秋生夫婦のもとに居住し続け、現在に至っている。
5 ところでチエの被曝と発症との因果関係を強く推認させる証拠資料が作成できたのでこれを提出する。
すなわち九州地方の一部では、生後3ヶ月の幼児の胎毛を剃って集め、筆にする(胎毛筆という)風習があり、特に原告は書道を近隣の児童らに教え続けていたので、二男Tm(チエの孫)の誕生をよろこび祈念の意味を込めて筆の製作を広島県業者に依頼し、以後大切に保存していた。
そこで今回、その筆の胎毛を、(医)南労会 環境監視研究所に、現有総水銀値の検査を依頼した。
分析の結果は、水銀値は16.1mg/g(=ppm)であった。
分析の手法・結果は還元気化原子吸光法である。
ちなみに現在の水俣地域での新生児毛髪水銀値(総水銀)は、2ppm前後とされている。
6 Tは1990年6月、水俣市桜井町2-2-11、水俣協立理学クリニック医師・藤野糺によりその疫学条件と臨床症状により胎児性水俣病と診断されている(甲第20号証)。
7 なおTは、公害健康被害補償法に基づく認定申請をしたが、昭和52年判断条件には該当しないとされ棄却されている。
8 しかし秋生夫婦も、Tも「当該地域居住期間および喫食歴、さらに『一定の神経症状を』有すること」を要件とする、「水俣病総合対策医療事業の対象者」である。
そしてそれぞれは、医療手帳、保健手帳の交付を受けていて、地域汚染状況を明確に示すものである。
(甲第17・18・19号証および、平成3年4月15日水俣病問題専門委員会懇談会(医学関係)配布資料9「水俣病が発生した地域について」甲第28号証 参照)
9 以上の通りチエの被曝歴は乙第24号証の通りであり、同居の家族の被曝歴も明かであるので、甲第2号証(S医院診断書)が記すチエ生前の症状は「経口摂取した有機水銀の影響によるものであることを否定し得ない場合」にまさしく該当するのである。
以上