原告第18準備書面
本準備書面の趣旨は、元熊本県環境公害部長永野義之氏(以下、「永野証人」という)の証拠調べを、重ねて要求するものである。
被告は、特に第7準備書面7頁において、証拠調べは全て不要であると主張するので、原告はその必要性につき反論する。
そして本日、裁判所において同証人の採用を決定して頂きたい。
1 被告は前回の第8回口頭弁論以降、本日までに3本の準備書面を提出して、原告の主張に反論している(以下 今回の被告の反論と総称する)。
2 被告第6準備書面は、52年判断条件と、53年通知の正しさと溝口チエの申請審査に適用すべきことを主張し、視野狭窄がなければ運動失調の有無が水俣病認定の決定的な要件となる。
ところで溝口チエは46年水俣湾周辺地域住民健康調査の結果では、運動失調があったとは考えられないし、曝露歴、発症時期、腎臓病の重篤な持病などからみて、水俣病とは考えられない。
従って、医療機関の資料に水俣病をうかがわせる記載があったとは思えないから、被告側の資料収集の遅滞は、溝口チエの水俣病認定には無関係である。
3 被告第7準備書面は、原告の極限論は法令に根拠がなく、独自の主張である。
従って、原告は証拠調べを申請しているが、いずれも不必要である。
原告の求釈明についても、認定の手続き瑕疵は水俣病認定の根拠足り得ない から、釈明の必要を認めない。
しかし念のために未検診者の取り扱いについて、当時の事情を説明するが、いずれにせよ民間医療機関の診療記録の収集は困難であり、利用にも難点があった。
4 被告第8準備書面は、原告は52年判断条件や医学専門家会議の意見の医学的水準について論難するが、原告の主張は実態を無視しており失当である。
中公審議事録の記載を根拠とした原告の主張も、同記録は「議事速記録」にすぎず、記録の正確性や文脈を無視した主張で、失当である。
原告は疫学を根拠に溝口チエの水俣病罹患を主張するが、そもそも水俣病の個別因果関係の特定は疫学の限界を超えているから、原告の主張は失当である。
加えて、溝口Tmの毛髪水銀値や溝口チエの曝露歴及び生前の症状等を検討すると、むしろ水俣病に罹患していなかったと推認される。
5 このように、被告は今回の3本の準備書面で、原告のこれまでの主張に全面的に対応した反論をおこなっている。
原告としては次回、被告のこれらの一方的な反論に対して、詳しく具体的に反論する予定である。
しかし被告の今回の反論は、結果としては、逆に永野証人の証人尋問の必要性を決定づけているのである。
被告は今回、種々の理由を総花的に主張して、原告の原処分取消の請求を反論している。
しかし原告が主張している、原処分の根本問題に対しては、実は全く答えていない。
即ち原処分の手続きは、水俣病認定制度にもっとも要請されている「迅速手続き」と「否定できぬ者は認定する」という原理を、全く没却しており、その遅滞は申請から21年後という尋常でないものであり、しかもその間の資料散逸のリスクを全て申請者側に負わせるという不正をおこなっている。
このようなことは広範な地域の身体侵襲事件・公害事件においてはあってはならないことである。
それにも拘わらず被告側が、いずれの原理も無視する認定手続きをなしてきたと言うことは、もはや業務の怠慢の域を超え、背任業務ともいえる故意を推測させるものである。
その21年間という異常な期間と、故意の推測にもとづき、原告は原処分は「極限的な違法行政処分」であって、この場合には特別な法的効果が発生すると主張しているのである。
そうであれば、この極限的遅滞の期間に被告側手続きにつき総括的な役割を果たしてきた永野証人の証言を聞かざるを得ないことは火を見るよりも明らかなことである。
以下、被告の今回の準備書面の項目にほぼ従って、永野証人の必要性を主張する。
極限論が上記のものであるから、被告がこれを反論・反証するのであれば、被告は「手続きは遅滞していない」と言うか、「遅滞していたが、それには合理的な理由がある」と、反論しなければならないはずである。
しかし、今回の被告の反論は、総花的な言辞を整理してみれば、合理的な理由については相変わらず、何も説明していないのである。
例えば被告準備書面第6、9頁も、結局遅れたのは「検討課題として残されていた」、だから「検討中」と表現しても誤りではない、と言うに過ぎない。
しかし本来、本件手続きで明らかにすべきは、「具体的に何を検討していたのか」、或いは「具体的には、何も検討していなかったとすれば、迅速を要請されながら、それは何故なのか」でなければならない。
しかし、被告は一切これらの点については、釈明をしていない。
だからこそ、被告の準備書面は実は、これらの点については申請手続きの総元締め役である永野証人の尋問にまつ、と言っているのに等しいのである。
被告は第6準備書面で溝口チエの水俣病を否定するについて、52年判断条件・医学専門家会議の意見を金科玉条として、その要件に照らして否定している。
そうであれば、少なくとも被告側が、52年判断条件等を定立する必要性、発端、審議の実態、医学性の担保、定立前・後のフィールド調査、患者実態との乖離の有無、その後の学会・司法の批判、それに対する検討の有無などを明らかにして、あらゆる角度から52年判断条件等の医学的レベルの高さを反証・反論しなければならないはずである。
しかし被告側は、いわば専門家が作成したのであるから医学的に正しいと、ただ言っているだけに過ぎない。
だからこそ、原告は永野証人で、少なくとも被告の立場から独自にこれらの点を、検証したのか、どのようにしたのか、環境庁の言うなりであったのか、等の点を聞き、果たしてこれらを溝口チエ外申請者に適用することが、相当であったのか否かを明らかにしなければならない。
被告は、今回突然、溝口チエに関する昭和46年の住民調査の資料を提出してきて、検診項目について云々する。
ところで被告は、被告第1準備書面23頁では、「感覚障害・運動失調」については、検診がされず、しかも資料が得られなかったので有無を確認できなかった、と言明している。
これは一体、どうしたことなのか。
被告側は、21年間、住民調査資料を単に倉庫に入れてしまっておいただけだったのか?
被告は、鬼の首を取った如く住民調査の結果を主張するが、迅速と広範な認定制度の原理からは、むしろ40年以上も経って、突然、提出されたこと自体が大きな問題である。
しかもこの資料を本件審理に利用するのであれば、この資料の経路、調査の実態、正確性、活用、などについて、詳しく説明を求めなければならないが、この点についても、概括的には永野証人が最適であろう。
被告は、結局医療機関調査をしても溝口チエの水俣病を根拠づける資料は出てこないはずであると反論する。
しかし、この論理には飛躍があり、まず被告は「当時」もこのように不必要と考えていたのか否か、何故このように考えられるか、を聞き、さらに現在の時点でも調査に努力するのと否とではどちらがベターなのか、全く根拠づける資料がないと判断するのは、果たして医学的なのか?
それは何故なのか、などを被告側実務者に聞かなければならない。
この点でも、現在では永野証人に問いただすしか実際的な方法はない。
被告の第7準備書面における極限論の批判は、筋違いである。
何故なら、21年間の遅滞・放置など、およそ法令が予想するところではないから、法令に規定されていないのは当然なのである。
従って被告の反論は、まさに異常な違法行為をなして、そのあまりの異常さ故法令がないことを奇貨として、開き直るという、あまりにも法制度自体を無視した暴論である。
加えて原告が極限論を主張するのは、被告側が容易に出来ることをせず、21年間「検討中」と言い続けたことは、もはや故意であると社会的にはみなされるにもかかわらず、被告はこの点を全く捨象している。
従って原告は、なぜ調査・手続きを何もしなかったのか、何かしようとしたのか、何が本当の障害であったか、それは歴史的にはどうであったのか、申請者・周辺の批判をどう受け止めていたのか、など当時の経緯・実態を総括担当者に聞かねば、到底、極限的遅滞の真の実態・故意性は明らかにならない。
永野証人が、本件審理に必要不可欠の所以である。
被告は第7準備書面8頁で、そもそも民間医療機関資料は認定制度・審査には不必要なのであるという、弁解をしている。
しかし例えば、被告はカルテは容易には手には入らないと主張するが、実際に拒否された例はある否か、といった机上の観念論ではなく、当時の実際・実態を明らかにするのでなければ、本件の審理は尽くせない。
また、資料を入手した申請者と、出来なかった申請者との間に不公平が生じる、と被告は弁解するが、当時も被告側はこのような愚かなことを考えていたのか、実務担当者にどうしても聞きたい点である。
即ち、被告側はこのような理由にならぬ理由で、真の水俣病患者を棄却していたことを、公言しているのである。
棄却されてしまった患者に対して、被告側は責任を感じないのか、まさにこの思考の方向が、原告が患者放置・隠しの「故意」と主張している実態なのである。
被告は第8準備書面で、判断条件と関連して中公審議事録に関しても速記録であるから内容の正確性が不明であるなどと、呑気な反論をしている。
しかしこの審議事録でそれまでの水俣病の基準の虚偽性が明らかになり、認定制度自身の崩壊を招く発言が明らかにされている以上、被告は審議事録を、当然、厳密に、「正確か、否か」を当時、調査によって決めなければならないはずである。
「不明である」などと言う言い訳は許されない。
当時被告側が中公審議事録の内容を知ったときに、被告側はこの正確性について調査したのか否か、どのような調査をしたのか、どのような結論を出したのか、などの手続きがなければ、被告側は中公審議事録の内容を無視することは出来なかったはずである。
原告は、この点を被告側担当者に問いただしたいのである。
前項から通じて、これらの点はいずれも原告側では、到底調べることができず、逆に被告側はむしろ、環境庁との関係があったとしても、調べることは業務ですらあったはずである。
従って原告が永野証人を代表として希望している尋問事項は、ほとんどが被告側の水俣病申請手続き上、業務として当時明らかにしておかねばならぬ事項ばかりである。
被告は第8準備書面5頁において、再び疫学の無用性或いは活用性を否定する。
しかし、これも被告側は当時、そもそも疫学を知っていたのか、そして当時も不要と考えていたのか、それは何故か、どのような資料から判断したのか、などの実態を担当者に聞かない限り、被告の反論は空論に帰する。
これまでは、今回の被告準備書面にそって永野証人の必要性を論じてきたが、以下、水俣病事件の年代に沿って尋問事項の大項目を列挙する。
本件申請者溝口チエは、1974年に申請、1977年検診未了のまま死亡、そして死亡後17年たった1994年病院調査(民間カルテを入手できず)を経て、1995年に棄却処分となった。
これは、チエだけの個別の、偶然の経過ではない。
その背後に、被告県の「未検診死亡者は放置・切り捨てる」との明確な方針があった。
チエの棄却処分は、被告の方針によって決定付けられた必然的・構造的なものである。
つまり本件の本質・意義は、手続き上の瑕疵(不作為)に基づく誤った処分というレベルに留まらず、被告の故意による「未検診死亡者放置・切り捨て」事件である。
そして、かかる本件の本質を解明するためには、認定業務の総括責任者である永野証人の証言こそ、最良かつ必須である。
A 1979年6月、沢田知事(当時)が、長期処分保留(死亡者)となっていた66人を処分したことを、どのように評価するのか。
さらに、沢田知事が1981年6月「長期保留者は認定の方向で」との意向を表明したのを受けて、実務レベルで具体化するために、いかなる検討をしたのか。
B 1980年から、細川知事(当時)が未検診死亡者の処分を再開するまでの約10年間、被告は未検診死亡者の処分を中断していたことについて、
C 細川知事(当時)が、1990年7月に未検診死亡者の処分を再開したことについて、どのような事情の変化があったのか?
再開にあたり、どのような対策を立てたのか?
D 医療機関調査の要項が定められたのは平成6年(乙19号証)だが、それ以前には、いかなるルール(方法・手続き・基準・順番)で行っていたのか。
以上少なくとも5点に関し、認定業務の総括責任者である永野証人は、真実の経過と責任の所在について原告に対し説明する義務がある。
以上