SOIRE

ROBE

 展示案さえもモードコピーすることにしたのはこの素敵な広告ページが気に入ったからです。布地屋の広告ですが、グリュオーの描くイラストが本当に素敵。実際にはこんなに素敵に出来なかった。どっかの民族みたいになってしまった・・・。

Crimson of 1952

Blenciaga


【平成20年度 年度末合同展示】
 20年度の展示も無事に終わりました。わかっているのにまた同じことの繰り返しでさすがにがっかりきていますが、今年度も「追い込まれ度」が半端なく、徹夜続きでどうにかこうにかの展示でした。自宅もとっちらかり教室もさんざん散らかして、学生みたい。この反省はなんとしても次年度に生かしたい!布がどれもこれも赤くて目が痛くなって困ったり、敷物として購入した赤いウールはそのまんま巻きで残って何に使うのやら笑ったり、マネキンを運びたくないけどやはりマネキンの方が素敵だと言ってみたり、赤じゃなければどれもかわいいとそもそもの主旨を否定してみたり、展示作品の制作にあたっての珍事はもとよりそれ以外の勉強の期間も含め、常に一緒に笑って、時々はすれ違ってきまずくて別々に悩んだり落ち込んだりして、でも最後には究極に眠いのに展示の打ち上げに行くしかないという意見の一致で結局は笑ってしめくくることが出来たのはこの人のお陰です、深澤由起美先生ありがとう、私はいつもあなたに感謝しています。

 最後になりましたが、年間を通して放課後の教室での作業や年度末の残務もそっちのけで教室散らかし放題の私に対して、つねにおおらかな心で許して下さった成田邦子先生に深く感謝申し上げます。
 

 このスーツは今回の展示作品で唯一American Collectionから選出したものです。何から何まで赤でコーディネートされ、Jean Patchetのお決まりの顔で妙な説得力とインパクトが訴えかけてくるそんな作品です。なんでか知らないけど異常に短いフィッシュダーツがあったり、前見頃から続いたポケットがポケット口でふわっと体に沿ってカーブしたり、極細の袖だったり、見た目以上に難解な要素を含んでいました。いろいろと反省点もあるし、改善の余地もあり過ぎるのだけど、マヌカンに着せたらびっくり素敵になったからなんだかそんなことはどうでもよくなってしまったりもしました。「赤には赤を」合せることがはやっていたのかなぁ。

 私達相当しつこいからね、こういうことのアイデアなら馬鹿思いついてしまう。「ねぇ、いっそ2分の1でも同じことしない?」「ん、それはいい。是非しましょう」ということで即決定!

【間違い探し】


 作った作品を展示形式で発表するとなるといろいろな制約があるので、「展示することで何を伝えたいか」の優先順位を考えるとなんというかこうなってしまうのです。つまり、「作りましたよ!!!」というのが主旨である展示になる。立派な人の講義を聴いたり素晴らしい技術を持っている人の技を間近で見たり、そりゃもう貴重な物しか置いていない博物館や展覧会を見学したり、「わぁすごい」とか「まぁすてき」と当たり前に思うのだけど、ものの見事に忘れていってしまいます。技術解説みたいな展示なんて多くの先輩方がいる中でおこがましいし、パターンなんて見せられない、だって質問されたら困るから、あまり難しいことは自分がわかってないのでそもそも不可能だし、じゃあどうしようって考えると行きつく先はただ一つ。「私はこれをやった」と訴えかけることだけです。やっつけたところもあるし、裏布のまつりが終わってないところもあるし、ついさっきまで縫ったりアイロンしたりしていたし、ただの副主任だし、教室はめちゃくちゃに散らかしちゃったし、通常の仕事の中でも失敗ばっかりしているし、立派なことも素晴らしい服も出来る訳がないので、とにかく「めちゃくちゃだけど今年もやりました!」「もうとにかくやりはしました!」「予算なんか全く足りないくらいはやった!」ということを知ってもらう為の展示になるので、インパクトを重要視してしまう。実際にはこの企画があって絵型探しをした訳ではなく、1952年のデザイン特徴や流行の傾向を探っていきながらピックアップした絵型に、赤い服が多かったことから、「赤」という色を前提とした調査へとシフトしていった経緯があった。ただ、異論なく「全部赤で行こう」と決まったのは私と深澤のつい「しつこさ」を求めてしまう性質が働いたせいもある。「目が痛い」「手が赤い」「部屋の床が赤い」「鼻をかむと赤い」と文句を言いながらの作業だったが、大量に余った赤いウールを今後消化しなくてはならず、そのたびに今年度の展示のことを思い出すんだろうなぁ。
 

Crimson of 1952

Crimson of 1952


Jhon Frederick

 このスーツはBalenciagaが1951年に発表した「前がフィットで後ろがルーズ」のシリーズの進化版です。Balenciagaのコレクションは単発に終わらずに必ず次のコレクションに同じ要素を含んだ違う作品があったり、無駄なものをそぎ落として生まれ変わったりとその連続性に特徴があります。この作品もそうであり、シリーズでいろいろなアイテムやデザインがあります。前をどれくらいしぼるか、よく見るとパネルラインのようだが切り替えは下までないので、前は一枚裁断なのです。一枚の中に縫い代を確保しながらその縫い目は途中から表にダーツとして出現したりして仕立てに悩まされたり、妙に太い袖なども含めてバランスが難しい作品でした。スカートはあえてペグトップスカートにしてみました。この作品はマヌカンに着せたら異常に素敵に生まれ変わって本人達もびびりました。

 このソワレはFrench Vogue、UK Vogue、American Vogue、Harper's BAZAAR、Le jardin des modeと大手のファッション雑誌に掲載され、そのうちHarper's BAZAARとLe jardin des modeの2誌で表紙を飾った1952年Balenciagaの代表的なソワレである。シンプルな白のデュッセスサテンのドレスに真紅のベルベットのロングストールの組み合わせがどうにも高貴な雰囲気を漂わせているのだ。ベルベットの完全な縦地の目を3.5メートルもつれずに縫うなんて、もう本当に苦行としか言いようがない。ほどくって言ってもね、どこからどこまでほどけばいいのやら。白のシルクサテンのこれまたつれること極まりない状態で、やっつけたとはこのことだと言ったところの仕上がりですが、写真がね、そっくりに撮れたの。

 こちらのワンピースも結局この写真と表紙のキャプションに掲載されていた全くもって何の参考にもならない程不鮮明で小さな写真しか頼るものがなかったので、8割位は勝手な想像で制作した。Diorは1952年の秋冬にプロフィールラインを発表しており、その一連のワンピースドレスに見られるシルエットは蟻や蜂のおしりを思わせるスカートとタイトな上半身の組み合わせが印象的だが、多分このワンピースもそのシリーズに属していたものに違いないと思われる。ハイネック部分を切り替えもダーツも入れずに続け裁ちにしアイロン操作で成型したり、前中心のスリット部分の縫い代をわ裁ちからくせとりで作ってみたりと少なからず挑戦を盛り込んでの制作となった。これは思いの外素敵な作品に仕上がった。

Blenciaga

SUIT


 このコートは結局この一枚の表紙写真しか資料がなかったので、多くの部分を想定して作成した。前端はわ裁ちで襟ぐり後ろ中心までタテ地の目が通っている。資料は衿ぐりもきれいに沿っているので、タテ地を通したのではダーツを入れるしかない。しかもダーツを入れるとなると後ろ中心に縫い目がくることになる。バックスタイルがなかったことから、後ろ中心の縫い目もない見頃と見返しと衿とがわでしかも右と左がつながった一枚のパターンにして作ってみることにした。衿ぐりはかなりの寸法をアイロン処理で追い込んで消し、処理が済んでから毛芯をすえて裏衿側をハ刺しした。簡単そうでいていろいろ試行錯誤させられた作品です。

Dior

COAT


Dior

 20年度は、1952年に的を絞り資料収集や制作を行いました。制作した作品などの一部を展示発表という形で公開しました。その模様や作品を紹介します。