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控訴人冒頭意見陳述書

2008年6月16日
控訴人 溝口秋生

 1月の原判決のあと、何人もの方から「お疲れでしょうね」となぐさめの言葉をいただきました。私を全面敗訴とした判決だっただけに、みなさん気をつかってくれたのでしょう。
 しかし私は、「かえって元気が出ました」と答えました。こんなに恥ずかしい判決を、亀川裁判長は、よくも書けたものだとあきれかえったからです。

 母チエの妹が先ごろ亡くなりました。打たせ網の漁師に嫁いだ人です。水俣病患者として認定されていました。このおばさんから母はたくさんの魚をもらっていました。おばさんの娘も認定患者です。叔母は神川(かみのかわ)、娘は冷水(ひやすじ)と、二人とも母が嫁いだ我が家と同じ水俣市袋地区内に住んでいました。
 私の家を中心にして半径2キロで円を書いたら、その中には300人をくだらない認定患者がいるはずです。そうして認定されていない被害者の数はその何倍にもなるはずです。

 関西水俣病最高裁判決以後、新しく名乗り出た認定申請者が6千人にもなっています。裁判長、驚くべきことだとは思いませんか。恐ろしいことだと思いませんか。水俣病公式確認から52年も経ちながら、まだ水俣病被害者の真の調査、真の救済は、まったくなされていないのです。
 私の母が水俣病被害を受けていたことは明らかです。私はそれを確信していたからこそ、母の死後熊本県に電話をかけ続け、母の認定手続はどうなっているか、とたずね続けたのです。しかし熊本県は17年間も私の訴えに嘘を言い続け、無視し続けました。
 だから母の生前のカルテが失われた。それにもかかわらず、認定審査会は母が水俣病であるかどうかわからないと答申した。そうして熊本県は母を水俣病でないとして棄却したのです。

 原判決はこのことは、たいしたことではないと言いました。「認定制度の根本意義を喪失せしめるような悪質かつ重大な違法ではない」と言ったのです。
 母と同じように資料が見つからずに棄却された被害者は何百人にものぼります。放置しておけば、カルテが失われることはわかっているのに、それでも放置し続けることは悪質ではないのですか。17年間も何もしないでおくことは違法ではないのですか。認定制度とは被害者を切り捨てるためのものですか。

 昨年ようやく再開した熊本県の認定審査会は、またまた1年近くも開かずにいます。この放置状態の中で6千人の申請者が母と同じ目にあわされようとしているのです。
 原判決はこのような事態にお墨付きを与えたのです。

 母が最後に入院していたのは水俣市立病院でした。母は認定審査に協力するため、そこから水俣病検診を受けに通いました。水俣市立病院での主治医は、水俣病認定審査会の会長でもあった三嶋功先生でした。母の認定申請を当然知っていた人です。母が亡くなった時に、カルテの保存など、当然考えてくれていいはずの人でした。しかし何もしてくれなかったのです。カルテ保存の必要性さえ教えてくれませんでした。
 だから市立病院に入院、通院していた多くの被害者のカルテは、母と同じように失しなわれているはずです。ところが熊本県は、私が母のカルテを保存すべきだったと主張しました。行政が仕事をさぼった結果を、申請者の家族の責任にしているのです。
 さらに許せないのは、熊本県が「遺族の意向によっては病理解剖を行う方法もあった」と、認定審査が遅れたのは私たちが母を解剖させなかったからだと主張していることです。親の死を前にして解剖を優先させる考えを押し付けるとは何事ですか。

 裁判長、原判決が言う認定制度の根本意義とは何ですか。21年間、申請者を放置することが、認定制度の根本意義に反していないなどと言えるのですか。21年間の放置を認めるのが、裁判と言えるのですか。私は高等裁判所に、このことを真剣に考えて欲しい、深く考えて欲しいと思いました。私はそのために控訴したのです。

 私は息子が胎児性水俣病患者だと思いますが、熊本県は棄却しました。訴訟して争ったのですが、平成7年の政治解決で涙を飲んで和解しました。私が母の無念を晴らそうと闘うのは、この息子の無念も重ねているからです。

 裁判長、ぜひ水俣現地においでください。52年を経た今でも残る、人と自然に加えられた水俣病被害を、直接、自分の目でごらんになってください。そのうえで、母の水俣病を認めず、あまたの被害者を放置し続けて切り捨てた、熊本県の認定業務のあり方が正しかったのかどうか、判断して下さい。

以上

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