ほんとに有名人ばっかなのが怖いな。でもそうなんだから仕方が無い。
(これのどこが"現代美術の今"だよ。ベテラン作家の今じゃねえかボケが。俺のボケが。
しかもこの10人のうち7人は10年前のホイットニーバイエニアルに出てるからね。多分ディレ
クター氏の現代美術観は10年前で止まっているのだろうね。そういうところからしか本当に良
い作家を持ってくることができないのだから。MoMAランドにいるとそうなっちゃうのかな?)
100年後も鑑賞に堪えうる作品を…と考えると、どうしてもこうなる。文句があるなら来なさい。
(しっかし、ほとんどアメリカ人だな。結局、ディレクターがアメリカ人(でしかもMoMAの偉い人)である
以上、そういうことになっちゃうんだろうな。どうしても。みんな自分の国のことはよく見えるんだね。
逆に他の国のことになると途端にメクラになる。(これはあるジャンルの専門家が他のジャンルに
対するときかくも盲目的に振舞ってしまう現象にも似ている。例えば文学者が絵画を誉める場合が
そうである。ほとんどの場合、超インテリである筈の彼らはどうしようもない絵画以前の幼稚なゴミ
にコロっといかれてしまっている。例えばヘンリーダーガーのようなものに。なぜ大学院まで出た人
間がアウトサイダーアートによろめかねばならぬのか。「インテリの悪趣味」で片付けてよいものか。そのイノセントさにはしばしば苦笑さえ伴う。
漱石以来の呪い…とも言えるが※、このことはかの澁澤龍
彦であっても例外ではない。俺は氏の絵画に対する審美眼は半々だと思う。(それは、氏がかつて「みづゑ」誌に持っていた連載を検証してみた結果のものだが)しかし、プロの美術
批評家であっても往々にして間違えているのであり、何も文学者一人の鑑賞力の問題ではない。
それだけ、美術を鑑賞するというのは誰にとっても困難なことなのである。いや、あまりにも簡単
だからこそ困難なのだ、と言ったほうがよい。美術を見ること自体があまりにも簡単なことであるがゆえ
にそれの質的判断はいっそう困難さを増すのである。事実、上記のリンクを全て見るのに何分かかっ
ただろうか。何の造作もなく一瞬にしてそれは我々の目に飛び込んでくる。閉じればそれでお
しまい。このカンタンさが我々を怠慢に陥れるのだ)←ここよくわかんないけど。要するに、みんな自分のリアリティでしか事物に接することができないのだろうな。それは分かるのだが、一度自分というものを後ろに引っ込めて、客観的審美的普遍性の中で美術を対象化してみる必要がある。俺が上でやってるのはそれである。お陰で、今まで俺がいかに杜撰な態度で美術を見てきたかを思い知る結果ともなったわけだが。←でもディレクター氏にはたぶんこの自覚すらないのだろうな。だからこんな酷いキュレーションをやって平気なのである。なんてイノセントなのだろう)
(※「インテリの悪趣味」で言うなら董其昌/ブルトン以来の呪い…とも言えますな。「退化への誘惑」な。ちなみに俺はこの二人の「インテリ転がし」が嫌いです。)
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(5月10日追記)
ところで、リヒター君、今期のドクメンタにも出てんね。…Roger Buergelまでもが俺の敵なのか!?…そういやこいつOkwui Enwezor(ドクメンタ前回のディレクター)がディレクターやったBIACS2(スペインの国際展)にも出てなかったか。……。何の権利でこいつがそこまで出れるのか、まだいられるのか不思議でならない(あんな小汚い絵で)。現代美術界の「リヒター病」は相当深刻なものがあるようだ(ってゆうかこいつも結局"ネオインテリ転がしちゃん"にすぎないからね)。ソルルウィットもポックリ逝ったことだし、ここらでジャスパージョーンズ、フランクステラともどもとっととくたばって頂きたい。21世紀にお前らの出る幕などない。(←「現在支配的な芸術家に対する名状し難い嫌悪感」byオルテガ)
ったくどいつもこいつも。国際展は無能ディレクターの天下か。
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(5月18日追記)
あ、チェックリストがアップされてる!ってことで、慌てて見ました。つまらない作家をたくさん見せられて集中力と視力と感性の無駄遣いでしたが、結局、
Kendell Geers
だけですね、俺が評価できるのは。Santu MofokengもAlfredo Jaarも(そしてウォーホルも)、もはや次点。今の俺の眼では。審美ノイローゼですからね。審美書院以上に審美的ですから。もしくは真美大観ですから。もしくは美術真説ですから(…ってことはいよいよ国外追放?)。ハードルは否応なしに上がってくる。こんなつもりではなかったのだが。
ところでこれ、ルアンダトリエンナーレと微妙に被ってねえか?ルアンダポップってくらいだからな。しかしアフリカ展と呼ぶにしては妙にルアンダ寄りなのが気にかかる。アフリカはルアンダ(アンゴラ)だけじゃないと思うんだけど。何かの圧力がかかったのかな(大体分かるけど。ってゆうか、ルアンダのコレクションでルアンダ寄りになるのは当然か)。で、結局ルアンダトリエンナーレの再現というかハイライト抄出みたいになってる。これは果たして今日のキュレーターのあるべき仕事と言えるのだろうか。甚だ不毛である。(なんか俺、文句言ってばっかだな)
っていうか、それ以前にこういうのがあって、ルアンダトリエンナーレ自体がこれの延長、そして今回のベニスへ…という一連の流れがあるわけなんだけど。関係者も被ってくるし。癒着天国だな。要するにルアンダの成金jr.様のコレクションひけらかし展。その世界進出戦略。それに今年のベニスがまんまと引っかかったということだ。こんなものが「アフリカ展」であってよいわけがない。またこんなものを今日のキュレーターのありうべき仕事として認めてよいわけもないのである。全てはこの凡庸な企画を採用したディレクターにこそ責任がある。Robert Storrは腹を切って死ね。(本人が読まないと思って言いたい放題か)
しかしGhada AmerとかMiquel BarceloとかJean Michel BasquiatとかMarlene Dumasとかどうしても好きになれませんな。だってクソじゃん。明らかに。あとChris OfiliとYonamineとPaul D. MillerとViteixも俺には評価できない。こういったものをいくら見せられても、今絵描くやつは例外なくクソ、という認識を強固なものとする結果にしかならない。少しでも目の開いた人間ならこのいい加減さが分かると思うんだけど。何十億で売れようがクソはクソである。しかし相変わらず"ペインタリーなクソ絵"ばっか高額化するというのも情けない話である※。そういったものはまるで如何にも真の芸術であるかのように見えるので、成金の通俗的ステイタス趣味に見合うのである。ドラマや映画に出てくる"ザ・芸術家"も例外なくこうした"ペインタリーなクソ絵"を描いている。この分かりやすい記号性が彼らにとっては重要であり、かつ全てなのである。
そういったものを誉めればまるで自分は芸術が見えているかのように振舞うことができる、と彼らは思っているのだ。つまりフリの慰み者になっているわけである、絵が。しかしそもそもこうしたクソ絵自体がフリで描かれたニセ芸術なのだから、それも致し方ないというかある種当然である。傍から見てその素朴さを気の毒に思うというだけで。
まあそもそも「絵画=芸術」という概念自体が近代ブルジョア社会の所産としての流通美術形態であり、それの形骸化としての高額化なりペインタリーなクソ化なりも当然のゾンビ的事象と言えよう。つまり一つの時代が死んだからこそその亡霊が蔓延り出せるわけである。近代の死の後に来るのは現代ではなく"近代の腐敗現象"なわけだ。だから昨今のマーケットにおける異常な高額化、一見現代美術の興隆に見えるものも実は裏を返せば順調な腐敗の過程を踏んでいるだけなのであり、それは終局へ向って坂を転がりながら自己肥大し続ける雪だるまの姿にも喩えられよう。だからいずれ大木の根本にぶつかって解体されるはずである。(という種類の予言を、もう何十年も前から誰かがしてるんだろうけど)
腐ったマーケットで腐った絵画が腐ったコレクターによって持てはやされる(で、それを俺のような腐ったアートウォッチャーが批判する)。妥当な対応性と言えよう。アフリカと関係ないけど。
(※ということを書いたその直後、シンディシャーマンの写真が2億になったという報道を読む。…だから、マーケットの論理も(芸術に関する他のあらゆる物事と同じく)半々である。良き面もあれば悪い面もある。全肯定しない代わりに全否定もしないのである。だから、俺がここで批判しているのはあくまでマーケットにおける特に悪い面というか不可解な面、腐れ現代絵画の高騰に関する部分であり、そこは俺には腐っているように見えたからそう書いたまでである(過大評価って、俺が一番憎悪するものだからね)。だから他の部分に関しては甚だ妥当なのかも知れないのだが、だから「腐ったマーケット」という言い方はあるいは十把一絡げ的な穏当さを欠いた表現だったかも知れないのだが、そんなこと俺は知ったこっちゃないのである。ルウィットの「ポックリ」発言、死ねばいいのに発言も含め、こうした不用意さは俺の持ち味というかどうしようもない部分だが、それこそアルフレッドジャリズムだと思って諦めていただくしかない。(つまり、近代の亡霊))
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(8月29日追記)
上記リスト大幅修正。検討の結果6人削る。(これによって、いよいよ"ターナー賞受賞作家は迂闊に誉めないに越したことはない"という観念を決定的なものとする。)
ここに来て6人消去は痛いのだが、病気だから仕方ない。その代わりと言っちゃなんだが、増やそうと思えばあと5人増やすこともできる(かなり無理やりだが)。
Joseph Kosuth
Georg Baselitz
Richard Serra
Jannis Kounellis
で、
Richard Prince (パナマ生まれだそうで、当初こいつのソロ企画として「パナマ館」というのが企画され、実現に向けて動いていた。が、無茶な内容(なんでもパナマの元独裁者を「起用」した作品の予定だったトカ。←ここで俺が思い出すのはドミニチスのダウン症者を起用した作品(クレームが来てすぐ取り下げられた)だが、アレとはまた違うのかな)がたたったらしく、結局企画だけに終わった。だから「参加」はしてないんだけど、ポスターが秀逸なので敢えて入れてしまう。)
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(※12月29日、上記リストのアフリカ館の箇所修正。一人削る)
2007 01/26
「多聞天立像(四天王像のうち)」飛鳥時代 7世紀 法隆寺
2007 01/25
Nguyen Phan Chanh (Vietnamese, 1892-1984) Feeding the bird, 1931
2007 01/24
Evelyn Dunbar (British, 1906-1960) Land Army Girls going to Bed, 1943
2007 01/23
Rico Lebrun (American, born Italy. 1900-1964) Descent From the Cross, ca. late 1950s
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