(以下は、いったんweblogに書きためた文章を、こちらに持ってきたものです。)
【 成年後見とコミュニティフレンド(1) 】(06/07/22)
昨日、PACガーディアンズの活動のひとつとして、松戸法人後見をめざす会の主催する研修会に講師として参加。その様子については佐藤氏のblogを参照されたい。
私などが言うのは却って失礼だと思うし、身内を褒めるようで気が引けるのだけれど、このところの佐藤さん(理事長)の言葉や視点はツボを押さえているのであまり付け加える気になれない。冴えてるなあというか。気持ちのありようや態度などは、ああそう考えればいいのかと思うこともあるし。
この研修会にしても、後見人/保護者/職員/コミュニティフレンドの四者が、被後見人など本人の決定とどのように関わるのかの違いを参加者にわかりやすく説明していた。
それにしても、PACガーディアンズの活動から生まれたコミュニティフレンドという考え方はまだあまり馴染みのあるものでもないだろう。私のHPでもblogでもそういえばあまり書いていなかったか。
今後、少しずつ書いていっても良いかもしれない。おそらくこの先、各地でこの概念と役割が試され、議論・検討され、批判を受けながら育てていくことになる。
ひとまず今日はここまで。
(続く)
【 成年後見とコミュニティフレンド(2) 】(06/07/30)
前回の続きである。
これから何回かに分けて、成年後見からコミュニティフレンドへ至るあれこれを書く。
(★以下、かなり思考実験というか、作業的に考え考え書いている。だから行きつ戻りつした文章になっているし、コミュニティフレンドの位置づけや整理は途中だと思っていて欲しい。)
障害のある人にとって、後見の利用を行うとすると、比較的長いおつきあいになる。その間に、いろんな社会的活動や社会参加をするだろうし、もう少し平たく言えば、いろんなところに出かけもするだろう。またいろんな人と出会ったり関わったりするだろう。そうなれば立場も変わってくるし、やりたいこと、しなければならないことも出てくる。社会的な要請や環境はどんな人でもかなりの変化が予想されるはずだ。高齢者を引き合いに出しては失礼な気もするが、高齢者の後見で見受けられるような、相続やそれに伴う財産管理を一時処理すればそれで済む話ではない。
このような、たくさんの“やりたいこと、しなければならないこと”が長期に渡って生じる可能性があるときに、後見という関係だけで対処しようとするのは、無理があるし適切ではない。むしろ後見人等と連携のある支援者が重要になることをPACガーディアンズでは指摘してきた。
(★この辺はもっと詳しく具体的に書いた方が良い)
まず私たちは、後見人等もしくはこれに類する関わりをする立場の人間には“遠い人”と“近い人”がいることを話し合った。というか、あれこれやっているうちに共通理解となっていった。
(★誰が後見人になるか?とか、親はどう考えればよいか?などを話し合った末のことと考えていただいてもよい)
遠い/近いとはどんな意味か? それは物理的距離でもあるし、支援の質・種類の違いだったり、人間関係の差違でもある。いろんな遠さや近さがあるだろう。
近い人には近い人の良さと悪さがある。また遠い人には逆の良さと悪さがある。
例えば親は近い人。身の回りのことについてどうしているのか情報を多く持っているし、人間関係から本人のことをよく考えている(場合が多い)。しかし時に本人を侵害する場合もあるし、また本人の利益と親の利益が同一視化される危険性も懸念される。家計的にも両者の収支が混在することは、家族として有り得ることではあるが、後見関係を成立させる場合にはときに弊害となることを十分理解しておかなければならないが、この理解が進まない場合もある。
いっぽう第三者後見人は遠い人だろう。身上監護に重点を置く後見人ではなく財産管理を主とする後見人であれば、更に遠い関係になる。引いた目で対応することが出来、本人を取り巻く人間関係に影響を受けることも少ない。利害相反も無い(そういう人を選ぶから)。しかし本人の日常生活に寄り添った判断をするには不十分かも知れないし、臨機応変な対応には向かない。
試行錯誤の結果、おそらく近い人と遠い人が連携しながら必要事務を行うのが良いのだろうということになった。後見関係をとる場合には、一方が正式な後見人となり、もう一方は補助者/監督者/協力者となる。日常の支援のあり方やマネジメント等に関することは専ら近い人が関わることになるだろう。
(続く)
【 成年後見とコミュニティフレンド(3) 】(06/07/31)
今のところ、複数後見はあまり認められる例がない。共同後見は更に希有だろう。
複数後見は後見人が複数であり、分担や両者の関係が整理される。共同後見は両者の立場が対等・同等ということだったように理解している。
家裁が複数後見を認めにくいのは、トラブルが起こったときに後見人同士で対立するとややこしいからだ。共同後見ならば更に問題だろう。だから複数後見にする場合であっても、役割分担というか縄張り分けをしておきたがる。例えば身上監護メインと財産管理担当のように。しかし実際問題として、そのように分離した事務が存在するものでもないだろう。
これについて、千葉でも若干は認める例も見受けられるらしい。また東京では、後見の開始後一定期間について後見監督人を付けるようなシステムがあっても良いのではないかと検討をしているらしいことを聞く。この辺りのことは専門家にお任せする。
もし複数後見が困難な場合には、遠い人/近い人のいずれかが後見人となってもう一方が協力するように動ければ良いだろう。例えば知的障害の場合は親が後見人となることが多いが、そうすると難しい事務が分からなかったり、単独で判断したくない問題が生じる場合の相談先が不明のこともある。そうした際に、遠い立場の人が居ると楽だろう。更に、残念ながら親の後見人は子どもよりも先に亡くなる可能性が高い。そうした場合に後見を予め次の人も含めて準備していくことが出来る。その契約を結ぶのが後見人だ。
もともと私たちは、見識の高い専門職後見人でもない限り、後見業務を単独で行いうるとは考えない。また有能であっても遠い立場と近い立場を両立できる人はそうざらには居ないとも思っている。出来ないことはそれを出来る人にきちんと依頼してやってもらえれば良い。
(★このへんは、現在行っている研究会で後見人像としてまとめる予定のものに、一致している)
このような考え方から展開したのが、「チームによる後見と支援」というアイディアである。メインとなる後見人が居て、その周囲に近い人/遠い人など複数名で本人(被後見人等)の後見と生活支援をケアする協議機会を持つように組織する。もちろん簡単なことや緊急のことは身近な人や後見人が行わざるを得ないが、例えばその人の将来的な居所のあり方、財産の使い方、支援方針の取り方などは、単独で抱えて困るのではなく、何名かで話し合っていくことが可能となる。私が現在行っている第三者後見についても、他の人に報告などして見てもらっている。
付け加えると、「チームによる後見と支援」では後見と支援をともに考える点も重要なポイントである。なぜそうしなければならないかは(2)に書いた。
この応用型として、今は必要ないが将来的に後見等検討の必要な精神障害の方についての見守り(この言葉は曖昧だなあ)をしている例がある。現在は関係を定期的に作ったり、必要な福祉支援機関への繋ぎをして、周囲との関係が切れないようにしている。そして近い将来の状況変化が生じた際には、これに応じて後見も含めた対応と支援を行いたいと考えている。
(続く)
【 成年後見とコミュニティフレンド(4) 】(06/08/01)
さて、こうやって活動を進めていると、知的障害、発達障害、精神障害等、判断に支援の必要な人の暮らしの将来を考えていく際に後見だけを置くのは不十分であると感じられるようになってきた。生活支援が置かれるのは当然だが、その次に後見人を入れて事足れりとするには、【距離がありすぎる】と言えばいいのか。
本来、生活支援の資源がじゅうぶんに動けるのであれば、暮らしを作っていくのはかなり大丈夫だと考えている。そうであるならば、《本人−生活支援者−後見人等》のリンケージでやっていけるかも知れない(この場合、“近い”役割は生活支援の機能が担うだろう)。ひとまずこの辺を作業的には理想としてみて良いように考えている。実際、軽度知的障害の成人を支援する生活支援ワーカーのうち、かなり頑張っている人は、だいたいのところが支援の枠で行えると考えている。そのように言い切れる人はあまり多くないのが辛いのだけれど。確かに、後見システムに依存する支援設計は慎むべきだろうと思うし、後見ブームの現在だから、そういう態度を持っておくべきだろう。そして、それでもなお(今の社会では)必要な部分として後見が担えるようであればよいように考えている。支援と後見は互いにその存在を或る程度オーバーラップさせながら存在するものだろうとは思うけれども、実際に動くのは多くが支援の側(であるべき)だろう。
ところが、これはある意味理想型であり、残念ながら生活支援システムだけでカバーするのは困難なように思える(繰り返すが、この辺が哀しいところ)。
出来ない場合はどうするか。
そこを埋める役割/機能を置くべき。
具体的な回答は幾つか考えられるだろうが、私たちはコミュニティフレンドという存在を置くことにした。
以下、コミュニティフレンド(Community Friend)を略してCFと呼ぶ。
現在はまだ詰め切れていない(のでこうやって考えている)が、その人にやって欲しいことなどは出来てる。そこで、この夏から養成とマッチングを始め、走りながらかたちを作っていきたい。
今のところ次のような言い方をしている。
“成年後見のような法的な関係ではないけれど、地域で、障害のあるご本人と定期的に会い、ひとときをともに過ごしながら、暮らしのことをご本人と一緒に考えたりする「街の中の友達」として関わってくれる人のことです。
”
このように言っている以上、関係は本人との1対1の対応関係になる。なので、マッチングを事前に行う。マッチングが不適切であれば、交代せざるを得ないが、そうでなければ関わりを続けてもらう。
会うのは例えば月1回くらいになるか。現在、 千葉県から研究助成金をもらっており 、これで試行的に活動をしていこうと準備を進めている。計画作成時は経費的に詰めていたので当初は予算的に年内4回くらいと言っていたのだけれど、しかしそれで十分な関係を結べるわけもないだろう。また初期には少し濃密に会う必要もあるだろう。それで、結局は月1回もしくはそれ以上になるのではないかと考えている。予算もそれに応じて見直し、別の事業を縮小させてコミュニティフレンド(CF)事業につぎ込むこととしている。
(続く)
【 成年後見とコミュニティフレンド(5) 】(06/08/14)
これまでの話は、(その1)、(その2)、(その3)、(その4)を参照されたい。
前回(4)では年度末まで月1回年内4回の予算組をしたと書いたが、これは少ないので、理事会で話し合ってひとまず倍にした。月内2回までは費用を出せるようにということだ。またこれらは実際にやってみて、いろんな意見を聞きながら変更を考えていくこととしている。
さて、本題に戻る。
■どんな人が利用するか(利用対象者)。
A.
まず想定されるのは、ひとまず今は後見人は不要だが、将来必要となるだろう場合である。むしろ実質的には多くの知的障害者等がこちらに含まれるかもしれない。家裁による手続きではなく、PACガーディアンズとの契約により開始する。そういう意味では後見より簡便である(しかしもちろんいい加減ということではない)。そして、福祉職員等、支援者ではない関与者が居るとどうなるかを体験してもらうとともに、将来への後見人の必要性などを検討してもらえるようになる。場合によってはコミュニティフレンド(CF)から第三者後見人への進展も有りうるかもしれない。
(この点で近いのが東京都の社会貢献型後見人かもしれない。これとどこが同じでどこが違うかについては、後の連載回で述べる。)
B.
もうひとつには、既に後見人として“遠い人”が居る場合。コミュニティフレンド(CF)は
“近い人”の役割を担ってもらう。法的な権限は無いが、それで良い。無いから「友だち」として関係を作らなければならない。また権限が必要だったらそのときは後見人が出れば良い。
こうすることによって、《本人−支援者−近い人(CF)−遠い人(後見人等)》というリンケージが出来る(さらに法律上は、後見監督人等をその先にリンクすることもできることになっている)。ここで気をつけて欲しいのは、支援者と “近い人”は同じ人が担わないというところ。後見人と同じく、支援者のような立場の人と利益を同じくするべきではないからである。
■どんな人がコミュニティフレンド(CF)になるか。
出来れば本人の近くに居る人。物理的に近ければ越したことはないが、友だちづきあいできる距離であればよい。つまり、週末など一緒にどこかに出かけられるような人。
本人が心を許せる人。以前から知っている人であればよいかも知れないが、そうでなければ、これから仲良くなれる人。ただし、上述のように、支援者ではない人。親など親族ではない人。
じゅうぶんではなくとも良いが、基本的な権利擁護に関する認識を持っている人。また成年後見に関する見識も持っている人。この辺は研修をしてもらう。誰のためにと言われたら、これは本人のためだということは、少なくともコミュニティフレンド(CF)とPACガーディアンズとの間で互いに確認されなければならない。
契約を交わす利用者さんはせいぜいが若干名程度になるのではないか。本業の合間に行うことであり、また、ヘルパーの仕事のように数をこなさなければならないのでもない。付き合っていく中で、ぼーっと利用者さんの将来など考えていく時間を持つのであれば、そんな多くの人とつきあえるものではないはずだ。第一、友達はそんなに多くて良いものでもないでしょう?
そして、PACガーディアンズとの連携を取れる人。これは2つ理由がある。まず、CFはCFのみで振る舞うには立場が弱いので、何かあったときにはPACガーディアンズに相談してもらえるようにしなければならない。それから、試行事業としての理由もある。研修を受けてもらったり、経過を報告してもらったり、一緒にコミュニティフレンド(CF)のあり方を検討してもらえることが必要だからである。
(続く)
【 成年後見とコミュニティフレンド(6) 】(06/08/15)
9月3日に、コミュニティフレンド(CF)との顔合わせ会を行うことなり、準備を進めている。既にCF候補者さんと、利用希望者さんが7組前後できあがった。今のところは元々お互いが顔なじみの組み合わせなので、マッチングが上手く行かないということは無いようにしている。契約書、登録書、事業説明書、保険案内といった関係書類もだいたいのかたちが固まってきた。
どんなCF候補者がいらっしゃるか、顔を合わせるのが楽しみ。コミュニティフレンド(CF)のほうも、不安と期待でいっぱいというところだろう。開催後の報告は、また追って行う。
(主催者のPACガーディアンズについてはこちらを参照…まだ情報不十分ですいません)
さて、本題に戻る。
■何をするか、しないか。
このへんは試行事業の中で固めていくが、今のところは次のようなイメージでいる。
先ずは友だちであること。ヘルパーではない。ガイドヘルパーではない。出かけてもいいし出かけなくてもいい。遊んだり話したりする。
そして“見る・聞く・よく知る・気にかける”をする。最初はその利用者さんのことをよく見て、聞いてくれればいい。それから、周囲の人や親・職員などとも接触しながら、その人のことをいろいろ知っていく。そうしていくうちに、その利用者さんの暮らしを一緒に考えていけるように、気にかけていくようになればよい。
その先はコミュニティフレンド(CF)それぞれの進め方で決まってくると思われるが、例えば利用者の今の課題と将来の方向などを一緒に考える(あるいはきっかけとなる)ことができればよいのではないか。また、どうしても狭くなりがちな、利用者さんの交友関係を広げるきっかけが出来ればよいのではないか。
ただし、コミュニティフレンド(CF)に求めないこともいろいろ定めておかなければならない。
まず、お金の操作はやらない。買い物に出かけた際の支払いの手伝いなどはやるが、いわゆるお金の管理までは行わない。
それから「出るところへは出ない」。例えば利用者の人権侵害事態があった場合、コミュニティフレンド(CF)はPACガーディアンズに連絡、相談して対応を考える。
活動だけぱっと見ていくと、ガイドヘルパーとの重なところがあると思われるだろう。最初はそんなものでよいのではないか。しかしコミュニティフレンド(CF)と利用者が1対1の関係を続けていくことが、いずれ意味を持ってくるようになるのではないか。継続した関係の中から見えてくること、それがコミュニティフレンド(CF)なのだろう。
結局、本人の意思/意向の遂行ってどういうことなんだろうということを、ゆっくりと考える業務になっていくのかもしれないと、今のところは考えている。例えば少し難しい話になるけれど、 “支援された決定”ってあるのかなあ、とか。
(続く)
【 成年後見とコミュニティフレンド(7) 】(06/08/15)
全日本手をつなぐ育成会でも研究助成をもらって成年後見について考える事業が始まったとのことである。その中の下部委員会として、コミュニティフレンド(CF)のようなシステムについても検討させてもらえることになった。そういう、中間的な立場と言えばよいのかどうか分からないけど、必要性を検討するということだと理解している。
それで、千葉だけの話ではなく、もう少し一般性のある事業にしていく方法も考えるようになっている。とはいっても、まだぼーっとだが。
さて、本題。
成年後見とプラスアルファを組み合わせる考え方についてずっと書いてきていたわけだが、これは似ているものが幾つかある。幾つかあるということは、おそらくいろんな人が、成年後見だけでは不十分で、何かそれを補うものがあった方が良いのではと考えているということではないかと思われる(機能・役割的な意義)。また、成年後見人の候補者が今のままでは足りないので、他の人間を置いて数的に補いたいと考える人もいるのかもしれない(数的補足の意義)。私の考え方は、この連載の初期に示したとおりで、前者の「機能・役割的な意義」を重視している。基本は、その人にフィットした生活支援をきちんと考える部分を作ったうえで後見に繋がろうということだ。
最近話題の「市民後見人」だが、「市民」とついていてもれっきとした後見人である。いわゆる第三者後見人のなり手が、これまでは(弁護士、司法書士、社会福祉士等の)専門職集団であったものを、広く一般市民にまで広げようということだから、どちらかというと、数的な補足から出発しているように思われる(生活支援との連携についてはあまり記述が見あたらない)。しかし家裁の審判を受けて就職するものだから、他の成年後見人と変わらぬ権限と責務を持つ。市民という言葉が付いているからといって話が軽くなるわけではない。
市民後見人とコミュニティフレンド(CF)について、互いの関係を比較するために図3と図2を示す(他から取ってきた図なので、図の番号が1と2じゃないのはご勘弁)。互いを比較するために、「本人(被後見人等あるいは支援利用者)」や「支援者」「後見監督人等」などの位置づけを同じにしてある。それらを合わせたときに、2つのシステムのどこが同じでどこが違うか、確認できるだろうと意図で変形してある。そうしてみると、市民後見人は成年後見人の位置づけだがコミュニティフレンド(CF)はそうではないことがわかるだろう。


図の中に権限有り/無しと書かれているのは、法的に後見人としての拘束力を被後見人等あるいは支援利用者本人に持っているかどうかの違い。変更可/困難と書いてあるのは、他の人に変われるか変われないかを示したもの。システムの違いを考えたら当然のことであり、どちらがよい悪いということでもないように思える。利用者がそれぞれの違いを理解して使っていけばよいのではないか。とはいえ、コミュニティフレンド(CF)についても比較的長くじんわりと関係を続けることで生きてくるように思うし、また後見人についても、交代が容易かどうかということよりもむしろ、後見業務のチェックと、業務が不適切な場合の対応機能が今後非常に重要になってくることを十分認識しておくべきだろう。今でもそのような兆しがあるようなのだが、いろんな人が後見人等となることで、当の本人に不利益があったとしてもこれを修正することが困難な状況にあるからだ。残念ながらこれをチェックすべき家裁も、忙しい。
次回は、東京都の社会貢献型後見人のシステムについて紹介する。
(続く)
【 成年後見とコミュニティフレンド(8) 】(06/08/16)
前回の流れから、東京都の社会貢献型後見人のシステムについて示す。
まずは東京都の説明。
私もあまりわかっているわけではないので、間違っていたら指摘して欲しい。
他の市民後見人のシステムと同じく、一般市民を対象にして講習を行うところは変わらない。しかしそれがすぐに成年後見人の受任に結びつかず、いったん後見人サポーターという立場の活動を行う。そしてその後、研鑽を積んだうえで成年後見人(候補者)へと繋げていきたいのが東京都の考え方のように思える。
これを図式化して図3に示す。また前回示したコミュニティフレンド(CF)について、比較のため再掲する。


関係だけからすると、両者は比較的似ているように見える。しかし後見人サポーターは、成年後見人との関係の中で位置づけられるように思われる。また、後見人サポーターと成年後見人はどちらか一方がいる(両方とも置くことはない)かたちになるのだろうか? さらに、後見人サポーターは、その人の友だちとしての役割や活動をするということでもないだろう。後見人やあるいは民生委員がときどき立ち寄るような関係に似ているのだろうか?(その辺の詳しいところは不明)
コミュニティフレンド(CF)は、成年後見人との間に一定の関係を置かない。将来的に後見人が置かれても良いし、またCFが成年後見人になっていくこともあり得るが、そうでないかもしれない。制度的には今のところ位置づけては居ない。また、その前にCFは本人の友だちのしての活動を前提とする。
もし後見人サポーターが、本人と支援者と、それからもし後見人がいればその後見人との中にあって、“近い人 ”としての活動を展開するのであれば、少なくともコミュニティフレンド(CF)と似ているところがあるかもしれない。
ほか、湘南地域の後見活動には、“近い人”と
“遠い人”のペアで活動を展開するという組織もあると聞いている。
また伊賀地域(三重)のほうでやはり生活支援に近いところでのサポーターが提唱されているような話も聞くので、これについてももう少し勉強をしてみたい。今のところはこのような断片的な書き方に留まる。
…と書いていたら、ちょうど
佐藤さんが伊賀の紹介をしていた。別に示し合わせたわけではなくて、こういうこともあるものですね。
さらにこの先、“支援された決定(supported determination)”についても調べたいと思っているのだが、これは少し話が広がるので、コミュニティフレンド(CF)についてはいったん終えておくこととする。
またPACガーディアンズや育成会の話など、関連事項が出てきたら、その都度書き込んでいく。
他にもすることがあるので、次回は少し先になると思う。
(本連載いったんお終いだけと、たぶん続き有り)
【 コミュニティフレンド説明会 】(06/09/14)
これまで連載で書いていた
「成年後見とコミュニティフレンド(6)」の中で紹介したとおり、9月3日に顔合わせの会を行った。
当初どれほど集まるかと心配したが、PACガーディアンズ理事もしくは千葉県の研究助成に基づき事業委託契約を結ぶ組織(各地域の育成会や支援団体 等)が中心となり、コミュニティフレンド(以下CF)の候補者と、その利用者のペアを見つけてきてくれる(註1)。その数なんと7ペア。他に今後成っても 良いというCF候補者も2名参加。さらに成り手は居そうだとのことで、もう少し増えそうだ。
当日の次第は以下の通り。
---------------------------------------
次第案
1.理事長挨拶
2.コミュニティーフレンドの自己紹介
3.コミュニティーフレンドとして必要なこと
4.コミュニティーフレンド事業の確認・説明
5.事務説明
手続き(契約、登録、保険、支払い、報告、
研修受講、総括)
6.質疑応答、意見交換
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理事長挨拶のあと、CFの概念や基本的な業務、PACガーディアンズとの関係、試行事業としての取り組み、今後のスケジュールについて等を説明。そ れから事務的な内容も説明。登録書、契約書、保険関係など。保険はもう少し時間がかかりそうだが、ワーキンググループのほうで詰めてもらっている。
契約関係の持ち方についてはまだもう少し整理する必要がありそうだ。ただ、もちろん個人としての良識を持って利用者とは関わっていただくが、連載の中で触れたように、難しいことはPACガーディアンズが対処できるようにしておく。
これらをざっと通した後で質疑応答や、CFの方々からのコメントや抱負のようなことを語っていただく。質疑応答では、契約の内容やお金のやりとりなど、基本的なところで手が上がる。あれこれ話し合っていたつもりだが、それにしては抜けていることも少なくない。
例えば外出した場合(CFは特に外出するかしないかは問わない)、喫茶店のお茶代などは割り勘かどうかを確認される。CFは友だち関係が基本なので、やは
りここは割り勘原則というか、自分の費用は自分持ち。そこまでは良いが、では業務規約として整理したシートに明記するかどうか。最初から細かく縛ってもい けないと思われるいっぽうで、記載されることで安心する利用者もいるとの意見があり、原則扱いで書き入れておくことにする。またお邪魔した際に出されたお
茶も飲めないというのも付き合い方としてはぎこちないので、そのへんは各自の裁量でやっていただく(註2)。今後いろんなパタンの利用−提供関係が出てき たらまた何か考えなければならないかもしれないけれど、少なくとも今は試行事業として創りあげていくプロセスなのだから、先ずは動かして決めていくことに
したい。
わかりにくくなったときに戻っていくところは、“だって友だちなんだから”だ。
これが自然な“出会い”でないところは承知している。しかし障害のある利用者がこれから地域で暮らして行くに当たって、友だちや新しい出会いが乏しくなり
がちなことも否めない。それを先ずはカバーしていってみたらどうなるか、という試みとしても考えられる。そのうえで本システムに反発して「私はこんな関係 じゃなくていいし費用も要らないから普通に友だちづきあいするよ」という人が出てくるのであれば、それはそれで良いと思う。そんな関係がもしも勝手に広
がっていってくれるのならば、望外の喜びというところだろう。
いろんなコメントがあった。以下、いずれも各CFからの発言である。
●施設での職員と利用者という関係に物足りなさを感じ、それ以外の付き合いをしたいという方、
●やはり施設での限界を感じてを辞めたが、地域での関わり合いのあり方を考えたいという方、
●会社のボランティア休暇制度を使って活動していた経験があり、そのときの関係をCFという仕組みを通じてやっていきたいという方、
●まだペアになる方とはこれから会うので、新しい出会いにドキドキしている方、
●ちょうどこういう関係があったらいいなと思っていたところだったので手を挙げたという方、
などなど。
思ったよりも趣旨に賛同していただいている人がいるのだなと感じ、嬉しい驚きだった。
また各利用者とCFの“これから”は、それぞれに独自のストーリーが出来そうで、こちらももっとみなさんの話を聞いてみたいと思えた。佐藤さん(理 事長)と話をして、助成研究事業の一環として、適当な時点で各自に対するインタビューをしてみてはどうかということになりそうであり、楽しみがひとつ増え た。
ただこのようにしていくと、後見との連携の中でのCFの位置づけという色彩が多様になってくることにも気付かされる。つまり、(ア)後見との関連の中で CFを位置づけるやり方と、それから(イ)
“まちの中のともだち”であることを強く出して、それ以上には求めない考え方だ。
軌道修正し、あくまでも成年後見との関連の中で仕組みを作るべきとの考えもあるだろうし、これはこれで良いのではないかとの考えもあるだろう。いい加減だけれども、ひとまず私は(ア)(イ)両方を見据えていきたいという気持ちでいる。
後見との連携の中でというのは、CFからいずれは後見人になって欲しいということを強要するものではない。先の連載の中で書いたように、必要な埋めるべき部分としてCFが位置づけられることがまずは必要だと考えている( →連載(7) 図2参照)。 CFには、それ自身として他に代え難い意義がある。ただしそのような位置づけを担うためには、少なくとも権利擁護的なセンスを積んでいっていただくことで 自発的に利用者のそのような部分を意識してもらえるようにならなければ、十分ではない。もちろん “そうなりなさい”と言ってなれるものではない。だから、 今後の研修への参加をお願いしていくことが必要なのではないかと思う。あるいは、今後のやりとりの中で少しずつ育んでいっていただきたいし、私たちバック アップ組織(PACガーディアンズ)がそのような省察機会を提供していきたいものだと思う。生活支援に関わる者にとって、権利擁護的なセンスは、そのよう な名称をことさらに振りかざさなくとも必要なことなのだから。
またいっぽうで、上記のようなCFのコメント(●のコメント)にもあるように、もともと地域の中で友だちとして付き合いをしてみたいというに人は居たのだと思う。それがたまたま今回、呼びかけがあったのでかたちになった(註3)。
またさらにアイディアを広げるならば、より年代的に近い関係の中で、あまり強い責任を持たせず、シンプルに友だちづきあいを媒介するシステム提案(イのよ
うな)もあり得るのだろう。実際、そのような趣旨なのであれば自分の子ども(たぶん十代なのでしょう)がCFに関心を持っていたのだがとおっしゃる方もい らした。海外にはこのようなイメージとしてCFを媒介する団体ある(というかこちらのイメージのほうが基本だろう)(註4)。
いずれにしてもこのような需要があるのであれば、これはこれで育てていっても良いのではないという気持ちでいる。そして(ア)(イ)の二重構造にな るなったとしても自然な仕組み作りなのではないか。あまり無理してもいけない。ただしどっちでも良いのではなく、それぞれに欲しい。
視点として、その人を総合的に見守っていく、という姿勢が有ればよいのではないか。
…おや、捕らぬ狸ではないけれど、まだ先の話をダラダラと、ちょっと脱線したか。
脚下照顧。まずは今の仕組みを動かすところからやらなければ。
今後は、今回ペアリングを世話してくれた理事を媒介に、活動を始めていただくことになる。そして何らかのかたちで情報提供・報告をお願いしていく。その中でおそらくは、個人的な情報をどこまで扱うのか?などの課題が出てくるのではないかと考えている。
また、関係を深めるプロセスであるとか、私たちバックアップ組織がどのように関わっていくのかに関するあり方だとか、いろいろ調整していくべきテーマが出
てくるはずだ。今後はそれらを定期・不定期の報告や、私たちとのコミュニケーション(これは私たちからも積極的にやっていく)によって密に作っていくべき 部分である。
希望もあり、クローズドなCFメンバーのMLも設置することになった。
それらのことは、また適当な時期に書き込みたい。
---------------------------------------------
註
1)
いずれはCF個人での申込み、利用希望者個人での申込みも受けられるようにしていくが、今回は試行事業の初回でもあり、予めマッチングの出来ている方々のペアを作ってもらった。しかしそれでも既に付き合いのあるペア、これから顔を合わせるペアなど多彩である。
2)
公的なヘルパーの場合は業務上の規則として飲んではいけない事業所もあり、それはそれで故有ることなのかもしれない。私たちの場合は、ひとまずはそこまで考えない。
3)
上記の方々の多くが、たぶん謝金が無くとも希望されていたかも知れない。あるいはもう少し安くても(実際、そのように、今回の謝金案が自分には高いとおっ
しゃる方もいた)。ただし継続的な関係を今後も持つためには有償前提のシステムも必要なのではないかと考えている。どうだろうか。
4)
あるいは、いわゆるBBS運動(Big Brothers and
Sisters Movements)(http://www3.ocn.ne.jp/~bbsjapan/)のようなかたちを連想される人もいるだろうか。うーん、その辺は私にはわかりませんが、仕組みとしては似ていても、ちょっと違うかなと思っています。こちら
は個別基本であり(というかそれしか無く)、そもそもまだ小規模なので。それから、教育的な意図が無い。あくまで支援的な役割。
(続く)
【 コミュニティフレンドを巡る幾つかの質問(市川の後見研修会) 】(06/09/10)
7日だったか、市川市で知的障害者等の成年後見について研修会。主催は市川手をつなぐ親の会。9月4日の佐藤さんの研修会と2回シリーズで、私が後半を受け持つ。1回目(4日)の分についてはこちらで紹介されている。
2回目の私は、PACガーディアンズの業務内容やコミュニティフレンド事業の説明を行う。反応は良かったのかどうか、よく分からない。スケジュール を把握していなかったために予定より長く話してダレてしまったかもしれない。演習あるいはワークを何か入れた方が好まれたんだろう、たぶん。
第1回で既に話しただろうと思いつつ、後見関係だけですべてが解決するわけではない、支援をどう組むか、連携をどうするかが問われるということは繰り返した。そこから話し始めた。
質疑応答が興味深かった。
まず、コミュニティフレンド(CF)を利用する本人にどう説明すればよいかという質問。
お友だちですよと言われてああそうですかと受け入れてくれる人も、そうでない人もいるだろう。これは第三者後見人のときと似ているところがあり、違うところもある。まだ効果的な口説き文句は開発していない。正直に話すしかないところかと思う。
CFには二側面有る。ひとつは友だちになりに来たんだということ。もうひとつはもう少し功利的に、出かけるときのバディだという側面。どちらかで納得してくれればそれで良し、両方ダメなら諦めるか、あるいは何度か通うかではないか。
本人だけではなく、親等家族への説明についても、実はこれも別の意味で楽ではない。今はまだピンと来ないということだろう。
どちらにしても、活動の様子を写真やビデオにするとか、実績を積み口コミを期待するとか、この後やっていくことになろう。
他の方から、試行的なことをやっても良いのではと意見があった。お見合いというか。合同でやっても良いンじゃないかと追加意見。ああ、合コンね。更に外出で書けるのを一緒にやってみても良いんじゃないかと。
→それってもしかして“あいのり”ですか。
障害の重い人には無理なんじゃないかとの不安も出た。返事が無くても友だちと言えるのか、手がかかってしまっても友だちか、そうなってしまっては申し訳なくて、利用希望を出せない
…。
参加者(受講者)の親御さんの間で議論になった。いえ、一緒にいるだけでも別に構わないし何をしなくてもよいでしょうと言う人もいた。逆に、たいへんなのは無理だよと言う人も。
これも私が正答を用意しているわけではない。ひとまずは、友だちかどうかは本人同士が決めればよいのではないでしょうかという返答をした。
実は(実はでもないか)介助関係が混入する中で友だち関係がどのようにあるかは、簡単な話ではない。全身性障害者の介助関係を語る場合もときどき話 題になるところだ。だからここ(このblog)でわかったように終わらせてもいけないと思う。ただ、友だちだからという理由で介助をするのはあまり行われ
ないようだし(無いわけではない)、また介助者をやっていて友だちになってしまうこともあれば、介助関係を通す人もいる。しかし介助と友だち関係は通常そ れなりに切り分けられながら成り立っているものだという発言はときどき聞かれる。
“まあ友だちっていえば友だちですけどー。でも介助するときは介助者にな りますねー。友だちでやっちゃいけないから
…”と答えてくれた人もいた。
こういう話は、第1期でCFに入ってくれた人からもいずれ聞いてみたいものだと思う。
その他幾つか質問があったかもしれない。
個人的には、こちら側の提示するアイディアだけでなく、受講者側で自発的に膨らませていってくれることが興味深かった。そういえばヒット商品とはそういうものではなかったか。
次回は、別の側面について書く。
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(blogでのコメントで、旧くて新しい話なのではないかとの指摘を受ける。その通りであることについては、次のエントリーを参照。)
(続く)
【コンタクトパーソンと成年後見とコミュニティフレンド 】(06/09/11)
またカタカナですよ。すいません。
コンタクトパーソンはスウェーデンの制度。Kontaktperson と綴るらしい。略すならKPか。
育成会の「知的障害者の権利擁護システムの構築に関する研究事業」というところの小委員会で、コミュニティフレンド(仮称)について検討するところ となった。その際に、PACガーディアンズのそのアイディアはコンタクトパーソンとグッドマンの関係に似ているから検討してみてと言われて調べ始めた。面 白いところへ辿り着けるかも知れない。
時間が無いので手近な確認しかできないが、ひとまずはこんなところがある。
→田代幹康「スウェーデンの知的障害者福祉の実践」久美株式会社,2006
90ページ弱の本で1200円。その中でいろんなサービスと共にコンタクトパーソンについても触れられている。
例えば以下の通り。
【 コンタクトパーソン(Kontaktperson) 】
1)機能障害者の友人兼相談相手となるサービス。コミューンから少額の謝礼が出るが、ボランティア的性格が強いサービスと言える
(p.76)。
2)一般の人々で関心と熱意のある人がコミューンと契約し、友人として相談相手になったり、コンサートや観劇などの趣味・娯楽的活動を共にするサービス
(p.20)。
3)LSS法による(相談援助以外の)サービスを受けている人は約52,900人。このうち、コンタクトパーソンのサービスを利用している人は
16,055人(2004年)。これは約3割に当たる。また利用者数は日中活動サービス、住宅サービスに続く第3位
(p.75-78の資料に基づき名川が 整理)。
ただしこれ以上詳細はわかりにくい。
そうしたところ、佐藤さん(理事長、上記研究会の委員長)が、以下のページを引っ張ってきてくれた。
これもひと言だけだが、コンタクトパーソンとグッドマンの関係が示されていた。連動の仕方が面白ければ、こちらでも使えることになる。
スウェーデンに詳しい人はいろいろ居るから、更にいろいろ問い合わせるなどして調べてみたい。
#お金があれば行きたいなあ>スウェーデン
…このあと、立教大の河東田先生にスウェーデンの Kontaktperson についてレクチャーを受けた話とかいろいろあるんだが、時間が無くてここでおしまいにする。
あとは少しずつblogに書き込んでいくので、また見ていただきたい。
(以上)