原告第25準備書面
本準備書面は、救済法の趣旨を再確認し、水俣病問題における食品衛生法上の問題を検討し、被告熊本県知事(以下、被告熊本県と表示する場合もある。責任組織の実態を示すためである)、溝口チエの水銀曝露・発症につき疫学的背景を述べるものである。
本件は被告処分庁による申請者溝口チエ(以下、「チエ」という)の放置・不作為の責任を問うものである。
被告は、チエの健康被害−メチル水銀曝露に起因する中毒症状(水俣病)発症−に係る認定申請に対し、救済法の立法趣旨・目的に違背して、意図的に、異常長期間にわたり、その審査・処分を放置していた。
チエの棄却処分は、この制度運用の違法状態においてなされたものである。
いわゆる「77年判断条件」(甲第9号証)に関して、被告は本件のみならず、これまで提起されてきた他の一連の水俣病裁判において、その「医学的正当性」を繰り返し主張してきた。
従って「77年条件」は、被告にとっては水俣病認定制度とその運用の正当性を主張する根幹である。
ところで、「77年条件」の第4項において、制度運用にあたり未検診死亡者については広く資料を収集すべき旨明記している。
しかも被告熊本県は、救済法の趣旨・目的及び「77年条件」の理解のうえに立って、「水俣病問答集」を作成・発行していた(「水俣病問答集」昭和55年版、どう59年版、同62年版、平成6年版、熊本県水俣病相談事務所作成・発行 甲第107号証以下)。
従って、問答集の記載は熊本県の救済法の運用に関する公式見解である。熊本県は各方面からの問い合わせに対して問答集の通り回答していたものである。
ところで問答集は、制度が適切に運用されていることを前提に、未検診死亡者に関しても回答を用意していた。
即ち、問答集各年度版、第4章末尾部分に、熊本県の見解が明らかにされている。
にもかかわらず、被告は、「77年条件」に違背し、チエが診療を受けていた医療機関の調査も放置し、資料を失わせしめたのである。
しかも、チエが生存中に行うべきであった疫学調査も時機を逸し、調査を開始したのは死亡後である。
さらにチエの死亡確認後は、調査義務と権限を有する者として熊本県は医療機関への照会など直ちに取り組むべきであったにもかかわらず、全くそれをなさなかった。
そもそも、原告の毎年の問い合わせに対して「検討中」であると虚偽の回答を繰り返して、意図的に放置したのである。
水俣病事件の本質は唯一、食品衛生法が適用されるべき食中毒事件である。
この事実は、当時の行政官庁が、食品衛生法を適切に運用したか、否かの、責任問題とは、別個の問題である。
事実として、水俣病事件は食中毒事件なのである。
従って、水俣病事件を「公害事件」と呼ぶのは、事件の社会的な側面を表現するためには許されるが、食品を原因として多数の住民の病気を発生させた、という本質を曖昧にする危険性があることを、再認識しなければならない。
従って、まず水俣病事件は、「水俣食中毒事件」と呼称されなければならなかった。
しかし、被告熊本県の行政意図にもとづいて、このように呼ばなかったことが、水俣病事件解決の、根本的な誤りであった。
しかし、事実としても、社会的にも、水俣病事件は食中毒事件として有名・確定しており、医学書にも病因物質が化学物質である食中毒事件の代表例として記載されている。
水俣病事件は食中毒事件としての指摘・分析が、これほどまでに重要であるので以下、この点を指摘・提唱している岡山大学大学院の津田敏秀先生の意見書(甲第92、93号証)の文章の趣旨を引用しながら、さらにこの点を敷衍する。
原告としては、本件審理においても、本件判決においても、水俣病事件の本質が食中毒事件であるという認識を欠いては、適正な判断は出来ないと確信するので、津田敏秀先生に証人申請をしているものである。
ところで、これまで水俣病事件においては、事件当初における食品衛生法適用を巡る議論、特に食品衛生法第4条第2項に該当するかどうかが、主に議論されてきた。
しかし、水俣病事件が食中毒事件であるにもかかわらず、食中毒事件としては異例の取り扱いをされてきたという点は、第4条第2項に止まらないのである。
従って、被告熊本県、そして国は、言うまでもなく本来法律を遵守しなければならない立場にありながら、食品衛生法違反を繰り返してきている。
行政の食中毒事件としての取り組みの重要性は、例えば、食中毒事件においては認定申請などしないにも拘わらず、水俣病認定制度は住民に自己申告を強要し、被害者を被害者と認めるための関門を作ってしまったのである。
本来、食中毒事件が生じた住民に対しては、何を食べたのか、そしてどのような症状が生じたのかを、保健所職員が住民のところにまでやってきて、全員を対象に調査する。従って、原因食品と症状との関連や、どのような病像があるのかを、後でじっくりと検討することができる。そしてこれらの検討は具体的なデータが存在するゆえに、誰の目にも明らかなように説明し情報開示することも可能である。
水俣病ではこの食中毒の調査行われていないために、病像に関する議論が水掛け論のように延々と行われることになったのである。また全員を調査せずに本人申請に基づいているために、いつまでも後から後から申請者が生じ、問題の解決が長引く要因になっている。
水俣病事件に公害健康被害補償法を適用するのは当然であるが、食中毒事件である以上、食品衛生法に基づく調査もしなければ法律違反であることは明瞭である。そしてこのような法律違反を繰り返してきたことが、水俣病問題を長期化させ、数多くの行政の誤謬を起こした根本原因なのである。
この事態は、申請制度のため漏れる患者が続出しただけでなく、申請患者も申請時まで放置されてきた。これは著しい対策や補償の遅れを生じさせた。
チエの件はまさにこの行政の違法状態のために発生し、そのための犠牲者なのである。チエのような事件が生じたのは、このように繰り返し行われてきた保健所、熊本県、国による法律違反のために生じたのであることを、本件審理において、先ず認識しておかなければならない。
食中毒事件として、正しい行政の観点で、水俣病事件を見ると、不可解なことばかりなのである。
同じ集団(家族・地域)で同じように原因食品を食べて似たような関連症状があるのに、ある人は食中毒患者、別の人は食中毒患者ではない、というような事態は、食中毒事件ではありえない。しかし、水俣病事件においてては、現実にこのような異常な取り扱いが多数発生し、住民本人達が納得していないことはもとより、疫学学会で大きな問題とされている。
まず何よりも、このような事態が、水俣病事件処理の非論理性を物語っているのである。
原告は、水俣病発生の実態を示すために、水俣病相談事務所作成・発行の「水俣病問答集」(甲第107〜110号証)を提出する。この各問答集の末尾に「水俣病認定患者分布図」が添付されている。
また、水俣病を告発する会(熊本)作成の、「水俣病認定患者分布図」(「縮刷版 続編 告発」1974年同刊行委員会編集発行)、にも明かである。
これらの資料によれば、水俣病被害は、袋湾を含む水俣湾産および不知火(八代)海産魚介類を喫食した沿岸一体住民に拡がっていることが分かる。
沿岸部の多発は、漁業を生業としている者の住居地帯として理解は容易であろうが、魚介類の流通は、人的交流−行商や友人知人からの購入交換などを介してであり、また、自家採捕による摂取を無視できない。
そうでなければ、内陸山間部や県外(圏外)での患者発症事例を適正・適法に扱うことが出来ない。
このような資料を一見しても、水俣病が食中毒事件であることは、当時も明白であったのである。
潮谷熊本県知事は平成17年2月『1957(昭和32)年に県が水俣湾内の魚介類の摂取を禁止するため食品衛生法適用を厚生省(当時)に照会したのに対し、同省が認めなかったことを指摘、被害拡大をくい止めなかった行政責任として負担割合が国と熊本県で1対1であることに疑問を呈した。』(平成17年2月26日付熊本日々新聞 甲第114号証)
まさに原告が主張しているとおり、厚生省が食品衛生法の適用しなかったために水俣病事件の被害が大きく拡大したことを、いまや、被告も認めざるを得なくなったのである。
国や被告熊本県はこれまで、病因物質が分からなかったからとか、被害者の多くが自家摂取・自己採取による魚介類を食べていたからとかを理由に責任逃れをしてきた。
しかし食品衛生法に基づく対策には原因食品もしくは原因施設が明らかであれば行える。
また病因物質が不明で、かつほぼ全員が自家摂取・自己採取であった昭和24年の浜松あさり貝事件において、現実に食品衛生法が適用され、効果があったという前例・実例が確実にあるのである。
従って、被告熊本県の食品衛生行政上の責任は、明白である。
事実、被告熊本県は、関西水俣病最高裁判決を受けて、これまでの水俣病に関する行政責任、認定制度の破綻及び新たな対処の必要を認め、平成16年11月には、新たな水俣病被害者対策として、3万数千人単位の医療費支給を試案している(甲第115号証 熊日新聞 2004年11月12日夕刊)。
原告が証人候補として申請している、岡山大学大学院の津田敏秀先生の意見書(甲第93号証)は、チエ個人の曝露・症状の分析もしているので、意見書の文章の趣旨を引用しながら、さらにこの点を敷衍する。
チエの魚介類の喫食歴、メチル水銀曝露歴は、S医師の診断書(甲第2号証)、疫学調査記録(乙第24号証)、審尋録取書(甲第3号証)、環保企第910号、裁決書(乙第42号証)、健康状態調査票(乙第94号証の4)などの客観的な証拠、および「甲95号証 溝口秋生陳述書」(以下、「陳述書」と略す)によって、明かである。
被告側の乙第42号証においてさえ、チエには、「魚介類に蓄積された有機水銀に対する曝露歴を有するものと認められる」事実を明記しているところである。
なお、被告第6準備書面中の被告は、「チエは老人であった故に小食であったはず」などと、意味のない憶測を展開する。
被告の論法を認めると、老人は食中毒にならないことになる。
被告の反論は、この点に限らず、住民の生活実態を全く認識していない。
即ち、不知火海沿岸の住民の生活・摂食実態は、「陳述書」の通りの魚介類入手方法であり、しかも陳述書は行商人らの固有名詞や採取場所など具体的にあげての陳述であるから、客観的である。県による疫学調査の不徹底を露呈するばかりである。
(1) 甲号証、乙号証から
溝口チエの症状に関しては、「健康状態調査票」(乙第94号証の4)から四肢末梢に優位な感覚障害があったことが分かる。
審査会資料(乙第28号証の2)、認定申請書(甲第1号証)からも四肢末梢に優位な感覚症を加えて「歩行のゆらつき」と記載があり、運動失調や平衡機能障害があったことも記されている。
他方、これらの症状が無かった証拠は何もない。
以上の証拠から、チエは当然食中毒患者すなわち水俣病患者として確認されるべきである。
(2) 「陳述書」から
(1)にあげた各号証の所見について、「陳述書」には同じようにチエの味覚障害、歩行障害、運動機能の低下・劣化などを、チエの日常生活においてとらえていたことが、明記されている。
「審尋録取書」には「歩き方もおかしかった」との記載がなされていることも、極めて重要な資料である。
(3) 「健康状態調査票」について
被告は、「健康状態調査票」(乙第94号証の4)の引用と評価に関して意図的な歪曲をなしている。
厚生行政−食品衛生行政の実際の運用においては、保健所による調査は、病院物質に関する調査もあるが、疫学調査も重要な位置を占める。
この疫学調査は、喫食調査と症状調査から成り立ち、保健所の職員により質問票を用いて聞き取り調査を行う。水俣病事件では、この喫食調査と症状調査をしばしば「アンケート」などと呼んで軽視しているが、世論調査や人気調査などとは異なり、この調査は食品曝露と症状診断のための決め手となる証拠を提供し、因果関係を明らかにし、食中毒事件の病像を明らかにするための決定的な調査である。
従って、被告第6準備書面において、喫食調査と症状調査に相当する「健康状態調査票」(乙第94号証の4)を世情街頭などで行われているものと区別しない「アンケート」と呼ぶのは誤りである。
被告は、原処分では隠蔽していた、「アンケート」を本法廷に提出した。
被告の原処分の審理及び判断のアンフェアさは、この一点だけでも明かである。
しかも被告は、この作為を隠蔽するために、厚顔にも、第6準備書面においては、調査票の感覚障害の項におけるチエの回答にもかかわらず、第2において「感覚障害は実際にあったのか、あったとしても、どのような感覚障害だったのかなどについて検討するまでもなく」等、チエの自覚症および医師による所見の存在自体をことさらに歪曲して、主張している。
そもそも、被告がなすべき「検討」は、昭和46年に、遅れてもチエ生存時の疫学調査の時点において、被告がなすべき行為であった。それを今更、隠蔽していた資料を持ち出し、云々する被告の態度には、被害住民の立場に対する行政・認定権限者としての公平さが、完全に欠如している。
チエの子孫、即ち、実子の原告溝口秋生の子及び兄弟についての、「政府最終解決策」に伴う「医療手帳」「保健手帳」の交付状況については、すでに原告準備書面で述べ、それらの手帳を甲号証として提出している。
ところで、日本精神神経学会の見解は、「精神神経学会雑誌」1998年代100巻第9号765−790頁のZ付記 『いわゆる政府の最終解決策(1995年12月)の対象者について』(甲第26号証24葉目)、は医療手帳対象者を水俣病と診断している。
なお、秋生の次男智宏は、症状も重症例であり、藤野糺医師の詳細な診断にもかかわらず、当時の行政では水俣病として認められず、棄却処分であった。しかし、関西水俣病最高裁判決がなされ、被告熊本県の認定行政の是正が約束されている現在、将来の認定が予想される。
認定業務をなし、住民の姻戚関係を確認している被告熊本県は、当然知悉していることであるが、チエの妹川野ミヨおよびその娘ミキは、水俣病認定患者である。
「陳述書」によれば、チエと川野らとの間には、水俣病発生当時、頻繁な行き来が認められ、袋内外の魚介類のやりとりがなされていたのである。
以上