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被告答弁書

第1 請求の趣旨に対する答弁

1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。

第2 「第2 請求の原因」に対する認否

1 「1 認定申請棄却処分の経緯」について
 1977年7月1月の欄(下段)のうち、原告が、溝口チエ(以下「本件申請者」という。)の相続人であり、本件訴訟の原告適格を有することは認めるが、水俣病認定申請に関する「全ての」権利・義務を相続したことについては不知。その余の事実は認める。なお、「行政不服申立審査請求」、「環境省大臣」とあるのは、それぞれ「行政不服審査請求申立て」、「環境大臣」と表記するのが正しい(以下同じ。)。

2 「2 棄却処分の適法性」について
 全体として争う。

第3 「第3 事情」に対する認否

1 「1 故チエの生活歴」について
 1行目は、本件申請者が明治32年(1899年)8月15日「水俣村大字3076番地」(戸籍謄本の記載による。)で出生したという趣旨において認める。
 2行目以降は、本件申請者が、大正9年に結婚したこと、昭和52年7月1日に死亡したことは認め、その余の生活歴の詳細は不知。

2 「2 故チエの症状、入院歴等」について
 S医院の昭和49年(1974年)5月23日付け診断書に「自覚的には四肢のしびれ感、歩行のふらつき、流涎があり、血圧162〜80粍水銀柱、四肢末端に知覚鈍麻を認める。水俣湾の魚介類を多食していたとの訴えから精査を必要と考える。」と記載されていること、本件申請者が昭和52年(1977年)7月1日死亡したことは認め、その余は不知。
 なお、昭和52年(1977年)7月13日に行われた疫学調査記録によれば、原告は、本件申請者の経過等について、「昭和47年ころから味がしなくなったと訴えだし、足が痛いため米ノ津のマッサージに通っていた。このころから毎日ボヤーッとして座っている日が多くなりだす。」「昭和50年6月4月から足がむくんできたため市立病院に通院するようになる。診断:腎臓」、「昭和50年8月30日の朝発作がきて意識を消失。(ウーッとうなってそのまま)夕方市立病院に入院」、「昭和47年ころからS医院に通院していた。それ以前はI医院。」などと述べたとされている。

3 「3 検診等認定手続き及び異議手続きの詳しい経緯」について
 おおむね認める。ただし、「1977年7月13日 遺族次男である原告が同申請を継承」とあるが、昭和52年(1977年)7月13日は、疫学が行われたのみで、申請手続の継承に関する手続がされた事実はない。また、「1999年3月17日」の欄記載の再弁明書は、平成10年(1988年)12月15日に被告から環境庁長官に発送されており、訴状の記載が、平成11年(1999)3月17日に被告が環境庁長官に提出したという趣旨であれば誤りである。

4 「4 原告の認定手続の怠慢の実態」について
 (1)のうち、昭和52年(訴状に「1997年」とあるのは、「1977年」の明らかな誤記である。)7月1日に本件申請者が死亡したこと、死亡時点において、検診は未了であったこと、同月13日に疫学調査の担当者が本件申請者の死亡事実を確認したことは認め、その余は争う。
 (2)のうち、原告が熊本県の機関に少なくとも数回以上電話で問い合わせを行ったことがあること、その際、検討中である旨の回答がされたこともあることは認めるが、原告の電話の回数、時期、内容等が逐一記録されているわけではないため、これ以上の認否はできない。
 (3)のうち、平成6年(1994年)6月13日、被告が医療機関調査を行ったことI医院(「I病院」ではなく、「I医院」との表記が正しい。)及びS医院は既に廃院となっていたことは認める。なお、水俣市立病院(回答時「国保水俣市立総合医療センター」)からの回答は、「保存期間経過等によりカルテがない」というのが正確な内容である。
 (4)は認める。ただし、「この行政不服の決定」とあるのは、「この処分についての行政不服審査請求に対する環境大臣の裁決」と表記するのが正確である。また、裁決の正確な内容は、「処分庁が被処分者を水俣病として認定しないとした原処分は取り消すべきものとはいえない。」というものである。
 (5)ないし(7)は、全体として争う。

第4 「第4 結論」に対する認否
 争う

第5 被告の主張
 被告の主張の詳細は、おって提出する準備書面により明らかにする。

添付書類

(略)

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