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原告第14準備書面

第1 本書の目的

1 被告は被告第1準備書面7頁 第2項で、被告の「水俣病の臨床診断方法」を主張した。
 そこで原告が、第10準備書面3頁 第3項で、日本精神神経学会による、被告側の診断手法と基準の誤りと疫学による正しい診断基準の同学会見解(甲第26,27号証等 以下 「学会見解」と総称する)を引用して、被告を批判した。
 これに関して被告は、更に被告第2準備書面32頁 第5項、被告第3準備書面10頁 第(3)項などで、学会見解とそのベースにある疫学的手法について、反論している。

2 被告の反論の骨子は、@学会見解は医学界のコンセンサスを得ていない。A疫学手法は人間集団を対象とする方法で、個人の最終的因果関係を決定できない。B従って水俣病の主要症状が1つだけあれば水俣病と診断する基準は誤りである。
というものである。

3 しかし被告は、水俣病事件発生以来50年間以上にもわたる水俣病医学及び疫学に関する貴重な世界の調査・研究・記録を一切無視しており、50年前と実質的には同一の主張を繰り返しているのである。
 被告のこの態度は、水俣病に関して調査・研究し、被害住民を迅速・的確に救済すべき法的義務ある者として、厳しく批判されなければならない。
 そこで原告は本書面で、被告のこの確信犯を装おう欺瞞的反論に対して証拠と論理をもって誤りを指摘する。

第2 水俣病を症状の組み合わせで臨床診断することの誤謬

1 被告は「生検によって癌細胞が確認されれば、癌に罹患していることを確定的に診断できる。」と、如何にも癌に罹患していることが生検によって確定的に診断できるかのように断定する。  しかし生検による診断はあくまでも、「あるものがある」と診断する確率(感度)を高め、「ないものがない」とする確率(特異度)を高めるだけで、「確定的」(完全に100%)に診断できるわけではない。
 そもそも常に感度100%、特異度100%の診断法などほとんどあり得ない。

2 被告の言う「診断」とは、ある病気を見つける際に、病気でない者を病気であると診断しないようにすることばかりに集中している。
 これは偽陽性(偽陽性率は、1−特異度)の問題のみを論じているのであり、診断学の中のほんの一部の問題でしかない。
 このように偽陽性の問題だけに集中しているからこそ、被告は偽陰性とも表現するべき未認定患者を大量に生み出してきたのである。
 これは被告や認定審査委員会の委員が診断学の基礎すら身につけていない結果である。
 これらは診断学を論じる際の常識であり、医師国家試験の基本的問題である。
 このように診断学の基礎がないことを露呈することは、被告側には適正な医師が関与してないものと思われる。
 診断学の基礎を前提としない限り、「認定審査」「判断基準」を扱う資格はない。
 このような前提は、被告も引用する世界的に読まれているハリソンやセシルの内科学書の「総論部分」に、すでに明記されている。

3 被告は「疾患によっては特異な所見が元々存在しない場合があり、そのような場合には、患者が訴える症状を把握した上、これと各種の臨床検査の所見を総合して、いかなる疾患に罹患しているかを判断することになる」と述べ、だから「症候の組み合わせに基づいて症候群的診断を行う」必要があると主張する。
 ところで、症候の組み合わせを多く設定すれば、診断基準に合致する対象患者は最終的には世界に一人しかいなくなる。
 これでは実際上不適切であることは明らかなので、どこかで組み合わせを限定しなければならない。
 そこで、医学はどの組み合わせに限定すべきかを、データにもとづき、偽陽性と偽陰性の排除を定量的に吟味して、決定するのである。

4 他方、被告側は診断は「総合的」になされるべきであると繰り返すだけで、なぜ昭和52年判断条件が妥当なのかをデータに基づいて明らかにしたことは一度もない。
 或いは、「権威ある専門家が」、「権威ある専門家が」と繰り返すだけで、データや根拠を一切明らかにしない。
 驚くべきことに、被告側はデータを示さないこの姿勢を25年間以上も続けているのである。  これでは、被告側の水俣病行政は、医学ではなく単なる権威主義、あるいは審査会委員を教祖とする「水俣教」であり、科学でも医学でもない。

5 ところで逆に、データに基づかなくても極めて自明なので一つの症候でも十分な場合は、症候の組み合わせなど必要がなくなる。
 例えば多くの細菌が病因物質の食中毒事件において、原因食品を食べて下痢をした患者は、症候の組み合わせがなくても食中毒患者として判断される。集団食中毒事件のように非常に高頻度に下痢患者が生じるような場合は、原因食品を食さない場合の下痢の頻度より、極めて高い頻度であることは自明なので、原因食品を喫食したことと下痢という一つの症候で、当該下痢患者が原因食品により発症した蓋然性は、十分高いのである。
 このことも、食品衛生を担当しているものにとっては基礎であり、このようなことも否定するのでは、被告側にはそもそも食品衛生を担当する資格さえない。

6 それにも拘わらず、被告は「水俣病の場合、直接に生検などの方法によって障害を証明できる場合があるが水俣病は生存中におこなうのが不可能であり、また水俣病の主要症候はそれぞれ単独では非特異的であり、他の疾患によってもそれらの症候を来す場合がある。四肢末端ほど強く現れる感覚障害は、急性感染症、栄養障害(脚気等)、内分泌障害(糖尿病等)、代謝障害(尿毒症等)、重金属・有機溶剤中毒、薬剤の副作用及び悪性腫瘍に伴う感覚障害があるほか、原因不明のものも多い」、「従って水俣病の診断は、メチル水銀によって引き起こされる各種の組み合わせから、メチル水銀による神経系の傷害を推定するという症候群的診断によらざるを得ない」など、相変わらず非科学、非医学的な「反論」を繰り返している。
 それでは、他の疾患によって来す症状が多いのなら、どんな病気でも診断がつかないというのだろうか?
 被告がこのような論法を維持するなら、広く一般に行われている病気の鑑別診断さえ、まったく不可能になるのである。

7 例えば血性下痢は様々な疾患により生じる症候である。
 病原性O157:H7、腸重積、大腸癌、軟便傾向の人の痔、等がすぐに考えられる。
 しかしだからといって原因食品を食べて現に血性下痢がある人を、病原性大腸菌O157:H7と診断出来ないと言ったら、これはもう医学とは言わないであろう。
 同じように、さまざまな薬害により引き起こされる症状を、原因となる薬剤を服用して当該症状を引き起こした患者を、原因薬剤によって当該症状が起こったと言えないことはない。
 例えば、求心性視野狭窄は、メチル水銀中毒でも生じるが、クロロキンを服用して求心性視野狭窄になった患者を、クロロキン薬害の被害者と言えないことはあり得ない。

8 職業癌でも同様である。
 例えば、肺癌は、喫煙、ヒ素、アスベスト、ある種の毒ガス、等々様々な原因によって生じる。

 だからといって、クロムに曝露して肺癌に罹患した患者をクロム工程による職業癌患者と呼べぬはずはない。
 このことを被告側が認めぬのであれば、日本の職業病に関する過去の全ての判例を、被告側は否定することになる。

9 そもそも医学書を広げれば、同じような症候を引き起こす原因などはいくらでも見つかる。
 だからといって原因に関して何も論じられないことはあり得ない。
 被告側の診断手法を前提とすると、極端な例で、毒性が激しくて死亡した場合、死亡は様々な原因によって生じるので全く死亡の原因は論じられないことになってしまう。
 この結論を導く被告の誤りは、明かであろう。

第3 「52年判断条件」と「専門家会議の意見」の「専門家」について

1 被告は、審査会委員等被告側の認定制度に関与する医師達を、「専門家」「専門家」とまるで教祖様のように言い続ける。
 だがその専門性の中身、あるいは専門家の決定の根拠に関しては、これまた「データ」を一度も示したことがない。
 例えば「昭和50年に、熊本県、鹿児島県、新潟県及び新潟市の認定審査会の委員等、水俣病に関して造詣が深い各分野の専門家17名からなる水俣病認定検討会を設置し整理した結果が、昭和52年7月1日付で発出された『昭和52年判断条件』によって示している」と主張する。
 しかし、その各委員が水俣病に関してどのように造詣が深いのか、水俣病に関する業績は何があるか、そしてその業績は水俣病実態と比較して適切と評価できたのか、などについて被告側は一度も根拠を示したことがない。
実際は、ほとんどの委員が臨床医ばかりで、公害問題に関して処理或いは研究した経験のあるものは含まれていなかったのである。
 さらに、この「専門家」達が導いた結論の「根拠」とした文献もデータも、被告側は今日に至るまで、まったく示すことができないのである。
このような客観的な状況にあって、被告が「52年判断条件」は正しいと、何万遍繰り返しても、客観性はない。

2 この状況は、昭和60年の医学専門家会議でも、まったく同じであった。
 被告は、「昭和60年に環境庁は『水俣病の判断条件に関する医学専門家会議』を設け、52年判断条件についての医学の専門家の意見を求めたが、医学専門家会議の意見は『・・・現時点では、現行の判断条件により判断するのが妥当である。』とするものであった。だから、52年判断条件は医学的知見に基礎を置き、適切かつ妥当であることは医学の専門家の間でコンセンサスが得られている」と主張する。しかし、この「専門家」の中身を具体的に点検すべきである。
 ところで日本神経学会は、専門医試験を昭和50年から開始している。
 ところが、この8人の専門家の中に専門医試験の合格者はいない。
 彼らの同年代の医師も合格していて彼らのほとんども十分に受験資格があるのに合格者はいないのである。
 彼らのうち、死亡した椿忠雄と受験資格がないと思われる三嶋功を除いた6人は、平成元年に無試験で専門医の資格を取得している。
 つまり彼ら6人は何らかの都合で合格できなかった面々である。
 彼らは専門家であると自称しながら、神経学ですらこの技能資格である。
 ましてや公害問題や食中毒問題に関しての学識を、客観的に示している委員はいない。

3 しかも「医学専門家会議の意見」の内容もまた貧弱である。
 わずか1400字に満たないこの文章に、根拠となる参考文献、データ、分析は全く掲載されていない。
 これは普通、「専門家」の意見とは言わない。
 専門家とは文献を読みこなし、臨床データを自らまとめることにより専門家となるのである。
 従って、参考文献を示せず、データを示していないこの「意見」は専門家の意見ではなく単なる「作文」である。
 ちなみに、同時期に発表された「大気汚染に関する専門家の意見」と比較すべきである。
 この意見書には、当然のことながら、膨大な文献が引用・掲載されている。

4 事実、昭和52年判断条件が正しいと結論づけた、昭和60年医学専門家会議の参考文献が、いわゆる水俣病関西訴訟控訴審で、環境庁企画調整局長(岡田康彦)から大阪高等裁判所第三民事部裁判長裁判官(岨野悌介)に宛られた、1998年3月19日付け「調査嘱託について」(環保企第87号)と題する文書に示されている。
 しかしこの専門家会議の参考文献には、昭和52年判断条件を正しいと結論づける根拠論文は全くない。
 日本精神神経学会・研究と人権問題委員会の分析( 『昭和60年10月15日付「水俣病の判断条件に関する医学専門家会議の意見」に対する見解』(精神経誌 1999年 101巻第6号、539頁−558頁 )によると、逆に当該意見に否定的データを含む論文が2つあったとのことである。
 従って昭和60年専門家会議の意見の結論は、文字通り行政追随の単なる作文であったことが明かである。

5 被告側が、なおも「52年判断条件」と「医学専門家会議の意見」が、「正しい」との主張を続けるのであれば、医学的な文献を証拠として提出した上で、なされたい。

第4 「中公審議事録」の内容について

1 被告側は情報公開された「中公審議事録」の内容を確認しているのであろうか。 原文は膨大なので、本件訴訟に関係のある点は、日本精神神経学会・研究と人権問題委員会による、「水俣病問題における認定制度と医学専門家の関わりに関する見解」(精神経誌2003年、105巻6号、809頁−834頁)を読めば充分である。

2 念のために、1991年の中公審議事録のうち、重要な発言部分を以下引用しておく。

@ 「昭和52年判断条件」に関する発言

第1回議事録 24頁 環境庁職員の発言
「52年の判断条件につきましても、行政の通知でございますので、100パーセント医学的な診断基準ではないわけです。」

第5回議事録 28頁 環境庁職員の発言
「水俣病の場合、明確な診断基準的な表現となっておりますのは、実際は行政の方の判断条件しかないようなところでございます。」

第6回議事録 32頁 環境庁職員の発言
「水俣病に関して純医学的な面から医学者の方が作られた診断基準というものがない。」

A 昭和60年医学専門家会議の見解に関する発言

第6回議事録 38頁 環境庁職員の発言
「臨床医学的及び病理学的な観点からは、昭和60年の医学専門家会議の結論を引いて、それだけ(引用者注 四肢の感覚障害)で水俣病と判断するには医学的に無理がある、こういう流れでいきたいと思っております。ただ、60年の専門家会議というのは行政上の見解でありますし、いろいろ批判を被っているところであります。」

B このような発言を読んだだけでも、被告が判断条件や専門家会議に関して「判断条件は正しい」という主張が、明らかに欺瞞であることが、明かであろう。

第5 疫学に関する被告の無理解について

1 被告は、「個々人が水俣病かどうかということを判断するについて疫学的調査結果をそのまま持ち込むことに大きな問題があることが分かる」と述べ、疫学データは集団(多数の個人でもある)から集めたから、個人にそのまま適用することに問題があると主張する。
 しかし、被告が疫学の定義と特徴をつらつらと述べている部分では、「集団」という言葉が出てくるものの、「個人に適用できない」とは出てこない。
 これは被告が故意に、「集団」と「個人」、あるいは「個々人」を対立概念であるかのように用いることにより、「集団から集めた」だから「個人に適用できない」と導いているもので、明かな論理の飛躍であり、理論のねつ造である。

2 そもそも何のために手数をかけてたくさんの人々からデータを集めるのだろうか?
 一人の観察では経験数が少ないために多くの個人から情報を集めて判断の材料にするためである。
 疫学の目的は、元々個人における原因を推定するために行われてきたと、疫学の教科書に広く記述されていることである。
 ちなみに厚生労働省は科学的根拠に基づく医学(Evidence based medicine)を重要視しているが、これは日常診療で個々の患者に行う医療を、科学的根拠に基づいて行うという考え方である。
 科学的根拠とは、言うまでもなく疫学理論に基づいた臨床研究のことである。

3 しかもILOとWHOの合同委員会は、個人における病因割合を計算する方法を1989年に報告書に明確に示してから、現代はすでに10年以上も経っている時代なのである。
 被告の無学・欺瞞的な反論に、猛省を期待する。

4 被告は因果関係のことが分からない分からないと言いながら、他方「疫学は予防医学に奉仕するという立場のため、最終的に因果関係が決定できなくても・・」と述べる。
 それでは一体、「最終的に因果関係が決定される。」とは具体的にどのような場合を言うのか? 被告は明確に定義し、その具体的な事例を挙げて頂きたい。
 無論、被告は具体的に答えられないであろう。
 しかし、被告が個別的な因果関係の確定の方法を具体的に主張しなければ、被告の反論はいわば蒙古相撲のように、果てしない土俵を勝手に作って、議論自身から逃げおおすことである。

5 被告は、米国公衆衛生局長諮問委員会による疫学の5条件を持ち出している。
 そうであれば、水俣病に関して疫学を活用すること、日本精神神経学会見解のどこが、右5条件を満たしていないというのか、明らかにされたい。
 すべて完全に満たしているのである。
 従って、被告も水俣病の個別因果関係に関する、学会見解を認めざるをえないのである。

6 被告は「疫学の限界は、疫学が個体差を一切考慮せず、集団の統計的特徴に基づいて健康障害の要因を推定していく学問的方法論であるから個人を観察の対象とし、個体差を常に考慮する臨床医学において、この疫学的手法を利用することにはおのずから限界がある」と述べる。
 しかし、分析疫学のデータや分析法を一度でも見た人なら分かるように、「集団の統計的特徴」というようなものでもなく、「個体差を考慮」していないものでもない。
 個々人のデータを個体差を考慮して分析しているのである。

7 また被告は上記のように述べる理由として、
 「第一に、調査の対象となる集団に問題となる病因以外の幾つかの異なる病因が潜在する場合、見かけ上の出現頻度の多い症候が他の病因によるものであるにもかかわらず、短絡的に問題とする病因と関係づけてしまう。第2に、病因に対する曝露の有無と症候の出現頻度を比較しても、他疾患との鑑別には直接役に立たないことである。第3に、要因対照研究的手法においては、個人ごとの症候の出現パターンが捨象されるため、要因固有の症候の出現パターンを明らかにすることは困難である」と述べる。
 しかし、この第一の理由と、第二の理由のどちらも、疫学で言う交絡要因の問題であり、疫学は当然すでに、解決済みの問題である。
 第三で述べている「要因対照研究」というのは、疫学では通常「コホート研究」といい、これも解決済みの問題である。
 被告がこのような初歩的疑問・反論を呈していると、実は被告側は本当にまったく疫学を知らないのであると、断ぜざるを得ない。

8 そして言うまでもなく「個人ごとの症候の出現パターンが捨象されるため、要因固有の症候の出現パターンを明らかにすることは」困難ではなく、充分に可能なのである。
 なぜなら疫学分析そのものが、まさにこれを行うことだからである。

9 さらに被告は次のように主張する。
 『「疾患」を四肢末梢に優位な感覚障害と、「病因」をメチル水銀の曝露の事実とそれぞれ考えれば、このような感覚障害は何も水俣病のみに特有な症状ではなく、多くの原因によって生じ得るありふれた症状であるから、水俣病であると認めることはできない。このことから、個々人が水俣病かどうかということを判断するについて疫学的調査結果をそのまま持ち込むことに大きな問題があることが分かる。当該個人にメチル水銀の曝露の事実があれば、水俣病の主要症候が一つしか認められなくても水俣病と判断するという発想は、水俣病の主要症候が個々的には極めて非特異的なもので他疾患と鑑別が必要であることなどを考えても、もはや疫学の限界を超えており、水俣病の診断を誤らせるものである』
 しかし被告のこの思いつきの反論の中で、「多くの原因によって生じる」という理由が意味がないことはすでに説明した。
 即ち、これは疫学で扱う「交絡要因」の問題であり、疫学はこれを分析して整理する方法を十分に有している。
 被告は「非特異的」という言葉を挙げれば、何でも診断・認定は不可能にもってゆけると思っているが如く思える。
 しかし、非特異的でないつまり「特異的な症状」というものは、そもそも存在するのだろうか?
 多分被告は次のようなものを挙げるであろう。
 ヒ素中毒症、カドミウム中毒症と。
 しかし、ヒ素中毒は、症候で挙げれば単に皮膚の色素沈着である。
 カドミウム中毒は、腎臓の近位尿細管障害でありそれが進行した場合は骨軟化症である。
 いずれも、非特異的症状である。
 つまり被告は、原因が病名に入った病気を特異的と呼び、原因が病名に入っていない病気を非特異的と言っているに過ぎない。
 原因が病名に入った病気が特異的疾患であるのは当たり前である。
 原因に曝露されていなければその病名がつくことはあり得ないからである。
 ところで水俣病はメチル水銀中毒症なので、一見、特異的に思えるだけである。
 これは国語・病名呼称の問題であり、被告が病名の本質について理解すれば、このような反論は出来ないであろう。

10 被告は疫学の基礎も知らず、しかも水俣病認定手続きの、根本規範である1971年の環境庁次官通知さえ、忘却して、恣意的な反論を繰り返しているのである。

第6 学会見解こそコンセンサスを得たものである

1 被告は思いつきの反論をする前に、データ、文献も、何らの医学的根拠もなく作成された「52年判断条件」や、意見集約の際に同じようにデータ、文献も根拠もなかった「医学専門家会議の見解」と、日本精神神経学会・研究と人権問題委員会の「学会見解」との、三意見書を並べてみて、これらを実際に比較検討すべきである。
 いずれに根拠があり、論理的であるか、誰にでも明らかなはずである。
 日本精神神経学会・研究と人権問題委員会の「学会見解」は、学会理事会の正式な承認を得ている権威ある文章であり、学会は公表をしている。
 これまで水俣病に関してこのような学会のコンセンサスを得た見解はない、なかった。

2 そもそも前述したように、昭和60年医学専門家会議のメンバーの専門性のなさに比べ、日本精神神経学会・研究と人権問題委員会には神経学の専門医と産業医学の専門医が含まれている。
 被告はいったいどのような根拠を持って、自らの意見が医学界の大方のコンセンサスを得られていると主張出来るのか、もう一度整理して主張されたい。
 なお、日本精神神経学会・研究と人権問題委員会の見解で出された蓋然性は、日常の食中毒事件に対する行政の通常処理の業務・論理とも一致しているのである。

3 しかも、この学会見解の結論は、被告が医学的知見に誠実であれば、水俣病が食中毒事件として認識されていた昭和31年11月頃にはすでに結論できたものであったのである。
 被告は食品衛生行政の義務・権限と水俣病の歴史を振りかえり、反省すべきである。

第3 結論

 以上の通り、被告の「52年判断条件」や「医学専門家会議の見解」の固持が単なる権威主義の結果であり、何ら根拠のないものであることが明らかになった。
 また被告の疫学批判や「学会見解」への批判が、被告の疫学の知識のないことに由来するものであることも明らかにした。
 この過程で原告は、被告の反論を徹底的に批判したが、これは無論水俣病審査委員らや被告訴訟担当者の名誉を傷つけるためになしたものではない。
 原告は被告の反論を批判する際に、必ず具体的に反論し、しかもその客観的な根拠資料を明示し、しかも例えば「52年判断条件」と「大気汚染に関する専門家の意見書」、或いは「専門家会議の見解」と「日本精神神経学会の学会見解」と言うように、比較評価する対象を明示しているのである。
 従って、万一被告が更に原告に反論するつもりであれば、必ず具体的主張、具体的根拠、そして評価比較対象を、明示して頂きたい。
 これらなくして、被告がこれまでのように抽象的、根拠不存在、比較対照なき反論を続けるのは、法廷審理を侮辱するものと考えざるを得ない。

以上

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