■荒川の秋ヶ瀬取水堰(2008年9月)
今から350年程前の1653(承応2)年、江戸の飲料水不足を解決するため、羽村で多摩川を堰止め江戸へ水を送る玉川上水が開削され‥ →続きはこちら
■明治43年の水害(2007年9月)
「志木のイメージとして『川のまち志木』がふさわしいと思う人、いらっしゃいますか?」先日、志木市の歴史と自然に興味がある30名ばかりの‥ →続きはこちら
■宗岡に残る明治期の樋門群(2006年3月)
柳瀬川でも新河岸川でも、堤防のところどころに、内水を流しだす水路が貫通 しています。樋門又は樋管と呼ばれますが‥ →続きはこちら
■宗岡の水塚(みづか)群(2005年12月)
「土盛りの土は、畑の土の30cmほど下のクロマサという黒い硬い土を掘ってモッコに入れて担ぎ上げたと聞いた」「この高さに積むには並大抵のことでは‥ →続きはこちら
■宗岡地区の水塚と総囲堤
志木市宗岡地区は、標高5〜6メートルの沖積低地にあります。荒川と新河岸川にはさまれ、洪水が運ぶ肥えた土のおかげで良好な農地であった反面‥ →続きはこちら
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→勝手にレッドデータof志木→ 佃堤(つくだづつみ)
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