2007 02/06

Edward Steichen (American, 1879-1973) Landscape with Avenue of Trees, 1902


2007 02/05

Tone Kralj (Slovenian, 1900-1975) Povelicani Kristus iz oltarne kompozicije Passio, 1923


2007 02/04

Pepe Espaliu (Spanish, 1955-1993) Carrying I, 1992


2007 02/03

Marilyn Minter, 'Strut' 2005


2007 02/02

平櫛田中 (1872-1979) 「夜半翁(蕪村像)」 1933


2007 02/01

Harrell Fletcher, 'The American War' 2005


2007 01/31

無準師範 (1178‐1249) 「山門疏」 南宋


2007 01/30

Gino Severini (Italian, 1883-1966) Armored Train in Action, 1915


2007 01/29

Auguste Mambour (Belgian, 1896-1968) Les masques, 1933


2007 01/28

Istvan Szonyi (Hungarian, 1894-1960) Zebegenyi temetes, 1928


2007 01/27

Otto Dix (German, 1891-1969) Three Wenches, 1926

*

■ベネチア・ビエンナーレウォッチ■


今のところ23アーティストの参加が発表されていますが、とりあえず、
その中で俺が評価できるのは、

Willie Doherty 北アイルランド
Felix Gonzalez-Torres アメリカ
Steingrimur Eyfjord アイスランド
Tracey Emin イギリス

の4人です。まあ、まだ時期尚早ですが。完全なチェックリストはまた改めて。

**

( 02/09追記)
その後12人増えましたが、特に変更はなし。ちなみにこの35人のうち、俺が評価しないのは、
David Altmejd(カナダ)とJason Lim(シンガポール)とIsa Genzken(ドイツ)とJacob Dahlgren(スウェーデン)の
4人です。理由はクソだからです。こういうクソが、しかし、国の代表として選ばれてしまうところに、
国際展の空恐ろしさがありますね。

***

(02/25追記)
ところで、今期総合ディレクターのRobert Storrは、ちょっと調べてみたところ、リヒターを評価してきたやつらしいですね!なる程。俺の敵か。死ねばいいやつか。妙に良いと思える作家が少ないなと思ったら、そういうことか。こんな下衆野郎をのさばらせておくからこういうことになるのだよ。だから言ってんじゃん俺。(ちなみに上で書いてる「チェックリスト」はまったくの偶然です。別にかけたわけではありません。だってアフリカ展の詳細が発表される前の文だし。)

まあ、もしかしたら、俺がウォッチしてるから“こういうこと”になるのかも知れんけどな。
* 俺がウォッチし出した途端にマニフェスタ6はキャンセルされ、Jason Rhoadesは死に、あるいは
 死なないまでも、俺が目をつけた作家に限ってその表現を弱体化させ腐っていくのである。
 もうそんな場面を何度も見てきた。とんだデスマウスだな、俺。

****

(03/25追記)
えっと。半月くらい前に、作家リストが公式に発表されました。それで、一応全部見たんですが。
とりあえず以下が、国別選出代表作家展における「俺が評価出来るリスト」の追加分です。

Urs Fischer スイス
Ugo Rondinone スイス (の、立体)
Mark Titchner ウクライナ

100何十人見てこんだけか。己の判断力の薄弱さに自信喪失に陥りますな。今さら。

「評価しないリスト」も同時に増えましたが、もういちいち書きません。めんどくさい。
(Dzineとかいちいち批判する気にもならない。Herbert Brandlとか。今絵描くやつって例外なくクソだな。
カラフルなだけの小汚いデザイン(例:Jim Lambie)もしくはペインタリーな糞(例:Neo Rauch)。 あとは白痴系イラスト
ね(例:村上んとこ)。そんなんばっか。でもそういうクソに限って市場では高額化する。ウンコマニアが買うからな)

上で名前出されてる人、貶され損ですね。

とは言え。
まだ作家の発表されていない国もあるし、情報の出てこない作家もたくさんいるしで、
今後の動向によっちゃまだまだ増えるかも知れませんが。(それこそ、アフリカがどーんと残ってる)
もちろん実際の展示の出来次第によってもこのリストは増減することを付け加えておきます。

あと、これと別にテーマ展みたいなのがありますね。それはまだ見てる途中です(というかこっちが本筋か?)。
本文後送。

*****

(4月8日追記)
見たよ、『MoMA Biennial 2007 in Venice』。見たけどさ。結果的に残ったのは、俺が わざわざ挙げるまでもない有名人ばっかで、あまり胸を張って発表する気になれない。( そういうのしか選べない俺の無能さが問題だとも言える。また、そういうのを入れてしか「水準の高い リスト」というものを作れないディレクター氏の無能さもまた問題だと言える。でもそれはドクメンタと 被らないための苦肉の策であった…とも、言える。→ところでドクメンタも見るのか?俺)

まあ、とりあえず以下が、厳選な審査を通過したエリート作家の皆々様でございます。

Louise Bourgeois
Felix Gonzalez-Torres (またかい! 死人出すくらいなら、もっと若手を出してやれ)
Jenny Holzer
Ilya Kabakov
Martin Kippenberger
Bruce Nauman
Philippe Parreno (Parreno >>> Huyghe >>> Ohanian >>>>>>>>> Calle >>> Buren ←フランス現代美術の才能番付)
Raymond Pettibon
Jason Rhoades
Kara Walker

ほんとに有名人ばっかなのが怖いな。でもそうなんだから仕方が無い。 (これのどこが"現代美術の今"だよ。ベテラン作家の今じゃねえかボケが。俺のボケが。 しかもこの10人のうち7人は10年前のホイットニーバイエニアルに出てるからね。多分ディレ クター氏の現代美術観は10年前で止まっているのだろうね。そういうところからしか本当に良 い作家を持ってくることができないのだから。MoMAランドにいるとそうなっちゃうのかな?)
100年後も鑑賞に堪えうる作品を…と考えると、どうしてもこうなる。文句があるなら来なさい。

(しっかし、ほとんどアメリカ人だな。結局、ディレクターがアメリカ人(でしかもMoMAの偉い人)である 以上、そういうことになっちゃうんだろうな。どうしても。みんな自分の国のことはよく見えるんだね。 逆に他の国のことになると途端にメクラになる。(これはあるジャンルの専門家が他のジャンルに 対するときかくも盲目的に振舞ってしまう現象にも似ている。例えば文学者が絵画を誉める場合が そうである。ほとんどの場合、超インテリである筈の彼らはどうしようもない絵画以前の幼稚なゴミ にコロっといかれてしまっている。例えばヘンリーダーガーのようなものに。なぜ大学院まで出た人 間がアウトサイダーアートによろめかねばならぬのか。「インテリの悪趣味」で片付けてよいものか。そのイノセントさにはしばしば苦笑さえ伴う。 漱石以来の呪い…とも言えるが※、このことはかの澁澤龍 彦であっても例外ではない。俺は氏の絵画に対する審美眼は半々だと思う。(それは、氏がかつて「みづゑ」誌に持っていた連載を検証してみた結果のものだが)しかし、プロの美術 批評家であっても往々にして間違えているのであり、何も文学者一人の鑑賞力の問題ではない。 それだけ、美術を鑑賞するというのは誰にとっても困難なことなのである。いや、あまりにも簡単 だからこそ困難なのだ、と言ったほうがよい。美術を見ること自体があまりにも簡単なことであるがゆえ にそれの質的判断はいっそう困難さを増すのである。事実、上記のリンクを全て見るのに何分かかっ ただろうか。何の造作もなく一瞬にしてそれは我々の目に飛び込んでくる。閉じればそれでお しまい。このカンタンさが我々を怠慢に陥れるのだ)←ここよくわかんないけど。要するに、みんな自分のリアリティでしか事物に接することができないのだろうな。それは分かるのだが、一度自分というものを後ろに引っ込めて、客観的審美的普遍性の中で美術を対象化してみる必要がある。俺が上でやってるのはそれである。お陰で、今まで俺がいかに杜撰な態度で美術を見てきたかを思い知る結果ともなったわけだが。←でもディレクター氏にはたぶんこの自覚すらないのだろうな。だからこんな酷いキュレーションをやって平気なのである。なんてイノセントなのだろう)

(※「インテリの悪趣味」で言うなら董其昌/ブルトン以来の呪い…とも言えますな。「退化への誘惑」な。ちなみに俺はこの二人の「インテリ転がし」が嫌いです。)

******

(5月10日追記)
ところで、リヒター君、今期のドクメンタにも出てんね。…Roger Buergelまでもが俺の敵なのか!?…そういやこいつOkwui Enwezor(ドクメンタ前回のディレクター)がディレクターやったBIACS2(スペインの国際展)にも出てなかったか。……。何の権利でこいつがそこまで出れるのか、まだいられるのか不思議でならない(あんな小汚い絵で)。現代美術界の「リヒター病」は相当深刻なものがあるようだ(ってゆうかこいつも結局"ネオインテリ転がしちゃん"にすぎないからね)。ソルルウィットもポックリ逝ったことだし、ここらでジャスパージョーンズ、フランクステラともどもとっととくたばって頂きたい。21世紀にお前らの出る幕などない。(←「現在支配的な芸術家に対する名状し難い嫌悪感」byオルテガ)

ったくどいつもこいつも。国際展は無能ディレクターの天下か。

*******

(5月18日追記)
あ、チェックリストがアップされてる!ってことで、慌てて見ました。つまらない作家をたくさん見せられて集中力と視力と感性の無駄遣いでしたが、結局、

Kendell Geers

だけですね、俺が評価できるのは。Santu MofokengもAlfredo Jaarも(そしてウォーホルも)、もはや次点。今の俺の眼では。審美ノイローゼですからね。審美書院以上に審美的ですから。もしくは真美大観ですから。もしくは美術真説ですから(…ってことはいよいよ国外追放?)。ハードルは否応なしに上がってくる。こんなつもりではなかったのだが。

ところでこれ、ルアンダトリエンナーレと微妙に被ってねえか?ルアンダポップってくらいだからな。しかしアフリカ展と呼ぶにしては妙にルアンダ寄りなのが気にかかる。アフリカはルアンダ(アンゴラ)だけじゃないと思うんだけど。何かの圧力がかかったのかな(大体分かるけど。ってゆうか、ルアンダのコレクションでルアンダ寄りになるのは当然か)。で、結局ルアンダトリエンナーレの再現というかハイライト抄出みたいになってる。これは果たして今日のキュレーターのあるべき仕事と言えるのだろうか。甚だ不毛である。(なんか俺、文句言ってばっかだな)
っていうか、それ以前にこういうのがあって、ルアンダトリエンナーレ自体がこれの延長、そして今回のベニスへ…という一連の流れがあるわけなんだけど。関係者も被ってくるし。癒着天国だな。要するにルアンダの成金jr.様のコレクションひけらかし展。その世界進出戦略。それに今年のベニスがまんまと引っかかったということだ。こんなものが「アフリカ展」であってよいわけがない。またこんなものを今日のキュレーターのありうべき仕事として認めてよいわけもないのである。全てはこの凡庸な企画を採用したディレクターにこそ責任がある。Robert Storrは腹を切って死ね。(本人が読まないと思って言いたい放題か)

しかしGhada AmerとかMiquel BarceloとかJean Michel BasquiatとかMarlene Dumasとかどうしても好きになれませんな。だってクソじゃん。明らかに。あとChris OfiliとYonamineとPaul D. MillerとViteixも俺には評価できない。こういったものをいくら見せられても、今絵描くやつは例外なくクソ、という認識を強固なものとする結果にしかならない。少しでも目の開いた人間ならこのいい加減さが分かると思うんだけど。何十億で売れようがクソはクソである。しかし相変わらず"ペインタリーなクソ絵"ばっか高額化するというのも情けない話である。そういったものはまるで如何にも真の芸術であるかのように見えるので、成金の通俗的ステイタス趣味に見合うのである。ドラマや映画に出てくる"ザ・芸術家"も例外なくこうした"ペインタリーなクソ絵"を描いている。この分かりやすい記号性が彼らにとっては重要であり、かつ全てなのである。

そういったものを誉めればまるで自分は芸術が見えているかのように振舞うことができる、と彼らは思っているのだ。つまりフリの慰み者になっているわけである、絵が。しかしそもそもこうしたクソ絵自体がフリで描かれたニセ芸術なのだから、それも致し方ないというかある種当然である。傍から見てその素朴さを気の毒に思うというだけで。

まあそもそも「絵画=芸術」という概念自体が近代ブルジョア社会の所産としての流通美術形態であり、それの形骸化としての高額化なりペインタリーなクソ化なりも当然のゾンビ的事象と言えよう。つまり一つの時代が死んだからこそその亡霊が蔓延り出せるわけである。近代の死の後に来るのは現代ではなく"近代の腐敗現象"なわけだ。だから昨今のマーケットにおける異常な高額化、一見現代美術の興隆に見えるものも実は裏を返せば順調な腐敗の過程を踏んでいるだけなのであり、それは終局へ向って坂を転がりながら自己肥大し続ける雪だるまの姿にも喩えられよう。だからいずれ大木の根本にぶつかって解体されるはずである。(という種類の予言を、もう何十年も前から誰かがしてるんだろうけど)

腐ったマーケットで腐った絵画が腐ったコレクターによって持てはやされる(で、それを俺のような腐ったアートウォッチャーが批判する)。妥当な対応性と言えよう。アフリカと関係ないけど。

(※ということを書いたその直後、シンディシャーマンの写真が2億になったという報道を読む。…だから、マーケットの論理も(芸術に関する他のあらゆる物事と同じく)半々である。良き面もあれば悪い面もある。全肯定しない代わりに全否定もしないのである。だから、俺がここで批判しているのはあくまでマーケットにおける特に悪い面というか不可解な面、腐れ現代絵画の高騰に関する部分であり、そこは俺には腐っているように見えたからそう書いたまでである(過大評価って、俺が一番憎悪するものだからね)。だから他の部分に関しては甚だ妥当なのかも知れないのだが、だから「腐ったマーケット」という言い方はあるいは十把一絡げ的な穏当さを欠いた表現だったかも知れないのだが、そんなこと俺は知ったこっちゃないのである。ルウィットの「ポックリ」発言、死ねばいいのに発言も含め、こうした不用意さは俺の持ち味というかどうしようもない部分だが、それこそアルフレッドジャリズムだと思って諦めていただくしかない。(つまり、近代の亡霊))

********

(8月29日追記)
上記リスト大幅修正。検討の結果6人削る。(これによって、いよいよ"ターナー賞受賞作家は迂闊に誉めないに越したことはない"という観念を決定的なものとする。) ここに来て6人消去は痛いのだが、病気だから仕方ない。その代わりと言っちゃなんだが、増やそうと思えばあと5人増やすこともできる(かなり無理やりだが)

Joseph Kosuth
Georg Baselitz
Richard Serra
Jannis Kounellis

で、

Richard Prince (パナマ生まれだそうで、当初こいつのソロ企画として「パナマ館」というのが企画され、実現に向けて動いていた。が、無茶な内容(なんでもパナマの元独裁者を「起用」した作品の予定だったトカ。←ここで俺が思い出すのはドミニチスのダウン症者を起用した作品(クレームが来てすぐ取り下げられた)だが、アレとはまた違うのかな)がたたったらしく、結局企画だけに終わった。だから「参加」はしてないんだけど、ポスターが秀逸なので敢えて入れてしまう。)

*********

(※12月29日、上記リストのアフリカ館の箇所修正。一人削る)


2007 01/26

多聞天立像(四天王像のうち)」飛鳥時代 7世紀 法隆寺


2007 01/25

Nguyen Phan Chanh (Vietnamese, 1892-1984) Feeding the bird, 1931


2007 01/24

Evelyn Dunbar (British, 1906-1960) Land Army Girls going to Bed, 1943


2007 01/23

Rico Lebrun (American, born Italy. 1900-1964) Descent From the Cross, ca. late 1950s


top