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原田正純証人調書20081117

速記録(平成20年11月17日第4回口頭弁論)
事件番号 平成20年(行コ)第6号
証人氏名 原田正純

被控訴人ら指定代理人(赤谷)

甲第264号証(意見書)の19ページを示す

001 これは、先生が作成された意見書の本文の最後のページなんですけど、お分かりになりますか。

はい。

002 ここに結論として、チエさんを、「残された診断書、生活歴、家族の症状、近隣の水俣病認定状況などから、水俣病であったと診断する。」とありますが、これは結論ということでよろしいですかね。

結構です。

003 先生御自身は、チエさんを御覧になったわけではないですよね。

診てません

004 この結論が導かれる理由というのか、こういう診断ができる理由というのを、お聞かせ願いますでしょうか。

この意見書に書いたとおりに、通常は、診ないで,診断するというのは本当はおかしな話です。それを認めた上で、水俣病というのは御承知のように環境汚染によって起こった病気ですね。しかも、食物連鎖ですね。ということは、家族は同じものを食べた、あるいは、地域が同じものを食べたという前提があるわけです。したがって、通常なら、そういうことは成り立たないんですけれども、水俣病に関して言うならば、まず、家族が同じものを食べてたんですから、どういう影響があるかということを調べる。あるいは地域がどういう影響を受けているかということを調べることが水俣病に関しては極めて有効であるということですね。そういう意味で、残念ながら、私は本人は診ていないんでけれども、家族を診ることによって、ある程度、御本人の病状というものを推定できると、そういうふうに考えてこの意見書を書いたわけです。

005 そうすると、今回のチエさんの場合に、具体的にチエさんがどのような症状だったのかとか、症候だったのかというふうにお認めになられたんでしょうか。

それは、残った証言とかですね。私が有力視したのはS先生の診断書ですね。全部は検査してないわけですから、耳鼻科と眼科の所見は残ってたわけですね。そろいう所見を総合して、私が一番有力視したのは、最初に診たS先生の診断書です。

006 その資料等を通じて、先生御自身が、チエさんがどういう症状を持っていたということを前提として診断をされたのかという質問です。

四肢に強い感覚障害、これは水俣病で通常見られる一番多い症状ですけれども、それをちゃんと長年診察をした医師が診断書に書いてるわけですから、私は、まず、それが一つですね。それから、それを裏付けることは、家族の意見だとか、あるいは申請のときの意見書だとか、そういうようなことで総合的に感覚障害が、まず、最低はあっただろうというふうに判断したわけです。

007 そうすると、診断書とか御家族の方の状況等を総合して感覚障害があったと認めたということでしょうか。

はい。

008 先生は、前回の御証言のときに、人の残された診断書あるいは検査所見というのは、それ以上でも、それ以下でもないと。それでもって診断書というふうにはならないですとか、家族の問題とか、地域の問題とか、そういう問題から水俣病であると言っているわけなので、ほかの人がこう言ったから水俣病と言ってるわけではないです、こういう御証言をされたんですが、ご記憶でしょうか。

ほかの人って、だれでしょうか。

009 恐らく、ほかのお医者さんとかがこう言ったたからというふうに理解しているんですが、私は。

いや。私の診断の根拠は、一つ大きいのはS先生の診断書だと思うんですよね。そんなことを言うと失礼ですけど、医師免許証を持って、しかも、現地で長年診療に携わった先生ですから、この先生の診断書というのを私は一番重視したわけで、それ以外に感覚障害がないという診断書がありましたでしょうかね。なかったと思うんですけど。

010 そうすると、今回は、審査会資料だとか、S先生の診断書というのがあったわけなんですが、これが仮に御本人を直接診断した診断書というのがなかったような場合、これでも水俣病の。

もし、何もなかった場合、例えば、患者の訴えをだれかが伝えるというようなものしか全くなかったら、それは本件よりも確率は低くなるでしょうね。私は、そんな強く言えないと思います。ただ、水俣病というのはさっきから申し上げてるように、家族ぐるみ、汚染されたんですから、その可能性は僕はあっただろうというふうには言えると思うんですけど。診断書も何もなかったら、それはこの方よりも確信の度合いは低いというふうに思います。

011 御家族の方を診断された結果だけであった場合というのはどうでしょうか。

可能性は非常に強いじゃないですか。もし、同じものを食べて同じ生活をされているとしたならば、それは家族に水俣病がたくさんいたなら、それは疑うのは当然じゃないですか。普通の病気とはまたちょっと違って、環境汚染によって、しかも、食物連鎖によって起こった中毒ですから、それは、もし仮に本人の所見が全くなくても、家族が明らかに水俣病であるということが確認できるなら、その可能性を私は否定できません。

012 そうすると,御家族の方の様子を見れば、水俣病と診断できるという場合もあると。

場合もあります。

013 診断できるというのは、御本人がどういう状態だったか、具体的な症候とか症状というのが判断できると、こういう御趣旨ですか。

もちろん、それもあるんですけれども、本件の場合は、ちゃんと長年、現地にいて診たドクターがそういう所見を書いているというのが、非常に私にとっては強い支持というんですかね、になったというふうに思いますけど。

014 ただ、その御家族の状態とかというのも、大きな要素にはなっているんですよね、今の話だと。

もちろん、そうです。同じものを食べてますから。ほかの、例えば、職業病なんかだったらそういうわけにはいかないでしょうね。だけど、この水俣病というのは、その地域で同じ魚を食べたという、非常に特殊なとは言わないにしても、特徴のある病気ですから、家族の所見というのは非常に大事だし、もし、この方が亡くなっていらっしゃらなくても、診断をする場合に、家族にどのような症状があるか、あるいはどういう診断を受けてるかということは、医学としては、あるいは医療として非常に必要なことだと私は思ってますけど。

015 先生にこんなことを聞くのは恐縮なんですが、水俣病というのはメチル水銀による中毒ですよね。

はい。

016 とすると、そのメチル水銀の摂取量によって、健康被害が出たりとか、出なかったりとか、差が生じたりとか、個体差、個人の感受性等によって、同じようにメチル水銀を摂取していても、健康被害が出たり、出なかったりとそういう出方に差があったりというのは。

もちろん,当然あると思いますよ。

017 その御家族の状況を診れば、本人の状態が分かるということと個体差があるということは、どう説明されるんですか。

これはほかの話ですけれども、非常に重症な患者の家族を診て、もちろん、症状にはいろんな差があります。そのことは認めた上で、この例の場合、医者がちゃんと診て、しかも、感覚障害と書いてるわけですから、だから、そこは、それと同じように一般論では言えない。理論の上からは、家族の中に食べ方にも、多少、濃淡があるだろうし、症状にも、あるいは感受性にも差があるでしょうし、症状に差のあることは、それは私も認めます。だけど、この場合はドクターが診て、きちんと記載してるわけですからね。だから、今の御意見は、必ずしもこの例には当てはまらないんじゃないかと思います。

018 今回の場合のように、お医者さんが患者さん自身を診なくても、患者さんにどんな症状があるとか、どういう症候があるとか、そういう判断ができるようなほかの病気というのは、水俣病以外にはございますでしょうか。

それは、例えば、非常に遺伝性のはっきりした病気ですね。それから、あえて言えば、家族じゃないけれども同じ環境で作業をした。例えば、職業病の場合ですね。そういう場合は本人以外を診て、ある程度の推定ができるという可能性はあります。

019 その病気を診断できる、この人はこういう病気ですよと診断できるという程度まではどうでしょうか。

それは、もちろん、濃淡がありますけれども。例えば、非常に強い遺伝病なんかの場合は、診断してもかまわないと思いますね。一般論はそうですけれども、この場合とはちょっと違うんじゃないでしょうか。

甲第2号証(診断書)を示す。

020 これはS先生が作成された診断書なんですけれども、前回の御証言ですと、過去に2回、S先生にお会いになったことがあるということでよろしかったですかね。

はい。

021 前回の御証言だと、S先生にお会いになった理由なんですが、水俣病の申請のための診断書を作成してくれる医師が少なかったので、その数少ない医師に会いに行ったというようなことをおっしゃられたんですが、そういうことでよろしいでしょうか。

はい。

022 大体で結構なんですが、いつごろのお話ですか。

結局、水俣医師会とか芦北医師会で、なかなか、患者が申請の診断書をもらえなったころですね。いつごろと言われると、ちょっと僕も。昭和40年代だったと思いますけど。

023 原田先生御自身が熊本県の認定審査会に関与されていたことがありますよね。

はい、あります。

024 認定審査会の委員でいらっしゃったということですよね。

はい。

025 それよりか前ですか、後ですか。

前だったと思います。

026 どんな用事だったか、具体的に何か覚えていらっしゃることはありますか。

当時、水俣市の医師会は申請診断書を書いてくれなかったんですよ。S先生だけが申請の診断書を書いてくれた。それで、川本輝夫さんだったと思うんですけど、これはちょっと確かな記憶がないんですけど、一ぺん会ってあいさつしとってくれみたいな話だったんじゃないかと思うんですけど、お会いして、よろしくお願いしますみたいなことを言ったんで、具体的に何かの話をしたとか、そういうことではなかったと思います。

027 そのとき以外、2回以外に、御面識というのはおありなんでしょうか。

ありません。

028 先ほどもちょっと出ましたけれども、原田先生御自身は、S先生について水俣病の患者さんの診察の御経験が十分ある医師だというふうに評価されているということでよろしいんでしょうか。

よろしいです。

029 その根拠というのが、評価の前提になっているのは、たくさんの患者さんを診ておられると、こういうこと以外に何かございますか。

それ以外というよりも、少なくとも、感覚障害に関しては、もちろん、見落としというか、関心を持たずに、例えば、風邪とかおなかが痛いと言ってきたら、それはいちいち、感覚がどうだろうというようなことは調べないですよね、開業医の場合はですね。だけど、少なくとも、水俣病の申請と言ってくれば、最低限、感覚障害はやるわけですから、そういう意味ではそんなに高度なことでもない代わりに、少なくとも、医師であって、ある程度の経験があれば、この所見は信頼すべきではないかというふうに思います。だから、全部が、そんな高度な知識がなければ感覚障害が分からないということではないと思いますけどね。

030 整理のために伺いたいんですが、そういう原田先生御自身が、あんまり水俣病の患者さんの診察の経験が十分じゃないなと思っているお医者さんが、仮に四肢末梢に感覚鈍麻があるというような今回のような内容の診断書を作成したら、それは、そのとおり信頼できるというお考えになるんでしょうか。

医師免許証を持った人が、少なくとも、自分の名前を書いて印鑑を押してれば、それを信じなくてどうしますか。私は、それは信じます。ただ、その解釈、例えば、病名をどうつけるかとか、その辺は、神経内科なのか、一般内科なのか、あるいは小児科なのかというようなことで、多少の差はあるかもしれませんけれども、少なくとも、この場合はS先生は現地に住んでおられたし、たくさんの患者を診ておられる。もちろん、日常診察ではおなかが痛いとか風邪を引いたとかいう訴えで見えると思いますから、感覚障害までいちいち調べなかったと思いますけれども、少なくとも、水俣病の申請をするから、水俣病のための診断書をと言われれば、通常、経験のあるというか、患者をたくさん診た人なら、それは所見をちゃんと記載するというふうに私は思います。

甲第259号証(水俣病診断綴り)を示す

031 複数のお医者さんの診断書のつづりなんですが、その中にS先生のものも含まれていまして、例えば、1枚目ですとか、6枚目ですとか、8枚目なんかでは、四肢末梢に感覚鈍麻があるとは記載していない診断書があるんですが、そういう場合には、その患者さんには四肢末梢に感覚障害はなったと判断されることになるんでしょうか。

それは、もちろん、S先生が、そう判断されたんじゃないんですか。

甲第2号証を示す

032 今度は病名のところにいきたいと思うんですが、S先生は、「病名不詳」とされていますよね。直接、診察されたS先生が病名不詳というふうにされたんですから、チエさんは水俣病と診断できなかったということにはならないんでしょうか。

それは、当時、水俣医師会、芦北医師会は、診断書をなかなか書いてくれなかったんですよ。それで、県はどういう指導をしたかというと、とにかく、形式だから、風邪でも何でもいいと、変な話ですけどね。風邪でも何でもいい、とにかく、医者の診断書を付けてくれという指導をやったんですよ。そのときに、僕らは、それはおかしいと思ったんですね。水俣病の申請に風邪でも何でもいいと。要するに、医師の診断書であれば何でもいいという県の姿勢はおかしいと僕らは思ったわけです。その中で、せめて、症状をきちんと書いてる先生というのがS先生だったんですよ。だから、恐らく、私も実は水俣病と最終的には診断書に書いてないんですよ。それは、一応、最終的診断水俣病というのは審査会がする。だから、とにかく、審査会申請用の診断書ですから、S先生に限らず、当時の水俣市の医師たちは水俣病と診断してませんよ。これは調べてみられたら分かると思うんですけれども。よほどはっきりしたもの以外は、申請診断書には、ほとんど病名不詳です。これは調べられたら分かると思うんですけど。それはなぜかと言うと、水俣病かどうかの判断は審査会が握ってるわけです。審査会が水俣病かどうかを判断すると。だから、開業医の先生たちは、とにかく、申請用の診断書では判断をしないというのは、そういう指導もしたわけです。例えば、何でもいいから診断書を出してくれと。それはあんまりだろうということで、病名は審査会がつけるという意味で、これは水俣の残念ながら非常に特殊な事情であって、ほかのところでは、よほど、病名が分からない病気でない限り、こういう診断書を普通は書きませんよ。これは、水俣病の、あるいは水俣の特殊事情です。

甲第259号証の5ページを示す

033 これは、同じくS先生が作成された診断書なんですが、病名のところに「水俣病の疑」というふうに記載されていますよね。

だから、この人はよほど所見があったんじゃないですか。S先生がここまで書かれたということは。時期がどうかですね。時期によっても違うんですよ。時期は同じころですか。

034 この方のは昭和48年7月2日で、チエさんのは昭和49年5月23日。

後ですね。

035 この時期の違いが、何か影響しますか。

いわゆる医学じゃなくて政治的な状況がいろいろ変わったから、時期によって違うかなとひょっと思ったから。

036 この2つの時期は。

同じですね。

037 そうすると、S先生は、病名不詳とするのか、水俣病の疑いとするのか、診断名を書き分けていたと、こういうことになるんでしょうね。

そうですね。

038 そうすると。本件では不詳とされている例、チエさんの場合に、もし、水俣病の症候とか認められたら、水俣病の疑いというふうに書いてもおかしくないかなというふうに思うんですが、いかがでしょうか。

それは、S先生の水俣病像によるでしょうね。S先生がどうかは別として、一般的な話として、当時の開業の先生たちは、感覚障害と視野狭窄とか聴力障害とか、いわゆるハンター・ラッセルがある程度確認できたものを水俣病と考えていらっしやったわけですから、その症状の組合せの程度によって使い分けられたかもしれません。それは、私は何とも言えないんですけれども。

039 先生は。結論として、チエさんは水俣病だと、こう診断されるわけですよね。

いろんな状況証拠から、私はそう診断をしております。

040 S先生の診断の感覚障害という部分については信頼できると、先ほどおっしゃいましたね。

はい。

041 その症候の有無はS先生の診断を尊重して、診断の結果については不詳としているのに、水俣病だと診断するということは矛盾しないんでしょうか。

私が診断するのは矛盾しないということだけど。

042 S先生の診断をどういうふうに扱うかという意味で。

もちろん、S先生は家族歴なんかもお聞きになったとは思うんですけれども、本来こういうことはあっちゃいかんわけですよ、本当は。しかし、この場合、御本人は亡くなっている。それから正式な検査もない。そういう状況の中で判断を迫られれば、私は、例えば、同じものを食べた家族とか、そういう人たちを診て、総合的にS先生の診断書を私が診た、あるいは私が集めた証拠でもって、最終的には水俣病と判断したんであって、本当はこういうことはあっちゃいけないんじゃないんですか。本当は本人がちゃんといて、本人を診て、そして本人に診断するというのが普通の診断であって。だけど、この場合は、正式なというか、検診のカルテがないわけです。診てないわけですよね。だから、そうせざるを得なかったということです。これは、例外ですよ。

被控訴人ら指定代理人(平野)

043 先生は、昭和35年に大学院にお入りになってから水俣病の研究に参加されるようになったということですか。

はい。

044 研究に参加されると一口に申しましても、いろんな形態があると思うんですけれども、どのような活動をされていたんでしょうか。

35年は、なかなか、患者を診せてもらえなくて、動物実験ばっかりしてました。だから、猫やねずみやうさぎ、そういう実験ばっかりしてて、水俣病の研究とはいっても、患者をほとんど診てないです。

045 35年は患者をほとんど診てないという御証言だと、患者さんを診るようになったんですか、いずれは。

36年以降、現地に行くようになり、特に私は大学院のテーマとして胎児性の患者の問題を選んだために現地にしばしば通いました。

046 前回、不知火海沿岸の住民の健康調査で、3000人か4000人か、御覧になったと御証言になったと思うんですが、御記憶ですか。

はい。

047 この3000人とか4000人というのは、健康調査の目的で現地に入って、健康調査をしますよということで御覧になった数という御趣旨なのか、それとも、医療機関にお医者さんとしていて、いろんな患者さんが来た中で水俣病っぽい人が3000人とか4000人いたという御趣旨なのか、どちらでしょうか。

両方です。だから、例えば、大学病院で一応外来を開いてたわけですから、大学病院に診てくれという場合もあったし、私が出掛けていって、例えば、頼まれてぽつぽつと診る場合もあったし、それから、第2次調査団で診た場合もあるし、ボランティアと言ったらおかしいですけれども夏休みに呼びかけて、たくさん患者が、診てくれ、診てくれ、診断書をくれといって押しかけた時期があって、それはとてもこなしきらんので、全国に呼びかけて、新潟の先生まで来てもらって、それでボランティアの調査団を作って診たこともあるし、形態はいろいろですけれども、全部合わせると、数えたことがないんで正確には分かりませんけれども、それぐらいは診たんじゃないかなというふうに思ってます。

048 そうすると、水俣病の患者さん以外の患者さんの診療をされていたのは、熊本大学医学部の外来のときということになりますか。

それと、大学院時代によその病院に派遣されたり、例えば、飯塚病院、今の麻生病院ですけど、あそこに1年ぐらいいたり、それ以外にも、例えば、振動病の調査をしたり、二硫化炭素中毒の調査をしたり、論文リストを見ていただければ分かると思いますけれども、なるべく、たくさんの患者を診ようとして、私は診るしか能がないですから、あんまり実験というのは弱いんで、たくさん患者を診たつもりです。

049 熊本大学医学部の外来にいらしたときと、それから、院のときに外部に派遣されたときというのは、主に精神科を御覧になっていたということですか。

そうです、はい。

050 先生、当時は精神神経学会に所属されていましたか。

そうです。

051 精神神経学会は、現在も存続していませんか。

存続していますよ。

052 それとは別に、日本神経内科学会というのも存在してませんでしょうか。

私も入ってました。あれは、もともと、日本精神神経学会なんです。それが、途中から、神経内科学会というのが分離したわけです。その分離する時点が、ちょうど、水俣病事件のそのころだったと思うんですけど、正確な時期は調べればすぐ分かりますけれども、日本精神神経学会というのは百何年の歴史があって、そこから神経内科が分かれていったんです。私が一番最後ぐらいで、私が入ったときは神経精神科で両方やってたわけですね。それが神経内科ができて。できたのは各大学によってちょっと差があるんですけれども、熊本はちょっと遅かったんですけど、神経内科ができて、それで神経は神経専門に。これは学問が進歩すれば分化していくのはやむを得ないんで、日本神経学会ができるときに、精神神経学会に参加した人が、かなりそっちに参加して、私も参加してましたので、できたときはですね。だけど、だんだん、離れていっちゃったわけですね。

053 現在、精神神経学会に所属されているのは、主に精神科の専門の医師ということになりませんか。

が,多いですね。

054 神経内科のほうの話を若干だけ伺いたいんですけれども、神経専門の教科書なんかを見ますと、感覚障害は患者さんの訴えることを、ただ、記載するんじゃなくて、様々な工夫をして診断すべきであると書かれているのは御存じですか。

はい。

055 話をちょっとS先生のほうに戻したいんですけれども、S先生がこのような神経内科の専門的な教育を受けられたかどうかとか、御経験がある方とか、その点は御存じですか。

もちろん、はっきり言って、S先生は神経内科の専門家ではありません。しかし、感覚障害があるかどうかというのは、医学生でも習うことであって、非常に基礎的なことですから、少なくとも、医者が感覚障害ありと書くのは、ただ、患者が言ったから、自覚症状をそのまま書いたわけじゃないですよ。だって、地図をカルテにはちゃんと書いてするわけですから。だから、私は、少なくとも、診断書にS先生が感覚障害と書かれた以上は、本人が訴えた自覚症状とは、これは別だと判断するのが正しいというふうに思います。

056 二点識別覚閾値の検査について若干お伺いしたいんですけれども、先生御自身もこの検査を用いられたことはありますか。

用いてますけど、前はそんなことしませんでした。

057 前はというのは、どのくらいから先生は用いられるようになったんでしょうか。

それは、後輩の浴野先生たちが、普通の感覚障害を、より的確なものにするためにはこういうものを用いたがいいという論文を書いたりされたんで、それから私もやるようになったんですけれども。しかし、それは審査会なんかでは全然やってませんから、歴史的に。もちろん、研究が進歩すれば技術はどんどん進んでいくし、検査の方法も変わっていくんですけれども、少なくとも、水俣病審査では、二点識別なんて全然使ってないわけですから。使ってないから知らんでいいということじゃないんですけれども、私がそれをちょっと試そうとしたのはずっと後のほうです。

058 二点識別覚閾値の検査に関してなんですけれども、正常値というのは、どうやって決められたものですか。

これは、私がしたんじゃないから多分ですけど。いわゆる正常と言われる人たちをたくさん集めて、それでやって平均を出したんじゃないんですか。

059 舌の二点識別覚閾値の検査をも、お使いになってますか。

やってみてはいます。だけど、私は飽くまでも、いわゆる、今まで従来やってきた感覚障害を重視してます。だから、舌の先とか、指先、二点識別とかいうのも、新しい検査として私は採用してますけれども、だけど、残念ながら、私はその評価が、必ずしも専門的でないから。少なくとも、水俣病に関しては従来の感覚障害を主として、二点識別を無視してるんじゃなくて、主としてずっとやってきてます。

060 舌とか四肢とかの二点識別覚閾値の検査ですけれども、これは臨床の現場ではスタンダードな検査ですか。

恐らく、神経内科のほうではそうかもしれませんけれども、私たちの時代、古い神経科といいますかね、のときにはそういうのは余りやってなかったですね。ただ、昭和三十何年ですかね、私の同僚に永木というのがおりまして、彼が精神科ですけれども、彼の論文の中では既に二点識別というか、書いてますね。それは、後で私は気が付いたんですけどね。だから、かなり古くから、それは所見としてはあったんですね。ただ、検査としてはあんまり一般化されてなかったです。

061 病理所見の話を伺いたいんですけれども、前回、武内先生や衞藤先生の病理所見で、水俣病で末梢神経も傷害されるという病理所見は誤っていた、間違いであると御証言されたのは御記憶ですか。

はい。証言は知りませんけど,論文やその他で知ってます。

062 先生が間違っているとおっしゃった根拠というのは、どのような内容ですか。もう一度、御説明いただきたいんですけれども。

それは幾つかあります。私なんかも、実際、見せられて、末梢神経の知覚神経がやられているんだというのが、ずっと長いこと定説だったわけですね。やっぱり、目に見えるというと、反論のしようがないわけですよね。専門家じゃなかったから。だから、武内先生が電子顕微鏡なんかを見せて、こういうふうに知覚神経がやられているよと、これが水俣病の特徴だと言われると、私たちも反論のしようがなくて、そしてまた実際、臨床的には、この末梢型の感覚障害があることは事実なんで、それを採用せざるを得なかったというか、納得せざるを得なかったわけですね。ただ、疑問はあったんですね。それはちょっと専門的になりますけれども、末梢神経がやられれば、腱反射、たたいたときぴょんと反射するあれがなくなるのが普通なんですね。ところが、なくならない人が多かったんですね。それで、我々の解釈としては,神経のやられ方によって残ることもあり得るんだろうと。武内先生が診て、写真を私たちに示されるから、そういうふうに思ってたんですけれども。実はそれが間違いだったというのは、いろんなことで言われてきたわけですけれども。私は専門家でないので、あんまり突っ込んでは言えないんですけれども、間違っていたと言われる根拠の一つは、末梢神経でも、感覚神経と運動神経とは違ったんですね。だから、それを感覚神経と運動神経を比較して、そして感覚障害がやられてるというふうにされたことが、やっぱり一つの間違いだったんじゃないかなというふうに思います。間違いだったとはいえ、武内先生のそういう所見がもとになって、私たちは水俣病の大切な症状は感覚障害だというふうにずっとやってきたこと自体は決して過ちでもたかったし、それから武内先生の業績が、それでもってすべて否定されるものでもなかった、ただ、相対的に比較したときに、末梢神経の感覚神経が非常にふぞろいで、何か汚いという言い方悪いんだけど、汚いもんですから、ついつい、そっちがやられてるというふうに。また、そして、水俣病は臨床的には感覚障害というのがベースになるぐらいの症状ですから、そういうふうに解釈された。まあ、しかし、これも水俣病の医学の歴史の中の一つの流れであったというふうに思います。

063 主に原田先生が誤りだとお考えになる点というのは、感覚神経と運動神経を比較したところにあると。

いやいや。私は、また、臨床の立場ですから、誤りなんてそんなことじゃなくて、非常に症状が動いたんですよ。これは患者をたくさん診た人じゃないと分からんと思うんですけど。例えば、大学病院で診て自宅で診るとか、自宅でも日を改めて診るとかすると、感覚障害の場所がすごく変わりたりしたんですよ。これは、前から、私は医学的に百パーセント説明できない部分があるなと思ってたんですね。だけど、実際、水俣病のはっきりした患者さんでさえ動くんですよ。それで、乱暴な意見ですけど、動くのが水俣病の特徴だよなんて冗談みたいに言ったことがあるくらいに動くんですね。ところが、これは中枢説で説明すれば、全然おかしくないんですね。恐らく、動くことを根拠に、神経内科系の先生方は、末梢神経がやられてない、末梢神経がやられてないから水俣病でないと、そこまではおっしゃらんけれども、その感覚障害だけがあるというのは非常に疑わしいということから、実は、感覚障害だけの水俣病は理論的にはあるけれども、実際には、感覚障害にプラス何かあったほうがいいということが、実は今の判断条件の中に盛り込まれてるんですよ。

064 話を戻したいんですけれども、そうすると、今、御回答の趣旨が分かりかねたんですが、要は、末梢が傷害されているだけだと症状は動かないはずなのに、動いたから末梢が傷害されるという理屈はおかしいと思うと、そういう御回答になるんですか。

そうですね。本当に、程度によりますけれども、末梢が完全にやられていれば、電気の線が切れたようなものですから、感覚障害の領域がこんなぴょこぴょこ動くのはおかしいということにはなります。

065 武内先生と衞藤先生が間違っていたぞというのは、例えば、ここの論文のここが違うんだとか、そういうことを先生御自身、御指摘できますか。

武内先生が間違っていたということですか。

066 はい。

それは、例えば、教科書の中に末梢神経がやられていると書いてあるんじゃないですか。それは、武内先生だけじゃなくて、僕らも、末梢神経がやられてると思ってたんだから、みんな間違ってたわけです。

067 いえいえ。先ほどおしゃったように、武内先生は、感覚神経と運動神経を比較していて、そこは間違いだとおっしゃったけれども、この論文のここでそういうことが書いてあったからそこが間違いだと御指摘できるんですか。

そんなこと、武内先生の論文を全部見たわけじゃないんですけれども、間違いのポイントはそこですね。つまり、末梢神経の中の運動神経と感覚神経を比較したという点が間違いだったというふうに、私は今は思うんですけどね。

068 じやあ,どなたかからお聞きになったんですか、そこの間違いのポイントを。

いや。間違いは、どなたかじやなくて論文に出てますよ、幾つか。

069 それはお帰りになったら、すぐ分かる。

分かります。

甲第265号証の1ないし3(認定審査会資料手作り手控え)を示す

070 控訴人の側から提出されている証拠ですけれども、これは、先生がお作りになったものですか。

そうなんですよ、これは。

071 どのような目的で、お作りになったものですか。

本当は公表するつもり全くないんで、審査会の期間中に、私のメモとして作ったものです。

072 そうすると、審査会に参加されていたときに、配付される審査会資料を持ち帰るなり何なりしてメモに取ったと、そういうことですか。

いや。審査会資料は原則として持ち帰っちゃいかんわけです。私は、記憶のために控えをとってたわけです。だけど、これは飽くまでも、所見のところは、私の所見というか、精神神経科の所見です。耳鼻料、眼科は、審査会の発表された資料なんだけれども、まあ、場合によって1分間に何人もいったり。1分間に何人はちょっとオーバーですけど、さっささっさといくこともあるんで、書き間違いがありたり、写し間違いがあったりすると思うんですけど。しかし、これは、飽くまでも私の私的なメモのつもりだったんです。

073 メモされているのは、精神神経科の部分ということになるんですか。

神経症状のところと精神症状のところは、そうです。

074 耳鼻科のところも。

いや。耳鼻科、眼科は、私なんか専門じゃないですから、審査会で口頭で発表されるのを、ぱっぱぱっぱ聞いたり、参考に書いただけの話です。

075 私的なメモをなんでこんな大量に残そうとお考えになったんですか。

こんな大量になるとは思わないですよ。大体1年か2年ぐらいだろうと思ってやりよったら、5年ぐらいやらなきゃいけなくなっちやって、その間、こんなになっちゃったんですよね。

076 当時、神経所見は、精神神経料以外に精神内科でも取ってませんでしたか。

神経内科ですね。

077 はい。

はい、取ってました。

078 それも記載されてるんですか。

いや。これは、飽くまでも、精神神経科の所見です。

079 先生にこういうことをお聞きするのも非常に恐縮なんですけれども、審査会の委員は守秘義務が課されているのは御存じですか、

知ってます。

080 それについては、どうお考えになりますか。

私は法律家の専門じゃないんだけれども、なぜ守秘義務ができたかを私なりに考えて、これは飽くまでも患者の不利益になるときですよね。だから、こういうものが流れることによって、患者が非常に不利益になれば、それは私は責任を取らなきゃいけないと思います。だけど、それが患者の利益になるんであれば、それは私はかまわないんじゃないかというふうに勝手に解釈しています。

(以上宮地慶子)

控訴人代理人(東)

甲第259号証を示す

081 右下のページが打ってあるところで言うと15ページから24ページ、医師として「三嶋功」という名前が書いてありますね。

うん。

082 この先生は、ここに書いてあるように、市立病院の先生だったわけですか。

そうです。

083 肩書は、院長先生ということ。

このころは副院長だったと思います。後に院長ですかね。

084 この先生は、審査会のほうには委員として参加されていましたよね。

はい、古いです。

085 この先生の診断書、15ページから24ページまでをぱっと見ていただきましたけれども、全部、「傷病名不詳」ということで書いてありますね。

(うなずく)

086 この先生が不詳と書かれたのは、先ほど被控訴人代理人のほうからお聞きなったことと同じなんですが、決して、水俣病ではないんだということで不詳というふうに書かれたわけではないんですね。

まあ、私も一部そう思っていたんですけど、だから、私は最後に疑いというのをつけたんですけれども、三嶋先生方は、水俣病の最終診断は審査会がつけるんだという信念を持っておられて、だから、一つ一つについては、三嶋先生がどう判断されたか私が想像できるわけじゃないんですけれども、ただ、三嶋先生は、申請診断書は、例外はあるかもしれない、さっきみたいにあるかもしれないけれども、大体、最終診断は審査会がつけるんだという信念を持っておられたので、不詳というふうにされていると思います。だから、通常、一般的な診断書の不詳とは私は意味が違う、申請診断書は違うというふうに思います。

087 三嶋先生は高名な方ですよね。

はい。

088 この方がこういうふうな書き方をしているということであれば、市井のお医者さんたちも、大体これに倣うような形になっていったということですか。

同じ水俣医師会でそういう話をされたかどうか私は知りませんけれども、最初は、水俣の医師会は申請診断書を書かなかった。それが、書くようになったら、不詳というのが多かったですね。多かったというより、ほとんどです。その中で、一歩踏み込んで水俣病の疑いというふうにS先生が書かれたとすれば、S先生は、かなり突っ込んで診ておられたというふうに思いますけれどもね。

089 S先生は、この市立病院にも御勤務でしたよね。

私は直接知らないんですけれども、と聞いております。

090 ということは、この三嶋先生の下で勤務されていた時期があったというふうに伺っていいわけですかね。

と思います。

091 7ページを示します。これはS先生の診断書ですが、ここには、「傷病名 病名不詳(水俣病の疑)」という形でかいてありますよね。

はい。

092 ということは、S先生としては、病名不詳と水俣病疑いというものが違うものとして認識されていたのではなくて、病名不詳とは書くけれども、実態としては水俣病の問題があるんだという意識を持って書かれたというふうに解釈しでいいんですかね。

私がいろいろ想像することはできないんですけれども、大体、当時の水俣医師会は、水俣病申請診断書の病名は、病名不詳が多かったというふうに思います。それは、本当に病名不詳じゃなくて、今申し上げたように、水俣病という判断は審査会がするんだという、話し合われたのかどうか私は知りませんけれども、大体、そういうふうになっています。

控訴人代理人(山口)

当審第2回口頭弁論証人原田正純の速記録を示す

093 前回の調書についてお尋ねします。私の聞き方があいまいだったものですから、調書の文章が先生の意に沿わないところもあったのではないかと思いますのでお聞きしますが、10項、先ほどもお名前が出てきた川本輝夫さんという方なんですが、テルオのオというのは、今日も奥さんもいらっしやっていますけれども、「夫」ですよね。

はい。

094 それから、先ほども衞藤先生と武内先生のお話が出てきましたけれども、エトウ先生のエという字が、真ん中が、普通の経緯の緯、緯度の緯というものではなくして、吊すというような大変難しい字を書いているんですが、御存じですか。

いえ。

095 それは知らない。

はい。

096 それが155項と156項でした。先生が審査委員をおやめになったとき、私が質問で昭和57年2月と聞いてしまいましたが、正しくは、57年、同年の10月と。資料を調べましたが、そういうことでよろしいですね。

はい。

097 52ページ、231項、「先生が審査会で人体の健康の判断をするのに5年とか6年保留にするということは、今からお考えになってどんなふうにお考えですか。」という質問に対しまして、下から7行目の末から、先生は、「そしてまた眼科も予備検診して耳鼻科がして、それからレントゲンを撮ったり」というふうにお答えになっているんですが、耳鼻科のことは前の行に出ているんですよ。したがって、ここは、予備検診をして医者が検診をしてというふうに先生はおっしゃりたかったんにやないかなというふうに思うんですが。

言い方は別として、事実として、耳鼻科と眼科に関しては、1日予診というのがあって、そして、もう一回、専門医の検診というのがあったと。だから、検診が2日あったわけです。そういうことです。

098 それが、眼科も耳鼻科もそれぞれ同じようにと、こういう意味ですね。

はい。

099 243項で、私が、カルテの保存期間を4年というふうに聞いていたんですが、正式には5年ですよね。

そうです。

100 249項で、私が、「事実チエさんも21年間たって棄却の裁決を受けたというような状況になったんですけれども」とあるんですが、私か言うのも恥ずかしい話ですが、棄却の処分を受けていたと。裁決ではなくて処分というのが正しいというふうに御理解いただけますか。

はい。

101 被控訴人代理人のほうからお聞きになったことについてお聞きいたします。被控訴人代理人は、先生が直接生きている患者さんを診ないで診断をするということが大変通常の医師の診断とは違うというような趣旨のことをおっしゃっていましたが、審査会の、議論をしたり、結論を出すときの前提としまして、全部、自分が診た医学資料に基づいて判断するものでしょうか。それとも、他のお医者さんが検診なり診察をした結果も含めて、審査というのはなされていたんでしょうか。

当然、審査委員というのは、そんなに全剖診れるわけじゃないですから。それぞれの教室でスタッフがいました。だから、ほかの科のことはよく分かりませんけれども、恐らく、似たようなことをやったと思うんですけれども、我が神経精神科では、少なくとも、3年以上訓練をした者を検診に充てておりました。だから、恐らく、ほかの科も、ある程度経験を積んだ人が検診に派遣されていたというふうに想像できると思います。

102 更には、審査委員の先生自身が、申請者のすべての病状というか、症状を診ていたわけではありませんよね。

そうです。

103 先ほども言葉に出ましたように、明確なのは、眼科とか耳鼻科については神経内科、精神科の先生たちは、全く検診の様子も知りませんよね。

はい。

104 その上に立って、検診の結果を当然の前提として、正しいものとして、審査委員が判断したと、こういうことでしょう。

それは、ほかに判断する材料はないわけですから。

105 そうしますと、被控訴人代理人が、他人の診察結果を基にしての診断、診察は、医者はできないのではないかと言っていますけれども、審査会自身は、全く他人の医者がやった診察結果を基にして診断するということになりますね。

だから、この審査会の判断というのは、通常の診断とは違うんですよ。それは、そこにある資料を見て委員会が決定するのであって、あとは、どの資料を使うかどうかというのは審査会の判断なんですよ。だから、通常の医療行為、通常の医療の診断とは違うんだという切替えが必要じゃないでしょうかね。

106 話は変わりますが、被控訴人代理人の質問には、同一家族、同居している家族であっても、食べる量が違ったり、発症の感度というのが違ったりして、違うように症状がとれるのではないかということを強くおっしゃっていましたけれども、審査会でも、同一家族の中に水俣病に認定された患者さんがいるということは、大きな一つの根拠となっていましたね。

はい。

107 そうすると、同居家族が水俣病であるということが一つの根拠となって、審査会も申請者の水俣病を診断したということになりますよね。

・・・・・・。

108 家族が水俣病であろうとなかろうと当該申請者の病状の理解をするのについて関係がないと言わずに、審査会というのも、同居していた家族が水俣病の被害をどういうふうに受けているかということを、大変大きく判断のときに資料としていたのではありませんか。

時期よって違うんですよ。最初のころは、やはり、家族の症状というのは非常に重視された時期があったんですけれども、だんだん数が増えてきたら・・・。

109 数が増えるというのは、どういう意味ですか。

申請者の数ですね。増えてきたら、家族の所見は、あんまり、事実上重視しなくなっちゃったんですね。それは、それくらい、家族にいわゆる旧認定の患者がいるかいないかということを、みんなが大勢受けているという前提に立っちゃったから、逆に、あんまり、家族に重症がいたかいないかということがほとんど問題にならなくなっちゃったというふうに理解しているんですけれどもね。

110 水俣病の申請の場合は、同居家族に同様の症状が出ることがほとんど、大変多かったから、むしろ、審査会の委員の方は、そういうことを前提として判断していたと、こういうことですか。

前提としてというよりも、もう、みんなが大勢受けているものですから、審査にかかわること自体が既に疫学条件というか、汚染の情況証拠はあるという前提になっちゃったわけですね。だから。そこで、かえって、症状で線を引く、りまり、汚染されているかどうかということで線を引くんじゃなくて、もう、全部が汚染されているという前提になっちゃったから、症状で線を引くというふうに変わってきちゃたというか、確認されていったというふうに言っていいと思うんですけれども。

111 線を引いたというのは、はっきり言うと、52年判断条件の場合は、特に線が明確になったと言えますか。

そうです。だから、疫学条件はあって、汚染は受けているんだろうけれども、症状が条件に合わないという、まあ、そうは言わないけれども、そういうことになるわけですね。

112 事実上そういうような。

判断になる。

113 判断を審査会でしていたと。

はい。

114 それに対して、先生が、前回も、意見書でも述べておられるように、汚染地域の患者さんを長い間御覧になっていて、そのような線、同じように汚染されていながら、ある家族は認定され、ある家族は認定されないという事態に対しては、どういうふうにお考えになりましたか。

これは、医学の問題というよりも、むしろ、社会、政治的な問題ですね。つまり、水俣病が発生して、原因が分かった時点で、魚を食べた人、当時は今と違って食べるものもそんなにいろいろ豊富にあったわけじゃないので、魚を食べた、汚染を受けた人たちの実態がどうなのかということをきちんと調べておれば、公平、不公平なく、水俣病として診断されたと思うんですけれども、最初から手を挙げた人だけを診ていくというような形をとっちゃたから、だから、家庭のいろいろな事情で手を挙げたくても挙げられない人、あるいは、大阪に行っちゃって情報が入ってなかった人、その様々な凸凹があった中での出来事なんですね。だから、本件に返って考えれば、周りはみんな申請されている、認定されているのに、いろいろな事情があって手を挙げなかったという事情があるわけですね。これは、医学の問題じゃなくて、社会的な状況の問題なので、重症者は別として、早く出した人が症状がそろっていて、後から出した人は症状が軽いなんていうことは通用しないんですね。同じ家族の中でも、たまたま手挙げた人と、きょうだいでも絶対に手を挙げないという人もいて、ばらばらなんで、医学のデータとしては、そういう言い方は悪いんですが、全く使えないと。だから、今おっしゃったように、何か基準があってやったわけじゃないんですよ。社会的な原因ですね。そういうふうに解釈したほうが分かりやすいと。

115 今おっしゃったいろいろな理由で、同一家族でも、申請した方もいるし、申請しない方もいるというお話ですが、先生が実際に体験した事情などで、幾つか例がありましたら、こんな事情があったんで、ある者は出したし、ある者は出さなかったと、例えば、チッソに勤めていた方というのは、やっぱり、申請が遅れたと思いますが、もし、はっきりした、先生が体験したことがあれば、お教えいただけますか。

たくさんあるんですけれども、必ずしも、チッソだけじゃないですね。例えば、こんなことを言っていいのかなと思うけれども、まあ、当時、申請がすごく遅れたグループというのが幾つかあります。一つは、市役所に勤めていた人たちの家族、それから、もうーつは、チッソに勤めていた人たちの家族、それから、漁業組合の役員をしていた人たちの家族。ほかにも、いろいろ考え方はあると思うんですけれども、少なくとも、私が知っている限りでは、そういうグループが、申請というか、手を挙げるのが遅れてしまったと。これは事実なんですよ。例えば、私がこの患者さんはひどいから申請したらと言っても、拒否されたことは何べんもあるんですね。

116 何べんもありますか。

うん。それから、同じ家族でも、自分はどこに勤めているから嫌だとか、そうじゃなくて好みの問題もあって、理由はないけど嫌だという人もいるし、嫁入り前の娘がいるから申請しないという人もいるし、私は今こういうところに勤めているから定年退職になったら申請しますという人がいたり。だから、かつて、私たちが水俣病として診ていた人たちというのは、やむを得ず見付かっちゃったというか、そういう人たちがたくさん最初は認定されたわけですから、やっぱり、そういう事情を知っていただいて、そして、審査会の先生方も、そういう事情をよく知っていただいて判断していただきたかったと思うんですけれどもね。そうでないと、今ごろなんでこういう患者が出てくるんだみたいな、今までなんで黙ってたんだみたいな、責任が患者自身にに負わされるというんですかね。そういうことが起こってきているんですね。ですから、最初の対応の仕方が、私たちというか、医学も含めて、最初の対応が悪かったと言わざるを得ないと思います。

117 申請を出さない理由として、私自身も休験したことですが、偽患者と呼ばれたり、金の亡者と呼ばれることを控えるために出さなかったという実例もありますよね。

知ってます。はい。

118 偽患者事件という刑事事件も、大きい事件としてありましたね。

はい。

119 逆に、先生は、前回の証言でも出たように、同一家族で寝込んでいるおばあちゃんの症状を見逃すというようなことがあったとおっしゃっていましたけれども、同一家族、同食、食卓を共にした、そして、住まいを共にした家族で、ある家族は水俣病と認められ、ある家族は全く水俣病の症状のかけらもないというような実例というのは、先生は体験したことがありますか。

昔、一番患者の多発したところで、これは大まじめなんですけれども、ふざけて聞こえたら困るんだけれども、もし、この村で、私は絶対どうもないという人は名のってこいと言ったことがあるんですね。結局、冗談みたいに受け取られて、名のりてきた人はあんまりいなかったんだけれども、私は半分本気で、そういう汚染地区で全く影響のない人というのは、僕は、ほとんどいないというふうな勘を持っていたから、そんなしたんです。もちろん、それは、ある時期です。今もという意味じゃないです。そういうことを経験しているものですからね。それから、彼らがどういう暮らしをしていたかというのを見てきたわけですよ。現代とは随分違うんです。今だったら、スーパーがあったり、いろいろあって、何でも食べるものはあります。だけど、当時は、本当に、入っていくのも大変だし、海の魚を取って食べる、あるいは、浜のかきを取って食べる、それが唯一のおかずだったわけですよね。だから、50年前のそういう状況というものを、やっぱり、ちゃんと理解して、水俣病というのを判断してもらわないと、今から考えれば、僕は、都会の人に話すと、東京の先生方も、そんな隣近所で同じものを食ったろうかと言われるんですけれどもね。今ならそうです。だけど、当時、漁村地区、あるいは、水俣地区では、食べるものはほかになかったんですからね。だから、そういうことを考えると、さっきの話に戻りますけれども、家族で、もし、水俣病がいれば、家族はほとんどが汚染されているということは間違いないんで、ただ、症状の出方は、人によって、それこそ、症状が3つある人、2つある人、1つある人、いろいろいるでしょう。それは、なぜそうなったかは分からないけれども、食べる量にもよるでしょうね。だから、何か、僕は、そういうふうに、ちょっと頭を切り替えて行政のほうが考えてくれると、随分違ったというふうに思うんですけれども。出てきた人を基準に当てはめてやろうとするから時間が掛かっちゃう。時間が掛かっちゃうから、この人みたいに何年も放置されて、検診も受けんまま亡くなってしまうというような悲劇が起こるんだというふうに思っています。

120 今、先生がおっしゃった当時というのは、先生が審査会の委員をやっていたころまでも入るとお聞きしてよろしいですね。

いや、だから、前ですよね。私が審査委員をしているころ、汚染が続いていたわけじゃないですから、そこは、ちょっと誤解しないように。

121 昭和31年の公式発見ごろから、その後、汚染が続いていたころの当時の地域の食糧事情というのは、そういうものだったというふうにお聞きしてよろしいですね。

はい。

122 今、先生がおっしやったことは,くしくも,関西の大阪高裁判決で,同一家族に水俣病がいるということが一つの条件として取り上げられていますが,先生のおっしやっていることと符合するわけですね。

ただ、ちょっと注意しなきゃいけないのは、認定患者がいるかいないか、もちろん、いれば、それは、家族は全部食べているわけです。じゃあ、いなければいないかというと、それは違うんで、さっき言ったような事情が一杯あるわけですね。だから、いつ手を挙げたか、あるいは、周りの人がどういう状況だったか、それによって全然違うわけですよね。だから、例えば、一斉検診をやって、最初、重症患者だけでも最初に救済しようというふうな手順が踏まれておれば、それは、昔の患者と今の患者が違うと比較できる。だけど、一切、そういうことが、調査は行われたんだけれども、それがいかされなかったですね。だから、全く偶然というか。家族に水俣病がいれば、それは、家族はみんな汚染されているというのは成り立ちますけれども、じゃあ、認定された患者がいないからその家族は汚染されていないかというと、それは違うんで、認定というものが、一体、水俣病事件の中で、どういう状況で行われ、そして、どういう問題があったかということがないと、単に家族に認定患者がいるかいないかということだけで判断すると、私は間違ってくるというふうに思います。それは、現に、見てきましたからね。

123 一つの例として、家族全員が認定されるかされないかは別としても、先生が家族全員が水俣病と思われる被害で病気を負っていたという家族などは、先生が今覚えている家族だけでも、どんな方々がおられますか。

ちょっと、個人の名前を挙げるのはあれですけれどもね。

124 例えば、地域と、その職業など、又は、先生とのかかわり合いという意味で、ちょっと実感をさせていただきたいんですが。先生が診察に行ったときに、本当に、一家全滅というんですか、全員病んでいるというような悲惨な状況というのは、どんな体験がございますか。

それは一杯あるんですけどね。例えば、胎児性のお母さんなんかは、私が調査をしているときに、胎児性の子供は、もう、隠しようがないわけですよね。学校も行けないし、その本人が胎児性ということを証明するためには、やっぱり、家族を診なきゃいけないわけですね。家族みんなを診ようと。例えば、お母さんが、私はどうもありませんと言って、私は診察せんでよかと言うんですけど、でも、そう言わんで子供の参考になるんだから診察させてくれと言って診察すると、感覚障害があるんだけれども、自然と感覚障害が出てきているものだから、本人も自覚していないんですね。それから、視野の狭窄なんかも、自然と狭くなっているので、世の中こんなものと思って自覚をしていない。味やにおいも、自然とそうなったから、本人はこれが当たり前と思っている。そういう人たちが家族の中にいるわけですね。本人も自覚していないと。そういう実態を見てきましたので、私は、ある種、あの当時、水俣の汚染地区に住んで、まあ、汚染地区がどこかというのは難しいんですけれども、患者さんが出ているところと大ざっぱに言っておきますと、そういうところに住まわれていた人たちは、何らかの症状はあったという確信があるわけですね。ただ、なぜ、この人は、感覚障害だけじゃなくて、ほかにもこういう症状があったのかというのは、医学的には、まだ分かっていません。いろいろな条件というのをきちんとしないといけないと思うんですけれども、そういうことで個人を挙げろときわれると、ちょっと困るんだけれども。

甲第264号証の添付資料F−1,添付資料F−2を示す

125 地図を示します。これは、先生が意見書に添付された資料で、多発地帯、本件の溝口さんもおられる、南袋や、茂道,湯堂、月の浦等の地域における患者発生の状況ですね。

そうです。

126 この中で、赤丸で書いてあるのが認定された人が出たところなんでしょうが、ざっとなんですが、先生は、これだけ大勢の患者発生の家族の中で、どれくらいの方のうちに行かれてますか。例えば、半分とか、3分の2とか。

全部は行ってないですからね。まあ、3分の1くらいの方は・・・。正確には分かりませんけれども、かなりの人をいろいろなところで診ていますから。自宅に行って診る場合もあるし、審査会に便乗して診た場合もあるし、湯堂なんかは、大学の住民検診でも診ているし、何で診たかと言われると、一口では言えないけれども、いろいろな形で診ると、ああ、この人、この人というのが。

127 関係が分かっちゃうわけですね。

はい。だけど、こんな表にしてみて、今更のように僕はびっくりしているんですけれどもね。ひどいとは思っていたけれども。こんなに・・・。

128 甲第265号証、先生の手控えを、現在、先生と詳しく分析しておりますけれども、先生は、この方々の症状を見ながら、次々、御家族の様子を私どもにお話しになっていらっしゃいますね。

はい。

129 1人の患者さんを見ると、その家族又は近隣の方々が先生は浮かぶわけですね。

まあ、浮かぶ場合と浮かばない場合とあります。

130 それが、さっきからおっしゃっているように。やっぱり、同居同食の親族という者は症状があるというのが先生の体験であると。

はい。

131 先ほど、被控訴人代理人のほうから、診断書に、水俣病の疑いというのと、それから、病名不詳というものがあるということを言われて、S先生が作ったものですから、S先生のお気持ちを憶測してみてもあんまり意味がないんですけれども、一つ、先生の当時の所見というんですか、考え方として、この5ページの「水俣病の疑」というのは、「四肢末端の知覺鈍麻」と「歩行障害」が入っているんですよ。それから、もうーつは、「病名不詳(水俣病の疑)」という7ページの診断書も、「歩行障害をみとめ」というのがあり、もう一つ、10ページ、これは「病名不詳」なんですけれども、運動失調、知覚障害に関する精密な検査を希望するというふうにあり、歩行障害は運動失調の一症状とみて、さっき先生が言われたように、当時のお医者さんたちがハンター・ラッセル症候群の症状を備えていると水俣病と思うというようなことと併せて考えますと、S先生というのは、この歩行障害を、感覚障害に加えて歩行障害があったときに水俣病というような疑いとか、そういうふうに思われたというふうに、医学的に考えられませんかね。思い込みではなくて。

それは、S先生が書かれたものを、私がどうこう言うあれはないんですよ。ただ、恐らく、想像ですけど、歩行障害というのは運動失調というふうに診られたんじゃないでしょうかね。

132そういうふうに理解しても。この証拠と合わなくはない。

それは・・・。

133 6ページの「病名不詳」という診断なんですけれども、S先生の症状のとり方を御覧になって、この患者さんについての何か病状の分析というのはできますか。

それは、S先生の診られたのをですね・・・。

134 S先生のとられた診察結果を前提としてという意味です。あるいは、「水俣病の疑」とある5ページの「歩行障害、四肢末端の知覺鈍麻」、こういうような診断がとられているとすれば、いかがですか。

質問の意味は分かるんだけれども・・・。要するに、S先生の診られたものを、私が、どれがあってどれがないなんて言えないでしょう。

135 じゃあ、今度は三嶋功先生のほうに移ります。15ページなんですが、三嶋先生というのは、審査会でも大変な重鎮でしたよね。

委員長、副委員長ですね。

136 その先生の私どもの集めた診断書は、すべて「不詳」ということになっているんですけれども、例えば、この15ページ、「他覚的には四肢の表在知覚障害、一部運動の緩慢・拙劣を認める。」という症状があって、曝露歴がはっきりしていた場合は、どんなふうに先生はお考えになりますか。そういう申請者とか患者に対して。

まず、四肢優位の感覚障害というのは、ゼロとは言いませんけれども、教科書にはたくさん病名が書いてありますけれども、水俣病以外にそんなにあるものじゃないんですね。それから、運動の緩慢さとか拙劣さというのは運動失調とまでは言えないんだけれども、運動失調と言うには一つの基準があって、共通の判断のあれがあるわけですね。ところが、慢性期の水俣病というのは、典型的教科書的運動失調というのは非常にまれでして、むしろ、運動のまずさとか遅さとか、そういうことで表現される症状というのが多いんですね。と言えるんだけれども、それから先、三嶋先生がそういう所見をとったかどうかというのは。これは、私からは何とも言えないです。

137 25ページ、これはI夫先生なんですが、先生は、この方は御存じですね。

(うなずく)

138 診察の結果を大変詳しく書いてあるんですよ。これも「傷病名 不詳」と書いてあるんですが、先生は、医者としてこの診断書を見たときに、不詳というのが水俣病を否定しているという積極的な意味を持っているかどうか、先生としては、どう判断しますか。

診断書じゃなくて、当時の状況とか、当時の医師たちの意見から、水俣病と診断するのは、よほどはっきりしていないと、大部分は、水俣病という診断権力、権じゃないんだけれども、診断するあれは、権利は、何か、審査会にあるというふうにみんな思っていて、丸投げしていたわけですよ。だから、I先生も、症状はそろっているけれども、最終的には水俣病というふうにお書きにならなかったというふうに私は解釈していますけれどもね。

139 それについては、先生は、先ほど、今のようなことになった特殊事情があるんだと。丸投げをしなきゃならないとか、病名を書けなかったことについて、当時、水俣には特殊事情があるんだというふうにおっしやったんですが。

特殊事情という言い方は悪かったんですけれども、何か、話し合ったかどうか分かりませんけれども、最初のころは、患者たちは、例えば、川本さんが申請しようとするときなんかは、水俣の開業医の先生たちからは、申請用の診断書をもらうことすらできなかった。それで、県に相談に行ったら、県が何でもいいと。要するに、風邪でも、腹痛でも、何でもいい、とにかく医者の診断書を付けてくれというくらいの状況だったということを、ちょっと、頭の中に入れておかないと、この問題というのは理解できないと思います。

140 被控訴人代理人の平野さんがお聞きになったことなんですが、武内先生と衞藤先生の誤りというのはどういうところだったかをいうことなんですが、あいまいだったので、もう少しはっきりお聞きしたいんですけれども、感覚障害、特に、とられているものとしては、四肢末端の感覚障害なんですが、感覚障害の責任病巣が末梢神経なのか中枢神経なのかということの違いがあったわけですよね。

はい。

141 だから、先生が先ほど末梢神経にも障害があったということをおっしゃっていましたけれども、これまでずっと大きな問題、関西水俣病の大阪高裁でも問題になったのは、感覚障害の責任病巣がどこであるかと。

ちょっと待ってください。僕は、末梢神経もやられているというふうには言ってないですよ。むしろ、中枢性だと、我々は臨床ですから、患者の所見しか診ないわけですよね。どこがやられたかというのは、もちろん、少なくとも専門ですから、この症状はどこがやられているという解釈はしますけれどもね。だけど、決定的には、やはり、病理のほうが確実なわけで、だから、我々は感覚障害というものをずっと認めてきたわけですけれども、それは、武内先生が写真で出して、こういうふうに末梢神経がやられているというふうに出されれば、我々はそれを認めざるを得なかったわけですね。ただ、非常に、それを末梢として認めるには、ちょっと矛盾があったわけですね。幾つか矛眉点があったんです。その矛盾点が、実は、審査会の判断条件の中に、感覚障害だけでは本人が言っているだけであてにならんから、そうは言ってませんけど、簡単に言えば、そのかわり、末梢神経だけでは水俣病という根拠に乏しいということで、複数の判断条件というのができてきたわけです。

142 症状を要求してきたと。

症状の判断が出てきたわけです。そういう流れからいくと、中枢性であるという説が出てきたことによって、今まで矛盾があったところが、非常に矛盾なく説明がつくということになってきたわけですね。

143 それで、誤りが多かったのが特に明白になったのは、武内先生の弟子である衞藤先生の論文などは明確に誤りが発見され、学会でも問題になっていますよね。

まあ、私は現場にいたわけじゃないけど、そういうふうに聞いております。

144 先ほどの話とつながるんですけれども、運動失調を52年判断条件の一つの要件としているので、運動失調の責任病巣と、感覚障害の責任病巣は、同じでですか、違いますか。

同じですかというと。

145 感覚障害の責任病巣。

大脳皮質でしょう。

146 それと、運動失調の責任病巣。

小脳です。

147 したがって、2つの症状は、大脳と小脳というふうに、はっきり違いがありますよね。

はい。

148 もし、先生が、感覚障害だけの水俣病というのを認めるとするならば、運動失調が出なければ水俣病と認めないという判断は、大きな誤診を生むもとですね。

誤診というよりも、非常に狭く水俣病をとらえてしまうということになるでしょう。

149 しかし、狭くとらえるというのは、先ほどからずっと先生がおっしゃっている、メチル水銀の被害を受け、健康障害を生じながらも、水俣病として認められない人が出るということになりませんか。それも誤診の一つでしょう。不作為の誤診。

結果的にはそうでしょうね。

裁判官(伊藤)

150 先生は、本件で証人に出られる前に、S医師に連絡を取ろうとなさったのですか。

いや、私じゃなくて、弁護士さんのほうから、僕に会ってみないかという打診があったんです。

151 じやあ、原田証人自身が、S先生にお手紙を書かれたということではないんですかね。

手紙、書いたかな・・・。

控訴人代理人(山口)

152 前回、証言しています。

書いたですね。あれは、私以外で、この患者さんに関して実際に診察したのはS先生だけですよね。だから、やっぱり、私は、S先生の証言というか、確信というか、非常に大事だと思って、それで、実は、お会いしていろいろお話を聞きたいなと思ったんですけれども。いろいろな事情でそれはできなかったんです。だけど、それは別にして、S先生という、変な言い方ですけれども、医師免許証を持った、しかも、長く水俣で実地で開業されていた先生の所見というのは、それなりの価値があるというか、重要な所見だろうと、それは絶対無視できない所見だろうというふうに思っています。

裁判官(伊藤)

153 証人が出された手紙に対して、S医師は返事を出されたんでしょうか。

もらったですね。非常に丁重な手紙だったんですけれども、体調が悪くてお会いしたくないみたいな。結果的にはですね。

154 この裁判では、山ロ弁護士に対する返事というのが証拠で出されておりますが。それとは別に、原田証人あてにお返事が来たということで理解してよろしいんですか。

来たんですけど、その手紙、ちょっと、僕、見付けきらんでいます。

155 その内容としては、直接会うことができないというお断りの内容だったんでしょうか。

はい,そうです。

156 ほかに何か、S医師の診断方法とか、診断書に関するコメントとか、そういうものはなかったんでしょうか。

非常に謙虚な方なので、あんまり自信がないみたいなことは書いてありましたけれども、僕は、それは非常に謙虚におしゃっているんだというふうにとりました。

157 ほかにどのような検査をやってとか、何回診たとか、何かそういうことについてはありましたでしょうか。

あんまり詳しいことは書いてなかったように思うんですけれども。すみません。ちょっと、僕、手紙を・・・。そんな重要なことになると思わないものですから。

控訴人代理人(山口)

158 私は、先週、先生にお会いして、正にS先生からの御返事の原本が欲しいと申し上げたけれども、研究室で、先生は、どこにしまったかなとおっしゃったでしょう。

はい。

159 返事が返ってきたのは、主尋問をする直前ですよね。

とにかく、裁判の前ですよ。

160 それに対しては私も更に対応しますけれども、先生がS先生からお手紙をもらったということを私に報告していただいて。その中に2つのことが書いてあったと。一つは、体調が悪いということでお会いできない、先生には証人に出てもらって申し訳ないということと、もう一点は、感覚障害については筆と針でやりましたということを書いてあったんじゃないですか。

ああ、失礼しました。やり方が書いてありました。

161 やり方が書いてあったのね。

はい。

162 ただ、詳しく、初めから終わりまでのことは書いてなかったと、こういうことでしたね。

うん。

裁判長

甲第2号証を示す

163 S医師の診断書なんですけれども、これは他人が書いた診断書なので、診断書の一般的な読み方を聞きたいんですが、ここに、「自覺的には四肢のしびれ感、歩行のゆらつき、流涎があり、血圧一六二〜八〇」うんぬんというふうな形で、順次書いていってますよね。最初の「自覺的には四肢のしびれ感、歩行のゆらつき、流涎」というのは、これは、本人の主張を書いたものというふうに理解するのが一般的なんでしょうか。

そうです。

164 「血圧一六二〜八O」というのは、検査の結果をここに書いたということですかね。

はい。

165 「四肢末端に知覺鈍麻を認める」というのは、何らかの検査をした上で、客観的症状として、四肢末端に知覚鈍麻をS医師が認めた、こういう理解でいいですか。

おっしゃるとおりだと思います。自覚障害と医師の判断とは区別してあると。

甲第45号証(陳述書)を示す

166 看護助手の方の陳述書なんですが、1ページの末行から2ページの最初の行にかけてですが、「地元の人が水俣病の診察のために来院されますと、S先生は各種の検査をされました。」「その方法は、水俣医師会で指導があったと思います。」と、こういうふうな記載があるんですが、水俣医師会で検査方法についてどんな指導があったか、証人は御存じですか。

知りません。

167 それは分からない。

はい。

168 医師の診断で傷病名として病名不詳とある場合でも、当時は、水俣病という病名は審査会がつけるという認識が現場のお医者さんにはあったので、傷病名として病名不詳とされていても水俣病に当たるというケースは十分あるんだというのが証人の見解だということでよろしいんですかね。

はい。

控訴人代理人(山口)

甲第2号証を示す

169 今、裁判長からお聞きになられた記載の「自覺的には四肢のしびれ感、歩行のゆらつき、流涎があり」と。これ、全部、自覚症状というふうに。

いや,患者さんが訴えた・・・。

170 訴えたということと、本当はS先生に聞かないと分かりませんが、歩行のゆらつきというのは、先ほどからずっと出ている運動失調の検査で、つぎ足歩行をやらせたり、医者の前を歩かせて診察するというのが、水俣病では一般的ではないんですか。

そうです。

171 そうすると、歩行のゆらつきというのは、単なる自覚ではなくて、他覚である可能性もあるんじゃありませんか。

可能性はあるけど。ここでは、S先生は、他覚と自覚とを区別して書いておられます。

172 と思われる。

はい。

173 流涎の場合も、多くの患者さんを診られた先生としては、流涎が出ていても本人が気が付かず家族がふいているというケースを多く見られたことはありますよね。

まあ、特に、胎児性なんかはそうですね.

174 要するに、口周囲の感覚障害があった場合は、自分に流涎があるかどうかすら分からない場合がありますよね。

はい。

175 そうしたことから、これも、S先生が流涎を現実に見てお書きになったというふうな可能性はないんですか。そう思われませんか。

どっちに書いてありますか。

甲第2号証を示す

176 言わば、右側です。

しかし、これは、少なくとも、自覚症状の中に入ってますからね。S先生が診られたかどうかは、これでは分かりませんね。ただ、変な話ですけど、患者さんは、医者の前に来るときは、きれいな格好をして、口をふいたりして来ますから、それだけじゃ分からないです。

(以上、曽我淳子)

福岡高等裁判所第5民事部
 裁判所速記官 宮地慶子
 裁判所速記官 曽我淳子

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