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永野義之 原告側反対尋問050114

被告代理人(丸山)

乙第111号証ないし乙第121号証を示す

001 これらは、本件申請者である溝ロチエさんの認定申請等に関する資料として証人の記憶を喚起してもらう意味も込めて用意したものですが,証人は部長在任時、これらの資料を見て内容を確認していましたでしょうか。

よく覚えておりません。

乙第115号証の1枚目、乙第118号証の1枚目,乙第119号証の1枚目,乙第120号証の1枚目及び乙第121号証の1枚目を示す

002 これらの資料に環境公害部長というところに押印がありますが、この押印は証人のものですか。

はい。

003 そうすると、証人は部長在任時、これら押印がある資料については、内容を見て確認しているのではありませんか。

押印していますので、確認をしたと思います。

004 押印のない資料については、どのように記憶していますか。

よく覚えておりません。

005 これらの資料によりますと、昭和63年には未処分死亡者の医療機関調査について消極的な方針が立てられていたようですが、証人は部長当時、このことを知っていましたか。

いいえ、知りませんでした。

006 それが、平成2年になりますと、段階的に医療機関調査を実施する方針が立てられていますが、この点については証人は知っていましたか。

私の在任前のことでありますけれども、よく記憶しておりません。

007 それが平成6年になりますと、本件申請者の溝ロチエさんを含む申請者の方々の医療機関調査が実施されるに至っていますね。

はい。

008 これらの資料によりますと、やむなく医療機関調査が停滞した時期もありましたが、その後熊本県では医療機関調査を段階的に実施していき、証人の部長在任時は、積極的にこれを実施するということで、本件申請者についても医療機関調査が実施されたのではないですか。

この文章を見ますと、そういうふうに思います。

原告代理人(山口)

009 あなたの御出身は、鹿児島県の阿久根市ですね。

はい。

010 阿久根には、何歳ぐらいまでおられたんですか。

18歳ぐらいまでと思います。

011 阿久根は水俣病の発生地なんですけれども、発生されている方を個人的に御存じの方はいらっしゃいますか。

個人的には存じ上げておりませんが、そういうことがあっておるということは承知しております。

012 あなた自身は、いわゆるプライベートに水俣病の患者さんと直接会ったり、生活を共にしたりしたことはありませんね。

はい。

013 さて1962年に熊本県庁にお入りになりまして、天草事務所所長というのをおやりになったようですが、この天草事務所所長というのは、お仕事はどんな仕事なんですか。

当時県事務所と言っておりまして、県の行政の中で、保健所業務と土木建設業務を除くすべての行政を県事務所で行っておりました。

014 天草も水俣病の問題が起こっているところなんですが、証人自身が在任中にそのようなことはあったんですか、ないんですか。

聞いておりましたけれども、直接かかわった記憶はございません。

015 それから、その後環境公害部の次長になられて、環境公害部総括審議員という役職にも就いておられるんですが、この次長とは別に、環境公害部総括審議員というのは、どういうお仕事なんでしょう。

よく分かりませんが、総括というのは部長級の職位で、次長を兼ねておる立場だと思います。

016 1997年に県を退職されて、熊本商工会議所の専務理事になられましたね。

はい。

017 この熊本商工会議所の専務理事になるというのは、どんなふうにしてなれるものなんですか。私は全く素人なので分からないんですが、商工会議所のどなたかからいかがですかというふうなことでなられるんですか。

はい、そうなりますが、商工会議所の中に総代会というのがございまして、そこで承認されればということでございます。

018 商工会議所の幹部の方たちが総代会というのを作っていて、その方たちが推薦してなると、こういうことなんですね。

はい。

019 さらに、2002年6月から熊本県信用組合の理事長に就任されておりますが、現在もそうなんですか。

はい。

020 この信用組合の理事長に要請されるというんですか、なるには、これはどんなふうな手続でなれるんですか。

これも総代会というのがございまして、理事会で推薦をして総代会で議決されるという手順でございます。

021 証人自身は、先ほど主尋間でも出たように、1991年から熊本県の環境公害部次長、そして94年からは公害部長となられて、水俣病の問題について総括的なお仕事をされてきたわけですね。

はい。

022 最初にも申し上げたように、あなた自身のお仕事というのは、県とか県知事の意を代して水俣病の解決に努力されたと、こういうことですね。

はい。

023 ところで、何事も仕事をするには基準とか目標ということがあるだろうと思うんですが、水俣病を証人自身が業務をすることとして、まず法律としては、公害対策基本法とか、救済法とか、補償法等に基づいてお仕事をされていたんですね。

はい、基本法はそういうことでございます。

024 基本的にはね。

はい。

025 それ以外には、政府の見解が出たり、いろんな見解が出たり、あるいは環境庁からの通知が出たり、あるいは環境庁の指示、指導というようなものがあったと、これにも従うことがあると、こういうことですね。

はい。

026 また、水俣病においては多くの裁判の判決が出ておりますが、司法の判断というのも一つの基準、準則ということで、お仕事の目標というんでしょうかね、参考ということでされていましたね。

はい。

027 たとえば公害基本法の根本趣旨というのは、どんなものであったか覚えていらっしゃいますか。

よくは覚えていませんけれども、やはり公害を防止するために基本的なことを定めてある法律であったと思います。

028 公害対策基本法は、国と、おっしゃるとおり地方公共団体に対して、公害を防止することを重要な対策としてその基本的な方針を定めていたと、そんなことでしょうね。

はい。

029 救済法については、どうですか。

よく覚えておりませんけれども、救済法についても、まあいろいろと在任当時は幾つか業務にあたって見せていただいておると思います。

乙第56号証を示す

030 昭和45年の官報なんですが、厚生省が救済法についてどんなことで作ったかと、どんな趣旨であるかということを簡単に説明しているんですけれども、戦後の大きな日本の産業の発達によってひずみが出てしまったと、そのために思わず公害事件が起こり、その被害に遭っている人たちがいると、それを救済するためにこういう法律ができているんだというふうに説明されておりますが、そんなふうに証人自身も理解されていましたね。

そのように思います。

031 それで、救済としての目標としては、迅速かつ円滑な公害事件の解決及び救済ということが主眼であるというふうに御理解されていましたね。

はい。

032 補償法も、補償という問題が出ますけれども、本旨としてはほとんど変わらないというふうに思われておられましたか。

よく分かりませんが、大体そういうことであったと思います。

033 それから、水俣病には通知が随分出ているんですが、昭和45年の環境庁の裁決、それから46年のそれに対する次官通知、または52年の後天性水俣病の判断に関する通知、それから昭和60年、このあたりはずっと主尋問でも出ておりましたけれども、医学専門家会議の意見など、いわゆる基準というものを定めたような通知等は随分出されておりましたね。

はい。

034 在任中当時は、これらもむろんくわしく御存じだったですね。

くわしくかどうかは分かりませんが、業務推進上、まあ微力ながら一生懸命見ておったのは覚えております。

035 今私が述べたものには、当然在任していないものがずっと含まれておりますけれども、次長ないしは部長に就任するにあたりましては、それまでの水俣病に対する県行政のことについては、引継ぎ及び理解をされましたね。

はい、業務を、新しく次長に就任するときも、引継ぎはあったと思いますけど、よく覚えておりません。

036 通常であればむろん引継ぎがあって、熊本県というのは歴史的にどんなことをやっていたかということを認識されるのが、官庁の通例でございますよね。

はい。

037 通例に変わったような、特別変わったような就任の仕方というのは、証人自身はされませんでしたよね。

よく覚えていませんが、多分引継ぎを頂いて、どういう形かあったと思います。

038 記憶を喚起するために、たとえば44年の旧公害健康被害の救済に関する特別措置法の3条などは、大気の汚染または水質の汚濁の影響によるものである旨の認定を行うといって、認定業務の規定がここにあったんですよね。認定業務というのは、そういった法律に基づいてなされてきたんですよね。

はい、そうでございます。

039 たとえば46年の通知ってさっき私は申し上げましたけれども、そこにも公害にかかわる健康被害の迅速な救済を目的としているというふうなことで、迅速ということ、それからまあ公正というんでしょうかね、適正かつ迅速に被害者を救済しなさいということが、しばしばこういった法令に出てきておりますね。

よく覚えていませんが、そうだと思います。

乙第55号証を示す

040 たとえば、昭和53年、1978年の水俣病の認定に係る業務の促進についてという環境庁次官通知があるんですが、被害者の迅速かつ公正な保護を図るためなお一層努力しなければならないとなっておりますけれども、そんなことも、このようにたびたびの迅速かっ公正な認定ということの要請は、政府からも、厚生省、環境庁からもあったことは御存じですね。

はい、あったと思います。

041 ところで、水俣病が発生以来半世紀を越えるわけですけれども、実際に熊本県で長いお仕事をされまして、水俣病に対して国と県との責任というものは、証人自身はどんなふうに考えられますか、あまりくわしくなくて結構ですけれど。

なかなか難しいお尋ねですけれども、まあ行政として何をなすべきであったかというのが問われておると、いつも思っておりました。

042 不知火海全域が汚染されたり、あるいは万という数の被害者が出るということ自身は、熊本県としては痛恨の痛みでしょうね。

それは、はい、そうです。

043 直接の原因というものはチッソの工場にあるとは思いますけれども、第3次水俣病訴訟の熊本地裁の判決や、あるいは昨年の10月の関西の水俣病判決、最高裁判決等で、国と県の行政責任が問われたことは御存じですか。

はい、特に最近の最高裁の判決は報道で見て、新聞で見ておりますので、くわしくは分かりませんが、概要は大体存じております。

044 それからもう一つ以前から言われていることは、初期の熊本県の被害調査が不十分だったんではないかということなんですが、証人自身ではないんですけれども、以前の熊本県、初期の熊本県の調査に関する手落ちというのはどんなふうに考えられますか。

私が公害行政にタッチする以前の問題ですので、よく分かりません。

045 しかも、チッソの工場長が刑事責任を問われるということが、行政地域でそういう事件が起こったということも、やはり大変残念なことでしょうね。

そうだと思います。

046 チッソに対しての熊本県の監視というんでしょうか、指導が、これまでなされた以上になされたならば、未然に防げるのではなかったかというふうに、いわゆる関西の最高裁判決等をお読みになって思いませんか。

裁判ではそういう指摘があると思います。

047 一部には、水俣病がこんなに広がってしまったのは通常の食品中毒事件として扱えばよかったんじゃないかという学者ないしは研究家の指摘があるんですが,証人自身はこういうような意見を御存じですか。

いいえ、よく分かりません。

048 それでは、それらの方々が言うのは、魚を食べて体を悪くするということは、正に通常の食品中毒なのであるから、食品中毒事件として現在も扱うべきなんだというふうに御指摘があるんですけれども、証人自身としてはどう思われますか。

よく分かりません。

049 在任中に、食品中毒の問題というのは一時出たこともあるんですが、在任中に食品中毒として扱うか扱わないかということを、そういう事件というか検討がなされたということは御記憶ありませんか。

私が部長に就任してからはあまりなかったと思いますが、前にあったという話は聞いたことがあると思います。

050 それでは今言った判決等で指摘された国、県の責任を前提としてこれから具体的なお話を聞いてまいりますが、証人は特に司法、裁判の問題を担当されていたということでしたね。

はい。

051 で、権限としては、環境生活部というふうに平成9年から名前が変わっておりますけれども、環境公害部がやっていたこととほとんど変わりありませんよね。

多分そうだと思います。

052 司法担当というと、具体的な仕事としてはどんなことをされるんですか。

当時全国の幾つかの箇所で裁判が行われておりましたので、その事務を主として担当しておりました。

053 事務といいますと、具体的にはその訴訟がどんなふうに展開されているかということを、よく観察していなければならないですよね。

はい。

054 それはなさっていたわけですよね。

ええ、ある程度は見えていたと思いますが、あまり自信がございません。

055 それ以上に、その訴訟をどういうふうに持っていこうか、何を目標としようかとか、どういうふうに攻防しようかというようなことも、検討はされていたんですか。される職務にあったんですか。

職務の内容としてはあったと思いますけど、そこまでやれたかどうか、はっきり覚えておりません。

056 そうすると、職務の中には当然それが入っていたと思うんですけれども、もし具体的にそれを検討されるとすると、どんな方々と検討されるんですか。そのときによって違うんでしょうが、たとえば県知事と訴訟について協議するというようなこともあったんですか。

それは、必要に応じてそういう場面はあったと思います。

057 それから、たとえば今日の法廷でも、あなたの右側に県知事の代理人がおられますけれども、そういった裁判に代理人として出られる職務の方々とも協議をしたことがありますか。

私の在任中は、私自身はあまり協議しておりませんでした。

058 じゃあ、やっぱり時と場合によってはやることもあったと。

それはあったと思います。

059 まあ重大局面とかね。

はい。

06O そうしますと、特に証人自身の記憶に残る事件として幾つかの事件があると思うんですが、92年から94年ぐらいにかけて問題になっていたYさんの事件というのは覚えていらっしゃいますか。

いえ、よく覚えておりませんが。

061 それでは行政訴訟で御手洗さんという方の訴訟が熊本地裁、福岡高裁でされておりましたけれども、御記憶ありますか。

あったかなかったか、よく記憶しておりません。

062 Mさんの3回の認定申請の棄却という特別な事件があるんですが、これは覚えていらっしゃいますか。

お名前は覚えていますが、内容はよく覚えていません。

063あとは,行政の不作為ですね,不作為裁判と待たせ賃裁判があったと思うんですが、これはやっぱり御記憶あるでしょうね。

待たせ賃裁判については記憶しております、中身はもう分かりませんけれども。

064 こんな事件が在任中に何らかの関係で重なっているんですけれども、それらの裁判について、県知事と協議をしたり、または証人本人がお考えになったりしていたんですね。

重要な内容については協議を申し上げておったと思います。

065 さらに、その準備書面というんですが、裁判の攻防をするときに、まあ書面を作って裁判所に出すんですが、そんな書面を出すことの策定にも関与されたことはありますか。

それはほとんど関与していませんが、準備書面の分厚いものを担当課長から見せられたり話を聞いたりしたことはございました。

066 こんな訴訟担当をやっておられて、どんな目標というんですか、どんなことを獲得目標としながらお仕事をされていたんですか。

獲得とおっしゃいますと。

067 獲得というのは、何を実現したい。

私が部長になりましてから、先般も申し上げたかと思いますが、裁判が長期化しておりまして、原告の皆さんの高齢化もいろいろ話題になっておりましたから、できるだけ話し合いで解決できないかということで、それにかなり時間を割かれた記憶がございます。

068 それでは具体的な話に入りますけれども、証人自身が覚えておられる待たせ賃の裁判、それに先立つことの不作為違法確認の裁判というのがあったんですけれども、要するに認定があまりに遅れているではないかという裁判で、熊本地裁で被害者側が勝ちまして確定したという裁判があるんですが、こう いった裁判で、裁判所は県知事に対してどんなふうに要請されていたか覚えていらっしゃいますか。

今のお話のそのことは私が、多分、部長就任前ではないかと思うんですが。

069 ええ、不作為自身はですね。

はい、よく覚えていません。

070 ただこの裁判は基本的には本件裁判とは非常に似ていて、認定があまりに遅れているんだということに対して、裁判所が県の行政というのは違法なんですよというふうに判断したというのは覚えていらっしゃるんではありませんか。

そういう内容の裁判で判決があったということは、確かあったと思います。

071 そういう裁判があったときに、証人自身あるいは県知事ないしはまあ県全体として、今後その判決に対してどのように取り組もうかというような、まあ協議会というんでしょうかね、検討会というのは、定例的には開かれていなかったんですか。

私のときあったかどうかは、よく記憶しておりません。多分なかったと思います。

072 じゃあ特別、まあ判決が出て、勝っても負けても、特別それに対して全員の知能を集めて検討するということではなくして。

それは、判決が出たら協議はですね、しとったと思いますが。よく記憶していませんけれども。

073 じゃあ協議の内容は忘れたとしても、協議をすることが定まっていたんですか。それとも、ある裁判については協議をしたけれども、ある裁判についてはしなかったでしょうねという、そんな感じなんですか。

定まっていたかどうかちょっと記憶にないんですが、判決が出れば協議はしとったことは記憶しております。

甲第23号証を示す

074 これは平成11年1月19日の朝日新聞で、Yさん、まあY氏事件とも呼ばれる事件なんですが、大きく報道されたんですが、覚えていらっしゃいませんか。

あまりよくは覚えていませんが、かすかに、まあ頭にあるかもしれません。

075 どんな事件だったか、今は記憶だけでいいんですけれども、内容は覚えていませんか。

内容はよく覚えていませんが、この新聞で見てある程度までということで、はい、記憶がございません。

076 証人はお読みになったのは毎日新聞か熊本日々新聞かよく分かりませんけれども、この平成11年1月ぐらいに、自分がやったことについて新聞で大きく報道されたというショックがあったということは覚えていないんですね。

いえ、それはかなりやっぱり、携わっていたものに関連する記事ですので、そのときはいろいろあったと思います。

077 あったと思う。

記憶はよくしていませんけれども。

078 それで、その事件は環境庁で熊本県の棄却、Yさんの認定が棄却されて、行政不服をやって、環境庁としてはもう認めるという方向で裁決を決めていたにもかかわらず、証人が環境庁と交渉して、どうかそれを延ばしてほしいということを強烈に言った事件なんですが、覚えていないですか。

はい、申し訳ありませんが、よくは覚えていません。

甲第75号証を示す

079 この書面の右側に「文書30」と書いてあって、「H6.6.3」と書いてあるんですが、証人自身はこの文章の記憶はありませんか、部長発言骨子という文書なんですが。

はい、こういうことを申し上げたかどうか、よく覚えていないんですけれども。

080 ここに部長発言骨子といって平成6年6月3日ということであれば、この部長というのはまず証人自身のことなんでしょうね。

はい、就任してすぐでございます。

081 それでは証人自身は、熊本県が棄却した患者を、環境庁が行政不服で認めようとする事件に対して、環境庁に申入れをしたということ自身も覚えていらっしゃいませんか。

申入れは、まあいろんな業務をたくさん行っておりましたので、環境庁にはいろんなことを注文していきましたから、あるいはしとるかもしれませんがよく覚えていません。

082 じゃあ記憶を柔らかくするために、在職中どんなことを環境庁に申入れなどをされていましたか。

主として一番鮮明に残っていますのは、話し合い解決による見解が違っておりましたので、そういうことについての理解を求める問題について、それからほかの水質保全の問題、それからこの水俣病関係でもいろんなことを、お願いしたり協議したりしたと思います。

083 かなり抽象的なんですが、そういうのに対して環境庁の方の対応というのはどんな対応だったんですか。まあそれぞれによって違うとは思いますがね。

まあ事柄によると思いますが、よく覚えていませんが、たとえば話し合い解決なんかでは真っ向から考え方が違っておりましたので、非常に苦心を致しました記憶がございます。

084 真っ向から意見が違うというのは、県はどんな意見で環境庁はどんな意見だったんですか。

県の方はできるだけ幅広くということで考えておりましたら、まあ認定業務が基本でございましたので、そういった環境庁の方としては原則がなかなか曲げられないというような感じがあったかと思います。よく覚えておりません。

085 そうすると、証人自身の記憶だと、県は広く、しかし環境庁の方は狭く認定すると、そんなふうな方向で意見が真っ向から対立したということですか。

最初の方はそういうこともあったと思いますが、後で、広く、まあこちらの意見をくみ取っていただいたと思っています。

甲第77号証の1ぺ一ジを示す

086 何か覚えていることはありませんか。

・・・・・。

087 覚えていなければ、ないで結構ですよ。

はい、すぐにはちょっと読み敢れませんので。

甲第77号証の2ぺ一ジを示す

088 2ぺ一ジ目で、冒頭に「部長」と書いてあって、この右側には「H6.6.9」というから、この部長も証人自身でしょうね。

はい。

089 県といたしまして、水俣病問題の早期解決を図るため、現在、水俣病対策に取り組んでおりますので、何とぞ、取消裁決を見送って頂きたいということが冒頭に述べられているんです。まずこれだけの体裁を整えていると、勝手にだれが作ったという書類ではありませんよね。

はい。

090 したがって、記憶がないかもしれないけれども、通常であればこれは証人自身が発言したことだろうなと思われますね。

記録でございますから、そうだと思います。

091 それを前提にしてお聞きしますからね。もしその前提が崩れればまた別なんですけれども。そもそもこれは処分庁が審査庁に対して申入れをするという形になっているんですが、こういうようなことはできるんですか。通常なんですか。

分かりません、できるかどうか。実際はやっているんだと思いますけど。

092 そうすると、ここでやっている以上は、ほかのそういった同じようなケースでもやっていたかもしれないと。

はい、それは分かりません。あったかもしれません。

093 取消裁決を見送っていただきたいというのはかなり重大なことだと思うんですが,さっきの2行目なんですよ、全然思い出せませんか。

取消裁決は環境庁の権限でございますので、どういう意味で申し上げたかはちょっと記憶にございません。

094 だから、本来は取消裁決は環境庁の権限だから、処分庁がそれに不満に言うということはできないわけですよね。

それは、まあそうだったと思います。

095 そこを曲げてお願いした、こういうことでしょうかね。

言っておればそうだと思います。

096 それで、なぜこういうようなその取消しをしてほしいのかといえば、その1ページ、2ぺ一ジにわたって、これを認めてしまうと大きな事が起こってしまうんだと、だから少なくとも3年後の水俣病解決の方向が見えてからにしてほしいというふうなことを必死に言っているんですが、覚えていらっしゃ いませんか。

はい、よく覚えておりません。

097 もしこれが事実だとすれば、認定を求めて早く自分の救済をしてもらいたいという申請者にとっては、ひどいことでしょうね、これはね。3年延ばしてくれというのは。

はい、それは。

甲第25号証を示す

098 復命書と書いてある文書なんですが、このY,Aの裁決に関する問題点についてということで、発言者の氏名は伏せてあるんですけれども、ずっと部長と課長等々が協議をしている内容が書かれているんですが、御記憶ありませんか,やはり。

・・・・・

099 なければないということで結構です。私が記憶を喚起するためにお尋ねしますがね。

はい、よく覚えておりません。

100 じゃあないということで、ちょっとだけ記憶を喚起しますが、1ぺ一ジにはなぜ延ばしてほしいかと言えば、感覚障害がない事例を認定すると病像論が崩れて収束に向かいかけている現在の体制全般に悪い影響を与えるからなんだという発言が述べられているんですが。

はい。

101 このような発言というのも覚えていらっしゃらないんですね。

・・・この場でしたかどうかは、よく記憶がございません。

102 今から考えてみますと、主尋問でおっしやったように、当時証人自身は全体の解決ということで、後に政府解決となる全体のまあ和解案というんですか、解決案に向かって、一生懸命努力されていたので、このような発言をされるということは、その目的を達成するためには特別理に外れているとは思わないんですが、今ここに私が指摘しまして、証人自身としてはどんなふうに思われますか。

どちらともちょっと。

103 分からない。

はい。

104 それじゃあ2枚目の上から1行目で、多分県側が、前のぺ一ジから病変部位のこととか水銀の沈着がないとかいろいろ疑問があるんだというふうに異議を述べておられるのに対して、環境庁の方としては、「あなた方は医学の専門家ではないのだから、そんなことまで詰めて考える必要はない。そんなことは専門家が学問上のこととしてやることだ。鑑定の結果と、それを受けて行う判断に直接には関係はない。」というふうに反論されているんですが、いわゆる環境庁から証人自身とか県の方が水俣の病像とか水俣の症状について述べられて、厳しく棄境庁の方からしかられたという思い出はありませんか。

ちょっと思い出せません。

105 それから数行下の方に、「だからそういう認定例が増えると病像論に影響を及ぼして困る。」と、「不服審査でそんなことをしてもらっては大変なことになる。」という発言をなされているんですが、これも覚えていらっしゃいませんね。

はい、かなりこれは専門的になるでしょうから。

106 しかしこの文言だけ読みますと、認定の病像論が影響を及ぼされてしまうと困るというのは、やはり全体の解決、まあ政府解決策というものができなくなってしまうからだというふうに読めませんか。ようやく落ち着いてきたところに、新しく病像が広がって、そういう方々が出てくると患者さん側の方が、まあ騒ぐと、後ほどまたそういう発言があるところをお示ししますけれども。だから今のところはともかく3年間だけは、政府解決策の方向が確定するまで待ってくれというふうにおっしゃっていたと。

まあどういう理由か分かりませんが、そういう、要するに解決策の方に一生懸命になっていましたから、言ったかどうかは分かりませんけど、いろんなことを申し上げて解決策の方をまず方向付けしたいという気持ちはあったかもしれません。

107 だから今読んでみると、記憶はないけれど、こういう文章を読んでも、さほど当時の自分の気持ちと反しているとも思えないと、こういうことでしょうね。

・・・・・。

甲第25号証の159ぺ一ジを示す

108 このようなことを聞いた方が、一番下から4行目,「ただし、個人的意見では、県審査課の幹部は何が何でも取消しを阻止したいという考えで固まっており、これは殆ど狂信的感情論のようにも見え、論理的議論が通ずる状態ではない。交渉当事者としての能力を失っていると考えるので、一切の交渉を断って裁決を進めるという選択も考えるべきである。」というふうに述べられているので、これはかなり激しくですね、県側も激しいという、これ以上激しい言葉はないほど県側の姿勢が否定されているのは、意味としては分かりますね。

分かります、これは。

109 このような文書は、昨日今日出た文書じゃないんですが、証人自身として、こういうふうな重大な文書をお読みになったという思い出はないんですか。

見たかもしれませんけど、よく覚えていません、今は。

110 さらにこのYさんのケースはひどいことで、いったん、あまり時間がかかるので、申請を取り下げているんですよ。で、しかも環境庁の中で行われている、まあ環境庁なり県の中で行われている手続なものですから、Yさんはこのようなことは当時は全く知らなくて、朝日新聞のスクープによって表に出たと、覚えていませんか。

被告代理人(佐竹)

111 先程からYさんの事件のことを聞かれているんですが、本件との関連性を明らかにして尋問をしていただきたいと思いますが。

裁判長

112 反論をどうぞ。

原告代理人(山口)

113 御本人が当時の水俣病の認定問題についてどういう姿勢を持っていたかということを、直接本件だけではなくして、周辺事実からお聞きしているわけです。

被告代理人(佐竹)

114 ただまあ本件はいわゆる未検診死亡者の患者である溝ロチエさんのことが問題になっておりますし、いわゆる医療機関調査の実施方法等について問題になっていますが、このY氏もそういうことが問題になっていたんでしょうか。

原告代理人(山口)

115 ええ、遅滞していたのは十分遅滞しておりまして、私の方の主張は、なぜ関連性があるかというのは、これまでの私どもの準備書面を読んでいただければ一貫して主張しているところでございますし、この事件のことについても準備書面がくわしく主張しております。

被告代理人(佐竹)

116 前提としてY氏はいわゆる未検診死亡者の方でしたか。

原告代理人(山口)

117 違います。ただし未認定の死亡者です。

被告代理人(佐竹)

118 未検診死亡者の方ではないと。

原告代理人(山口)

119 はい。

被告代理人(佐竹)

120 それから、医療機関調査のことが何か問題になったんでしょうか。

原告代理人(山口)

121 医療機関の調査以前の問題なんです、これは。もっとひどい話なんです。

被告代理人(佐竹)

122 本件との関連で、単に本件では期間が経過したということではなくて、医療機関調査の実施方法ですとか、未検診死亡者の方の認定業務のあり方というのが争点になっていると思われるんですが、それとこのY氏のケースが、未検診死亡者の方でもありませんし、医療機関調査の点が問題にされているのでもないのに、なぜ関連するのかということは明らかにしていただきたい。

原告代理人(山口)

123 それはだからあなたが水俣病の認定制度について御存じないからでありまして、なぜ時間がかかっていたかということの根拠としてこのような事実がある、いわゆる県側の当時の認定制度の運用としてこういう事実があるんだということにおいて、本件と直接的関係があるんです。よろしいですか。

被告代理人(佐竹)

124 先生の主張としては分かりましたので、ただ被告としては関連性に疑問があるということは意見を申し上げさせていただきたいと思います。

裁判長

125 はい。どうぞ。

原告代理人(山口)

126 それでは話を変えまして、やはり同じように、多分証人自身が担当されていたと思う事件なんですが、熊本県、鹿児鳥県で認定を棄却された方が行攻不服をやり、かつ行政訴訟の取消訴訟をやった事件というのは、全く覚えていませんか。

取消訴訟という言葉は覚えています。

127 御手洗さんとか渕上さんという名前は覚えていませんか。

はい、お名前はちょっと。

128 福岡高裁のところで、政府解決策の問題が出て、4人の原告中3人が取り下げたという事件なんですが、それも覚えていらっしゃいませんか。

よく覚えていません。

129 行政訴訟で、熊本地裁、今の事件なんですが、県側が負けたということも、今は覚えていないんですね。

何かそういうことがあったことは記憶にあります、負けたというのはですね。

130 負けたらしいと。

はい。

131 その訴訟の中で、祖父江さんという専門家会議の意見の座長になった方が、証人としてお出になっていて、52年の判断条件について正しいという意見を医師専門家が出したんだけれども、座長である自分自身は何も分からなかったというような証言をしているんですが、そんなことも覚えていらっしゃいませんか。

はい、それは知りません。

132 では次に、名前だけ覚えていらっしゃるMさんの裁決の問題に移りますが、この方は76年に認定申請をされて、92年に環境庁で取消しの裁決を受け、それに従わずに県がまた棄却したために、最後には96年12月に取消しの裁決を受けたと。だから都合3回熊本県が同一人に対して棄却をし、最後には環境庁の取消裁決を受けたために、やむを得ず96年に認定したというケースなんですが、これは覚えていらっしゃいませんか。

名前はかすかに覚えております。

甲第72号証を示す

133 この新聞を見ても、特別な思い出はないんですね。

はい、この紙面で特別な思いということではございませんが、棄却処分の取消しがあったということはかすかに覚えています。

134 環境庁でね。

はい。

135 そうすると、まあ自分たちというんでしょうかね、熊本県がやってきたことについて、環境庁で否定されたということがあったなという思い出があるわけですね。

はい、それはかすかにございます。

136 この新聞記事の中にも入っていますけれども、水俣病の2次訴訟、控訴審で、いわゆる熊本県の支持しているところの52年の判断条件というのが、実際の被害の人々を鑑別するためには狭すぎるんだと、これも同じような問題が、このMさんの件にもあるんじゃないかというふうに指摘されているんですが、そのあたりのMさんの環境庁での取消裁決があった後、熊本県での協議というものは覚えていらっしゃいませんか。

被告代理人(佐竹)

137 先生、取消裁決は、1回目と2回目がありますので、どちらかというのを。

原告代理人(山口)

138 最後のでございます。96年の取消裁決でございます。

96年は平成何年ですか。

139 96年は平成8年です。だからもうぎりぎりのところですね、公害部長として。

今お尋ねの件ということですか。

140 はい、公害部長のときに、このように3回も棄却して、環境庁と手続をやりとりしている間に、県の方で特別な協議というものをした思い出はないんでしようか。

被告代理人(佐竹)

141 先生、証人は部長としては平成8年3月までの在任ですので、平成8年12月の裁決の時点では部長在任中ではないので、そういうことを前提に質問していただきたいと思います。

原告代理人(山口)

142 はい。ですから棄却さらに、1回目の92年の取消裁決に対して、93年に棄却をされ、さらに93年に異議申立をされて、93年には審査請求を受けているという、そういうことなので,証人自身の在任中にこの問題はかなり大きく県の認定行政の根幹を問われている問題だと思うんですが、御記憶がないんですね。

いえ、よく記憶していないだけで,そういうことでちょっといろいろ協議をしたなというふうに、今思い出しております。

143 今も被告側の代理人がおっしゃったように、2回目の裁決自身は証人が部長をおやめになった96年の12月なんですね。3月まで部長になっていて、12月になっているんですけれども、そのあたりのことについて、このような再び自分の部長時代の問題が取消裁決を受けたなという、こういうふうなことはその役職をやめてしまえばもう一切関係ないんですか。それともやっぱり報告とか引継ぎとか、そういうことがあるんでしょうか。

それは自分の方から聞きに行くと思います。

144 聞きに行く。

はい、行ったかどうか分かりませんけど、それはもう当然行くと思います。

145 証人自身が興味があれば当然聞きに行っていただろうと、そういう話ですね。

はい。

146 行ったか行かないかにっいて今記憶がないから、どんな感想を持ったかも記憶がないと。

はい、重要な事項としてはやっぱり項目は記憶しているわけでありますから、転任しても、それは一応聞いたんだろうと思いますけど。記憶にはございません。

147 結論としては、上級庁で3度も熊本県が棄却した問題について、やっぱり水俣病の患者さんだったというふうに認められたということは、熊本県のやり方としてはやはり残念なことなんでしょうね。

残念なことだと思います。

148 そうすると、先ほど言ったように、環境庁が狭くて熊本県が広いというのと、このケースにおいては逆のような気がするんですがね、認定の幅がね。熊本県はどうも狭くて、環境庁の方は広い場合もあったんじゃないんですか。

先ほど申し上げましたそれは、政府解決策にあたってのことでございましたので、まあ基本的には同じじゃないかと思うんですけれども。

149 基本的には同じだったのが、こういうふうに3回の棄却と2回の取消しというのはあり得ないんだろうと思うんですがね。

まあ医学的にどのような判断がなされたのか、よく私には分かりませんけれども、非常に残念なことだと思ったと思います。

150 中公審の議事において、いろいろな水俣病の認定の問題が協議されていたと思うんですが、中公審というのは、証人が在籍中にはどんなふうな機関だというふうに認識されていましたか。

それはよく分かりません。

151 中央公害対策審議会に熊本県の審査委員が行って、やはり協議を続けていたというようなことは認識されているんですか、されていないんですか。

いや、認識しておりません。いつごろでございますか、それは。

152 在任中で結構なんですが。

それはよく記憶がございません。

153 で、証人自身が中公審に出ていってレクチャーをするというようなことがあったんじゃありませんか。

それはないと思います。私自身はないと思います。

154 じゃあ、あなたの部下でもよろしいんですけれども、中公審に出ていってヒアリングをするというようなことがあったかどうかはどうですか。

それはよく覚えておりません、どちらか。

155 ただ中公審というのは、水俣病においては水俣病の認定の枠とか限界とか、水俣病像を定めるところとしてかなり重要な役割を持っているという認識はあったでしょう。

はい、ございます。

156 中公審の審議が非常に医学的にでなくて政治的だったというふうな分析がなされたということは、証人が在籍中ないしは在籍後でも記憶はありませんか。

それは分かりません。

157 全く分からない。

はい。

158 そうすると、じゃあ在任までに限って言いますが、在任中に中公審の問題点が指摘されたということは、記憶にないんですか。

はい、よく分かりません。

159 証人の前任の部長というのは魚住さんでしたよね。

はい。

160 魚住さんが中公審の方に、しきりと部長在任中に出かけていったということは覚えていらっしゃいませんか。

よく分かりません。

甲第86号証の1ぺ一ジを示す

161 表記としては、第7回中央公害対策審議会環境保健部会水俣病問題専門委員会議事速記録(平成3年10月29日開催)とあるんですが、その1ぺ一ジ目の一番下に、「それでは先生方にお声をかけたと思いますが、今日午前中に出られる方だけ集まっていただきまして、熊本県からヒアリングを行いましたので、その内容について事務局から御説明を頂ければありがたいと思います。」というふうに井形委員長が言っているんですが、これは、この期間から言いますと、魚住さんということになるんでしょうかね、部長さんというと。

これは全く分かりません。

甲第86号証の3ぺ一ジを示す

162 3ぺ一ジの下の欄で矢印が付いておりますけれども、和解協議の中で、「県としてはこの問題はあくまでも紛争解決ということで考えており、水俣病かどうかという問題を棚上げにしているという前提ですので」というふうに部長さんがヒアリングをしたというふうに書いてあるんですが、当時魚住さんと次長であられた証人自身は、和解についての方向としてお話をされていたと思うんですが、やはりこのような考え方で当時政府解決策に向かって御努力されていたんですか。

被告代理人(佐竹)

163 少し前提確認ですが、この発言が部長であるというのは、どこに記載があるんでしょうか、事務局としかないんですが。

原告代理人(山口)

164 今言ったように、甲86号証の1ぺ一ジ目で、その熊本県のヒアリングを行って、その説明をしたということと、もう一つ、この部長自身の報告書があるんです。甲74号証です。これは同じ趣旨のことが語られていて、甲74号証は環境公害部長発言骨子というふうになっております。

被告代理人(佐竹)

165 この甲74の発言と甲86の事務局の説明が同一であるという根拠は何になりますか。

原告代理人(山口)

166 同一であるという根拠。

被告代理人(佐竹)

167 甲86で事務局の発言項目がございますが、甲86では事務局としか記載がなく、部長という記載がないんですが、先生が御指摘の甲74の部長発言骨子と甲86の事務局の発言の関係なんですけれども、これはどこを見ればそれが分かるんですか。

原告代理人(山口)

168 これはだからあなたが、私が最近出した証拠だから仕方がないかもしれませんが、2ぺ一ジ目の冒頭、で、あなたの言っている事務局というのはお間違えになっていて、事務局から説明をしていただきますということなんですよ。それで、事務局は本日11時から12時ぐらいまでにかけまして、熊本県環境公害部長に来ていただきまして、熊本県の実情についてお聞きしているところでございますということがあって、報告書が甲74号証書面と、こういうことなんです。御理解いただけましたか。部長の説明を事務局がこれからするという趣旨になっています。2ぺ一ジの冒頭です。

被告代理人(佐竹)

169 事務局というのは、当然部長の発言を踏まえて事務局から発言しているということですね。

原告代理人(山口)

170 説明したと書いてあります。

被告代理人(佐竹)

171 だから甲86号証の発言自体は事務局ですから、部長本人ではないということでよろしいわけですね。

原告代理人(山口)

172 よろしいですよ。ただあなたが一番最初の私に対する質間というのは、なぜその事務局の説明が部長と言えるのかとおっしゃったので、ここにちゃんと事務局が言っているじゃないですかということです。

被告代理人(佐竹)

173 なるほど、失礼いたしました。2ぺ一ジの上に書いてある記載があるということですね。

原告代理人(山口)

174 そういうことですね。で、元に戻ります。甲74号証の内容を部長に来ていただいてヒアリングをしているんですけれども、こういう趣旨の問題について、次長であるあなたと魚住さんがお話しになったことはありませんか。

いや、あまりよく覚えていません。

175 部長が中公委まで行くということになりますと、多分次長さんとも相談されるということが多いんでしょうね。

はい、事柄によると思います。

176 で、こんな事柄はどうですか、今問題になっているような事柄だと。

重要な事項と思いますが、記憶にないんです。

177 じゃあ話があってもおかしくはないと、あったかないかは分からないと、こんなところですね。

はい、あったかどうかは分かりません。

甲第86号証の3ぺ一ジを示す

178 3ぺ一ジの矢印の部分で、政府解決案に向かって、全体の解決案に向かって、部長も次長も努力されていたんだと思うんですが、その当時の解決案、和解救済上の水俣病という表現から始まりまして、解決案というのはこんなような方針ということで、こんなような方針というのは、「県としてはこの問題をあくまで紛争解決ということで考えており、水俣病かどうかという問題を棚上げにしているという前提ですので」というような方針で政府解決案に対しての御努カをされていたんですね。

争い事をできるだけ早く解決しようということはあったと思いますが、こういうことで統一しとったということはよく記憶しておりません。

179 おっしゃる意味は分かりました。当時魚住部長と証人自身がこのようなことで意思統一していたということについての記憶はないということは、それはそれで結構なんだけれど、今この文章をお読みになって、当時の証人自身のお気持ちと相反するのか反しないのかはどうですか。

棚上げという言葉はちょっと引っかかるんですけれども。

180 棚上げという言葉にちょっと引っかかる。

はい、そういうつもりで臨んだ覚えはないんですが。

181 そのような気持ちではなかったと。

はい、お互いに話し合いで譲歩し合ってまいりましょうということを前提にしていましたので。

甲第86号証の4ぺ一ジを示す

182 4ぺ一ジの真ん中あたりで事務局の部長の発言の説明が終わるんですが、この説明の終わる前に、「また10年、20年とこのまま続きますので、何らかの形で申請期限を設けることについて検討していただきたい」と。それで、証人自身も早く争いをやめて話し合いをつけた方がいいということであったから、この申請期限を設けるというようなことについては異議がなかったんですね。

これはよく思い出せません。

183 じゃあ今お考えになってどうですか、申請期限を設けるということについては。

今はもうよく分かりません。

184 あまり記憶がなくなっていますと、立場上ちょっとお聞きしたいんですけれども、証人がその1997年3月に県を退職されますと、地方公務員としての退職金というのはかなりもらえるもんなんですか。これは、あまりこれについてくわしく聞くつもりはないですけれど。

被告代理人(丸山)

185 関連性は全くないと思います。

原告代理人(山口)

186 いやいや、やっぱり自分の職務と対価というものは、これは県民の税金ですからね。

裁判長

187 あまり関係はないと思いますけれど。

原告代理人(山口)

188 じゃあ先に行きましょう。退職金はありましたよね。

ありました。

189 それから年金というのはどうなんですか。

あります。今はちょっとございませんけれど。

190 今はもらえないんですか。

はい。

191 この熊本県信用組合の理事長をやっておられるから。

はい、わずかしかございません。

192 じゃあ話が変わりまして、昭和63年11月に、荒木淑郎さん、井形昭弘さんと、熊本県の審査会の委員をやっていた方が、WHO、国際保健機構の水銀のクライテリア草案に対して反対の意見を述べるという研究をするために、研究費の要請をしたということがあるんですけれども、直接熊本県自身はかかわっていないんじゃないかとは思いますけれども、そんなふうなWHOのクライテリアに対しての反対意見を述べるということが、審査員の中で行われているというは認識されていましたか。

知りません。

193 証人は、政府解決策に対しての県政の努力としては、地域の繁栄というんでしょうかね、争いをなくして地域を復活させるというんでしょうか、ということを思っておられたということで、当時政治家とも、または患者団体とも、または患者団体の代理人弁護士ともたびたびお話をされていたというふうなことが主尋問でありましたけれど、そのとおりなんですね。

そのとおりでございます。

194 もう数えることはできないほど、お会いになっていたんでしょうね。

はい、大分お会いしました。

195 その主尋問のところで、チッソの方々にお会いしたという話が出ていなかったんですが、チッソの方々ともむろん会っていますね。

はい、会ったのは会ったと思いますが、ごくわずかです。少ないです。

196 当時チッソは、当然この水俣病の問題として大変な重圧になっていたのは認識されていますね。

それはチッソに聞いたことはございませんけど、当然そうだったろうと思います。

197 チッソに聞いたことはないですか。

それはそうだったろうと思います。

198 チッソに具体的に、今まで水俣病の対策費としてどのぐらい出したかというようなことをくわしくお聞きになるということは、当時なかったんですか。

和解によるチッソの負担でございますか。

199 ええ、そうです。

それはあの。

200 数字としてはっきり出ていたでしょう。

はい、数字としては出ています。

201 それが経営を極めてひっ迫させているということは、認識されていましたよね。

はい。

202 それで、県債の間題が出るんですよね。

はい。

203 県債というものは、これもまた証人にお聞きすれば一日でも二日でも語れるぐらいの御苦労があったと思うんですが、県債というのはどういう理由でどんな様子でできたものなんですか。

県債は借金でございますので、チッソに代わって県が発行を致しまして、そしてチッソにまあ貸付け、そういう流れになると思いますけど。

204 だから、チッソがもう水俣病の救済のお金というものは1社では無理になったので、県がその部分を貸し付けるということですね、簡単に言えば。

県債はそういうことになると思います。

205 証人自身が部長だったときに、チッソはどのぐらいのお金を水俣病のために支出していたか覚えていらっしゃいますか。

いいえ、それは,数字は覚えておりません。

206 県債は、部長の時代にはどのぐらいに上ったか覚えていらっしゃいますか。

政府解決策を入れてでしょうか、除いてでしょうか。

207 入れる前,政府解決策の前です。

入れる前でございますか。

208 覚えていなきゃあ覚えていないでいいですよ、まあ客観的な数字がありますから。

はい、かなりの数になっていたと思いますが、数字は覚えておりません。

209 何千億の単位ですか、何千億ってまあ1000億単位ということでいいですか。

よく覚えていません。それほどはなかったんではたいかと思います。

210 覚えていないですか。

はい、よく覚えておりません。

211 少なくとも構造としては、認定患者が増えるとチッソの支払額が増え、県債も多くなり、また県債に対する償還もなかなか難しくなるという構造にはなっていましたよね。

数字が大きくなれば、そうなると思います。

212 それではくわしいことはもう数字が客観的に出ておりますから、その問題については終わりにしまして、政府解決策についてお尋ねしますが、政府解決策は主尋間から証人自身が一生懸命おっしやっているように、地域生活の、地域杜会の生活の復活というんでしょうかね、商工業者も入れ、みんなが争いをやめて繁栄していくのがいいんじゃないかというふうに思われていたんですね。

はい。

213 その中にむろんチッソも入るわけですね。

ええ、もう地域全体でございます。

214 何回かは、ッソの方と、政府解決策へ向かっての御努力としてお会いになったというんですが、どんな内容のことをお話しになっていたんですか。

チッソとはどういうあれでお会いしたかよく覚えていませんが。むしろ患者団体の皆さんとそれから。

215 患者団体の皆さんと会ったのが記憶に。

はい、弁護士の皆さん、これが記億に一番残っています。

216 じゃあ、患者ないしは患者の代理人弁護士とお会いになったときには、どんなことが一番問題だったんですか。

どういう内容で和解するかということであったと思います。

217 まあ多分そうでしょうね。それ以外のことではないでしょうね。

はい。

218 患者の代理人弁護士さんたちと一緒に飲食をするというようなこともあったんですか。

弁護団の皆さんと。

219 そうです、弁護団の皆さんと。

それはあまりなかったです。ただコーヒー程度は飲んで協議をしておることはしょっちゅうありました。

220 それで解決策なんですが、くわしい内容はもうすっかり忘れていますか、それともある程度は説明できますか。

あんまりよく覚えていません。

221 じゃあその中で、団体加算金というのはありましたね。

はい、単語は覚えています。

222 これは簡単に言うとどんな制度であり、どういう目的のために払われたものなんですか。

私も最初は分かりませんでした、国の方から出てきましたもんですから。

223 国の案として。

はい、どういう性格かよく分かりません。団体に加算金としてですね、それぞれの団体に交付されるということは分かっていますけれども、どういう内容、どういう根拠でそれが出たのか、それは分かりません。

224 金額について、大体どのぐらいなのか、証人自身が本当に記憶がないのかあるのかを確かめるために、失礼ですがお聞きしますけれども、団体加算金というのはどの程度の金額のものだったんですか。それは団体によって違うんでしょうけれどね。

はい、総額30か40億ぐらいじゃなかった、よく分かりません。

225 まあ不確かだけれど、今記憶に残るとすれば、総額30か40億ぐらいというような、まあそんな巨額な単位だったということですね。

これははっきり分かりませんけど、強いて申し上げればそういうことかな、これは不正確かもしれません。

226 そういう大きなお金にもかかわらず、今はなぜそんなお金が支払われたのかはっきり思い出せないと、こういうことですか。

はい、正確にはよく分かりません。

227 水俣病のこの遅滞の問題が、今ずっと前提問題を聞いてきたんですけれども、水俣病の申請のまあ遅滞ですね、遅滞が非常にあったということはお認めになりますよね。

結果としてそういうふうに。

228 結果的にはね。

はい。

229 それで、それが無理からぬことであるかは今から聞きますけれどね、遅滞があったことはある。で、その遅滞の一つの大きな原因としては、水俣病の像、水俣病像すなわち認定の基準というものが非常に当時問題になったことは覚えていらっしゃいますね。

はい、認定の基準という、はい、それは。

230 常に水俣病像という問題とお金という問題が、この解決には付いて回ったことなんですよね。

お金が付いて回ったかどうかはよく分かりませんが、その病像としてはですね、しょっちゅう話題にしておりました。

231 証人自身は、水俣病の病像について、医学的な学習をするとか、くわしく医者に付いて勉強をするということはしていませんよね。

はい、それはやっていません。ただ一応、もう専門的なお話は聞いてもよく分かりませんが、骨格はこういうことだというのは聞いております。

232 したがつて、証人白身の水俣病像というのは、審査会の委員さんからお聞きになったことが原点になるんですね。

それもありますし、それから判断、環境庁が示した。

233 52年の判断条件ですね。

はい、そういうものだと思いますが。

234 したがって、もし教えてもらうとすれば、審査会のお医者さんたち、それから規則としてみれば52年の判断条件あるいは専門医師の意見というようなものが自分の頭にあっただろうと、こういうことですね。

はい、医学的な問題で、なかなかその辺は私は分かりにくいですが、それなりに知識は必要でございましたので、環境庁のその通知ですか、そういうものを見てはいたと思います。

235 証人のそういった水俣病の病像に対して、証人の在籍中に、原閏正純先生が本を出されて、感覚障害だけの水俣病があるというふうなことを、まあ一貫しておっしゃっておられましたけれども、特に御本を出されてしっかりとお書きになられているということは御記憶ありませんか。

本までは記憶はございませんが。

甲第61号証を示す

236 この本は覚えていらっしゃいませんか。

はい、覚えておりません。

237 原田正純先生という先生は、もう十分御存じですよね。

はい、それは。

238 直接にも何回も会っていらっしゃいますよね。

何回かはお会いしていると思います。

239 原田先生が感覚障害だけの水俣病というのは、もう昭和41年、1966年の第63回日本内科学会で決まっているんだということを常々おっしゃっていたのは覚えていらっしゃいませんか。

いいえ、それは覚えておりません。

240 椿教授が、知覚障害というもの、いわゆる感覚障害の問題で水俣病と認められるべきだというのに対して、その内科学会では、徳臣教授も同意されているというようなことがあったんですが、こういうふうなその感覚障害だけの水俣病があるかないかについて、証人は立場上研究されたと思うんですが、このこと自身は知りませんか、認識されていませんか。

はい、徳臣先生やもう一人、どなたでしたでしょうか。

241 徳臣先生と勝木先生。

それは存じ上げておりません。

242 このようなことを、原田先生とか椿先生が積極的におっしやったということについての認識はないんですね。

そういう御意見もおっしゃっていたような記憶がありますが、当時ですね、よく覚えておりません。

243 少なくともそういった意見に対して、厳密に熊本県で研究されるとか、証人自身が勉強するということはありませんでしたね。

はい、それはやっていないと思います。

244 証人自身の退職後のことなんですけれども、日本精神神経学会で1998年に、昭和52年の判断条件、いわゆる証人が一つの水俣病像を認識する基準としての判断条件を批判したり、あるいは99年に、1985年の医学専門家会議の意見というものに対して、徹底批判したというのは認識はありませんか。

いいえ、分かりません。

245 そうすると証人の在任中には、証人自身はもとより県の中でも、このような水俣病像が、感覚障害だけの水俣病像があるというふうなものを真剣になって議論されるということはなかったんですね。

まあ担当課でどういうふうにしていたか分かりませんけれど。

246 担当課。

はい、それは分かりませんけれども、専門家でございますので、私の段階ではそこまで医学的にくわしくですね、議論した記憶というのはあんまりございません。

247 そうすると、それらのことについては、審査会に任せっきりということなんですか。審査会と担当課。

基本的には審査会の運営は担当課に、まあ任せているわけじやありませんけど、やっていただいておりましたので。

248 そうすると、証人が部長だったときの担当課というと、何になるんですか、こういった水俣病像の問題について語るとすれば。

認定審査会を担当していました公害保健課になると思います。

249 ただ権限から言えば,そのような課についても部長としては総括しなければならない立場ではあったんですよね。

そのとおりです。

250 昨年の10月の関酉水俣病の最高裁判決でも、大阪高裁判決の病像論、病因論がそのまま認められておりますが、そのことにづいては御存じですか。

知っています。くわしくは知りませんけど。

251 今までの水俣病像とは違った判断がなされているという認識はあるんですね。

はい。

252 こういうようなより新しい水俣病像論をくわしく知らないままに、これまで認定についての棄却をしたり、総括をしてきたということにっいては、現時点ではかなり不安に思いませんか。

はい、申し訳ないと思っています。当時はしかし信じておりました。

253 しかし現在最高裁とか新しい知見が出てくるに及んでは、申し訳ないなという気持ちもあると、こういうことですか。

まあ立場、全く一個人の立場ですけど、それはそういうふうな感じは持っております。

254 随分やっぱり証人自身が当時思われていた水俣病像とは違いますか。

当時は多分病像の組合せ。

255 組合せですよね。

はい、でしたから。かなり違っている人もいます。

256そうですね。52年判断条件の一番特殊な、特殊というんですか、特徴というのは、組合せですもんね。

はい。

257 それが、証人自身が現在思うには、必ずしも組合せはいらないのかなというふうな思いがあるということですか。

いえ、それは司法で最高裁でそういう判断が出たということで、その出た事実を認識しておるということでございます。

甲第87号証を示す

258 証人が在任中の94年8月ごろに、証人自身がチッソ水俣病患者連合との交渉で、司法認定患者まで水俣病と言いがたいという発言をしたという報道の新聞なんですが。

被告代理人(佐竹)

259 ただ今の発言はこの記事によりますと、山崎公害保健課長がとなっていますが。

裁判長

260 そういう記載になっていますね。

原告代理人(山口)

261 失礼しました。じゃあ山崎勝彦公害保健課長がおっしゃられ、それについて証人自身は考えを整理した上でまた御相談したいというふうに述べたという一連の患者側との交渉経緯を御記憶ありますか。

ありません。

262 ありませんか。

はい、しかしここにあるんですから、あったんだと思いますが。

263 あるから、まあこういう経緯はあったんであろうと。

はい、と思います。記憶にはございませんけど。

264 そうすると、今からお考えになって、前にも環境庁でもかなり医学の問題については指摘を受けられ、またかつこれまで証人自身は水俣病について特別の勉強をされていないと言うにもかかわらず、このような自分の部下にお話をされたり、あるいは考え方を整理して話をするということが当時あったとすれば、これはその業務として当然のことなんですか。またはこういう司法の判断に対して、部長さんがおっしゃったとすれば、どんな理由というか根拠があっておっしゃったか御記憶ありますか。

まあ課長がこのような発言をしたのかどうかも、これを見て、まあしたんでしょうけれども、よく記憶はございませんで、いろんな交渉を川本さんたちとやらせていただいておりましたので、よく分かりません。

265 ただ、じゃあ今からの判断で結構なんですが、これはかなり重大な発言ですよね。

・・・・。

266 これまで、さっき申し上げたように、2次訴訟の控訴審判決の水俣病像でもあったように、水俣病像を巡って司法と行政との立場というのがいろいろあったんだろうと思うんですが、何か覚えていらっしゃることはありますか。

いえ、公健法上で仕事をしておりましたので、その水俣病像と、それから司法は司法でまたいろんな判決等も出ておったと思いますから、それはそれでですね、あったと思っておりますが。

267 司法と行政とは、それぞれが違った病像を持っていてもいいんじゃないかというふうに思っていたということですか。

いいえ、そこまでは。

268 行かない。

はい、一応公健法に基づきまして認定審査会で御判断いただいたものをべ一スに認定業務をやっておりましたので、それは業務という、まあ非常に狭い考えでございますが、考えておりましたから。

269 でも、この発言を見ますと、司法と明確に県の水俣病の病像というか、あるいは認定の枠が違うということは認識されますよね。

はい。

270 で、司法の方が広く認められて、行政の方が狭かったということも、これで読み取れますよね。

はい。その辺は難しい問題でよく分かりませんが、はい。

271 で、あなたは言下に山崎さんの発言を否定していないということになれば、別に山崎さんと意見が異なるということでもなかったわけでしょう。

はい、病像論であまり議論はしませんでしたので、意見が異なるということではなかったと思いますけれども。

272 しかし、これも昔のことでよく覚えていないと。

はい。

273 それでは印象があったという関西の水俣病における最高裁の判決について、県と国の行政責任が間われたということと、水俣病像が違う水俣病像を認められたような気がするということ以外に、何か特別関西水俣病で、その最高裁判決でお考えになったことはありますか、当時の自分のその業務と比較してみてというか、振り返ってみて。

まあ時代が変わったなというふうに思っています。

乙第51号証及び甲第73号証を示す

274 このように表になっておりますが、こんなふうな処分の遅滞者があったことは事実ですね。

はい、よく分かりませんが、これは数字、表でございますので、事実と思います。

275 たとえば、年によっては何十人単位から、最高は5200人ぐらいまでに上がっていったと、それであなたが部長の時代に、政府解決策のためか急に少なくなって処分されていったと、大体そんなことになっているんですが、まあ間違いないでしょう。

確かにまた数字でございますので。

276 そんな感じの印象はあるでしょうね。

はい。

甲第73号証の平成6年から平成8年の欄を示す

277 それで未処分者の滞留が1173人から8年には144人になっていると、そういうことですね。

はい。

278 証人が次長、部長に就く以前から、審査の滞留というのが非常に大きな間題になっていましたね。

はい。

279 これについての具体的な対策というのは、何だったんですか。

私が就任します前が、非常にごの認定申請と言いますか、が大きかったと思うんですよ、数がですね。それが処分促進ということで対応したと思いますが、私が部長に就任したときは大分もう数字が、先ほどの表で見ますと小さくなっておりますので、就任する以前の昭和60年。

280 昭和60年ぐらいでしょうかね、今表を見てみますと。

はい、その辺が多かったんだなと思います。

281 どんな対策をとられたか具体的に言えますか、その就任前の話。

それはほぼ私たちが対応したのとそう変わりないかもしれませんけど、当時どういう対応をされていたかは私は分かりません。

282 今おっしゃったあれですが、今日の冒頭の被告代理人の御質問で乙111号証等を見せられてお話しになったように、証人自身のときには、かなり積極的に認定の処理をされ、かつ政府解決策があったから、急に滞留が少なくなったという意識はあるんですね。

はい、それはそうだと思います。

283 それ以前のことについては、具体的な対応というのはあまり分からないですか。

はい、まあ一番先ほどの表で数が多かったその時代のことはですね、よく分かっておりません。

284 一般の申請者ではなくてその中で申請をしたけれども検診が終わらないままで死んでしまった人、未検診死亡者の問題というのも、証人が就任されるまでに大きな問題でしたね。

はい。

285 で、79年に、当時の沢田県知事が申請者死亡者66人を大量に一括で処理したということは覚えていらっしゃいますか。

いいえ、それはよく記憶していません。

286 それ以来、80年代に入りますと、ほとんど未検診死亡者がそのまま放置されていたということも御存じありませんか。

まあ放置されていたかは、かなりの未検診死亡者の数がですね、残っていたという記憶はございますが、その程度でございます。

287 そうしますと、この79年から証人の在任中までで、県知事というのは沢田さんと細川さんと福島さんと、こういうことになるんですか、歴代というと。

はい、そうです。

288 証人自身は福島さんにお仕えになったということになるんですか。

はい、そうです。水俣病関係にタッチしてからは福島知事です。

289 この3人の知事は、処分について何かそれぞれの違った特殊性がありましたか。

いえ、それは分かりません、私は。

290 ただ当時は引継ぎというんですか、認定制度の歴史は引き継いで講義は受けていたんでしょうね。

はい、それはあったと思います。

291 過去の正しい経緯が分からなければ、就任後の正しい業務はできませんね。

そのとおりです。

292 ただ今はもうすべて忘れてしまったと。

いや、その個々具体的なところまでですね、部長が引き継ぐ場合と課長が引き継ぐ場合とございますので、そこはそれぞれで、部の内容によってもですね、部が違っていたらまた違ってくるということでございますので、一律ではございません。

293 証人自身は、未検診死亡者の処理というのについては、どんなふうなお考えと具体的な方策をとられましたか。

よく覚えていませんが、処分促進の一環としてですね、取り組みはしたと思います。

294 それは、具体的にどんな方策をとったんですか。まあそういうことを促進しようという思いはあったことは分かりましたけれども、具体的に。一つはその民間カルテの収集ということに努力されたということですか。

それもあったと思います。

295 しかし、今はっきりは分からないですか。

はい、覚えていません。

296 それでは、今の点はそのままにして、民間カルテのことについてお聞きしますけれども、水俣病の認定の歴史の中で民問の診療録、簡単に私はカルテと申し上げますけれども、民問のカルテを使うかどうかについては、大きな議論があったことは覚えていらっしゃいますか。

はい、覚えています。

297 覚えていますね。

ええ、政府解決策で特に議論いたしましたので。

298 政府解決策で問題になったというのは,それ以前からずっとその問題が尾を引いていたということを御存じですね。

くわしくは分かりませんが、そういう話は聞いておりました。

299 で、あるときはやると言い、民間カルテを集めると言い、あるときはやらないと言い、またあるときはやると言うと、非常に転々としているという、まあ歴史ですよ、証人自身の時代じゃありませんけれども、過去にそういう歴史を繰り返してきたという意識はありませんか。

いいえ、それは、右に行ったり左に行ったりという記憶はございません。

300 その記憶がない。

はい。

301 じゃあ甲37号証で、水俣病の2次訴訟の控訴審で、環境庁の野津さんが証言されているんですけれども、停滞していることについては甲37号証の63と振ってあるところあたりで私が意訳いたしますけれども、知事は従って、更にその分からないということに対して、その何か分かる方法はないかということで、いろいろと資料を集めたりして、それをべ一スにして、処分するという、こういう形になってくると思います、そういう指導はなさったということですかと言うので、ええ、そういうことですと言うので、環境庁の方もいわゆる民間べ一スの、民間べ一スとあえて言わなくて、資料を多く集めなさいということを当初から言っていたようなんですが、在任中に同じように環境庁の方から、民間カルテを大いに活用せよというふうに言われた思い出はありませんか。

それはございません。和解のときは別として。

302 和解のときは別なんですが、ありませんというのは、記憶がないんですか、それとも環境庁から言われた思い出はないということですか。

忘れた、言われたかもしれませんが、記憶がないということでございます。

303 または、昭和52年の判断条件のときに、後天性水俣病の判断条件のときにも、広く資料を集めるようにというふうなことが規定されているんですが、それは御記憶がありますか。

あまりよく承知していませんでしたけど、後で分かりました。

304 85年あたりに、伊藤公害保健課長が県議会で民間カルテも参照したいというようなことを証言している歴史があるんですが、伊藤さんというのは御存じなんですか。

伊藤さんというのは、県の水俣の。

305 保健所長。

保健所長のことなら存じております。

306 あの保健所長は、その後公害保健課長になったということはありませんか。

それは分かりません。

307 しかしその後、89年12月ごろ、細川県知事は現在医療機関のカルテをどの程度収集するかどうか、活用するかについては、現在検討中だというような答弁もして、最初に私が申し上げたように、カルテについていろいろ県の対策が変わってきているんですが、その認識はございませんか。

はい、どう変わったかちょっと分かりません。

乙第111号証を示す

308 これは県側から出した資料なんですけれど、この乙111号証のWの未処分死亡者の対策の2番目として、病院調査についても積極的に行うことはしないというようなさっきの冒頭の主尋問でも言われたように、かなり消極的な意見が述べられていることは、今は読み敢れますね。

はい。これは、はい。

309 読めばそういう気がしますね。

はい。

乙第111号証の資料6の1枚目を示す

310 この中段あたりの問題点の中に、「認定者がかなり多くなることが考えられる。」と、それで申請時診断書を参考に過去どの程度の認定率になるかを検討した際には、8割近くが認定となったというような試算をされているというのですけれども、こんな試算をしていること自身を、就任したときに引継ぎとしては受けていませんか。

いません。これは分かりません。

乙第111号証の資料の6の4枚目を示す

311 その下の方に、処分方法を将来的にどうするかという考え方が、まとまらないうちは病院調査を実施することによって弊害が大きすぎるというような、これも県としてはこうした文書なんですけれども、あるんですけれども、こういったことも証人は在任中に引継事項としてはありませんか。

ございません。

312 そうすると証人の記憶としては、証人が就任する以前も、民間カルテの活用というのは非常に積極的になされていたと思いますか。

分かりません。

313 じゃあ民間カルテについては、いろいろ議論があったということだけは認識しているけれど、具体的な内容については分からないというところが確かなところなんですね。

はい。

314 こういった今までの前提を全部ひっくるめまして、本件の原告の御母堂である溝ロチエさんの処分の問題について最後にお聞きします。証人自身が在任中に民間カルテの活用をしようとしたときには、どんな指示をしたかというのは何か覚えていらっしゃいますか。

具体的にちょっと思い出せません。

315 チエさんの場合は、申請から21年間、死亡から18年間、処分がなさられなかったんですが、それはこの事件の証人として出てくるときに、3回の打合せの中ではお聞きになりましたね。

はい。

316 あなた自身としては、このように長期の未処分というのが続いたという事例というのは、全然意識がないんですか。

いえ、意識はないということはないと思いますが、よく、はい。

317 ないということはないと思うけれど、はっきりしないと。

はい、個々に、申し訳ございませんが、覚えていないと。ただおっしゃってみてですね、そうかと思っておるということです。

318 あなたの就任のときにはかなり処分が進んだというんですが、それ以前にあなたがやったような施策をできなかったのは,何か障害があってできなかったという具体的障害というのはありませんよね。

前のことはよく分かりません。

319 じゃあ、何か障害があったというふうにお聞きになっておられますか。

よく聞いていませんが、やはり体制の問題、いろいろあったんだと思いますけれども。

320 体制の問題というのは、具体的に言うとどういう。

組織の問題です。そういうのもあったかなと、推測ですけれども、よく分かりません。

321 今あなたとしてはそういうふうに思うだけであって、事実どうだったかとか、引継ぎでどうであったかは分からないということですね。

分かりません。

乙第43号証ないし乙第50号証を示す

322 これは相談記録というので、県の職員の方が現在証人の左側に座っておられる原告の溝口秋生さんから電話を受けて、電話の報告書みたいなものですね。メモですね。

はい。

323 秋生さん自身は、毎年御母堂の命日になると、県の方に処分はどうなったんですかというふうに問い合わせているんです。それで、主尋問でこの問題について聞かれたんですが、こういった申請者からの相談があると、県の対応としてはきちっと上部までにつながるような態勢というのは組んでいたんですか。それとも組んでいないんですか。

どっちだったかよく分かりませんが、当時ですね、どっちだったかよく分かりません。

乙第50号証を示す

324 これは平成6年の話なんですね。こういうふうな患者さん側からのたびたびの申入れがあるんだというふうに、部下の方からの報告というのはなかったんですか。

はい、私の方にはこれはございませんでした。

325 こういう報告はないと。

はい、課長にあったかどうかは分かりません。

326 あなた自身としては報告はなかったということですね。

はい。

327 それではそういうこれまでお聞きしたことをまとめてお伺いしますが、申請から21年、死亡から18年間、処分がなされなかったということは、熊本県のその課にある者としてどう思われますか。

非常に結果から見て残念に思っています。

328 理由はともかく、あってはならないことでしょうね。

私が最後の方を、公害行政としてタッチしましたけれども、前の方がよく分かりませんが、結果としては非常に、まあ結果だけとらえれば残念な気がしております。

329 ただ私が冒頭にお聞きしたように、熊本県とかその省にある者は、単に自分の裁量で処分をしたり保留にしたりすることはなくして、さっきも言いましたように、救済法で申請されるなら救済法の趣旨にのっとって、処分ないし保留をしなければなりませんよね。

はい。

330 21年間保留するということは、救済法の前提であり得ることなんですか。

たまたまそうなんでしょうけど、本来は迅速にですね、できなかったかなという気がしております。

331 迅速にできなかったかなという気はすると。

はい。

332 こういう長期の方が、本件チエさん以外にも何人かいるという認識はありますか。

現在ですか。

333 いや、現在じゃなくて当時です。

当時は、まあ何人かいらっしゃったと思います。よく覚えていません。

334 なぜこんなに延びているのかということを、厳密に部内で検討するということはなかったんですよね。

未検診死亡者についても、担当課を中心にですね、いろいろ対策を練っていたのは練っていたと思います。

335 でも21年間というのは、考えられないでしょう。

私が就任してからのことでございますので、その前はどうかは分かりません。

336 一般論として、私は不思議に思うのは、さっき証人自身は体制の問題なんかがあったんではないかと思うとおっしゃっても、体制の問題だったら医者を増員することができるし、それから処理の枠組みについてはくわしいマニュアアルもできているし、なぜこれでそんなに進まなかったのか、私は到底理解できないんですが。

いや、私もよく分かりません。

337 そういう未検診死亡者あるいは滞留された者が、一番最初に戻りまして、証人が、これは証人自身ですよ、が環境庁の方に行って裁決を出すのを3年待ってくださいということに戻ってきますと、当時証人自身も大きな争いをやめさせる、大きな和解のためには、いろいろな個別的な問題はあるかもしれないけれども、そちらに1日でも早く持っていきたいという思いがあったんじゃありませんか。

まあ和解は早く方向付けをしたいという気持ちはあったと思いますけど。

338 ありましたね。

はい、あったと思いますが、関連づけてそうであったかどうかということは、ちょっとはっきりは申し上げられません。

339 証人のお話をずっと聞いてきますと、まあほとんど忘れたということなんですが、そのかいまにいろいろ努力したんだというふうなことをおっしゃっていますけれども、結局今から考えてみても、Y氏事件ね、さっきのYさんの事件が事実だとすれば、証人自身も大きな和解のためには個々の方々の認定が遅れても仕方がないというふうに思われていたんじゃありませんか。

いや、その辺、明確にお答えはなかなかできませんが、どちらも当然急がなければいけない問題ながら、どういうふうにしたらいいか随分、まあ当時頭が回らなかったんだと思いますが。

340 Yさんの事件が事実だとすれば、今私が申し上げたように見られても、そういうふうに考えられ判断されても、証人としては具体的反論はないですよね、3年だって遅らせてくれということをおっしゃったんである以上はね。

そういうこと、まあ記録ですから言ったんでしょうけど、記憶はありませんですが、なんでそういうことを申し上げたのかですね、分かりません。

甲第91号証を示す

141 これは水俣病とは全く変わって、最近の新聞なんですが、この証拠は昨年の11月2日の読売新聞の夕刊で、被爆者手帳など申請放置、担当者が16件、最長4年間、被爆者手帳の申請という問題で水俣病と身体の救済という意味では非常に似ていると思うんですが、たかだか4年たってもこれだけ大きな新聞記事になる問題で、21年の遅滞という問題については、こういう事件と比べてみて、今証人はどう思われますか。

非常に長い期間だと思います。4年でこうですから、はい、それはもう長い期間と思います。

142 異常に長い期間。

はい、非常に長いと思います。

143 あり得ないような長い期間。

いや、まあその辺は表現、よく、うまくできませんけれども、長いなというふうに感じます。

144 仮に証人が申請当時に次長、部長におられたらば、もっともっと迅速にしたいというふうには思われるんですね。

それはそう思うと思います。ただ当時の状況は分かりませんので、何とも申せませんけれども、そういう姿勢で臨んだはずと思っています。

裁判官(結城)

乙第49号証を示す

345 1枚目、この一番下に県庁木村参事という方の名前が出ているんですが、証人はこの方を御存じですか。

平成5年・・・よく覚えておりません。

346 当時証人は次長ですが、この方と。

はい、会えば分かるかもしれませんけれど、はっきりよく覚えていません。

347 水俣病の問題について、この木村参事という方と仕事をされた記憶はないということですね。

多分木村参事は保健課の職員だと思いますが。

348 今思い出せないということですか。

はい、思い出せません。

以上

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