訴 状
熊本県地方裁判所 御中
原告 溝口秋生
代理人 弁護士 山口紀洋
被告 熊本県知事 潮谷義子
| 1974年8月1日 | 故溝口チエ(以下、故チエという)が被告に対して水俣病認定を申請。 |
| 1977年7月1日 | 故チエ死亡。 |
| 1977年7月1日 | 故チエの次男である原告が、同申請に関する全ての権利・義務を相続し、同手続を継承した。 |
| 1995年8月18日 | 申請に対して棄却処分。 |
| 1995年10月13日 | 原告が行政不服審査請求申立 |
| 2001年10月29日 | 環境省大臣は審査請求人たる原告の請求を棄却 |
故チエは、1899(明治32)年8月15日 水俣市袋神ノ川にて出生。
袋尋常小学校卒業、1920(大正9)年に結婚、夫の出身地である同市の水俣病多発地帯である南袋に移住し、農業に従事していた。以後袋地区を離れた生活をしたことは無い。
1975(昭和50)年8月30日、意識を消失して倒れ、水俣市立病院に入院、療養。1977(昭和52)年7月1日、死亡。
(1) 故チエは1997年7月1日、検診未了のまま死亡した。被告は同月13日に死亡の確認をした。
被告は検診未了死亡者については直ちに当該死亡者が治療を受けた医療機関の調査を行い、資料を収集すべきところ、何ら調査を行わなかった。
(2) ところで原告は故チエの死亡より17年間毎年、遺族の代表として毎年母親故チエの命日になると、必ず被告の機関である熊本県職員本件担当者に電話し、「母親の件はどうなっているのか、費用は自分が用意するから早く結論を出してくれ」とう旨の申し入れを続けてきたが、回答は決まって「検討中です」であった。
(3) 1994年6月13日(故チエの死亡より17年後)原告らの再々の催告により、被告はようやく病院調査を行った。しかし水俣市立病院では保存期間の超過のため故チエのカルテは存在せずとの回答であった。またI病院、S病院は既に廃院となっていた。
(4) 1995年7月14日及び15日開催の第195回認定審査会の審査の結果は、「判断するための資料がそろっていないため判断できない」旨の答申を行い、被告はこの答申を受けて原処分を行ったものである(公審第322号、平成8年8月6日付 弁明書)
この行政不服の決定は「処分庁の原処分は、取り消すべきものとはいえない」とされている。
(5) しかしそもそも被告は、故チエの診療カルテなど申請者の病状資料を収集することを怠ってきた。その為に故チエの資料は散逸・破棄されるにいたった。
(6) また原処分は、故チエの認定申請時の感覚障害、味覚鈍麻、歩行困難、流涎等の症状、S医院診断書記載の症状及び疫学的事実の記録である審尋録取書等を無視している。被告の検診では眼科で眼球運動に問題があり、平衡機能検査は障害の存在を疑わせる状態が見られる。
(7) そもそも被告が故チエの認定手続きで前提とした認定基準はいわゆる「後天性水俣病判断基準(52年判断条件)」であるが、この条件の医学的な正当性を根拠付けるデータ、医学論文は存在しないから、この基準を前提としたことは誤りである。