[4927] 新年会のこと 投稿者:岡本(28期) 投稿日:1977/12/29(Thu) 23:32

返事遅れました。
新年会、参加いたします。

この1年。楽しいこともありましたが、いやな気分のことも多かった1年でした。

新たな年を新たな気分で!! 迎えたいと思います。


[4926] 残念ながら 投稿者:瀬尾明 投稿日:1977/12/28(Wed) 08:52

皆さんの顔を見れないのは残念ですが、3日には東京に戻りますので出席できません。
今日で今年の仕事も終わり。23日からは一緒に住んでいる長男に加えて、高校生の次男も東京に遊びに来ており、お父さんは大変でした。お母さんは久しぶりに一人で羽を伸ばしているようですが・・・。
皆様、良いお年を!!


[4925] 決めます! 投稿者:25期 川上 投稿日:1977/12/27(Tue) 22:45

生物部OB会恒例新年会は

1月3日(火)にします。

集合時間  午後5時

集合場所  天王寺いつものところ


集合できる方は、ここに参加表明お願いします。

また、掲示板をご覧になってない方への連絡もお願いしますね。


[4924] Re[4923][4920]: そろそろ・・・ 投稿者:はせこ 投稿日:1977/12/26(Mon) 15:51

今年の12月はほんとに寒かったですが、皆様お元気でお過ごしでしょうか。
新年会。私も3日に希望いたします。
一年の始まりをみんなの顔をあわせてお祝いしましょうよ。


[4923] Re[4920]: そろそろ・・・ 投稿者:28期 はやし(植物班) 投稿日:1977/12/26(Mon) 00:58

> 新年会は、例年1月3日に開催していますが、皆さんのご希望が多い日にしたいと思います。1月2日、3日、4日のご都合の良い日をお知らせください。

希望は結論から言えば、今年に限り林は、3日がありがたいです。(4日から仕事)

我が家の二度目の船上元旦計画は、断念となりました。家族のスケジュールが合わないためです。そりゃ、大・高・中学生3人のスケジュールと合うわけないですね。そんな歳になった証です。以前の格安「ふぐ三昧ツアー」(大晦日に泉大津出航で、元旦には下関・門司で初詣、温泉とふぐ。その夜にはまた船で帰阪というハードな)企画を再びと思いましたが…。

せめて2日は、管理釣り場でアマゴとイワナ君に会いに行こう!!小野田君一緒にどうですか?電車とバスで行けます(大阪駅から一時間程)から現地では、漁協で熱燗酒もたまには良いですよ。

※皆さんからも川上幹事さまにお返事してあげて下さいね。では、年賀状も印刷し終えたところで、おやすみなさい…。


[4922] 須磨さんからの訃報 投稿者:mogさん 投稿日:1977/12/20(Tue) 10:44



「先生が私の職場に来られた時私と撮影してもらった甘えん坊の子牛が昨日死にました。
哺育舎から育成舎に移動した後一時期肺炎をやったようですが、おおむね元気で体重も300KGを超え、朝の巡回時には私の姿を見て近寄ってきて頭をなでてもらうのが日課でした。
先週鼓脹症(第1胃内の異常発酵でお腹がパンパンに膨れ上がる病気)になり、治療(口から第1胃にホースを差込みガス抜きした後薬を注入する。1回の治療で回復する場合が多い)を2回したのですが回復せず、土曜〜日曜朝の大雪で冷えた為か日曜日に亡くなりました。
可愛がっていた牛だったので、大変ガッカリして力が抜けた状態です。」

本当に可愛かったのに・・・!須磨さん心からお悔やみ申し上げます。


[4921] 奈良の都の八重桜 投稿者:24期 三木 投稿日:1977/12/18(Sun) 21:20

先生、 「さねかずら」楽しく拝見いたしました。

「いにしへの ならのみやこの やえざくら けふここのへに にほいぬるかな」

何年か前、この八重桜を捜しに主人と娘と三人で奈良公園を歩き回ったことを思い出しました。東大寺知足院の裏庭にあったと思います。

昨日〜今日は、「古墳めぐり」の締めくくりで、鹿児島〜宮崎を旅してきました。古事記の世界です。西都原(さいとばる)古墳郡等は、一見の価値ありでした。


[4920] そろそろ・・・ 投稿者:25期 川上 投稿日:1977/12/18(Sun) 16:03

新年会の予定を決めないと行けない時期なんですね。
今年もあと2週間です。
やり残したことがある方は、あと2週間頑張ってください。

新年会は、例年1月3日に開催していますが、皆さんのご希望が多い日にしたいと思います。

1月2日、3日、4日のご都合の良い日をお知らせください。
一番多い日にしたいと思います。
よろしくお願いします。


[4919] 百人一首とお正月と・・ 投稿者:mogさん 投稿日:1977/12/17(Sat) 12:10

先日、本棚を整理していたら、かるた「小倉百人一首」が出てきたので、何十年ぶりかで繰ってみました。
学生時代は全部憶えていましたが、今では当時の持ち歌以外は残念ながらなかなかでてきません。
ただ、植物の名だけはその前後の句はなぜか自然につながってきます。
さねかずらもその先の逢坂山の・・と、その下の句は出ますが、頭の句は思い出せませんでした。
やえむぐらしげれる宿のさびしきに・・・・とか。
もう憶えようと思ってもダメですね。

サネカズラも表紙写真のような植物の姿をみて、はじめてこの歌の意味が解りました。 
つまり、この蔓を繰っていくと赤い実に行きつくように、人に知られないで、そっと君をたぐり寄せたいのだ・・・とね。

百人一首とともに木曾先生や白井先生が急に懐かしくなってきました。

もうすぐお正月ですね。 

川上さん!来年の新年会はいつですか? 今年は少し寂しかったので、こんどは早いめに予定をたてて下さい。
[思い出のアルバム Vol・U]のコピーの準備もいるので・・・「Vol・U」完成祝賀をだれもやってくれませんけど・・・。


[4918] こんにちは 投稿者:30期 木村 です 投稿日:1977/12/11(Sun) 09:39

小椋先生。コメントありがとうございます。
駒沢公園のなんじゃもんじゃは実生していませんでした。
なんか美味しそうですね。食べれるんですか?
それにしても種から育ててらっしゃるなんてびっくりです。
当たり前といえば当たり前なんですが、愛着湧きますね。

また好きなアングル教えて下さい。
頑張って撮ってきます。(今は花ないですけれど・・】

http://koregood2005.seesaa.net/


[4917] なんじゃもんじゃ 投稿者:mogさん 投稿日:1977/12/09(Fri) 11:13

木村君 久し振りです。時々、blogを覗いてます。随分腕を上げましたね。植物写真も流石にNikonE5000!シャープに写ってますね。マクロのあるのが羨ましい。アングルが私の欲しい像ででないのが残念だけど・・・
紅葉なんか素晴らしいし、オートを使わずいろいろ工夫していているのがいいですね。


ナンジャモンジャですが、わが家の庭にあるのは実生で育って20年ですが、3年前から果実ができて今年もたくさん出来ました。
この木は「珍木」と云えるものの一つで、不思議なことに岐阜県・愛知県と対馬にしかありませんでしたが、最近は庭園にも植樹されはじめて、だんだん見かけるようになりました。

私も昨年の種子を試しに蒔いて育てたものを、近くの山に行ったときに植樹したり、昨日は今年の果実を50粒ばかり山に蒔いてきました。動物に喰われたりしなければよろしいのですが・・・欲しい方に差し上げられるように苗を育てています。

この木の秋の紅葉時には、ダンコウバイやタカノツメのように、素晴らしく真黄色になるので、ひときわ山中に目立つことでしょう。


[4916] お久しぶりです 投稿者:30期 木村 です 投稿日:1977/12/08(Thu) 00:49

こんばんは。なんじゃもんじゃの実ってはじめてみました。
早速明日、駒沢公園の木も観察します。

急に寒くなりましたのでご自愛くださいね。小椋先生!

http://koregood2005.seesaa.net/


[4915] その千萠です (^^ゞ 投稿者:25期 小倉 投稿日:1977/12/05(Mon) 10:49

先生、書道展に行って下さったのですか。
今日はお天気が大荒れの上、非常に寒かったので、行き帰りがさぞや大変でしたでしょう。

私が「璞社書展」に出品するのは今回で2度目ですが、あの様にたくさんの作品の中で自分の書を改めて見てみると、色々と反省してみたり、今度はもっと性根を入れて頑張らねばと思ったりと、とても良い勉強になります。

昨日は天王寺東映ホテルにて「総会・表彰式・懇親会」が開かれましたが、出席者は300名を超え、懇親会は2階と3階に分かれて行われるほどで、一番遠方からの参加はなんと、奄美大島からでした。

江口先生の書は、小掠先生もおっしゃる通り、非常に温かみがあって親しみやすく、品格があって、しかも力強い、と言う事に尽きると思います。これはきっと先生のお人柄そのものなのでしょうね。

たとえ、爪の垢をたくさんもらったとしても、私など到底足元にも及ぶものではありません。(^^ゞ


[4914] 書道展に行ってきました。 投稿者:mogさん 投稿日:1977/12/04(Sun) 18:18

大阪市立美術館の「璞社書展」に行ってきました。

江口先生は今や日展の審査員もやっておられ、毎年この時期に、ここでお弟子さん達と盛大な展覧会をしておられます。

今年は先生はじめその大勢のお弟子さん達のなかの市岡卒業生2人からも案内状が届き、最終日の今日行って来ました。

会場には18期〜21期の卒業生も沢山来ており、江口大先生も出て来て案内してくれました。
役員にも卒業生が沢山居るとかで、評議員の12期生物部の荒川さんも出展していました。 
小倉さんは千萌の名で出ていたのがそうですか? 探したのですが小倉姓はこれしかありませんでした。

江口先生の書は素人の私にも馴染みやすく、非常に温かい雰囲気を持っており、それでいて厳しいものがあり、なんとも惹きつけられる書体で気に入っております。

今回は方丈記の冒頭言で、懐かしく昔の古文の授業を想い出しながら、その書に見とれておりました。
あの「行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず・・・・」というアレです。


[4913] 大雪山でお会いした 投稿者:31期中嶋 投稿日:1977/12/04(Sun) 07:51

ガイドの方が、
「熊も人間に会いたくはないんですよ。
人間の気配を感じると、熊が道をそらして人に会わないようにするくらい。だから、熊を見たと言うのは、運がええことなんですよ。」
と教えてくださった。
フーン、そんなもんなんやーと、思うてましたが、あの小屋のそんな近くに熊が出たなんて聞いたら、やはり怖さを感じてしまいます。
それに、『相手は羆で、中には人間を喰いたがっておるのもいてる』余計怖くなりました。会わんで良かったぁ...

ところで、ヒグマって読むのですね。クマで変換しても出てこないし、先生が間違えはるはずないし、『羆』この文字はなんやろう?と漢和辞書引いて初めて知りました。


[4912] Re[4910]: 中嶋&三木さんへ 投稿者:24期 三木 投稿日:1977/12/03(Sat) 23:27

ひゃぁ〜  怖いですね。 森の中で、先生が渓流づり、私がスケッチをしていましたが、あまりに虫が多いので、先に私一人車に乗って先生を待っていました。そのとき羆が出たら、どうなっていたでしょうか? 必死で先生を助けた?・・・・(笑)
真夜中、須磨さんと三人で満天の星を見て感動していた時も、その辺で様子をうかがっていたかも・・・本当に無事でよかったですね!
牧場の牛たちが襲われることもあるのでしょうか?


[4911] 新年会 投稿者:はせこ 投稿日:1977/12/03(Sat) 22:14

今年の新年会は私もデジカメを持ってなかったので写真はあの集合写真だけだったような。。。
早いもので来月は新年会ですね。
来年も3日になりますか。


[4910] 中嶋&三木さんへ 投稿者:mogさん 投稿日:1977/12/03(Sat) 20:12

先日、須磨さんが広洋牧場の和田さんから預かってきてくれた、林の中の植物(野生ラン)写真のCDのお礼のメールを和田さんに出したところ、返信で広洋牧場の冬の様子と共に次のような文がありました。

「10月の2日には先生が泊まっていたログハウスから東へ800mの所で熊さんを1匹、猟友会の人が射殺しました。
230Kg程の大物です、先生、襲われなくて良かったですね。」
だって・・・。

私は小屋の横の林に無警戒で一人で入り込んでウロウロしていましたが、牧場の人が林に入るときは花火爆音を発していたハズでした!
あの時は「少しオーバーやなあ」と思っていましたが、ヤッパリ現れるんや!・・・・と、今更ながら驚いてます。

相手は羆で、中には人間を喰いたがっておるのもいてるとか云われていましたが、まさかそんなん・・・?と高括っていたんですがね。
今思うと、一人で沢に入り、オショロコマを探してましたが・・・やっぱり北海道の原野は怖い怖い。


[4909] 一寸お訊ねします 投稿者:mogさん 投稿日:1977/12/02(Fri) 23:04

ハセコか小倉さんか、上西か岡本か萩野君等のうちの誰かにお尋ねします。

次のYahooPhoto(http://photos.yahoo.co.jp/mogog2003)の生物・園芸部新年会の写真を整理していましたが、最新版の「05年新年会」の写真がこれしかありません。他の写真は何処に片づけたのか行方不明です。

どなたか保管していたら私宛に送ってくださるか、直接添付追加してください。

もう1つ、この中に「85年犬鳴山OB合宿」とありますが、これは 「牛滝山」ではなかったでしょうか? どなたか教えてください。


[4908] googieも面白い 投稿者:豊田 投稿日:1977/12/01(Thu) 20:18

先生、グーグルの地図及びアース、ムーンも面白いよ。中国、イギリスから
クレームが出たんだって。今年中にアオリイカをつりにいこう。


[4907] 空中写真のこと 投稿者:mogさん 投稿日:1977/11/29(Tue) 23:05

下山さん これは実に楽しいですね! 神本さん有り難うございます。

***************************************
国土画像情報閲覧システム 
http://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WF_AirTop.cgi?DT=n&IT=p
***************************************

これを見始めるとキリがないです。

豊田さんのSuper Mapple(平面地図)といい、カシミール3D(山の立体画像)といい、本当に楽しい画像ソフトが手に入り、退屈することがありません。 運動不足が心配です。

私の柿やミカンの仕事場、さらには田畑の仕事場はどんなところか・・・空中写真で紹介します。http://photos.yahoo.co.jp/mogog2001
たいそう古い写真ですので、地名を云っても解りません。

私の家も本当に山奥だったんですなア〜。 一目瞭然!


[4906] 土曜日は 投稿者:31期中嶋 投稿日:1977/11/28(Mon) 12:51

三重県の三峰の登っておりました。と言いましても、三男や甥っ子も連れてですので、楽々ショートコースでしたが。
須磨さんをはじめ、皆様にお会いできず残念でした。
お写真見てるだけでも、楽しい声が聞こえてきそうです。

三木さん、お声かけありがとうございます。
私も、一度お会いできれば嬉しいです〜

3苗で800粒...
うちのバケツ植えすぎでした。もっと苗が一杯でヒシメキアってました。だから、栄養が足らなくて余計に実をつけなかったんかもしれません。精米って、すごく手間がかかるのですネ。うちのご近所には、コイン精米機がありますので、うちで食べれるくらいの量が取れたら、迷わずそこに行かなきゃ。


[4905] Re[4896]: バケツで 投稿者:28期 はやし(植物班) 投稿日:1977/11/28(Mon) 06:58

> 林さん、うちも今年三男が苗を貰ってきたので、バケツで稲を育てました。
> が、林さんのような量などできませんでした。バケツ一杯で一合も取れました?
> うちはほんの一握りの収穫だったので、来年の種にしよう〜と言うてます。土がアカンか
> ったんかなぁ?それとも、苗の量も違っていたんかなぁ?と、写真を見ながら思うてます。





中嶋さん 我が家のバケツ稲は4バケツでした。確か3粒(中央)×3バケツと雑植(20粒くらい)×1バケツでつくりました。
***ひとつのバケツに3本ほど苗を植えた場合、収穫できるお米の粒はおよそ800粒くらい。これはもちろん、稲の育ち具合によって大きく変わりますから、800粒より多くなったり少なくなったりします。ごはん茶わん1ぱいで、およそ2400粒くらいのお米がふくまれていますから、バケツ3つくらいで、ちょうど茶わん1ぱい分くらいになります。(http://www.ja-group.or.jp/baketsuine/index.html より)***

今は、深いプランターで「○○かぶら」が順調に育っているようです。農業高校の「野菜」教科書(半年くらい前に5冊、注文購入したもの)のダイコン生育経過によれば、根は平均的に伸長し、茎葉は種まき後20日目あたりから急成長し、根は種まき後30日目あたりから『肥大』し始め、60日目あたりが収穫時期だそうです。いつ種まきしたかは覚えていませんが、あと20日後位が収穫かな?と楽しみです。途中2回ほど間引きしましたが、みそ汁の具に使いました(根っこも「ピリ」として美味でした)。

次のチャレンジはアケビを種から挑戦しようかなと思っています。というのも、知り合いから「大きなアケビの実」をもらって、食べようと部屋に置いている途中に、カビが生えて食べられずじまいに終わりました。折角いただいたのに…と、その種を用いて数年後?に実がならないか実験しようかなと思っています。さて種まきはこれから寒くなる冬でも良くて、発芽はするにか、全く未知の世界です。以上我が家の家庭菜園の余談でした。

> ご飯の感想聞かせてください〜。

実はまだ精米中です。中々、玄米から白米になりません。あまり力を入れすぎると米が割れてきそうです。ただ今、ようやく5分つき位です。我慢できそうもないので、胚芽米として鍋で1合だきしようかなと思っている所です。


[4904] 懐かしくびっくり〜! 投稿者:18期若林惠子 投稿日:1977/11/28(Mon) 01:25

いつものように「福ちん」の戸を開けると、「生物部きたで〜」の声で奥を見ると小椋先生、その横に見た事のある顔が・・・「伊藤君?」その横が見覚えがあるけど名前が出て来ない???そう須磨君でした。卒業以来???豊田さんは「初めまして」かな。あ〜あ!楽しかったです〜。遅れて来た大山君、それに神本さん。一度にタイムスリップです。そうそう、下の写真、私が大きく写ってるのはみんなより前に居たためです(言い訳?)また福ちんで会いましょう!須磨君また帰っておいで〜。大山君奥様と今日アトリエをチョコッと覗いてくれました。昨日みんなが急がせたので、今日も仕事だったそうですよ。
 先生、柿ありがとうございました!
 それから、伊藤君「福チン」じゃなくて『福ちん』ですよ。
1年と少しだけ生物部に居た若林でした。またよろしくお願いします。

http://www.cat-glass.com


[4903] 久しぶりです その2 投稿者:下山勇@25期(植物班) 投稿日:1977/11/28(Mon) 01:21

ちょっと見なかったら、えらい展開になってますねえ。
そう、福ちんで....

何からお話して良いやら。

伊藤@18期先輩の久しぶりの投稿。
何年か前の投稿には、このまま東京で定年やーとか書かれていたのを思い出しましたよ。

先生、質問のお返事、ありがとうございました。
先生、この掲示板は、予てより、息子、娘の知るところなりまして、
わたくし、アホな投稿を極力控えさせていただいております。
先生、ですからアホな私信を黄色で表示されるのは
たいへんヤバイのです。
やがては家内(ユジン)の知るところとなりまして、私の主人としての立場が.... (^O^//
今までどうり、裏でゴソゴソやりましょうね。


先生、これねえ、昭和54年(31期卒業のころ)のラサの航空写真です。

http://mogog.hp.infoseek.co.jp/rasa/1979_rasa.jpg

「ML芋づる」で神本@16期先輩にこのサイトを教えていただきました。
先生、地図見るの好きでしょう。
先生の実家付近の地図、丸印で表示して下さいね。

***************************************
国土画像情報閲覧システム (原画はここで 福島区で検索してください)
http://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WF_AirTop.cgi?DT=n&IT=p
***************************************



(^O^//


[4902] 久しぶりです。 投稿者:18期 伊藤英雄 投稿日:1977/11/27(Sun) 23:09

昨日は 初めて福チンに行き 小椋先生、神本さん、須磨、大山、豊田、若林の皆さんと懐かしい昔話と 美味しい たこ焼きで楽しいひと時を過ごしました。 
昨年東京から大阪に戻ってきており、淀屋橋で働いておりますが、こういう店がある事知りませんでしたネ。 これから ちょいちょい福チンへ顔を出し、40年前の青春時代に戻りたいと思いますので皆さんよろしく。店で会えば 声をかけて下さい。下の写真の伊藤です。 生物部の時には金子先生のお陰で化石に狂っておりましたが、今は まともな ビジネスマンです(と 本人は思っております)。

 


[4901] 懐かしかったです 投稿者:mogさん 投稿日:1977/11/27(Sun) 22:33


昨夜は須磨さんの帰阪に当たって、「福ちん」で18期を中心にした生物部OB会を楽しく開催しました。
6時半から10時半まで延々4時間、そりゃもう賑やかなこと、賑やかなこと! 完全に「福ちん」占拠してしまいました。

みんな40年以上昔のコトをよく憶えて居ることには感心しました。
なかでも故河之口ユリ子さんを偲んで思い出話が弾み、山で焚き火の際にアルコールを注いだら、彼女のスカートに火が飛んで大きな穴を開けてしまって、前後ろを変えて帰ってきた話など、時間の経つのを忘れて語り合いました。

これが顔を合わせた面々の写真です。

私は帰宅したら日付が変わっており、それでも豊田さん夫妻に起こされて朝早くから和歌山へ釣りに出かけてきました。
釣果はさっぱりでした。 蛇足。


[4900] 懐かしく 投稿者:16期神本 投稿日:1977/11/27(Sun) 00:05

今日は懐かしい顔を見ることができ 楽しいひと時でした 
小椋先生 柿ご馳走様です 
須磨君が来阪とのことで店を少し早仕舞いしてでも行ってよかったです

 

http://http:


[4899] 恥ずかしながら・・・ 投稿者:25期 高尾 のり子 投稿日:1977/11/26(Sat) 17:42

先生!告白します。
木曽駒はロープウェーに乗りました。

最初木曽駒に誘われたとき、まともな山になんて行ったこともないし 無理無理!と お断りしたのですが
「本当の山の景色も知らずに人生終わるのもなぁ〜・・・」
と 思い直し、わたくしにとっては大決心の末の山登りでした。
なにせ 初心者なものですからして ぼちぼち発展していきたいと思います。

よろしくおねがいいたしま〜す。

ではでは。


[4898] 高尾さん頑張ってる! 投稿者:mogさん 投稿日:1977/11/25(Fri) 22:33

高尾さんへ
木曽駒はロープウェーではなく登山ですか? 凄い! まだまだやれますね。

天満から住吉大社なら約20kmあるでしょう。このあと、住吉から先をずーっと中辺路経由で熊野三山に行かれますか?
いや、行かねばなりませんよ!
折角 排気ガスと埃の中を歩いたのですから、最後はあの鬱蒼とした深山と清冽な渓流沿いの道を歩かねば意味ないですよ。

ハセコさんや貴美子はんは近露〜本宮の山道25km(9時間)を歩いたんですから、負けんと頑張ってください。
今度は滝尻〜近露を計画します(これは15km(5時間半))。ご一緒にいかが?)
そのためにも2月の第1土曜日か日曜日の恒例の岩湧き耐寒登山(ココ3年前からは現役は中止しました)には是非参加してください。
別途、金剛山・雪中登山(積雪次第で日程は未定)もあるので、これにも参加してください。




三木さんお久しぶり。元気ですか? 大阪に来ておるかも?と思い連絡しようかと思いましたが・・・残念でした。

中嶋さんも残念ですね。須磨さんから預かってきた黒曜石を手渡そうかと思っていましたが、また今度。

先ほど福ちんに予約の電話を入れたらモッちんやら浅田君が電話に出てきたり、店は相変わらず市岡で賑やかなこと!
明日はどうも落ち着いて話は出来そうにもないかも・・・ね。


[4897] Re[4895]: 須磨さんには 投稿者:24期 三木 投稿日:1977/11/25(Fri) 21:14

> 北海道で大変お世話になりました。
> 何度お礼を申し上げても足らないくらいです。

同じ気持ちです。帯広での思い出は一生の宝です。ぜひ駆けつけてお礼を申し上げたいのですが、行けなくて残念です。中嶋さんにもお目にかかりたいです。また北海道で集まれるチャンスがあるように祈っています。先生、須磨さんによろしくお伝えください。


[4896] バケツで 投稿者:31期中嶋 投稿日:1977/11/25(Fri) 13:51

林さん、うちも今年三男が苗を貰ってきたので、バケツで稲を育てました。
が、林さんのような量などできませんでした。バケツ一杯で一合も取れました?
うちはほんの一握りの収穫だったので、来年の種にしよう〜と言うてます。土がアカンかったんかなぁ?それとも、苗の量も違っていたんかなぁ?と、写真を見ながら思うてます。
ご飯の感想聞かせてください〜。


[4895] 須磨さんには 投稿者:31期中嶋 投稿日:1977/11/25(Fri) 09:17

北海道で大変お世話になりました。
何度お礼を申し上げても足らないくらいです。
26日お会いしてお礼を申し上げ、思いで話に花を咲かせたいのは山々なんですが、あいにく予定が入っておりまして、行けそうにありません。
今回お会いできなくてとっても、残念です〜。
また、北海道か大阪でお会いできれば、嬉しいのですが。

先生、『耐寒登山』に行かれるならぜひ声をかけてください〜。
私が企画するとロクなことがございません。(前回の曽爾高原は大荒れの天気でしたし)どなたか、他の方からの声かけ待っております。


[4894] 耐寒登山 投稿者:25期 高尾 のり子 投稿日:1977/11/24(Thu) 19:20

先月初め、木曽駒ヶ岳に行きました。お天気が悪くってなあ〜にも見えずでしたが、山登り初めてのわたくしにとりましては頂上に辿り着けただけで大満足でした。また先日は京阪電車の「熊野古道」を歩くというイベントで 天満橋から住吉大社まで歩きました。
50歳過ぎてもなかなかいけるやん!と、いい気になっているところです。

耐寒登山つれていっていただこうかなぁ・・・。


[4893] Re[4889]: 初代澪標館のこと 投稿者:森田博文 投稿日:1977/11/24(Thu) 08:27

> 森田会長様 ご無沙汰しております。この度の件ではいろいろ調べて頂きまして有り難うございます。
>
> 私も、手元の市岡50年史(私が2年生の時に配布されたもの)で調べましたら次のことが明らかになりました。
>
> 初代澪標館は大正4(1915)年5月20日に落成、竣工式は同年11月15日に実施されていました。
>
> 建坪42坪の2階建で、当初は上階が広間と準備室、階下には図書閲読室と書庫の他、給品部と当直室があり、毎年7月20日に行われていた同窓会はここで行われました。
>
> 本館とは別棟で独立したものであったお陰で、大正13(1924)年12月1日の原因不明の火災で教室など殆どが全焼しましたが、講堂・物理・化学教室などと共に残り、この澪標館は急遽2階が職員室、1階が事務室になり、鉄筋の新校舎を建築するために旧建物が次々と消える中で門衛室と共に最後まで残りました。
>
> さらに新校舎が出来てからも2階は図画室、1階は工作室となり残っていましたが、とうとう昭和20(1945)年3月13日の大阪大空襲で消失しました。
> どうりで、前校舎を隅から隅まで熟知していた私にもソノ痕跡が解らなかったはずです。
>
> と云うことで、戦後の同窓会は7月20日(大正2年からこの日)屋上でしたり外でしたり、2代目澪標館が出来るまでは会場に苦労しました。
>
> お断り。[4886] 下山さん回答しますの文中で、信太山丘陵の光明池傍にあった「修養道場」とありましたが、「修正道場」です。

小椋先生
 有難う御座います。  矢張り記録を確認しないものは駄目ですね!
学校創立14年後に別棟で建てられたものだったことを知りほっとしました。

 前回の明治44年を1991年と間違えていました。投稿するときには何度も読み返すことが肝要ですね。汗顔の至りです。


[4892] お知らせ 投稿者:mogさん 投稿日:1977/11/24(Thu) 07:08

帯広の須磨さん(18期)から北の国だよりが届きました。

このところ冬型の気圧配置が続き、北海道の日本海側はずいぶん雪が降っているとのことです。

教科書通り帯広を含む太平洋側は晴天が続いています。よく晴れているせいで、放射冷却のため、連日最低気温は氷点下となっています。

昨日も日中は天気が良かったのですが、夜半に低気圧が通過した為、ようやく雪が降りました。湿った雪がボトボトと短時間降りました。
今朝は道路凍結の為、道路が混み、会社には遅刻してしまいました





須磨さんは終末の26日に来阪し、午後6時半頃に18期同期の「福ちん」で生物部OBの来れる者が集まります。中嶋さんは如何?




<訃報>
先に本mogogで話題にした生物部OGである、中嶋(河之口)ユリ子さん(19期)が去る11月10日に亡くなられたとのこと、妹の松澤節子さん(22期)からお知らせが入りました。
18期に兄・25期に妹、そして22期の松澤さんの4兄妹のお一人です。

ご冥福をお祈りします。
16期神本さん、高知の田中さんや木下のkeroさん他19期の皆さんに、私がこの場をかりて報告しておきます。


[4891] 最高の山歩きでした。 投稿者:mogさん 投稿日:1977/11/23(Wed) 22:21



今日は小春日和のなか、豊田さんと龍神・高野へと続く道が通る、有田の白馬山と東谷山に登ってきました。

紀州の山々は今が紅葉の盛りで、陽に照らされて輝く錦の彩りは、寺社とはまた違った美しさが溢れていました。

http://photos.yahoo.co.jp/mogog2005 に各地の紅葉を撮していますが、自然林の錦繍は格別です。

林さん とうとうやりましたね。 籾すりもよろしいですが、お天気の日は野外に出ましょう!


[4890] 今夕は精米にチャレンジでした。 投稿者:28期 はやし(植物班) 投稿日:1977/11/23(Wed) 21:52









今夕、家族総出で「脱穀」→「もみすり」→「精米」の工程を人力のみで行ないました。用意したのは、茶碗、すり鉢、軟球野球ボール、コップ、すりこ木です。

わずか1合の白米(5分つき)を延べ3時間も要して、ようやくできるという大変さでした。これからその米を炊くのは何時にしようかと家族会議です。


[4889] 初代澪標館のこと 投稿者:mogさん 投稿日:1977/11/23(Wed) 21:11

森田会長様 ご無沙汰しております。この度の件ではいろいろ調べて頂きまして有り難うございます。

私も、手元の市岡50年史(私が2年生の時に配布されたもの)で調べましたら次のことが明らかになりました。

初代澪標館は大正4(1915)年5月20日に落成、竣工式は同年11月15日に実施されていました。

建坪42坪の2階建で、当初は上階が広間と準備室、階下には図書閲読室と書庫の他、給品部と当直室があり、毎年7月20日に行われていた同窓会はここで行われました。

本館とは別棟で独立したものであったお陰で、大正13(1924)年12月1日の原因不明の火災で教室など殆どが全焼しましたが、講堂・物理・化学教室などと共に残り、この澪標館は急遽2階が職員室、1階が事務室になり、鉄筋の新校舎を建築するために旧建物が次々と消える中で門衛室と共に最後まで残りました。

さらに新校舎が出来てからも2階は図画室、1階は工作室となり残っていましたが、とうとう昭和20(1945)年3月13日の大阪大空襲で消失しました。
どうりで、前校舎を隅から隅まで熟知していた私にもソノ痕跡が解らなかったはずです。

と云うことで、戦後の同窓会は7月20日(大正2年からこの日)屋上でしたり外でしたり、2代目澪標館が出来るまでは会場に苦労しました。

お断り。[4886] 下山さん回答しますの文中で、信太山丘陵の光明池傍にあった「修養道場」とありましたが、「修正道場」です。


[4888] 訂正 投稿者:森田博文 投稿日:1977/11/23(Wed) 12:36

 大阪大空襲で焼失した建物名が澪票館になっておりました。澪漂館の間違いですごめんなさい。


[4887] 澪標会館? 投稿者:森田博文 投稿日:1977/11/23(Wed) 12:28

 市岡高校創立百周年記念誌の年表によれば、市岡中学創立の10年後の1991年(明治44年)に現在謳われている新校歌が制定された年に10周年記念事業の一つとして初代澪漂園(建物じゃなくて植物園?)が造られた由。1931年(昭和6年)創立30周年記念事業の一つとして二代目澪漂園が中庭に造成。
1945年(昭和20年終戦の年)3月の第1回大阪大空襲で木造校舎(澪票館、物理教室)焼失との記述があるので、戦前にあったことが窺い知れましょう。年表から推測すれば1924年末に旧校舎が焼失、翌1926年(大正15年)6月に新校舎が竣工したときに順次講堂、図書館等が完成とあり同時にプールも竣工している。澪漂館竣工の記述は無いが、このときに初代澪漂館が造られたのではありませんか?旧制中学34期の兄が生きておれば聞かれたものをと残念です。
勝手な推測で申し訳ありませんが私はこうだと信じております。
 兄と同じく博物研究会の奥井鉄男様がご健在ですので一度伺ってみたいと存じます。
 


[4886] 下山さん回答します。 投稿者:mogさん 投稿日:1977/11/21(Mon) 23:24

生物部OBには[柿大好き人間]が二人居まして、その二人に「明後日の休日に、柿山に柿を獲りに同行しませんか?」と誘いましたが、一人は東京出張でダメ。
そうしてもう一人の下山管理人さんにも誘ったところ、以下の返事が来ました。

最近、全然音沙汰の無い下山管理人の近況を知って貰うために、独断でソノ内容を公表し、併せて話題を皆さんにも提供します。(「芋づるに」また何か蘊蓄を傾けるのでは・・・)

先生、お誘いありがとう。
今週はずっと仕事です。それより、足が弱っています。
山と聞いただけで、アカン状態ですね。
なんかねえ、わたくしのお山恐怖症は、先生が原因のようですよ。
あの三嶺で、あれが頂上やと、うそをつかれて、やっとの思いでそこへ行くと、まだその奥に真の頂上がありましたね。
あの遠い記憶が原因ですわ。合宿の負の遺産もあるんですねえ。


自分の運動不足を棚に上げておいて、その原因をヨクもまあ〜こじつけたものじゃ!

最近、蘇我蝦夷・入鹿の邸宅があったと伝えられる甘樫丘へ行ったのですが、あの程度でダウンですよ。
51歳って、ほんとうにまだ若いですよねえ。それが、情けないけど、ほんまにアカンです。


相変わらず歴史のお勉強をやってますね! 
以前このmogogで甘樫丘が話題になり、いろいろとご教授いただきましたが、ほんとにエライものが発掘されましたね。
以前の話題のあと、私も再度あの丘に登って、遙かあの時代に思いを馳せましたが、実際に発見されたとなれば、下山先生感慨も一塩で、大いに興奮したことでしょうね。
どうぞ現地確認をしての報告と感想を聞かせてください。

お話は変わりまして、質問です。
新澪標会館、これはわたくしたちの食堂のことですね。じゃ、澪標会館なるものが戦前にあったのでしょうか。


戦前に何処かに「澪標会館」があったかどうかは存じません。そのような建物は校地内には痕跡すら無かったことは確かです。

こう呼ばれるということは、食堂機能以外に何か違う利用がありましたか。ただの呼び名、名称か。

生徒急増期であり、美術教室を作るためにはソコにあった食堂を移転するコトが必要となりました。
そこでバレーボール・コートを潰して建てることになったが、その資金がないので、信太山丘陵の光明池傍にあった修養道場の敷地を売って(泉北ニュータウン造成)その金を同窓会から寄付して貰うことになり、そこで食堂でなく同窓会館として建てたことになります。(校門からの椰子の堤にあった桜はここから運んできたものです。) ですので、同窓会は優先的に使用できたわけです。
同窓会で忘れられないのは、噺中の笑福亭松鶴師匠(故人)が、酒を飲んで聞こうとしない連中を怒って帰ってしまったコトがありました。
今思えば、名人芸に耳を傾けない、実に恥ずかしい同窓会で、係としては冷や汗ものでした。

昭和36年に建てられたと思うのですが、あの写真、鍬入れ式での当時の女性生徒会長のお名前は?

確か15期生の橋本さんでした。

あの校舎北側の土地は、戦後すぐに拡張された土地だそうですが、先生が入学された昭和25年にはありましたか。

私たちは拡張の為に、体育の時間にハンマーを使って塀を毀す手伝いをさせられました。今考えたら、酷いことをさせられたものです。ケガでもしたらどうしたでしょうね?
毀したコンクリートの破片はどう処理したかは知りません。
射撃練習用のコンクリート壁は分厚くて破壊できず、長い間テニスの壁打ちとして利用していましたが、これは分解されて東中庭に積まれて、サボテンや多肉植物、ユッカやリュウゼツランを植えて立派にロックガーデンとして再利用されました。

新澪標会館が建設されたあと、17期以降の生徒増に付き、新館6教室が建てられた。
順番はこれで良いですか。新館と別館というのは同じものですよねえ。おせーてください。


新館6教室と云いますが、初めは1〜3階の東側教室はそれぞれ物・化・生の実験室と理科講義室らしかったが、押しつけもいいところで、狭い教室で、物置き部屋(この狭いのが準備室で3階は金子先生の採集物置き場でした)つきとはいえ全然役に立たないまま普通教室にしていたわけです。
第一、引っ越ししろと云っても実験道具や標本など何処に置くというのか!
要するに前館2階の生物実験室と生物準備室をあけて3教室を作るために新館に出て行けと云うわけでしょうが蹴りました。

新館が古くなったので別館に変わったのでしょう。

以上が回答でした。


[4885] 定年まで待たなくても・・・ 投稿者:瀬尾明 投稿日:1977/11/21(Mon) 19:21

定年まで待つとのお言葉、うれしいような、悲しいような・・・。
毎月一度は帰ってますので、日を合わせれば、来年の耐寒登山もできます。できるだけ合わせますので、また、連れて行って下さい。この一年で7kgの減量に成功。少しスマートになりました。


[4884] 画像テストB 投稿者:28期 はやし(植物班) 投稿日:1977/11/20(Sun) 23:49

我が家のバケツ稲の収穫写真(長女)です。これで画像は左に貼れましたか?


[4883] おめでとう! 投稿者:mogさん 投稿日:1977/11/20(Sun) 23:31

林君 おめでとう! 後は HTMLを如何に使うかですね。

ALIGN="left" や ALIGN="right" を添付画像の後ろにくっつけるだけで、文章が写真の右か左に配置されます。 

私も適当に虎の巻をみながらやってます。


[4882] ついに画像添付に成功です。 投稿者:28期 はやし(植物班) 投稿日:1977/11/20(Sun) 23:19

下山師匠&小掠先生、ありがとうございました。このようにやっと画像が貼り付けできました。自力で何とかしようとチャレンジしましたが、我慢できず横着して、「ninja8」というソフトを夕方に買って来て、先ほど自分のHP転送ができて立ち上がりました。この写真 は、小掠先生に9/27(これで4回目)に連れて行ってもらった時のものです。仕事場から直行して、和泉府中から先生の車に乗せてもらい、深夜に龍神スカイラインから下って、(途中、シカやアオバズク??が道路にいてすごい!!と感動しながら)テントで1泊しました。釣果はあまご3匹と少な目でしたが、来年の神納川にお土産を置いてきたと、自分を納得させています。画像がコメントのどの位置に出るのか?ですが、ついにやった!!という感じです。


[4881] 業務連絡! 投稿者:mogさん 投稿日:1977/11/20(Sun) 23:09

上の[@Yahooフォト]の許容量が30MBから10倍の300MBに増加しましたので、生物・園芸部OB会の活動記録(mogさんの個人的な写真記録も有ります)を整理しました。
まだ、完成しておりませんが追々付け足していきます。もし新たに貼って欲しい写真がありましたら送ってください。

整理している最中に、瀬尾さんの岩湧山の元気な写真を見て、来年の耐寒登山は一緒に行けないなあ〜と、残念に思ってます。定年退職で帰阪するのを待ってます。

http://photos.yahoo.co.jp/mogog2005

http://photos.yahoo.co.jp/mogog2003  

http://photos.yahoo.co.jp/mogog2001

林君、直接ココに貼ってくださいよ! あまり大きくならないようにね。


[4880] 画像テストです。 投稿者:28期 はやし(植物班) 投稿日:1977/11/20(Sun) 22:50

画像のテストです。

http://homepage2.nifty.com/terubou/img001.jpg


[4879] 先生いつもありがとう 投稿者:瀬尾明 投稿日:1977/11/18(Fri) 20:06

久しぶりに書き込みます。
先生が柿や野菜を持って来て下さったこと、家内からの電話で知りました。大変よろこんでいました。いつもお気遣いいただき、ありがとうございます。私は、この8月から東京本社勤務になり、月の内、半分は出張で飛び回っています。昨日までインドへの出張のため、お礼が遅れてしまいました。すみません。
今、大学3年の長男と二人、高円寺のアパートに住んでいます。家族が真っ二つに分かれましたが、昔の大学時代に戻ったようで結構楽しくやっています。
今、みんな帰ったのを見計らって会社のパソコンから書いてます。


[4878] Re[4865]: 28期同窓会 大盛会でした 投稿者:池端孝之 投稿日:1977/11/13(Sun) 21:10

 大変大変ご無沙汰しております。28期の池端です。
 連絡が遅れましたが、この4月に東京に転勤となりました。滋賀の田舎に20年ばかし住んでいましたが、今は、新宿の都庁の前のビルで働いております。長女が高校3年生で受験の為、単身赴任しており、埼玉県の浦和にある独身寮で暮らしております。ちなみに、28期の堀内さん(旧姓上田さん)は直線距離で3kmの所に住んでおられます。
 元志くん。同窓会お疲れ様でした。同期の生物部の人とは本当に久しぶりでした。30年経っても、みんな昔のままでした。西野、赤西、井上さんとは出会えませんでしたが、また28期会をやろうと云う事になりました。
 小掠先生 CDありがとうございました。市岡高校及び生物部の歴史の重さを感じました。また、忘れかけていた市岡の姿が、よみがえってきました。
 滋賀へは2回/月程度戻っています。また飲み会誘って下さい。林君へ永源寺方面へお越しの際は、連絡下さい。


[4877] 唐突ですが 投稿者:31期中嶋 投稿日:1977/11/12(Sat) 09:52

このページの上の写真はどこなんでしょう?
紅葉がとってもきれい。
生駒の山は、うちから見てますとまだほんの一部しか紅葉してません...


[4876] ここからスタート 投稿者:下山勇@25期(植物班) 投稿日:1977/11/12(Sat) 00:37

林 輝泰@28期へ

先生に頂いた柿を食べましたので、少しお話しする気力が出てきました(^O^//
もうニィフティのURLを取得済みとのことですね。
じゃあ、その後はとても簡単です。
http://homepage.nifty.com/manual/manual_03-1.htm
ここから始めましょう。
林くんのURLには今のところ何もないわけです。
なにも入っていない。だから何も表示されないのですね。
サーバーにデーターを送らないといけません。
データーを送るにはFTPソフトが必要です。
ハセコにはFFFTPというソフトを紹介しました。無料で入手できます。
上記の次のページから、このソフトのダウンロードもできますね。
あとはよく読んでがんばるのじゃ。



親愛なるハセコ@26期へ

ほんまか(^O^//

   ↑ これはね、わたくし専用です。


     


[4875] よくわかりませんが・・・ 投稿者:川上@25期 投稿日:1977/11/11(Fri) 20:21

タグはこちらが正解でした。

「<img src=”http******.gif”>」


[4874] どうもすみません。 投稿者:川上@25期 投稿日:1977/11/11(Fri) 12:24

どこから謝ったらいいのかよく分かりませんが・・・。m(_ _)m

1.下山先生のように「<」をつけたまま表示するにはどうしたら良いかが確認できたのですが、
  表示が上手くいかなかったので、削除させていただきました。
  「IT&」「g&」みたいな文字で括ってありました。
  一度お試しを。

2.瀬尾君の転勤は8月でしたが、11月までは確定でないみたいでしたので・・・。

3.44期の田仲一彦くんは、生物部の後輩、北新地サンボアで働いています。
  mogさまはご存知ないですよね。

4.隠し口座の残高は前回報告から変更ありませんでした。
  下山先生、連絡お待ちしています。

というようなわけです。


[4873] Re[4870]: 昔がなつかしい 投稿者:はせこ 投稿日:1977/11/09(Wed) 23:52

そういえば、あの頃の下山先輩はひたすらやさしい方でした。
HPへの写真のアップを電話の向こうで根気よく教えてくださりまして、そのご恩は忘れはいたしません。
なのに!いまだ何のお役にも立てずに申し訳ありません。今は忙しくて芋ずるのメールも読んでませんが、いつかなにかのお役に立ちたいと思っています。

ほんまか (^O^//



[4872] (無題) 投稿者:mogさん 投稿日:1977/11/09(Wed) 07:31

下山君は本当に悪い子です! 
人を煽てるのが相変わらず上手で、人を乗せといて何時のまにか梯子を何処かに持って行きよるワイ・・・・。
この頃、芋づるもただニヤニヤ見て居るだけとか・・・・ ソウでしょう小島君。

まあ〜いいか・・・柿を食わせば何とかするようだから。今日一箱、収穫したての富有柿を配達しておくから・・

川上君も悪い子です! 下山先生代理で教えてくれるのかと思ったら、サッと消してしまって・・・。
それに瀬尾氏と東京で飲んでたのに、彼の東京転勤を云わないから、昨日、彼の家に「柿仕事」の帰りに柿やら野菜を配達しに行ったら「奥さんだけの家」だからと、厳重に施錠されて怪しまれてしまって・・・。
44期の田仲一彦とか?いうのはだれですか? 下山大先生に尋ねられても、そんなん私は知りませんよ!多分、北の新地の・・?と答えておきましたけど。

林君、ソフトなんて要りませんよ。独学しなさい。テキストは本屋で安くて判りやすいのを1冊買ってきて・・・
なんて・・偉そうに云って、わたしはクッシン様にMakuromediaDremweaver3と云うのを借りっぱなしでして・・・・スミマセン。


[4871] Re[4870]: 昔がなつかしい 投稿者:28期 はやし(植物班) 投稿日:1977/11/09(Wed) 07:04

> 白川郷合宿では彼に多くの植物を教えたのです。
> しかし、林くんは今はすっかり忘れているでしょう。

大半は忘れているでしょうね。確か大学にいってから買った「牧野大図鑑」(当時でも1万円以上したはず?)は今どこにあるのでしょうね・・・。我が家の屋根裏部屋にあるか、それとも貧困学生の折、古本屋さんへ売り、私の胃袋の中へ逝ってしまったのでしょうか。

さて、自分のHP作成の件、とりあえず、Niftyの@homepage申し込みをして、私のURL取得完了のお知らせが届きました。が・・・、その後のやり方が判りません。作成画面にどうしたらつながるのか?自分のURLにアクセスしてもスタート画面へ行きません?

今から仕事へ行きますので、また今晩にチャレンジしてみます。無料でやろうとしていますが、何かソフトを買う必要があるのですか??


[4870] 昔がなつかしい 投稿者:下山勇@25期(植物班) 投稿日:1977/11/08(Tue) 23:42

先生、ごきげんよう。
先生、できますねえ。すばらしい説明です。
ハセコと先生にだけは手をとり足をとり教えた昔が懐かしいです。
時間をかけたお蔭で、先生は立派に大成されました。嬉しいです。
今度は林くんに....ああ...
白川郷合宿では彼に多くの植物を教えたのです。
しかし、林くんは今はすっかり忘れているでしょう。
先生、それを思うとなんか教える気がしない、気力がない(^O^//
またあいつに教えるの?と思っただけで気力が無くなりました。
おもしろいですねえ。おかしいですねえ。
あとはわたくしの弟子の先生が教えてやって下さいよ。
先生は教えるだけの実力がありますよ。うん。

先生、この掲示板、なんとかせなあかんといつも思っております。
宿題をいつまでもしない悪い子ですわ。
先生、次の柿、頂いてから考えますね。おいおい。


(^O^//


[4869] 下山先生の教え方に注文! 投稿者:mogさん 投稿日:1977/11/08(Tue) 18:54

数学でも何でも、よく判ってる人に聞いたら、下山先生の回答のように、解らん人の気持ちが全然理解しないで、教えたつもりになってるので困るんです。私も苦労しました。

確かにtopのハムスタ−を右クリックして、プロパティをクリックすれば、これのアドレス(URL)http://homepage3.nifty.com/mogog/img/hamu.gifが判るから、
教えられたように<img src=の後ろに「"http://homepage3.nifty.com/mogog/img/hamu.gif">」を入れたら、
すなわち<img src="http://homepage3.nifty.com/mogog/img/hamu.gif">なって(< >は、これを半角の< >にするとハムスタ−君が、このように出てしまいますので、あえて全角にしましたけど、これをココに貼り付ければ出ますよ!(なんで下山さんのサンプルはハムスタ−にならないの?)

同じようにすれば、これも 出せます。

林君の聞きたいのは林君の持っている写真をいかにすればmogogに貼り付けるかですので、それを答えてやってくださいな。

林君の写真を自分のHPのアドレスに、ドナイしたらアップロード出来るんか?と云うことを教えて上げてください。私はなんと教えたらよいか説明するだけの力がありませんので・・・・ よろしく。


[4868] 画像の貼り付け方 投稿者:下山勇@25期(植物班) 投稿日:1977/11/06(Sun) 22:42

林 輝泰@28期、お久しぶりです。元気してる。
小掠先生はわたくしの植物の師匠、わたくしの弟子があなた。
いつのまにか、林くんは魚班に転籍、わたくしはPC班に編入しましたね。
現役の時は植物の名前など千以上も知ってましたが、現在は小掠先生に教えてもらった
葉っぱの真ん中に花が咲く「ハナイカダ」しか覚えていません。ちょっとオーバーですけどね。

画像の貼り付け方の件ですけど、基本は簡単です。

画像表示基本形  <img src="表示したい写真のアドレス">

サンプル

<img src="http://homepage3.nifty.com/mogog/img/hamu.gif"> こう書けば

このように    ほら、表示されますね。

同総会の写真など有りましたら、わたくしにメールで添付ファイルの形で送って下さいね。

俺は待ってるぜ(^O^//


[4867] 下山大先輩、画像の貼り付け方のご教授を・・・ 投稿者:28期 はやし(植物班) 投稿日:1977/11/06(Sun) 21:41

随分前に、このHPに画像の貼り付け方を公開いただいたのですが、あの時は途中で断念してしました。今更聞くのもなんですが、自分でHPをつくったことのない人(小野田君んから「まず自分のHPを作る必要がある」と聞きましたので)でもできるように、またまた先輩のお時間がある時に、情報公開いただけないでしょうか?

PS.メーリングリスト「根こそぎ市岡」の量&質は、不肖ながら私には受容できないレベルになっています。26期の有子さんに叱られていますが・・・。


[4866] 懐かしのアルバムvol2 投稿者:28期 はやし(植物班) 投稿日:1977/11/06(Sun) 21:29

小掠先生、昨晩いただいた「懐かしのアルバム」を本当に懐かしく拝見しています。その人の何かの出会いで、その人の人生が創られるのだと変に神妙になっています。今思えば、どういう経過で、何をきっかけで生物部に入部したのだろうかと・・・覚えていませんが。

それはそうとして、やはり合宿ほかのできごと・体験の記憶が、鮮明に思い出されました。それにしても今の時代から考えれば、当時50人前後の集団を危険のある山野によくぞ連れて行ってもらったものだと感心しています。思い出しましたが、目玉焼きやみそ汁をアルミバットでつくったり、手ごねのハンバーグも食中毒も恐れず、我々のバイキン一杯の手の中で・・・。雷雨の中の登山やマムシとの格闘や好き嫌いな食べ物(当時はスイカやきゅうりが大嫌いでした)が食べれるように・・・と、あの時に、たくましく生きる力が身についたんだ!と感心しています。今の親や子どもたちには、体験できていないことばかりでしたね。

金子先生をはじめ、小掠先生、万代先生には、今から思えば、すごいことを教えてもらったと感謝です。アルバムを見て、「これからの社会に生きる子ども達に、今の大人としてしてやれることがいっぱいある」と再び元気をもらった作品でした。生物のOBの一人でも多く見てもらいたいですね。

PS。本当に記録って大事ですね。多くの写真は、大半は小掠先生が撮られていたのでしょうね。見れば、結構遠方からの写真があって、その分生徒たちの2倍近くは動いていただいたのでしょうね。


[4865] 28期同窓会 大盛会でした 投稿者:岡本(28期) 投稿日:1977/11/06(Sun) 17:41

先生 写真ありがとうございます。小島君が抜けました。(小島君は1年時は生物部に在籍。合宿にも参加) すみません。
また、小掠先生には校歌のリードとエールを元気いっぱいにやっていただきました。ありがとうございました。

生物部28期がこんなに集まったのは本当に久しぶりです。小掠先生の退官記念の時以来でしょう。とっても嬉しかったです。なんか、みんなとしゃべると本当に落ち着きました。あの頃に戻れます。本当にありがとう。

同窓会は28期同窓生165名、恩師8名の出席で総計173名の大盛会。「みんなで歌おう」という企画あり、チェロの名演奏あり。わきあいあいあと楽しみました。次は5年後?
2次会も125名の参加でこちらも盛り上がりました。しゃべっていて時の経つのを忘れました。


[4864] 「卒業30年記念同窓会」の部員一同 投稿者:mogさん 投稿日:1977/11/06(Sun) 11:25



岡本君をはじめ、綾小路さん達幹事諸君の大変な努力の結果、盛大に行われた「卒業30年記念同窓会」を存分に楽しませて貰って帰宅しました。
白川村馬狩分校や、氷ノ山での合宿(合宿写真集参照=右は抜粋したもの)に参加した生物部の諸君を懐かしく思い出しながら30年振りの再会をしてきました。

彼・彼女達は私とは、ほぼ二回り違うんでしたね! 来年が戌年だから早やXX歳になるわけです。
みんな元気に大いに気炎を吐いておったことを報告します。

あっ ゴメン! 写真に芋づる会の小島君が抜けていました・・・


[4863] 28期 投稿者:岡本(28期) 投稿日:1977/11/03(Thu) 22:42

本当に久しぶりに投稿いたします。

ここでも大分以前カキコさせてもらいましたが、28期全体同窓会(30周年)、いよいよあさって開催です。
この掲示板でもおなじみの池町君、上田さん、小島君などを含め世話人会41名にがんばってもらって、参加呼びかけを行い、また多くの行方不明者を探査判明させ、なんと予定では総勢170名+恩師9名の大同窓会になります。(当日欠席もいるでしょうが)

担任以外で呼びたい先生の名前に小掠先生もあがって、ご招待したところ、快く出席の返事をいただきました。ありがとうございます。明後日よろしくお願いします。

そして、非常に嬉しいことは、生物部28期部員の多数に参加してもらうことです。
林君、小野田君には世話人になってもらい、活躍してもらいました。当然参加です。三木さん、森田さん(森景)も参加。そして、関東から池端君(同窓会委員)、新作さん、上田さん、参加予定です。赤西君は△。井上さんは2次会から行けたら行くとのこと。西野君は九州柳川にいて、当日仕事で不可。大変残念がってました。このことがきっかけで、先日、僕、小野田、林と西野は久しぶりに再会。飲みました。楽しかったです。(写真撮れば良かった)

ということで、小掠先生。久しぶりに多数の元部員がおります。お楽しみに。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

MADAMU節子さん

ご存じのように、池町君が28期HPでOB美術展のことをPRしております。

>生まれも育ちもJR福島徒歩5分ですので 芋づる会のたこ焼き屋さんのの近くです。

僕も実家はJR福島から徒歩5分です。方向はちがいますが。
また、たこ焼き屋さん「福ちん」でお会いしましょう。



[4862] 覚悟はしていましたが!! 投稿者:MADAMU 節子 投稿日:1977/10/30(Sun) 15:22

 先生本当にお久しぶりです!
「貼り付けの刑」聞いてはいたのですが!
 ひとみ は 絶対書き込みしないと言っております(笑い)兄姉にはけして言いません。一緒に並べられたら
 カナン!!
 ところで先生ぜひ来年はご来場くださいね!
お待ちしています!!
 今頃は奈良を歩かれているんでしょうね。私も早く元気になって一度参加させていただきたいです。
  


[4861] Re:<業務連絡> 投稿者:川上@25期 投稿日:1977/10/29(Sat) 16:07

大変ご無沙汰しております。

会社の移転は落ち着きましたが、色々仕事が増えバタバタしております。

お尋ねの隠し口座は最近の残高確認ができておりません。
16.8.13現在では、43,522円となっています。
近々、記帳して、またお知らせいたします。

今年度の維持費の支払いには支障はないと思いますが、来年度の支払いには不足となりそうです。
下山管理人殿、前年と同額を同じ口座に振り込めば良いでしょうか?
私宛メールでお返事ください。
すぐに手続きいたします。

食文研もなかなか開催できていませんね。
以前に讃岐うどんと祖谷そばの旅を考えていましたが、まずこれを実行しましょうか?
他に何か良い案がありましたら、お知らせください。
よろしくお願いします。



[4860] <業務連絡> 投稿者:mogさん 投稿日:1977/10/29(Sat) 12:38

下山管理人様へ! 質問とお願いです。

小生、「表紙写真」と「今週のお花」を担当しておりますが、それ以外のことは私にはどうしようもありません。

上のLink一覧の「合宿ビデオ」や、お勉強の「video」などビデオ映像にはアクセスできません。

どんなvideoかと問い合わせもあり、修復工事願います。(合宿ビデオは思い出の写真集(U)のCD編には収録しております)

なお、川上会計主任殿にもお聞きしますが、「隠し口座」が2003年7月から長い間動いておりませんが、「mogog」維持費はどうなっておりますか? 

資金不足で、ビデオ等が止められておるのではないですか? 必要なら募金依頼してはどうですか?


[4859] MADAMU節子さん! 投稿者:mogさん 投稿日:1977/10/29(Sat) 10:40


MADAMU 節子こと、河之口さん ヨウコソいらっしゃい!
知らなかったでしょうが、ココに登場すれば文句云わさず「貼り付けの刑」に処すことで、みんなに「あ〜あの子か!」と認識して貰うために紹介することになってます。

18期の真宏兄さん・19期のユリちゃん、そして25期のひとみさん・・・懐かしいね。 
上の二人は大杉谷合宿で兄妹で参加したし、ひとみさんはたしか文連か文活かで頑張ってくれたのを憶えてます。
ひとみさんは生物部の川上・北川君と同じクラスですね。福島のお家にも行ったことありますよ。
兄・姉妹4にん全員が市岡とは、さぞかしご両親はいろんな意味で大変だったことでしょう!お察しします。
また、いつでも来てください。他の兄姉妹さんにもよろしく・・・・。

生物部の22期は鳥山部長をはじめとして男子部員が多かったですね。(鳥山君はどないしてるんやろ?)
合宿は台風やら金子先生の発病やらで、氷ノ山に2年連続して行くハメになってしまったり、文化祭を始め「諸行事を粉砕」と叫ぶ連中がいたりで、右往左往させられた苦い思い出が一杯でして、あのころの事は私には妙に暗い思い出として残ってます。

 


昨日の朝日新聞の朝刊一面に曽爾高原のススキの写真が出ていたので、晴天でもあり、急遽見に行きたくなったので出かけてきました。(表紙の写真)
晴天でさえあれば、何度行ってもあそこは良いですね。(OB会で行ってから毎年行ってます)
逆光で見るススキ原の銀色の輝きは見事ですし、昨日は人が意外に少なかったので、帰りに寄った太郎路にある「亀の湯温泉」も最高でした。


[4858] あつかましいん ですが 投稿者:MADAMU 節子 投稿日:1977/10/27(Thu) 02:50

市岡高校0B美術展出品のおねがい No.112 投稿者: MADAMU節子  10/22/05 23:40
毎年2月に北区の現代画廊画廊で行っています。美術部のOB展ではありません。出品作品も立体平面自由です。パッチワーク手芸陶芸習字何でもOKご協力いただけないでしょうか。幹事さんのところへ募集要項遅らせていただきます。
22期幹事です。松澤節子(旧姓河の口)
 昨年は生物部の方も出品してくださいました。1作年は小倉先生も画廊のほうにおいでいただきました。
 28期のホームページ管理人さんにこのサイト教えて頂きました。

 ps
 化猫先生 モグラ 先生には (なんと失礼な)
兄弟姉妹4人 お世話に なりました 18・19・22・25期と
 19期の姉は確か生物部やったと思うんですが?
すれちがいですので!!
 
 生まれも育ちもJR福島徒歩5分ですので 芋づる会のたこ焼き屋さんのの近くです。

ホンの2・3日前まで芋づる会もしりませんでした。
 入会したてです。

是非一度伺いたいとおもっています。


[4857] あつかいんですがですが!! 投稿者:MADAMU節子 投稿日:1977/10/27(Thu) 02:40

市岡高校0B美術展出品のおねがい No.112 投稿者: MADAMU節子  10/22/05 23:40
毎年2月に北区の現代画廊画廊で行っています。美術部のOB展ではありません。出品作品も立体平面自由です。パッチワーク手芸陶芸習字何でもOKご協力いただけないでしょうか。幹事さんのところへ募集要項遅らせていただきます。
22期幹事です。松澤節子(旧姓河の口)
 
 化猫先生 モグラ 先生には (なんと失礼な)
兄弟姉妹4人 お世話に なりました 18・19・22・25期と
 19期の姉は確か生物部やったと思うんですが?
すれちがいですので!!
 
 生まれも育ちもJR福島徒歩5分ですので 芋づる会のたこ焼き屋さんのの近くです。

ホンの2・3日前まで芋づる会もしりませんでした。
 入会したてです。

是非一度


[4856] アラアラ 投稿者:31期中嶋 投稿日:1977/10/26(Wed) 06:04

先生にも...
ちょっとま、静かに大人しくしてようかなぁ...
けど、先生、一人くらい賑やかななんがいてたほうが、楽しいですよ、きっと。
と言うことで、やっぱりおしゃべり止まりそうにありません〜


[4855] 釣れた! 投稿者:mogさん 投稿日:1977/10/25(Tue) 10:45

釣れた! ヤッパリ柿の餌に下山さんが釣れました。 

産みの親がこどもの顔を見ないはずがないので、ココを覗いておることは解ってましたが、あまり放ったらかしにされると、少々心配になってきましたので試してみました。

芋づるの方、「まったく静か!」らしいけど、ニヤニヤしとらんと、せめてmogogの方には情報提供して欲しかったですが・・・これでは提供しようも無いことが解りました。
こちらは、このところアクセス数も出ないので、どれだけ見ておるのか? 「も〜ヤンペや!」と店じまいするのかと心配してます。

生物部OB達はみんな私に似て、何処に行っても、誰かさん以外は「まったく静か!」で、遠慮深いのが珠に瑕です。

時々、のり子姫のようにチャチャを入れてくれるのも居るのでホッとしてますが・・・・

川上幹事長はも〜引っ越し騒動も落ち着いた筈なんですから、今年こそは食文研の企画頼みますよ。


[4854] しゃべくりまくってる 投稿者:31期中嶋 投稿日:1977/10/25(Tue) 08:53

私がおしゃべりなんは、モグオグを見てるだけでも十分わかるはず。今更、強調していただかなくても、良かったんですが...なんだか恥ずかしくなってしまいます〜。
単なる現状報告なんでしょうか?
それとも、もう少しおしゃべりは慎めとの、下山さんからの暖かいメッセジーなのでしょうか?

それと、下山さん、31期生物部山本恭子さんも芋づるに参加してるはずです。


[4853] 写真では「熟す」と書いてある 投稿者:下山勇@25期 投稿日:1977/10/24(Mon) 23:59

先生、早く食べないと(^O^//



ML芋づる極秘報告

ただ今153名(6期〜46期)です。
7月17日、元プロ野球選手の南 秀憲@31期も入会しました。
MLの中身は153名による縦割りLTHRです。
投稿者は27期〜36期が多いです。
蜷川史子@36期ちゅーのがおりまして、これが最近、芋づる内をづるづるにかき回しております。
内容は「仕掛け」専門でして、兄さま、姉さま連中を良からぬ話題に引きずり込みまして、いたぶり続けていますなあ。
そしてこの兄さま、姉さま連中がおもしろいように彼女の罠にはまる。そういう現状でごぜーますな。
内容はともかく、討論はいたって活発です。多い日では30投稿も有りましょうか、仕事で数日メールを開けないと、
先生じゃごぜーませんが、「おいおいおーい、これどーすんねん」でございます。


※ML芋づる内生物部員の動向

16/神本光樹  ← 10月15日、福ちんデビュー、思い出したかのように時々投稿あり
18/若林恵子  ← この方、生物部に一時在籍していたのでしょうか。
25/川上大三  ← 若い方の話題についていけず静かにしてます
25/下山 勇  ← まったく静か
25/小倉千枝子  ← 若い方の話題についていけず静かにしてます
26/上西賢治  ← 入会時からまったく静か
26/長谷川裕子  ← 怪しい静けさ
28/小島基弘  ← 管理人なので仕方なく(ほんまか)投稿のお相手をしているようです
28/米満泰之  ← まったく静か
28/林 輝泰  ← 知らないうちに入会していた..静か
29/阿部直子  ← 入会時からまったく静か
31/中嶋さと子 ← しゃべくりまくってる
31/森迫俊幸  ← まったく静か  
31/山本恭子  ← まったく静か
32/藤橋保範  ← 最近いつのまにか入会していた



[4852] [4852]秋 投稿者:25期 高尾 のり子 投稿日:1977/10/24(Mon) 16:06

先生の場合 野外にかぎるのは 秋にかぎらないのでは?

お元気なご様子をいつも楽しく拝読させていただいてます。

ではでは。


[4851] 秋たけなわ! 投稿者:mogさん 投稿日:1977/10/23(Sun) 20:26

秋の彩りがあちらこちらに見られるこの頃みなさんお元気ですか? 

今日は大阪でも、いよいよ「冬近し」を感じさせるお天気でしたが、須磨さん宅から見える十勝の山々はもう白銀に輝いていることでしょうね。

今年の関西は台風の影響もなく、秋の取り入れも無事終わったようです。

柿も「利根早生」がおわり、先日は赤くなった「平核無し」(いずれも渋柿)の収穫に出かけてきました。富有柿はまだ少し早いですが、温州みかんもだいぶん色づいて来ており、稔りの秋を眼と肌で感じられるこの頃です。(下山管理人さん いましばらくお待ち下さい)

今年は誰からも星見会の話も、食文研(温泉と食物文化研究会)の計画も出てきませんが・・・

10月30日には「奈良市岡歩こう会」で馬見丘陵の古墳を訪ねる催しがあります。みなさん参加しませんか?
9期生の中谷さんの説明を聞きながら歩くそうです。(集合は近鉄田原本線・池部駅に9時10分です。)

先日、私は豊田氏と山仲間達と武庫川河口でハゼ釣りを楽しみ、今度は加太でアジ釣りに出かける計画もあります。

秋は野外にかぎりますね!


[4850] コスモス 投稿者:31期中嶋 投稿日:1977/10/15(Sat) 06:07

先生、コスモスがとってもきれい〜!!
実はコスモスは、思い出の花。
はじめて大阪を離れて熊本暮らし。こじんまりとした借家に住んでおりました。その借家は大阪で信じられないくらい安い値段でかりれたはず。おまけに家と同じくらいの広さの庭までついているのです。
ところがこのお庭、借り物ですので、木を植えるわけにもいかず、手をつけずにほったらかしにすると、たちまち雑草だらけ...なにかいいアイディアがないかと思うていましたところ、どこから種が飛んできたの一本のコスモスが片隅に咲きました。
きれいやなぁと思うてるうち、このコスモスが年々増えだし、3,4年で庭中コスモスが咲くようになっていました。
雑草が伸びる夏にはコスモスが伸びだして、たの雑草を抑えてくれ、我が家は大歓迎。
秋には庭一面のコスモス畑が出来上げり、子供がコスモスの中をくぐって遊ぶんです。近所のかたも、楽しんでくださって、ほんまいい思い出がいっぱいの花なんです。だから、いまでもコスモスを見ると、懐かしさで嬉しくなってしまいます。
きれいなコスモスを、先生ありがとうございます。

それと、変り種のコスモスの右側の写真見てましたら、「肥後菊」を思い出すのですが。


[4849] コスモスの里 投稿者:mogさん 投稿日:1977/10/14(Fri) 12:20

奥川さん ソウでしたか! 山名氏の末裔ですか・それも家老職ですか・・・山名は殿様の名ではないの? 
竹田城址の山門のそばに、共に戦った山名一族と赤井一族の共同の慰霊石碑が建ってましたけど・・・
あの辺りは、山の上にはあちらこちらに城があったとみえて竹田城址のすぐ隣に安井城址など城址だらけですね。
戦国時代には要塞として手頃な高さであったのでしょうか。近くに生野銀山もあって、これを守るのに大変だったのでしょう。

秋晴れの昨日13日は、私だけ遊んでいては申し訳ないので、罪滅ぼしに、先日見つけておいた氷上のコスモス畑にカミさんを連れて行ってきました。

情けない農政のために減反を強いられた農家が、稲を作らずに田圃に雑草を生やす代わりにコスモスを植えて他人を喜ばすなんて、なんとも気の利いた遊び心でしょうか!
奥川さん 是非行ってらっしゃい。竹田城址に行くなら今はよろしいよ! 春日から氷上まで高速道も延びたし・・・すぐですよ。
帰りには春日のそばの国領温泉に浸かって・・・。



ここでは、地域を決めて集中的に田圃全体、一面にコスモスを植えることにしているとかで、何十枚もの田が満開の今は農政の事を忘れてただ「綺麗」の一言でした。
コスモスはよく肥料を喰うのに!と心配したら、私が考えるまでもなく、あとはレンゲの種を蒔いて、今度は一面にレンゲ畑にするソウです。


一寸変わった花の株があったので紹介しておきましょう。
これは頭状花の周縁部の舌状花が筒状になったものと、中央部の筒状花の一部が舌状に変化して「八重咲き化」したものです。
キク科の花は集合して頭状になりますが、合弁の花びらは筒状になったり、大きくなってタンポポのように全部が舌状になるものもあり、コスモスでは完全な八重咲きや、舌状花が全くなくて、中央の筒状のものだけしかない黄色の花(写真の花の赤い部分のないものを想像してください)もあります。(昔、これの遺伝を研究していました)


[4848] 一色先生と金子先生 投稿者:29期田中 投稿日:1977/10/13(Thu) 23:13

先生こんばんは。

一色先生と金子先生が台北時代の同僚であったという話は初めてお聞きしました。
すごいところでつながっているんですね。
もちろん私は一色先生とは面識はありませんが、保田先生は一色先生のお弟子さんですし、私の卒論は保田先生にみてもらいました。結婚式の時の仲人も保田先生です。
今度会ったときに色々聞いてみます。


[4847] RE:竹田城址 投稿者:@25th.Mark.奧川 投稿日:1977/10/12(Wed) 23:19

私の家は家系伝説では、清和源氏・新田支流・山名源氏です。本当かどうか判り
ませんが、親父の二従兄弟半で関西のどっかの大学の教授をしてた人から弟との結婚式で聞きました。先祖は竹田城にいた(一族だから)らしいです。
竹田城にいて家老だったらしいですので当時は山名を名乗ってらしいですが、山名滅亡の時(木下藤吉郎に攻められて)生野峠を超えて今の兵庫県・神崎郡に土着したそうです。

それで 奧川という姓にしたのかもしれません。

小椋先生なら分かられるかも知れませんが、私の爺さんから分家です。爺さんの兄さんは本家です。この人は姫路の近衛師団の憲兵でした。爺さんは近衛師団の騎兵でした。(騎兵なんていつの時代や?)。

だから仕事・旅行で竹田城址の麓を通る度に一度行かなくてはと思っています・・・。


[4846] RE:竹田城址 投稿者:@25th.Mark.奧川 投稿日:1977/10/12(Wed) 23:11

私の家は家系伝説では、清和源氏・新田支流・山名源氏です。本当かどうか判り
ませんが、親父の二従兄弟半で関西のどっかの大学の教授をしてた人から弟との結婚式で聞きました。先祖は竹田城にいた(一族だから)らしいです。
竹田城にいて家老だったらしいですので当時は山名を名乗ってらしいですが、山名滅亡の時(木下藤吉郎に攻められて)生野峠を超えて今の神崎郡に土着したそうです。

それで 奧川という姓にしたのかもしれません。

小椋先生なら分かられるかも知れませんが、私の爺さんから分家です。爺さんの兄さんは本家です。この人は姫路の近衛師団の憲兵でした。爺さんは近衛の騎兵でした。(騎兵なんていつの時代や?)。

だから仕事・旅行で竹田城址の麓を通る度に一度行かなくてはと思っています・・・。


[4845] 田中さん失礼しました。 投稿者:mogさん 投稿日:1977/10/12(Wed) 14:46

ソウだったんや!「みやび通信第27号」にあったんでした!

今回は豊田氏に山登りに連れて行って貰ったので、全然あの竹田城址の事は念頭になく、まさかあそこに行っていたのだとは気がつきませんでした。
偶然にも城址を見つけて行ったので迂闊でした。まことに失礼しました。

それに竹田城と云えば滝廉太郎の「荒城の月」の岡城が頭にあって(豊後竹田城)混乱しておりました。

あの石垣の石は、多くはあそこの山で調達したのでしょうね。目の前の朝来山に登って同じ岩石がゴロゴロしていたので納得しましたが・・・・

話変わってセミヤドリガのこと、興味深く拝見しました。 面白い蛾が居るんですね! いい勉強になりました。
セミがとまる樹木なんて、現在のムチャクチャ増えたクマゼミならともかく、それでも極めて限られたもので、微細な幼虫などでは、宿主であるセミに出会える確率なんてどれほどなんでしょうかね?

ここでも生物の世界の不思議さと、生存に厳しい現実を見せつけられた思いです。

保田淑郎さんの名前を懐かしく思い出していました。(研究室対抗でよくソフトの試合をやったものです)
それに、部屋の大将であった一色教授が金子先生の台北時代の同僚であったとかで、お二人は小蛾と微小貝、面白い因縁でした。


[4844] 竹田城址 投稿者:29期田中 投稿日:1977/10/11(Tue) 18:43

先生、皆様こんにちは。
少々仕事が忙しくて定期的に訪問しては読んではおりますが、なかなか投稿する時間がありませんで、ごぶさたしております。

今日、来て見ますと竹田城の写真が目に飛び込んできて大変なつかしいです。
20代の後半は月に一度、新月前後の週末に生野高原に星を見に行ってました。
翌朝は生野からそのまま大阪へ戻るときは南へ下って中国自動車道を使いますが、逆に北へ向かい和田山経由で福知山へ行くことも度々ありました。両親が福知山に家を建てたものですから。
竹田城址については今年の三月に「みやび通信第27号」でとりあげております。まだ行ったことがない方は是非一度お訪ねください。よくぞこんな山の上に石垣を組んだものだと感心させられます。

今年の夏に久々にセミヤドリガの幼虫をみました。この時投稿しようと思ってすっかり忘れておりました。


珍しいものではありませんが、生態はまだ完全には解明されていないようです。
「みやび通信第20号/セミヤドリガ」


[4843] 秋を見つけに行ってきました。 投稿者:mogさん 投稿日:1977/10/11(Tue) 13:28

秋を見つけに行ってきました。
ちょっとも書き込みがありませんが、みなさまご健在でしょうか?

この時期になると、泉州路はいつも「田舎」を感じさせてくれますが、わたしはいつも家に居ったことがありません。
今年は豊田(19期)さんのお供をして、兵庫県の真ん中・鳥取と京都に囲まれたあたり(播州から丹波にかけて)の山々を野宿をしながら歩いてきました。
(あちらこちらで昨年の大雨の影響による山崩れのヒドさを実感してきました)

秋の取り入れが終わって村々はお祭り気分、お天気も「晴れ男達」には大阪の雨も関係ありませんで、祭り太鼓の音と虫の声を聞きながら、満点の星の下での宴会はなかなか乙なものでした。

山もよろしいが、歴史を紐解くのもよいもので、今回は山めぐりの旅の途中「竹田城址」に行ってきました。
(朝から城址の山(354m)に登って、下山後、すぐ対面の朝来山(757m)に登らされるのですよ。 そのあとは車で少し移動して、また別の山に登るのですから大変ですわ!)



最近は城址ともなれば、天守や何かを建てて、「観光」にと、詰まらんチエを働かして居るところが多いなか、ここは400年前の石積みが山頂に東西100m・南北400mにわたって昔のまま残っていて、迫力満点!
大阪城や姫路城以上に石垣の凄さに感動してきました。流石に穴太積み!と 感心し、地震で崩れやすい建築物への何かヒントになるのでは・・・・?

お城は29期田中君の領域ですが(link一覧「みやび通信」参照)見てきましたか?貴君の竹田城址の感想は?


[4842] 出来の悪いお供でございました。 投稿者:言うことを聞いていないお供の者^^@二十九 投稿日:1977/09/26(Mon) 17:06

先生『あそこの一本杉のとこで待ってて、すぐ追いつくし。』
お供『は〜い!』(返事だけは、すこぶる良い。)
高校の時の昼休み状態で、おしゃべりが始まる・・・、
杉はいっぱいあるけど???・・、熊野古道⇒の標識通りにズンズン進む二人。
後でわかりましたが、どこも全部熊野古道で[←熊野古道→]という意味をなさない
標識があちこちに。“なんかあったら携帯かけてくれはるでしょう”と相変わらず
おしゃべりに没頭!
先生があちこち駆け回って、お探しとはつゆ知らず。ペチ/(*_・)

お供『せんせ〜い、岩湧山より楽ですかぁ〜?』
先生『もちろんや〜。距離はあるけど平坦な道が多いし、たいしたことナイナイ!』
先生にとっては、標高差300メートルまでは、平坦な道です。
皆さん気をつけませう。^^
アップダウンの繰り返しの24キロで、見事にお尻にみがはいったのでした。
今年の夏は、暑かったので、いい実でなかなか美味しいかもしれません。
お一ついかが?
何を言っているのでしょうわたしは・・・。ペチ/(*_・)ペチ/(*_・)
お姉さまのふくらはぎの実も、なかなかでございました。^^
同じ距離を同じ時間掛けて歩いて、みが入るところが違うのは
歩き方の違いでしょうか、スポーツ歴のちがいでしょうか?不思議です。

先生、実は(じつは)、お供二人は打ち合わせをして、浴衣なんぞ持参しておりました。
まっちゃまちまで、ひとっ走りして花火を買い込み・・・。
後白河天皇よろしく、舞の一つでもご覧に入れようと目論んでおりました。
【その者達の舞を見ると、健康で長生きでき、更に手にしている火の粉を被ると、
心が清められ、末永く幸せな人生が約束されると古来より広く一般に言い伝え
られている。
今この場で、一人ブツブツ言っている。】
ペチ/(*_・)ペチ/(*_・)ペチ/(*_・)

元東中学の北のあたり、土佐堀通りの南側、天満橋からやや北浜よりに
陸の熊野街道出発点の石碑があります。生活圏内でよく目にしていました。
目にするたびに行ってみたいなと思った矢先でした。
お誘い頂き、実現でき感謝しております。ありがとうございました。
真面目なのもそのうち、書き込ませて頂きます。
せんせ〜い、たまにはちょっとあほなこともいいでしょ・・・。へへヘぇ^^
だいぶあほですね・・・。あははっ(*^0^*)


[4841] 熊野古道歩き 投稿者:mogさん 投稿日:1977/09/21(Wed) 13:22


熊野古道・中辺路ルート[近露〜本宮 全24.2Km]記録アルバム参照を歩いてきました。

早朝7時スタートで午後4時ゴールの予定が、云うことを聞かない同行者の為に1時間遅れの出発と到着で、戻りのバスに辛うじて間に合うという気ぜわしい旅でしたが、天気もよく、1000年以上昔の女官達に傅かれた気分で二人の美女と楽しかったです。

それにしても、ここを歩く時いつも思うのは、どうして800人以上の行列を組んで上皇や女官達が、遙か「京」から何度も何度も通ったんでしょうね。

後白河上皇さんなんか34回もこの険しい山道を通ったなんて!
それも激動の時代に清盛や頼朝などとつき合いながら、(二条・六条・高倉・安徳・後鳥羽天皇の5代の院政をとりながらですよ・・・)ドコにその魅力があったんでしょうか?
いくら道中、今様の名手の女芸人と歌ったり、歌会を開いたりやったか知らんけど、宮中でなく山の中で楽しんだなんて、信じられないです。

どの程度、自分の足で歩いたんでしょうかね?  わたし達は一部分の24kmを歩いただけでフラフラになってるのに! 
1回に20日掛けたそうですから、歩く距離は少なかったでしょうが、さぞかし家来達は大変だったことでしょうね。  




林さん 真夜中歩いたりはしません。前夜から出かけたのは、これは早朝出発の為に白浜で1泊するためです。

中嶋さん このコースは拓ちゃん連れては10時間歩きは無理です。
大阪早朝出発で、滝尻〜近露14kmで近露泊まりが良いかと思います。
いずれ改めて計画しましょう。


[4840] RE:[4839]アレッ!? 投稿者:28期 はやし(植物班) 投稿日:1977/09/19(Mon) 00:15

エッ!小掠先生、深夜からの熊野古道ハイク20Kmですか?そりゃすごいとしか言い様がありませんね。本番は10月のいつでしたでしょうか?ご案内お待ちしています。

話は代わりますが、ドラマ「女王の教室」(昨晩が最終回)をご覧になられておられた方、感想はいかがでした?正直なところ、(3回目位から)毎回涙しながら見ていた私でしたが…。

第1回目を(たまたま)ビデオで見たとき、私はこのドラマに正直、反感を感じていました。ドラマだからと言って、あそこまでリアルに「罰」や「いじめ」を表現してよいのだろうかと…。ただ、あえて表現する意味に「何があるだろうか?」と思い、最終回まで真剣に見ることになりました。
教師役の真矢(阿久津先生=女優:天海祐希さん)の最後まで貫き通した信念(主張)は、子ども(生徒たち)以上に、大人に伝えたかったことではないだろうかと思えてなりません。

先生が生徒たちに繰り返し言っていた「いい加減目覚めなさい!」「自分の人生ぐらい自分で責任持ちなさい!」「イメージできる?」。そして最終回で同僚の先生に言った「教育は奇跡を起こす」という言葉の重みを感じました。
このドラマでいう「教育という行為」は、今の政治家にも、マスコミ関係者、知識人にも…そして、何より選挙で投票する権利の持っている大人(自分自身)にこそ、当てはまる行為ではないだろうか・・・と。(先日の選挙結果を冷厳に見て、今・これからの社会や政治のありようを考えたら余計にそういう気分になったのかな?)
批判を覚悟で、制作されたスタッフの方々の「勇気」に、何か元気づけられた林でした。

※「女王の教室」を見ていなかった方々には、意味不明な発信でごめんなさい・・・でした。


[4839] アレッ!? 投稿者:31期中嶋 投稿日:1977/09/17(Sat) 08:48

先生、ほんま、17日18日やったら参加できましたのに...
次回の本番、楽しみにしております〜。
同期のお吉も日程が合うなら、熊野道参加したいそうです。


[4838] こちらの台風一過は? 投稿者:mogさん 投稿日:1977/09/16(Fri) 15:59

暫く、「mogog」は動いておりませんが、世の中アッと云う間に小泉旋風が吹き荒れて、些か驚くと同時に「ドコへ流されて行くのか?日本丸は・・・」と心配になってきました。
第九条の最後の歯止めの国民投票だって憲法が改悪?されたらどうなる事やら????

此花区・淀川区・東淀川区・西淀川区の第5区在住の方々に突然のハガキを差し上げましたこと、お許し下さい。こちらも、この嵐で吹っ飛んでしまいました。

世のなか大きく動いてますが、目だけは背けず見張っていきましょう。 

秋の訪れで、気も漫ろ(そぞろ、を変換したらこんな漢字がでました)、明日夜から2人を案内して熊野古道・中辺路コースの最難関場所、25kmの山道を10時間掛けて歩いてきます。
表紙写真の「熊野古道シリーズ」はその予告でした。 中嶋さん怒らんといてください。今回は下見ですので・・・。いずれ本番には・・・


[4837] 台風の影響は? 投稿者:mogさん 投稿日:1977/09/09(Fri) 00:04

台風一過! みなさまには被害・損傷はありませんでしたか? お伺い申しあげます。

来るぞ、来るぞと脅かされて今度もヤッパリ大阪には来なかった! 然しこれは外れるにこしたことはありません。ありがたいことでした。

最近はインターネットでいろいろな情報が得られるので、私も大いに活用している一つが「お気に入り」のフォルダ「釣り」に纏めている近県の砂防河川局の「雨量計と河川水量」です。
天気予報のアメダスと、各河川水位を見ているとその地域の川の状況が目に見えるようです。(大阪の各小河川もかなり細かく水位が出ています)

ところが今日は失敗しました。 
わたしが渓流釣りに行く地域では、今回の台風接近で確かに6日に320mmの雨が降ったのですが、7日午後からは雨量0であったので増水はしているが、永年の経験から谷に入れば水は「笹濁り」で最高の釣りが出来る、と確信して出かけたのに!
ですが・・・・、地域の部分的な大雨があってか道はズタズタ、崖崩れがあったり、林道は川の流れのようになっていたりで、車どころか歩くことも出来ない始末。
R168=五条〜新宮線(十津川沿岸道路)は、昨年の山崩れで、復旧の見込みが立たないまま未だに迂回道路の、旧ダンプ道路を使用していますが、紀伊山地の道は恐ろしいです。
往復6時間かけて釣果はわずか20〜25cm4尾でした。


[4836] 大阪市立自然史博物館55年! 投稿者:mogさん 投稿日:1977/09/06(Tue) 21:04

情報員 ハセコさんの報告の補足



「大阪市立自然史博物館 設立55年」記念の催しは、残念ながら行く機会を失しましたが、ナチュラリスト・ハセコさんが代理で行って写真とともに報告してきてくれました。ご苦労様でした。
もっと早く知って居ればみなさんにも行って貰えたのに・・・すみません。

振り返ると、55年前と云うことは、私が最初に博物館に顔を出した市岡時代でして、天王寺美術館に間借りしていた時期です。
当時は博物館といっても標本も殆どなくて、焼け跡に残った古い小学校などにある液浸標本などを調べて掻き集めようとしたのか、博物館から金子先生を通じて、「市内の小学校の理科室巡り」のアルバイトを紹介されて通いました。

初代館長は筒井嘉隆先生(旧制市岡中から桃山中;小説家・筒井康隆氏の父)で、イタセンパラの時も自然保護運動でお世話になりました。

その1年の夏休みに、生物の宿題で八木沼先生(港高校に転勤)に刺激されてか、クモの標本を造って提出した思い出があります。

卒業後は大阪市大が引っ越した後にできた靫公園の博物館では色々と勉強させて貰いました。
市岡のすぐ近くに有ったためか、市岡生物部は博物館の常連であったのもイタセンパラ発見にもつながったわけです。
中庭にミニ自然公園を造ろうとしたのも・・・そういうことです。


[4835] 自然史博物館にて 投稿者:はせこ 投稿日:1977/09/06(Tue) 18:15

7月16日〜9月4日まで、長居公園の大阪市立自然史博物館にて開催されてました『なにわのナチュラリスト〜自然の達人達〜』に行ってきました。
最終日のお昼過ぎMogさまより電話があり、
『ここからでは、今からじゃあ間に合わない』とのこと。
要するに、『私に、行け!』とのことと、判断しまして取材に行ってまいりました。

おー!懐かしい!金子先生のお姿が!
それまで未知の分野だった陸貝の研究に、多大なる功績を残されたお姿に改めて偉大さと、教えていただいた身の幸せを感じました。

自然史博物館が55年目をむかえるにあたって、大阪の自然を探求してきたかたがたを紹介する展示だったのですが、その中に、絶滅したと思われていたイタセンパラを淀川のワンドで発見した市岡高校の名前も見つけました。

市岡の生物部の合宿に始まって、自然を見て、自然から学んだ生物部スタイルがここにあるなあ、と思いました。

市岡高校には、また、クモの研究で叙勲された八木沼先生もいらっしゃいました。
八木沼先生がまたすごい方で、日本のクモの世界を初めて解明されたそうです。
市岡の生物部って、すごいんだー!

以上、つたない報告で申し訳ありません。


[4834] いいような わるいような  投稿者:30期 masuyo 投稿日:1977/09/05(Mon) 09:14

 あのう〜下山先輩、ついでに写真を貼り付けられてしまった西野さんは、masuyoでなく、生物部での西野さんPART2でして、(PART1は28期の先輩)わたしは、PART3の西野です。ず〜いぶん前にも小椋先生や、30期のホームページのメンバーからも勘違いされておりまして、なにせ、とってもおとなしく、めだたない存在でしたので・・・(勘違いされたPART2さんに迷惑がかかりませんように★)
 かといって、訂正の写真は無用ですよ。貼り付けの刑は、過去に執行済みです!!!
くれぐれもよろしくお願い申し上げます。


[4833] Re[4830]: 小掠先生、感激です(先ほどの記事、少し修正)  投稿者:中村恵美子30期(水泳部) 投稿日:1977/08/31(Wed) 20:15

小掠先生、本当に懐かしく嬉しいです。
まさか、先生に覚えてもらってるとは夢にも思わず・・・
成績も振るわず、全く目立たない生徒でしたから。

でも、先生の授業はいつも楽しくて、目がキラキラされてたことを覚えています。
先生の声で直接話し掛けられてるようで、ものすごく嬉しかったです。

写真は・・・もう恥かしくってしようがないですが、
先生の愛情あるお言葉に納得してしまいました(笑)。
串田さん、西野さん、よく覚えています。
一緒に参加してくれて本当に心強いです。

30期は今、石田君と岩切君のラジオ番組で、
最近ものすごく盛り上がり、先日河野君もアイルランドから帰国しました。
お忙しいと思いますが、先生、お待ちしてますね。

それから、過去ログで25期奥川先輩(水泳部)だと思うのですが
お見かけしました。
奥川さんには、私達30期水泳部もすごくお世話になり、
現在は市岡60期の次女が水泳部でお世話になってます。


30期掲示板常連メンバーにも出てきて欲しいのですが、
自主的な行動を希望しますので、先ほどの記事を修正させてもらいました。
(先ほどは先生の記事を見て、嬉しくてちょっとはしゃぎすぎました)

小掠先生、また遊びに来ますね。
次は、30年間の疑問だった生物の授業のこと、お聞きしたいです。
先生は覚えてられるでしょうか。
楽しみにしています。

http://www.occn.zaq.ne.jp/cuapd905/ichioka/top.html


[4832] (無題) 投稿者:mogさん 投稿日:1977/08/31(Wed) 18:01

下山管理人!  いらんことするでない。
わたしに代弁させないで、自分で呼び出したまえ。 上田さんはもうだいぶん前に刑は執行済みです。

そんなことより、奥様とのフランス旅行の土産話でも書いてくださいよ。


[4830] いらっしゃい! 30期中村さん 投稿者:mogさん 投稿日:1977/08/30(Tue) 23:09


30期の中村さん、ようこそ! そう、そう、ソウでした。久し振りの「新登場者」をお迎えしての儀式がありましたね。

懐かしい写真を探し出すのは本当に楽しいものでして、今回も30年前に若返って、可愛い顔を見つけました。
よく憶えていて、我ながら感心しておりますが、これも老化現象の一つなのでしょう。
30期は探していても忘れられない人達が多いのですが、もうこの人達も成人の子供さんを持った歳なんですね!
毎日顔を見ているチチンプイプイの石田君をはじめ、PCや車のことでしょっちゅう世話になっているクッシンや時々投稿してくれるmasuyoさんなど、割合接触が多く、そんなに時間が経過しているとは・・・驚きです。
改めて時の流れを感じ、教育制度の変遷を受け入れねばならんのかな・・・と、自問自答しております。

30期のHPへのお招き、有り難うございました。なかなか立派なものですね。いずれ訪問しますのでよろしく。
親しみを持って儀式をおこなっておりますので、貼り付けの刑を怖がらずに新たな登場者を待っております。
中村さんには今回は生物部員の二人も付き合ってくれました。勿論二人には断っておりませんが許してくれます。


[4829] 初めまして 投稿者:中村恵美子30期(水泳部) 投稿日:1977/08/30(Tue) 15:19

初めまして、30期の中村恵美子(3−6:水泳部)です。
旧30期ホームページ消失に伴い、6月18日に新しく『市岡高校30期』部屋を立ち上げ、
現在助手をやらせてもらってます。

こちらには、早々にリンクを貼っていただいたのに、
ご挨拶が遅くなり申し訳ありませんでした。
下山先輩にも大変お世話になり、ありがとうございました。

今まで何度も来ていたのですが、
なにやらすごい事が待ってるそうで・・・なかなか書き込みの勇気がなく。
しかし最近はお見かけしてないので(写)、その決まりは無くなったかと
ひそかに期待しております。(笑)

小掠先生がお元気で活躍されてる姿、いつも懐かしく拝見していました。
小掠先生には、ぜひ一度お聞きしたい事があるのですが、
またこの次にします。(高校時代の生物の実習での出来事)

うちは第三学区で、長男の通っていた「成城工業高校」はなくなり、
今春から単位制高校になりました。「工科高校」でもないのです。
普通科の進学コース、今までの工業、芸術、その他色々ありで
もうわけがわかりません。

21歳の長男、20歳の長女、16歳の次女とその度に進路指導の
内容はコロコロめまぐるしく変わるし、その変化について行けないような感じです。
あと末っ子が小5なんで、その頃には落ち着いているでしょうか。


旧30期ホームページの残ってた情報を、先日復旧したのですが
(これは28期綾小路先輩のおかげです)
その掲示板の中に、小掠先生、下山先輩の書き込みを見つけました。

新しい30期部屋へも、どうぞ気楽にお越しくださいませ。
お待ちしてます。
これからもどうぞよろしくお願いします。

http://www.occn.zaq.ne.jp/cuapd905/ichioka/top.html


[4828] Re[4826]: 工業高校と工科高校 投稿者:岡本(28期) 投稿日:1977/08/30(Tue) 01:36

コメントありがとうございます。よく理解しておられるので驚きました。

> 統廃合の選定基準を読みますと、お書きのような現在の教育活動やクラブ活動などは入っておりません。
> 機械的にと言いましょうか、距離などの客観的な判断が基本のようです。
> 良いか悪いかは別として、『主観的』や『心情的』なものを加えると収まりがつかないということなのでしょう。

ただ、現場としては納得は出来ません。その基準そのものが「客観的」なものかどうか。

小掠先生の言われる
>自分が苦労して立ち上げた学校が今春廃校になったときは、何の為の苦労だったの>か!と馬鹿らしく思ったものです。
の心情が本当によくわかります。少路を良くしようとした苦労は何だったのか!(そこにいる生徒のためにはなったと思いますが…)

> さて、第1学区の少路高校と東豊中高校は共に歴史は30年たらず、OBやOGの力も弱い学校で、大阪府も関係者からなんと言われても押し通せるはずという気持ち(?)そのあたりがどうも根底にはあるのでしょう。

それが、わかっているから腹も立ちます。少路は第1学区では2番目に若い学校でOBの力はあまりありません。一方OBの力、議員の力が強い伝統校はつぶれません。政治力ですか?

> どうせやるなら『市岡高校』『港高校』の統合案でも出したら、府も骨があるのですが・・・
> 客観的基準で言えば十分統合しておかしくない環境の学校です。

伝統校だからそれはないでしょう。ただ、港とか泉尾とかは伝統校でも…?かな?

>弱そうなところを狙っているようで、府のやり方は、何となくフェアーじゃない気がします。

ホントにそうです。疑心暗鬼の世界です。


[4827] なるほど!こんなことか・・・ 投稿者:mogさん 投稿日:1977/08/29(Mon) 23:10

早川君 どうも有り難うございました。

「府立高等学校特色づくり・再編整備計画(全体計画)」 こんなものが出ているなら、近道だったのに・・・ 府立高校に6種類あるという一覧表は大層判りやすかったです。

然し、これだけの大きな変化なのに、受験生の親はみんな知って居るのでしょうか? 親たちにどれほど理解してもらっておるのでしょう? 毎度のことながら府教委だけで自己満足しておるんでしょうな〜
最近は一度HPに出したら、「これを見ない方が悪いのだ!」という姿勢のお役所があるようで、世の中みんながPCを持っていて、インターネットをやっておると思ってるようですけど・・・

私の孫のように全然制度が違う他府県から受験する場合、このような基本的なことは、よほど早い時期に知っておかなければ大変なことになるところでした。
入試の頃までは現地を離れられないと云うから、わたしの役割がえらいことですわ。

統廃合の問題は、わたしが市岡を去った時=4年間で府立高校が30校出来た時期=から予測はしていましたが、自分が苦労して立ち上げた学校が今春廃校になったときは、何の為の苦労だったのか!と馬鹿らしく思ったものです。

早川君!冗談ごとではないですよ。弁天高校だってあり得ない話ではないです。「新校舎も20年しか経っていない」なんて、理由にならんです。
大儀?の為なら潰すことなんか平気なものです。税金の無駄遣いなんて知った事じゃないです・・・・よ。


[4826] 工業高校と工科高校 投稿者:早川貴正(生物部じゃない26期) 投稿日:1977/08/29(Mon) 17:04

ご無沙汰しております。
発言はほとんどしておりませんが、拝見は定期的にしております。

田龍会 森田様のご質問の中で・・・
>両校を併設しなければならない必然性は?
ですが、これは『移行期間』ということです。

多くの『工業高校』が『工科高校』に改変され、残りの一部が『普通科』や『総合科』となります。

ただ『工業高校』で入学をされた方は、カリキュラムの関係で、そのまま『工業高校』として卒業するわけで、現在『併設』の形になっていると理解しております。
お示しの『今宮工業高校』は、最終的に『今宮工科高校』だけになります。

「府立高等学校特色づくり・再編整備計画(全体計画)」
http://www.pref.osaka.jp/kyoishinko/kaikaku/zenke.html#p6

岡本(28期)さん
大変ですね、高校の統廃合が言い出されてもうだいぶ経ちますが、個々の問題の関心は、在校生・PTAそしてOB、OGだけに限られますので、府民全体の問題とはなかなかならないようです。
確かに、中学卒業生の『激増期』の中、一気に高校の数を増やした以上、『激減期』には、統廃合の問題が生じるのは明らかでした。
(裏には、私立学校の経営問題もあるかと思います)

統廃合の選定基準を読みますと、お書きのような現在の教育活動やクラブ活動などは入っておりません。
機械的にと言いましょうか、距離などの客観的な判断が基本のようです。
良いか悪いかは別として、『主観的』や『心情的』なものを加えると収まりがつかないということなのでしょう。

ちなみに、市岡高校のある『第3学区』を始め、大阪市内の中心部の高校は、もともと当初の期間では対象にはなっていないようで、今後の検討となっています。
基準を単純に当てはめますと、削減の対象にはなりにくいということで、次なる政策は、『学区の見直し』ということのようです。
第3学区と第4学区を新第2学区とするようです。(これって私達の頃の元通りですね)

さて、第1学区の少路高校と東豊中高校は共に歴史は30年たらず、OBやOGの力も弱い学校で、大阪府も関係者からなんと言われても押し通せるはずという気持ち(?)そのあたりがどうも根底にはあるのでしょう。

どうせやるなら『市岡高校』『港高校』の統合案でも出したら、府も骨があるのですが・・・
客観的基準で言えば十分統合しておかしくない環境の学校です。
『市岡港高校』『港市岡高校』あるいは『弁天町高校』(これは良い名前だ!ごめんなさい、ありえませんねぇ)

元はと言えば『市岡中学』と『市岡高女』、戦後の共学の新制移行期に相互交換もあった歴史もあるんですから・・・

こんなこと言い出したら、どれほどのブーイングと反対運動が起こるでしょうか?(恐い!)
弱そうなところを狙っているようで、府のやり方は、何となくフェアーじゃない気がします。


[4825] 少路高校の統廃合反対!! 投稿者:岡本(28期) 投稿日:1977/08/29(Mon) 01:46

 このHPどれくらいの人が、また、どうのような人がご覧になっているのかわかりませんが、言わせてください。「少路高校の統廃合反対!!」
第1学区の少路高校と東豊中高校が統合されて新しい学校になる。東豊中高校の校地、校舎を利用して、総合学科の学校を造るという話は、このmogogでもあったかと思います。

 この件、現場の教職員としてはまったく合点がいきません。我々には事前の相談なしです。校長も4日前に府教委(府教育委員会)に呼び出されて伝えられただけです。
 かなり以前から、噂はありました。事前の根回し(地主とか議員とか?どこにしたのかはわかりません)の中でにじみ出たのかもしれません。しかし、当の学校には何も知らされていません。
 理由はその決定文書(といってもまだ案ですが)にありますが、誰が見ても理由になっていません。真の理由と経過を現場に説明するのが必要と思うし、そのため府教委の担当者、しかも責任ある者を呼べと職員会議で迫りました。しかし、校長は「校長が窓口になれといわれている」、の一点張りです。一応伝えに行くことにはなりましたが、結局、府教委は説明責任を果たさないでしょう。

 少路高校はいい学校です。そこそこの進路実績はあげているし、クラブや行事も活発です。生徒のアンケートを見ても、「少路に来て良かった」は8割9割あるのです。つぶす理由がどこにあるのかわかりません。府教委の理由はいろいろ取り組みのいいところをあげて、だから両校を統合してさらにいいものを目指すのだと言っていますが、わけがわかりません。
 府教委は、というか府は財政赤字に苦しんでいて、高校の数を減らしてコストを下げたいのだと思います。高校の土地を売って少しでも赤字の補填をしたいのだと思います。その政策の中に教育の視点はありません。人間の血は通っていません。

 そもそも「統廃合」自体がおかしいと思っています。少子化に伴い中学卒業者は確かに急減しています。20年ほど前、あれだけ高校を作っても、どの学校も1学年48人クラス12学級でした。(576人)。教えましたが、教室はすしずめ、1人1人にはやはり目が届きにくい。今は40人クラスで多くても8学級。普通は7学級です。(280人)約半分です。
それなら、高校減っても仕方ない、とお思いになりますか。

 教育の危機が叫ばれて久しいと思いますが、今の政府や府教委のやり方は全くあきません。
第1にやるべきことは学級定数を減らすことです。1人1人に丁寧な指導をすることが大切なのは誰もがわかることですが、かつての48人はとんでもない。今の40人でも多すぎです。世界の先進国は30人が普通と聞いてます。日本もグローバルスタンダードを目指すのなら、30人学級にするべきです。少子化の今こそ、それが可能です。
 そうしたなら、高校の数は減らす必要は全くありません。

 でも、財政の論理が優先する府の中では全く議論はされてないでしょう。
市岡高校の定時制がつぶれたのも「教育の条理」ではありません。「財政の論理」です。
 定時制については市岡の時以降で、昨年、定時制を半分にするという暴挙を府教委はやってのけました。私は新採で初めて赴任したのが東住吉工業の定時制でしたが、そこが、つぶれました。定時制を半分にすると言うことは、定時制高校の密度が減ることであり、仕事が終わって勉強する生徒にとってより遠くの学校に通わなくてはならないことを意味します。仕事が終わってくたくたの人間にそんな気力があるでしょうか。他にもいろいろこの件については意見ありますが。もちろんこのことについても私は大反対です。

 元に戻りますが、「少路高校の統廃合」は生徒にとっても残酷です。母校が無くなるのです。
 今後、生徒が学校生活でやる気を無くさせないように、もちろん現場の教師はがんばります。が、一方、なんとか存続の手だてがないか、考えています。ただ、あの「高槻南高校」でさえつぶされた経過を見ているだけに、あきらめムードもあります。悔しいですが。

 ここで話題になっている、総合学科を含む「特色化」についても、いずれ発言いたします。


[4824] [4823] 教えてください。 投稿者:mogさん 投稿日:1977/08/28(Sun) 15:59

森田会長殿
毎度、お訪ね下さり光栄です。また過分なお誉めを戴いて恐縮です。

さてこの度のご質問に関しては、私自身理解しておりませんのでお答えできる立場でございません。
ただ、工業高校が工科高等学校になった事を教えて頂き、早速いくつかの工業高校のHPを覗いて知ったことと、先に見た普通科高校のHPの内容から私なりに察した事を整理します。
見当外れという方がおられたら教えて頂きたいのでよろしく御願いします。

まず、工科高等学校にも「総合学科」がありました。
どうも「総合」という言葉が好きなようで、これが改革のキーワードのようですね。
しかしその内容からは、私には「なんでも有りだが、なんにも無し」としか思えません。
例を挙げてみましょう。




例えば、ある工科高等学校には6つの系列があり、ここの総合科目とは以下のようなものです。

総合選択科目(主な科目の例

 ◎機械技術系列  :機械実習、機械製図、生産システム技術、機械設計、機械工作、原動機他

 ◎電気技術系列  :電気実習、電気製図、電気基礎、電子回路、工事施工、基礎工事他

 ◎住環境系列  :住環境実習、住環境製図、配管技能実習、インテリア計画、人間工学他

 ◎競技スポーツ系列 :競技スポーツ、スポーツ科学

 ◎英数系列  :現代文演習、古典講読、文学史、数学演習、英文法講座、英語演習他

 ◎創作表現系列  :音声言語表現、舞台表現、音楽研究、シナリオ映像創作、手話表現他

その他に所定の単位数を取らねばならぬ「自由選択科目」があり、その科目は

現代文、古典、文学講読、百人一首、方言研究、小論文、世界史B、日本史現代史研究、政治経済、数学U・V・A・B・C、物理、化学、生物、音楽U、美術U、書道U、オーラル・コミュニケーション、英語U、リーディング、ライティング、長文読解、選択家庭、保育、情報技術基礎、自動車工学、通信技術、ハードウェア技術他マルチメディア応用、エレクトロニクス工作、電気一般、建築環境、福祉工学実習他

また私の住居の近くにある普通科高校の総合高校への変身内容は如何なるものか? 1例を挙げます。

総合高校内の5つの系列

◎英語  ◎理数  ◎医療・看護  ◎スポーツ・芸術  ◎堺学

堺学系列とは ?
<目標>堺の豊かな文化と歴史遺産に学び、地域文化について幅広い教養と視野を身につけるとともに、歴史、経済、法学、文学の諸分野を積極的に学習し、未来の都市文化を構想する資質を養い、国際社会に貢献する意欲と態度を育む。

<選択科目> 国語2、大阪文学演習、世界史B、日本史B、地理B、まちづくりワークショップ1、堺の歴史と文化 堺の都市政策

スポーツ・芸術系列とは?

    <目標>生涯にわたってスポーツに親しめる技術、理論を修得することや芸術における作品制作、演奏、鑑賞などを通して、生涯にわたってスポーツや芸術が生活に潤いを与えることを実感し、社会に貢献できる素養を育む。

    <選択科目>コミュニケーションスポーツ、ターゲットバードゴルフ1・2、水辺スポーツ、音美書2、声楽・ソルフェージュ、造形演習、生活デザイン(工芸)、漢字の書、書道造形演習

    ***他の系列は省略***




上はホンの1例ですが、他の多くを見て私なりに判ったのは、入試の時点では従来のように初めから専攻科目を決めず(以前は工業高校は電気、機械、化学、建築などの学科で募集)、入ってから専攻コースを決めるが、あえて「総合」としたのは、工業高校に入ってから工業科に進みたくない生徒の為に、工業とは全然関係のないスポーツ関係や芸能・英数コースを設置したのでしょう。
こうなると、以前の工業高校とは全く違うものになりますね。看板を掛け替えざるを得ないでしょう。

普通科高校の場合も、昔から選択教科はどこの高校にもあったが、なんとなく目的もなく卒業したのでは、あのNEETが増えるばかりで、その対策の一つとしてなんでも良いから学ぶ目的を持たそう!ということで、いろいろ看板を掛けたのではないでしょうか・・・。
少子化の時代を迎えて、学校は楽しいよ!と、遊び感覚で学校に来て貰おうと打ち出した苦肉の策ですから、「高校にはなんでもありますよ!」というのが「総合」の意味なんでしょう。
これでは、大学受験に備えて高校進学をしようとする子は私学に逃げるわけですね。
勿論、従来からあるエル・ハイスクールに指定されている学校には総合学科はありませんで、昔のままか、別科があっても全府から集めて英才教育をする理数科はあります。

いずれにしろ、こんなに学校の中身が変わっては、看板を掛け替えなくては仕方ないでしょう。
私は教師が、はたしてこれらの多種類の科目を学問として授業出来るような教育を受けておるのでしょうか? 看板倒れにならなければよろしいが・・・・ と、いうことと、生活指導全般への対策は・・・?が心配です。


[4823] 教えてください。 投稿者:田龍会 森田博文 投稿日:1977/08/27(Sat) 17:01

 小椋先生
お久振りです。いつもながら貴部HPの中身の濃いことに感動しております。これも一重に先生のご人望の為せる業でありましょう。
 一つお教え願いことがあります。国道26号線を走り府立今宮工業高校の前を通る度に思うことは、今宮工科高等学校が同じ場所に在ることです。
工業高等学校と工科高等学校のボーダーラインは何処にあるのでしょうか?
又、両校を併設しなければならない必然性は?
 府立高校の統廃合のことを耳にする度に母校を失う生徒や卒業生の心境を慮るに
私も母校を失くした一人として他人事とは決して思えません。
 市岡高校定時制過程が生徒募集を取り止めた際には普通科がその対象になったと聞いております。理科系の高校を普通科よりも優遇したとは思いたくはありませんが、我が母校からも大学教授や有名な書家、画家その他立派な事業者として成功されておられる先輩方も沢山居られます。何故このようなことが起こるのでしょうか?突然の質問で誠に申し訳ありませんが宜しくご教示下さい。


[4822] 今の高校入試事情は? 投稿者:mogさん 投稿日:1977/08/26(Fri) 20:53

masuyoさんお久しぶりです。 みなさん!ご無沙汰しております。mogogも変化なく申し訳ありません。
いろいろありまして、PCの前に座る時間もなく慌ただしく過ごしております。

その一つが現在の府立高校の入試事情の勉強でして、いま又、再びこんな事で悩もうとは思いませんでした。
愛知県在住の孫が来春、大阪の府立高校を受験することになったんです。
それにしても、いったい大阪の高校はどうなってしまったの!?岡本・北川先生さま!

「普通科総合学科のある高校」と「普通科総合選択制高校」はどう違うの?
「国際・総合科学科高校」ってなに?
「国際・総合科学科高校」は前期試験で全府から応募出来るらしいが、大手前や天王寺のような理数科とどう違うの?
以前、市岡が「エル・ハイスクール」から漏れたと嘆いていたことがあったけど、HPによると「フロンテイア・ハイスクール」に選ばれたと喜んでますが中身はどうなの? 市岡にも理数科コースを造るらしいけど天王寺や大手前の理数科と何が違うの?
「総合科学科高校」とは要するに理数系高校ではないの?
生徒の質が違うのは判るけど中身はどうなの? 中学3年生でその違いを理解して受験出来るの? 
出来ないから理数系で入ってきた生徒が文系の大学に数多く進学したと、天王寺がHPに進学データーを公表しているのに!

それもですが、高校受験生を持つ親はこうしたことをよく知って居るんでしょうかね? 
入試そのものが、科目や配点から応募可能地域まで、学校によって違うなんて、よう混乱しないですね! 

その昔、入試担当業務を任されていた私ですが、わけが判りませんで、いまは孫の役にも立てなくなってしまいました。

寺本先生をはじめ、中学の先生は大変ですね。お察しいたします。

いったい、このような改変は実効があるんですか? 
今の高校の先生は各学校の新教育目標やこの新制度をこなすためには相当勉強しなければならずご苦労様ですね。制度の違う学校に移動すると大変ですね。

以前は教育目標をならべて色々な種類の店(学校)を造らず、どの店でも色々な教師が勝手に個性豊かに好きなやり方で、理数系に進みたい子も文系に進みたい子も
育てていたのに、これでは駄目なんですか・・・? いったい昔の教育はドコが間違っていたんでしょうかね?

ここまで書いていたら、岡本先生から偶然電話があり、憤懣をぶっつけてしまいました。 
岡本先生、お許し下さい。


[4821] 残暑お見舞い申し上げます 投稿者:30期 masuyo 投稿日:1977/08/25(Thu) 16:54

 甲子園での野球の熱戦が終わると、夏休みも終盤。中嶋さんの息子さんの出身高校「大阪桐蔭」、すごい健闘ぶりでしたよね。ほんと惜しかったです。今年は、開幕前、閉幕後に色々ありましたが、選手や応援の方々に毎年感動です。そして、もうすぐ2学期やで〜〜といつものパターンに。
 中嶋さんの子育てにもいつも感心して拝見させてもらってます。カナダでのホームステイもさぞかし、多感な時期にいろいろと体験し、成長されてくることでしょう。 
 カナダのどのあたりなのでしょう。私的には、独身時代(23年ほど前)行った、ルイーズ湖の優雅さや、ブッチャートガーデンの華麗な花々、すがすがしい滝、カナディアンロッキーの雄大さは、今でも忘れられません。どうか、よい旅を。good luck!


[4820] はーい、では 投稿者:31期中嶋 投稿日:1977/08/20(Sat) 14:50

10月に。
日程がうまく合えば家族で参加させていただきます。

今、カナダの息子のホームステイ先から書き込んでいます。
明日からちょっと間、カナダ、アメリカを風の吹くまま、気の向くまま放浪してきます。


[4819] 熊野古道・中辺路歩き 投稿者:mogさん 投稿日:1977/08/19(Fri) 12:33

昨日もR311を本宮から田辺まで車で走ってきました。8月に入って、3回目です。
往路は五条からR168を通って、十津川の支流・上湯川へ鮎釣りに出かけて、帰路は先日歩いた中辺路を谷底から見上げながら、昔の人達はよくもあんな尾根づたいの山道を歩いたもの!それも雅の宮廷人達が・・・と感心しながら、田辺に出て阪和自動車道で帰ってきました。

先日歩いたときも山の上から見て気が付きましたが、昔の人は地形図も無かったのに、実に最短距離をうまい具合に楽なコースを造ったものです。
中辺路も小辺路も、奈良や和歌山の紀伊山地は谷が深くて険しくて、尾根筋を通るのが最良の方法だったのでしょうね。
尾根道のアップ・ダウンの方が、雨で増水して崩れる渓谷の岩石道より、距離も短くなるし・・。
それにしても大変な道中で、アチコチに歩けなくなって目的地に到達できずに亡くなったという、謂われある場所が点在してます。

今の中辺路・R311は谷筋を、大回りしながらクネクネと突き進んで、最後はトンネルで抜けて、大回りしながらも谷筋はトンネルを掘って、ただ一直線に突破するという、景色もなにも考えず造られた車時代の、ただ時間短縮のみを考えた道でして、2日間で40キロを歩く滝尻〜本宮なんか車なら30分もかかりません。




> 「熊野古道ですが、かなりハードそう。でも、行きたい。難しいなあ。」

ハセコさん! 元気な貴女なら充分歩けます。
でも、はじめから無理をしなくてもよろしいよ。
先日出合った人の全てが滝尻〜近露だけ歩いて、あとは近露で泊まりか、そこからバスでした。
泊まれば、翌日は近露から6km程をのんびりとバスの走るR311と別れる小広峠までを歩くだけにして、(この間は山道でなく、風情があってよろしい)あとは車で湯峰温泉か川湯の千人風呂に浸かって帰ればよいのではないですか。

中嶋さん
日程は、9月は無理なようですので10月に延期します。改めて実施日を考えましょう。


[4818] 勤務表が出ました 投稿者:31期中嶋 投稿日:1977/08/18(Thu) 09:31

9月17日18日でしたら、ちょうどうちの主人が休みです。
この日でしたら、うちは車が出せますが...
ハセコさんが出やすい18日19日とはズレテおります。
どないしましょう?

それと、先生、秋に休みが取れましたら、北海道の須磨さんのところに、伺わせていただくはずやったんですが、今回休みが取れませんでした。
休暇願いを出したのですが、無理でした。
次の機会がございましたら、また声をかけていただけませんでしょうか?


[4817] 勤務予定表がでましたら、 投稿者:31期中嶋 投稿日:1977/08/17(Wed) 11:05

すみません、9月の勤務予定表がまだ出ておりません。その予定表みてから、お返事させてください〜。


[4816] Re[4813]: どうします? 投稿者:はせこ 投稿日:1977/08/16(Tue) 20:03


> 予定はとりあえず、仮に9月17〜19の頃にしますか?

まずは日にちを決めたいのですが。9月18日〜19日だったらうれしいのですが。

いかがでしょうか。


[4815] ブト対策&治療者には必見!! 投稿者:28期 はやし(植物班) 投稿日:1977/08/16(Tue) 10:15

今日まで休みなので、ブト情報を探していましたら、以下のHPが見つかりました。
アウトドア派のMogogメンバーはご存知かも知れませんが、一応・・・。

「ブヨ被害者のための掲示板」
*** ブヨに刺されて苦しんでいる人、みんなで痛みを分かち合おう! ***
http://otdi1.jbbs.livedoor.jp/connie/bbs_plain?range=300&base=550

ちなみに私の体験も書き込みしました。


[4814] Re[4813]: どうします? 投稿者:28期 はやし(植物班) 投稿日:1977/08/16(Tue) 07:15

 熊野古道散策よろしくお願いします。私の9月後半は、今年ラストのアマゴ釣りに行けないかとアプローチ中です。(10月以降は、産卵期になって、来春まで禁漁期になりますので)
ちなみに私はこのHPで(http://wiwi.co.jp/kanko/walk/index.html)で、杣小屋〜大門王子〜十丈王子の往復のちょっとだけ、歩きました。

話は替わりますが、先日1泊2日で岐阜県加子母村の「ランプの宿」に行ってきました。
http://www.blk.mmtr.or.jp/%7edoai/top.htm)一般車は宿の8kmほど手前で通行止めになっているため、静かな付知峡でした。山野草の料理(どくだみ、イワタバコの天婦羅ほか)と高野槙の湯船にもつかって、のんびり楽しんできました。ただ現役合宿時を思い出す災難に遭いました。それはあのブト(ブヨ)≠ノ襲われた(?)ことです。
地元の人は平気でタオルで押しつぶしているようでしたが、私は中指の先をチクリと刺され、「たいしたことはないな」と帰ってみると、翌日に、手の甲まで腫れ上がるありさまです。慌てて、軟膏薬を買ってきて治療中です。(明日から仕事で出雲まで出張、レンタカーを運転せねばならないのに・・・)少しは腫れが治まったようですが、やはりブト≠フ威力はすごい!と変に感心(虫を軽んじてはいけない)した次第です。
地元の人から聞くと今年は7/28を境に一斉に発生したそうです。この十数年間、家族で8月にキャンプに行っても全く被害に遭わなかったので、甘くみていました。
今後のためにも、ブト対策法&治療法(どんな所にいつ頃出没するのか?、アブとはどう違うのか?も知りたいです)

昆虫班の皆さん、ご教授願います。


[4813] どうします? 投稿者:mogさん 投稿日:1977/08/15(Mon) 11:16

ハセコさん・中嶋さんの二人とも、下見でなくて、本気で1泊2日で中辺路・滝尻〜本宮大社を歩く気ですか?(本宮でなくても湯の峰でも、モット手前でもよろしいけどね・・・2日間に山道を45kmはシンドイですよ!)
それとも、近露の合宿地探しですか? 目的によっては「覚悟」を決めねばなりません。

古道歩きなら、他にも参加したい人がいるかも知れないし、その場合は私の車だけで行けるかどうかもあるし・・・・
(車を滝尻に置いて、帰りはバスでこの車を拾って帰る。本宮発17:15が最終です。)

予定はとりあえず、仮に9月17〜19の頃にしますか?

「古道歩き」の記録がHPなどに沢山出ていますが、これなんか参考になると思います。


[4812] Re[4811]: たぶん、子連れになると思いますが。 投稿者:はせこ 投稿日:1977/08/15(Mon) 09:35

9月の休みの日なら、今のところいつでもオッケイですが、いかがでしょう。


[4811] たぶん、子連れになると思いますが。 投稿者:31期中嶋 投稿日:1977/08/13(Sat) 08:20

はーい、日にちはいつ頃なんでしょう?
夏休み中は、予定が目いっぱいで出れそうにありません...

湯の峰までの10時間、分割でも一気でも。
うちの子は私より健脚ですので、10時間歩いても大丈夫やと思いますし。


[4810] Re[4809]: 熊野古道・中辺路のこと 投稿者:はせこ 投稿日:1977/08/12(Fri) 19:06

よくわからないので、下見班としてとりあえず日にちを決めませんか。
mogさまの話も地図を見ながら聞きたいですし。


[4809] 熊野古道・中辺路のこと 投稿者:mogさん 投稿日:1977/08/12(Fri) 19:00

一昨日、熊野古道・中辺路の滝尻〜近露を一人で歩いてきました。

杣小屋って、あの小屋だったんや!

5年ほど前に熊野古道の中辺路を、滝尻から高原熊野神社まで歩き、そこからさらに近露まで歩くつもりだったのが、山の入口で「これから先、4時間は人家が無いのでその覚悟で歩くこと!」の看板を見て、冬の7時は暗くて自信が無く、止む得ずここまで!と、滝尻まで引き返す時に看板近くの山小屋でいろいろと、尋ねたのがここだったのでした。

林君の話から杣小屋はモット下の谷間の沢近くにあると思っていたら、高原集落の中にあるとは知りませんでした。
ここは、昔(藤原定家さんや、西行さんの時代)からの熊野詣の宿泊地であって、古道歩きが目的ならまだしも、生物部OBの合宿地としては、ここの立地は良くないのでは?・・・
杣小屋は宿泊には確かに面白そうですが、川遊びをするには500m下の富田川まで車で登り降りしなければならんのです。
熊野詣での宿泊地といっても、実際には定家さんは800年前にはここで宿泊せずに、さらに50分歩いたところの大門王子の山中で野宿をしたらしいですよ。

古道歩きが目的なら、出発時間によりますが滝尻からここまでではもの足りなく、せめて近露まで足を延ばさねば・・・。

杣小屋あたりは山の上で川遊びも釣りも出来ませんが、子連れで遊ぶなら近露でして、しかもここの川は昔合宿で行った縁ある日置川の上流で、温泉もあります。

林君、一度日置川上流の近露あたりで、アマゴ釣りに行きましょう。

ハセコさん・中嶋さんへ 
と、云うわけで古道歩きに行くとき、メインの滝尻〜近露14.3Kmを6時間で第1日目。その後はどうするか?あとは湯の峰まで26.2Km。10時間歩くか?分割するか? です。 
私は近露からは通しでは歩いていませんで、虫食いでアチコチ少しずつ、つついています。


[4808] 次はランプの宿、夕食は5時半から 投稿者:28期 はやし(植物班) 投稿日:1977/08/07(Sun) 13:42

杣小屋でのOB合宿は、検討の価値ありで宜しいでしょうか?
この夏以降に、どなかた家族連れででも、下見行ってみませんか?ちなみにHPは下記
です。 http://www.geocities.jp/somagoyahp/  続報待っています。

さて、次は真面目に、「あまご」を求めて、岐阜県の付知峡にある「度合温泉」という宿・渓谷に、連れて行ったもらう予定です。車は道ががけ崩れか何かで不通のため、途
中までとかで、あとは1日1便のみ宿から迎いにきてくれるとのこと。そのあとも30分
歩いて宿にたどり着くとか!?

聞くところによれば、電話もなく、電気も川の流れによる自家発電だそうです。だから時々、電灯の光が、川の流れの強弱なのか揺れているらしい。だから夕食も5時半から。テレビも新聞も何もない、食事のあとは風呂に入ってただ寝るだけ。入浴時間も8時30分まで。そのあとは明かりはランプのみとか・・・。こうした不便な生活が、人間らし
さを取り戻してくれる気がします。*この宿に泊まった方いませんか〜。


[4807] Re[4805]: はーい、行きたいです。 投稿者:はせこ 投稿日:1977/08/04(Thu) 14:05

私も。はーい、行きたいです。


[4806] 初体験 投稿者:mogさん 投稿日:1977/08/04(Thu) 12:25

昨日、うだるような暑い中を南港の「アレグリア2」を見に行ってきました。

娘に誘われたときは、「アレグリア2」て何のことか判らずこんなクソ暑いときにサーカスなんか行けるかい!と、いやいやつき合ったのですが・・・・ いやあ「凄い!」の一言に尽きました。

最近はあんなサーカスがあるんですね。はじめてみました。

まさに最高の体操競技のexhibitionでした。

空中ブランコは集団鉄棒競技を組み合わせたものだし、女子の新体操のフープとリボンの組み合わせた高度な技、男子の火の点いた棍棒競技。
狭いステージでの大勢でのトランポリン競技・・etc  モンゴルの少女のアクロバットは別にして、殆どがテレビで観る体操競技の「技」の連続で、冷房も効きすぎてはいたけど、観ている方が緊張の連続で鳥肌が立ち放しでした。

観覧料は高かったけど値打ちがありました。


[4805] はーい、行きたいです。 投稿者:31期中嶋 投稿日:1977/08/04(Thu) 08:33

熊野古道歩いてみたいです。
ここを見てるうちの主人も日程が合えば行きたい〜!!と、申しております。

それとオオムラサキの件ですが、私は二匹のうちの一匹しか内側をみておりませんでしたが、主人が「もう一匹の大きい方はムラサキいろなんかまったく無かった。飛び方もパタパタしてたし、胴体も太いし、あのムラサキをみてなかったら、蛾かと思うてた。」と言うてました。ということで、枚岡公園には、雄雌のペアーがいてました。


[4804] ヤッパリね! 投稿者:mogさん 投稿日:1977/08/03(Wed) 10:42

東京の30期木村君のカメラはヤッパリ上等やん! ただ携帯電話のカメラと違うかったんですね。 インターネットで調べたら NIKON COOLPIX5000  157,500円(税込)特価 111,180円  

最近のカメラは手振れ防止、マクロ撮影可能・・・など痒いところに手が届く親切さ。

十勝岳を望遠で写していた、手振れ防止機能のある三木さんのカメラを見て、今度買うときは・・・と、羨ましかったんですが、日進月歩のこの世界、ドコまで進化するのでしょう? 
エゾウサギを望遠で撮るのに岩の上にカメラを置いて這って写した私には、望遠と手振れ防止が魅力です。それと、木村君の接写用のマクロレンズ。

豊田氏に期待を掛けていたのに、接写はピンぼけだったとかでしたが、宝の持ち腐れの無いように、しっかり取り扱い書を読んで置いてください。

中嶋さん、ハセコさんと一緒に下見がてら熊野古道歩きに行きませんか?


[4803] ワ〜イ!!合宿だぁ。 投稿者:31期中嶋 投稿日:1977/08/03(Wed) 09:38

>林君によると、生物部OB合宿には最適地だそうですよ。来年の夏にでも熊野古道・中辺路コースを皆で歩きましょうか?

来夏のOB合宿はここで決まりですか?
言いだしっぺが幹事やったはず。
幹事は先生?それとも林さん?


[4802] 初体験、杣小屋でした 投稿者:28期 はやし(植物班) 投稿日:1977/08/03(Wed) 07:19

まずは小掠先生、画像添付ありがとうございました。天気予報に惑わされず、ほぼ3日
とも「晴れ時々曇り」で、レンタカー借りてでも、行く値打ちのあった熊野古道・中辺
路の旅でした。

上さんの知人のおじいちゃんが自分でコツコツと建てられたという和風ペンション「杣
小屋」に泊まりました。場所は南部ICから30km位、熊野古道の高原熊野神社から
すぐそばにあります。自炊・素泊で@2500円で、来夏のOB合宿の候補にも推薦で
きます。大部屋で20人(畳)ざこねができるところ(小部屋も4つほどあり)で、炭
火の囲炉裏と夕日が眺めれる欅の露天風呂も気分爽快でした。

釣りもできると意気込んでましたが、本流・富田川はアユシーズンで、あまごの釣果は残念ながら、ぼうず。本流ではオイカワ、ウグイ、カワムツばかりでした。小掠先生とのあまご紀行の下見のつもりで、最終日の朝2時間位だけですが、家族が起きるまでウロウロ支流を探索してきました。(次は8/12-13と職場の先輩と岐阜へ渓流釣りの予定ですが、
小掠先生、また神納川もお誘い下さい)


[4801] 林一家の夏休み報告 投稿者:mogさん 投稿日:1977/08/02(Tue) 12:10






林一家の早い夏休みの3日間はお天気が良くなによりでした。 やはり普段、善行をしておると天は恵みを与えてくれます。

大きな写真を送ってくれたけど、小さく纏めておきました。解説をどうぞ! 

あのあたりの中辺路は滝尻王子から、尾根筋に入る道(一般コース)や、この写真の沢沿いの道など色々あるようですね。
ハセコさんが一度、中辺路か小辺路に行きたいと云ってましたが、ここは中辺路の滝尻〜近露間の中間地で、宿泊地でもあります。

林君によると、生物部OB合宿には最適地だそうですよ。来年の夏にでも熊野古道・中辺路コースを皆で歩きましょうか?

東京の木村君ようこそ! タコちんのその後、元気にやってますか?
君のブログの写真は凄いですね! 携帯でもこんなカメラ付きがあるんですか? 600万画素ですって! 
私のデジカメなど今では1万円でカメラ屋に出てましたが、さぞかしお高いんでござあマスでしょうね。 
デジカメになるとヤッパリ腕より機械がものを云いますね。いや・・君は腕もよろしいです。
豊田氏が次々と新製品を入手して、伊吹山では植物写真をバンバン撮ってましたので期待してます。


[4800] オス? 投稿者:31期中嶋 投稿日:1977/08/02(Tue) 10:18

先生のお写真、ほんまキレイですね。

オオムラサキですが、私の手元の図鑑ではあいにくオスしか載ってません。
ネットで調べましたら、メスはオスより一回り大きくムラサキ部分がほとんどないようですネ。
内側のムラサキ色ははっきり確認できたのですが、図鑑の記述にある『光沢のある美しさ』ではなかったです。が、今ネットでみたメスでもないし...
たぶんオスやと思うのですが申し訳ないですが、どっちなのかわかりません。

氷ノ山の合宿で高校2年のとき見た(古い記憶なので怪しいですが)、オオゴマダラと同じくらいかそれ以上の大きさに見えました。オオゴマダラはフワリフワリと飛んでいたのですが、オオムラサキはパタパタとまるで鳥にようでした。

MLで、6月から8月の午後3時ごろによく飛んでいると言うことでしたが、私が見たのもお昼のお弁当を食べてるときでしたよ。2頭いましたから、ここでは当たり前にいるのかもそれません。ぜひ、一度探しにおいでください。


[4799] すばらしい 投稿者:30期 木村 です 投稿日:1977/08/02(Tue) 03:53

野球部木村です。ご無沙汰しています。
伊吹山すばらしいですね・・・花好きにとってはたまりません。
もっともっと先生、ぜひご紹介ください。

中嶋さん、オオムラサキは、オスですか?駒沢公園にはけやきが多くって、メスの死骸ですけど見たことありです。私も自然には見たことがないので、帰阪のときいってみようかなぁっとひそかに思っています。。。情報ありがとう!

http://koregood2005.seesaa.net/


[4798] 伊吹山のお花畑 投稿者:mogさん 投稿日:1977/08/01(Mon) 16:10



伊吹山の夜は満天の星空で、「銀河」も大雪・白雲岳の再現、、翌朝のお花畑は満開で、予測していた雨などドコにもなく、いたるところシモツケソウのピンク、メタカラコウの黄色、クガイソウの紫、そしてイブキトラノオの紅白等々、色とりどり。

今の時期のここのお花畑は確かに派手である。およそ、1300mのしかも新幹線などの下界から見える伊吹山の姿のどこに、こんな景色があると想像できましょうや!(お花の写真はこのアルバムに掲載しましたのでご覧下さい)

これからのしばらくは、季節の移りゆく中で、次々と色々な植物が花を咲かせて山頂の彩りを変化させてゆくことでしょう。

山を下りて、中山道・醒ヶ井宿でバイカモの可憐な花が、清流の激しい流れに揺られながらも咲き乱れる姿にホッとしつつ、さらに川の中にハリヨの可愛い姿を見つけて、充分に満足しながら帰る車中で、窓ガラスを叩き付ける雨にやっと遭遇しました。

注意! 10時頃下山する頃には、伊吹登山有料道路は延々長蛇の列。 行くなら天気予報が「雨」の時、前夜から出かけること。(ただし、晴れ男・女に限ります)
それから、折角の天下分け目の関ヶ原、松尾山の石田三成の指揮台には是非立ち寄って、何故西軍が家康に負けたか?を勉強してきて下さい。

http://photos.yahoo.co.jp/mogog2001


[4797] 枚岡公園にて 投稿者:31期中嶋 投稿日:1977/07/31(Sun) 10:25

一昨日、枚岡公園でオオムラサキを見ました。
オオムラサキ見たのは初めてなので、見間違いじゃないかと、私が入ってる自然史博物館関係のMLに問い合わせしてところ、枚岡公園はオオムラサキの生息地ということでした。。
時期も合ってるし、間違いないみたいです。
こんな身近なところで、オオムラサキが見れるなんて、感動です!!


[4796] 伊吹山のお花畑は? 投稿者:mogさん 投稿日:1977/07/30(Sat) 10:52

須磨さん ニペソツ山での写真をたくさん有難うございました。

今が、お花畑の最盛期ですか! 大雪では蝶も今や春爛漫の最高の季節なんですね。 さぞかし虫を追っかけて忙しいことでしょう。

ウスバキチョウで検索したら、1頭なんと5.000円也でヤフーオークションに出てましたよ。これでは天然記念物に指定して保護しないと、すぐに絶滅ですね。

今夕から、豊田氏に付き合って伊吹山で星を見て(多分曇りか雨?)明日は傘をさして、お花畑を散歩してきます。


[4795] 大雪山 投稿者:はせこ 投稿日:1977/07/26(Tue) 22:34

いろんな大雪山のHP見たり、mogさま方の今回の旅行の写真を見たりして、おぼろげながら大雪山が見えてきました。透き通った空気の中の広大な自然がすばらしいですね。
もし、来年休みがとれたなら行ってみたいです。高山温泉、露天風呂がいいなあ〜。(^-^;ゞ


[4794] いざ!欅の露天風呂へ 投稿者:28期 はやし(植物班) 投稿日:1977/07/24(Sun) 18:49

梅雨明け後、連日の猛暑ですが、皆さんいかがお過ごしですか。

クーラーがない部屋で、Mogog・北海道の素晴らしい写真とメッセージを読んで、
毎日うずうずしている林です。我が家もようやく今週末より、熊野中辺路の「杣
(そま)小屋」という自炊の和風ペンションに向います。
http://www.geocities.jp/somagoyahp/

レタカーを借りて、7/30(土)早朝に大阪を発ち、現地には2泊する予定です。
ちなみに中2娘と上さんと3名のみで行きます。(流石に大1長男、高1長女
は我が道でもう、一緒には来ませんね)

釣りの川は、本流がアユで有名な富田川。アマゴには支流で、かじや川、中川、
石船川みたいです。地図に河川名のないもっと小さな支流もあるようでが、ペ
ンションオーナーに聞くのが一番でしょう。熊野古道のすぐそばなので、ハイ
キングもできたらと思っています。

ちなみに以下が、上記HPの紹介メッセージです。
***ようこそ杣小屋へ。田舎の大自然の中で入る露天風呂…。都会で疲れ切った
心と体を癒します。家族連れ・カップル誰もが楽しめる安らぎの場所です。***

では、皆さん、台風通過後の天気が安定しますように願って下さいね・・・。


[4793] 来年こそ 投稿者:豊田 久夫 投稿日:1977/07/23(Sat) 20:13

今年は夏山はいけません。来年は北海道も、黒部五郎も水晶も行くぞ。この間尾鷲の高峰山に登ったらばてました。元気が一番です。ヤフーのIP電話が最初から雑音が入るとクレームを入れたらモデムとターミナルアダプタを交換したらネットに繋がらなくなってヤフーとやり取り再々、モデムも3回取り替えましたが繋がらず、その間3ヶ月料金を支払っていてとうとう解約となりました。イオの光を申し込んでいますがいつのことやら。いま会社から(誰もいません)投稿しています。
早くて安いプロバイダを誰か知りませんか。


[4792] ハセコさんへ 投稿者:須磨(18期) 投稿日:1977/07/23(Sat) 00:23

mog様のコメントに少し付け加えさせていただきます。
旭川から東南東方向を見ると一連の山塊が見えます。これが狭い意味の大雪山です。中央火口(お鉢平と言います)の周辺に旭岳・北鎮岳・白雲岳・黒岳・赤岳・中岳・熊ヶ岳・安足間岳・愛別岳・桂月岳・北海岳・烏帽子岳・小泉岳・緑岳etcと名づけられたコブがあり、これらの山塊に大正時代にここを登った大町桂月という人が大雪山と名づけたとの事です。ちなみにこの山域はアイヌ語でヌタクカムウシュッペ山というそうです。
その後周辺の山域も広く登られるようになり北海道中央部高地全体を大雪山と呼ぶようになったようです。狭義の大雪山も南部の忠別岳・化雲岳・トムラウシ岳を含め現在は表大雪と呼ばれています。
北大雪はニセイカウシュッペ山を主峰とする山群ですが、石狩川で隔てられており全く別の山です。
東大雪は表大雪忠別岳から東へ派生する尾根上の石狩岳を主峰とする山脈とその南部のニペソツ山・ウペペサンケ山及び然別湖周辺の小火山群(MOG様の登った東ヌプカウシ山も含まれる)の総称です。石狩岳連峰は昔は表大雪から縦走して裏大雪と呼ばれていました。
十勝連峰は富良野方面の山でトムラウシ山から縦走できますが、大雪とは別の山群です。
中央高地の多くが大雪山国立公園に含まれているので、全てを大雪山といっても良いのでしょうが、私のイメージでは大雪山は上川地方(旭川周辺)の山です。十勝地方(帯広周辺)のニペソツや然別火山群(場合によってはトムラウシ山)及び空知地方(富良野周辺)の十勝連峰は大雪山と呼びたくありません。それらの山は、狭義の大雪山とは異なった個性を持つ素晴らしい山々ですから。
「あやかり」の名前を付けるのは商業主義の安易さを感じます。布施や枚岡が東大阪になった時、味気なさを感じたものでした。


[4791] ハセコさんへ 投稿者:mogさん 投稿日:1977/07/22(Fri) 15:09

>大雪山って、白雲岳、旭岳、熊ヶ岳なのですか?

須磨さんに答えて貰ったらよいのですが、代わって私がお答えします。

そもそも「大雪山」と申す固有名詞の山はございませんで、ほぼ「大雪国立公園」地域の中にある30以上の山々の総称であります。
大雪山系と呼んだ方がよろしくて、これは大きく分けて北大雪・表大雪・東大雪・十勝連峰の4区域に分けられます。

旭岳は通称「表大雪」に位置し、一般観光客はロープウェーで姿見駅からすぐソコに見えるので、これを「大雪山」と思っておりますし、北海道の最高峰旭岳2290.3mは、大雪山系の山々の主峰と云っても良いでしょう。

また姿見の反対側の層雲峡からのロープウェーは黒岳7合目まで登れ、火口のお鉢を巡っての旭岳コースは「大雪銀座」として賑わうそうです。

三木さんが観光で行った富良野、美瑛で見えた山々のうち、噴煙を上げていた十勝岳を中心とした美瑛岳・富良野岳も勿論「大雪山系」で、トムラウシから尾根伝いに南の日高山脈に続く壁は帯広・十勝方面を防雪の役割を果たしていると聞いています。

私たちの登ったのは旭岳の東側で、赤岳2078m・小泉岳2158m・白雲岳2229.5m・緑岳2019.5mです。
4峰登ったと云っても、銀泉台(1700m)から400mの高さを登れば赤岳で、あとは高原です。標高差を見てもアップダウンは精々150m程度です。(旭岳までは直線距離で約4キロ、コースで10kmほどでも標高差は200mもありません。)

下りは駐車場まで700mを一気に降りるだけです。

ですから、金剛山や岩湧山や六甲山とあまり差は無いです。雪渓や火山岩の道がなければ、登山としては大雪山の方がラクですよ!ハセコさん。

来年は一緒に登りませんか? 豊田氏は多分、計画中と思います。

須磨さんからのメールによれば、ニペソツ山(写真は道内一高い国道峠=三国峠からで、麓は広大な樹林と至る所に温泉が湧出しておるそうです)に登ってクモマベニヒカゲを撮影?してくるそうで、石狩岳などのあるこの辺は東大雪になるのでしょうか? 蝶をを追っかけて走り廻って居るそうです。


[4790] 北海道はすばらしい! 投稿者:yumiko 投稿日:1977/07/22(Fri) 14:50

mogog様、おかえりなさい。
すばらしい写真、拝見いたしました。

実は私も7月12日から3日間北海道に行って参りました。
母親も一緒に連れて行ったため、mogog様の旅行とは違い登山というわけにはいきませんでしたが、
大自然を満喫できました。(どちらかといえば食いしんぼツアーというか。。。w)
特にジャガイモ畑のピンクの絨緞を見られたことと本物のキタキツネに会えて感激しました!
あとは、イクラ・鮭・カニ・ソフトクリーム等々(食べるもんばっかりや。。。)

とにかく広〜〜い北海道でいい空気を吸えてとってもリフレッシュできました。
北海道、いいですよねぇ〜〜。また行きたいです。


[4789] お帰りなさい! 投稿者:はせこ 投稿日:1977/07/20(Wed) 13:53

あふれる大自然!北海道旅行の写真を見せていただきました。

三木さん、須磨さん!初めてお目にかかります。感動の体験をみせていただきまして、ありがとうございました。

ところで、大雪山って、白雲岳、旭岳、熊ヶ岳なのですか?


[4788] お待たせしました。 投稿者:mogさん 投稿日:1977/07/18(Mon) 20:15

お待たせしました。
やっと[大雪山登山と私の帯広滞在記録のアルバム]をYahoo albumに作りました。
どうぞご覧下さい。 PWはmogogです。
「滞在記録」と「植物アルバム」と「大雪山・十勝連峰の山々」の3部に分けてあります。
山の写真は富良野に廻った三木さんが撮ってくれた写真も使いました。上等のデジカメはやっぱりエエです。
山の写真はワイドですから、1枚ずつオリジナルサイズで見てください。

yahoo photosがいつの間にか300Mもくれるようになっていました。以前は30Mだったので、生物部OB会関係のアルバムはケチって居りましたが、今後はお陰で軽くする必要もなくなり、ハセコさんが作ったmogog2003もすでに使用量97%でほぼ満杯だったのに、たったの10%使用になっていて、これからもじゃんじゃん貼れますよ。


[4787] どうしてくれます? 投稿者:三木(24期)です 投稿日:1977/07/16(Sat) 20:23

写真を撮られたところに大麻が茂っていた。
それだけで逮捕されるんですか? なんでやねん!(ーー;)



[4786] ヤバイ?話 投稿者:mogさん 投稿日:1977/07/16(Sat) 13:02

前の表紙写真、オオブキの傘を持つ三木さんの身の周りの植物は「大麻」Cannabis sativa)が雑草となって茂っている牧場の一角で撮ったもの。

時々、新聞報道で「大麻を隠れて栽培していた学生が逮捕された」と云った記事などを見ますが、こんなのはどうなるんでしょうか? 三木さんが逮捕される?

昔から繊維を取るためこの辺だけでなく、全国的に生産していたものですが、今でもこの調子でアチコチに茂っているものです。
日本のものはCannnabinの含量は少ないとは言え、その成分は充分に存在してます。都会でコソコソと栽培するから逮捕されるので、北海道の大地では生えていても誰も見向きもしないようです。
時々、保健所が廻ってきて刈り取っていくそうですが、すぐに根元から生えてくると云って牧場長さんは笑ってました。

そういえばケシも嘗ては、和歌山・大阪・奈良が長いあいだ阿片(モルヒネ)の主生産地で、禁止になってからでも大阪ではアチコチに見かけましたなあ〜。
市岡の中庭でもケシ(勿論、阿片のオニゲシ)がよく咲いていました。ヒナゲシも勿論ありましたけど・・・
だれが持ってきたのか今だに不思議です。
付け加えれば、阿片を取った後の種子は堺の銘菓「小島屋のケシ餅」などに使用されたのです。今はどこから仕入れているのか知りません。


[4785] みなさま 投稿者:下山勇 25期 投稿日:1977/07/14(Thu) 04:57

森田さま、お久しぶりです。
退院はしたのですが、体調思わしくなく、本日今から、ロンドン・パリへリハビリ旅行にまいります。
へんなリハビリやね。
2週間後にお会いしませう。


[4784] Re[4765]: みなさま、あけましておめでとうございます。 投稿者:田龍会 森田博文 投稿日:1977/07/13(Wed) 18:54

 下山様
長い間どうされたかと思っていましたらご入院との由、無事ご退院おめでとう御座います。
 市岡同窓会の皆様が田龍会HPへリンク戴きまして感激しております。この場をお借りしましてお礼を申し上げます。
 小生74歳にもなると若干認知症の兆候が出てこのままでは田龍会長の責務遂行も覚束なくなる気配も感じ会長職を辞退したいと思います。たとえ辞めても今後ともお付き合いを宜しくお願い致します。貴方は退院後です、くれぐれも御身ご自愛ください。


[4783] 三木さんの体験 投稿者:三木(24期)です 投稿日:1977/07/10(Sun) 19:43

安全靴(長靴のつま先に鉄が入っていて、けっこう重い)を履いて、ウシさんに干草をあげたり、ざらざらした舌で手を舐められたり・・本当に貴重な体験をさせていただきました。一頭ずつ顔立ちや体型や毛の色なども違い、やたら大きいのに可愛いものです。「ステーキ」や「タン塩」なんてゼッタイ食べられない! と思っていたのに、怖いもんですね。上機嫌で食べてしまいました。ウシさん、ごめんなさい。m(__)m

でも、お肉にされるために売られていく時は、涙を流すウシさんがいるんだそうです。♪〜ドナドナ、ドーナ〜の歌は、本当の話なんですね。


[4782] 帯広報告(その2) 投稿者:mogさん 投稿日:1977/07/10(Sun) 08:29

今回は面白い写真をお見せしましょう。
須磨さんの仕事の報告ですが、私にとっては非常に興味深かったので、皆さんに紹介します。

牛の飼育と云っても、牧場でのんびりと牛を放牧しているものとばかり思っていたら大間違いでした。
牧場におる牛にもイロイロあって、搾乳牛もおれば食肉用もあり、また繁殖用もあり、それぞれ目的に合わせた飼い方があるわけで、考えてみれば、のんびりと牧歌的な生活をしておる牛などおるわけがありません。

肉牛なんか、50、100の単位集団で、子牛が次々と牛舎にやってきたかと思うと、広い草原に出ることなく、わずか2年足らずで成長した後はその集団のまま出てゆくのです。

須磨さんの仕事は、その最初の過程で、出産後すぐに母牛から引き離されて母乳も飲まして貰えないままの子牛の母親代わりをしております。
幼牛?を50頭ずつ2カ所の牛舎で育てるわけで100頭の世話、これは大変ですよ。
毎日100頭の顔を見て、1頭ずつの健康状態や、どれだけ人工乳を飲んでおるかを知らねばならんのですから・・・1クラス50人を担任する教師なんてラクなもんですわ。

しかし、世の中イロイロな面で進化?があるもので、哺乳ビンで1頭1頭授乳するわけでなく、面白いものを考えたものです。
それが写真の装置です。これでミルクを飲みにきた子牛の誰?(番号)がどれだけのミルクを何分かけて飲んだかを知る事が出来、さらに23番ちゃんがカゼをひいておれば、この子がミルクを飲みに来たときに薬を混ぜて飲ませることだって出来るんですって!




しかし、毎日毎日、子牛の顔を見て健康状態を診断してやるなんて情が移るでしょうね。わたしが行ったときには甘えん坊が須磨さんにつきまとって本当の母親とでも思っておるようで、素晴らしい光景をみました。

こうして育った子牛達はやがて別棟の、あるいは別の飼育場に運ばれて、肥育されるわけです。

言い忘れましたが、この装置は誰でも使えるわけでなく、コンピューター処理をすることでもあり、一定の資格がいるそうです。


[4781] ご無沙汰しています 投稿者:32期 コーラス部中村 投稿日:1977/07/08(Fri) 01:28

 こん**は!32期コーラス部中村彩乃です。

 先生は北海道にお越しでしたか?
わたしも、やっと夏休みの日程が決まり、大雪山へと思っていましたが、青森に行くかもしれません。

 ちょっと宣伝で申し訳ありません。
二つあります。

 生物部・は虫類班のハセコさんと彩乃がスタッフをしている大阪自然環境保全協会の主催講座「自然かんさつ塾」の秋からの募集が始まりました。
 H.P.をわたしが作っているので、どうぞご覧下さい。
  http://www.nature.or.jp/h_koza/juku/index.htm

 もう一つは、大阪で生まれ育ったデューク・ウォークが今年15周年を迎えます。
初の主催イベントであり、スポンサーを気にせず自由に構成しています。
 私はデューク先生に10年以上師事しており、近畿圏ではたぶん一番長い弟子だと思います。
 それまでに5人の先生についてきました。「ハイ!私の真似をして」という人ばかりでした。
デューク先生は「では、ストレッチを」とやり始め、不思議と足運びがスムースに動く事に驚きました。
 今では深部筋を動かし、筋力UP。これが体を引き締めるので女性誌で「ダイエット・ウォーク」とブレイクしましたが、真の目的ではありません。
 変な歩き方で砂浜を長時間歩き、足を痛めたデューク先生のお母さんは、歩けなくなるのと同時にあっという間に弱り、亡くなられました。
 「ファッションモデルを教えてる場合やない。一般の人に正しい歩き方を教えなあかん。」ここから、デューク・ウォークは生まれました。
 正しい歩き方をすると、きれいに見える。筋肉が鍛えられて健康になる。
 そこにデューク先生のTALKが楽しくやる気を起こさせるのです。
 わたしより、少し後にデューク先生の弟子となり、今ではウォーキングで生活している友人のH.P.です。
http://www31.ocn.ne.jp/〜yukos_walknet/photohistory.html
確実に姿勢が変わっています。
 わたしも自分のbifore after の写真を持ち歩いていますが、まじめにやると3週間で体型は変わります。
 健康診断でもいつも正常値、骨密度は毎年上がっていますから、成果は証明できます。

★DUKE更家15周年記念イベント
★7月23日(土) 14時〜 19時〜 大阪府立体育会館
★前売り3,500円 当日4,000円
★問い合わせ先 ダストコーポレーション 0729-87-0430
★チケットぴあ ローソンチケット

 興味をお持ちの方は、彩乃に直メールをください。

 すみませんでした。
久しぶりの登場で、CMなどして。

 自分が10年にわたり、やってきて本当に良いので、たくさんの人に伝えいたいし、体感して頂きたいのです。


[4780] 北海道はデッカイ! でした。帯広報告(その1) 投稿者:mogさん 投稿日:1977/07/07(Thu) 13:07




CMに「北海道はデッカイぞ−!」と云うのがありましたが、今回はしばしば実感しました。

一歩外に車で出ると、至る所に10km〜20kmの区間が一直線の道路(長いところでは30km以上がまっすぐで、最長は?調べてください)。
しかも農道でも2車線の立派な舗装道路で、広大な畑の中を縦横に貫通していて、その道沿いにパラパラと防風林に囲まれた同じような、畜舎とサイロを備えた家があって、外来の私にはどこも同じ場所に見えるために何度走っても、ドコを走っているのか全く判りませんでした。

特に夜間は全く外灯などなく、たまに対向車が来て100km/hぐらいでアッという間にすれ違い、それに惑わされて曲がる場所を間違ったらサ−大変!
なにしろ間隔が300間(540m)ごとの碁盤の目のような道、一度曲がり損なったら「コ」の字に曲がって1600mの損で済めば良い方で、カーナビに頼ると、これは国道・道道などの幹線道路を走らす為、近道しようとすればかえって回り道になったりします。
三木さんを迎えに空港に出かけた時も、30kmの距離を60kmかかって皆に笑われてしまいました。

宿舎としてお世話になった牧場はこの300間四方(=9万坪=約30万平方米=30町歩)の区画が7個あるそうです。川までの林も入れて約10個分あるそうですから、1区画に市岡の校舎敷地(10000平方米)の30個分として計300個分の広さがあります。
ヒュッテから事務所のある入り口まで1.3kmあり、車がなければ大変です。歩けばいつ熊に出合うかも知れないし・・・・・花火を打ち上げてから林に入るようにと脅かされました。

こんな調子ですから、ガソリンスタンドを探すにも、スーパーを探すにも、看板はあっても20km先とか30km先で、土地の人の感覚のズレを痛感しました。

一寸出かけると云っても片道50kmや100kmを遠いと思わず、須磨さんなんか、私の帰りの飛行機の出発が2時間遅れと知るや、片道40kmの滝まで案内してくれるんですから・・・・お陰で最後までヒヤヒヤでした。