原告第21準備書面
原告はこれまで自己の主張を全面展開した上で、証人申請も既になしている。
証人申請のなかで元熊本県公害部長永野義之氏の尋問こそは本件審理の要であり、第一番目になされるべき事を主張する。
本訴訟は、申請者溝口チエに対する棄却処分が適法か否かを審理する訴訟であるが、この処分の適法性を判断するためには、チエ自身の認定手続の実態を明らかにすると共に、チエをはじめとする他の未検診死亡者(検診未了のまま死亡した認定申請者)に対する被告の手続がいかなるものであったかを解明する審理・尋問が不可欠である。
何故ならば、チエの手続の適法性は、第1に他の申請者の手続との比較にあり、第2にチエの手続放置は個別の偶発的なものではなく、被告の全体手続方針に「未検診死亡者は放置し、資料の散逸を待つ」との明確な、偏向・意図がなかったかを明らかにしなければならないからである。
そして原告は、これまで一貫して主張しているとおり、本訴訟の審理において、本件チエの手続放置は被告が引き起こした「未検診死亡者放置・切り捨て事件」であるとの観点を実証することこそ、もっとも重要な点であると考えている。
この観点を、具体的な論点を挙げて述べれば以下のとおりである。
1 チエの申請後、処分を出すまで21年問も要した合理的な理由はない。
2 被告が病院調査に着手するのに、チエの死後、17年間を要する具体的合理的な理由はない。
3 しかも被告は、病院の廃院を書類上確認しただけで調査を打ち切り、それ以降のカルテ収集に向けた追跡調査を行わなかったが、調査を打ち切る合理的理由はあり得ない。
4 被告は、審査会から「判断できる資料が揃っていない」旨の答申を受けて、チエの棄却処分を決めたが、被告が調査・審査義務がある以上、棄却処分にすべき合理的理由がない。
5 被告は、80年代の約10年間、未検診死亡者に対する処分を中断していたが、その合理的理由はない。
6 被告は、未検診死亡者に対する処分が遅れた理由として、当時未処分者が膨大であったことをあげるが、未処分者が膨大に滞留する事態は、行政として予め予想できたにもかかわらず、何ら具体的対処をなしていなかったのであるから、被告の弁解に合理性はない。
7 被告は未検診死亡者に対する調査・処分が遅れた理由として、生存者の処分を優先させていたことや、民間資料の活用についてはさまざまな障害があったことをあげる。
しかし、未検診死亡者にとって、民間資料は審査のために唯一残された非代替的な貴重な資料なのだから、早期に病院調査を行い資料を収集・確保しておくことは当然考えられ、容易に出来たのであるから、被告の弁解は合理性がない。
8 被告が病院調査の要項を定めたのはようやく平成6年(乙第19号証)になってからであるが、それ以前にも同様のルールは決められ指示することは出来たのであるから、被告の調査遅滞の理由とはならない。
などである。
環境省の公害健康被害補償不服審査会は平成16年6月6日に、水俣病の認定申請から3年後に死亡した水俣市の男性について、県がその後16年間にわたって病院調査をしなかったためカルテが入手できず「資料がそろっていない」との理由で棄却していた故T氏の行政不服審査請求を棄却した。(甲第68・69・70号証)
この裁決書(甲第70号証)で環境省は、県が認定申請後の検診や疫学調査を行わず資料の収集が出来なかったことについて「適切な事務の処理とは言い難く、反省を要する」と指摘したが、「膨大な未処分者がいた当時の状況を考えれば、対応が著しく不当とまでは言えない。」としている。
この指摘から明らかなとおり、チエの手続放置は、第1には偶発的なものではないことが明らかになった、第2に同様に未検診死亡申請者は膨大な量にのぼったことも明らかになった。これらの者に対する病院カルテの調査の放置は、すべてチッソ、行政側に有利な結果を生んでいることも明らかになった。
熊本日日新聞はこの不正な実態に対して以下のようにコメントしている。
(甲第69号証)
「男性が認定申請したのは1975(昭和50)年。県は指定医療機関の受診結果しか認めていないが、男性はそれを受診出来ないまま3年後に死亡した。77年の環境庁通知によれば、申請者が死亡して検診が出来ない場合、代わる資料を『広く集める』のは県の責任とされている。
具体的には、死者が生前かかっていた民間病院を調べ、カルテを集めなければならない。だが、県が男性の病院照会に動き出したのは、死亡してから16年たった94年。当然ながらカルテは失われていた。
なぜ16年間も過ぎたのか。『申請者の数が膨大で、生存者の審査を優先したから』と県は言う。
(中略)
だが、本当にそうか。大量の未処分者を前に、早くから県の審査体制は追い付けなくなり、認定業務自体が破綻していた。76年には熊本地裁が『認定の遅れは県の怠慢』とする判決を出したが、その後も抜本策は取られなかった。
結果としての16年問の放置。遺族にしてみれば県は『できなかった』のではなく、『しなかった』としか言えないだろう。
(中略)
同様に病院調査が遅れた末に『資料がない』として棄却された人は何人いたのか。県水俣病対策課は『調べていないので分からない』というが、かつて県と交渉した患者団体の記録には、85年時点の未検診死亡者として『357人』という規模の数字が残っている。
これら死亡者は基本的に、未認定被害者の救済をはかった95年政府解決策の対象にならず、なんの救済も受けられなかったとみられる。
行政不服審査では99年、審査にあたった環境庁が結論をめぐって県と内々の『打ち合わせ』を繰り返していたことが明るみに出た。請求者のまったく知らないところで、処分を『取り消す』という結論に県が『待った』をかけ、裁決はうやむやにされた」
なお、同記事中の最後にある99年の例は当審甲第23、24、25号証に呈示しているY氏事件のことである。
以上の理由から、原告は、貴裁判所が永野元公害部長の証人採用・実施を第一に決定し、証拠調べに入られるよう強く求めるものである。
前回裁判官の交代があったので、蛇足ながら証人申請を巡る経緯と現状について、簡単に整理しておくと以下のとおりである。
原告は、2003年2月17日付「証人申請書」、2003年9月19日付「証人尋問に関する上申書」を提出し、熊本県永野元公害部長の証人申請を行った。これは、双方の主張がほぼ出そろい争点が整理できたとの判断をふまえたものである。
さらに、2003年12月5日付原告第16準備書面、2004年2月27日付原告第18準備書面で同部長の証人尋問が本件審理に於いて不可欠である旨の補充の主張を行い、同部長の証拠調べを重ねて貴裁判所に要請した。
これに対し、被告は、2002年6月3日付第1準備書面以降、10ヶ月近くにわたり準備書面を提出しなかったにもかかわらず、第2準備書面を2003年4月30日付で提出し、第7回口頭弁論において、突然「まだ争点が整理できていない」と言い出し、次々と準備書面を提出するようになった。
その内容を検討するに、原告の主張に反論する部分を除き、チエの処分が適法である旨の主張に限ってみれば、提出するまで、これだけの年数を要する必要性は見出し得ず、出そうと思えばもっと早い時期に出せたはずの内容ばかりであった。
こうした被告の訴訟態度に加え、貴裁判所の構成の変化(裁判官の交代)という事情があり、貴裁判所においては、いまだに原告の証人申請に対する採否の判断を保留している。
原告としては、2004年5月21日の第10回口頭弁論で、貴裁判所が永野元公害部長を証人採用する旨の判断を示すものと切望していたので、実現しなかったのは極めて残念なことと受け止めている。
以上