津田意見書(衛藤光明氏による平成19年3月1日付意見書の問題点について)20070501付
はじめに
環境省国立水俣病総合研究センター前所長の衛藤光明氏による意見書の、科学的誤りや基本的医学如識の欠如を中心に、
1 因果関係に関する知識の欠如
2 病理学の位置づけについて
3 病名の付け方に関する知誠の欠如
4 科学的データの見方が全く欠如
5 感覚障害は中枢神経障害説か末梢神経障害説か
6 その他
という6項目に分けて、簡潔な解説を行い、最後に溝ロチエの場合に関して簡潔なまとめをしたい。若干読みにくく、かつ本件との関連性も今ひとつ明確でない衛藤意見書に関して、本意見書の解説が見取り図や解説書の役割も果たし、本件の関係者が本件における議論の本筋を決して見失わないことを祈念している。
1 本法廷における医学的争点は、溝ロチエが水俣病であったか否かである。すなわち溝ロチエが水俣湾産の魚介類を摂食していたことと、溝ロチエにあった水俣病関連症状との間に因果関係があるか否かが争点である。これは言い換えると、溝ロチエが持っていた四肢末端に優位な感覚障害などの水俣病関連症状が、もし溝ロチエが水俣湾産の魚介類を摂食していなければ、あったかなかったか、あるとすればどの程度の蓋然性だったかということを問うことである。つまり「あれなければこれなし」の蓋然性を問うことである。もし溝ロチエが水俣湾産の魚介類を摂食しなくても、必ず四肢末端に優位な感覚障害などの水俣病関連症状を持っていたとすれば、この蓋然性はゼロである。もし溝ロチエが水俣湾産の魚介類を摂食しなければ四肢末端に優位な感覚障害などの水俣病関連症状を一切持っていなければ、この蓋然性は100%ということになる。
2 さて、溝ロチエが水俣湾産の魚介類を日常的に摂食していた事実については、争点になっていない。水俣湾産の魚介類がメチル水銀に高度に汚染されていた事実も争点になっていない。また、佐藤医師による診断書に明記されている以上、溝ロチエに四肢末端に優位な感覚障害があった事実も明らかである。被告が資料を紛失してしまっているので、「四肢末端に優位な感覚障害以外の症状がなかった」ことも立証出来ていないが、四肢末端に優位な感覚障害以外の水俣病関連症状を持っていたか否かは、一応争点になっている。
3 しかし、仮に、被告が主張するように四肢末端に優位な感覚障害以外の他の水俣病関連症状が溝ロチエにはなかったとしても、もし溝ロチエが水俣湾産の魚介類を食べていなければ溝ロチエに四肢末端に優位な感覚障害がなかった蓋然性は、99%より高いのである。この蓋然性の計算方法と、医学ならびに因果関係論における意味の説明は、本意見書の末尾に示した。
99%以上という極めて高い蓋然性が出るのは、四肢末端に優位な感覚障害が水俣湾岸に極めて多発していると共に、四肢末端に優位な感覚障害は、一般人口中で頻度が低いからである。四肢末端に優位な感覚障害の発症頻度(この場合有病割合)が、一般人口中で非常に低い点は、全て国のデータから示されている。1971年に長崎県により行われた有明海沿岸部での神経内科に関する医師による診察を伴う調査では、14,546人の受診住民(全年齢層)のうち、11人の両手に感覚障害がある患者がいた(長崎県保健部予防課 1973)。医師への受診割合の低下を考慮して補正すると、その有病割合は0.09%であったと推定できた(日本精神神経学会 1998、甲第26号証p778)。両手の感覚障害なので、本件で問題になっている四肢末端に優位な感覚障害は、この数字以下であると判断できる。次に、1989年から1991年にかけて熊本県の農村地帯の60歳以上の高齢者を対象にして行われた神経内科医による疫学調査によると、対象者1270人中、四肢末端に優位な感覚障害を持つ人の割合は3人であった(有病割合は約O.2%:熊本 1993)。これ以外のデータもすべて同様の傾向を示していることは、私の大阪高等裁判所に提出した意見書に表 5-1 として一覧表を示しているので参照にされたい(津田 1997、甲第92号証p66)。
4 一方、四肢末端に優位な感覚障害の発症頻度が、例え認定患者を除いても、水俣湾産の魚介類を日常的に摂食した人々、もしくは水俣湾沿岸の地域で非常に高い点は、国や熊本県のデータからは分からない。国と熊本県が食品衛生法策26条(現行の食品衛生法では第58条)の違反をこの約50年間貫き通し、今もなお調査も報告もしていないからである。ただ、熊本県が研究予算を出した1971年の立津データからも、その他のあらゆるデータからも、非常に高頻度で水俣湾岸の住民に四肢末端に優位な感覚障害があったことが認識出来る。その頻度は、非曝露地域と比較しても、少なくとも100倍以上である。このように特異的で明白な因果関係が否定された例は、医学の世界のみならず法廷の場でも他にないだろう。
このような結果と同様の事実は、現在もなお熊本県に残っているはずの、水俣湾岸の住民で認定されなかった住民の認定審査検診データや自覚症状調査票を調べても、同じ事実が得られ、同じ結論に達するだろう。しかし、熊本県はこれまでの経緯からして、決してこれらのデータを公開しないだろう。もし熊本県が、自らの公的な立場を自覚するのであれば、公開するべきである。
5 さて、衛藤氏の意見書は、上記に説明した水俣病の蓋然性の争点から目をそらさせて、二宮意見書のあら探しと二宮医師による昭和52年判断条件批判への攻撃に終始している。
このうち、昭和52年判断条件を擁護する意見の全ては、16年前の平成3年中央公害対策審議会答申のレベルからほとんど内容が変化してない。その後、日本精神神経学会の見解を始め、多くの意見が出ているにも拘わらず、その内容は全く反映されていない。その手法は、言で言うと「水俣病の個々の関連症状は、水俣病以外でも生じてくる非特異的な症状である」ということを現実のデータを示さずに強調する手法である。
この事実は、衛藤意見書9頁の箇条書き
「また、臨床的な事実として、
という根拠もデータも示さずに書かれた点に典型的に示されている。
上記箇条書きの2番目の指摘は、中毒の結果とされている各症状が、他の原因や曝露、あるいは疾患によっても生じるがゆえに、非特異的であると主張するものである。だから、病因物質への曝露歴とこの非特異的な症状(本件では四肢末端に優位な感覚障害であり、水俣病では運動失調や求心性視野狭窄や難聴なども当てはまる)があるだけでは認定できないと主張しているのである。
同じく3番日の「メチル水銀汚染地域に居住しているか否かを問わず、人は様々な病気に罹患しうる」という主張は、この病因物質への曝露歴と症状だけでは認定できないという点を、曝露(居住歴:正確には喫食歴まで確認されている)の側から強調した文章である。
しかし、これらを理由として今なお無邪気に挙げていること自体、衛藤氏が水俣病以外の他の食中毒事件や公害事件を知らないことを如実に示している。
一般にもっともありふれている細菌を病因物質とする食中毒事件において、食中毒患者は原因食品を食べたことと何か一つ症状(下痢とか嘔吐、腹痛など)があれば、食中毒患者として診断される。またヒ素公害事件において、ヒ素曝露歴と皮膚の黒化(皮膚が黒くなること)が認められれば、ヒ素中毒患者として認定される。
しかし、下痢や嘔吐、腹痛にしても、皮膚の黒化にしても、他の原因でも生じる症状なので、特異的なものではないことは誰でも知っているだろう。にもかかわらず、それらの症状があれば、食中毒患者或いはヒ素中毒患者として認められるのは、中毒物質に曝露された人と曝露されなかった人の病気の発生状況について、どのような症状があるか、それらの症状の頻度はどのくらいであるかを曝露されていない人と対照比較することで判断されるからである。症状の発生頻度を具体的なデータに基づいて比較検討することなく、只々、極めて希有な事例の存在を根拠にして症状の非特異性を強調し、組み合わせを求める論理は、事実に基づく科学とは言えない。
衛藤氏の主張は、あたかも他の中毒事件に於ける症状は特異的であるかのような印象を与えるが、水俣病の各症状(四肢末端に優位な感覚障害、運動失調、求心性視野狭窄、難聴など)が、非特異的であることは、他の中毒性疾患と何ら変わるものではない。
従って、昭和52年判断条件という異例の判断条件を正当化するという理由にはならないということに、衛藤氏は未だに気づいていないのである。
そもそも、上記箇条書きの一番目の「患者個々人における症侯のパターンおよびその程度が多彩である」点をはじめ、上記の四項目の箇条書きは、メチル水銀中毒の特徴でも何でもなく、原因(病因物質)が分かっているあらゆる中毒症などにも当てはまることにさえ、衛藤氏は気づいていない。四番目の「客観的な検査方法が現時点で存在しない点」でさえ、他の中毒性疾患に当てはまる。なぜなら、原因曝露と結果である症侯とは一対一対応をしないからだ。むしろ原因曝露とその結果である症侯が一対一対応をする原因曝露や症侯の例などは、現実には存在しないのである。このような病気の因果関係に関するもっとも基本的な知識であり、現実としても認識されている事柄に関して、衛藤氏は全く気づいていない。このことは、後で述べる「病名の付け方に関する知識の欠如」でも解説する。
他に、15頁の2段落目から5段落目の三叉神経障害等のところ、19頁終わりから20頁の最初の、頸椎症や脳幹等での出血・梗塞等のところでも、医学の実際を知らない衛藤氏の特徴が現れている。
なお、あらかじめ言っておくが、衛藤氏の指摘するこれらの疾患に罹患していた証拠が何もない溝ロチエがこれらの障害に罹患していた確率は、極めて低いと断言出来る。またこれらの障害に例え万一罹患していたとしても、以下に述べる理由で四肢末端に優位な感覚障害があった溝ロチエが水俣病であったことを否定したことにならない。
頸椎症や脳幹等での出血・梗塞等では、右か左かに障害が偏在するので、四肢末端に優位な感覚障害のように両側に対照的に現れることは現実にはあり得ない。しかも、これらの障害を見分けることは臨床的には容易である。見分けることが容易であるこれらの疾患の症例において、これらの疾患に特徴的な他の症状もなく、四肢末端に優位な感覚障害を示すような臨床例の報告が1例でもあったら示していただきたい。水俣病では、認定されないが四肢末端に優位な感覚障害が人口の10%から50%は占めているのである(津囲 1997、甲第92号証p66)。
まとめると、これらの疾患により四肢末端に優位な感覚障害を発症することは現実上ありえない(文献としていかなる数字もあがってこないほど稀である)上に、そもそも、これらの疾患に罹患している人たちも、メチル水銀曝露を受ければメチル水銀中毒になる可能性は十分にある。そして何より、溝ロチエはメチル水銀中毒症多発地域に住居し、原因食品を食べていたのである。こちらの方が、四肢末端に優位な感覚障害を発症する確率は非常に高く、水俣地域は数十パーセント(10.5%から52.8%:津田 1997の表5-1を参照、甲第92号証p65-66)という桁違いに高い確率(脚注)で地域住民に観察されてきた。頸椎症や脳幹での出血による四肢末端に優位な感覚障害という日本中を探して1例見つかるかどうかという現実的にはあり得ない症例と一地域に数十パーセントで観察されるという症状の発症率の極端な違いを全く無視して、現実離れした稀少例を何でも良いから挙げ続けるという衛藤氏の手法は一貫している。
(脚注:この確率はいわゆる水俣病である蓋然性、すなわち「あれなければこれなし」の確率とは分子も分母も異なる確率であり、詳しくは末尾の後注で解説する)
6 衛藤氏ばかりでなく、国環境省により「水俣病の専門家」と称される人たちが、昭和52年判断条件の正当化のために、同じように挙げてきた唯一とも言える理由が、この「水俣病の症状は非特異的だ」という点である。しかし、「水俣病の症状は非特異的だ」という点は、別に水俣病に限らず全ての「原因−症状」関係に当てはまるのだということは、公的な場においてもう10年以上前から私は指摘している。それにも拘わらず、相変わらずこの「非特異的である」という理由を挙げ続けているのだ。
分かりやすく言いかえると、当該原因(本件ではメチル水銀曝露)以外でも起こるということを示すだけでは、医学における因果関係を否定したことにも反証したことにもならないのである。もし、これで因果関係があることに関して反論出来たことになるのなら、大気汚染による呼吸器障害、ヒ素による皮膚障害や多発性神経炎、イタイイタイ病における骨軟化症という公害事件だけでなく、全ての食中毒症、全ての薬害事件における因果関係を否定することが可能である。このような誤りは、医学的因果関係を考えたことや判断したことがない医師がシンプルに犯す誤りであり、水俣病における衛藤氏や井形昭弘氏の意見は、その典型例である。彼らは、公害事件の判断も食中毒事件の判断も知らないのだ。
7 なお日本では、このような因果関係の判断の基礎は、医学部では教育されないので、現場や文献で学ぶことになるために、非常にシンプルな誤りが社会に混乱を起こす例が後を絶たない。最近の身近な例で示すと、抗ウイルス剤であるタミフル研究班の班長の発言で、「(転落や行動異常は)タミフル以外の原因でもあるので、タミフルの副作用とまでは言い切れない」というシンプルな理由で対策を先延ばしにして混乱を招いた例がある。これも「症状は非特異的だ」という理由だけで因果関係を否定してしまっているのだ。彼ら研究班の主要メンバーは小児科の臨床医で、医学部で因果関係や保健政策上の判断の教育されていないうえに、卒業後も臨床に従事しているだけで 考える機会がなかったのだ。
1 衛藤氏は、病理学の専門家を自任する。しかし衛藤氏は、病理専門医を名乗るものの、病理学会と衛藤氏の都合により無試験で病理の専門医になった移行措置の専門医である(昭和60年医学専門家会議のメンバーに10年前から制度が始まっていた神経内科の専門医は一人もいなかったことと同様に象徴的である)。衛藤氏は神経病理解剖をしているが、もともと神経病理の出身ではない。その挙げ句、衛藤氏が神経病理や水俣病患者の解剖所見を用いて何をしたのかは、拙著「医学者は公害事件で何をしてきたのか」(岩波書店 2004、甲第113号証)の157頁以降に記している。これでも書き足りないくらいだ。
ここでは、衛藤氏が自覚していないと思われる、病理学の位置づけについて簡略に説明する。
2 発がん物質に職業上、工場で曝露した労働者が、その後がんを発症したとして、民事訴訟が提起されたり労災認定が申請されたりすることはしばしばある。この時、職業性に発がん物質に曝露されてがんで死んだ人を、病理の専門家がいくら詳細に調べたところで、がん細胞しか観察されないのである。病理的にどんなに検索しても、発がん物質との関連は何も見いだせないからだ。アスベストのようにアスベストを食べた細胞が死滅することによって生じたアスベスト小体が見つかったところで、その人の肺がんがアスベスト労働により生じたのか、アスベスト労働をしなくても生じたのかは病理診断では分からない。アスベスト労働に従事していたことが分かっている場合は、アスベストが肺の中から見つかるのは当たり前だからだ。同じ発がん物質でも、ヒ素などは三週間ほどでほとんど排泄されてしまうので、肺がんが出来る頃にはヒ素は検出されない。ただし、それも、肺がんの細胞があるところからきちんと患者組織(肉片)を取ってくることが出来ればの話で、それに失敗すれば肺がん患者でも正常の紬胞しか見えない。なお、肺がんがはっきりしていてそれが肉眼的に見えれば、確認しながら患者組織を取ることが可能なので、こんな事が起こる確率は低い。しかし、中枢神経障害で発症する症状を末梢神経の障害と考えて、末梢神経での障害の場所を懸命に探すような場合などは、全く場所が違うことになる。
3 衛藤氏は意見書の3頁に「したがって剖検は、『最終診断』の場であり、臨床医の診療における判断の是非を厳しく問うとともに、病理医及び臨床医が病気の本質を明らかにするための客観的知見を得る貴重な場である」と述べているが、病理医が診断しているのは、症侯が肉眼的に顕微鏡的に発生しているか否かの判断だけで、原因曝露との因果関係ではない。職業性の曝露により生じたがんの例で言えば、がんが本当にあるかないかを判断しているだけで、因果関係に関しては判断出来ない。衛藤氏が、水俣病の病理所見を一生懸命論じたところで、見えているのは神経細胞の脱落や神経繊維の変性だけで、それがメチル水銀により生じたか否かということに関しては何の情報も与えない。衛藤氏が重症の水俣病患者の死後解剖で見たのと同様の神経細胞の脱落や神経繊維の変性があるかないかを言っているだけである。このような間違いは、水俣病(メチル水銀中毒症)という今日では原因曝露に基づいて付けられた病名を、がんや感覚障害など、症状に基づいて付けられた病名と混同していることから生じる。この点については、次項において解説する。
4 本来、中毒学は、中毒物質に曝露された人と曝露されなかった人の病気の発生状況(どのような症状があるか、それらの症状の頻度はどのくらいか)を比較することで判断する。ところが驚くべきことに、水俣病の中毒学だけは、中毒物質に濃厚曝露されて短期に死に至った死亡患者の症状と比較して、似たような症状があるかないかを比較して論じているのである。本来とは全く違う比較が行われていることになる、衛藤氏の病理も基本的にこの奇妙な世界で唯一の「水俣病の中毒学」の路線上であることが分かる。この点も、拙著「医学者は公害事件で何をしてきたのか」(岩波書店 2004)の161頁以降に「不全型水俣病」と題して記した。この「水俣病の中毒学」の象徴としての富士山モデルを初めて示したのは、衛藤氏の元上司である武内忠男熊本大学元教授である。
図 病理学の位置づけ
原因曝露→→→症候の発症
まとめると、病理は、がんの有無、神経障害などの、症侯の病理学的な有無を判断するだけで、因果関係の判断自体には何の判断も及ぼさないのである。衛藤氏はこのような基本的な知識も知らないか知らないフリをしているのである。このことは、以下の「病名の付け方に関する知識の欠如」とも関連する。
1 衛藤氏は意見書の10頁に症候群(様々な症侯の組み合わせ)による診断を、水俣病でも行う理由(すなわち昭和52年判断条件の正当化)として、2つの疾患の診断基準を示している。パーキンソン病とメニエール病の診断基準である。しかし、衛藤氏が明記しているように、どちらの疾患も原因(も病因物質)が不明である。原因(水俣湾産の魚介類の摂取)も病因物質(メチル水銀)も明らかになっている水俣病とはここで決定的に異なる。だから、水俣病では原因曝露があって関連症状がある患者に、当該曝露がなければ当該関連症状がなかったであろう蓋然性(水俣病である蓋然性)、すなわち「あれなければこれなし」の蓋然性を語ることが出来るのである。
2 ではなぜ、このような混同を衛藤氏はおこなってしまったのだろうか。それは、パーキンソン病やメニエール病という症侯に基づく病名(外徴基準 manifestational criteria と呼ばれる)と水俣病とを混同してしまったからである。水俣病は今日ではメチル水銀中毒症と定義されていて、これは病因に基づく病名(病因基準 causal criteria と呼ばれる)であり、症状のみしか記していないとか症状のみにしか基づかない病名とは明らかに異なる。この違いは、医学知識というよりは国語力や図書館の分類上の知識とか、論理的な能力の問題だが、少し考えれば誰にでも分かる勘違いである。そして医学の世界にずっぽりと浸かって病名の由来など全く知らないとしても、少し考えれば気づくことである。
衛藤氏は、こんな簡単な混同にも気づかないのである。しかし、水俣病問題は、性質の全く異なるこの2種類の単純な病名の混同から、様々な問題が派生している。どの病気にも当てはまる症状の非特異性が、医学的証拠もないのに昭和52年判断条件の正当化の理由として使われたという、先に挙げたようなことが行い得たのも、この病名の付け方に関するたわいもない混同から生じているとも言えるのである。病名の付け方という、国語の根本的な問題で勘違いしているわけだから、正しい科学的思考ができるわけがないし、他からの指摘や批判も理解できないのは当然である。
3 繰り返しになるが、衛藤氏の意見書の11頁上から5行目「水俣病も疾患の一つであり、上記原則は変わらない」という指摘は、間違いである。そして「上記原則」と全く異なる理由は、水俣病(メチル水銀中毒)は、病因に基づく病名であり、原因も病因物質も分かっているという点である。
1 衛藤氏は、意見書の18頁以降に、二塚らの論文に示された調査の結果を引用して、「不知火海沿岸住民に見られる四肢の感覚障害はメチル水銀中毒症によるもの」という主張が根拠に乏しいと論じている。二塚らの論文の問題点については数多く指摘することができるが、それは本論とは外れるので、ここでは二塚のデータに示された結果を素直に見てみよう。なお二塚のデータはどのようにして対象者を選び出したのかというプロセスが示されていないという大きな欠点があることを記しておく。
2 さて、衛藤氏も書くように、汚染地域住民(津奈木町住民で、少なくとも彼らは認定患者ではない)に見られた四肢末端に優位な感覚障害の割合は、男性で6.6%、女性で5.9%である。これは同じ論文に示された非汚染地域住民にみられる四肢末端に優位な感覚障害の割合(男性1%、女性O.5%)に比較すれば、男性で6.6倍、女性で1l.8倍の極めて大きな多発である。もっと大規模で母集団もはっきりした非汚染地区のデータである熊本データ(1993)に示された60歳以上の四肢末端に優位な感覚障害の割合O.2%(四肢末端に優位な感覚障害が1270人中3人にしか見られなかったためか男女別に示されていないが)に比較すれば、実に男性で33倍、女性で29.5倍の多発である。 どのような比較をしても、四肢末端に優位な感覚障害発症へのはっきりとした影響が示されてしまう。
3 これらを本意見書の末尾に示した「あれなければこれなし」の蓋然性で表現すると、『津奈木町に住み四肢末端に優位な感覚障害を持つ住民が、もし津奈木町に住まなければ、四肢末端に優位な感覚障害を持っていなかったであろう」蓋然性は、前者の倍率では、男性84.8%、女性91.5%、後者の倍率を用いた場合では男性97.O%、女性で96.6%の、いずれも極めて高い蓋然性を示す。なお、溝ロチエが居住していた水俣湾岸の汚染は、津奈木町沿岸の汚染に比べて激しいことは、よく知られている。従って蓋然性は、水俣湾岸の住民の方がより高いのも当然である。なお、90%を越える極めて高い蓋然性が観察される公害事件は珍しい。これだけ高いと、測定誤差などにより蓋然性の判断を間違うことは有り得ない。
4 ここで用いた調査結果は、いずれも衛藤氏が大好きな神経内科の専門医(移行措置による専門医か試験を受けてなった専門医であるかは関心があるか)によるものである。これで衛藤氏も満足して「不知火海沿岸住民に見られる四肢の感覚障害はメチル水銀中毒症によるもの」という主張には、根拠が十分にあることを認めるだろう。衛藤氏は、データを客観的に、全体をバランスよく眺めるという科学的データの基本的な見方が全く出来ないことがこの点でもよく分かる。
5 また、衛藤氏は、溝ロチエに流涎があったことを前提にして、@流涎自体が病的な現象ではないとして健康な乳幼児の例を、A病的症侯に伴う流涎があれば鑑別すべき疾患が多数存在する例として意識障害、嚥下障害、認知症、脳梗塞、顔面神経麻痺、咽頭腫瘍、咽・喉頭炎などの例を挙げている。しかし法廷でも知られているように、溝ロチエは、申請時に、乳幼児でもなく、意識障害でもなく、嚥下障害もなく、認知症でもなく、脳梗塞でもなく、顔面神経麻痺でもなく、咽頭腫瘍でもなく、咽・喉頭炎でもない。なお、このうち、水俣病では死亡例など重症例では、意識障害、嚥下障害が生じる可能性があったことがよく知られている。鑑別診断するべきは衛藤氏の方である。
6 第1の「因果関係に関する知識の欠如」の項でも述べたように、衛藤氏の論法は、最も妥当な結論を医学データに基づいてきちんと知性を用いた推論を行うことで目指そうとするのではなく、ただこのように他の原因を列挙し羅列するのみで、思考を停止させ、不可知論に導こうとしているのは明らかである。そして、これが衛藤氏の行いうる唯一の手法である。今問題になっているのは、メチル水銀曝露と流涎の関連であり、乳幼児であることや、意識障害、嚥下障害、認知症、脳梗塞、顔面神経麻痺、咽頭腫瘍や咽・喉頭炎であることと、流涎との関連ではないのである。
1 日本精神神経学会の見解(1998、甲第26号証)に基づけば、水俣湾岸に住居し水俣湾産の魚介類を食べ、かつ四肢末端に優位な感覚障害があれば、口周囲の感覚障害があったかなかったかが不明であっても、99%以上の蓋然性でメチル水銀中毒症と言える。従って、溝ロチエに口周囲の感覚障害があったか否か、および、感覚障害は中枢神経障害説かそれとも末梢神経障害説に基づいて説明されるべきかについては、溝ロチエが水俣病であったか否かを判断する上で重要な争点ではない。従って、本項の内容は、本件の溝ロチエに関する争点とは直接関係ないので簡潔に述べる。
2 水俣病問題が医学的にどんな問題が問われているか、あるいは生きている患者にどのような医学的問題が生じているかに一切の関心を払わずに、死んだ水俣病患者の末梢神経のみに関心を払うことに半生を賭けてきた衛藤氏には気の毒だが、四肢末端に優位な感覚障害が、中枢神経の障害から生じていると考える方が、理論的にも文献的にも圧倒的に優位である。衛藤氏も、最近は中枢神経障害と末梢神経障害の両方が起こり、末梢神経障害は修復されたのだと主張しているので、たとえ衛藤氏の主張に沿ったとしても、時間が経つと水俣病患者には末梢神経障害が修復されてしまうはずなので、あったとしても軽微なのである。
3 最も有名な医学雑誌の一つである New Eng1and Journal of Medicine の最近の水銀中毒の曝露と症状に関する総説(2003)の表では、Methy1 Mercury メチル水銀と Peripheral nervous system 末梢神経系とが合わさるところには何も書いてない。Methyl Mercyry メチル水銀と Central nervous system 中枢神経系とが合わさるところに paresthesia 感覚障害が他の症状と共に示されているのとは大きな対比をなしている(表1参照)。
そもそも科学理論というものは、単純なものが選択される傾向かある。天動説と地動説の論争という物理学史において有名な天体の動きの例で説明すると、一見正しそうな天動説より地動説が選択されたのは、様々な補正が必要な前者に対して後者が圧倒的にシンプルだったことによる。メチル水銀による感覚障害の説明も、中枢神経障害説で説明可能な今(というより口周囲の感覚障害の多発を考えればこちらの方がずっと説得力がある)、他の症状が中枢神経障害説で説明されている中で、末梢神経障害と中枢神経障害で二元的に説明するよりも中枢神経障害で一元的に説明する方がずっとシンプルなのである。ましてや衛藤氏の二元論は、末梢神経障害と中枢神経障害の両方が障害されることに加えて、現在末梢神経障害説を支持する検査所見が得られにくい説明として、末梢神経が障害されてその後修復されたという補正を入れなければならないのである。これが衛藤氏の説を直接支持する研究者が見あたらない理由でもある。衛藤氏は、退官して暇が出来たのを期に、科学史に関する教養も少しは身につけた方がよい。
そもそも、重症の糖尿病患者にまれに見られる多発性神経炎の症状(末梢神経障害)やヒ素中毒患者に見られる多発性神経炎(これも末梢神経障害)に、水俣病患者に見られる四肢末端に優位な感覚障害が似ているという、非常に単純すぎる不十分な観察から始まった末梢神経障害説である。対抗するには、元々の動機があまりにも浅薄である。
1 衛藤氏は、意見書の15頁から18頁にかけて二点識別覚自体の批判を行っている。その批判点は、検査方法が確立されていない、異常かどうかの基準が明確でない、客観性に欠ける、の三点である。しかし、この批判は、水俣病関西訴訟の阪南中央病院における二点識別覚の比較対照試験の批判として当てはまらない。さらに、衛藤氏が医学における検査に関する基礎的な知識を有しないということを如実に示している。この二点について以下で説明する。
2 まず、前者の点について述べる。二点識別覚の検査の実際を衛藤氏は知らないので、このようなことを書くのだが、衛藤氏が指摘する二点識別覚の困難な点や暖昧な点は、実施する際の様々な工夫によってある程度克服できる。水俣病関西訴訟の阪南中央病院における二点識別覚の検査も、乱数表を用い、患者を目隠しし、感覚を刺激する医師と二点間の距離を調整する医師とが分担して行われた。これらは神経内科の専門医によって厳密に計画されて実施された。
3 次に、後者の点について説明する。衛藤氏は、二点識別覚がメカニズムそのものの全容が解明されているわけではないとするが、メカニズムそのものの全容が解明されていない検査などたくさんあり、むしろそのような検査が多い。また、検査方法が確立されていないとか、異常かどうかの基準が明確でないと批判するが、他の検査でもそのような検査は多い。特に異常値(異常かどうかの基準)に関しては、組織の熱心さに依存するが、ほとんどの検査に関して、病院毎・検査センター毎に異なった正常値・異常値が定められているのが通常で、しかも同一病院や同一検査センターによっても見直しがしばしば行われる。クイズ番組の○×式ではなく、検査はだいたい連続した数値などで表現されるので、境界領域が必ず存在するからである。別に二点識別覚のみではない。このため、水俣病関西訴訟においては、どこかで区切って正常・異常の判断だけが示されているわけではなく、ナマの値である識別出来た距離そのものが、非曝露者のナマの検査値と共に、示されている。
4 衛藤氏は二点識別覚が「客観性に欠ける」と称している。それ以外にも、自分の意見と異なる点に関しては客観性の問題を持ち出して批判する。しかし、衛藤氏が「したがって剖検は、『最終診断』の場であり、臨床医の診療における判断の是非を厳しく問うとともに、病理医及び臨床医が病気の本質を明らかにするための客観的知見を得る貴重な場である」(衛藤意見書3頁)であると指摘する病理診断などは、密室で他者が検証する術がないものを「最終診断」(主観で判断)するわけであるから、他の検査を客観的でないと切り捨てる資格が、衛藤氏にはそんなにあるとは思えない。
5 衛藤氏は、再三、神経内科の専門医について言及しているが、神経内科の専門医は因果関係を見ない。正確に言うと症侯論的病名の診断や症状をとるだけである。これは病理診断と本質的に同様である。衛藤氏は「膝蓋腱反射を含めた四肢の腱反射検査の手技は一見容易に見えるが、真に正確に行うには神経内科医としての十分な訓練が必要であることを付け加えておく」(衛藤意見書11頁)と述べるが、神経内科の専門医試験では、腱反射の取り方をテストされない。これらの反射の検査は医学生や研修医時代に訓練することである。そんなことが専門医試験に出題されると聞いたら。神経内科の専門医が怒ると思う。ちなみに私も念のために、神経内科の専門医に対して実際に尋ねてみたが、「そんな簡単な問題は出ないよ」と叱られてしまった。
1 衛藤氏の持論は、かつて、メチル水銀曝露により生じる四肢末端に優位な感覚障害は、末梢神経障害のみであると言っていたが、現在は「中枢神経障害と末梢神経障害の両方が障害され、末梢神経の方は、長い時間が経っているので修復されている」というものである。そうすると、曝露停止からある程度の時間を経過した患者に観察されるのは、感覚障害に関しては中枢神経障害のみということになる。これでは表面上、二宮助手と同じ現象を私たちは実際に観察することになる。だから衛藤氏の反論が仮に正しかったとしても、曝露停止から時間がある程度経過した患者に観察される現象としては何の意味もない。なお、水俣病患者や高度曝露地域の住民には腱反射が減退しない者や、むしろ亢進している者が多くなることは、今日誰もが観察し、データとしても残っているところである。これは末梢神経障害があったとしても高度ではないことを示している。
2 百歩譲って、中枢神経障害に加えて、末梢神経障害が曝露停止後の時間が経っても残っているとしよう。それでもやっぱり口周囲の感覚障害は観察されることになり、溝ロチエにおける口周囲の感覚障害の存在を示す症状(流挺や味覚喪失など)は、メチル水銀中毒によるものだということになる。
結局、衛藤氏の意見書は、溝ロチエに当てはめた場合、原告の主張への反論には全くなっていないのである。南袋に長期間生活し、水俣湾に含まれる袋湾の魚介類を多食し、少なくとも四肢末端に優位な感覚障害があり、家族も同様に四肢末端に優位な感覚障害や求心性視野狭窄などのメチル水銀中毒に非常に特異的な症状を持つ溝ロチエは、現存する資料を見る限り、極めて高度の蓋然性をもって、メチル水銀曝露により発症していたという根拠の核心が何ら動くものではない。
3 さらに大幅に譲歩して、衛藤氏の言うように流涎も味覚消失等も無視して、溝ロチエには口周囲の感覚障害があったかなかったかが分からないとしよう。口周囲の感覚障害が所見として取られていない水俣病患者はたくさんいるのである。そうすると、四肢末端に優位な感覚障害は厳然と存在し、南袋に長期間生活し、袋湾の魚介類を家族ぐるみで多食し、家族にも症状が多発している溝ロチエは、高度の蓋然性(99%以上)でメチル水銀により発症していたことが医学データからはっきりと言えるのである。
救済法に基づく「認定」は、「蓋然性が半分以上の(もしくは50%を越える)者を認定する」ということが大前提である。ゆえに、現存する医学データによって得られた経験則に基づいて蓋然性99%以上の溝ロチエは、メチル水銀中毒患者、すなわち水俣病患者である事実は全く動かない。これは、衛藤意見書の中の衛藤末梢神経障害説の真偽に拘わらず全く動かない真実である。
衛藤氏は、意見書の中で、蓋然性半分で認定という大前提を全く無視して書いている。他原因をただ漫然と挙げ続けたり、希な反証例を挙げ続けたりするだけでは、溝ロチエが蓋然性半分以上で水俣病と言えるということを反証したことにはならない。なぜなら、蓋然性半分以上で認定とは、同様の症状があり曝露歴があっても他の原因があったり反証例であったりする確率が、半分弱存在しても認定すると言うことなのだ。これを全く無視して蓋然性100%を目指すこと(100%の事例など、他の公害事件認定でも職業病認定でも、現実の事例では有り得ない)は、救済法の主旨に全く反するのである。衛藤氏が意見書の中で多用した例外を挙げて反証する方法は、実は蓋然性100%であると主張する際にのみ有効である。だから、溝ロチエが認定されるべきか否か(すなわち蓋然性半分以上で水俣病と言えるかどうか)は、衛藤の意見書では全く検証出来ていないことになる。
4 なお本件で、二宮意見書と私の意見との違いが何かについて、裁判長から質問されていたと聞いた。最後にその点に関して簡潔に述べる。二宮意見書は鑑別診断に関して言及している。鑑別診断に言及するということは基本的に蓋然性100%を目指しているということである。他の原因で同じ様な症状が生じる可能性を全て検討して、それを取り除くということを目標にしているからである。一方、蓋然性半分、すなわち蓋然性50%とは、他の原因で同じような症状が起こっている可能性を50%まで許しているということであることを忘れてはならない。公健法のみならず米国など海外の多くの民事訴訟、あるいは上記に掲げたアスベストと肺がんの因果関係は、この「あれなければこれなし」の確率50%を、判断の境目として採用しているのである。ここに掲げた蓋然性の計算法は、曝露があって症状を発症した患者がもし曝露がなければ症状を発症しなかったであろう確率(蓋然性)、すなわち「あれなければこれなし」の蓋然性を、経験則から計算する方法論として世界各地のみならず日本でも上記の例で用いられている。
二宮意見書は、蓋然性100%を目標として、溝ロチエの症状に関して鑑別診断を行い他の原因による発症を否定することにより蓋然性100%を達成している。従って蓋然性50%以上を満たしていると示している。一方、私の意見は、公健法の示す蓋然性50%を溝ロチエが満たしているかどうかを考察し、溝ロチエが99%以上の蓋然性を持つので、蓋然性50%以上あるということを示している。なお、二宮意見書と同様に鑑別診断に言及する衛藤意見書は、鑑別診断を行うことにより溝ロチエの蓋然性が100%ではないことを一生懸命証明しようとしているだけである。しかし、蓋然性100%ではないことをいくら示したところで、蓋然性50%以上あるのか、それとも蓋然性50%未満なのかという、本件において最も重要な点の考察に関しては、何の情報も与えていない。
従って、衛藤意見書は、溝ロチエが公健法に基づいて認定されるべきか否かの証明においては、全く失敗していることは論理上でも明らかである。
5 すでに本意見書で指摘したように衛藤意見書の中に展開されている意見は、医学的基礎を逸脱し、中毒学や医学における因果関係論を全く踏まえない惨惰たる内容であることも動かない事実ではある。被告は、衛藤意見書の内容をしっかり検討したのだろうか、医学証人を誰も推薦出来ないので、ただ何か医師の反論意見書を出さねば格好がつかないというのでは時間の無駄遣いである。
6 最後に、意見書を出したり(衛藤氏)、新聞記者に「水俣病の判断条件は医学的に正しい」と記者会見をしたりする(岡嶋透熊本県認定審査会会長)が、公の場での直接的な意見交換には全く応じない方々に、再度公の場での議論を申し入れたい。意見書の内容以外にもいろいろと確認したいことが私にもある。
環境省による非科学的で行政の前例を無視した頑なまでの姿勢のみならず、衛藤氏や岡嶋氏らの学者が保ち続けている、論点を暖昧にしながら逃避し続ける態度が、今日の水俣病に関する混乱の大部分を引き起こしていることは明らかである。社会注視の下で、きちんと科学的に説明出来ないのであれば、衛藤氏や岡嶋氏は、自らの主張を取り下げなければならない。
MacMahon B and Pugh TF : 4.C1assifcation of Disease. In:Epidemio1ogy. -Princip1e and methods. Litt1e,Brown and Company,Boston,1970,p47-55.
C1arkson TW,Magos L, and Myers GJ:The toxicology of mercury - current exposures and Glinical manifestations. N Engl J Med 2003;349:1731-1737.
熊本俊秀:水俣病の神経障害に対する加齢の影響に関する研究−非水銀汚染地区在住高齢者の神経学的所見の検討−. In:水俣病に関する調査研究報告書(平成4年度 環境庁公害防止等調査研究委託費による報告書). 日本公衆衛生協会、東京、1993、p38-42.
津田敏秀:水俣病問題に関する意見書. 平成9年9月24日、大阪高等裁判所に提出、1997.
津田敏秀:医学者は公害事件で何をしてきたのか. 岩波書店、東京、2004.
長崎県保健部予防課:環境と公害情報資料「いわゆる"第3水俣病"問題関連資料集」、水銀汚染調査検討委員会健康調査分科会への報告.環境保健レポート、No.32;p46-50、日本公衆衛生協会、東京、1974.
日本精神神経学会・研究と人権問題委員会:環境庁環境保健部長通知(昭和52年環保業第262号)「後天性水俣病の判断条件について」に対する見解. 精神経誌, 1OO;765-790, 1998.
通常、我々は、原因の後に結果が起こると、その原因とその結果の因果関係を認める。これをヒトにおける疾病の原因の問題として考えると、ある原因(本件では水俣湾産の魚介類の摂食:以下「曝露」という一般的呼び方にする)と、それに続くある病気の発症(本件では四肢末端に優位な感覚障害:以下「症状」という一般的な呼び方にする)との両方が揃うと、その曝露と症状の間に因果関係を認めるようになる。もし、この曝露と症状のどちらかでも揃っていないと、因果関係を論じる入り口にはなかなか達しない。病気になったことの補償を請求する民事訴訟や認定問題では、曝露と症状の両方を備えていないと(どちらかが欠けていても)、認定どころかその入り口である申請にも達しないだろう。民事訴訟の原告である個人が、曝露と症状の両方を備えているということは、つまり原告になるための最低条件(必要条件)である。
では、曝露とその後に生じた症状の両方を揃えている患者でも、なぜすぐに曝露と症状の因果関係が認められないか?その理由は単純で、その曝露以外の要因が曝露しても、その症状が発症する可能性のあることが疑われるからだ。つまり曝露と症状を両方揃えた個人がその曝露以外の要因によって発症した確率(「あれなくてもこれあり」の蓋然性)があるからだ。この「あれなくてもこれあり」の蓋然性を、1から引いた残りの蓋然性(確率)が「あれなければこれなし」の蓋然性である。
では、どうすれば、ヒトにおける経験則から、この「あれなければこれなし」の蓋然性を求めることができるのかを、以下で図を用いて説明する。以下の図は、原因に曝露した人1000人を、1年間観察していると(図の下側に示した楕円形で1000人を表現)、50人に症状が発生してきて症状を持つようになったことを表している(図の上側に示した50個の○で表現)。従って、この50人は、曝露と症状の両方を備えた人たちである。上記の表現では、民事訴訟の原告になる資格を持った人たちである。では、この曝露され症状を持った50人の患者が、即座に全員曝露との因果関係を認める判決を得られるのかというと、そういうわけにもいかない。曝露以外の要因により同じ症状が発生することが知られているからである。
問題は、この50人のうち何人が、曝露がなければ症状を発生しなかったかである。それが分かれば、その人数をX人とすると、X÷50という簡単な割り算で、曝露されて症状のある人たちにおける「あれなければこれなし」の蓋然性(確率)が求められることになる。この時、50−X人が、もし曝露がなかったとしても症状が発生したであろう人であり、1−X÷50が、「あれなくてもこれあり」の蓋然性となる。言うまでもないが、この「あれなくてもこれあり」の蓋然性の中に、問題となっている曝露以外の要因曝露全てがひっくるめて含まれていることになる。
もし曝露がなければ発症しなかったであろう人が何人いるかは、曝露して発症した50人をいくら丁寧に観察していても何ら答えは出てこない。たとえ病理学で電子顕微鏡を用いてどんなミクロのレベルまで眺めたとしても答えは出てこない。曝露してしまっているからだ。従って我々は、曝露していない人たちを、同じ人数規模を同じ期間だけ観察することによって答えを得ようとする。それを表したのが図2の右側の図(「非曝露者」として示している)である。なお、図2の左側の図は、図1の図を曝露者としてそのまま示している。もし、同じ人数だけ観察出来なければ、その人数が足りない分、超過している分を、かけ算もしくは割り算で調整すればよい。同じように観察期間も調整出来る。同様に、左側の図の1000人と右側の図の1000人が、違う属性(例えば性別合が異なる、年齢構成が異なる、喫煙割合のような生活習慣が異なる、など)を持っていたとすると、その点も、やや計算方法は複雑になるが、四則演算だけで調整可能である。
図2の右側の図は、非曝露者1000人を1年間観察すると症状を持っている患者が、5人出てきたことを示している。この情報から、上記のX人は45人であったことが推定される。曝露者で発症したのは50人だが、この50人の内、曝露がなくても発症した人数は5人なので、残りの45人がこの人数に相当する。
これを式に表すと以下のようになる。
X=50−5人
「あれなければこれなし」の蓋然性は、50人で割ればいいので、%で表すため100をかけると、
「あれなければこれなし」の蓋然性={(50−5)人÷50人}×100%
人という単位を省略して、分母の1000人を省略せずに表現すると、
「あれなければこれなし」の蓋然性={(50/1000−5/1000)÷50/1000}×100%
ここで5/1000は非曝露者における発症率で、50/1000は曝露者における発症率なので、数字ではなく主に文章で上式を表すと、
「あれなければこれなし」の蓋然性={(曝露者における発症率−非曝露者における発症率)÷曝露者における発症率}×100%
この式の分母分子を、非曝露群における発症率で割ると、
「あれなければこれなし」の蓋然性={(曝露者における発症率÷非曝露者における発症率)−1) ÷(曝露者における発症率÷非曝露者における発症率)}×100%
この式における(曝露者における発症率÷非曝露者における発症率)は、非曝露者に対する曝露者における発症率の比であり、相対危険度というので、以下のように書き換えることが出来る。
「あれなければこれなし」の蓋然性=(相対危険度−1)÷相対危険度×100%
これが「あれなければこれなし」の蓋然性の一般式であり、原因確率とか、曝露群寄与危険度割合と呼ばれるものである(Miettinen 1974,Pear1 2000)。
この「あれなければこれなし」の蓋然性、すなわち原因確率は、IL0(国際労働機関)の文章にも採用され(Wor1d Hea1th 0rganization 1989)世界中で使われているし、日本国内でも、被爆者の認定問題やアスベスト曝露者における肺がんの問題に、それぞれ厚生労働省と環境省とによって採用されている。
本文でしばしば登場する99%以上という蓋然性も、この式を使って計算されたものである(日本精神神経学会・研究と人権間題委員会 1998)。この数字は比較に用いた住民の属性についても考察して求められている。
なお、この「あれなければこれなし」の蓋然性は、多人数の経験則から基づいて求められるので、これをもって「集団から求められた数値なので、原告個人に当てはめられない」という主張がしばしばなされる。水俣病関西訴訟の結審直前において、原告が反論することが出来ないような状況で、同様の主張が被告国・県・チッソからなされた(拙著、「医学者は公害事件で何をしてきたのか」の167頁以降参照)。しかし、この主張は誤っている。なぜなら、曝露し症状のある人の蓋然性を求めるには、曝露し症状のある複数人の内何人が、もし曝露がなければ症状がなかったのかどうか、という割り算をしなければならないからである。このような割り算をするということは、複数人の観察(すなわち多人数の経験則)に基づくということである。曝露し症状のある人ばかりを集めて、これを分母にして割り算をし、割合(確率)を求めるからこそ、曝露し症状のある個人における蓋然性を厳密に推測することが出来るのである。もともと個人をいくら眺めていたところで、因果関係に関する情報は原理的に得られない。曝露をして発症した個人がいるだけである(津田 2005)
そもそも裁判では、経験則に基づいて判断がなされる。経験則に基づくとは、原告本人の経験ではなく、原告以外の複数人(出来れば多人数)の経験則を集約することである。例えば本件では、衛藤氏でさえ、400例(具体的にどういう症状の400例かは全く明らかにされていないが)という自分が経験した剖検例(溝ロチエ自身は当然含まれていない)という経験則を、溝ロチエ個人に当てはめて主張しているのである。
Miettinen O:Proportion of disease caused or prevented by a given exposure,trait,or
intervention. Am J Epidemio1 1974; 99:325-332.
Pear1 J:Causa1ity,mode1s,reasoning,and inference, Cambridge university press,Cambridge ,2000.
Wor1d Hea1th Organization:Epidemio1ogy of work re1ated diseases and accidents.10th Report of the Joint IL0/WHO Committee on Occupational Health. Technical Report Series 777. Geneva, World Health Organization, 1989.
津田敏秀:日本の医学医療と公害事件.認定審査会は原理的に個人の「認定」に関する新しい知見をもたらさない. 科学 2005;75:586-591.