被告第6準備書面
原告は、被告が、救済法に従い、本件申請者の水俣病認定申請について審査会に諮問し、その答申を経た上で、本件申請者は水俣病であるとは認められないとして水俣病認定申請を棄却する旨の本件処分を行ったのに対し、「手続的瑕疵」を理由として本件処分が取り消されるべきである旨主張するだけでなく、本件甲請者は水俣病であったとし、被告の認定基準にもほぼ該当していたものであり、万一被告の認定基準に足りないものがあづたとすれば、それはわずかな資料であったと主張する(原告第10準備書面4ぺ一ジ)。これに対し、被告は、本準備書面において、被告第3準備書面に引き続き、本件申請者が水俣病であったとは認められないこと、むしろ水俣病でなかったと推認されるといってよいこと、及び医療機関調査の成否はその判断に何ら影響を与えるものではないことを明らかにする。
略称は、特に断らない限り、従前の例による。
1 水俣病の範囲に考えられる症侯の組み合わせについて
宮澤信確の意見書(甲第43号証)93ぺ一ジには、本件申請者は救済法に基づく認定申請者であるから46年判断条件によって審査されるべきである旨記載されているが、52年判断条件(甲第9号証)や53年通知(乙第55号証)は、救済法に基づく認定申請者と補償法に基づく認定申請者の双方を対象としていたものである。そこで、双方を区別すべき理由は何ら存在しないし、53年通知においては、そのことが明記されている(同通知の4(1))。
52年判断条件(甲第9号証)の内容及び正当性については、被告第1準備書面14ぺ一ジ22行目以下及び「水俣病の判断条件に関する医学専門家会議の意見」(乙第14号証)等から明らかであるが、同判断条件2(2〉にいう症侯の組み含わせを図示すると、次の表のとおりとなる。
| 症状の組合せ | 感覚障害 | 運動障害 | 平衡機能障害 | 求心性 視野狭窄 |
中枢性障害 (眼科) |
中枢性障害 (耳鼻科) |
その他の症候の組合せ |
| ア | ○ | ○ | |||||
| イ(1) (2) |
○ | △ | ○ | ○ | △ | ○ | ウ(1) (2) |
○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | エ | ○ | △ | ○ |
ところで、本件申請者に求心性視野狭窄がないことは検診によって明らかであるから(乙第21号証、第28号証の1及び2)、本件申請者が上記表のうちイ(2)、ウ(1)及び(2)に該当することはない。したがって、本件申請者の症侯が52年判断条件2(2)の組み合わせに該当しているというためには、ア、イ(1)、工の3通りのいずれかの組み合わせでなければならない。この場含、いずれの組み合わせにおいても、感覚障害と運動失調(イ(1)、工においては運動失調の疑い。)が認められなければならない。そこで、現時点において、熊本県が本件申請者に関して所有している資料を基に検討すると、以下のとおり、運動失調の所見は得られないことが明らかであるから、感覚障害の有無について検討するまでもなく、本件申請者が52年判断条件2(2)に該当することはない。
2 本件申請者の運動失調の有無について
(1) 運動失調について
運動失調とは、運動器に異常がなく、また、脱力、筋トーヌス(緊張)の亢進や振戦(震え)等の不随意運動も認められないのに意図した運動(随意運動)が円滑にできない場合をいい、障害部位によって、大脳性、小脳性、脊髄後索性、前庭迷路(内耳)性に分けられる。水俣病にみられる運動失調は、主として小脳(全小脳)の障害に起因する小脳性運動失調であって、これは、大半の水俣病患者にみられ、しかも感覚障害等に比べて客観的な検査所見がとりやすいため、水俣病の診断には極めて重要な症状とされている(被告第1準備書面4、5ぺ一ジ参照)。
(2) 公的検診(眼科)資料
本件申請者には、衝動性運動異常は認められていない(乙第22号証、第28号証の1及び2)。すなわち、本件申請者は、衝動性運動の検査において視標をきちんととらえており、小脳障害の場合に認められるジスメトリア(測定障害)(乙第72号証)は認められていない。したがって、本件申請者には小脳障害はないものと推測される。したがって、小脳性運動失調もないものと推測される(被告第3準備書面9ぺ一ジ参照)。
(3) S医院の診断容及びS医師の陳述書
S医院の診断書(甲第2号証)には、本件申請者について、四肢末端の知覚鈍麻のほかに特筆すべき所見の記載がないところ、S医師が「運動失調も認められれば診断書に記入していました」と陳述していることからすると(甲第40号証)、S医師の診察においても、本件申請者に運動失調はなかったものというべきである(被告第3準備書面9、10ぺ一ジ参照)。
イ 本件申請者は、第1次検診を受診しているが、その結果(乙第94号証の4。同号証の1の書式に同号証の3の記録を記入したもの。)をみるに、本件申請者はアンケート項目中の「(17)手がふるえる。」、「(21)字がうまくかけなくなった、ボタンかけがうまく出来にくくなった等、手が思うように動かない様な感じがある。」、「(22)細い道を歩いているとひどくふらふらしたり、階段の昇り降りをするのにつまづきやすいということがある。」、「(23)歩くのに足がひょこひょこしたり、階段が降りにくいことがある。」の項目に対し、いずれも「イイエ」と回答している。
上記アンケートは本件申請以前に回答されたものではあるが、本件申請者には、運動失調の可能性を示唆する自覚症状すらないものであるから、本件申請者に運動失調があったとは考え難い。
3 まとめ
以上によれば、本件串請者には運動失調はなかったと推認するのが相当であり、感覚障害が実際にあったのか、あったとしてどのような感覚障害であったのか等について検討するまでもなく52年判断条件2(2〉に該当する症侯の組み合わせはないというべきである。
1 同居の家族一の曝露状混
本件申請者と同居していた家族は、本件申請者の子である原告、その妻N、原告夫婦の子Tがそれぞれ3回水俣病認定申請をしているが、いずれも棄却又は取下げとなっており、水俣病に認定された者はいない。
原告の主張によっても、本件申請者の孫Tの胎内にいるときに生えた毛髪(胎毛)の水銀値は16.1ppmにとどまる(なお、原告は毛髪水銀値について第17準備書面においてるる主張するので、その主張に対しては、被告第8準備書面において反論する。)。そうであれば、Tの母であり原告の妻であるNの毛髪水銀値は、その約3分の2となるから、Nの毛髪水銀値は、少なくともTの胎毛が生えたころについては、水俣病の発症閾値(50〜125ppm)を大きく下回っていたと推定される(被告第3準備書面3、4ぺ一ジ)。
ところで、Tが出生したのは昭和37年8月であるが、後述するように、水俣湾周辺地域における水銀汚染濃度は昭和35年以降は低下の傾向を示し、頭髪水銀濃度についても、昭和36年における調査対象集団の平均値は50ppmを下回り、昭和44年以降は最大値でも発症閾値(50〜125ppm)を下回り、平均値は我が国の一般人と同程度となっている。
そうすると、Tの母Nは、Tの胎毛が生えたころでさえ、水俣病の発症閾値を大きく下回る曝露状況にしかなく、その後、水銀汚染濃度が低下し、周辺住民の曝露状況も低下するに伴い、曝露状況は一層低下していったものと優に推認することができる。
(2) 本件申請者はアンケート項日中の「(39) この10〜20年間、魚介類を食べた。」については「A2日に1回位食べた。」と回答している。なお、上記アンケート項日中(39)の回答は、「@毎日食べた。」「A2日に1回位食べた。」「B1週間に1回位食べた。」「Cあまり食べなかった。」という四つの回答が用意されている。本件申請者と同居していた家族のアンケート結果については、プライバシーに対する配慮から、この(39)問と後述の(41)問の結果のみ、明らかにすることとするが、(39)問については、いずれも、本件申請者と同じ「A2目に1回位食べた。」、とされている。
このことからすれば、本件申請者か魚介類を多食していたといっても、本件申請者と同居していた家族と同じく2日に1回程度の頻度であったことが認められる。さらに、一般に老人が少食であることからすると、1回当たりの摂取量は、より少なかった可能性もある。なお、メチル水銀曝露量は結局個々人の魚介類摂取量等に左右されるものではあるが、一般的な傾向としては、年代が上がるにつれてメチル水銀曝露量は減少する(「赤血球中水銀濃度における性、年鈴差」乙第95号証914ぺ一ジ)。
(3) また、上記アンケートの「(41)水俣病患者が大勢出たころ(昭30〜35)あなたの家の飼猫などで狂死したものがある。」については、本件申請者及び同居の家族のいずれもが、「イイエ」と回答しており、昭和30年ないし35年当時、本件申請者宅の飼い猫などで狂死したものはなかったことが認められる。
この点につき、原告は、原告第4準備書面2ぺ一ジ9行目において「昭和30年代の前半に溝ロチエ家の飼い猪や周辺の家の飼い猫が何匹も狂死している」と主張し、「審尋録取書」(甲第3号証)にば、原告が、「ネコは何匹も飼っていたが、みんな狂死してしまった。その時期は審査請求人が結婚した(昭和34年)すぐ後くらいからではないかと思う。」と陳述した旨記載されている。
しかしながら、上記回答内容に照らし、原告の主張・陳述は明らかに事実に反するというべきである。そして、このことは、本件申請者の死亡直後に原告から聴敢して実施した疫学調査の記録においても「家畜の狂死(一)」と記録されていること(乙第24号証5枚日裏)からしても明自であるというべきである。
3 まとめ
以上によれば、本件申請者は、曝露歴を有するとしても、、水俣病と認定されておらず、毛髪水銀値から水俣病の発症閾値を下回るメチル水銀しか摂取していなかったと推認される同居家族とせいぜい向程度の魚介類しか摂食していなかったのであるから、メチル水銀曝露の程度は、水俣病を発症するような高度なものであったとは到底認められない。
1 一般に、発症閾値のある中毒物質による中毒症状は、中毒物質を生体内に取り込んだ後、その蓄積量が発症閾値を超えなければ発症することはない。そして、蓄積量が発症閾値に達しない段階で中毒物質の摂取を中止すれば、その後、蓄積されていた中毒物質は体外に排出されるから、蓄積量は減少することになる。したがって、中毒物質の蓄積量が発症閾値に達しない段階で摂敢を中止すれば、それ以後、同中毒物質を原因とする症状が発症することは考え難い。
2 水俣病はチッソ水俣工場のアセトアルデヒド生産工程から排出されたメチル水銀を中毒物質とする中毒症状であるところ、水俣湾周辺地域におけるメチル水銀汚染濃度は、昭和35年以降は低下の傾向を示し、遅くともチッソ水俣工場のアセトアルデヒド生産工程が操業停止した昭和43年の翌年の昭和44年ころ以降は、非汚染地区と同程度にまで低下している。頭髪水銀濃度についても、調査対象集団における平均値は昭和36年に50ppmを下回っており、その後徐々に低下して、昭和44年以降は、一般住民、漁業関係者ともに我が国の一般人と同程度の頭髪水銀濃度となっている。また、調査対象集団内の最大値で見ても一般住民で昭和43年(16.1ppm)以降、漁業関係者で昭和44牢(18.3ppm)以降、発症閾値(50〜125pP血)を下回っている(「平成3年度水俣病に関する総合的調査手法の開発に関する研究報告書(T)」〔乙96号証〕特に11、12ぺ一ジ)。
3 しかるに、認定申請書(甲第1号証)によれば、本件申請者に「手足のしびれ」「歩行の不自由」「よだれが出る」「味がよくわからない」という症状が出現し始めたのは、昭和49年1月末ころであるとされている。
一方、原告から聴敢した疫学調査書(乙第24号証2枚目)や同じく原告を審尋した審尋録取書(甲第3号証2枚目)及び原告第10準備書面2ぺ一ジによれば、昭和47年ころから各種症状が出現したとされているが、仮にこれらの症状が実際に出現していたとしても、その時期については、本件申請者自身が本件申請当時に作成した認定申請書の記載の方が信用性が高いことは明らかであろう。
そうすると、本件申請者については、水俣湾周辺地域に濃厚な汚染のあった昭和33、34年から約15年も経過し、かつ、頭髪水銀濃度の調査対象集団における一般住民や漁業関係者の最大値が発症閾値を大きく下回った昭和34、44年から約5年を経過した昭和49年ころになって初めて症状が出現したというのであるから、その症状が水俣湾におけるメチル水銀汚染の影響によるものであ可能性は、極めて乏しいものと考えられる。
(2) 疫学調査書の記載
疫学調査書(乙第24号証)2枚目表7、8行目には、「S50年6月4日から足がむくんできた為市立HP、に通院するようになる。Dia(引用者注 診断名の意):腎臓」とある。また、同12ないし15行目には「死亡診断書より、死因(イ)腸閉塞(ロ)腹膜炎(ハ)腎不全」とある。さらに、同17、18行目には「既往症 腎臓 S22頃」とある。
(3) S医院の診断書の記載
S医院の診断書(申第2号証)には、「血圧162〜80粍水銀柱」とあるか、これは、WHO/ISH(1999年)の高血圧治療ガイドラインによれば、高血圧(グレード2)・日本高血圧学会の高血圧治療ガイドライン(2000年)によれば、中等症高血圧に分類される(井村裕夫「わかりやすい内科学」〔乙97号証〕230ぺ一ジ)。
(4) 水俣湾周辺地区住民健康調査の結果
住民健康調査の第1次検診の結果(乙第94号証の4)によれば、本件申請者はアンケート項目中の「(30) 血圧が高いあるいは低いと、いわれたことがある。」に対して、「軽」と回答している。
また、住民健康調査の第2次検診の結果(乙第98号証の3及び4)によれば、本件申請者に対する診断は「要観察高血圧」「要観察腎障害」「要観察心臓疾患」であった。
(5) 審査請求における審尋録取書の記載
審査請求における審尋録取書(甲第3号証)2枚日30行目には、「腎臓も悪かった昭和50年6月頃に足のむくみのため、水俣市立病院に通院していた。医者に透析を勧められたこともあったが、高齢なのでやらなかった。最後には腎臓病による尿毒症が原因で亡くなった。」とある。
この点、透析療法は不必要に早期に導入されるべきものではなく、尿毒症症状が持続し、日常生活が支障されるようになった場合に行われるべきものであるところ(上田英雄=武内重五郎総編集「内科学」〔乙第99号二証〕917ぺ一ジ〉、本件申請者は医者に透析療法を勧められるほどの状態であり、相当重度の腎障害を有していたことがうかがわれる。
(6) まとめ
以上によれば、本件申請者は昭和22年ころから少なくとも腎障害を抱えており、その程度は医者に透析を勧められ、最終的に(昭和52年7月)尿毒症(原告の審尋録取書)ないし腎不全等(疫学調査書)が原因で死亡する程のものであったこと、また、それに加えて高血圧も併発していたことが明らかである。
2 本件申請者こみられるとされる自覚症状と他疾患との関係について
上記1で述べたとおり、本件申請者は重度の腎障害を抱えていたところ、腎障害の種類としては様々なものがある上、その自覚症状も多穫多様である(吉利和「新内科診断学」〔乙第100号証〕414ぺ一ジ)。
すなわち、例えば、尿毒症は多発ニューロパチー(水俣病にみられる四肢末端優位の感覚障害は、多発ニューロパチーの一種である。)の原因疾患の一つである(平山恵造「臨床神経内科学」〔乙第101号証〕500ぺ一ジ)。また、慢性腎不全では、倦怠感・虚脱感、浮腫などの全身症状を始め、味覚異常・食欲減退などの消化器症状、しびれ感・関節痛などの上・下肢症状が自覚症状として現れることがあり、他覚的所見としても、浮腫・難聴・知覚麻痺などが現れる(乙第99号証933ぺ一ジ)。
さらに、特に高齢者では、原因不明の多発ニューロパチーが全体の40%を占める(乙第101号証500ぺ一ジ)。
3 まとめ
以上によれば、本件申請者は、重度の腎障害に罹患し、かつ、高齢であったのであるから、原告が主張する各種の症状を実際に有していたとしても、その症状は腎障害等に起因していた可能性も十分に考えられる。
1 はじめに
本件申請者は、生前、I医院、S医院及び水俣市立病院を受診していたところ、医療機関調査によって資料を収集することはできなかった(乙第19号証、第25号証、第26.号証参照)。しかしながら、上述した本件申請者の状況に加えて、以下の事情にかんがみると、本件申請者に関する資料を収集できていたとしても、水俣病の認定に資するような情報はなかった蓋然性が種めて高いというべきである。
2 I医院
まず、疫学調査書(乙第24号証)によれば、本件申請者は「S47年頃からS医院に通院していた。それ以前はI医院」と記載されている。
上記のとおり、本件申請者の水俣病認定申請に係る各症状が仮に発現していても、それは昭和49年ころからであると考えられるから、I病院受診時には出現していなかつたはずである。また、仮に、百歩譲って昭和47年ころからであったとしても、I病院を受診したのはそれ以前であるから、同病院のカルテに本件申請者が水俣病に罹患していたことをうかがわせる事実が記載されているとは考えられない。なお、審尋録取書(甲第3号証)には、昭和47年ころから種々の症状が出現した後、「病院は最初にI医院を受診し、その後でS医院を受診した」旨記載されているが、疫学調査と審尋の各実施時期に開きがあること、原告は、審尋の際には、医療機関調査により資料を収集できなかったことを知っており、そのことに対する強い不満を有していたと推認されることからすると、症状発現後にI医院を受診したとの審尋録取書の記載はにわかに信用し難い。
3 S医院
次に、認定申請書(甲第1号証)によれば、本件申請者は昭和49年2月12日にS医院を受診後、1週闇に1、2回の割合で投薬・診察等を受けているとされている。
しかしながら、まず、S医院のS医師は、「溝ロチエさんはかかりつけというわけではなく、他の医療機関(水俣市立病院その他)で治療を受け、水俣病申請をした後は、当院にはほとんど見えなかったと職員はいっています。」と陳述している(甲第40号証)。また、当時、S医院に勤務していたS2は、「溝ロチエさんが来院されたのは、覚えています。かなり歳をとっておられ、最初はご主人と一緒だったと記憶しています。昭和49年頃に、2〜3回来たと思います。」、「S先生が溝ロチエさんを診察されている様子も覚えています。最初は風邪で来て、2回目は水俣病を申請するから診断書を書いて欲しいと言うことだと記憶しています。」と陳述している(甲第45号証)。さらに、認定申請書に添付された昭和49年5月23日付け診断書(甲第2号証)には「水俣湾の魚介類を多食していたとの訴えから精査を必要と考える。」との記載があるものの、その後、昭和49年8月1目の本件申請までの2か月余りの問に、S医院によって本件申請者にとって有利な事実が判明した形跡はうかがえない。認定申請書には上記診断書をそのまま添付しているほか、認定申請書自体にも、水俣病又はその疑いがある旨の診断を受けた事実又はそれを推認させる事実は記載されていない。そして、S医師自身、本件申請者のカルテについて、「カルテには要精査とのみ記入したと思います。」と陳述している(甲第40号証)。
以上によれば、本件申請者は、水俣病については、診断書を取得するために受診したときのほかは、S医院を受診していない、あるいは仮に受診していたとしても、現在得られている以上の水俣病であるとの認定に資する所見がカルテに記載されていなかったものというべきである。
4 水俣市立病院
さらに、本件申請者は、昭和50年8月30日に意識を消失した後、昭和52年7月1日に死亡しており、その間は水俣市立病院に入院していた。本件申請者が水俣市立病院に通院するようになったのは、昭和50年6月4日からであり(足がむくんできたことを契機として通院)、そのときの診断は、腎臓の疾患であった。また、本件申請者は、昭和22年ころから腎臓病の疾患があること、死亡原因は尿毒症ないし腎不全等を原因とするものである(以上につき、乙第24号証、第28号証の1及び2)。
そうすると、本件申請者は、腎臓病に関する治療が目的で水俣市立病院に通院及び入院していたのであるから、水俣病の認定に資する事実がカルテに記載されていたとは考え難い。
なお、本件申請者の子であり、原告の兄弟であるS3は、本件申請者が入院していた当時、水俣市立病院に勤務していたものである(甲第45号証)。仮に、同病院において、本件申請者について水俣病に関する検査や診断がされているならば、原告側はそのことを容易に知り得たとも思われるが、原告は、本件訴訟提起後2年を経てもこの点について何らの主張立証をしない。