原告第13準備書面
被告の「立証責任に関する主張について」への反論
1 被告第4準備書面16頁以下における立証責任に関する主張(以下、被告の立証責任論という)について、まず指摘すべきは、被告は原告の第1準備書面第2章本件訴訟における主張・立証責任(以下、第1立証責任論という)に対して、一切反論を行っていない点である。
2 即ち、原告は第1立証責任論で詳論したとおり、本件に先行する御手洗訴訟での被告の言明、及び本件処分と同じ法的性格(高度な専門技術的判断の必要な裁量処分)をもつ「原子炉設置許可処分の取消を求める行政訴訟においては被告行政庁に立証責任あり」との判例が確立していること等を論拠として、本件における立証責任は被告が負担すべきと主張した。
しかし、これに対して被告は何らの認否や反論も行っていない。
従って、被告が「被告の立証責任論」をいくら展開しようとも、原告主張に対する十分な反論とはいえない。
3 この点を指摘し、以下、被告の立証責任論に対する反論を述べる。
被告は、「1.救済法3条1項の文理および趣旨 2.水俣病認定申請処分の処分としての法的性質 3.平成12年7月18日付最高裁判決」という3点を理由として、本件の立証責任は原告が負担すべきであると主張する。
しかし、この3点は主張の内容自体失当か、あるいは論拠たる内容を備えていないものである。
以下、各点毎に検討する。
1(1) 被告は救済法3条1項の文理および趣旨として
の2点の要件事実が証明されれば認定すべしと解される、との解釈論を述べたあと、いきなり、その証明責任は認定申請者が負うと主張する。しかし、なぜそうなるのかについては何らの根拠も示しておらず、ただ短絡させただけの主張にすぎない。
さらに、被告はこの2つの要件事実は申請者が証明する必要ありとする主張するが、これも短絡である。
何故なら、もし、これらの要件事実を申請者が証明する必要があるならば、被告は認定審査の過程で検診・審査の内容を全て申請者に公開し、申請者に証明する機会を提供しなければならないが、実際の運用上かかる手続は一切行われていない。
さらに、要件事実の証明を申請者に求めるならば、申請者自らが行った検診データも審査の資料とすることを認めるべきであるのに、被告は、被告が指定した検診機関以外での検診データを採用していない。
これは、いわゆる関西訴訟で明らかになったように、大阪在住の認定申請者が阪南中央病院での検診結果を審査の資料とするよう求めているのに対し、被告側が固く拒否している対応からも明らかである(甲第41、42号証)。
因みに、被告はこれらの拒否の根拠として、救済法のどこにもこの義務を見出すことができないと言っている
(2) 被告は、認定手続きで救済法3条1項の要件事実の証明責任は申請者が負うと述べたあと、申請棄却処分の取消訴訟においても申請者(原告)が立証責任を負うと、唐突に主張する。
しかし(1)で述べたとおり、前者の結論は明確な根拠がないのだからそれを前提とした後者の結論も根拠がないというべきである。
2 次に、被告は、認定申請に対する応答処分が侵害処分か授益処分かを基準として立証責任の帰属を決めるべきとの見解を紹介し、この見解に基づいて原告が、立証責任を負担すべきか否かを決定すべき、と主張をする。
しかし、この処分を二分して立証責任を分ける見解はひとつの説にすぎず、確立した判例・通説ではない。
むしろ、この説に対しては、社会保障分野の処分については一律に原告に立証責任を課すのは妥当ではない、との有力な批判が展開されている。
つまり、「現代の給付国家状況を前提とすると、自由権的基本権を機軸にするだけでは不十分ではないか。生活保護申請拒否処分をはじめとする、社会保障申請拒否処分について、一律に原告に立証の負担を負わせることになるのは妥当でない」(塩野宏『行政法U』)
「行政処分による国民の権利拡張が主に生存権的保障に関わるのにその立証責任を一般に国民に負担せしめるのだという基準になると、原理的にも大いに問題がある」(兼子仁『行政争訟法』)
「社会保障法の領域では、行政庁が申請に対する拒否処分をする場合には、当該行政庁が拒否処分を正当とする根拠を立証しなければならないことが法制度上要請されていると解してもよいのではないか」(宮崎良夫「行政訴訟における主張・立証責任」『新・実務民事訴訟講座(9)』所収)など、諸批判がある
よって、被告の紹介した見解だけに基づき、本件の立証責任は原告が負担すべき、との主張は突飛である。
3 被告は、最高裁判所平成12年7月18日付いわゆる「原爆症認定拒否取消訴訟」における最高裁判所判決から、本件の立証責任は、原告が負担するべき、との解釈論を述べる。
しかし、被告の主張の論旨を整理すると、「行政処分の要件として因果関係の存在が必要とされる場合に、その拒否処分の取消訴訟において被処分者がすべき因果関係の立証の程度は」という判示から、「より一般的に、申請拒否処分の取消訴訟における立証責任は被処分者(原告)が負担することをも判示しているものと解される。さらに最高裁判例によれば、少なくとも社会保障の分野における授益処分の取消訴訟において、処分要件を満たす旨の立証責任を原告が負担すべきものと解される」、というものである(強調原告)。
ところで、被告は上記最高裁の判示から何故「より一般的に・・・・」との解釈が導かれるのかの根拠を示さず、ただ拡大解釈の結論を述べただけにしかすぎない。
また「少なくとも・・・・」の解釈についても、どういう論理でこの解釈が最高裁判示から導かれるのか、いかなる論理的関連があるのかを示していない。
よって「少なくとも・・・・」との解釈論を前提として、被告の、本件要件事実の主張・立証責任は原告が負担すべき、との主張は、何ら根拠のない主張である。
1 原告は、第1 立証責任論で述べた根拠により、本件において被告が立証責任を負担すべきであると主張する。
しかも、本件事案の特殊性を考えれば、立証責任が被告側に課せられるのは当然なのである。
以下、その理由を、第7準備書面及び第10準備書面での主張を敷衍して述べる。
2 まず本件は、被処分者溝口チエが、水俣病と認定されるべきか否かを判断するのに必要な資料が存在し、原告・被告双方が、その資料の解釈・評価をめぐって、一方(原告)はチエは水俣病と認定されるべき(棄却処分は違法)、他方(被告)はチエは水俣病と認定されるべきではない(棄却処分は適法)と主張・立証を尽くし、それでもなお、要件事実が真偽不明の状態になった時、どちらに法的不利益(立証責任)を負担させるのか、という事案では決してないことを改めて強調しておく。
すなわち、本件には次の4点からなる特殊な状況があるからである。
つまり、(1)被告側が生前のチエの検診を怠っていたという点、(2)生前の検診を補ってチエが水俣病と認定されるべきか否かを判断するのに、最も重要な資料である、生前受診していた病院のカルテを、被告の病院調査の怠りにより喪失してしまったという点、(3)そのために原告はチエが水俣病と認定されるべき決定的な主張立証したくても、その核心となるべき資料が存在しない点、(4)それは、チエの死後17年が経つまで病院調査を行わなかった被告の責任であり、原告側には何らの責任もない点である。
3 なお、第4点について、被告は、医療機関のカルテ収集につき原告においても証拠保全の方法があった旨主張するが、被告の行政責任を全く忘れた、破廉恥かつ無責任な反論である。
この主張は、病院調査懈怠の責任を原告に転嫁する、責任逃れの犯罪的な反論である。
そもそも、原告側が医療機関のカルテ保全の手続を実行するためには、その前提として、認定にはカルテ入手が必要不可欠であり、被告がカルテに十分な価値をおき、しかも保全の必要が緊急であるとの認識がなければならない。
しかるに、原告が、毎年被告に電話してチエの処分を急ぐよう求めていた際、被告は「県庁に伝えます」と答えるのみで、チエの認定審査手続きがどこまで進んでいるのか、具体的実務的な説明は一切行っていない。
そのため原告は、病院調査やカルテ収集の実施状況についてまったく情報を得ることができず、従って、カルテの必要性・緊急性に対する認識を持つことができなかったのである。
したがって、原告側は当然、証拠保全の手続を実行する立場になく、それを原告側に求めるのは、論理的に無理な話であったのである。
かかる経緯から、カルテ収集の状況について、被告が、原告に対して何らの情報も提供しないでおきながら、カルテ保全の方法があった旨被告が主張するのは、詭弁にしかすぎないのである。
4 このような、本件の特殊な事情を見れば、原告・被告は、そもそも資料収集において対等・平等な関係ではなく、原告は、被告によって最初から大きなハンディ(法的不利益)を課されていることが明らかである。
このハンディの結果、要件事実が真偽不明の状態になったときに、その法的不利益を原告に負担させるのは、二重のハンディを原告側に課することなのである。
すなわち、原告にハンディを課した被告に対して、更に、立証責任を免除するのは極めて不公平であり、立証行為を困難ないし不可能にした当事者にペナルティを課すという法理を内包する立証責任論の原則に違背する結論である。
よって、本件事案の特殊性、公平の原則、立証責任論の原則などを総合して、本件における立証責任は、被告が負担すべきである。
5(1) ところで、被告は、立証責任の事実上の転換の余地がないことの理由として、様々な事情を述べている(被告第4準備書面P20〜23)が、ここで被告が述べる事情は、立証責任を原告・被告のどちらが負担すべきかという議論とはまったく関連性が無く、根拠にならない。
(2) しかも、被告の主張は、立証責任論と関連がないばかりか、個々の事情に関する主張自体が不当な内容を含んでいるので、以下個別の事情ごとに反論する。
@(遅延の理由について)被告は、チエに対する処分が遅れた背景に未検診死亡者の処分それ自体困難な問題であったことをあげ、未検診死亡者の処分が遅れた理由として、次の3点をあげる。
しかし、これらはいずれも処分の遅れを正当化する理由にはならない。
ア(生存者の処分を優先させるため)について
生存者と死亡者との間に取扱上の区別をもうける根拠が不明であり、もし、生存者の処分を先にするために死亡者の処分を後回しにするという趣旨ならば、それこそ被告の懸念する公平の原則に反することは明らかであり、法的正当性もない。そもそも本件で問題にしている被告の調査義務は極めて容易なことであり、優先順位を付ける必要性はない。
イ(未検診死亡者に対する民間資料の使用は、生存者との間の公平にかかわる)について
この点について公平を懸念するのであれば、生存者に対しても認定審査をするにあたり民間カルテを活用すれば何ら問題は生じない。実際に公害健康被害補償法成立の際に、主治医の診断を尊重するよう求める付帯決議が議決されていることは明らかである。
ウ(民間資料の使用は、未検診死亡者の中でも資料のある人ない人と間の公平にかかわる)について
この点を議論するにあたっては、その前提として未検診死亡者全員を対象にして病院調査を行い、生前のカルテが残っている人数、残っていない人数、両者の比率などを把握する作業が不可欠である。その上ではじめて民間カルテ導入に伴う公平性に関する議論が成り立つのであって、かかるデータを示さずに、ただ公平性に抵触すると言うだけでは何ら意味を持つ議論とはいえない。従って、被告があくまでもこの点を主張するのであれば、上記定量的比較検討を行った資料を提出願いたい。
A(遅延の弊害の実質的欠如)について
被告は、原告には認定を受けることによる救済法上の利益はない旨主張するが、被告自らがエ(他の申請者との公平)で認めるとおり、認定されればチッソとの補償協定に基づく補償金を受け取ることができるのであるから、認定か否か、あるいは認定が遅いか早いかに伴う実質的な利益・不利益は大きく、遅延の弊害が実質的に欠如するとの主張は当たらない。
B(原告側の事情)について
医療機関のカルテ収集につき、原告においても証拠保全の方法があった旨の主張が極めて不当であることは、前述したとおりである。
C(他の申請者との公平)について
被告は、チエが水俣病と認定されるべきでないにもかかわらず、申請から処分まで長期間を要したことの理由として、認定されると他の申請者との間で不公平が生じる旨主張する。
しかし、被告がアプリオリに「チエは水俣病と認定されるべきではない」と断言する前提は、欺瞞である。
そもそも、チエが水俣病であるか否かの判断の資料は、被告の責任によって喪失していることこそが、本件の問題点なのである。
しかも、原告は、チエへの処分が長期間を要したことだけを理由に棄却処分の取消を求めているわけではなく、チエが水俣病と認定されるべき蓋然性が高いこともあわせて主張しているのであるから、被告の立論は前提が誤りである。
さらに、被告は、沖田アキと嶋崎ミスエが棄却処分となっていることを前提に、それと比較して、チエが認定されると不公平が生じる旨主張するが、チエが認定されるべきか否かはチエの医療機関調査等の結果がなければ解らないのである。この点を抜きにして、チエが認定されれば不公平である、と被告が主張するのは、詭弁の極みである。
(3) 以上述べたように、被告が立証責任論に名を借りて本論とは何ら関係のない、しかも不当な内容に満ちた個々の事情を長々と述べるのは、裁判所と被害民全体を愚弄するのみならず、いたずらに訴訟を混乱させ長引かせる行為と言わざるを得ず、かかる被害者救済に背を向けた、不誠実な被告の訴訟態度に厳重に抗議するものである。
以上