原告第29準備書面
本書面は2005年7月7日原告が提出した第26準備書面とほぼ同旨であるが、その後被告が裁判所の求釈明に応じて第10準備書面を提出したのでその内容を検討の上さらに反論を加えるものである。
被告は第10準備書面第1において本訴訟の争点は「本件申請者が水俣病であったか否かに尽きるというべきである。」とのべる。本訴訟が水俣病認定棄却処分の取り消しを求める行政訴訟であることから一件妥当に見えるこの論述は、本件経過の特異性をあえてみようとしない欺瞞的なものである。
訴状以降るる述べてきたように、本件申請者溝口チエ(以下、「チエ」という)は1974年申請後3年、検診未了のまま死亡、されるべき病院調査もされぬまま1994年に調査が行われたときにはカルテはもう見つからず、その結果「判断するための資料が揃っていない」として1995年棄却されたものである。
この経過から見るように本訴訟は、なぜ迅速であるべき審査が異常に長引いたのか医療機関調査がすみやかに行われなかった理由は何かが重要な争点になっている。
被告も、原告(溝口秋生)が毎年進行状況を尋ねていた電話応答記録を提出するなど本訴訟による事実の解明に理解を示していたと考えられるが訴訟後半にいたってのあたかもチエの疾病状態如何のみが問題であるような先の一文は、本訴訟全体の意義を著しく毀損するものと考え、指摘しておく。
被告は、第10準備書面第1において、「本件各書証の立証趣旨は(中略)『本件申請者の医療機関調査に関する資料』であって」とのべる。これは、乙122〜125号証の説明でしかなく全体の文意は不明であるが、被告がこれらの乙号証によって新たな主張をしたり、従来の主張を変更するつもりがないことを言おうとしているのなら重大な過誤があるので指摘する。
1 被告は、長年医療機関調査を行わなかった理由として、当時の未処分者数が膨大であったことを挙げている。被告第1準備書面第4を引用する(21〜22頁)
「ところで、本件申請者については、申請から死亡までの約3年の間に検診が完了せず、死亡から医療機関調査が行われるまでに約17年が経過しているが、これは、当時、熊本県が抱えていた未処分者数が膨大であったことによる。
すなわち、本件申請者が申請した昭和49年度末には、2821人の未処分者を抱え、その後も、未処分者は増加の一途をたどり、本件申請者が死亡した昭和52年度末には4731人を数え、その後、昭和53年度末、同54年度末、同59年度末及び同60年度末には5000人を超えるに至った(乙第51号証)。
このような事情の中で、被告は検診の促進に努め、本件申請者の死亡までに眼科及び耳鼻咽喉科の予診及び本診は行われたが、神経内科及び精神科の検診は未了となった。本件申請者死亡後も、未検診死亡者については、水俣病であるかどうかを判断するにあたって必要な検診結果が揃っておらず、判断が困難であり(前記第3の4)、また、生存者の救済が緊急の課題であったことから、未検診死亡者の処分に本格的に着手できるようになったのは平成6年度になってからであった。」
これによれば、未検診者増加の頂点の一つは昭和59年度末及び同60年度末であり、その当時は生存者の救済に忙殺され未検診死亡者には手が回らなかったように読める。
ところが乙122号証「医療機関の調査について」の決済期日は昭和59年8月29日であり、前述の忙しかった(はずの)日々のまさしく真っ只中にあたる。起案に至るまでの打ち合わせや根回しは水俣病が県政のデリケートな問題であっただけに簡単ではなく時間もかかったことが想像される。被告は、昭和59年当時医療機関調査についてその実行の可否、結果の推測、影響などについて十分に検討していたのであり、生存者の救済が緊急の課題であったためできなかったというのは明白な虚偽である。
2 ところで被告は、乙122〜125号証の提出理由について第10準備書面第1において次のようにのべる。
「被告は、永野義之氏の証人尋問が採用されたことも踏まえ、本件申請者の本件処分に関する事実関係を可能な限り明らかにし、適正・公平な審理実現のため、平成16年12月、本件申請者に関する書類等(乙第111ないし121号証)を提出しているところ、さらに同様の文書の有無を精査した結果、本件各書証を確認するに至ったことから、前回と同様の趣旨で提出することとしたものである。」
ところが、原告が第11準備書面(求釈明)第8「認定審査までの手続について」において、
「1 溝口チエの審査会への諮問は、平成7年7月14日(1995年)とのことですが(被告第1準備書面21頁)、死亡後18年間諮問をしなかったのはどんな理由ですか。
2 その間、溝口チエの案件は、どの部署の誰が把握していたのですか。
3 その部署は、溝口チエの案件について、何を、どのように検討していたのですか。
4 年度ごとの進捗状況を、記録と共に報告してください。」
と聞いた際には、被告提出第5準備書面第7において次のような答えをしている。
「3 第8の3及び4について
熊本県においては、未検診死亡者を含む申請者全体の認定業務促進を図っていた。その結果、被告第1準備書面21頁で述べたとおり、平成6年度になってから未検診死亡者について本格的に着手できるようになった。」
つまり、被告は第5準備書面作成の2003年9月時点においては、過去の医療機関調査の記録を調べずに杜撰な釈明をしたか、知っていた上で隠したのかどちらかでしかない。
以上のように乙122〜125号証は被告側主張の論旨不統一や求釈明に対する虚偽隠蔽回答を明らかにする内容を持つものであり、到底被告の述べるような、「審理内容の変更を求めるものではなく、(中略)審理計画に支障を及ぼすものではない」という種類のものではない。
被告は第10準備書面第2において、乙122号証の示す決済による医療機関調査の復命書・調査票は存在していないと述べる。これほど原告・裁判所・水俣病被害民・県民を馬鹿にした言があろうか。苟も県公害部長はじめ9人の決済をうけ日程派遣職員報償費まで決まっていた計画が、実行されたかどうかも判らないなどということは県行政として許されることではない。
被告がこのように苦しい釈明をしなければならない理由は、@何か急な公表できない理由によって調査が中止されたA調査は行ったが公表できない資料が作成されたか、資料自体を作成しないことにしたB資料の管理検索が不備杜撰であるなどが考えられるが、そのいずれであるにしろ、本訴訟に与える影響は大きく、原告主張の骨子に関わる。
つまり、被告が意図的に調査資料を隠蔽したり作成しなかったとするなら、公正であるべき認定審査過程において重大な瑕疵があった事となり、原処分の妥当性を疑わせるのに十分な根拠となるし、調査を中止したというならその理由の合理性如何によって前記同様原処分不当の論拠となる。
もし、被告がそのようなことを承知の上で敢えて、「証拠上不明といわざるを得ない」という曖昧な答えをしているのなら、訴訟進行に対する重大な妨害行為である。
さらに、文書資料が不明であることが事実であるとしても、医療機関調査をすることになっていた医療審議員河野慶三は、現職の熊本県職員であり水俣病行政不服審査会の口頭審理の場に出席して発言している。生きている証人が存在するのであり、彼から事情を聞けばいいだけの話である。また、決済印を押した9人の県職員にもその決済の行方がどうなったかを聴取すればよい。これらの調査なしで裁判所の求釈明に答えたのは真実を明らかにしたくないからといわれても仕方がない。
このように被告第10準備書面は極めて不当不誠実な書面といわざるを得ない。そこで本書面に理由を述べた求釈明事項などを整理して記載する。
1 被告第5準備書面第7の回答をなす際、資料の調査を行った上で回答したのか。
2 もし調査のうえなら、そのとき乙122号証の示す決済に触れなかったのはなぜか。
3 これ以上医療機関調査についての資料はないのか
4 河野慶三氏への調査は行ったのか
5 乙122号証決裁文書に押印している県職員の氏名と、当時と現在の役職を明らかにせよ
6 それらの職員に当時の事情は聞いたのか
7 決済がおりていながら実行されない行政行為はよくあるのか
8 S・I両医院が医療機関調査の対象となっていないのはなぜか
以上