被告第2準備書面
原告は、2002年12月2日付け第6準備書面(以下「原告第6準備書面」という。)において、「水俣病の認定制度の歴史とその違法な運用実態を述べる」として、水俣病に関する個別的な事件等についてるる主張している。これらの主張は、本件訴訟と直接の関連性を有しないものであるが、原告の事実誤認ないし不当な評価に基づく記述が散見され、裁判所に誤った印象を与えるおそれがあるので、被告は、本準備書面により、念のため、以下のとおり認否・反論する。
なお、原告は、水俣病に関する個別的な事件等について、証拠資料に基づかず、事実誤認ないし不当な評価に基づく主張を展開しているが、上記のとおり、これらの事件は、本件訴訟と直接の関連性を有しない上、本件申請者以外の個人に関するものであることから、被告は、認否・反論に当たり、個別的な事件等に関し、新たな証拠資料を提出することは差し控えることとする。
略称は、特に断らない限り、従前の例による。
1 1は認める。
2 2は、全体として争う。その趣旨は、以下に述べるとおりである。
(1) 救済法の立法目的
公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法(救済法)1条は、「この法律は、事業活動その他の人の活動に伴って相当範囲にわたる著しい大気の汚染又は水質の汚濁が生じたため、その影響による疾病が多発した場合において、当該疾病にかかった者に対し、医療費、医療手当及び介護手当の支給の措置を講ずることにより、その者の健康被害の救済を図ることを目的とする。」と定めている(乙第52号証)。
当時の厚生省による救済法の解説「公害による健康被害の救済制度」(昭和45年1月28日官報第12931号付録官報資料版611号1ぺ一ジ以下、乙第56号証)によれば、救済法は、「今害の発生責任者による賠償等が行われるまでの応急のつなぎの措置として、公害による被害のうち、当面緊急に救済を要する著しい健康被害について救済を図るもの」であり、救済法の制度による給付は「公害の加害者(発生責任者)による損害賠償等が行われるまでの応急的なつなぎの措置であって、被害者が加害者から損害賠償等を受けた場合には、この制度による給付に相当する額を返還させるという『立替払い』的な性格を有するとともに、緊急に救済を要する者に対して給付するという社会保障的性格が加味された特殊な性格を有する」ものであるとされている。
(2) 公害問題の特殊性と司法制度による解決の困難性
公害紛争においても、一般の民事紛争と同様に、加害者に対し、民法の不法行為の規定に基づいて損害賠償を求めることができる。それにもかかわらず、救済法という特別の法律が制定された理由は、以下に述べる公害問題の特殊性から、公害被害者の救済は、既存の司法制度による救済では不十分な面があることに基づくものそある。
ア すなわち、第1に、公害現象においては、加害行為(例えば、原因物質の排出行為)は、多くの場合、長期間継続し、行為の結果が少しずつ累積してはじめて被害が生ずるものであり、また、多数の工場が操業している事例を想定すれば明らかなとおり、加害者(発生原因者)が複数の場合も少なくない。そして、公害の被害者は多数に上ることが通例であり、個々の被害者について、健康上の被害が発生するか、あるいは健康上の被害の程度に関し、被害者の素因を含め、種々の要因が複雑に影響することは否定できない。
そうすると、現実に被害が発生し、その被害と公害被害に関連する環境汚染(大気汚染又は水質汚濁)との間の因果関係は確実に証明できる場合であっても、そもそも加害者及び加害行為を特定すること、個々の加害行為と公害被害に関連する環境汚染に対する寄与の割合を把握すること自体困難であり、ましてや個々の加害行為と個々の被害との間の相当因果関係、損害賠償の範囲を具体的に確定することは、著しく困難である。
このような公害現象の特殊性にかんがみると、公害による被害について、被害者が司法制度による救済を受けるには、加害者及び加害行為の特定、加害行為と被害との間の相当因果関係の有無、あるいは加害行為からの時間の経過に伴う権利行使の期間制限(短期消滅時効、除斥期間)の適用の可否の確定に非常な困難を伴い長時間の審理を要することになる。
イ 第2に、公害紛争においては、公害被害者が個々の一般市民であるのに対し、加害者は高度の科学技術を駆使する企業であり、地域社会において大きな影響力を有している例が多い。また、加害行為とされるものの中には、個々の行為としては、それが全社会的には有用な財貨や施設を作り、あるいは全社会的には有用な役務を提供するという場合もあって、被害者の側で、ある程度は受忍すべきだということもあり得る。したがって、加害者に故意や過失があらたということを被害者の側で立証するのは著しく困難であるし、個々の行為を分析的に検討すれば、必ずしも違法ではないということも十分にあり得る。
ウ 第3に、公害によって生ずる健康上の被害は、極めて深刻な場合が少なくなく、迅速かつ円滑な救済の必要性は高いにもかかわらず、司法制度による解決は、前記ア、イの理由により、実際のところ非常に困難であり、また、たとえ解決するとしても、そのためには長い期間を要することが見込まれる。
ア 救済法による給付は、基本的には、原因者による損害賠償がされるまでの応急的な行政上の特別措置であり、被害者が加害者から損害賠償等を受けた場合には、この制度による給付に相当する額を返還させるという『立替払い』的な性格を有するものであるが、@指定地域につき指定疾病にかかっている者であることと、A救済法3条の規定によりその者の当該疾病が当該指定地域に係る大気汚染又は水質の汚濁の影響によるものである旨の認定を受けたこと、換言すれば、救済法の定める健康上の被害(当該疾病)の存在と当該疾病と大気汚染又は水質汚濁との間の因果関係の存在、という2点さえ証明されれば、a)加害者及び加害行為の特定、b)加害行為と損害との間の相当因果関係の存在、c)加害行為の違法性、d)加害者の故意、過失の有無等については、証明を要することなく、必要な給付を行うことにより、司法制度による解決と比較して、より迅速かつ広い範囲にわたる救済を図るという意味において、社会保障的性格を併有するものであるということができる。
イ すなわち、我が国の不法行為法は、原則として無過失責任(結果責任)主義を採用していない以上、司法制度による解決においては、前記a)ないしd)の要件を被害者が証明することに多大の時間と労力を要することは明らかであるところ、救済法は、その証明を不要にすることによって、健康上の被害及びその被害と大気汚染又は水質汚濁との間の因果関係については確実に証明できる者に対し、迅速な救済を図るものである。
ウ また、前記a)ないしd)の要件の証明ができない、あるいは、短期消滅時効や除斥期間等の権利行使の期間制限等を理由に、加害者に対する損害賠償請求が棄却された場合であっても、救済法は給付を受ける余地があるという意味において、司法制度による解決と比較して、より「広い範囲」にわたる救済を図るものである。
エ 救済法による救済制度は、公害問題の特殊性を背景とする社会的必要性から制定されたものであるから、すぐれて政策的な面を有するものである。したがって、救済法が司法制度と比較してより迅速かつ広い範囲にわたる救済を図るといっても、@指定地域及び指定疾病が政令により一義的に定められていること、A社会保障的な性質を併有する給付であることから、支給要件も一義的に定められている上、その前提として認定制度が存在するのであって、このように、救済法による救済の範囲は、法令の規定により政策的に定められたものである。
(4) 原告の主張に対する反論
原告は、「申請者への処分は公衆衛生の要請を基にした応急的措置であり従って『迅速かつ幅広い救済』が法の趣旨ということである。」「教済法=認定制度の目的は、救済を『緊急』に必要とする公害の健康被害者を『緊急』に拾い出すことであり、これをもって必要十分とする。」とし、また、このほかにも原告第6準備書面を通じて、「幅広い」、あるいは「緊急」「迅速」という言葉を多用しているが、、原告が救済法における「広く」「迅遠」な救済の趣旨を正解していないことは、以下に指摘するとおりである。
ア まず、原告は「申請者への処分は公衆衛生の要請を基にした応急的措置」であると主張する。しかしながら、救済法は公害に係る健康被害の救済を図ることを目的として制定されたものであり、認定制度は医療費等の支給の前提となるものであって、疾病予防及び健康増進を目的とする衛生管理とは無関係である。
イ@ 次に、救済法施行令1条別表6は、認定業務の対象とすべき疾病について「水俣病」とのみ規定しており、「水俣病」がいかなる疾患であるかについては具体的に規定していないところ、「水俣病」という概念は、医学上の「水俣病」以外にはあり得ないから、同規定は、医学的にみて水俣病と診断し得る者を認定の対象とすることを明らかにするとともに、医学的研究が進展することにかんがみ、どのような者を水俣病と医学的に診断し得るかということについては、その時々の医学的知見にゆだねる趣旨であると解するのが相当である。
A ところで、救済法の給付の趣旨は、前記(3)のとおりであり、当該給付を受けるためには少なくとも当該疾病である「水俣病」に罹患していることが必要である。救済法は、加害者及び加害行為の特定、加害行為と損害との間の因果関係、加害行為の違法性、加害者の故意、過失の立証等の点で困難な問題が多い公害紛争について、健康上の被害者の迅速な救済を講ずることを目的として制定されたものである。このような法の趣旨に照らせば、救済法は、水俣病に罹患しているか否かの判断についても、臨床医学上の専門的判断において、対象者が水俣病に罹患していると明確に診断し得る場合はもちろん、そのような明確な判断に至らない場合でも、相応の医学的検査を尽くしたことを前提に、その時々の医学的知見に照らして水俣病の疑いがあると判断される、ぎりぎりの限界的な事例についてもまた、これを広く水俣病と認定することを許容しているものと解される。
B しかしながら、他方、救済法における「広い」救済とは、飽くまでも医学的に見て水俣病に罹患していると判断し得るものでなければならず、医学を無視した無限定なものではない。
そして、水俣病の個々の症状は、それぞれ単独では一般に非特異的であると考えられるので、水俣病であるか否かの判断は、専門家による総合的かつ多角的な検討に基づく蓋然性の判断である。したがって、「水俣病の疑いがあると判断される、ぎりぎりの限界的な事例」とは、水俣病である可能性が、水俣病でない可能性を上回る場合を限度とするものである。
C さらに、水俣病の判断は、専門家の総合的かつ多角的な検討を前提とする医学的知見に基づくものでなければならないことから、被告第1準備書面第3の2及び3で述べたように、熊本県は疫学的調査及び指定医療機関等による医学的検査を実施し、熊本県公害被害者認定審査会(審査会)等に諮った上で認定申請に対する処分を行っている。そして、医学的検査としては神経内科、、眼科、耳鼻咽喉科等の専門医師による検診のほか種々の医学的検査が必要であること、また、症例によっては医学的判断が困難な場合もあることなどから、迅速な救済の要請を十分考慮してもなお、医学的判断を行うために相当の期間を要する場合があることは否定できない。
D 以上のとおり、救済法が、司法制度による解決と比較して、より迅速で広い範囲にわたる救済を図っ亡いるといっても、都道府県知事の認定が公害被害者認定審査会の意見を聴いてされることなどからも明らかなとおり、健康上の被害の存在及びその被害と大気汚染又は水質汚濁との因果関係の有無等に関し、医学的判断を必要とすることを当然の前提としており、これに付随する一定の制約は免れないところであるから、このような制約を度外視する原告の主張は、救済法の趣旨を正解していないものといわざるを得ない。
3 3のチャートは、文宇が不鮮明で、判読できない部分を含むため、認否することができない。
1(1) 1は、@昭和34年12月30日にチッソと患者との間でいわゆる見舞金、契約(乙第57号証)が締結されたこと、A水俣病患者診査協議会が設置されたことは認め、その余は否認する。
(2) 原告が審査会の淵源であると主張する水俣病患者診査協議会を含め、救済 法施行以前に水俣病の患者の判定等に関与した機関は、以下のとおりである。
ア 昭和31年5月28日、水俣市に「水俣市奇病対策委員会」」(後に「奇病研究委員会」と改称)が設置され、患者の発見及び原因究明に携わり(乙第58号証)、熊本県関係では79人の患者の存在が明らかになった。
イ 昭和35年2月4日、「水俣病患者診査協議会規程」(乙第59号証)に基づき、厚生省公衆衛生局「水俣病患者診査協議会」が設置された。同協議会は、水俣病の真性患者の判定及びこれに関する必要な調査並びに水俣市立病院水俣病棟に対する入退院の適否等を診査する役割を担っており、前記見舞金契約(乙第57号証)によれば、同協議会が認定した者は見舞金の交付を受けるものとされていたが、救済法が施行される以前であるため、法律上、行政機関による認定に対し、意見を述べるという機能は有していなかった。
ウ その後、同協議会は、昭和36年9月14日、熊本県衛生部に移管され、「水俣病患者診査会規程」(乙第60号証)に基づき「水俣病患者診査会」へと改組され、さらに、昭和39年3月31日、熊本県水俣病患者審査会設置条例(乙第61号証)の施行により「熊本県水保病患者審査会」が設置された。これら三つの機関により熊本県関係では32人が患者と判定された。
以上を整理すると、救済法施行前においては、熊本県関係では計111人が患者と判定されたこととなる。
(3) 昭和44年12月15日、救済法が制定された。救済法においては認定等の行政処分は都道府県知事が行うが、処分を行うに当たって都道府県知事等は公害被害者認定審査会の意見を聴かなければならないとされているため、熊本県公害被害者認定審査会が設置されることとなり、昭和45年1月14日に第1期の審査会委員が任命された。
ここで留意すべきことは、審査会は、救済法の認定制度を前提に、知事の諮問を受けて申請者の当該疾病が水質汚濁の影響によるものであるかどうかについて医学的な見地から意見を述べる機関であるということである。
したがって、審査会と前記(2)で述べた各機関とは、その性格や機能を異にするものであり、このことは、(2)で述べた各機関によって水俣病と判断された111人のうち、救済法の対象者となり得る67人の生存者について、知事が改めて審査会に諮間の上、救済法に基づく認定をしたことからも明らかである(なお、残り44人について諮問していないのは、同44人は死亡者であるところ、救済法は死亡者について認定申請を予定していないためである。)。
(4) 以上からすると、医学的知見に基づく判断を行うという類似点はあるものの、水俣病患者診査協議会の性格が、救済法によって設置された熊本県公害被害者認定審査会も含めた「以後の審査会の性格を規定することとなる」との原告の主張は是認できないものである。
2 2の第1段落は、不正確であるという趣旨で否認する。事実を正確に整理すると、@昭和43年9月に政府統一見解として水俣病の原因は新日本チッソ水俣工場の工場排水によるものであると発表された、A熊本県水俣病患者審査会が昭和44年に5人を水俣病患者と認定した、B救済法の制定に伴い、熊本県及び鹿児島県にも公害被害者認定審査会が設置されることとなり、昭和45年1月14日に熊本県公害被害者認定審査会(審査会)、同月21日に鹿児島県公害被害斉認定審査会の第1期審査会委員が任命された、という事実経過である。原告のいう「熊本審査会」とは、熊本県水俣病患者審査会を指すものと思われるが、それが「機能せず」との評価は争う。また、「公害健康被害者認定審査会」は、「公害被害者認定審査会」の誤りである。
3 2の第2段落ないし第4段落は、否認する。
昭和45年に熊本県知事が救済法に基づいて認定したのは、72人である(ただし、救済法施行前に奇病対策委員会等によって水俣病患者と判断されていた67人が含まれている。)。
原告は、「新審査会」が昭和45年に「5人認定したのみ」であり、「1年間に5人という数がチッソ(当時新日窒)の補償金支払いに配慮したものである」と主張するが、審査会は、知事の諮問を受けて申請者の当該疾病が水質汚濁の影響によるものであるかどうかについて医学的な見地から意見を述べるものであり、原告の主張は事実に反するものである。
(1) 原告第6準備書面3ぺ一ジ下から9行目から4ぺ一ジ3行目までの事実経過は、おおむね争わないが、昭和45年8月18日、熊本県知事の処分に対して審査請求を行ったのは川本輝夫を含め7人であり、その余の2人は、鹿児島県知事の処分に対して審査請求を行ったもめである。また、審査請求人側参考人の意見陳述は昭和46年5月13日及び5月14日の両日にわたって行われており、県側参考人の意見陳述は昭和46年6月9日に行われたものである。
(2) 原告第6準備書面4ぺ一ジ4行目以下は、救済法の趣旨が必ずしも徹底していなかったことから、これを周知することにより円滑な救済法の運用を図るため、昭和46年8月7日付けで環境庁事務次官通知「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法の認定について」(乙第62号証。以下「46年通知」という。)が発せられたこと、第2回熊本県公害被害者認定審査会議事要点録に原告の引用する文言が記載されていたこと、46年通知は、医学的知見に基礎を置いた上で公害に係る健康被害者を広く迅速に救済しようとしたものであることは認めるが、その余の原告の主張は争う。
(3) 原告は、熊本県が「認定すると補償を支払うことになるからできるだけ認定を控えるように」と審査会に対して違法な指導をしていると主張するが、「慎重を要する」との記載が「できるだけ認定を控えるように」という趣旨であるという原告の主張は正当な評価ではない。
また、そもそも救済法における認定は医療費等の支給の前提となるものであり、熊本県知事の処分は救済法に基づいて行われるものであるから、熊本県がチッソの補償金支払に配慮して認定者の範囲を狭める必要性はなく、当然のことながらそのために審査会に働きかけた事実もない。
(4) 原告は46年通知が「有機水銀の影響を否定できない健康被害者は広く認定すること」としたものであるにもかかわらず、同通知の趣旨が「意図的に抹殺」されたと主張するが、その主張に理由がないことは、以下に述べるとおりである。
ア 46年通知は、さきに述べたとおり、救済法の趣旨を周知することにより円滑な救済法の運用を図るため、昭和46年8月7日付けで発せられたものであるが、同通知は、以下に指摘する点に疑義があった。
その1は、第一(2)に「前記(1)の症状のうちのいずれかの症状」とあることから、同通知第一(1)(イ)掲記のいずれか1つの症状でもあれば認定すべきとしているかのように誤解されたことである。
その2は、第一(3)に「否定し得ない場合」というのが具体的にどのような場合であるのかが不明確であったことから、この通知の趣旨として広まった「疑わしきは救済」というニュアンスと相まって、わずかの可能性てもあれば、46年通知のいう「否定し得ない場合」に該当するかのように誤解されたことである。
イ そこで、翌月の昭和46年9月には、同通知の趣旨を明らかにすべく、環境庁企画調整局公害保健課長通知「水俣病認定申請棄却処分に係る審査請求に対する『裁決書』および『公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法の認定について(環境庁事務次官通知)』について」(乙第63号証。以下「公害保健課長通知」という。)が出されることとなった。
ウ そもそも、46年通知の第一(2)においていわゆるハンター・ラッセル症侯群のすべての症侯がそろわない場合でも水俣病の範囲に含まれるとしている点は、その時点における医学的研究の成果(新潟における椿忠雄教授らの研究成果及び公害の影響による疾病の指定に関する検討委員会の検討結果等)を取り入れたものである。
エ そして、46年通知が当時の医学的知見を基礎として成立しているところ、当時において(現在においてもそうであるが)、第一(1)(イ)のいずれか一つの症状でもあれば水俣病と診断することができるというような医学的知見は存在しなかったものである。したがって、いずれか一つの症状でもあれば認定すべきであるとの解釈は、医学的知見に明らかに反するものであり、行政解釈として採用する余地がない。
この点については、先に述べた公害保健課長通知においても、「46年通知は『公害の影響による疾病の指定に関する検討委員会』の行った研究報告書に集約されている水俣病の成果を基礎とするものである」とされているところ、同研究報告書には一症状のみの水俣病の存在など報告されていないことからも明らかである。
これに加えて、46年通知の第一(2)は、「前記(1)の症状のうちのいずれかの症状がある場合において、当該症状のすべてが明らかに他の原因によるものであると認められる場合には水俣病の範囲に含まない」とのみ規定していて、「前記(1)の症状のうちのいずれかの症状がある場合は、水俣病の範囲に含まれる」と規定しているわけではない。したがって、46年通知の文言上も、「前記(1)の症状のうちのいずれかの症状があること」が水俣病の範囲に含まれるか否かの基準ではなく、結局のところ、「当該病状の発現または経過に関し魚介類に蓄積された有機水銀の経口摂取の影響が認められる場合」であるか否かを、水俣病の範囲に含まれるか否かの基準としており、「前記(1)の症状のうちのいずれかの症状がある場合は、当該症状の発現または経過に関し魚介類に蓄積された有機水銀の経口摂敢の影響が認められる場合であるか否かによって、水俣病の範囲に含まれる場合もそうでない場合もあり得ること」を前提としていると解するのが相当である。
オ また、46年通知の第一(2)で「症状の発現に有機水銀が一部関与している場合でも、水俣病の範囲に含む」としている点及び第一(3)で「当該症状の出現に関し、有機水銀の影響によるものであることが否定し得ない場合も影響が認められる場合に含む」としている点は、同通知が、さきに述ベた救済法の趣旨にかんがみ、医学的知見に基礎を置いた上で、医学的にみて水俣病若しくはその疑いと考え得る限りの者を含め、広く患者を救済しようとしたものである。
換言すれば、申請人の呈する健康障害とメチル水銀の影響との因果関係の医学的判断、すなわち、水俣病か否かの医学的診断の確実性(確からしさ)の程度について、水俣病とほぼ確実に診断し得るという、いわば確定診断のレベルではなく、相応の医学的検査を尽くしたにもかかわらず、医学的根拠をもって水俣病である可能性が水俣病でない可能性を上回ると判断し得るぎりぎりのレベルを採用することによって、医学を基礎とした上で可能な限り救済の間口を広げたものといえるのである。
したがって、46年通知にいう「否定し得ない」とは、わずかでも可能性があれば「否定し得ない」ものとして認定すべきであるという意味ではなく、そこには医学に根拠を有するものでなくてはならないという限界があるのである。なお、その点の判断は、審査会委員の水俣病に関する高度の学識と豊富な経験に基づく医学的判断にゆだねられている(被告第1準備書面13ぺ一ジ以下参照)。
カ この「否定し得ない場合」ということの意味については、当時の大石環境庁長官が昭和47年3月の衆議院公害対策並びに環境保全特別委員会において、「私が疑わしき者は救済せよという指示を出したのでございますが、これは一人でも公害病患者が見落とされることがないように、全部が正しく救われるようにいたしたいという気持ちから出したのでございます。ただし、疑わしきは救済せよということは、疑わしいということは、これは御承知かと思いますが、医学的な用語と普通俗に世間で使うことばとは内容が違います。疑わしいというよりも、まず、80パーセント怪しいとか90パーセントそうらしいとか、あるいは2、3パーセントしか怪しくはないけれどもあいつは怪しいんだというように、ピンからキリまでございます。しかし、医学的には、そういうものは3パーセントか10パーセントというものは疑わしいという範囲には入りません。まず50パーセント、60パーセント、70パーセントも大体こうであろうけれども、まだいわゆる定型的な症状が出ておらぬとかなんとかいうような、そういうものが疑わしいという医学用語になるわけでございます。私の使っております水俣病の場合の疑わしいというのは、そのような医学的な根拠を土台としたわけでございますが、それが一般にはどうも誤解されまして、何でもかんでも片っ端から患者と見てしまえというようなうわさが流れたのは残念でございますが、私の判断からはそのような判断でございます。」と答弁している(乙第64号証)。
キ また、前記公害保健課長通知も、この点について、「認定申請人の示す症状の全部または一部が『有害水銀の経口摂敢の影響によるものであることを否定し得ない』とするかどうかについては、前述したとおり裁決書および次官通知の趣旨に従い水俣病に関する高度の学識と豊富な経験を基礎とすべきものであり、この医学的判断をもとに都道府県知事等が認定に係る処分を行うことになるものである。」と説明しているところである。
ク 以上のとおり、46年通知の趣旨はその時点における医学的研究の成果を取り入れ、また、救済法の趣旨にかんがみ、医学的知見に基礎を置いた上で、医学的にみて水俣病若しくはその疑いと考え得る限りの者を含め、広く患者を救済しようとしたものであるところ、この趣旨にしたがって認定業務も行われてきた。このことは、被告第1準備書面第3でも述べたように、審査会では、総合判断の結果を、@「水俣病である。」、A「水俣病の可能性がある。」、B「水俣病の可能性は否定できない。」、C「水俣病ではない。」、D「わからない。」の5つの場合に分けて判定及び答申をしているが、答申を受けた知事は、@ないしBの答申の場合には、水俣病と認定する旨の処分を行っているところからも明らかである。
ケ したがって、46年通知の趣旨が「抹殺」されたという原告の主張は根拠のないものであり、46年通知の趣旨は、後に52年判断条件として具体化されている。その経過は被告第1準備書面9ぺ一ジで述べたとおりである。
5 「A八木・小川ら補償金内払仮処分」との項目について
(1) 第1段落ないし第3段落は、八木シヅ子、小川フイの両名がそれぞれ昭和48年5月及び同年7月に熊本県知事に対して水俣病認定申請を行ったこと、昭和49年3月13日当時は未処分の状態であったこと、前記両名(を含め4世帯計6名)がチッソに対して毎月の生活費・医療費の支払を求め、熊本地方裁判所に仮処分を申し立てたこと、昭和48年6月27日、熊本地方裁判所がチッソに対し、前記両名に対し、医療費、温泉治療費、鍼灸治療費、マッサージ治療費及び通院のための交通費についての費用の負担、並びに漢方薬、保健食品等の購入費、栄養補給費及び医療雑費等として月2万円の金銭の支払を仮にせよとする決定をしたことは認める。なお、前記両名のその余の申立ては却下され、その余の申立人らは申請を取り下げている。
(2) 第4段落ないし第8段落は争う。
ア 熊本地裁昭和49年6月27日決定は、認定業務を審理の対象としたものではなく、認定業務に関しては、保全の必要性との関係で、「申請人らはいずれも別紙目録の通り熊本県知事に対し水俣病認定申請をしているが、昭和49年1月現在同知事の認定を待っている人は2000名を越え、今後同知事の処分が従前の進捗状況をたどる(もっとも現在、環境庁と熊本県の委嘱による認定業務促進検討委員会が設けられ、促進案を検討中であるが、その具体的な促進方法は明らかでない。)とすると、申請人八木シヅ子は少なくとも1年先、申請人小川フイにいたっては3年先にようやく熊未県知事の処分がなされることになり、申請人らはこれによる前記医療等も早急にはうけられない状態でおる。」と言及しているにすぎない。
イ 原告は、「救済法による救済が、司法制度による救済と比較して、より迅速かつ幅広く行われるものでなければならない」にもかかわらず「ところが、実体は、まったく逆の現象を呈していたのである。」などと論難するが、これは、救済法による救済の行政手続と仮処分の審理手続の差異を無視するもので、正当ではない。救済法における「迅速」な救済の趣旨は、第2の2(4)で述べたとおりであり、医学的判断を行うために一定の期間を必要とする。他方において、仮処分制度は、司法による救済制度といっても、立証の程度も疎明で足りることからも明らかなとおり、簡易、迅速な審理により仮の救済を与える制度であり、別途本案訴訟(損害賠償請求訴訟)による終局的な解決が予定され、これには口頭弁論などの慎重な手続により時間を要することになる。このようた両者間には制度趣旨ないし制度設計上の差異が存在するのであらて、単なる時間の長短で比較できるものではない。原告の主張は、仮処分による救済と本案訴訟による終局的な救済を意図的に混同しているというほかない。
(3) 第9段落のうち、熊本県知事が昭和51年11月に八木シヅ子を、昭和52年9月に小川フイを、救済法に基づき水俣病と認定したことは認める。
(4) 第10段落は争う。救済法による認定制度と仮処分制度は、制度趣旨ないし制度設計上の差異に基づき、手続や要求される証明の程度が異なる以上、仮に最終的な判断が一致したとしても、判断に要する時間を異にすることには、十分に合理性を有する。
(5) 第11段落は、認否する立場にないが、一般論としては、チッソが当事者として何らかの主張をしたとしても、これを直ちに司法に対する圧力とみなすことはできない。
6 2の「B柳田・浜本裁決」との項目について
(1) 第1段落ないし第6段落については、本件申請者以外の個別的な事件に関するものであるため、詳細な認否は差し控えるが、昭和48年8月に認定申請を棄却された柳田タマ子、浜本亨の両名について昭和48年10月に審査請求がされ、これに対して取消裁決がされたこと、熊本県知事が両名を再検診、再諮問の上、昭和51年に両名を認定したことについては認める。
原処分の判断は、当該申請者の症状がレントゲン写真の所見により水俣病以外の理由で説明し得るとの判断から水俣病を否定したもので、相応の医学的な根拠に基づくものであったが、同裁決は、除外診断の確実性や他の症状の存在などから、より慎重な再検討を求めたものであり、審査会が採った水俣病の病像に誤りがあるというものではない。
(2) 第7段落ないし第11段落は争う。
原告は、被告が「決定的な曝露歴、家族歴を有し、かつ、四肢末端の知覚障害という水俣病に典型的な症状を呈する申請者すら棄却し」、「水俣病の医学常識に反し、ましてや前記1971年(昭和46年)の環境庁事務次官通知に明白に反する処分が続々となされていた」などと主張する。
しかしながら、そもそも原告の主張する「水俣病の医学常識」は具体性を欠くとともに、行政実務が採用する医学専門家によるコンセソサスの得られた医学的知見に反するものと思われるから、原告の主張は失当である。
すなわち、被告第1準備書面第2の2で述べたとおり、四肢末端の感覚障害をはじめとする水俣病の主要症侯は、それぞれ単独では非特異的であり、他の疾患によってもそれらの症侯を来す場合があるから、水俣病の診断は、メチル水銀によって引き起こされる各種の症侯の組み合わせからメチル水銀による神経の傷害を推定するという症侯群的診断によるべきである。46年通知を具体化するものとして昭和52年7月1日付けで発出された環境庁企画調整局環島保健部長通知「後天性水俣病の判断条件について」(甲9号証。52年判断条件)も症侯群的診断を要求している。
このようなことから、熊本県における認定業務は症候群的診断によって行われているのであり、それは医学的常識にかなうものであるとともに46年通知の趣旨に沿うものである。46年通知と審査会の運用が異なるものであるとする原告の主張は事実に反するもので理由がない。
また、原告は「熊本県知事は、それまでの誤った棄却処分を自主的に再検討することもなく、まして審査会に対し、誤りの再発を予防する何らの具体的措置もとらなかった。そのために審査会は本裁決を検討すらせず、その後も違法審査を続けた。」と主張するが、水俣病であるか否かの判断は個別に行われており、ある者に対する処分が取り消されたからといって、他の全員に対する処分が取り消されるべきとする主張に理由がないことは明らかである。
7 2の「C認定業務の『促進』」との項目について
(1) 第1段落について
昭和48年3月の水俣病第一次訴訟判決以降、申請者が増加したことは認める。
水俣病認定申請者数は、昭和46年6月にいったん大幅な伸びを示し、昭和47年1月から本格的な増加の傾向を示していたが、昭和48年3月の水俣病損害賠償請求第1次訴訟の判決(熊本地裁昭和48年3月20日判決・判例時報696号15ぺ一ジ)を境として格段に増加し、それに伴い以前から問題となっていた未処分者の滞留が著しいものとなり、昭和48年度末の未処分者数は2172人を数えるに至ったものである(乙第51号証)。
しかしながら、「水俣病被害者は〔中略〕地域の追害に抗して申請することができるようになり」という点については、「水俣病被害者」がどのような者か、「地域の追害」とは何か、「地域の追害」と申請との関係性はどのようなものかについて具体的主張がなく不明であり認否できない。
(2) 第2設落は争う。
認定基準は、医学的知見に基づく適正なものであるから、「違法な狭い認定基準=病像論」との評価は誤りである。
(3) 第3段落は認める。
なお、この水俣病認定業務促進検討委員会は、未処分者の滞留を解消する方策を検討するため、国・熊本県が、九州各県の国立大学の教授、国立病院の病院長等を委員として設置したものである。
(4) 第4段落及び第5段落は争う。
ア 事実関係を整理する、と、次のとおりである。
@ 水俣病認定業務促進検討委員会での検討の結果、九州大学ほかの5大学及び三つの国立病院、及び水俣市立病院の医師によって、大学の夏休みに当たる昭和49年7月から集中検診が実施された。
A 集中検診に対して、申請者の間から非難が起こり、申請者団体による抗議、交渉が繰り返された。
B そのため同年9月以降、医師の協力が得られなくなり、一部を除いて検診業務が停止した。
C 審査会についても患者団体の妨害等により開催できず、審査業務も停止した。
D これら業務の停止によりさらに未処分者が滞留した。
イ 原告は、集中検診について、「救済法の趣旨を無視した人権もわきまえぬもの」と主張するが、繰り返し述べるとおり、水俣病において救済法による救済を行うためには、専門的知見を有する医師による検診は必要不可欠であり(被告第1準備書面17ぺ一ジ以下)、検診を行うことが救済法の趣旨を無視することにはならない。すなわち、集中検診は救済法の趣旨に従って認定業務を促進するとともに、認定業務の適正を確保するための合理的な手段である。なお、検診に対する苦情の多くは、被検査者の医学的検査方法に対する誤解に基づくものであったといっても過言ではない。
8 2の「D水俣挿第二次訴訟丁審判決」との項目について
(1) 第1段落は、昭和48年1月20目、水俣病に罹患していると主張する者及びその家族141名(うち本人原告44名)がチッソ株式会杜を被告として損害賠償請求訴訟を提起したことは認める。なお、昭和51年3月19日までに追加提訴した者を含あた原告総数は252名(うち本人原告60名)となったが、原告のうち163名(うち本人原告46名)が訴えを取り下げたため、一審判決を受けた原告は89名(うち本人原告14名)であった。
(2) 第2設落の判決の存在は認める。
判決の内容に関しては、上記本人原告14名のうち2名(生存者)については本人原告及び近親者の請求を棄却し、他の12名(生存者10名及び死亡者2名)については本人原告の損害賠償請求は認容したが、近親者の損害賠償請求は死亡者1名の両親の分を除き、棄却したという限度で認める。
判決では原田鑑定の結果をも総合して判断がされているが、原田鑑定において水俣病とされた2名の請求が棄却されており、「原田鑑定を適正に採用し」との評価については争う。
なお、原告の主張中「原告12名中10名」とあるのは「本人原告14名中12名」又は「生存者本人原告12名中10名」の誤りである。
(3) 第3段落は、本人原告14名中13名は、一審判決以前に熊本県知事あるいは鹿児島県知事に対し救済法あるいは公害健康被害の補償等に関する法律(補償法)に基づき水俣病認定申請をしたが、棄却処分を受けたことがある者であったという趣旨において認める。また、残る1名の本人原告には救済法あるいは補償法に珪づく水俣病認定申請歴がないことについては認める。
(4) 第4段落は、熊本早知事あるいは鹿児島県知事が上記14名中8名(うち熊本県知事が2名、鹿児島県知事が6名)について水俣病認定処分をしていること、その中に解剖の結果認定された者が存在することは認める。
なお、「その後」とあるが、認定された者の内訳は、一審判決以前の認定者が2名(審査請求における取消裁決による認定者1名、再申請による認定1名(解剖))、一審判決後控訴審判決以前の認定者が6名(再申請による認定者6名(うち解剖1名))である。
(5) 第5段落ないし第8設落は争う。
原告は、「本判決は鋭くも、被告の行政認定の実態が、まったく救済法の目的とするところに違背し、違法な認定棄却が行われていることを、司法が断じているのである。」、あるいは同判決は「公権力が県知事の法の趣旨・目的に反した違法運用をしていること断罪したものである。」と主張するが、二次訴訟第一審判決においては、原告らが熊本県知事あるいは鹿児島県知事により水俣病認定申請棄却処分を受けた者であるという事実のほか、特段認定業務に関する判示はない。
民事訴訟の場において、裁判所には事実認定の権限が認められ、裁判官は、個別の事例について法的判断を加えつつ法的因果関係を認定することができるが、行政の場合には客観的、一般的な基準により判断を行うことが要請されており、それを越えて個別の事情に応じた法的評価を行うことは困難である。救済法の解釈上、同法の対象者となるべき者の判断は、医学的知見に基づいて行われるべきものであり、医学的に水俣病を認められない者に同法に基づく医療費等を支給することは背理である。このように、両者は、制度趣旨も判断手法も異なっており、両者を同列に論じることはできない。したがって、救済法によって認定されなかった者が損害賠償請求訴訟において請求を認容されたとしても、「およそ法の予定したこととは、まったく逆転した事態」ということはできない。
(6) 第9段落及び第10段落について
原告の主張は、控訴審判決中の、「52年の判断条件は、いわば協定書に定められた補償金を受給するに適する水俣病患者を選別するための判断条件となっているものと評せざるを得ない。従って、昭和52年の判断条件は広範囲の水俣病像を網羅的に認定するための要件としてはいささか厳格に失しているというべきである。」との部分を指すものと思われるが、同判決は、昭和46年通知と52年判断条件の関係を正解していないし、同判決後、環境庁は「水俣病の判断条件に関する医学専門家会議」を設け、52年判断条件について医学専門家会議の意見を求めたが、同会議の意見は「現行判断条件は、一症侯のみのもので、医学的に水俣病の蓋然性が高いものを水俣病と判断することを全く否定しているわけではないが、一症侯のみの例がありうるとしても、このような例の存在は臨床病理学的には実証されておらず、現在得られている医学的知見を踏まえると、一症侯のみの場合は水俣病としての蓋然性は低く、現時点では現行の判断条件により判断するのが妥当である。」というものであって(乙第14号証)、上記判決の見解は医学的には是認されないものであった。
また、いわゆる待ち料訴訟に係る福岡高裁平成8年9月27日判決(判例時報1586号52ぺ一ジ)では、「右の公権的解釈は、当該各時点における医学界の知見に基づいてまとめられたものである上、知事による水俣病認定業務が国の機関委任事務としての行政手続であり、その一環として検診、審査が行われるものである上、審査会の審査、判断及びこれに基づく知事の処分がこれらの公権的解釈に依拠することは、相応なものというべきである。」として、52年判断条件とこれに基づく認定制度の運営について肯定的に評価されている。
9 2の「E不作為違法確認判決」との項目について
(1) 第1段落は否認する。
「被告は認定業務を適正に処理していなかった」「被害者は放置されたままであった。」とは何を意味するのか具体的主張がなく明確でないが、事実関係を整理すると、以下のとおりである。
ア 水俣病認定業務は、昭和44年12月15目に公布された救済法により行われることとなり、昭和45年1月に第1期審査会が発足したが、第2期審査会(昭和47年4月から)発足の時点ですでに未処分者の滞留が問題となっており、審査の促進が重要課題とされていた。この未処分者の滞留には、検診医の不足、申請者の増加、医学的判断の困難性、第2期審査会の発足の遅れなど様々な原因があった。
イ そこで、第2期審査会では、次のような対策が採られた。すなわち、審査会の運営について、昭和47年4月以降、不定期開催であったものを2か月に1回2目間ずつの定期開催に改め、審査件数を1回60件程度とし、昭和48年3月以降は1回80件程度に増やし、答申の内容についても5段階に分け、また、昭和48年6月からはそれまで一括して行われていた鹿児島県の申請者の審査を分離して行うなど、審査の促進及び効率化を図った。さらに、熊本県は検診の促進を図るため、昭和48年5月に水俣市立病院内に健診センターを設置し、予備的検査を同センターで行うこととし、そのための県職員を配置するなどした。
ウ しかし、昭和48年から、認定申請件数が従来とは比較にならないほど増加し、それに伴い未処理件数の滞留が著しいものとなった。
その上、昭和48年5月にはいわゆる第3水俣病間題が発生し、その調査のために大規模な住民健康調査(有明海及び八代海沿岸住民健康調査)が実施され、専門医が多数動員されたため、更に検診医が不足した。
エ そこで、国・熊本県は、九州各県の国立大学の教授、国立病院の病院長等を委員とする水俣病認定業務促進検討委員会を設置し、ここでの検討を踏まえて、従来の熊本大学中心の検診体制に加え、新たに前記各大学、国立病院及び水俣市立病院の専門医による検診体制を組むこどによって検診処理能力の向上を図ろうとした。
そして、大学の医師が比較的時間に余裕のある夏休みの活用等を考慮し、当時の未処分者約2000人の滞留を2年程度で解消する目途で集中検診体制を採ることとし、昭和49年7月及び8月に約400人の検診を実施した。また、上記集中検診実施以降も九州各県の各大学医学部等の専門医の協力により、月間120人程度の検診体制が採られる予定であった。
当時の未処分件数の増加状況、熊本県内の検診処理能力等の諸条件を考慮すれば、とのような方策の選択は極めて正当な政策的判断であったと評価することができるというべきである。
オ ところが、昭和49年8月2目、水俣病認定申請患者協議会と称する団体(以下「協議会」という。)が約70人を動員して熊本県庁に来庁し、県職員に対して、申請者全員に医療費・雑費等の支給を内容とする救済措置を直ちに実施すること、同年7月1目以降実施された集中検診がずさん・乱暴であるとして、検診カードに担当医師の記名押印をすること、集中検診の責任の所在を明らかにすること等の点を強硬に要求した。
これに対し熊本県は、協議会の要求する各種措置のうち、医療実費についてのみ行政上の運用面で実現の可能性があるので努力する旨、また、集中検診に関する申請者の苦情については申請者らの申出を大学等の医師に伝え、改善すべき点があれば改善していきたい旨を明らかにし、認定業務は県職員がいかに努力しても専門医師の協力がない限り行い得ないこと、そして、熊本大学等の医師のみによる従来の検診方法では、物理的に認定業務の促進ができないことを説明し、協議会側の理解を求めた。
カ しかし、協議会はこれに納得せず、昭和49年8月12日、同月29日、翌9月6、7目の3回にわたり、熊本県庁に大量動員して前記と同様の大衆交渉を行い、前記要求等に加え、集中検診資料はでたらめな検診によるものであるとして、その使用の禁止を求める等の要求を繰り返した。殊に、9月6、7目の交渉は、協議会等の会員ら約260名が熊本県庁に押しかけ、終始、罵声と怒号を浴びせ、県職員に自由な発言を許さない極めて騒然とした雰囲気の中で、9月6目午後1時半から翌7目午後5時半ころまで実に28時間もの長さに及び、しかも、その間、県職員に対し灰皿が投げられたり、県職員が暴行を受けるといったことや、熊本県の公害対策局長が途中疲労のためその健康状態が危険な状態に陥って倒れ、救急車により病院に搬送されるといった事態まで発生した。この徹夜交渉については、後に、事態を憂慮した熊本県議会において暴力及び暴力的行為の排除を求める決議まで行われた。
キ さらに、協議会は、昭和49年9月11日付け配達証明郵便により、集中検診に参加した検診医全員に対し、申入書を送付し、各医師に対する直接行動を開始し、そのため、検診に従事した大学等の医師のほとんど全員から熊本県に対し、事態を憂慮し今後の検診を辞退する等の連絡が寄せられ、検診の続行が困難となった。
ク そこで、熊本県としては、各大学に対して検診医の辞退に関して意向を尋ね、協力を要請したが、いずれの大学からも、検診医に対する誹諺、申入書等に見られる責任追及の態度に対する強い不満とともに、引き続き検診に協力することは困難である旨が告げられた。
ケ さらに、協議会は、昭和49年9月26日熊本県に対し、合計150名の名義で検診医の診断書発給取次方を請求し、また、昭和49年10月7日には九州大学神経内科、眼科、耳鼻咽喉科の研究室、あるいは病棟に押しかけ、集中検診に関与した医師に面会を要求し、申入書受取りの有無及び申入れに対する回答を強要し、次いで10月16日、熊本大学第一内科の研究室、病棟に押しかけ、九州大学におけると同様な行為をし、11月6目にも熊本大学第一内科、九州大学神経内科教室に押しかけ、同様な行為に及ぶなど、検診医等に対して圧力をかけたため、大学、病院の本来的業務まで支障が生ずるおそれも出てきた。このため、大学、病院及び検診医の協力を引き続き得ることができない状態となり、検診医、審査会委員等の確保が著しく困難になった。
コ また、審査会においても、第3期審査会は、協議会から審査会の構成内容を反対され、審査会を直ちに解散するよう熊本県に対して申入れが行われるなど、難航の上発足したものであり、昭和49年11月8日に予定された第1回目の審査会は、協議会の行動によりついに開会に至らず流会となった。
サ 熊本県では、患者団体との交渉の結果、ただ1回の審査だけでは認定申請を棄却することはしない等の約束をしたことなど各種の条件が整い、昭和50年4月19目に至って審査会を開催することができることとなった。また、検診についても、ねばり強く交渉した結果、当面検診医には原則として熊本大学医学部の専門医だけを充てる等の合意をみて、昭和51年4月に至ってようやく再開された。
シ 以上のような協議会等の反対行動により、検診業務は昭和49年9月から昭和51年3月まで(ただし、昭和49年9月から昭和50年4月までは集中検診の残りの者、県外者及び希望者に対する検診が、同年5月から昭和51年3月までは答申保留者に対する審査会委員による検診等が一部行われた。)、審査業務は昭和49年11月から50年3月までそれぞれ停止せざるを得なかった。
ス なお、この間、新たな認定申請もされたため、未処分者数は昭和48年度末現在2172人であったところ、昭和50年4月の審査業務再開前には2821人(昭和49年度末現在)に、昭和51年3月の検診再開時には3191人(昭和50年度末現在)に達したのである(乙第51号証)。これら協議会等の反対行動がなければ、前述した集中検診体制により、少なくとも検診、審査ともに、それぞれ月間100人程度を実施することが可能であったと考えられ、そうすると、業務が停止していた上記各期間の間、本来であれば約2000人の検診が終了し、約500件の審査が終了していたはずであった。繰り返し述べるように、水伊病についての医学的判断(審査会の判断が医学的判断に基づかなければならないことはいうまでもない。)は、非特異的な症状の組み合わせによって、それらの症侯が有機水銀こよるものであるか否かを判断するというもので、特に症状が軽症な例においては、その判断が困難である。その上に、もともと検診、審査業務に携わる医師の確保が困難であった状況の下で、このような反対行動が認定業務を著しく阻害し、処分の遅延に拍車をかけることとなったことは明らかである(そのことは、原告の引用する不作為違法確認判決においても認められている。)。
(2) 第2段落は、昭和49年12月、申請者406名(うち12名が取下げ)が熊本県知事を相手として不作為の違法確認請求訴訟を提起したことについては認める。
(3) 第3段落は、既処分者以外の原告について、熊本県知事の不作為の違法を確認する判決が言い渡されたことは認める。
ただし、判決は、水俣病に関する医学的判断の困難なこと、認定申請者数の激増及びこれに対し検診・審査を担当する専門医が限定されていてその確保が困難であるという事情を認め、「これらの事情によって、本件申請の処理に要する期間が影響を受けることはやむをえないところであり、相当期間の判断においてもこれらの事情が勘案さるべきことは当然である」とした上で、熊本県知事がそのような事情の下で「処理につき通常必要とする期間を遅くも2年以内と想定したことがうかがえる」と認定しつつ、「全く処分の見通しを立て得ない状態にある」こと及び「今後処分がなされるまでに被告の想定した前記期間すら経過することが確実であり、このような状態が解消される見通しもない」ことをもって熊本県知事の処分の不作為が客観的に違法であることを確認したものである。
なお、「三年の審判の後」とあるが、審理期間は2年間である。
(4)第4段落は否認する。
原告のいう「熊本県知事の認定制度運用の基本的姿勢」との意味が明確ではないが、判決の内容は前記のとおりであり、「十分に対応できたはず」などという判示はなく、原告の主張は誤りである。
(5)第5段落は争う。
ア 不作為違法確認判決後、熊本県は国と協力して検診数、審査数の増加、県外検診機関の設置など種々の施策を行い、未処分者の解消を図ったところ、いったん未処分者数が減少したものの、昭和55年9月から協議会等が患者切捨てのための検診は拒否するという運動(いわゆる検診拒否運動)を開始したため、検診を受ける者が徐々に減少し、審査会での審査に必要な資料を得ることが困難となり、その結果、再度未処分者数が増加する事態となった(乙第51号証)というのが正確な事実経過である。
イ 原告のいう「正しい検診」「正しい基準」とは何を意味するか不明であるが、熊本県が行っている検診や、審査会が審査に当って依拠している医学的基準は、医学的知見に基づくものである上、判決では検診方法や認定基準について判断されていないから、これらについて熊本県が「再考」したり、審査会に「終始徹底」させるなどの措置を執る必要はない。
1 前文は否認する。
原告のいう「被害者」「放置」「切り捨て」が何を意味するのか明確でないため認否困難であるが、「放置」や「切り捨て」に当たる施策が国・熊本県によって行われたことはない。
また、原告は、「破綻」という抽象的な言葉を使用し、その具体的な意味内容を具体化しないまま論じているため認否困難であるが、原告が第4節において列挙する各項目に関して、「破綻」に当たる事実はない。
(2) 原告第6準備書面10ぺ一ジ1行目から7行目までは否認する。
小島敏郎が「水俣病問題の政治解決」(乙第66号証)において述べているのも前記(1)と同様であり、救済法又は補償法が医学的にみて水俣病若しくはその疑いがあると判断し得ない者までも救済の対象とする趣旨であるとするものでは全くない。
(2) 第3段落は否認する。
同判決においては、行政訴訟の審査は、処分庁(もっとも、同訴訟の判決の名宛人は鹿児島県知事であり、この点からも同判決が「被告の認定制度違法運用を示す」という原告の主張は誤っている。)が依拠した審査会の判断に不合理な点がなかったか否かという観点からすべきであるとされ、この観点から、審査会の依拠した審査基準である46年通知及び52年判断条件は医学的知見に合致しており、それ自体不合理であるとは到底いえないとし、これに基づく鹿児島県審査会の運用も救済法の解釈上基本的に妥当であるとした上で、審査会資料を検討し、鹿児島県審査会が症侯のあてはめを誤って答申をしたとして処分が取り消されたのであり、行政による認定制度の運用全体が否定されたものではない。
(3) 第4段落ないし第7段落は、前記取消訴訟において、御手洗鯛右を除く原告3名が控訴審係属中に訴えを取り下げたことは認め、その余は否認する。
乙第65号証にも明記されているとおり、政府解決策においては、解決策を受諾するか否かは個人の選択によるものであった。
(2) 熊本県は行政不服審査の流れの中で環境庁の間い合わせ等に応じて対応を行ったものであり、環境庁の裁決に抵抗した事実はない。
(2) 国や地方公共団体が、自らの見解に反する見解が公表されたとしても、逐一反論すべき義務を負うわけではないことは明らかであるから、原告の主張は前提を欠き、理由がない。
(3) 救済法の適用に当たっては、医学上の知見のうち医学界において正当として確立された見解ないしは正当として支配的に認められている見解に基づく趣旨であると考えられるから、医学界の専門分野のコンセンサスを得た病像論によらざるを得ず、これに対して異説が出されたとしてもその異説が医学界の大方のコンセンサスを得るまでに説得的な研究成果を踏まえたものでなければ、直ちにその異説を採ることができないことは自明のことである。しかるところ、精神神経学会の見解については医学界の大方のコンセンサスを得たものではない。
(2) なお、同判決は、「46年事務次官通知あるいは52年判断条件は、端的に言って、救済法あるいは補償法における認定要件を設定したものと理解するべきであ」るとし、救済法等における「水俣病」とは別の意味で、不法行為に基づく損害賠償詰求事件の判断として「メチル水銀中毒症」について判示している。
また、そもそも国や県が公害病患者の認定という行政措置を実施する以上、医学界の専門分野のコンセンサスを得た病像論によらざるを得ないことは、前記5(3)でも述べたとおりである。
(2) 第2段落について付言する。
被告は、不作為違法確認判決後にも認定業務促進策を採っている。なお、判決等を契機とする場合だけでなく、認定業務の改善には常に努めており、また、二次訴訟控訴審判決後の昭和60年には52年判断条件について検討も行っている(乙第14号証)。
46年通知及び52年判断条件の妥当性については、原告の引用する御手洗棄却敢消訴訟高裁確定判決でも肯定されている。
(3) 第3段落について付言する。
「このように認定制度の運用は、補償問題と行政意図によって動かされ」については、「補償問題」「行政意図」とは何か明確でないが、仮に熊本県において「補償金の支払いを出来る限り拒否する」ために認定制度が運用されていたという主張であるとしても、認定制度は補償金の支払と直結するものではなく、熊本県においては補償金支払を拒否するための制度運用は行っていない。
また、「真の医学・疫学はまったく活用されず、まして法の要請は完全に無視されてきた。」についても、「真の医学・疫学」とは何か全く明確でないが、前記のとおり判断基準は医学的知見に基づくものであるから、原告の批判は当たらない。
2 2は全体として争う。
まず、前記のとおり、救済法による救済は公衆衛生的な問題ではなく、公衆衛生の立場から認定制度の要否を論じることはできない。
救済法における認定制度は、公害に係る健康被害者に対して医療費、医療手当、介護手当を支給することによりその健康被害を救済する前提として必要なものである。すなわち、水俣病が救済法の対象疾病である以上、認定制度が必要とされているのである。したがって、「水俣病以外の食中毒事件で、被害者確定のために認定制度などあり得なかった。」と決めつけ、これを理由に、水俣病も「食中毒」であるから「認定制度など、あり得なかった」などと結論づけることはできない。
また、第3段落については、「地域住民の悉皆調査を行って母集団と被汚染者を確認していく手法」とは何か、そもそも「母集団」「被汚染者」とは何なのかが示されておらず、主張の意味は明確でない。
なお、これらの主張を総合すれば、原告は結局のところ行政課題あるいは政治的問題としての「水俣病問題の解決方法として何が適切だったか」ということを論じていると解されるが、本件がそもそも救済法の定める認定制度の中で棄却処分の取消を求める訴訟であることからすると、このような主張は、本件訴訟の審理と全く関連性を有しないものである。
(2) 第4段落及び第5段落について付言する。
「被告側はチッソ企業と意思相携えて、認定制度を強引にねじ曲げ、あたかも被害者救済のゴールであるかごとき、好策・欺瞞をなしてきたのである。」との主張については、強く否認する。熊本県がチッソと「相携えて、認定制度を強引にねじ曲げ」る必要性はなく、そのような認定制度の運用もしていないから、原告の主張は事実に反するものである。
全体として争う。その詳細は、被告第1準備書面で述べたとおりである。
以上のとおり、原告第6準備書面における原告の主張は、そもそも本件申請者以外の者に関する個別的事件等に関して記述するものであるとともに、証拠資料に基づかない事実誤認ないし不当な評価に基づくものである。