2009年1月31日
福岡高等裁判所 第5民事部 ヌ係 御中第49準備書面
(証明妨害)
事件番号 平成20年(行 コ)第6号
事件名 水俣病認定申請棄却処分取消及び認定義務付け請求控訴事件
控訴人(原告) 溝口 秋生
上記控訴人代理人 弁護士 山口 紀洋
同 弁護士 東 俊裕
被控訴人(被告)熊本県知事 蒲島 郁夫
被控訴人(被告)熊本県
上記代表者知事 蒲島 郁夫
上記当事者間頭書事件について、控訴人は、以下の通り弁論を準備する。
記
第1 本審理における争点@(実体論)、争点A(手続論)の判断にあたり、基礎となりかつ不可欠の事実・資料について、被控訴人は、まったくと言っていいほど明らかにせず、隠蔽し続けている。
すなわち、控訴前(認定審査過程)においては、第1審第34準備書面で述べたとおり、被処分者溝口チエ(以下「チエ」という)に関する民間資料を意図的に収集しなかった事実が認められる。
また、訴訟中においても、被控訴人は第1審以来一貫して控訴人の求釈明に答えず、更に控訴審第1準備書面で「本件争点とは関連性がないから釈明の必要を認めない」(44頁)と、釈明を拒否する旨明言している。
かかる被控訴人の認定審査および訴訟の方針は、控訴人の主張・立証行為に対する重大な証明妨害に該当する。
以下、その旨詳論するとともに、控訴人がチエに対する棄却処分は違法であることを主張・立証するにあたり、証明度の軽減など証明負担の軽減が図られるべきであることを主張する。
第2 本件に証明妨害の法理を適用すべきであること
1.訴訟前(認定審査過程)における被控訴人の証明妨害
この点については、控訴人は既に第1審第34準備書面において詳論しており、その要点は次の通りである。
(1) 被控訴人の妨害行為(チエの民間資料を収集しなかった事実)と控訴人の証明困難な状態との間に因果関係があること。
つまり、チエのように、水俣病か否かの判断に際し最重要の科目である神経内科・精神科の検診が行われず死亡した未検診死亡者にとって、生前受診していた病院の民間カルテ(民間資料)は審査にとって不可欠の資料であるところ、被控訴人はチエの死後17年が経過するまで病院調査を行わず、その結果民間資料を収集できなかったため、控訴人は極めて限られた資料に基づいてチエが水俣病であることを証明するよう強いられており、その実質は証明困難と言っても過言ではない。
従って、被控訴人の妨害行為によって控訴人は証明困難の状態におかれているのは明らかで、両者の間には因果関係がある。
(2) 証拠方法(チエの民間資料)の不作成・毀損につき、被控訴人には二重の意味での故意があること。
つまり、乙第111号証によれば、被控訴人は訴外環境庁(当時)との協議の上、未検診死亡者の取扱いにつき、審査−処分を棚上げするのはもとより、病院調査による民間カルテの収集も積極的に行わないことを決定していたのであるから、被控訴人がチエの民間資料を収集しなかったのは被控訴人の方針に基づくものであり、そこには意図性・故意が認められる。
さらに、乙第111号証(資料6)によれば、被控訴人は民間資料が将来訴訟において利用されては、自己に不利な状態になることを十分に認識して、意図的にチエの民間資料を収集しなかったのであるから、証拠方法の不作成・毀損につき二重の意味での故意が認められる。
(3) 従って、(1)(2)により認定審査過程での被控訴人の妨害行為は証明妨害の成立要件を充足するので、本件に証明妨害の法理を適用すべきである。
2.訴訟中(裁判過程)における被控訴人の証明妨害
(1) チエは救済法上「水俣病」と認められるべきか否か(争点@)に関して。
控訴人が、チエは救済法上「水俣病」と認められるべきであることを主張するにあたり、これまで法廷に提出されている証拠は、申請時添付のS医師作成の診断書(甲第2号証)、耳鼻科・眼科の検診結果(甲第20、21、22、28号証)、被控訴人が1971年に行った水俣湾周辺地区住民健康調査におけるチエの検診結果(乙第94の1・2・3・4号証)の極めて限定されたものにすぎない。そこで控訴人は被控訴人に対して、チエが水俣病か否かを判断する上で有効な資料があれば提出するよう再三求めているにもかかわらず、被控訴人は一向に応じない。
例えば、乙第122号証によれば、被控訴人は1984年8月に、首席医療審議員河野慶三をチエが生前受診していた病院に派遣する旨部長決裁したというのであるから、河野が病院調査を実施し、そこで収集した民間カルテなり河野作成の報告書が存在すると考えるのが合理的であるが、被控訴人はこれらの資料の存在を否定し続けている。
(2) チエの認定審査過程に手続上の瑕疵があるか否か(争点A)に関連して。
控訴人が、チエの審査過程に手続上の瑕疵があることを主張するにあたり、被控訴人がチエをはじめとする未検診死亡者に対して認定審査−処分をどのように行ったのか、その方針と取扱いの実際(例えば、病院調査に関する企画立案の資料、病院調査を行った人数、その内民間資料を収集した人数、処分の内訳など)が明らかにされ、その中にチエを位置づけ、他の未検診死亡者への取扱いと比較検討することが不可欠である。
そこで控訴人は被控訴人に対して、これらの事実を明らかにするよう再三求釈明を行っているが、被控訴人は釈明しようとしない。
さらに、被控訴人のチエに対する病院調査および処分が遅れたことにはやむを得ない事情があったと主張する最大の論拠は、民間資料の使用には多大な弊害があり、未検診死亡者の処分自体困難な問題であったとする点にあるが、そもそも被控訴人は民間資料を一切証拠として提出せず、なぜ民間資料は公正・公平の点で問題があるのか、その使用に伴いいかなる弊害があるのか、まったく立証をしていない。
3.諫早湾干拓地潮受堤防撤去等請求訴訟判決における立証妨害の認定
2(2)の訴訟中における証明妨害に関連し、重要な示唆を与えるのが、諫早湾干拓地潮受堤防撤去等請求事件における佐賀地方裁判所の判決(平成20年6月27日、判例時報2014号)が示した立証妨害の認定である。
(1) 事案の概要と判決の骨子
@ 諫早湾干拓事業は、優良な農地を造成し、防災機能を強化することを目的に、長崎県諫早湾の湾奥部に長さ約7キロメートルの潮受堤防を築造して締切り、干拓地と調整池を設ける事業である。この訴訟は、有明海沿岸の漁業者らが、本件事業に係る堤防の閉め切りにより有明海全体の環境悪化、漁業被害が生じているとし、事業主体である国に対して漁業権等に基づき堤防の撤去、排水門の常時開放と損害賠償を請求した事案である。
A 同判決は、原告の請求する堤防の撤去および損害賠償については棄却したが、排水門を常時開放せよとの請求については、事業により有明海の漁業環境が悪化したとし、判決確定後3年までに5年間排水門の開門を継続するよう国に命じた。
(2) 同判決における立証妨害の認定とその意義
同判決は、有明海における環境変化と本件事業との因果関係の有無について
「3.有明海における環境変化と本件事業との因果関係の有無について
(1) まず、疫学的因果関係の有無についてみるに、本件潮受堤防の締切りの前後で明らかに変化が認められる環境要因としては、諫早湾、有明海湾奥部及び熊本県海域における赤潮の年間発生期間等の増大があるものの、赤潮の増大については、消去法によりその原因を特定できるほどに科学的知見の集成が行われていない。
その余の点についてみても、結局のところ、本件においては、全体として潮受堤防の締切り前のデータが不足しており、締切りによる環境因子に対する暴露(締切り後)群と非暴露(締切り前)群の統計的有意差及び相対的危険度・寄与危険割合を確証する方法がなく、量と効果の条件や消去の条件を定量的に示すことはできないから、本件潮受堤防の締切りと有明海の環境変化について、疫学的な因果関係を認めることは困難であり、したがって高度の蓋然性をもって認定するのは困難といわざるを得ない。
もっとも、潮受堤防の締切りと諫早湾内及びその近傍場の環境変化との間の因果関係については、相当程度の蓋然性の立証はされているものというべきである。(2) 現状において、中・長期開門調査を除いて、本件潮受堤防による影響を軽減した状況における観測結果及びこれに基づく科学的知見を得る手段は見いだし難いにもかかわらず、漁民原告らにとって、被告管理に係る本件各排水門の操作を行うことができないのは明らかである上、多大な人員費用の負担を必要とする有明海の海況に関する詳細な調査を漁民原告らに要求することも酷に過ぎるから、漁民原告らに対し、これ以上の立証を求めることは、もはや不可能を強いるものといわざるを得ない。
これに対し、被告は、本件各排水門を管理している上、信頼性の高い観測を行うための人員や費用を負担し得ることは明らかであり、また中・長期開門調査は、諫早湾内の流動を回復させるなどして本件事業と有明海における環境変化との因果関係に関する知見を得るための調査として有用性が一応認められており、その実施についても様々な工事を伴うものの、不可能を強いるものではない。
このような諸事情に加えて、第1次仮処分決定における抗告審や公調委からも、中・長期開門調査等の実施を求められていることに照らせば、とりわけ、原告らにより、相当程度の蓋然性の立証がされている、諫早湾内及びその近傍場の環境変化に関する限りは、被告が中・長期開門調査を実施して上記因果関係の立証に有益な観測結果及びこれに基づく知見を得ることにつき協力しないことは、もはや立証妨害と同視できると言っても過言ではなく、訴訟上の信義則に反するものといわざるを得ない。
したがって、被告において、信義則上、中・長期の開門調査を実施して、因果関係がないことについて反証する義務を負担しており、これが行われていない現状においては、諫早湾内及びその近傍場の環境変化と本件事業との間に因果関係を推認することが許されるものというべきである。」(判決要旨 佐賀地方裁判所民事部 平成14年(ワ)第467号外12件 )
旨判示する。
つまり、被告が因果関係の立証に協力しないことは立証妨害に該当し、訴訟上の信義則に反することを認めた上で、その効果として、被告は因果関係がないことについて反証する義務を有しており、その義務を尽くさない以上は、有明海における環境変化と本件事業との間に高度の蓋然性をもって因果関係があることを推認できる、と判断している。
(3) 本訴訟との関連
2(1)、(2)で述べたとおり、本件の争点@、Aを判断する上で必要不可欠な事実・資料について法廷で明らかにしようとせず、本件真相解明に協力しない被控訴人の態度は、諫早湾堤防撤去訴訟における被告国の態度と同様と言うべきであって、本訴訟においても、かかる被控訴人の訴訟方針は訴訟上の信義則に反し、立証妨害に該当するとの判断が示されるべきである。
4.証明妨害適用の法的効果
本件に証明妨害の法理を適用することにより、その法的効果としては、控訴人がチエの棄却処分は違法であるから取り消されるべき旨の主張・立証をするにあたり、証明度の引き下げが図られるべきである。
あるいは、諫早湾堤防撤去訴訟判決が判示したように、被控訴人に対して棄却処分は適法である旨反証する義務を負担させた上で、その義務が尽くされない限りは棄却処分が違法であることが推認されるなど、被控訴人にリスクを課すことにより控訴人の証明負担の軽減が図られるべきである。