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原告第34準備書面(棄却取消訴訟)

 本件は証明妨害の法理を適用し、原告の立証に証明程度の軽減を図るべきである。

第1 証明妨害の法理 <総論>

1 一般に証明妨害とは、証明責任を負っていない当事者が、故意または過失による作為ないし不作為によって、証明責任を負っている当事者の証拠提出を不可能にし、証明窮地に陥らせた場合に、事実認定上、妨害を受けた当事者の事実主張に関して、その者に有利に調整を図ろうとする法理である。

2 証明妨害の根拠
 妨害行為があった場合、なぜ妨害者は事実認定の上において不利な取扱いを受けなければならないのか、という証明妨害の根拠については、損害賠償義務説、期待可能説、公平説、経験則説、協力義務違反説、信義則違反説などの諸説が主張されている。その中でも信義誠実の原則違反を根拠とする見解、つまり、利益を引き出そうという後行行為ではなくして先行行為としての妨害行為自体が非難の対象とされるのであり、その行為により惹起されたノン・リケット判決の要件事実に該当する訴訟状態の利益を妨害者に享受させないことが当事者の信義則に適う、とするのが学説上の多数説である。

3 証明妨害適用のための要件

(1) 証明妨害が適用されるためには、@妨害行為と証明不可能状態との間の因果関係、A証拠方法の作成・保存義務、B故意または過失によりAの証拠作成・保存義務に反したこと、の要件を満たすことが必要とされている。

(2) ただし、証拠方法の作成・保存義務が存しなくても、証明妨害の意図があれば証明妨害が成立するとされる。では、いかなる場合に証明妨害の意図があったといえるかであるが、一般的に、将来自分に対する訴訟提起と相手方による証拠としての利用が予想される状況において、故意にその証拠を毀滅する場合といえよう(船越隆司「実定法秩序と証明責任(九)180頁上段、判例評論362号)。
 つまり、証拠方法の不作成・毀滅に向けられた故意のある場合と、当該証拠方法が将来訴訟において利用されては自己に不利な事実認定がなされて困るとの考えの下に、その証拠方法を故意に作成せず、または、毀滅した場合という二重の意味での故意がある妨害行為については、証拠方法の作成・保存義務とは関係なしに相手方当事者に対する関係で、公平ないし信義則に違反すると評価され証明妨害の法理が成立するとの説が有力である。(野村秀敏「証明妨害」131頁、注釈民事訴訟法(7))
 よって、証明妨害適用のための要件としては、原則として前記(1)の@〜Bが必要であるが、二重の意味での故意による証拠方法の不作成・毀滅があった場合には、@’妨害行為と証明不可能な状態との間の因果関係、A’証拠方法の不作成、毀滅につき二重の意味での故意があること、の2つの要件を満足すれば適用されると考えるのが妥当である。

4 証明妨害の効果
 証明妨害の効果として、判例上は「裁判所は、要件事実の内容、妨害された証拠の内容や形態、他の証拠の確保の難易性、当該事案における妨害された証拠の重要性、経験則などを総合考慮して、事案に応じて、@挙証者の主張事実を事実上推定するか、A証明妨害の程度に応じ裁量的に挙証者の主張事実を真実として擬制するか、B挙証者の主張事実について証明度の軽滅を認めるか、C立証の転換をし、挙証者の主張の反対事実の立証責任を相手方に負わせるかを決すべきである」(東京高裁平成3年1月30日、判例時報1381号)との判示がある。一方学説上は、証明責任が転換されるとの考えるもの、証明妨害するのは、その者に不利な事実があるからであろうという経験則の適用による自由心証主義の枠内で処理するもの、裁判所の自由裁量で要件事実を認定してよい(換言すれば証明度を下げてよい)とするものがある。
 これらの中で、効果を証明責任の転換に求めるのは画一的であって、妨害の態様、程度に柔軟に対応できない欠点がある。また、経験則による自由心証主義に委ねるというのでは、過失によって証拠方法を毀滅させた場合は、その証拠方法が妨害者にとって不利なものであったとは言えず、そこにいう経験則が成り立たないという難点がある。
 そこで、証明妨害があった場合の効果としては、当事者間の公平の問題として考え、信義則の適用により、既に他の証拠から得られている心証に、妨害の態様、帰責の程度、妨害された証拠の重要度などを勘案し、裁判所は自由裁量によって、要証事実を確定されたと扱ってよい(換言すれば、証明度の軽減を意味する)、と考えるのが通説である。(高橋宏志「重点講義 民事訴訟法(上)」508頁〜509頁)

第2 本件に証明妨害の法理を適用すべきである。

1 本件は、証拠妨害の構成要件を満足する。
 本件において証明妨害にいう証拠方法とは、被処分者溝口チエ(以下、「チエ」という)が生前受診していた病院の民間カルテ(民間資料)をさし、妨害行為とは被告がこの民間カルテの収集を行わなかった事実をさす。

(1) 妨害行為と原告の証明不可能な状態との間の因果関係の存在。
 チエのように、生前水俣病認定の判断にさいし最重要の科目である神経内科・精神科の検診が行われず(実施されたのは眼科と耳鼻科のみ)死亡した未検診死亡者にとって、生前受診していた病院の民間カルテは、本人が水俣病であるか否を審査・判断する上で欠くことのできない唯一の資料というべきである。
 この民間カルテについて、被告はただちに病院調査を行い、その収集・確保をなすべきであった(その旨、環境庁企画調整局環境保健部長通知「後天性水俣病の判断条件について」(甲第9号証)の第4項に記載されている。)にもかかわらず、チエの死後17年間たつまで病院調査を行わず、その結果民間カルテを収集できなかった。このため原告は、本来ならばチエの審査会資料など現存の証拠に民間カルテを合わせて、チエが水俣病と認定されるべきである旨の証明ができたのであるが、民間カルテが存在しないため、極めて限られた資料に基づいてチエが水俣病であることを証明するよう強いられており、その実質は証明不可能と言っても過言ではない。
 つまり、被告の妨害行為によって、原告は証明不可能な状態に立たされているのは明かで、両者の間には因果関係がある。

(2) 証拠方法の不作成・毀滅につき二重の意味での故意があること。

@ 乙第111号証によれば1988年11月9日〜10日にかけて訴外環境庁(当時)と被告熊本県との間で、検診・診査に特別措置を要する者に関する対策を打ち合わせる会議が開かれ、同席上で未処分死亡者について合意した条項は「1.現行の審査にのせることは審査会の状況などから不可能、2.病院調査についても積極的に行うことはしない、3.疫学調査結果の活用等の研究」である。
 この方針は、未処分死亡者の取扱いにつき、審査−処分を棚上げにして放置するのはもとより、病院調査及びそれによる民間カルテの収集も積極的に行わないことを、被告自らが環境庁と合意の上、明確に表明したものである。この未処分死亡者の中にチエが含まれているのは言うまでもない。
 つまり、被告がチエの死後17年たつまで病院調査を行わず、その結果民間カルテを収集できなかったのは、被告の方針に基づく状態である以上、そこには意図性が認められるのであり、まず証拠方法不作成・毀滅につき、第1の意味での故意があるといえる。

A 乙第111号証(資料6)「未処分死亡者についての処理方針」の中の「(4)過去、公害保健課内で検討された処理方針」によれば、その処理案とは「民間資料を調査し、公的資料と共に審査会にかけ、審査会は一定の基準の下に3.4.5「わからない」の答申を行う。」「知事は5答申を受けた者を棄却処分とし、民間資料に一定の所見のあった場合に別枠救済する方法」であり、問題点として「A民間資料に一定の所見がある者を棄却する理由付が難しい(棄却処分の取消訴訟等を打たれた場合に、裁判等に耐えうる理由付けが難しい)」との記述がある。
 この記述は、病院調査を行い、そこで収集した民間資料を使って棄却処分を行うと、将来、その被処分者が棄却処分の取消訴訟を起こす可能性があること、さらに訴訟を起こした原告が民間資料を活用して棄却処分の違法性を主張するのに対し、自らは十分な反論ができずそのため不利な事実認定がされることを被告が十分に認識していた事実を示すものである。そしてこの認識こそが、被告が未処分死亡者について積極的に病院調査を行わず、民間資料も収集しないとの方針を出すうえで、重要な判断の根拠となったのである。
 よって被告は、民間資料が将来訴訟において利用されては自己に不利な状態となるとの考えのもとに、意図的に民間資料を収集しようとしなかったのであるから、証拠方法の不作成・毀滅につき第2の意味での故意があるといえる。

(3) 以上(1)、(2)@、Aから、本件は、第1、3(2)で述べた@’A’の2要件を満足するので、本件に証明妨害の法理を適用すべきである。

2 証明妨害の効果として、証明度の軽減が認められるべきである。
 1で述べたとおり、被告の証明妨害の態様、帰責の程度は、二重の意味での故意に基づくという極めて悪質なものであり、妨害された証拠(チエの民間カルテ)は、原告がチエは水俣病であるとの証明を行うのに際し不可欠な資料であることから、証明妨害の効果として、裁判所は要証事実の認定にあたり証明度の軽減を図るべきである。具体的には、原告がチエは水俣病であるとの証明を行なううえで、高度の蓋然性など高い証明の程度が設定されてはならず、低い証明度(たとえば50%の蓋然性)で足りるのであり、その証明度を超えた証明がされれば、チエは水俣病であるとの認定がされるべきである。

以上

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