この一連のエッセイは、「波紋会議室」のメンバーが手分けをして少しづつ
6番会議室「えんぴつ」に転載アップしたものです。

 以前「波紋会議室」では、一之江鮒夫さんというへら師(すでに故人)のエ
ッセイについて話題になりました。一之江さんは、へら鮒釣りがまだ今ほど人
気がなかった昭和20年前後からのへら師です。

 また一之江さんは、へら鮒釣りの楽しさ、難しさ、そしてへら師の心情、心
の動き、のめり込みなど、心の琴線に触れる話を素晴らしい文体で表現した名
文章家でもありました。

 その一之江さんの著作は「釣の友」社から、「新野べら釣り」として昭和5
5年に発刊されました。すでに、この本は絶版になっていて、われわれへら師
は読むことができません。そこで、「釣の友」社のご好意で、一之江さんの絶
筆となった「ホームに吹き荒れる2月の風」をJETさんの転載で波紋会議室
にアップしてもらったところ、メンバーからは「感動した」「素晴らしい」と、
大きな反響を受けました。

 そのときに、いつかは「波紋会議室」の仲間で、一之江さんの「新野べら釣
り」をFFISHに全文紹介できないいか、と話し合うようになりました。

 その後、いちろうさんや「釣の友」社、そして一之江さんの著作権者のご努
力で、「新野べら釣り」全文をFFISHに転載することが可能になりました。

 釣りのジャンルが違う方が読んでも、心にジンとくる表現が随所にあります。
よろしくお愛読のほど願いいたします。

 なお、文末のハンドル名が転載入力を担当したメンバーです。転載は禁止します。

 「新野べら釣り」の項目は次の通りです。


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■第1章 体験的へら釣り談義

1.マブナからヘラへ
2.ヘラ釣り入門
3.まず一尾釣ること
4.静思する人の行楽
5.野べらとは?
6.夜の街道
7.水辺の小鳥たち
8.フナを襲うアヒル
9.孤独のサギ
10.釣場の蛇
11.ヘラ釣場のケモノ
12.神竜湖の野猿
13.泣き尺
14.何だマブナか
15.競技会の面白さ
16.競技会のあり方
17.釣会さんのお通り
18.新しいベテランさん
19.例会風景
20.風趣あるウキ
21.釣り味
22.竹竿のよさ
23.羽田孤舟の竿
24.赤トンボ
25.ヘラ鮒スタイル
26.大輪の花
27.フィッシングパラソル
28.風に飛ぶ傘
29.水面を走る傘    
30.胃の痛むヘラ釣り
31.ポリバケツの釣人
32.釣場の汚れ
33.北陸の釣り旅
34.釣場の水洗トイレ
35.徳島の釣り旅
36.アホかいな
37.女性ヘラ釣師
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                       <99.05.17 html編集:NAO>

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 『新野べら釣り』(「釣の友」社刊) 一之江鮒夫・著
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■第1章 体験的へら釣り談義(1)

(1)『マブナからヘラへ』

 私は40年来、いろいろな(という程でもありませんが)釣りをやってきま
したが、戦後30年近くは、ほぼヘラブナ釣り一辺倒になってしまいました。

私の釣歴は戦前10年ほどはマブナのしもり釣り、戦後10年は関東で野ベ
ラ釣り、それ以後の20年近くは関西の野ベラ釣りというように分けることも
出来ます。

関東でのマブナのしもり釣りは、私の釣りの入門でもありました。この釣り
は関西方面ではあまり試みる人がいませんが、それはフナ釣りの言えば池釣り
が主であるからでしょう。

しもり釣りはゆるい流れの小川や細流なので、径5.5mmから7mmぐら
いの小型の玉ウキを4、5個道糸に通して、それがたゆたいながら沈みこむよ
うに板オモリを調節して、竿先でウキの浮力を加減しながら、エサ(縞ミミズ
や赤虫)を踊らせ、藻陰にひそんでいるマブナを誘い釣りするのです。

仲々技巧のいる釣りで、アタリは玉ウキの列がくッと引きこまれるか、ふわ
ッと浮くかしました。水中にしもった(沈んだ)白い玉ウキが生き物のような
動きを見せるのです。
田園風景の中を、そこの小川、かしこの細流とフナの付き場を探りながら拾
い釣りするので、別に探り釣りとも言いました。

このほか私がまだ関東にいた頃の20年ほど前までは、東京湾から浦安沖に
かけてハゼがよく釣れたものでした。舟の練り釣りと言って、風にミヨシを向
け、舟を潮にのせて移動させてハゼを釣るのです。当時の東京の名物でもあり
ました。

2本のサオを操り、いかに数多くのハゼを釣るかが、この釣りの面白さで、
各区の釣友会が競い合い、その勝ち抜いた代表者が東京都全体の選手となって
腕を競い合いました。手回しのよいのが勝で、私も度々出場したことがありま
す。

中通しのハゼ竿などと言っても、もう今日では釣具店等では見かけることが
出来なくなりましたが、5、6尺(1.5m)の手バネと丈二(3.6m)く
らいのサオを両手にして、秋も深まった東京湾の海苔シビの間やミオ筋に落ち
こんだヒネハゼの渋いアタリを竿先でとって、左は左手、右は右手で合わせて
取りこむ。間がいいと300〜500尾ぐらいも釣ることが出来ました。出来
ハゼを岡から釣るハゼ釣りとは全くちがった大ベテランをも夢中にさせる釣り
でした。

私はまた、大川筋のウグイ(東京地方ではハヤと言う)のウキ釣りを相模川
や江戸川でやりました。25cm〜30cmくらいのが釣れました。それから
伊豆の狩野川あたりへはヤマベ(ハス)の蚊バリ釣りによく通いました。

 流れに立ちこんで、4、5本擬餌バリを付けた仕掛を扇型に流していると、
竿先にツン、ツンと当って、ガバリと20cm前後のヤマベがハリ掛かりしま
す。アゴ無しハリ(スレバリ)の方が掛かりがよいのですが、竿の調子が悪い
とバレが多いようでした。ヘラ竿のような軟調のものより野布袋の穂先が最も
蚊バリ釣りに適していました。(グラスロッド等が開発されていない前の話で
す)。

 どの釣りもこりだすと、それぞれの面白さがあり、窮(きわ)めはじめたら
いずれも奥が深く果てがないくらいでしたが、私は戦後間もなく、ふとしたこ
とからヘラブナ釣りに出会い、自らその洗礼を受けてから、それまでのいろい
ろな釣りをすてて、明けても暮れてもヘラブナ釣り一辺倒になってしまったの
です。
     [転載・もみじのてんぷら]

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 『新野べら釣り』(「釣の友」社刊) 一之江鮒夫・著
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■第1章 体験的へら釣り談義(2)

(2)『ヘラ釣り入門』

 昭和22、23年頃のことでした。当時、東京の江戸川区に居住していた私
は、江戸川区内に釣り会が10団体ばかり出来ていて、その連盟の春季フナ釣
り大会が水郷駅から利根川の対岸の耕地内一帯で挙行されたことがあります。
私はその連盟の顧問役をしていたので参加しました。

 利根川を渡し舟でぎっちらぎっちら渡った長閑な時代です。堤を越えたすぐ
近くに、相馬裏、古利根という(いずれも埋立てられてしまいました)フナの
名場所がありました。200m幅で、長々と500〜600m以上はある切れ
所沼風の釣り場で、岸近くには水蓮藻が密生していました。

 私は近くの細流で何尾かのマブナをビクに納めて早目の帰途についたところ、
この古利根で一人の釣人が、丈五(4.5m)ぐらいの長竿を振っているのを
見かけ近寄って見ました。私達は歩き釣りするのですが、その人は一個所に座
ったきりで、見事な竿捌(さば)きで餌を打ちこんでいるのです。

 マブナ釣りより長いハリスの2本バリ。エサはイモの練りエサ。エサが溶け
るらしく竿の打ち返しが早いのに驚きました。いや、竿も、竿受も、大型のビ
クも何もかもが驚きでした。

 その内ピシッと合わせるとマブナ竿とは比較にならぬ軟調の竿が円を描いて、
瞬時止まったかと思う間もなく、ぐぐっと魚が寄せられて、その人は左手に持
った玉網を手一ぱいのばして、魚をガバリともさせずに滑りこませました。見
事でした。

 私達の釣っていたマブナはせいぜい15cm〜18cmぐらいでしたが、そ
の人のは、24〜25cmくらいの白銀色の魚体で肩の張った見事なヘラブナ
です。底が35cm前後もありそうな大型の網ビクには、既に20尾近いヘラ
が重なり合って底が見えないくらいでした。

 これがヘラブナ釣りだ!

 私は興奮して、暫くはその釣人の竿捌きに見とれていました。

 早々、私もやってみようと思いました。当時マブナ釣りは4月一ぱいまでの
釣りで、5月に入ると海の青ギス、川のヤマベ(ハス)に変り、つづいてアユ、
白ギスに出漁するのが東京の釣人のほとんどでしたが、私の場合は止水の池沼
で、イモの練り餌で相変らずマブナを釣っていました。

 3.5m内外の小竿を持ちッきりにして、ハリス10cm、15cmの短い
2本バリ、ハリは大輪型(伊勢尼型の7、8号ぐらいの大きさで、針金の細い
ハリ)、そのハリ先に小豆粒くらいの小さなイモ練りをつけて小ブナを釣りま
した。ウキは7、8cmの小型唐辛子型ウキ。

 このシカケで手返しよく打ち返していると、水面からぽつんと出したウキ頭
(がしら)が、ピクンと当ってツーと横に流れるのを合わせると、ヒラヒラと
小ブナが釣れました。小竿で辺地(ヘチ)狙いのせいか余り大型は釣れません
でしたが、数は30〜40尾から70〜80尾も釣れるのが常でした。底棲魚
と言われたマブナでしたが、止水の釣場では底を切ることが多く、間々宙釣り
になることもありました。

 この要領でやろうと思いました。竿は釣友から譲り受けた関東のヘラ竿(東
俊の試作品だったと思います)4.5mもの1本、道糸はナイロン1.5号
(ナイロン糸が市販され始めた頃です)を茶染めにして、ハリス1号で、上バ
リ15cm、下バリ20cm(今思うと短いハリスです)、ハリは伊勢尼型で
5号内外のアゴ付きでした。

 ウキは18cmくらいの細身の桐ウキ。ウルシで総塗りされた美麗なもので、
京都の馬井助製だったと思います。まだ、孔雀の羽根ウキ等が出回っていなか
った頃です。アゴ付きのハリを使ったのは、アゴ無しのスレバリが、まだ余り
出回っておらず、又障害物の多い野釣りでは、アゴ無しでは不安のように思わ
れた時代です。

 要するにマブナの練りエサ釣りを大ぶりにしたようなシカケで、今から思う
と何とも乱暴なシカケでした。

 自宅の近くに歌舞伎俳優の菩提寺になっていた大雪寺という寺があり、その
裏に長方形のかなり大きな池がありました。篠崎方面に江戸川との連絡点があ
り、そこから田用水が入って来て、池には金魚藻が密生していて水色もよく、
吸いこみ釣りで、ヘラの大型が釣れるという情報が入っていました。

 その頃は江戸川区でもヘラを釣る人は何人もおらず、私が池へ着いた時は一
人の釣人もいませんでした。何か不安な気持ちでした。又ヘラを釣るなら関西
流のウドンとも言われていた頃でしたが、前に練りエサでヘラを釣っていたの
を見たばかりですし、マブナで使い慣れたイモの練りエサをパチンコ玉大に丸
めたのをハリにつけて打ちこみました。

 竿受は自製し、先端へは木の枝の股で作ったものをさしこみました。

 ウキ頭(かしら)を2cmぐらい水面から出しました。たちまちハスや口細
類がエサをつつくのでしょう。ウキの上下動がはげしくなり、合わせ時がわか
らずまごつきました。

 その内、いつか今までのアタリとちがった、ふわッとウキが浮くようなアタ
リが出て、ツーンと消し込みました。合わせました。するとガツンときて、瞬
時竿が立ちません。

 今までに感じたことのない強い引きです。名状しがたいショッキングな釣り
味です。手に生き物の躍動感が残り、底引きするだけのマブナの大型の単調さ
とはちがったものでした。釣れるものはマブナの2倍も3倍もの良型揃いでし
た。1尾釣れると2尾、3尾と連発に釣れました。中にはウキをぐ、ぐと突き
上げて、横に寝かせるほどの大アタリを示すものもあります。

 その日は夕方まで夢中で釣りました。ただ一人、自然へのオソレに似た驚き
と喜びを伴った感激の一と時でした。

 おそらく、吸いこみ釣りでなく、本格的な食わせ釣りで、この池でヘラを釣
ったのは、私が初めてだったかも知れません。未だにその時の感動が私の手の
記憶の内にまざまざと残っています。

 それ以来私はヘラブナ釣りに夢中になってしまいました。入門のきッかけは、
まず1尾釣ってみることだと思いました。その喜びは想像以上のものでした。
30年も前の話です。
                     [転載・もみじのてんぷら]

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 『新野べら釣り』(「釣の友」社刊) 一之江鮒夫・著
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■第1章 体験的へら釣り談義(3)

(3)『まず1尾釣ること』

 こんなことがありました。10年近くも前のことです。会社の釣り仲間と北
陸の柴山潟へ車3台を連ねて出かけたことがあります。その中の一人は釣りの
経験は全くなく、一緒にドライブを楽しむつもりで同行しました。

 現場へ着いて一行はみんな竿を出しましたが、彼はそれをぼんやり見ていま
した。5月の連休日で、釣場の空は青くヨシキリの鳴き声がしきりでした。け
れど釣りは見ているだけでは大へんつまらなく退屈してしまうものです。

 見かねて彼にも竿を貸し与え、エサをつけてふりこませました。ところが偶
然にも、その彼に30cm級の大物がハリ掛かりしました。彼は立ち上がって、
悲鳴に似た声を上げ、ようやくの思いで、クロダイに似た見事なヘラを、隣り
の仲間にすくってもらいました。

 おそらく一生の感激だったのでしょう。それを機会に彼は竿を買い、ウキを
買い、すっかり野ベラ釣りに夢中になってしまいました。

 4、5年前のことです。やはり会社の若い人にヘラブナつりの手ほどきをし
ましたが初めは釣堀で竿の振り方、底立て(床計り)、アタリの取り方など一
通りすませ、野釣場でも何尾か釣るところまでこぎつけましたが、まだまだボ
ーリング場通いとあまり違わぬ程度で、熱の入れ方も、もう一歩というところ
でした。

 やはり5月の連休に四国の鹿野川湖へ連れて行きました。1日目36.8c
m、2日目、もうあきらめていた時、38cmの大物が来て、彼は思わず「や
ったア!」と両手で竿を持って立ち上り、ようやく取りこみました。

 足がぶるぶるふるえたそうです。その日はそれから30cm以上のものが2
0尾近くも釣れました。夢のような釣りで、彼の一生の思い出となりましょう。
その後の彼は、もう野ベラつりが病みつきになってしまいました。
                     [転載・もみじのてんぷら]

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■第1章 体験的へら釣り談義(4)

(4)『静思する人の行楽』

 魚の名は、所によって呼び名が変わります。オイカワを京都地方ではハエ(ハ
イジャコとも言うらしい)、大阪地方ではハス、東京ではヤマベと言います。そ
のヤマベは北海道ではヤマメのことで、ウグイにしても、中国地方ではイダ、北
関東ではアカハラ、東京付近ではハヤとなります。

 ところがヘラブナは全国的にヘラブナであって方言がありません。

 関西の釣池で発生したヘラブナの釣技が、関東の水郷地帯を中心とする野釣場
で生かされ、肉付けされ発達しました。そしてヘラブナの分布が北海道から沖縄
までの全国に及ぶにつれて、その釣り方も今や全国的に普及しました。

 ここ30年来のことで、ヘラブナ釣りは他の釣り種目に比べて歴史が浅く、ま
だまだ新興の釣りとしての新しさを持っているのです。

 ヘラブナ釣りには、釣りの一面としての孤独性や社会逃避型がないのも右の現
代性によるところが大きいからでしょう。

 明るく解放的で戦後の情報社会の中で育てられ、気象との関係、魚の習性、シ
カケやエサの科学的?にまでの研究も盛んであります。

 これらの知的な活動は、戦後の若い世代の心をとらえたようでした。漁の釣り
から、レジャーの釣りに、それに加えて、灰色で実用一点張りのスタイルから服
装のファッション化、カラフルな釣具、釣りスタイルのカッコよさ、これらが、
この釣りの普及をいっそう早めたようです。

 もう密かに自分一人だけが釣りを楽しむ時代はすぎました。自然保護は我々自
身の自覚からはじまるように、釣りもお互いのおかれた社会教養の中で育てられ
る時代になって来たのです。それが又新しいレクリェーションの在り方であり、
レジャーの育て方であろうかと思います。

 ヘラブナ釣りは漁獲を目的としない釣りであります。食べるためにヘラを釣ら
ないのです。そんなところからヘラブナ釣師は出漁という言葉を使いたがりませ
ん。「釣行きする」と言っています。

 そして「釣った魚は再び水に戻して帰る」というのも、ヘラブナ釣師の一つの
マナーになっています。

 なァんだ、せっかく釣ったものを再び放流したのでは面白さが半減しそうだと
思われがちですが、処が、そのため却って、釣りの楽しさに深味が加わったよう
に思われます。

 釣りの内容も時代と共に変わります。ヘラブナ釣りは「釣る過程」までを考え、
楽しみ、味わう釣りです。そこに又無限の魅力のもとがあります。私はかねがね
ヘラブナ釣りは、記録を争ったりするスポーツではないと思っていました。アイ
ザックウォールトンの「釣魚大全」の副題「静思する人の行楽」なのです。人間
だけが持つことの出来る教養的遊び(趣味)なのです。

 実利的な獲得を伴わぬところに、むしろ無償の喜びが湧くものです。

 ヘラブナ釣りの面白さは、微妙なウキの動きの中から「釣り上げる」瞬間をと
らえる息のつまるような緊張感、独特の軟調のヘラ竿をひきしぼる引き味、そし
て魚を寄せたら次から次へとアタリの出る面白さ。偶然に「釣れた」のではなく、
自ら「釣る」ことに専念出来るのも、この釣りのもつ面白さの一つです。

 ここに魔味に近いヘラブナ釣りの魅力があります。ほとんどの釣人が、いった
んこの魔力にとりつかれたら、他の釣りに変わる人がいないところからも、この
面白さの深さがわかろうと言うものです。
                      [転載・もみじのてんぷら]

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 『新野べら釣り』(「釣の友」社刊) 一之江鮒夫・著
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■第1章 体験的へら釣り談義(5)

(5)『野ベラとは?』

 野ベラ釣りというのは、釣池(釣堀)の釣りに対比して言われているのだと思
います。

 文献によりますと、ヘラブナは琵琶湖のゲンゴロウブナを大阪の河内地方の人
が品種改良したものだと言われています。

 マブナに比べて体高が高く、成長度も早く、マブナが30cmまでになるには
10年かかると言われるのに、ヘラブナは僅(わず)か3、4年で30cmを越
すと言われています。

 大へん繁殖力も強く、この魚の養殖が河内、大和、近江付近で盛んに行われ、
川魚料理店等に出荷されていましたが、戦前から大阪地方では、もともと野釣場
であった溜池などに、これらのヘラブナを放流し、入漁料をとって釣らせていま
した。これを無料の池と区別して「釣池」と呼ぶようになりました。

 戦前の東京地方の釣堀は狭い水域でコイやマブナを釣らせていましたが、関西
の釣池は、こんなわけで初めからヘラブナが主な釣り物でありました。

 釣池もその内、中心部をねらえるように桟橋がかけられやがては池全体の活用
と釣人の収容力を増やすためにも桟橋の間隔をせばめ、風による水面の波立ちを
防ぐために竹ザオやビニールパイプを浮かべて波除けにするといった工夫もして、
こんにちのように池全体が、あたかも碁盤の目のように区切られた釣池スタイル
ができ上がったわけです。

 そしてその中で、ヘラブナ釣り独特の釣技が発達しました。

 その頃、野池でもフナが釣れましたが、エサが生エサのミミズや赤虫を使って
いたせいかマブナが主に釣れました。
 野池のフナ釣りと言えば、マブナもヘラも区別がなく、また釣人もそれで満足
していました。

 そんなわけで、関西でヘラを専門に釣るためには釣池(釣堀)へ足を向けねば
なりませんでしたが、そこで軟調の短いサオで、細長いウキと、植物性のウドン
エサが工夫され、その釣り方がヘラブナ釣りの基本を形づくりました。

 このヘラブナの釣り方が、自然の水域で生かされたのは関東です。

 関東でもヘラブナの放流は、大正、昭和の初めから度々行われ、霞ヶ浦周辺、
利根川、江戸川流域の川筋や池沼、印旛沼は耕地内の細流まで野生化したヘラブ
ナが繁殖して、これを対象にして、関西で育てられたヘラブナの釣り方を応用し
た野ベラ釣りが、戦後になって関東の釣人の心をとらえ、ヘラブナファンが急増
しました。

 野生のフナを釣るための釣方が研究され、エサが工夫され、そのための釣具が
改善されました。

 このようにして、関東では、初めからヘラブナ釣りの対象が野ベラであったの
で、特にそれを野ベラ釣りと断る必要もありませんでした。

 このように野ベラ釣りは、戦後の関東で盛んになったと言ってよく、その歴史
もそれほど古いものではありません。

 戦後は、情報時代と言われるほど東西の交流が繁く盛んになりました。

 関西でもこの関東の野ベラ釣りの影響を受けるようになり、約20年前頃から、
釣池を離れて自然の水域の溜池や湖沼でヘラ竿を振る釣人が増え、ことにマッシ
ュポテトのエサが開発された昭和35、36年頃から、いっそう盛んになって来
ました。

 もともと釣りは、自然環境の中で、野育ちの魚を釣るのが本来のものでありま
しょう。

 狭い囲いの中の釣り(釣池)は、釣技もせせこましいものになり、多獲主義の
せり合いになることが多く、釣りも遊戯化しがちなものです。

 街の喧騒の中で、夜の灯りの享楽の中で、私たちは生きていることの虚しさを
知り、孤独になり、人の心を失いました。

 自然の野の中では、私たちはのびのびと自由です。

 豊かな青い水に向かっていますと、緑の木々から流れて来る風が、私たちの心
を洗うように吹いて来ます。野には雲雀、林の中から鴬の声がしきりです。

 白く浮かんだ雲、青い空、水辺には水蓮藻が浮かび、その傍(かたわら)にヘ
ラウキがクッキリ浮かんでいます。まるで魚の息づきを伝えるように微かにゆれ
ています。自然との接点にヘラウキがあって、私たちは、このウキの動きを、言
葉代りとしてヘラと対話します。

これが野ベラ釣りの楽しさです。
                      [転載・もみじのてんぷら]

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 『新野べら釣り』(「釣の友」社刊) 一之江鮒夫・著
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■第1章 体験的へら釣り談義(6)

(6)『夜の街道』

野ベラ釣りの釣場は自然環境の残された野川や湖沼で、ほとんど人里離れた交通不
便な所が多いのです。しかも地合(魚がエサにつく時)のたつのは早朝か夕刻(昼間
は魚の昼寝時と昔から相場は決まっているようです)。夜明けの早い夏場には、遅
くとも午前5時頃までには現地に到着していないと釣りになりません。

それに間に合わすためにはなみの交通機関を使っていたら、そんな時間には釣場に
は着けません(地元の釣人以外には、釣竿かついでチョコチョコと出かけられるよ
うな釣場が、すっかり無くなったからとも言えます)。

すっかり釣場が遠くなってしまいました。そこで仲間同士、何とかクルマを都合し
て誘い合わせて出かけるのが常ですが、早朝現地着のためには、遠い所はその前夜
から、クルマで2、3時間の距離の所でも、午前2時頃には、もうアクセルを踏ん
で出発しなければなりません。

さすがに深夜の街はひッそりと暗く、人ッ子一人通っていません。それでも交差点
の信号は正直に点滅しています。正直に? こッちもそれに従ってストップしたり
発進して空ッぽの街道を進んで行きます。と、チョロチョロと小さな塊りが目の前
を横切りました。ハッとしてよく見ると命知らずの猫です・・・・(原文は半角)。
また、こんな夜更けに女の人がコツコツと独り歩きしているのに出会ったりするこ
ともあります。こんな夜更けに、やはりちょッと気になります。

処がそんな街の道から折れて、ひとたび国道に出ると、日中に負けぬくらい車の往
来のはげしいのに驚きます。数年前までは、バーやキャバレー帰りらしい社用族を
乗せたタクシーの群れが、夕方のラッシュなみに走っていましたが、近年はそんな
タクシーに代って大型トラックが列をなして、轟々の地響きを立てて走っていま
す。

見上げるような大型ぞろいです。私達のようなマイカーは、その間にはさまって思
い思いのレジャー地へ行くのですが、大型車の大半は地方から都市へ向けてやって
来ます。昼間の都心への交通制限によるのでしょう。昼間の何倍かの数です。すご
い長蛇の列です。20kmも30kmも延々と続いています。それはあたかも堂々の船団の
行進に似ています。

深夜の国道はそれらのライトが交差して生き生きと、明るく活気づいているかのよ
うです。

そんな対向車線の列の中には、前面をきらびやかなライトで飾り立てた一匹狼的な
輸送車が混じって来ます。
「トラック野郎」達の車です。頭上には俗にアンドンと言うのだそうです。
「一番星」とか「夕やけ番長」とかと、大きな字を浮き出したのがバク進して来ま
す。

四国へ行っても、中国や北陸へ行ってもこんな車に出会いました。昼間はそんな文
字も眠ったように目立ちませんが、夜にはそれが電飾のように輝きます。運転して
いる御当人は、それを見て楽しむことが出来ないのですから、行き交う車さえ少な
い道へ入ったら、それは誰に見せようと言うのでしょうか。

それを初めて見た時、私は驚くとともにまことに奇妙な感じがしました。それから
大型車に出会うと、その頭の方へ目を向けるようになりました。たいがいの車は何
か書いてありました。

「御存じ男一匹」「関東流れ者」、中には「カモメのジョナさん」という新しいのも
ありましたが、「明日はいずこへ」という、いささかニヒルめいたものもありまし
た。

私の釣友にこの長距離輸送を経験した者がいるので、この間の事情を聞いてみまし
た。夜行の長距離運転は孤独で淋しいものだそうです。車も人にも出会うことの少
ない真ッ暗な夜道を、物言わぬ車と共に独り走る淋しさ、それをまぎらすために色
んな飾りを取りつけるのだそうです。これには、専門の業者がいて、自分好みの飾
りをするのですが、結構高いものにつくのだと言います。
先日、テレビでそんな「トラック野郎」が招かれて、司会者から「何のために飾っ
ているのですか」と聞かれていました。「さア(原文は半角)、見せるために飾るんだけれど、まア(原文は半角)
はったりだね」と答えていました。

見せるためと言っても相手は真ッ暗がりの道です。或いは自分の心意気を自分に見
せているのかも知れません。その時、司会者は「演歌の世界ですね」とも言ってい
ました。

なるほど多分、「夕やけ番長」氏等は、運転疲れで眠気を催して来ると、北島三郎
や都はるみのテープをかけて、誰に聞かせるでもない演歌をうなりながら走り続け
ているのでしょう。
                            [転載・峯山信行]

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 『新野べら釣り』(「釣の友」社刊) 一之江鮒夫・著
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■第1章 体験的へら釣り談義(7)

(7)『水辺の小鳥たち』

関東地方のヘラ釣場は耕地内を流れる小川や池沼がほとんどで、田んぼの中の釣場
ではウグイスの声など聞くこともありませんでしたが、関西のヘラ釣場は山池とい
われる丘陵地の用水池が多く、周りは雑木林や竹薮で囲まれています。そんな所で
は、早い所では春浅い2、3月の頃からウグイスが鳴きはじめます。

東京に居た頃は、ウグイスは鳥篭の中で鳴くものと思っていました。20年ほど
前、関西へ来て初めて野生のウグイスの音(ネ)を聞いた時は、本物かとびっくりし
て興奮しました。

水面を渡ってくる澄んだウグイスの声を聞きながら竿を振っていると、こちらも自
然の中の一点景になったようで、これが野釣りの楽しさという思いが、ひしひしと
迫って来ます。

しかし、雑木林の中で鳴くウグイスの姿は見ることは出来ません。もっともこの姿
なきヘラ釣場の野鳥たちのさえずりは、この他さまざまいます。小鳥の名に弱い私
は、それが何という鳥なのか知りませんが、早朝の釣場の道を行くと、かん高い
の、ささやくようなのが入り交じって、もう心の踊るような野づりの楽しさです。

自然は四季それぞれの顔をもって私達を迎えてくれます。灰色から緑、黄、赤と彩
りも移って、その伴奏に小鳥たちの声が季節を知らせてくれます。季節の移りで私
は時の移りを知ります。そしてその時々の「いのち」の時を惜しむ心でいっぱいに
なります。
小鳥のあるヘラ釣場は楽しいものです。

関東の釣場ではウグイスの鳴き声を聞くことはまれですが、その代り初夏になる
と、川原の密生した葦の中で、ヨシキリの鳴き音がしきりとなります。ギ、ギ、チ
ョ、ギ、ギとうるさいくらいです。竿を振っているすぐ傍の葦の中からも、何かを
訴えるような、ヨシキリの声が伝わってくることもあります。ヨシキリは別名吉原
雀といって関東の釣場の風物詩となっています。

もっともヨシキリは丹波路や播州の釣場では、あまり聞いたことがありませんが、
四国の徳島や海近くの岡山の釣場では聞くことが出来ました。こちらの釣友はヨシ
キリを知らない者が多く、北陸の木場潟や梯川、柴山潟でも鳴いていましたが、私
に「何の鳥か」と聞いていました。

ウグイスの声は優雅ですが、ヨシキリは単調で、時にはいらだつような気ぜわしさ
があります。

そのウグイスも私の聞きはじめの頃は、谷渡りというのか、抑揚のある息の長い歌
い方をするものがたくさんいましたが、近ごろは無精者が多くなったのか、段々短
くなって、中には「ホーケキョ」だけでごまかしてしまうものが増えたような気が
します。

ウグイスの世界でも基本をしっかり勉強しないような若者が増えたのでしょうか、
テレビのおかげで、コマギレ芸や素人芸ですましてしまう近ごろのタレントのよう
なことになってしまったのかも知れません。

最近知ったことですが、このヨシキリもウグイスも、驚いたことに同じウグイス科
の所属ということでした。どこが似ているのでしょう?

先頃、四国の釣場で、私は久しぶりにヒバリの声を聞きました。春もうらら、何年
も前から失っていた野づりの楽しさの一つが甦ってきたような一と時でした。

又、関東では既に話に聞くだけになってしまったようなトンビを関西の釣場では、
まだ時々見かけることができます。
ぴー、ヒョロヒョロを初めて聞いた時「ああ、トンビだ」と空を仰ぎました。見る
とはるか上空をゆっくり大きく輪を描いているのです。
ピー、ヒョロ、ヒョロ。いかにも長閑な鳴き声でした。

するとアッと思う間に、釣場の水面スレスレまで急降下して来てバサッと羽ばたい
たかと思うと、サッと上空へ舞い上がって行きました。水面に浮かんだ小魚を捕え
たのでしょう。あんな高い上空から、よく下の小さな物が見えたものだと、つくづ
く感心させられました。

釣場には蛇がいます。その蛇に追われた蛙が池にのがれ出た瞬間、どこからともな
くトンビが舞い下りて来て、口にくわえて行くのを見たこともあります。 姿無き
釣場の鳥も、地上に現われた時は、仲々コワイ。
その代表がトンビです。私はその意外さに、竿を振る手を休めて、しばらく見とれ
ていました。

又、ヘラ釣場でよく見かける水鳥にカイツブリがいます。古名は鳰(にお)と言いま
す。万葉集にも出て来る鳥のはずです。引用するのが面倒臭いので止めますが、と
にかく古くから日本の湖沼に棲みついている鳥のようです。大阪府の松沢池でも、
播州の釣場でも度々見かけました。

黒っぽい、ずんぐりした鳥で首だけ出して浮かんでいたかと思うと、海女(あま)の
ように、くるッとお尻を上にして水にもぐります。そのまましばらくは浮かんで来
ません。そして思いもかけぬ方向でぽかんと浮かびます。いつも釣人からかなり離
れて沖目を泳いでいるので、その表情のほどはわかりませんが、いかにもケロッと
した澄まし顔に見えるのです。

関東の水郷あたりでは、この鳥をムグッチョと呼んでいます。水にもぐっている間
に小魚を捕えているのでしょう。浮かんでいる間より水にもぐっている間の方が長
いくらいです。

カイツブリは一羽だけというのは少なく、大がい雌雄らしき二羽が、池によっては
数羽が棲みついています。

ウキの動きに息をつめ、いっしんにヘラブナの食いを待っている視線をふと沖目に
やると、ぴょこんと浮き上ってすましこんでいるこの鳥を見かけると「のんびりや
ろうや」と呼びかけられているようで、緊張しきった心もほぐれて来ます。

処が或る時、「いつも釣人からかなり離れた沖目を泳いでいる」はずのこのカイツ
ブリが釣れたことがありました。数年前の私達のクラブの9月例会が堺市の「アミ
ダ池」で挙行された時、I氏が思わず釣ってしまったのです。

 アミダ池には2、3羽のカイツブリがいて例によってくるッと水にもぐったかと思
うと、思わぬところにぽかんと浮かんだりして愛嬌をふりまいていましたが、突然本
堤近くに並んでいたクラブ員が総立ちとなって「すごいゾ、すごいゾ」と騒ぎ立てま
した。

見ると一羽のカイツブリがハリ掛かりしているのです。竿はきゅうッと引きしぼら
れています。カイツブリはバタバタと必死です。
しかし、釣人の上手い竿捌き?で、ようやく岸に引き寄せられて、とうとう釣り上
げられてしまいました。子供のカイツブリでした。

マッシュエサに寄った小魚を追って、子供のことだ、夢中になって岸近くまでもぐ
っている内に、マッシュの中のハリにひっかけられてしまったのでしょう。
「だからいつも注意してたでしョ、釣人の傍までもぐって行ってはいけないッて・・・
・(原文は半角)」と、お母さんカイツブリの嘆きの声が聞こえてくるような一と幕でした。
                           [転載・峯山信行]

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 『新野べら釣り』(「釣の友」社刊) 一之江鮒夫・著
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■第1章 体験的へら釣り談義(8)

(8)『フナを襲うアヒル』

またアヒルのいる池もあります。池畔に飼主がいて、放し飼いされているので、こ
の方は大分人慣れしています。
2、3年前、伊丹市の緑ケ(原文は半角)丘公園の池にも数羽のアヒルが放し飼いされていまし
た。

釣人がやって来るとお尻をふりふり近寄って来ます。パン屑のようなものをほおり
投げると争ってパクパクと食べます。マッシュエサが大好物でそれを手にのせてつ
き出すと、まるで小犬のように巧みにパクリと口へ入れ、後をねだって傍から離れ
ようとしません。立ち上ってこちらが歩くと、ヨチヨチとその後を追いかけるよう
について来ます。アヒルがこんなにまで人慣れして愛嬌がある鳥とは、それまでの
私は知りませんでした。

平荘湖(加古川市郊外にある平野地のダム湖で、個人釣りは黙認されているが、団
体釣りは禁止されている)にもアヒルがいました。

或る夏、この湖で釣りをしていた時、私達の釣っている傍にかなり大きな
白ッぽい2羽のアヒルがやって来ました。北岸の「少年の家」で飼われているらし
く、西岸で釣っていた私達の所までは、少なくとも1km以上の距離でしたが、そんな
遠くまで泳いで来たのです。湖上を岸寄りにゆっくり泳いで、点々と並んで竿を振っ
ている釣人の近くに来ると、ちょッと岸へ上って小休止しています。

そして横目でチラッ、チラッとこっちを見ているのです。どうやらマッシュエサが
ふり落ちて来るのを待っている風なのです。試しに丸めたエサをほおり投げてやる
と。びっくりするような敏捷な動作で、水中に沈みかけたエサをたくみにパクッと
やるのです。

アヒルとしてはかなり大きい方がオスらしく、それより一回り小さい方がメスのよ
うでした。

ところが、このオスは大へん我侭で、エサが落ちて来ると、体力にモノをいわせて
みんな自分だけがパク、パクと独り占めして、最愛のはずのメスの方に譲ってやろ
うとはしません。そこで私は出来るだけメスの方へマッシュを放り投げるようにし
てやりました。

しかし、エサが飛んで来る内は、その釣人の傍を動こうとしませんが、もうそれが
終りとわかると、大きい方がゆっくり泳ぎはじめ、そのすぐ後をメスらしき方がぴ
ったり後について行きます。そして釣人の竿先からかなり離れた沖目を泳いで、次
の釣人の近くの岸にたどりついて、再びじッとエサの飛んで来るのを待っていま
す。

釣人の竿振りの邪魔にならぬよう大回りして泳ぐあたり、平荘湖のアヒルは仲々心
得たものだと思いました。

ところがこのアヒル、愛嬌者とばかり思っていましたが、とんだしたたか者であっ
たことが後で判りました。

突然、バシャ、バシャというはげしい音がしました。見ると今まで私達のエサのお
こぼればかりを待っていたものと思っていた2羽のアヒルが、入り乱れて何かに襲
いかかっているのです。

オスの方が頭をふりふり横ぐわえしているのは、何と24〜25cmぐらいのヘラブナな
のです。尻っ尾の方をメスがくわえて、ひきちぎるようにひっぱりっこしていま
す。皮が破れ肉が食いちぎられます。ヘラブナはそれでも時々ピクピク動いていま
したが、見る間に半身が裂かれ、骨があらわれて来ました。凄惨でした。

そのうち25cm級のヘラブナは彼等には手に余ったのか、魚体の半分をつつき終わる
と、そのまま何事もなかったような顔でオスがゆっくり泳ぎはじめると、メスがそ
の後について、いつか私達の視界から遠去かってしまいました。後は骨が露になっ
た、もう死骸となってしまったヘラブナが水面に漂っているだけでした。

平和そのもののようなアヒルに、こんな残酷な一面があろうとは思いもよらぬこと
でした。


徳島の正法寺川にも白い大きなガチョウと茶褐色のアヒルがいたことがあります。
河畔の喫茶店で放し飼いしていた鳥です。初め雌雄のガチョウを飼っていたのを、
いつの間にかメスの方がいなくなって、その時はオス1羽だけで、代りにアヒルが
1羽いました。

独りっきりになってしまったガチョウは、もう何日も前からいなくなった妻の姿を
探し求めて「ガア、ガア」と悲しそうに鳴きながら、喫茶店前の正法寺川を往った
り来たりしていました。

しかし、このガチョウも心得たもので、決して釣人の竿振りの邪魔はしないので
す。沖目を泳ぎながら、私達から見えなくなる所まで行き、また正法寺川へ流れこ
む上流にまで「ガア、ガア」と探し回っています

その内、鳴き声がやんで静かに泳ぎ帰って来ました。見るとその後から茶褐色のア
ヒルがついて来ていました。妻君のガチョウのつもりなのか、或いは自分の子供と
でも思っているのか、アヒルのついて来ている間は、たいへんおとなしくなって、
ゆっくり川筋を泳ぎ回ったり、立ち止まって私達の釣りぶりを眺めているようでし
た。

ところがこの小さい方のアヒル君は、仲々のいたずら者で、おとなしくガチョウの
後についていたかと思うと、時々雲がくれしてしまうのです。ふり返ってアヒルが
いなくなったのを知ると、ガチョウは再び「ガア、ガア」と何とも言えない悲しそ
うな声で鳴きはじめます。

自分を呼んでいることを承知しているはずなのに、こっそりガチョウから離れたア
ヒルは橋の下などをチョコチョコと遊び歩いたり、葦の葉陰にかくれひそんだりし
て、ガチョウの亭主づらや親面がうっとうしいといった風で、「私の好きにさせて
・・・・」と言っているかのようなのです。

日が落ちかかって、喫茶店の下の塒(ねぐら)の傍に立ったガチョウは、まだ現れて
来ないアヒルを呼んで、いつまでも川に向かって、「ガア、ガア」と鳴き続けてい
ます。あたかも妻か恋人を呼び求めているような、せつなそうなガチョウの姿は、
夕陽の中で何とも哀れでした。
                            [転載・峯山信行]

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■第1章 体験的へら釣り談義(9)

(9)『孤独のサギ』

淋しそうな鳥の姿は、数年前の北陸の柴山潟でも見たことがあります。

その日は、夜行で柴山潟へ着き、夜の白々明けから午後4時頃まで釣っていたの
で、早めに切り上げ片山津の旅館へ落ち着きました。片山津の大半の旅館は柴山潟
沿いに建っていて、旅館の裏庭から竿を出すことも出来ます。

湖遊びの客もめっきり減った秋も半ばを過ぎた頃でした。

部屋の窓を開けると眼下に柴山潟が展望出来ました。北陸特有の鉛色の空の下に、
白々と潟の水が静かに広がっていました。見渡す限り人影もなく、湖上には一そう
の小舟も浮かんでいませんでした。そこには、どこか荒涼とした昔ながらの潟のた
たずまいがありました。

灰色に煙った潟の中ほどに、ぽつんと杭のようなものが立っていて、水面からほん
の少し顔を出しています。その先に鳥が一羽とまっていて、じーッとしていまし
た。

「サギみたいね」同伴の妻君が言いました。どこか黒っぽく見える鳥でした。ゴイサ
ギというのでしょうか。湖の真ん中に、身動き一つせず、まるで作り物のように動か
ないのです。

仲間にはぐれてしまったのでしょうか、どこから来たのでしょう。はるかの地から
来て、知らぬ湖の中に独り取り残されてしまったのでしょうか。

刻々と暮れて行くしょうじょうとした風景の中で、一羽のサギはいつまでも動こう
としません。去って行った夫を待ちつづけているような、何ともいえない寂寥を伴
った姿でした。

その時の孤独の淋しさに耐え続けているようなサギの姿は、数年後の今日になって
も、私の心の中に、暮色の中の一つの黒点となって未だに消えずに残っています。
                            [転載・峯山信行]

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■第1章 体験的へら釣り談義(10)

(10)『釣場の蛇』

 冬が過ぎて春から先になると釣場には蛇が出回り始めます。あまり気持ちの
よい動物ではありません。しかし、ヘラ釣場には蛇は付き物らしく、一日に一
度は大がいお目にかかります。

 中には鎌首をもたげて、水面をスイスイと渡って来るヤツがいます。蛇とい
うヤツは人懐っこいのか、釣人を見ると、こっちへ向かうようにやって来るの
がいます。こちらが狙われているみたいで気味が悪い−。

 方向転換させるつもりで玉網を差し出すと、どういう了見か、自らすすんで
玉網めがけて、するッと入り込んでしまうのがいるのです。こっちは慌てて、
そのまま玉網を返して、入った蛇を地上にほおり投げます。

 さて、玉網を出すと、それを目がけてやって来るのは、どういうわけでしょ
う? 玉網に魚の臭いがついていて、その臭いに誘われるからであろうと言う
人がいます。

 或る時、灌木の間から竿を振っていたら目の前の小枝が少し動いたようなの
で、注意して見たら何とそれが枯れ枝色をした蛇でした。まるで灌木の枝のよ
うにじっとして動きません。5、6分経って見返しても同じ位置にじっとして
います。小さな目で、こッちをしげしげと見ている格好なのです。

 僅か小枝と違うのは、先端からチラチラと赤い舌を出しているだけでした。
よく見ると仲々やさしそうな目をしています。

 どうやら敵対意識は無さそうです。もともと蛇が好きな方ではない私でした
が、よく見ると、蛇もそれ程憎らしい動物ではないナと思われて来ました。

 けれどマムシはこわいです。関東の釣場ではマムシの話はあまり聞いたこと
はありませんでしたが、関西へ来てから、マムシがいそうな釣場へは長靴をは
いて行かないと危ないと聞かされてから、なお一そうこわくなりました。

 3、4年前、京都の大野ダムで例会があった時、終了後に人だかりがしてい
るので覗いてみたら、頭のつぶれた30cmくらいのマムシが一匹転がっていま
した。銭形のウロコが付いているので正に本物です。私はそれまで漢方薬の蛇
屋の店頭でしか見たことがありませんでした。

 これを捕ったのは丹波出身のMさんだと言うのです。

 Mさんは「釣場へ入るため叢を分けて行ったら、こいつがいたので、傍の小
枝を折って、頭部を押さえつけて、頭をつぶして殺した」と事もなげに言うの
です。

 Mさんという人は、話しぶりも立居振舞いも釣り振りとは反対に、のんびり
派のトップとしてもクラブでも定評のある人です。話に誇張もなく、淡々とし
ているだけに、その勇気のほどに私は人一倍の敬意を払いました。

「よく頭を押さえられるまで、マムシはじっとしていましたね」
「マムシって、そんなヤツですヨ」
「コワイことはないですか」
「マムシって危いんです(コワイとは言いませんでした)。危ないから見つけ
たら必ず殺しておくんですよ」

 と、Mさんはケロリとして眼をシバシバとさせました。

 私は驚嘆してMさんの顔をしげしげと仰ぎ見ました。Mさんは釣りも上手い
のがエライ人です。

 後で、このマムシのお腹を割いたら、親そっくりのマムシの子が胎内から出
て来ました。マムシって何とも気味のわるいヤツです。
                        tensai.gif (357 バイト)

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 『新野べら釣り』(「釣の友」社刊) 一之江鮒夫・著
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■第1章 体験的へら釣り談義(11)

(11)『ヘラ釣場のケモノ』

 丹波路を少し奥へ進むとまだイタチなどが、私達の行く手にチョコチョコと
現われ、こッちをふり向いて、からかい気味にちょっと立ち止まったりするの
に出会うことがあります。極く稀れにはキジが農道をピョン、ピョンと歩いて
いるのを見たこともあります。

 夜になるとまだキツネやタヌキも出没します。大阪の福島野べら会の小川順
三氏は、ヘラのナイター釣りが好きです。シーズンになると、宝塚の自宅から
車で小1時間の丹波路のヘラ釣場で、30cm級を10尾も20尾も釣っていま
す。

 数年前の話です。或る夏の夜、三田市郊外の相野付近の小池で小川氏が独り
でナイター釣りをやっていました。何尾か釣ってフラシに入れて、深夜、つい
疲れてウトウトしてしまいました。さて、眠気を払って再び釣りにとりかかり
始めたところ、何とフラシが見当りません。たしか何尾か入れておいたはず、
ウトウトとしたけれど傍に人の来た気配はなかったのです。

 ヘンだナと周りを探し始めたら、はるか離れた所でゴソゴソという音がしま
した。何だろうと、独りぽっちでナイターをやろうというくらい気丈な小川氏
です。偵察に行くと、犬にしては太くて長い尻っ尾のキツネがガサガサと逃げ
て行く姿が懐中電灯に照されて、その跡には見つからなかったフラシが置いて
あったというのです。

 思うにコン助君が魚の匂いにひかされて、こっそりフラシをくわえて持ちは
こんで行ったのでしょう。釣人の魚を失敬するのにフラシごと運ぶ手口は、ど
うやらこのキツネ、初犯ではなさそうです。

 その小川氏に
「タヌキに逢ったことはありませんか?」と聞くと
「こっちの方は度々です」と言うのです。

 小川氏がナイター釣りで最も御得意の釣場は、千刈の貯水池です。(現在は
釣り禁止となった)。波豆川の清之瀬橋からダムサイト寄りへ200〜300
mも奥へ入った所。

 雑草をかき分け、立木をくぐり、道なき道を行くので体力旺盛の小川氏です
ら一と汗かくポイントだと言います。さすがここまで入りこむ釣人の数は少な
い秘境です。

 深々と夜が更けます。時には二、三の釣友を誘うこともあるそうですが、多
くは小川氏独りッきりです。

 無心に竿を振っていると、マッシュエサがときどき減るのに気がついたそう
です。背後に何やら気配がするので、ライトを向けると、闇の中に小さな動物
がじいっとうずくまっていて、二ツの目だけが光っています。逃げ出さないの
です。タヌ公だと判りました。大分人慣れしていて、1〜2mもの近くにまで
寄って来ているのです。こいつがマッシュエサを盗み取りしていたのです。

 それからナイター釣りの度に気をつけていると、度々タヌ公が傍へやって来
ているのを見たと小川氏は言いました。

 処が上には上がいました。元ヘラ研阪神クラブの西村一大氏と言えば、ヘラ
釣師の中では名手として知られていますが、岐阜県の釣場で狸に抱きつかれた
ことがあると言うのです。真夜中、ゴソゴソするのでライトを向けたら、よほ
ど驚いたのでしょう。パッと両手を開いて、西村氏に抱きついてきたというの
です。
ff
 或いは流行のチョビ髭を生やしている西村氏を、まさか同類と思ったわけで
もないでしょうが、西村氏もすっかり仰天して、棒でその狸をめった打ちにし
て、とうとう殺してしまったというのです。

「その死骸は?」と聞くと
「仲間と狸汁にして食べてしまった」
「タヌキ汁ねェ……」私は感にたえて、思わず西村氏を畏敬の目で見上げまし
た。
「ちょッと臭味があったけどうまかったですヨ」と西村氏はすましています。

 猛者です。氏は元自衛隊の勇士なのです。なるほど…。
                        tensai.gif (357 バイト)

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■第1章 体験的へら釣り談義(12)

(12)『神竜湖の野猿』

 釣場のケモノ達の中で、やはり最も人間臭いのはおサルさんです。

 広島、岡山、島根の県境に神竜湖(土地の人は「しんりゅうこ」という)が
あります。周囲24km、全長8km、両岸は直立した岸壁が迫って、曲折のある
幅80〜100mの帯状の人造湖です。ダムの下流6kmの下帝釈峡には鍾乳洞
などもあり、観光道も出来ていて、キャンプ場等もあります。

 この湖でヘラが釣れます。放流は昭和35年頃と言われています。他の山上
湖とちがって水の透明度はやや低く、平野地の小川のような鈍い緑色をしてい
ます。いかにも栄養の豊かさを思わせる水色です。そのためか、ここのヘラは
ぐッと肩の盛り上がった感じの体高のある典型的なヘラです。

 この湖には鯉や鱒も放流されましたが、特にヘラブナは順調に育ち、繁殖し、
35cm〜40cmの大型が、地合の良い時には20〜30kgも釣れるので、ここ
10年近くから有名になった釣場です。

 釣期は春から晩秋までで、岡釣り可能な場所は少なく、すべてボート釣りに
なりますが、谷間から見上げる崖の上には樹木が繁茂していて、秋紅葉の頃に
は類がないほど素晴らしい景観となります。そうです、私は神竜湖に勝る景観
のヘラ釣場を未だ知らないくらいです。

 満水時には立木にロープをつないで舟を止めることが出来ますが、減水時に
は、この岸壁にロープをかけたりしなければなりませんので、河岸(かし)づ
けには一と苦労させられます。

 水深20〜30m、岸からがっくり深くなっています。ここを盛期にはウキ
下1m半から2m前後で宙釣りします。宙に魚が浮いて来るような時は、4m
前後の短竿でも充分間に合います。

 観光地のことで観光船の往来がうるさいのが欠点ですが船のガイドさんが神
竜湖のヘラブナ釣りを乗客に説明しているほどで、釣人の邪魔にならぬよう沖
目を走っています。

 マブナも多いところです。大型ハスも釣れ、また尺近いウグイが入れ食いに
なったりすることがあります。こんな時にはあまりヘラは釣れません。ダム湖
の常で雨や風などちょっとした気温の変化で好不調が極端に分れます。

 打ち込んだウキの周辺に真ッ黒になるほどヘラが群れたかと思うと、翌日パ
ッタリ食い渋り、ウキがなじむ間もない程ハスやウグイばかりのアタリとなる
ことがあるので、ここまで遠征したら1日だけの釣行では、運が悪いとヘラ釣
りがウグイ釣りに化けたりするおそれもあります。せめて2日連続したら、そ
の内の1日は10kg近くの釣りも可能な釣場です。

 前日大雨で翌日すっかりヘラが食い渋った時に出かけた時がありました。ウ
ソのように晴れ上がった好天の日で、絶好の釣り日和でしたが、ウグイばかり
が釣れました。雨の前にヘラが20kgも釣れたポイントへ入ってもマブナかウ
グイばかりでした。

 私は疲れて、ウキを見る目を離してふと崖上に向けたら、木立の陰に岸壁の
色に似ていたせいか、それまで気がつかなかった小動物がいるのが見えました。
よく見ると野猿どもです。

 いました、いました。あちらにも、こちらにも。みんな真ッ赤な顔をしてい
ます。5、6匹、体を寄せ合って、のんびりこっちを見ているのもいます。崖
上にいるので、こちらを見下す格好になっています。

「今日はヘラは釣れないね」
「あっちの釣師は下手糞だナ」
 などと囁き合っている風なのです。

 細長い帯状の底で釣っている釣人は、何だかオリの中にいるみたいで、エテ
公達の方が動物園へ出かけた人間の真似をして、一族共がこちらの生態を観察
しているかのようにも見えるのです。時々小首をかしげたりして、私たちの竿
の振り具合をあきずに見ているのです。

 神竜湖は素晴らしい渓谷美の観光地ですが、野猿共にとっては、人間を放し
飼いにした自然動物園であるのかも知れません。それほど沢山の真ッ赤な顔の
エテ公達が崖上に姿を現す珍しいヘラ釣場でした。
                        tensai.gif (357 バイト)

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■第1章 体験的へら釣り談義(13)

(13)『泣き尺』

 誰しも釣った魚は大きく思えるものです。さて、実寸を計ってみると尺(3
0cm)に僅か1、2分足りません。残念! 口惜しい。

 そんな大きさのヘラブナを、仲間うちでは「泣き尺」などと言っています。
仲々うまい表現です。ユーモラスでさえもあります。

 尺ブナと言えば、昔から大型の一応の目安でありました。5、6寸を小ベラ、
7、8寸は中型、尺ブナとなると仲々釣れません。1尺はほぼ30cmなのです
が、これを越したものをヘラ釣師は尺上(シャクガミ)などと言っています。

 マブナ釣りとちがって野ベラ釣りの歴史はそれほど古くはありません。若い
釣人が多いはずなのに、一部にまだ尺貫法が使われていることはどういうこと
なのでしょう。竿の長さにしても4mを丈三(十三尺)、4.5mを二間半ま
たは丈五(十五尺)などと言います。

 メートル法で教育されたはずの若者達までが、ヘラに入門して半年も経つと
「18尺(5.5m竿)でタナ五尺で打ちこみ、尺上5枚上げた」などと言っ
ているのです。

 偏平な魚体を持っているヘラブナは何尾と数えるより、何枚の方が何かぴっ
たりします。尺貫法もそんな類いの使い方で、「3.6m竿で31cmを釣った」
と言うより「丈二で尺上を釣った」の方が感覚的にどこか迫力があるように思
えるのかも知れません。

 いわば一種の方言、そう思えばわかるような気がします。仲間意識の高揚、
よく言えば専門的慣用語なのでしょう。

 テレビ仲間がアップで撮れとか、カメラで「ヘソをなめろ」とか門外漢には
全くわからぬ隠語めいた用語を使っているのと同じ類いなのでしょう。(もっ
とも釣師用語では、アタリ、アワセ、地合をはじめカケアガリ、フラシなど、
この種の単語はかなり多いのです)。

 モヤ、モヤ、ツンといったウキの動きの表現にしても、門外漢には全くチン
プンカンプンでも、ヘラブナ釣師にとっては、ぞくぞくするようなぴったりの
表現なのです。

 ところで「泣き尺」ですが、この計数的なものが泣き笑いの対象になるのは、
多分に合理的な追求癖による近ごろのヘラブナ釣りの記録的実証性なるものが
大いに関係しているように思われます。

 もともと釣りは孤独の愉楽であって、個人個人の感じ方が元になっているも
のだと思いますが、これが社会の場に広げられると、自己主張欲が働いてつい
誇張されたコミュニケーションが行われるものです。

 釣人の天狗話というヤツです。これは洋の東西を問わないようです。外国で
はホラ話のことを「フィッシャーマンストーリー」というそうです。

 30cmのヘラブナが、年が経つにつれ、いつか40cmに成長したり、20尾
釣った話も人に伝わる時には30尾になり、ときには50尾にまで数が増えた
りすることなどはザラです。

 世間ではこんなウソがまかり通ったら大へんなことになりますが、このため
御当人がトクをしたり、他人様がソンをしたりすることがないところに天狗話
の御愛嬌があります。

 さて、釣りが人間の生産手段の一つであったのが、社会的文化的に昇華され
て、今日では私達の生活の彩りとなってきました。趣味として成長し、同好の
仲間が生まれ、そこに一つの社会が形成されます。そして現代のような実証的
な社会では、もう個人的な感じ方での大釣りや大型などというバクとした自己
誇示は通用しなくなったのです。

 他人との比較において、それはどのように大釣りであり大型であったか? 
ということになるのです。ことに食べるための魚獲ではなく、釣るだけを楽し
む釣りであり、しかも釣った魚は再び放流する習慣のついているヘラブナ釣り
では、それは何kgの大釣りであり、何cmの大型であったかの記録が誇示のネタ
になるのであります。

 競技会(そのあり方の是非はともかく)が盛んなヘラブナ釣りの仲間の間で
は、常に何cm、何gの差で天狗の鼻ののばしっこをしています。こうなると計
数的記録が生き物となって、一喜一憂の対象となるのです。……つまり「泣き
尺」は、大型の基準記録に追いつかなかった嘆きの長さなのです。
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 『新野べら釣り』(「釣の友」社刊) 一之江鮒夫・著
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■第1章 体験的へら釣り談義(14)

(14)『何だマブナか』

 最近野ベラ釣りに入門した若い人にその動機を聞いてみたら「カッコいいか
ら」と答えました。

 ……一本の細くしなやかな長い竿をスマートに振って、すッと合わせると、
ぐッと竿がしなって円を描く。瞬時止まったかと思われる竿の動きも、したた
かな魚の引きに耐え、あんなに細い竿のどこにあのようなバネ力がひそんでい
るのでしょう。

 円になった竿が半円にしぼられる、魚の口が水面に現われて来ます。そのま
ま水面をすべらせるように魚を引き寄せ、片手に持った玉網の中へ落としこむ
ようにして釣り上げます。……カッコいい……。

 釣服もカラフルです。棧橋の片隅でアグラをかいて、うずくまるように、じ
っとウキを見つめている釣池の釣りの野暮ったさがありません。陽除けのフィ
ッシングパラソルも、自然の中で大輪の花が咲いたようです。

 入門早々はマブナが釣れてもビクに入れます。まして40cmぐらいのコイが
かかろうものなら大へんです。コイだ、コイだと大騒ぎします。それが1、2
年もすると「何だ、マブナか……」と聞こえよがしに言ってビクに入れずに逃
がしたりしています。コイが釣れても「何だ、おヒゲさんか」とニコリともし
ないのです。……これもカッコいいというのですが……。

 もともと釣人は目的以外の魚が釣れても、外道と言ってあまり喜ばない風が
あります。ヤマベ(ハス)釣りにウグイがかかっても面白くないし、コイが目
的の時にヘラがかかれば何だ、ヘラかということになります。

 ハゼが釣れるような場所では、イナも泳いでいるし、セイゴが釣れることも
あります。釣手の方ではハゼだけを釣るつもりでいてもエサが同じならメゴチ
も釣れるし、間々セイゴも釣れるのです。魚の方ではそんな釣手の意向などは
かまってはいません。

 魚品の上から言えば、ハゼよりセイゴの方が上等なんですが、少し釣りに慣
れてくると、それはそれほど嬉しくはないものなのです。それは釣り慣れるこ
とで釣れた魚なら何でも喜ぶ純心さが失われてしまったことなのでしょうか。

 実は底棲魚のハゼを釣るシカケに、つまり釣り手の意図に反して中層魚のセ
イゴがかかったからなのです。釣り方がおかしかったのではないかナという反
省と共に、釣技のコケンにかかわるといったところがあるからなのでしょう。

 ヘラブナ釣りの場合でも、同じ水域にはウグイもおればナマズもいます。コ
イやレン魚となると竿をしぼりこむような強い引きを見せるのです。ことに近
ごろのマブナは、底近くを遊泳しているはずなのですが、ヘラブナ釣りのエサ
に誘われて宙層に浮いて来ることが多くなって、場所によってはヘラよりマブ
ナの方が多く釣れたりすることがあるのです。

 みんな外道なのです。嬉しくはないのです。ヘラ釣りの邪魔物なのです。む
ろんビクには入れません。……だけならいいが、中には20cmのマブナ、12
〜13cmのハスでさえ目の敵にして、地面へ叩きつけたりする者もいるとなる
と、これは行きすぎでありましょう。

 同じ場所でマブナを専門に釣っている人もいます。ハス釣りに血道を上げて
いる人もいます。その中で「何だ、マブナか……」と小馬鹿にしたような言い
草は、何とも鼻もちならないことになるのです。

 ヘラブナ釣りはカッコいい、面白さの奥が深いと自負するのはいいのですが、
他の魚を、その釣手を軽んじたりするのは、外道を嫌うあまり、釣りの邪道に
ふみこんだとしか言いようがありません。

 ヘラブナ釣りは魚獲だけを目的としません。(魚は持ち帰らない)釣るだけ
を楽しみます。又その過程を考える釣りであります。(ヘラ鮒の同好会が、ヘ
ラ鮒釣研究会などという名称を使いたがるのもそんなところにあります)。そ
れだけに人間臭く、私はこれをヘラブナ釣りの現代性だと思っています。

 自然の中から生き物を抜き上げる魅力に、この考えて釣る要素が加わって、
ヘラブナ釣りはここ20年ぐらいの間に全国に普及しました。現代的な新しさ
が釣人をひきつけているのです。

 考える釣りであるだけに、ヘラブナ釣りぐらい類は友を呼ぶ釣りはないよう
に思います。他の種目の釣りの会に比べて、ヘラブナの会は圧倒的に多いよう
です。そこでは例会という名で、ほとんどの会が競技会を開いています。

 ヘラブナ専門の競技会である以上は、他の魚はすべて外道なのです。ことに
同族であるだけに半ベラ(合ベラ)やマブナを目の敵にします。その悪い影響
が尾を引いて、普段の釣行の場合でも、マブナが釣れたりすると、つい「何だ、
マブナか……」ということになり、いらだたしげに「チクショウ」などと罪と
がも無い魚を地面にほおり投げたりするヘラブナ釣師がいたりします。

 なるほど盛んに競技会が行われることで、ヘラファンが急増したことも確か
ですが、反面、釣りの心がそこなわれつつあることも事実であるように私は思
っています。
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 『新野べら釣り』(「釣の友」社刊) 一之江鮒夫・著
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■第1章 体験的へら釣り談義(15)

(15)『競技会の面白さ』

 かつてヘラブナは「ゲームフィシュとして格好な魚である」と言って新しが
った人がいました。釣った魚は放流し、養殖によって補給も可能であった頃は
そんな一面もあったかも知れませんが、穴あき病のまん延や環境汚染の結果か
ら魚が減少するばかりの現状からは、それはとんでもない説になりつつありま
す。私はヘラブナ釣りはゲームとして楽しむことも出来、又スポーティなとこ
ろもありますが、あくまでパチンコ遊技とは違うものですし、陸上競技等のそ
れらとも根本的に違うものだと思っています。

 競技会があってヘラブナ釣りがあるのではなくて、ヘラブナ釣りを楽しむ一
つの方法として競技会があるのではないでしょうか。

 同好のものが何人かで釣行したときなど、その結果を比べあい競い合いたく
なるのが人情の常のようです。競技会ではそんな天狗の鼻を、もっと沢山の人
前でのばしっこ出来るのです。私の経験から言っても競技会を行わない例会で
は人の集まりも少ないもので、会としては競技会を開けば人も集まるし、それ
をもとに組織化が手っ取り早いので、やはり競技会中心となってしまいます。

 ヘラブナ釣りの競技会では、ヘラブナのみをいかに量多く釣るか、或いは大
型を競い合うわけですが、競技である以上一定のルールを設けなければなりま
せんが、何しろ釣りのことです、他のスポーツのように全く同一条件というこ
とがそもそも無理なので、多くは開始と終了時間を決め、マブナやコイ、半ベ
ラ等の外道は除いて、一本竿、生エサの使用禁止ぐらいのことで、条件のちが
うポイント選びも自由なら、竿の長短も自由ということで行っていることが多
いようです。

 何と言っても釣果の大半はポイントによって左右されます。つまり運です。
誰にだって他より優位につくチャンスはあるだけに、「勝って来るゾと勇まし
く」ほどではなくとも、それぞれ今日こそはの意気込みでやって来ます。

 しかし時間がきて、検量や検寸が終わると、集まった内の誰か一人が優勝し、
そして多くの仲間はそれから外れることになるのです。

 釣人はよほどのひねくれ者でない限り、「釣りが上手い」と言われたいもの
なのです。「貴女は美人だ」と言われて喜ばない女がいないのと同じことです。
競技会の上位者は、釣りが上手なことが実証されたのです。かなり無口な人も、
その日は声も弾んで饒舌になります。その反面、下位者は心ならずも上位者に
拍手を送りながら何とも言えぬ惨めな気持ちにさせられているのです。競技開
始前のハツラツさがすっかりしぼんでショボンとしています。

 「何しろ景品を持って帰らないと、子供に笑われるんだヨ」と等外になった
釣友が淋しそうに言ったことがあります。「それだけだったら、途中で何か買
って、包紙に何等賞とか書いて帰ったらいいじゃないの」と言ったら「それじ
ゃ自分の気持ちがすまないヨ」と言うのです。どうせタカの知れた賞品なのだ
けれど、帰りをいそいそと出迎えてくれた妻君に、自慢するものが全く無いと
いうことは、日頃の天狗話の手前、まことに面目次第もないのだと言う者もい
ました。

 こうして悲喜こもごも例会は終わるわけですが、結構天狗話、愚痴話を語り
合うことでお互いにつき合いの機会が作れるし、又そういう集まりに出たこと
で、釣技の方も独りで釣っている時より上達も早くなります。

 このように競技会は、釣りを通じて仲間同士の心の交流の場(いわゆる会員
相互の親睦)ともなり、ルールを守ることで釣りのマナーを学ぶ場所ともなり
ますが、しかし、これにこだわりすぎると、釣りの心を失ってしまうようなこ
とになってしまうことがあります。
                        [転載・清水 健一]

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 『新野べら釣り』(「釣の友」社刊) 一之江鮒夫・著
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■第1章 体験的へら釣り談義(16)

(16)『競技会のあり方』

 釣りである以上、誰しも釣らないことにはお話になりません。釣れなけばれ、
どんな理由をつけようとも、実は面白くないものなのです。

 ところが競技会となると、それだけではすみません。10尾釣って満足してい
ても、他にそれ以上釣っている者がいたら、とたんに惨めな気持ちにさせられ
るのです。

 故山下糸竿氏の「少なく釣って多く楽しむ」−−たとえ釣果は少なくても釣
りの楽しみは豊かに持とうと言う意味でしょう−−などはケシ飛んで、競技会
では何が何でも釣りたいと思うようになります。そしてそこにあるのは勝つか
負けるかだけになってしまいます。競技会を楽しみの場にするのではなくて、
人間くさい競争の場にしてしまうのです。

 人を押しのけるようにしてポイントを占領する。釣れている人の間に割り込
む。先陣争いのため田畑をふみ荒らす。少しでも先へ出るために水中に立ちこ
む。魚をひっかけるように釣りまくる。釣味などどうでもよろしい。他人のこ
となどかまっておれない。先着者にかまわず、どぼん、どぼんと藻刈器を打ち
こむ。人が二間半(4.5m)なら三間、三間(5.4m)なら三間半 (6.3m)と、
人より先を狙う。食事もろくろくとらず、用便にたつ時間も切りつめて、血眼
になって勝ち負けを争う。こうなると競技会参加者は、みんな釣りの敵になっ
てしまうのです。釣りの仲間ではありません。

 トラブルが生じた時毎に新たにルールを加え、規準を細かく決めたところで、
この争いの心が残っている限り、競技会はヘラブナ釣りの楽しみ方の一つの方
法にはなりません。

 魚が減少するばかりの釣場です。釣り上げた魚は生かして、再び水に戻して、
その減少を少しでも防ごうとしているのが、近ごろのヘラブナ釣りなのです。

 勝負を争う競技会では魚の扱いも乱暴になりがちです。ウロコのとれた魚は
弱いものなのです。ことに暖期になると、フラシに入れたまま検量場所まで持
ち運びすると、ほとんどが半死半生になってしまって、それを放流しても、腹
を返したまま漂っているのを、私達は度々現場で見ている通りです。

 競技会が度々催される釣場は、たちまち釣り荒れてしまい、釣れない釣場と
なってしまうことも周知の通りです。

 競技会のあり方を、このへんで考えてみなければならない時が、もう来てい
るように私には思えるのです。

 魚の少ないはずの関東で、依然として15cm以下の小ベラまで含めた総重量で
順位を決めているのはどういうことなのでしょうか。

 この点、関西地方の競技のやり方がすすんでいて、1尾長寸とか2尾合計の
長寸で順位を決めています。総重量にしても15cm以上の5枚以内とかにしぼっ
て、少しでも魚を損傷しないようにとルールを決めている会が多いようです。

 競技会は必ずしも30年来の変わらぬ形式を踏襲せねばならぬということはあ
りません。例えば競技時間を短縮したって順位は決められましょう。

 競技会はいわゆるウデの見せ場でもなければ、ヘラブナ釣りに張り合いを加
えるためのものでもありません。私はあくまでヘラブナ釣りの御愛嬌の催しで
あると思っています。そうムキになるものではないと思っています。

 いったいに日本人はアソビが下手な民族だと言われています。狭小で心が貧
しいからなのでしょう。アソビがすぐイガミ合いになってしまう悪い癖がある
のではないでしょうか。

 もともと釣りは孤独の愉楽であって、近代的な社会が構成されるにつれ、釣
りも社会のなかで生活するようになりましたが、ことに新興の釣りであるヘラ
ブナ釣りは、常に孤独への回帰性を伴いながら、同好の仲間と共に楽しむもの
になって来ました。

 釣りを通じて同好者とのつき合いがはじまり、お互いの釣りの心を育て合う
教養が養われて来つつあります。

 釣りの会の催しの一つが競技会であって、競技会が直ちに釣りの会ではない
はずです。

 釣りの会が開く月例会は、会員相互の出会いの場所で、競技会形式は、参加
者に或る種の緊張間を与えてくれるように思います。その日の釣友は自分にとっ
ては負けてはならぬ、みんな敵なのです。同時に「憎さも憎し、懐しし」の趣
味の友なのです。

 まん然と集まった無秩序な集まりより、いっそう結びつきを強めてくれるも
のでもあります。競技会のマナーを社会の場に広げ、ヘラブナ釣りの楽しみを
より新しく、一層深くして、釣りの心が豊かに出来たとしたら、それはもっと
も新しい競技会のあり方だと思います。

 魚をいたわり、相共に楽しむ雰囲気ですすめられる例会こそ、最も新しい野
ベラ釣りの集団のそれであろうと思われます。

 おまけに競技会終了後は、釣り場の清掃を行って解散するなど何とカッコい
い例会ではないでしょうか。
                        [転載・清水 健一]

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 『新野べら釣り』(「釣の友」社刊) 一之江鮒夫・著
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■第1章 体験的へら釣り談義(17)

(17)『釣会さんのお通り』

 しかし今日では多くの釣会さんの中には、一般の釣人側からみたら、肝にす
えかねる言動を行っているムキもあるかも知れません。

 早朝、ようやく場所を見つけて竿を出していると、バタン、バタンと車がと
まって20名から40〜50名の釣会さん達がやって来ます。ガヤガヤ、ワイワイ大
へんな賑やかさです。

 その内、釣場へ解散しはじめました。気もそぞろといった風で足早です。た
ちまちこちらの釣っているのを見つけると「おーいッ、ここもふさがっている
ぞ」と遠慮がありません。まるで、こちらが先着して竿を出しているのが悪い
みたいなのです。こちらはますます小さくなって竿を振る心境にさせられます。

 中にはフラシが出ているのを見ると、すぐ近くに釣座をすえて、断り無しに
長竿をびゅうん、びゅうんと振り、静かに釣りを楽しんでいるこちらの釣りを
ぶちこわしてしまう釣会さんもいます。

 独りっきりで釣りを楽しめる釣場など、もう今日ではどこを探しての見当た
りそうもありません。それがわっていても一般の釣人が釣会さんにマユをひそ
める気持ちが私にはよくわかるのです。

 2、3年前、或る東京の釣雑誌に、こんな投書が載っているのが目につきま
した。

 「(略)人間というものは集団化すると、すべてがそうとはいいませんが、
他人の迷惑を考えぬ、粗暴な行動をとるものです。暴力団、暴走族、etc…
…釣りの団体もこれとあまり変わらぬものだといえそうな気がします。各団体
の役員の人々は、肩書きや自分の主張とはうらはらな行動をとっていることに
も気がつかないようです。

 まったく、それらの釣会の月例会、大会などになれば、釣場は占領され、他
の釣人の入りこむスキもなくなってしまうほどです。また、それらの会のたて
まえというものは、どこでもマンネリ化しています。釣りを楽しむ、釣人相互
の交流を深める……etc。

 実際には賞品をだすのだから数釣りが目的になってしまう。釣りを楽しむの
だったら、なぜ賞品をだすのか。結局はそれでなければ会員のやる気に拍車を
かけることができないからでしょう。自分達で魚の重要性、釣場の重要性など
をうったえておいて、自らその加害者になっていることです。(略)

 とにかくいいたいことは、釣りの会というものは、団体行動でいろいろなも
のを占領したりする権利はないのです。みんな入会しても、ひとりひとり別で
あるという考えをもち、たてまえのような行動がとれるようにしてもらいたい
ということです。みんな釣会というものはなんであるか、よく考えてみましょ
う」。

 投書者は高校三年生でした。

 若い眼はコワイ。まことに痛い釣会批判の言だと思いました。

            ○

 さて、私は競技会は集団でヘラブナ釣りを楽しむための一つの手段であって、
ヘラブナ釣りのすべてではないと思っています。釣りの会は競技会を行うだけ
の会ではありません。私はそう思っています。けれど競技会がヘラブナ釣りの
すべてであるといったような会がないわけではありません。

 ここに、前記した高校三年生からも批判されるような問題があります。

 「くたばれ!釣会さん」論も、釣場独占も、そこのけ、そこのけ釣会さんが
お通りだ式の集団横暴も、私はすべて「競技会がすべて」という釣りの会の運
営ぶりに問題があるのだと思います。
                        [転載・清水 健一]

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 『新野べら釣り』(「釣の友」社刊) 一之江鮒夫・著
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■第1章 体験的へら釣り談義(18)

(18)『新しいベテランさん』

 釣場もヘラブナも減少しつつあります。食べるために釣るのではないヘラブ
ナは、釣り上げた後は再び水に戻して帰るというのが、今日ではヘラブナ釣師
の常識となっていて、ほとんどの釣人がこれを実行しています。

 ここで問題になるのは、競技会の計量です。検量後すぐ放流するにしても、
一定の検量場所へ、フラシやビニール袋に魚をいれて持ち運んで来ると、とく
に夏期には魚の傷みははげしく、再び放流しても、その大半は白い腹を返した
まま水に浮かんでいます。

 水際で放流した場合はそれでも何尾か生き返りますが、足場の高い所からほ
おり投げるように放流すると、大がい斃死してしまいます。ヘラブナを放流す
るということは、生かして返すということでしょう。死んだ魚を水にほおり投
げても、それはゴミを水に棄てる所業と変わりがないことになります。

 競技会は重量釣りが本筋であるという人がいます。ベテランと言われる人の
中に多く、数釣りや重量制でないとウデがわからぬと仰言るのです。

 釣り味など構っておれない。ひっかけるようにして数釣ったものが勝ちだ。
魚の生き死にのことなど、又そんな心くばりをしていたら競技会の敗者になっ
てしまう。釣りまくられた魚にとって、そんなことがいいわけはありません。

 こういうベテランと称する人は釣場でも人を押しのけてでも釣ろうとします。
競技会で優勝することがヘラブナ釣りの面白さのすべてと思いこんでいて、そ
の手段を選ばないといったところがあります。

 釣場に慣れない新しい人から好ポイントを聞かれても、いい加減の場所を指
示して、それらの人をふりすてるようにして、独りかねてから狙った場所へい
ち早く釣座を構えます。決して本当のことは知らせません。他人も楽しみ、自
分も楽しむという心の余裕がないのです。

 「釣会さん」がその日の好場所を独占しがちのように思われるのも、そうい
う2、3のベテランさんのためです。一般の釣人の傍らで長竿を振ったり、ド
ボン、ドボンと藻刈りをして、近くの釣人に迷惑をかけるのもこういう人です。

 他人のことを考えることが社会教養の基礎です。ヘラブナ釣りは新しい釣り
です。広い社会性をもった釣りとして、急速に同好の士が増えてきました。だ
がベテランといわれる人の中にはこれを拒否する古い心の持主がまだ残ってい
ます。狭小で視野もせまい人達です。

 これらの人は、口コミ、口伝的世界の中でしか生きていません。

 そういう人は、せいぜいスポーツ紙の釣欄だけしか目を通しません。どこが
釣れているかを知りたいだけなのです。釣りの刊行物などは初心者が読むもの
と思っていて、むしろベテランになると読まないことを自慢にしているのです。

 これでは新しいヘラブナ釣りの動きに遅れをとってしまいます。いつか釣人
仲間の中でも、自己中心のガンコ者になっていることに御当人は気がついてい
ないようなのです。

 こういう古いベテランさんもいるけれど、ヘラブナ釣りのベテランといわれ
る大半は、情報の受け手で、それをしまいこんでいるような古いタイプの人は
まことに少なくなってしまいました。

 解放的で明るく、情報を受けた以上に情報を提供して、何もかも公開します。
一人でも多くがヘラブナ釣りファンになることを望み、一人でも多くにヘラブ
ナ釣りの楽しさを知らせたい、そして共々に釣りを楽しもうという心の持主が
多いのです。だからこそベテランという名に値しているような人達です。

 そういうベテランは社会秩序を守るのと同じように釣りの会の秩序を守り、
競技会の時間とルールを守り、新しい人に好ポイントを教え、問われれば釣り
方をていねいに教え、優勝したら無邪気に喜び、それを逸した時は、優勝者に
心からの拍手を送っています。

 競技会の終わった後の釣場の汚れは率先して片付け、魚はいたわるように水
に戻しています。

 こういうベテランが数多くいる釣りの会の雰囲気は明るいのです。新しい人
も目の前で、そういう人の動きをみているので、たちまちそれを見習うことで、
会の雰囲気にとけこんで来ます。名前を知る前にその人柄を知ることで、ベテ
ランへの畏敬の念を抱くのです。

 不思議なもので、こういう会に入った新人は釣技の上達も早いようです。半
年か1年もすると、とにかく釣ることだけではベテランにそれ程見劣りしなく
なります。釣りの会の雰囲気が直接の釣技にまで影響するのでしょう。

 もし、こういう釣りの会が無くなったら、この会に集まった釣人は、まとま
り無く散ってしまって、釣場には一般の釣人となってやって来るでしょう。こ
うなると無秩序で、ルール無視のてんでんバラバラの釣りがそこに展開します。

 「釣り会さん」が釣場を独占する代わりに、無秩序の群れが気ままな釣りを
行って、釣場を汚し、魚は持ち帰られ釣場は却って荒れはててしまうことにな
ります。

 私はヘラブナ釣りのマナーは、釣りの会の集まりの中で育てられて行くのが
手っ取り早いと思っています。

 釣りの会は競技会ばかりやっているように思われがちですが、そういう手段
を通じて、ヘラブナ釣りの楽しみ方をお互いに啓発し合っているのが、大半の
釣りの会の実状であるようです。
                        [転載・清水 健一]

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 『新野べら釣り』(「釣の友」社刊) 一之江鮒夫・著
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■第1章 体験的へら釣り談義(19)

(19)『例会風景』

 例会の前夜は仲々眠れないものです。私のクラブの釣歴30年あまりの長老格
のM氏ですら、明日はどのポイントで、どのシカケでと思いはじめたら、つい
ウトウトもしない内に朝になってしまうと言っています。

 前の例会で下位だった者は今度こそと思い、上位だった者は今回もと張りき
って、竿、餌、シカケと点検し、弁当水筒のたぐいを用意している内に、たち
まち時間がたってしまいます。

 私達は夫婦で例会に参加するので、すべて2人分用意して、早目に就寝する
つもりでいても、土曜の夜のこと、普段より来客が多く、何やかや、うっかり
すると、普段の日よりおそく寝床についたりします。

 寒い内は集合も6時か7時ですが、夜明けが早くなると集合時間は午前5時
から6時になります。それに間に合わせるためには、途中同好者を誘い合わせ
ると、大がい2時間前には自宅を発進しなければなりません。床を離れるのは
少なくともその1時間前です。つまり午前2時か3時には目を覚まさないと集
合時間におくれることになるのです。

 早く寝なければと思いながらも、いつのも習慣で午後12時近くになることが
多く、これでは僅か2〜3時間、トロトロするだけです。

 私は例会のような集まりに、いままで数え切れない程出席して来ました。そ
の都度今日こそは釣ってやるゾといった張り切り方は、もう今の私には無いけ
れど、集合時間におくれてはならぬという思いは、昔から変わりません。釣り
時間におくれて他人を待たせたりすることは、最も釣りマナーに反しているこ
とだと思っているからです。例会は集合した、その時から開始されているのだ
と思います。(競技会だけが例会の内容のすべてではないのです)。

 私達のクラブでは、何人か乗り合わせたマイカーで釣場へやって来ることに
なっています。そこで次々に20台近くの車が集まります。

 車から出た会員が「やア、やア」と元気な声をかけ合っています。睡眠不足
の私もそれに誘われて、とたんにシャッキリ目が覚めてきます。

 釣場に着くと、手ぐすねひいた仲間が、池や川を一望して、「あッちが浅場
だ、こッちが深場らしいナ」などと言う釣場批評が盛んに聞こえて来ます。

 「おやッ、モジリがあったゾ」と言えば、「どれ、どれ」と真剣な眼(まな
こ)で水面を眺めて「今日は釣れるゾ」と、みんなもう気もそぞろなのです。

 クラブの旗が立てられ「全員集合!」の声がかかります。会長の私が「朝の
挨拶」なるものを行ないます。お仕着せ的な挨拶です。みんな一刻も早く釣場
へ飛び出したい心境であろうことを思うと、短いに越したことはありません。
処が意外に神妙な顔で聞いていてくれます。続いて新入会員の紹介があります。
歓迎の拍手。

 終って前回の下位者から順に釣場へ入って行きます。人を押しのけ、我勝ち
に釣場へかけ出す者がいません。浪曲の「ぶらり、ぶらりと急がるる」式に散っ
て行きます。

 出席者は大がい50名余。それぞれ1時間の後には、一人残らず思い思いの場
所を選んで釣台を組立て終って、竿を振りはじめます。私達のクラブでは隣と
の間隔を3m離れる約束になっています。

 釣台があれば、急斜面の場所であっても、そこが岩場であっても据えつける
ことが出来、竿が振れます。

 若い元気な人達は、前人未踏の足場の悪い難所であっても、何とか入りこん
で竿を振っています。

 私達夫婦は、そこが釣れそうなポイントであっても、足場が悪いと入ること
が出来ません。ことに私は年令と共に足元が危くなっているので、平坦な場所
を選んで釣台をセットして貰います。釣り仲間は有難い。喘ぎながら釣座作り
をやっている私を見かねてか、誰かが私を助けてくれるのです。

 こうして、ようやく私が竿を振りはじめた頃は、早くも周りではぼつぼつ、
私のクラブ特注のオレンジ色のフラシが、そこここで下りはじめます。釣れた
のです。

 実は50名余の大人数を収容出来る釣場はそうザラにはありません。知られた
釣場には何人かのフリーの釣人が入釣しているのが常です。釣場を私達のクラ
ブだけで独占するわけには参りません。そこで私達の例会場所は、かなりの大
場所に限られます。これらの条件を考えて少なくとも2週間前には例会場所を
決定して全員に通知しなければなりません。

 処が、この2週間の間に釣場の状況が大きく変わることが多いのです。暖か
くなるだろうと思われたのが季節外れの寒さに見舞われたり、雨が降ったり、
大風が吹いたりすることもあります。試釣時に好調であっても、大人数で入り
こんだりすると、パッタリ食いが止まるようなこともあります。

 しかし、こんな悪条件も参加者全員が受けるもので、単独の釣行だったら、
たちまち尻ッ尾を巻いて帰り仕度をする日でも、競技の面白さにひかされて、
最後まで竿を振ってしまうのが例会です。

 釣場の南側が良い時は北側が悪く、深場にアタリ一つ無いときでも浅場は入
れ食いになったり、かなりな大場所であっても、例会を行うと、季節に応じた
ポイントが一ぺんにわかり、又水草から底藻の具合、浅場、深場等、例会では
釣ることが出来なかったとしても、仲間同士が後日釣行するときの参考に大へ
ん役立つものです。

 昼近くになると、風が変わって、今まで好調だった場所が向い風になったり、
又はとたんにアタリが出始めたりする所もあります。好不調の場所がハッキリ
しはじめると、ようやく場所変えが盛んになります。

 参加者50名となると多士済々です。オシッコの間も惜しみ、昼飯も抜くとい
うモウレツ派もいるが、竿を置いて、釣場近くの喫茶店でコーヒーを飲んだり
軽食をとったりする優雅組もいます。

 小1、2時間もしてアタリがなくなると、すぐあきらめてしまうのか、釣座
を離れて、周りをぶらぶら歩きをする人がいます。I氏です。小肥りの体をゆ
すりながら他人の釣りを見て歩いています。例会の成績など余り気にならない
ようです。

 私なども1、2時間もウキを注視していると、近ごろ年のせいか目の前が霞
んでしまうのは仕方ないとしても、睡眠不足で思わず竿を持ちながらコクリと
やってしまうことが度々で、水の中へ落ちそうになってハッとします。こんな
時は釣座から離れて、木の陰などでウトウトすることにしています。30分もし
て再び釣座に戻ると、また元気が回復するから妙です。

 丹波からやって来るA氏はいつも夫婦同伴です。夫人はA氏が釣台をセット
しはじめると、それを手伝い、竿をつなぎ餌作りをやっています。それがすむ
と車の中でA氏の釣り振りをじーッと見ています。夫人はいつもニコニコと明
るい。仲のよい夫婦です。

 昼飯時が過ぎて午後の釣りに入ると、さすがに皆追いこみに真剣となって、
釣場は静になって、魚との格闘だけが残されます。

 かくて午後3時(か4時)警笛が吹かれて一せいに竿を仕舞はじめます。そ
して周辺のゴミを片づけ、魚を検量(検寸)場まで持って行き、終った魚を放
流して、例会競技が終了します。

 私のクラブでは3位までバッジを、15位までに賞品を贈っています。

 賞品といったところで、家庭用の石鹸か子供へのお土産用のキャンデーのた
ぐいで大したものはありません。それを入賞者は頭を下げ、ニコニコ顔で戴い
ているのです。

 釣人は甚だ無邪気です。帽子のヒサシのバッジが又増えたと踊り上がって喜
んでいます。周りの者も「おめでとう」と手を叩いて賞賛します。これは釣人
のエチケットというものでしょう。

 「何しろ家に帰ると、女房が今日はどうだったのと聞くのでネェ」、「だか
ら賞品は取りたいよ」という愛妻家も多いようです。中には「子供達が待って
いるんだよ」と、だからキャラメル1個でも持って帰らないとカッコがつかな
いんだという人もいます。

 賞品授与が終ると大がい午後5時頃になります。一日外気に当たっているせ
いか、普段は朝パン食、昼抜きの小食の私のような者でも腹ペコになっていま
す。若い人達は例会が解散になったからと言って、そのままスーッと帰宅する
わけにはいきません。例会の興奮がまだ残っています。

 すぐ別れ別れになるのを惜しんで、途中のドライブインの2、3軒に車毎に
別れて入りこみます。美味そうにビールを飲む者、軽い食事をとる者、コーヒ
ーを飲んで一と休みする者、このひと時が、例会以上に楽しいのです。

 一隅ではウキ作りの講習が行われ、釣技の研究が話し合われます。ここで同
行のグループ同士の交流が行われ、例会以外の日の釣行が各所で約束されます。
こうして職業もちがい年令の差はあっても、釣りを通じて々クラブの仲間が親
しくなる機会が作られて行きます。

 −−これはある日の私のクラブの例会風景ですが、他の釣りの会の例会風景
も、ほぼこれに似たようなものでありましょう。
                        [転載・清水 健一]

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 『新野べら釣り』(「釣の友」社刊) 一之江鮒夫・著
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■第1章 体験的へら釣り談義(20)

(20)『風趣あるウキ』

 ヘラブナ釣り特有のあの細長いウキは、初め関西で考えられた物ですが、関東に伝え
られて、私達の目にふれるようになったのは、昭和10年頃で、それまで関東ではマブ
ナ用の唐辛子型ウキばかりでした。

 細くて長いウキ、今考えると、ヘラブナ釣りにこの型を作り上げた釣り人の知恵は、
何でもないことのようですが、大したものです。

 同一ポイントへエサを度々打ち込むヘラブナ釣りでは、道糸が水面に浮いていると、
風に押されてウキの位置が移動します。これを防ぐために道糸を水中に沈めるのですが
、これにはウキが細長く水中に沈んだ部分が深い方がよいことは言うまでもありません


 又ウキはエサのタナ(魚の泳層)を決める役目も果たしますが、魚がエサを吸いあお
った瞬間の異常をウキ頭(がしら)の上下動で示してくれる役目も果たします。ウキの
上部三分の一から二分の一ほどをトップと言っていますが、そのトップは細い方が、上
下の動きをとらえるためには流体力学とかアルキメデスの原理とかをひっぱり出すまで
もなく、経験的にわかることです。

 昔は、ウキと言えば桐製のものしか市販されていませんでしたが、トップがあまり細
いものは細工に限度があって折損しやすいので、一時水鳥の羽根などが使われたことも
あります。しかし水鳥の羽根にはあまり長いものはなく、しかもわん曲したものがほと
んどでテーパーも強く、短い割にトップが細すぎ、野釣り用にはオモリの負荷も少なく
、あまりよいものはありませんでした。

 その内誰が発見したのか、孔雀の羽根が使われるようになりました。これですと長い
ウキを作ることが出来、桐製のものより丈夫でした。

 初めのウキは丈夫の細い部分の20Cmぐらいの一本どりのもので、先端にだけ白黒
の目盛りを付けたものでした。末端には竹軸をさしこみ、細い糸でくくりつけた粗末な
ものでしたが、ただこの羽根も仲々真ツ(原文は半角)すぐのものが少なく、ウキ選びに苦労したもの
です。

 羽根には黒孔雀と白孔雀があり、黒孔雀ものの先端は偏平になったものが多く、白孔
雀の仲には先端が円筒形になったものがあって、先端が偏平であろうが、円筒形であろ
うが、ウキの感度には大した差がなかったのですが、私達は数少ない白孔雀の、先端が
円筒形のウキを手に入れることに夢中になった一時期があります。

 何しろ桐などと比べて浮力もあり、細工も安い割には丈夫で、この孔雀の一本どりの
ウキが当時のヘラウキを代表しましたが、今日と違って不急不用の輸入品だったせいか
品薄で、高価すぎるきらいがありました。

 その頃(昭和25年頃から)渡辺利之助氏(関東のヘラブナ釣りの先達の一人で、蟹
歩銘の高級ヘラ竿の作者)が、セルロイドの細いパイプ20Cmぐらいの中に灯心を入
れて補強したのを「スミロイド」ウキと称して市販しました。何より安価で、目盛りも
白黒以外に赤色なども使ってあり、見易く、一時はこのウキが孔雀ウキの代用として普
及しました。

 その内、一本どりに代わって孔雀羽根の上部の方と下部の方と二つに分けて、細い方
を太い方に継いだ、「継ぎウキ」(関西では親子ウキ)が出回るようになり、この継ぎ
ウキも二段つぎ、三段つぎとなり、今日の流線型の原型と思えるウキが、オモリを背負
うので、水深のあるところや長竿にはよく使われるようになりました。

 何しろ当時はヘラブナ釣りの草創期でもあり、こうしたらああしたらの研究は大へん
なもので、ウキひとつにしても次々と改良されて行きました。

 しかしいずれのウキも、水面から出た先端は不透明なので、逆光に向かうと、黒い條
のようになって、目盛りが見えなくなる欠点がありました。鶏の羽根の肉に食い込んだ
部分の1〜2Cmをウキのキャップにつけ逆光用にする事を思いついた人がいました。
あまりにも短すぎ太すぎるので、実用にはなりませんでした。

 昭和30年頃になって故須藤健作氏(浅草へら鮒会員、元報知新聞釣欄担当者)が「
アンドンウキ」なるものを市販しました。孔雀のボディに、セルロイドパイプをトップ
につけたものです。半透明なので、逆光にも利き、この頃から蛍光塗料が使われるよう
になり、目盛りもハッキリ見えるようになりました。

 この須藤健作という人は大へんなアイディアマンでした。昔のへら鮒ウキはすべて直
結式で、打ち返しのはげしいヘラ釣りでは、道糸にヨリがかかって、細長いウキにから
むことが多く、これをどうしたらからまぬように出来るか、釣人は皆、苦労したもので
す。

 この頃、道糸とウキのさし込み口との間に2〜3mmのアソビの糸を付け、道糸のヨ
リが直接ウキ及ばぬように須藤さんは工夫したのです。なるほどこの小さな補助具のお
かげで大分ウキが道糸にからまぬようになりました。

 やがて、ウキ自体にこのアソビの余裕を付けたブランコ形式が開発され、今日に及ん
でいます。30〜40Cm以上の長いウキは、ブランコ形式でないと、打ち込む度にウ
キが道糸にからんだりする経験は誰方もお持ちでしょう。

 ブランコ形式のウキは、大へんな思い付きです。数年前までは、関西ではこのブラン
コ形式のウキは関東からの輸入製品ばかりで、名称も「関東ウキ」と称していました。
マッシュポテトのエサを使う野釣り用のウキなので、又は「マッシュウキ」とも言って
いました。

 昭和34年頃、元日研の役員だった、関山秀次郎氏が孔雀の羽根を張り合わせ、流線
型に整形しました。張り合わせにより羽根の曲がりを直したスマートなボディに、トッ
プは細い孔雀の羽根かセルロイド、或いは細いブラスチックのパイプ、又はソリッドト
ップを付けたヘラウキは今日までの標準的スタイルになっています。ヘラウキの面白さ
は、市販の他、釣り人自身が製作出来て、釣り人自身のウキが持てるところにあると思
います。

 これはトップの細さ太さに関係しますが、私の見たところでは、関東の釣人の使って
いるウキは、ボディにふくらみがあって、そのせいか、トップはボディに対して4対5
ぐらいの割になっているのが多く、関西の釣人の使っているのは、トップとボディの長
さは半分ぐらいで、ボディも裾が細くしぼられて、全長も30Cm以上の長さのものが
多いようです。しかもそのほとんどは、ボディの塗りが、とぎ出しになっていて、手に
とってみてもほれぼれするような美麗なウキが多いようです。

 打ち込んだヘラウキが、ゆっくり立って、水面に残ったトップが、エサの重みになじ
むように沈んで、三目盛り四目盛り残して落ちつきます。やがて、微かな上下動がはじ
まります。まるで、ウキが息づいているようです。そんな時、私はウキの動きを通して
、ヘラブナが、語りかけてくるような気がするのです。

 四季おのおのの、その語りかけの言葉がちがいます。「お元気ですか。」「大分寒く
なってきましたね。」、私にはそんなフナの会話がわかるような気がするのです。
もしヘラウキというものが無かったら、私は、こんなにまでヘラブナ釣りに夢中になっ
ていただろうかと、沁々思うことがあります。
                              [転載・もじり]

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■第1章 体験的へら釣り談義(21)

(21)『釣り味』

 そもそも釣りは単なる遊びだとは思いません。そういう要素はあるけれど、食う、寝
る、生殖すると言った動物的な生き方でなく、人間には、考える、見る、味わうといっ
た生活があり、釣りはその人生の彩りであると思います。

 たとえば本を読む楽しさ、画を見る楽しさ、それに似た、人の心を豊かにするものが
釣りの内にはあるように思います。

 釣り味などと言いますが、これを味わう舌が肥えているか、やせているかで、心が豊
かにもなり貧しくもなるのではありますまいか。

 私たちの周辺には私たちを感動させるいい音楽、いい画がいっぱいあります。しかし
、それを見る眼、味わう舌、感覚がなければ、宝の山にはいって宝が見えないのと同じ
でしょう。

 東京の或る釣り人が、かつてリールの投げ込みで、ヘラの大型が釣れたことを知らせ
てきて「流心にヘラの大型がいるんですね。これを狙う釣り方は、新しい釣り方のひと
つになるかも知れませんね」と、言いましたが、しかしこれは私たちのヘラブナ釣りで
はありません。むろんリールでもヘラは釣れるでしょうが、私たちは独特の竿登記で一
発一発、餌を食わせて釣りたいのです。そこにヘラブナ釣りの面白さがあるのです。

 昔、関西に発生したヘラブナ釣りが関東に普及しはじめた頃ですから戦後間もなくの
頃です。当時日本水郷の主とまで言われたマブナ釣りの名手であった東京の故小林隆夫
氏が、初め吸い込み釣り(3、4本のハリを練り餌に包み込んで、そのエサを吸いあお
っている内にハリがかりさせる向こう合わせの釣り方で、昔から池ボラやコイが釣れま
した。)で、5Kgから10Kgのヘラを度々釣り、ヘラを釣るにはこの方が手ツ取り
早いと言っていたものです。

 又、その頃、佐原市野釣り船の船頭などは、釣り客に利根本流のヘラを釣らせるのに
、大量のマキエをして、使いなれたミミズのエサをつけてヘラを釣らせていたものです
。(ヘラは潮入りの川ではゴカイの餌も食います。動物性のエサだって時と場合によっ
ては口にするのです。ことに寒期は動物性のエサを好むようになるので、一時下バリに
赤虫をつけることが流行したこともあります。)

 日本水郷を中心とした水脈にはヘラブナがおびただしく繁殖して、それをどう釣った
らいいか模索中の時代でした。

 丁度その頃、水郷の野性的なヘラに見せられて関西から故土肥伸氏が横利根河畔に移
住してきました。そして今日のようなヘラ釣りのフォーム、食わせ釣り(吸い込み釣り
に対してそう呼びました。)を啓蒙し、指導し、普及させました。

 流れ川で、ウキ無しで竿先の動きでアタリをとる脈釣りでもヘラは釣れます。釣ろう
と思えばリールの投げ込み釣りでも、吸い込み釣りでもヘラは釣れます。

 しかし今日のような独特のしなやかな竿で、敏感な長いウキを使い、植物性の溶ける
エサを使って釣る釣り方だけが残り、普及したのは何故でしょう。

 ヘラ釣りにはむろん、こうでなければ、などという規定などあろうはずがありません


 けれど今日のようなフォームで釣る方がヘラの大型も、又数も釣れるし、何よりヘラ
独特の引き味を楽しむことが出来ます。

 一口に言えば面白いからなのです。

 昔、私は誘われて墨イカ釣りをやったことがあります。下足札のような板切れに、鰯
のような小魚を結び付け、その下に引ツ(原文は半角)掛けバリが二本ほど出ているシカケです。

 それを下ろして待っていると、竿先がじわーツ(原文は半角)としないます。イカが小魚を噛りに小
板にしがみついた重みです。

 大きく引っかけ気味にあおってゆっくり上げるのですが、魚の躍動感など無く、ただ
雑巾を掛けたように重いだけでした。食味をすこぶる上等の代物ですが、味もそっけも
ない釣りです。

 手脈のゴチ釣りでもそんな経験をしました。あまり面白い釣りではありません。

 これも昔の話しですが、練り餌を吹あおるヘラの習性から考えて、エサの下にイカ釣
りのようなひっかけバリを付けたシカケが市販されたことがあります。ウキが動揺しさ
えすれば食いアタリを待たずに合わせても、ハリが魚体にスレ掛かりする仕組みです。

 初心者にも釣れるという触れ込みでしたが。全く売れませんでした。ヘラブナ釣りの
魅力を知らずに、その仕掛けを作ったところに失敗の原因があったのです。

 ヘラブナ釣りの魅力は、四季の移り変わりの中で、魚のささやきまで感じとるような
微妙な感度の高いウキを使い、独特のしなやかでバネのある、生き物の命の躍動を手か
ら心にまで感じとる釣りなのです。

 せんじ詰めれば、竿とウキ、この独特の基本を失ってはヘラブナ釣りは成り立たない
のではないでしょうか。へら鮒釣りの魅力はウキと竿の2点が生み出しているように思
われるのです。

 リールの投げ込みでヘラが釣れても、ヘラブナ釣り師はそれをヘラブナ釣りとは言い
ません。スレ釣りでどんなにヘラが釣れても、それはもうヘラブナ釣りではありません
。まして弾力のない棒のような竿でヘラが釣れても、それはヘラ釣りの魅力の大半が失
なわれた釣りで、第一少しも面白くないものなのです。


 私は今まで色々な釣りをやって来ました。それぞれの釣りの楽しさを味わうことが出
来ましたが、ひと度ヘラ釣りの魅力にとりつかれてからは、この釣りが、一番釣りの深
味を味わせてくれるように思えてなりません。

 ヘラ釣りはバランスの釣りだと言う人がいますが、私もつくづくそう思います。ハリ
、エサ、道糸、ウキ、オモリ、竿など、これらのバランスが良くとれていますとよい内
容のある釣りが出来ます。そしてその中心となっているのはヘラ竿だと思います。よい
バランスのとれたヘラ釣りの味を一層深めてくれます。

 竿と言えば、今日ではカーボンロッドが全盛で、軽くて、丈夫で、弾力のある竿が出
来ています。ことに19尺(5.7m)から以上の竿になると、竹竿では重過ぎて、振
り込みも、よほど腕力のある人でないと、ままなりません。それで近頃では長竿はカー
ボンロッドをほとんどの人が使っています。

 カーボンロッドの前は、グラスファイバーの竿が盛んに使われていましたが、その前
までは、釣竿と言えば竹竿ばかりでした。

 私がヘラに入門してから間もなく、はじめて手にしたヘラ竿は紀州の薫広(しげひろ
、今日の山彦)の竿でした。続いて「おくだ」「源竿師」をはじめ紀州の若手の竿師の
ものを手に入れました。

 ヘラ入門前に所蔵していた関東竿の竿忠竿も竿辰竿も胴ウルシが濃く、赤褐色の竿が
多いものでしたが、はじめて見たヘラ竿は表皮が剥いてあり、地肌はアイボリーで、握
りは籐巻きのものが多く、私はまずその優美さにウーンとうなりました。

 相対に関東竿は硬調子で、関西竿はしなやかでした。これは関東人と関西人の気質の
ちがいが、それがそのまま竿の調子に現れたと見ることもできます。

 もっとも関東にはヘラ竿というものがなかったので、一口に比較することは出来ませ
んが、ヘラ釣りは関西で誕生したもので、ヘラ竿もそれにつれて関西で生まれたという
こともありますが、今にして思いますと、関西の文化(京・大阪)とその土壌が、ヘラ
竿を生んだのではないでしょうか。生まれるべくして生まれた竿なのではないでしょう
か。
                              [転載・もじり]

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■第1章 体験的へら釣り談義(22)

(22)『竹竿の良さ』

 私が先代の孤舟(故羽田鉄太郎氏)の竿を手に入れたのは今から20年以上も前のこ
とです。それまでは旭匠銘(孤舟の銘は昭和20年以後の竿に多い)の竿を時々釣具店
などで見かけましたが、調子が軟らかすぎ、釣り掘りなどでは使えても、関東の野釣り
用には扱いかねる竿でしたが私がはじめて手にした孤舟は丈2(3.9m)で竹の斑点
がそのまま付いている皮つきで、節には補強の糸が巻いてありました。(所謂段巻き竿
だが、孤舟はその呼び方が嫌いで、節巻きと言っていました。)

 細身で胴調子でしたが、腰がしっかりしていて、ベタベタした調子ではなく、バネの
力のある竿でした。

 穂先の長いのには驚きました。握りには綿糸が巻いて合って、何度もウルシをかけ、
それを拭き取り、拭き取りしたのでしょう。見た目にはすでに度々使われたような素朴
な味のする竿でした。握りが籐巻きの美麗な竿から見ると一見「汚ない」と思われるよ
うな竿でした。

 ところが、これを振り、魚を取りこんだところ、竿が独りでに餌を打ちこみ。スッと
合わせて竿を立てるだけでスムーズに魚が寄ってきました。魚を引き抜くのではなく、
魚をやんわり引き寄せるのです。その手応えが無類でした。

 私はこの竿を手にして以来、ヘンな言い方ですが、ヘラ釣りが少しわかりかけるよう
になり、逆に私にとってヘラ釣りの面白さは、ヘラ竿でヘラをかける面白さとなってし
まいました。その代表が孤舟竿でした。

 棒のような竿でヘラが釣れても、リールの投げ込みでヘラが釣れても、ヘラ竿でヘラ
が釣れた面白さとは比較になりません。これはもう体験してからわかるものです。

 ヘラ釣りは、食べるために釣るのではなく、(釣った魚は直ちに放流してしまいます
。)いわば何のトクにもならないことをやっているのです。

 実利から遠い遊びなのです。無償の楽しさで、これは人間だけが持てるものでしょう
。西日本ヘラ連の会長土井勝氏は「ヘラ釣りをやっている者は、最高のゼイタクをして
いる。」と言っていますが、私も全くそのように思います。精神のゼイタク、遊びです
。私は、その無償の楽しさを深めてくれる中心にヘラ竿があると思っています。

 ですから逆に言うと、ヘラ竿を充分に生かすことの出来ない場所では、そこにヘラが
いることがわかっていても、私はヘラを釣ろうとは思いません。

 つまり利根本流のヘラをリールで釣ろうとは思わないのです。またヘラウキを使わず
に、手脈でヘラが釣れたとしても、私はそれをヘラ釣りだとは思わないのです。

 私はヘラ竿を使い、ヘラウキを使い、その限定の中の釣りの深さを味わうのがヘラ釣
りだと思っています。それは何より私にとって一番面白いからで、また、私の好みでも
あります。

 人によっては、釣る面白さの数が多ければ、それだけ数多くの面白さが手のしめると
言う人がいます。多獲の面白さです。これはヘラ釣りに限ったことでなく、何の釣りに
も、この一面があります。わからないでもありません。

 けれど自然の中から一尾一尾を心して釣り上げるまで野釣り味の深さの中にヘラ釣り
の醍醐味があるのではないでしょうか。しかもその醍醐味を味わうのは釣り人自身で味
わうことができるものなのです。他人が何尾釣ろうともそれは他人のもので、自分の釣
りではありません。

 その意味では、釣りは他人の中にあって、一人のものだと思うようになりました。そ
して又ヘラ竿を振って、より一層、その味の深さがわかってきたのも私の体験から知っ
たことです。

 私は15、16年前までは、初心の人から「どんな竿が良いですか。」と問われると
、差し込みがスムーズに入るか、振ってみてキシまないか、防水のウルシが充分にほど
こしてあるか、傷や虫食いが無いか等、細工丈の欠点があるかないかを注意しただけで
した。まだグラス竿が出回る前のことで釣竿はすべて竹竿であった頃の話しです。

 その後、グラスロッドが開発され、近頃はカーボンロッドという軽くて強じんな竿が
出回って、メーカーの研究も仲々大したもので、竹竿の長所を随所にとり入れた、良い
ヘラ竿が出来てきました。

 振り出し竿は、手元の握りが太くなりますが、並継ぎ竿は細身でよい調子の竿が出来
ています。個性のない竹竿を使うくらいなら、軽くて扱いやすいカーボンロッドがよい
のではないでしょうか。

 しかしヘラ竿による釣り味の深さを知り、一度竹竿を手にしてみると、量産品では味
わうことの出来ない、自然のものからの手作りの魅力にとりつかれてしまうのが常です


 竹竿のどこが良いのかと聞かれても、これは、体で知ることの方が早いように思われ
ます。

 化学センイであるか、自然の材質であるか、この違いは、実は甚だ微妙で、やはり何
本も実地で使ってみて、感じとるのが本当でしょう。

 竹竿にしても、作者のちがう竿を使ってみて、比較してみて、初めて、自分の好みに
あっているかが言えるもので、師匠が誰それだから良いの、年期が新しいからまだ駄目
だ、とか軽々に言えるものではないと思います。ましてや値段や銘によって高低が付け
られるべきものではありません。
                              [転載・もじり]

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■第1章 体験的へら釣り談義(23)

(23)『羽田孤舟の竿』

 羽田旭舟(孤舟)氏は、昭和47年8月、77才で故人となりました。私とは10数
年の付き合いでした。今では私の所蔵しているヘラ竿のほとんどは孤舟竿です。

 この孤舟については、その良き理解者である山村聰氏が「釣りひとり」(二見書房刊
)の中で「名竿孤舟の秘密」の項で熱情をもって書かれています。もうこれに付け足す
何物もありませんが、私なりに孤舟竿の側面について少し書いてみたいと思います。

 私は14、15年前、これもまた故人となってしまった前「釣りの友」主幹山下糸竿
氏の紹介で孤舟と知り合いました。以来度々孤舟宅を訪れて、ヘラ竿のこと、ヘラ釣り
のことを教えられました。

 孤舟竿の特徴は、まず穂先が長いことでした。差し込み口が長く、その先はいったん
太く盛り上がって、ゆるやかなテーパーで先へのびています。これは穂先にも反発力を
持たせ穂持ちへの負荷を助けていることになります。(今日では紀州竿をはじめ多くの
ヘラ竿がこの穂先を真似ています。)

 皮付きのヘラ竿を作ったのも孤舟が初めてです。化粧の段巻き竿を作ったのも孤舟が
初めてです。(それまでの磨き仕立ては影をひそめ、今日ではヘラ竿と言えば段巻きと
言われるようになりました。)

 握り(グリップ)に綿糸を巻いたのも孤舟です。掌に合った盛り上がりと竿の長さに
よって、その長短がついています。私は後年、この握り一つで、いかに竿が振りやすく
なるかがわかって、孤舟の秘密の一つを知って驚くとともに頭が下がりました。

 これらの孤舟の特徴はいずれも孤舟の創意工夫によるものです。今日では一級竿師と
言われる者は、孤舟竿に比肩出来る竿も作っていますが、直接か間接か、この孤舟の影
響を受けて、或いは目標として竿づくりをしてきたと私は思っています。

 これらは素人の私から見た特徴ですが、制作者の眼をもってしたら、もっともっと孤
舟竿の特徴を探り出せるのではないでしょうか。

 ただ私から言えることは、彼は竿を創り上げることに熱情を込めていた人だったとい
うことです。

 ヘラブナ釣りを愛し、それを追求する心で竿作りをしていたのです。

 腕の力ではなく、竿自身の弾力で振りこみ、水圧を利用して合わせを効かし、竿を立
てただけで、竿の復元力と腰の弾力で魚をやわらかく引き寄せるのです。こういう美事
な竿は、釣り味の深みへのあくなき追求からでないと生まれないと思います。

 彼はヘラ竿を職人仕事とはせず、作品をクリエートする熾烈な精神で竿を作っていた
人であったと思います。

 孤舟竿を真似ることは、或いは年季の入った竿師なら、ともかく出来るかも知れませ
ん。しかしこの創作の心だけは真似からばかりでは得られないのではありますまいか。

 私は孤舟竿を手にする度にヘンな言い方ですが、このヘラ釣りの奥の深さに感動しつ
つあるのです。
                              [転載・もじり]

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■第1章 体験的へら釣り談義(24)

(24)『赤トンボ』

 秋野の釣りを彩るものに赤トンボがいます。
 遠く脱穀機の音が聞こえてきます。木々の紅葉も枯葉となって散りはじめました。空
は紫紺に澄んでいます。

 秋の野のススキや枯アシを踏み分けて釣り座を作ります。

 ふと見上げると赤トンボの群が流れるように飛んで来ました。真ツ(原文は半角)赤な正真正銘? 
の赤トンボなのです。
 数年前まではこの真ツ(原文は半角)赤なトンボが姿を消し、みんな茶褐色のヤツばかりでした。(
東京の子供達はミソトンボと呼んでいたヤツです。)もっともその頃は昔あれほど沢山
いた田んぼの中のドジョウがいなくなっていたことにも気がつきましたし、初夏になっ
て水辺低く舞い落ちるように飛んでくるツバメの姿もあまり見かけることがなくなって
いました。

 農薬等のせいでしょう。ドジョウも田んぼの中では生きることが出来なくなり、小虫
も死んでツバメの餌がなくなったからかもしれません。昔、秋野の釣り場に群れ飛んで
いたとんぼもめっきり数が減って、それもミソトンボばかりになってしまったのは、ど
うしたことだろうと思っていました。

 赤トンボはミソトンボより環境汚染には抵抗力がないのかも知れません。

 それが、2、3年前から、昔ながらの真ツ(原文は半角)赤なトンボが秋の野に舞い戻って来ました
。自然環境が少しでも旧に戻りつつあるとしたら嬉しい限りです。

 「赤蜻蛉」の歌の第四節「夕やけこやけの赤とんぼ とまっているよ 竿の先」

 この竿は釣り人の竿ではないらしいのですが(作詞は故三木露風氏。今となっては問
い合わすこともできません)。赤とんぼを見ると、音痴の私でさえ、つい口ずさんでし
まう懐かしい名曲です。

 赤とんぼはたいへん人なつこい虫で、野の道を行くと、人の後を追うように従いてき
ます。又釣り人が竿を振っていると物めずらしそうに寄ってきて、身の回りを行ったり
来たりしはじめます。

 その群の一匹が水面にぽっちり出たウキ頭(がしら)に止まったりします。羽を広げ
たままひと休みしている風なのです。おかげでこちらは微妙なウキ当たりがとれなくな
りますが、追い払うには忍びず竿を上げずにいますと、その内アタリがあって、ウキが
消しこんだりすると、びっくりして舞い上がります。

 私たちが子供の頃には、蝉とり、トンボ釣りで野をかけ歩きました。竿の先へ糸を結
び、その先にオトリのトンボを結んで「たんまー来い、ヤンマー来い」と呼びながら竿
を振り回していると、どこからともなくヤンマートンボ(赤とんぼの2、3倍もある大
型トンボ)が飛んで来て、オトリのトンボに抱きついてきます。オトリが雌なら雄がや
ってくるのだと言います。そして早いとこ交尾中のヤツをとるのです。色仕掛け釣法で
す。

 ところがトンボというやつ異性を追うだけでなく、空に動いている物は何でも追いか
ける習性があるようです。

 ある時、竿を振って打ちこもうとしたら、竿先が下へおりてきません。ヘンだナと思
って目を上に向けたら、マッシュの餌にトンボが食いついていたのには驚きました。ま
さかマッシュを「ヤンマー来い」の雌トンボと間違えてわけでもないでしょうがー。
                              [転載・もじり]

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 『新野べら釣り』(「釣の友」社刊) 一之江鮒夫・著
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■第1章 体験的へら釣り談義(25)

(25)『ヘラ鮒スタイル』

 ヘラ鮒釣師のスタイルといえば、オープンシャツの上にポケットのいっぱいついたベ
ストを着用して、寒くなればその上に上衣風のコートを羽織ります。このへんまではそ
れほどハイカーや海釣りのスタイルとあまり変わりはありませんけれど、ひと目でこれ
はヘラと見分けがつくのは、ゴルフバッグに似た竿ケースを肩に、特有のヘラバックを
背負っていることです。(この上、ツバの広い帽子をかぶり、防水防寒の半長の靴をは
いていたら万点でしょう)。

 また、つい5、6年前までは夏に麦わら帽か組立式の富士傘をかぶっていましたが、
近ごろはカラフルなフィシングパラソルが全盛で、その傘の下で竿を振っている者が居
たら、もう間違いなくそれはヘラ師です。

 20年も前になりなしょうか俳優兼監督の山村聴氏が経営していた東京銀座の釣具店
「ポイント」(現在は無い)で、ゴルフバッグにヒントを得て、現在市販されているよ
うな竿ケースが初めて考案され市販されました。それまでは帆布かビニール製の生地で
筒状に作られた物か、竿を巻きこんだんだりする竿袋でした。それがファスナーでサー
ッと開いたり仕舞いこめたり出来るこの竿ケースは便利でもあり何よりもシャレていま
した。

 それに続いてチャックで開閉自在の釣りバッグも出来ました。竿ケースとペアとなっ
ていました。

 それまでの帆布製の竿袋を担いでバッグネット(網リュックをこう呼んでいました)
の中へ道具箱を押し込んだヘラブナ釣師の釣行スタイルは、いかにも野暮臭いものでし
たが、このカラフルな今日のような釣りバッグと竿ケースが開発されてからは、たちま
ちヘラブナファンの間に流行しました。

 まず関東で普及し、10年程前から関西にも普及しはじめ、今日では、もう東も西も
なく、このヘラブナスタイルは九州から北海道まで定着してしまったようです。

                ○

 昭和50年の夏、私達は、4、5人で名古屋の先の三河湖へ遠征しました。

 大阪から名神高速の岡崎インターから北上して峠道を登り、頭上にかぶさるような木
々のトンネルをくぐり、木漏れ陽が絣模様となって顔も緑に染まるような渓谷沿いの道
を、岡崎インターから1時間ほどで三河湖に着きました。緑さわやかな高地のダム湖で
す。中京方面の観光地らしく。お定まりの観光船も就航、ボートも浮かんでいました。

 立木の多い小山に囲まれたその底にダム湖特有の深い紺青の水がたたえられていまし
たが、日照り続きのため大減水となって、湖は一周りも二周りも小さくなっていました
。ぐるっと回っても車なら15分ぐらいで回れそうな中程度の湖です。

 ポイントまでは20m近くもけわしい崖道を下らなければなりませんでした。雨が降
らず、水が淀んで魚の活性が失われていて、大型らしきものが時おり中心部でモジるだ
けで、どこか活気のない様相でした。正直なものです。よほど探さないと釣人の姿も見
つけ出せないほど閑散としていました。

 私達は南岸の足場のよい岩場に釣台をセットしましたが果たして釣れるのは小ベラか
マブナだけでした。午後からの釣りでしたが、それぞれ4〜5尾釣るのがようやくでし
た。

 なにしろ日中はひどい暑さでした。高地のことで紫外線も強かったのです。同行のK
君は若さの無暴から上半身裸になって竿を振っていました。これが悪かったのです。

 山上湖の常です。あれほど晴れ上った空が夕方急に曇って、小雨がパラパラとやって
来ると急にスーッと気温が下がりました。そこで彼は夏風邪をひいてしまいました。

 湖畔の民宿に泊まりましたが翌朝になっても熱が下がりません。

 まず、医者だということになり、薬局を開業している私の従弟(いとこ)を頼りに豊
橋へ下ることにしました。

 幸い従弟の店の前に医者があって、K君が診察を受けている間、私達は店の歩道で一
と休みしていました。するとすぐ前のバス停に、ヘラバッグを背に竿ケースを肩にした
釣人が立っているのが目に入りました。おやッ、ヘラ釣師がいる・・・・・。

 豊橋のような町の中で、これは珍しい、他国で同郷人と逢ったような懐かしさでした


 先方も気がついてニコニコ顔で近づいて来ます。特有のヘラ鮒スタイルというヤツは
又仲間意識をかり立てるのに役立っています。どちらからともなく「やァ」と声をかけ
合い「どこで釣ってきたの?」そして「どこへ行くの?」と矢つぎ早です。

 聞くと東京からだというのです。こちらは大阪、計らずも東西見知らぬ同士のヘラ釣
師が、ほぼ中間の豊橋で出逢ったわけです。

 東の釣人は佐久間ダムは濁りで釣りにならず、水窪ダムも低調だったと言うのです。
「蓬莱湖は?」と聞くと「釣れていないようですヨ」と答えてくれました。「それでも
明日は三河湖へ行こうと思ってます」というのです。私達は「その三河湖から下ってき
たばかりで、大減水で小ベラしか釣れませんヨ」と知らせたら「そうですか、今年の連
休はツイてませんね」と笑っているのです。ヘラウキを図案化したものを緑色のベスト
に刺しゅうしていて、帽子にも同じ柄が刺しゅうしてありました。仲々凝っています。
赤色の竿ケースにヘラバッグ。

 「アキまへんでした」と答えた我々は、オレンジ色のベストを着用し、同色と黒のツ
ートンカラーの帽子をかぶっています。東と西のオシャレ比べというところでした。

 しかしこのヘラ鮒スタイルが、文句無し、見知らぬ同士をいっぺんに親しくさせてし
まったようで、私は「仲々いいじゃないか」と思ったものです。
                             [転載・じゅん坊]

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■第1章 体験的へら釣り談義(26)

(26)『大輪の花』

 秋釣りの好期になって来ました。空はガラスを拭いたように紫紺に晴れ上っています
。澄んだ色です。今までダム湖で40cm、50cmと血眼になって巨ベラを追ってい
た釣人も、平野地の釣場に戻って、ほッとした気分で竿を振りはじめています。

 大阪近郊の東播や、泉南、丹波路の釣場も30cm止まりの中、小型のヘラですが、
夏の名残りの宙釣りで数が釣れる季節となりました。風にそよぐススキの波の上を赤い
トンボの群れが流れるように飛んでいきます。

 草の匂いも又いいのです。野釣りはいいなあ・・・・。

 雲一つ無い秋空を池面に映して、その中でくっきりとウキが浮かんでいます。せいぜ
い丈八(5.4)くらいの竿を手返しよく振って、微妙なウキの動きを息をつめるよう
にして注視します。竿、ウキ、釣人は一体となって、もうそこには世俗もモヤモヤは入
りこむ余地はない時の間です。

 一と目盛り、押さえこむようなアタリを軽くスッと合わせると、それでも24〜25
cmぐらいのがのって(釣れて)きました。竿の弾力を十分に利かせて、手前に引き寄
せ、玉網に滑りこませます。この釣味はヘラブナ釣りの身上です。

 私は秋のヘラブナ釣りが好きです。

 けれど秋の日射しは強いので、私達はフィッシングパラソルを開いて日除けにします
。カラフルです。釣場のそこここにこれが開きはじめると、緑一色の釣場に大輪の赤い
花が咲いたような景観となります。

 傘の下で竿を振るのは、慣れない内は、それが邪魔になって勝手の悪いものですが、
これはすぐ慣れます。今まで麦ワラ帽子や組立ての富士傘で日射しを除けていたのに比
べて、この傘の下に入ると格段に涼しいのです。近ごろでは、ヘラブナ釣りとカラフル
なパラソルとは切っても切れない仲となりました。

 近ごろでは、新しい釣場へ言ってこの傘を見かけますと私達は、あァあすこにヘラ釣
師がいる、と思うようにさえなりました。そしてヘラ釣師がいる以上は、この釣場では
ヘラが釣れるのだナと思うのです。派手な色なので、どんな遠くからでもわかります。
パラソルはそこが釣場か、釣場でないかの目印の役も果たしているというわけです。

 ところがこの傘は風にあおられるとまことに弱いのです。傘の内に風をはらんだ力は
意外に強く、どんなに支柱が深く土の中にさしこんであっても、スポッと抜けて飛んで
行きます。或いは釣台にセットしていても、その接続部分の金具ごと抜けてしまうこと
があります。(そこで私達はその用心のために、必ず傘に紐を結んで固定した物に結び
つけるようにしています。度々傘を飛ばした苦い経験があるからです)。
                             [転載・じゅん坊]

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■第1章 体験的へら釣り談義(27)

(27)『フィッシングパラソル』

 コウモリ傘を男子が日除け用に使っていたのは、関西の人に多いようでした。近ごろ
ではあまり見掛けなくなりました。20年ぐらい前までは、夏の日盛りに傘をさして街
を歩いている中年の男性を時々見かけたものです。

 ヘラブナ釣りで、私がこの傘をさして釣るのを初めて見たのは今から30年も前のこ
とです。

 私の東京時代で、千葉県の手賀沼へ行くバスの中で、船橋の会の人と乗り合わせたら
雨天でもないのに、みんなが竿袋に黒のコウモリ傘をくくりつけていました。行商人の
スタイルです。聞くと日除け傘にするのだというのです。一度使ったら止められません
よと言うのです。カッコウは悪いが、なるほどと思いました。

 それから私もそれを真似てオフクロの古い黒の絹張りの傘を譲り受け、取っ手の部分
を抜いて、それがさしこめる支柱の竹を見つけて、その先へ石尖(イシヅキ)をつけて
使ってみました。婦人用なので小ぶりですが、その代り竿が振りやすく、絹張りなので
、軽いのです。

 この傘は釣場で雨に降られたりしたらムロン大ヘン役立ちました。私がこんな工夫を
してヘラ釣り用の日傘を使いはじめたら、それを見て、真似る釣人が段々増えてきて、
釣具店でも支柱用の細いジュラルミンのパイプの先端に石尖を付けたものを売出すよう
になりましたが、しかしいずれも古いコウモリ傘を利用するので、色は黒色で、いかに
も野暮ったいものでした。

 25〜26年前に銀座へら鮒会が結成されましたが、その頃の会長は俳優の山村聡氏
で、氏等はこの黒いコウモリ傘の代わりにゴルフ用の傘の握りを抜いたものを使い始め
ました。これはカラフルでした。

 へら釣りもレジャーに昇格? したのです。黒のコウモリ傘よりこの方が数段楽しい
のです。黒色は隠遁的で、孤独的で、そもそも暗いのです。カラフルな傘の下で竿を振
ると、それだけで気分までが明るくなりました。この山村聡氏創案? の傘は、たちま
ち多くの釣人が真似て、その2、3年後には、どの釣場でもこのカラフルな日除け傘の
花が開くようになりましたが、その内、そのゴルフ傘の転用ではなく、初めからヘラ専
用の傘が市販されるようになり、もうヘラ釣りの必携品となるほど普及しはじめました


 フィッシングパラソルと名を変えてからでも10年以上になります。今日では、冬の
一時期を除いて、ほとんど一年中どこかの釣場で、幾つかのパラソルの花が咲いて、自
然の景観に彩りを添えています。
                             [転載・じゅん坊]

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■第1章 体験的へら釣り談義(28)

(28)『風に飛ぶ傘』

 ところがこのフィッシングパラソルという奴、先にも記したように、まことに風に弱
い代物です。それは雨傘のように手で持ちっきりにしていないからで、傘が悪いわけで
はありません。

 私が前項のようにオフクロの古傘を利用してヘラ用の傘を作り得意になって方々の釣
場に持ち歩くようになってから間もなくの昭和30年、オフクロが突然脳卒中で死亡し
ました。東京都営の瑞江火葬場で火葬しました。

 昔から墓地も火葬場も郊外にあるものですが、都営の火葬場は、その周辺は公園風に
なっていて、出来るだけ陰気な雰囲気が生じないように配置されていました。その火葬
場の裏に中型の池があって、そこでヘラブナが釣れたものです。

 火葬から出る骨灰が池へ流れこむので、ここのヘラブナは殊に白いなどというデマも
とびましたが、当時は魚影も濃く、いつも10数人の釣人が竿を振っていました。

 そんな或る日、私は例によってオフクロの傘を立てて、その池で竿を出していました
。不思議なことに、その日にかぎって私の他に釣人は一人もいませんでした。

 背後には、つい先日オフクロを火葬したばかりの焼場があるのです。

 私は名状し難い思いにかられながら、独り静かに竿を振っていたところ、突然、一陣
の風がさッと吹いてきて、あッと言う間に傘がふあッと浮き、目の前の池へ落ちて行き
ました。

 失敗ッたと思い、釣竿で傘をとめようと思う間もなく、傘は斜めにかしいで、今度は
風の代わりに水が流れこんで、支柱を真っすぐ上にして、ゆっくり池底へ沈んでいきま
した。何だかその傘の後ろ、つまり池の底にオフクロがいて「私の傘だ、返して」と言
っているようでもあります。オイデオイデと手招きしているようでもありました。もう
20年以上も前の話しですが、私にはゆっくり沈んで行った傘が、昨日のことのように
、はっきりと目に浮かんできます。

 その後、私は千葉の手賀沼で舟釣りをやっていた時も傘を飛ばしましたが、この時は
落ちた場所まで舟をこいで行ったところ、水が澄んでいたので沼底で逆さになった傘が
ゆらゆらしているのを見つけ、藻刈りのカマをひっかけて取り上げることが出来ました
。風にあおられた傘が水に落ちる時は、どういうものか支柱が上になります。まるで足
を挙げて、すってんころりと転んだ時の格好そっくりになるのです。

 ところが風のはらみ具合で、さながら帆掛け舟が水面を走るみたいなことがあります
。20年も前のことです。釣友と富士の精進湖でボート釣りをやっていたところ、釣友
の傘が飛びました。あっという間の出来ごとでした。すーッと飛んで湖面に傘が落ちた
かと思うと、そのまま横になって、湖面を滑るように走りだしました。仲々沈みません
。ボートで追いかけても間に合いそうな感じでした。

 ツ、ツ、ツーと何と200mも傘が走って行くのです。近くの釣人も驚いて、ボート
で追いかけ始めたとたん、まるで生き物のように、ゆっくりと斜めに傾いて、やはり支
柱を真上にして、水深20〜30mの深さの湖底へ沈んで行きました。
                             [転載・じゅん坊]

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■第1章 体験的へら釣り談義(29)

(29)『水面を走る傘』

 水面を傘が走ります。風のはらみ具合で意外に遠くまで走るものです。

 私達のクラブでは、この5、6年来、夏に入ると岡山の吉井川で例会を開いています
が、これは4、5年前の例会の時のことです。暑い日でした。みんなパラソルを開いて
竿を振っていました。

 昼頃でした。もんなのわァ、わァという声に、川筋に目を向けると、東岸から西岸へ
向けて傘が走っているのです。かなり強い風が吹いていたので、水面を走る傘の速度は
早いのです。それに仲々沈まないのです。見る見る内に川の中心を越えはじめました。
途中、川の中央の浅瀬にひッかかるらしく、時々速度が止まったりしますが、しかし正
に飛ぶように川を横切って行くのです。アレヨ、アレヨという間です。

 吉井川の川幅は400〜500mもありましょうか。驚いたことに、この長距離を走
り続けて、とうとう傘は対岸まで無事に到着しました。

 それを見届けた私達はヤレヤレと運の良い傘の無事を喜びましたが、いずれ傘の所有
者は、近くの橋を渡って傘を取りに行くものと思って騒ぎはおさまり、いずれも再び竿
を振り始めました。

 ところがそれから間もなく又、ワァワァという騒ぎが起こりました。見ると川の中に
黒い人間の頭が浮かんでいるのです。徐々に岸を離れ、東岸から川の中央に向かって川
を横切ろうとしているのです。どうやら西岸に吹きつけられた傘を取りに行くつもりら
しいのです。

 私は少年時代水泳の選手だった経験から、400〜500mもの川幅の大河を往復す
ることは、流れに抵抗しながらのことで、泳ぎも達者でないと仲々出来ないし、かなり
スタミナがいることを知っています。見た目より大へんなことなのです。

 どうなることかと見ていますと、川の中央部が、馬の背のように浅くなっているらし
く、立ち上がって水中を歩きはじめました。そして西岸近くの深場を再び泳いで、とう
とう傘を取り戻しました。

 そして、一息つく間もなく再び吉井川を横切って帰って来ました。

 傘を取り戻して、無事東岸に帰りついたF氏はパンツ一つの丸裸でした。とたんに、
周辺で事の成り行きを見続けていたクラブ員たちは、その成功を祝って、拍手カッサイ
したことは言うまでもありません。

 とんだハプニングでしたが、それほどにヘラ釣師にとってフィッシングパラソルは、
命をかけても? 失いたくない大切な道具の一つであるようです。
                             [転載・じゅん坊]

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■第1章 体験的へら釣り談義(30)

(30)『胃の痛むヘラ釣り』

 ヘラ鮒釣りに夢中になっている人の姿勢というかポーズには、どこかひたむきで、い
ち途(ず)のところがあるように思えます。

 釣場へ着いて仕掛けを取り出し、竿をつないで餌付けをして竿を振ってみます。エサ
がゆっくり落下して行き、ウキのトップが徐々に沈んで、3、4目盛り残してウキが落
着きます。

 釣人はいくらか前かがみに、ひざの上に肱をのせて竿尻を握っています。そして水面
に浮かんだ細い線に近いウキの動きに、全神経を集中して凝視します。エサが溶けます
。竿を打ち返します。ウキが立ちます。ひたむきに、ひたすらに、その動作を繰り返し
ます。狭い世界の又一段と狭い点と線の世界です。

 寒江に孤舟を浮かべて独り釣る、といった東洋的か閑寂さではありません。張りつめ
た緊張感の繰り返しと言いましょうか、ヘラブナ釣りは疲れます。ほんと。

 或る釣人は腸ががよじれて胃が痛くなると言います。釣れない時はなおさらです。厳
しいなどというものではありません。もうこうなると苦しみの釣りです。楽しくはあり
ません。

 楽しい釣りと言えば、私の場合、伊豆の狩野川へヤマベ(ハス)の蚊バリ釣りに出か
けたり、東京湾で、家族連れの仕立て舟でハゼを釣ったりしたことでしょう。

 20年以上も前の私の東京時代のことです。狩野川の大仁橋から河原伝いに下りなが
らの拾い釣りするのです。関西では寒バス釣りが盛んですが、狩野川の蚊バリ釣りは、
3、4月頃からシーズンに入りました。

 その頃は釣人の数も少なく、流れも底石が透かし見えるほどきれいでした。ゴロゴロ
した小岩に水流がぶつかって白い波が立っていたり、瀬にさしかかると小波が縞模様と
なって爽やかな音を立てていました。

 瀬釣り用の長いゴム長をはいて水に立ちこみ、丈二(3.6m)ぐらいの竿に4ッか
5ッのギジバリを付けた仕掛けを扇型に流していますとツン、ツン、ガバ、ガバと13
〜14cmの型のよいヤマベが向う合わせでハリ掛かりしました。

 雄は15cm近くの大型が多く、魚体の色彩はまるで金魚のようにきれいでした。

 それが、ぐ、ぐ、ぐーんと、腕が持ちこまれるような引き味をみせるのです。これを
流れに逆らいながら手元にとびこませるのです。その時の経験でアゴ無しのハリは魚の
掛かりが良い代わり、竿あしらいが悪いと魚がバレることが多いということを知りまし
た。

 蚊(ギジ)バリ釣りの場合は、餌釣りのような削り穂の穂先より野布袋竹の方がよく
、胴もしっかりした竿の方がバレが少ないのです。(まだグラス竿等が作られていなか
った頃の話しです)。

 それは魚の背は保護色をしているからでしょう。水底をのぞいても魚の姿が見えませ
ん。不安に思いながらも、ひと度蚊バリを流しはじめると、小石の陰にかくれていたの
か、1尾も見えなかった水の底から、キラリと蚊バリをくわえこんだヤマベ(ハス)が
釣れました。瀬頭、瀬尻、流れの潮目、慣れてくると、どんなところがポイントかがす
ぐわかるようになりました。

 私はこのヤマベ(ハス)の瀬釣りが好きでした。

               ○

 伊豆の春の野は暖かでした。野を囲むはるかな山々は、女性的に豊かで丸々としてい
て、緑一面の土堤の上には杭につながれた牛が草をは(食)んでいたり、ヤギがメエ、
メエと人を呼んでいました。長閑でした。

 私は狩野川へは、よく女房達や友人の家族を連れたりして出かけました。

 アユで有名な狩野川のことで、ハス(ヤマベ)のような小魚を釣る釣人は休日でも数
えるほどで、いつ行っても釣場は私達だけのもののように振舞えました。餌釣りを試み
ると、女子供にも何尾かのハスが釣れました。

 午前中に釣り上げた魚のワタを抜いて、昼飯時には、それを河原で空揚げにして舌鼓
をうちました。この飯ごう炊さんの時は、女性群が生き生きと活躍するのが常でした。

 河原で仰向いて、ゆっくり流れる雲を眺めながら、うつらうつらしている一と時は楽
しいものでした。

 そう、そう、その頃は東京名物のハゼの舟釣りが盛んで、それも楽しい釣りの一つで
した。

 今日では埋立てられたり、掘り下げられたりで、ハゼの産卵場所が無くなって、東京
湾ではハゼが釣れなくなってしまったようですが、20年も前頃までは、秋から冬、品
川海岸から浦安海岸にかけて、数多くの舟宿が出来ていて、そこから乗合舟や仕立舟が
出て、休日には東京湾一帯が真黒になるほどのハゼ舟で一ぱいになりました。

 練り釣りといって、舟を潮にのせて、2、3匁のオモリついた仕掛けの糸が、たるん
だり、のびきったりしないよう舟をこぎながら移動させるのが船頭のウデの見せどころ
で、達者な釣人は200〜400尾ものハゼを釣ったものです。

 一つの舟は大がい7、8名から10名ぐらいまで乗れました。気心の合った友人や家
族連れでハゼ釣りが楽しめるので人気がありました。

 昼頃になると舟をもやって、船頭は器用な包丁さばきで釣ったハゼを三枚におろして
天ぷらに揚げてくれます。これをアサリの味噌汁と共に出してくれるのです。

 潮風に吹かれて空ッ腹になった者にとって、このハゼ天は、どんな高級料理店の味よ
りも上等でおいしかったのです。

 どうも食べ物の話しばかりで恐縮ですが、渓流釣りやハス釣りなら、今日でもこんな
楽しみ方が出来るのではないでしょうか。小物の海釣りでも、こんなサービスをしてく
れる舟もあるかも知れません。

 考えてみますと、ハスの蚊バリ釣りといい、ハゼの舟釣りといい、いずれもウキ無し
の脈釣りです。アタリのショックは手の感触が頼りです。目には周りの環境を眺めるゆ
とりがあります。ウキの動きに目が離せないようなウキ釣りでは、このゆとりが出来な
いのかも知れません。少なくとも天も地も無いみたいな、せっぱつまった形相で釣るヘ
ラ釣りよりも、遊ぶ心のゆとりが生まれるのは、こんなところにあるのではないでしょ
うか。

 けれど釣りの楽しさって何でしょうか。苦行に似たヘラ釣りが、それ故にこそ、結構
楽しいという人がいます。

 むしろヘラ釣りの魅力には、アソビ心が入りこむ余地のない、釣りと人間とが一体と
なったところから、生まれてくる何かがあるように思われます。それは何でしょう。私
は30年も前からヘラを釣っていて未だにわかりません。

 ただ、少しわかりかけていることは、ヘラブナ釣りの場合は専門化するところにその
面白さがあるように思われます。漁獲を伴わない釣りだけの釣り。そこだけにのめりこ
む魅力が生まれ、物的に無償のものが、むしろ心の楽しさを生む魅力になっているので
はないでしょうか。

 私の周囲を見回しても、一度ヘラブナ釣りのとりこになった者は、みんな他の釣りを
すて、ヘラブナ釣り一辺倒に終始しています。

 ヘラブナ釣りは競技会が盛んです。釣るだけが楽しみの魚種のせいもあります。

 重量か長寸か、みんな血眼になって場所取りし、餌を打ち返す。小用に立つ間も、飯
を食う時間も惜しい。それは釣りに夢中になっているからではありません。その間だけ
でも、1尾でも2尾でも釣ろうというのです。

 前日から体の調子を整えるため、湯茶はなるべく飲まぬようにして、当日は一切の排
泄の時間を我慢するのです。

 むろん昼飯などは抜きです。餌打ちを早くするために、片手で絶えず餌の具合をとと
のえ、丸めて指の間に、2の矢、3の矢の餌を挟んでおきます。空合わせしたらハリス
をしごくようにしてのばし手早く餌付けして打ち返します。

 この動作を競技時間7、8時間もの間、一刻の間もおかず繰り返します。禁煙、禁飲
、禁便という次第で、正に驚嘆に値します。競技会に勝ちたい一心からです。

 何人かが集まれば、その釣果を競い合う面白さはわかるのですが、だからと言って、
ヘラブナ釣りは勝ち負けだけを争う釣りではないことは言うまでもありません。

 競技会で優勝したり、大型記録を破ったりすることが生き甲斐だなんて言う人がいま
す。釣りがあっての人生だなどと哲学めいたことを言う人もいます。

 誰しも魚を多く釣ったり、大きな魚を釣りたいと思っています。だからといってヘラ
ブナ釣りの面白さのすべてが、そこにあるように思うのは間違いであるように思います


 他を圧するだけが釣りの面白さではなく、生き物と闘い、それを獲得する原始的な歓
び、特にヘラブナ釣りは、それを釣ろうとする独特の釣り方で、釣り上げる、その一尾
一尾の内容の内にこそ面白さのすべてがあるように思われるのです。

 といったところで、釣り負けた時の、いらだたしい情けない気持ちは、競技会で勝つ
ことが最大の望みである人にとっては一層強いでしょう。

 けれど、そういう人は競技会や争いの釣りに、余りにもとらわれすぎているからでは
ないでしょうか。

 こういう考え方だってあるのです。競技会では、釣場のポイントを知り、他人の釣り
方を知るよいチャンスの場でもあるのです。ヘラブナ釣りを何人かが集まって楽しむ一
つの手段(本当にそうなのですが)であって、競技会が、ヘラブナ釣りのすべてではな
いと観念すべきなのです。

               ○

 さて、私は何を言おうとしているのでしょう。支離滅裂、どうせ結論めいたものも出
せっこありませんが、ただ近ごろのヘラブナ釣師の釣りぶりを見ていると、あれで釣り
が楽しいのかナという疑問がわいて来たことはたしかです。胃が痛くなるような釣りな
んて決して楽しいものじゃないでしょう。

 釣りの中の人生じゃなくて、人生の中の釣りです。ヘラ釣りだって、私達の生きて行
く上の、心を豊かにさせてくれる、ちょっとしたものなんです。言わば高級な趣味の一
つでしょう。勝ち負けだけならパチンコ遊戯だけからだって味わえる、のです。

 こんなこと誰だって知っていることでしょう。だからこそ、ヘラブナ釣りの魔力? 
にとりつかれた私達は、釣行毎にオデコ(ボーズ)の連続でも、また竿を握って、今度
こそとヘラブナの御機嫌伺いに出向いて行くのです。

 しかし、そんな善良な釣人達が、いったん競技会ともなると、他より1尾でも余計釣
ろうというより、引っかける気味合いで竿を振っているのです。それは料理を味わうな
んてもんじゃありません。茶漬をかッこむといったアンバイなのです。

 順位をつけるだけだったら、釣場や季節によっては長寸を競うことだってできるので
すが、関東の釣会では大がい重量競技が行われています。数をたくさん釣り上げること
を競い合うのです。それだけ魚を傷めます。けれど、「ウデ自慢」は重量競技でないと
ウデがわからぬと仰言るのです。

 競技会は、何も朝早くから午後おそくまで行なわなくても順位は決められるのです。
午前中で競技を終わって、午後フリーという方法だってあります。若い学生の釣人の間
では、とうの昔からこんなやり方をやっている会もあります。

 いったい日本人は遊びの楽しみ方が下手糞な人種だと昔から言われています。オリン
ピックへ出た時の日本選手のあの悲壮さはどうでしょう。

 ヘラブナ釣の競技会に臨んだ時のあの真剣さ、ひたむきさ、ゆとりが無い風なのです
。会員相互の親睦のためなどというようなものではありません。顔で笑って、心で闘っ
ているのです。勝ち負けにこだわりすぎているのです。

 例会毎にいつも下位でしかない者は、いつか出席率も悪くなり、やがて退会してしま
います。負け続けることに耐えられないのです。

 いずれにしても、このような問題は、釣の会が、競技会開催の音頭とりしかしていな
いところにあるように思います。

 そこで、これは内緒ですが、各会とも例大会の優勝者にトロフィやバッジを出してい
ますが、それを最下位者に回したらどうでしょう。

 するとベテラン達がベテランぶるために釣帽のヒサシにずらりバッジを付けて、その
重さで帽子がずり落ちたりするような失態も無くなり、代りに下位者がバッジを幾つも
くっつけて得意がるなどという風景は考えただけでも楽しいです。下位者は今まで、そ
れだけ辛抱したんだから、このぐらいのことはあってもいいんじゃないかと思います。

 もっとも、こうなるとバッジの権威? なるものも地におちて、恥ずかしくってバッ
ジをつけるものなど居なくなるかも知れません。するとバッジが売れなくなって、バッ
ジ屋が困るでしょう。いいザマです。(いや、これはとんだ失言でした)。
                             [転載・じゅん坊]

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 『新野べら釣り』(「釣の友」社刊) 一之江鮒夫・著
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■第1章 体験的へら釣り談義(31)

(31)『ポリバケツの釣人』

ススキが風にゆれ、空は紺青に晴れ上っています。野づりの好季節がやって来
ました。休日に家の中でごろごろしているのには、もったいないようなお天気で
す。

 すると「一つ、釣りでもやってみようか」という釣人がどこからともなくやっ
て来て、近郊のヘラ釣場はガヤガヤと賑やかになって来ます。

江戸時代の川柳に
「岡釣の小桶を持つは近所也」というのがあります。この小桶というのは今日の
ポリバケツの類(たぐ)いです。裏を返しますと、江戸時代でも、本格的?な釣
人は小桶などでなくちゃんとした魚篭を持っていったのでしょう。
 或いはまたすぐ近くの小川や池で、小桶持参の手軽な支度でも結構釣りになっ
たのかも知れません。

近ごろ大阪近郊のヘラ釣場である東播地方や、南の堺、八尾周辺でも、この数
年の間に宅地造成がすすんで、釣場の近くに住宅が建ち並ぶようになり、広陵地
には何階建かのマンション等の団地ができました。そこに住んでいる人達から見
ると、今までの釣場はすぐ目の前ということになります。

ついお天気に誘われて、即席の釣具を肩にして、サンダルばきで、チョコチョ
コとやって来ます。そんな人達は、古川柳の「近所也」を証明するかのように、
大がい小桶の代わりにポリバケツを片手にしています。

昔も今も「近所也」のイデタチはあまり変わらないわけですが、ただ違うのは
このイデタチの人達では、残念ながら、今日のヘラブナは釣れないということで
す。

江戸時代より釣人の数が多すぎることもありましょうが、何を言っても昔より
魚の数が減っています。それに魚の方も人付き合いが悪くなって、言わばスレッ
カラシになっているからでしょう。ヒマつぶしの代りにチョコチョコと竿を出し
ても、そのエサに食いつくほど今日この頃のヘラは、おひと好し?でもありませ
ん。

近所組のシカケを見ますと、竿はせいぜい3m前後の小竿、ウキは15cmぐ
らいのセルロイドの棒ウキ、餌にウドンを使っている者が多く、これを指先でち
ぎってハリに付け、立ち上って前方へ送りこもうとしますが、仲々方向が定まら
ず、エサがふり落ちているのも知らずに、じっとウキを見ているのです。
−−−こんな釣り方では、たとえマグレでもめったなことでは釣れません。

気の毒です。私はそんな近所組にも小ブナでもいいから釣れてくれたらいいナ
と思いながら見ていますが、やっぱり釣れません。それで1、2時間もすると辛
抱しきれずに帰って行きます。

この近所組に似たような釣人が、秋(春)の釣場にはかなりやって来ます。
「一つフナでも釣ってやろうか」式のお仲間が3、4人どやどやとやって来て、
こちらの釣っている近くへボシャン、ボシャンとエサを打ちこみます。市販の赤
(べら)のたぐいを水でこねたのを、一握りほど用意しているところを見ると、
それでもヘラブナを釣るつもりなのでしょう。

その傍で私などが1尾でも釣ると、たちまちかけ寄って「大きいなア」と羨ま
しそうに言って、私の場所がポイントとでも思うのでしょう、遠慮なく傍へやっ
てきて、立ち上ったままでボシャンと竿を打ちこみはじめます。こちらは腰かけ
たままで竿を振っているので、立ったままでおられると竿を振ることができませ
ん。

その内こちらがまた1尾かけると、たまらなくなったのか「エサは何だ?」と
聞くのです。中にはエサを分けてくれないかと厚かましい注文をする者もいます。
マッシュポテトと答えても、それがどんなものか知らないのです。

また、お天気に誘われて釣竿を担ぎ出したような若いアベックも時々見うけま
す。
釣人の群から離れて、寄り添うように並んで竿を振っているのは、ほほ笑まし
い風景ですが、女性の方は渋々ながら従って来たのでしょう。1、2時間もする
と、ままならぬ竿振りにもあきてしまったのか、釣りを止めて男性の釣りぶりを
見ていたりしますが、こんな釣りでは魚はかかるはずもなく、間もなく竿をしま
って帰り支度をするのが常です。

 −−−私はこのような釣人達にも何とかヘラを釣らせたいなと思っています。

これらの釣人達は、例外なく竿もウキやエサも野ベラを釣るシカケになってい
ません。釣り方のそもそもを手ほどきしない限り、間違っても、あの鯛に似た魚
型のヘラの強い引き味を楽しむことが出来ないであろうと思われるのです。

けれど私も釣場ではヘラを釣るために一心に竿を振っているのです。「エサは
マッシュポテト」と答えるぐらいでお茶を濁すことはできても、自分の釣りを犠
牲にしてまでもの手ほどきは仲々できません。

手軽に、ちょっと竿を担ぎ出しただけでは仲々ヘラブナは釣れないのです。こ
んな時、私は、以上の人達は、せめて釣りの雑誌ぐらいは読んでからヘラ釣りに
やって来てほしいと思うのです。読んだからといって、たちまちヘラが釣れるよ
うにはなりませんが、現地で今さらマッシュポテトとは何だ?と聞くような不用
意な釣りよりいくらかマシになり、釣人の傍で立ち上ったままでいることが、い
かに邪魔になり、そんな釣り方では自分の竿にも魚がかからぬことが解るように
はなるはずです。

あるいは「お天気に誘われて」式の釣人は、そもそも釣りの専門雑誌があるこ
とさえ御存じないのかも知れません。

雑誌を手にするような釣人は、釣りに一歩足をふみ込んだ人ばかりなのでしょ
うか。私は何んだか割り切れない気持ちでいるのです。
                      [転載・もみじのてんぷら]

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 『新野べら釣り』(「釣の友」社刊) 一之江鮒夫・著
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■第1章 体験的へら釣り談義(32)

(32)『釣場の汚れ』

 近ごろそれに似たいらだたしさは釣場の汚れについても感じます。
 つくづく、さよう、つくづくです。釣りの雑誌等では毎号のように「河川はキ
レイにしよう」「釣場は汚さぬようにしよう」と呼びかけていますが、相変らず
ヘラ釣場にはゴミが散らかっていて私はやれやれと思うことばかりです。

 物見遊山的釣人のほとんどは空瓶はそのまま、流行のアルミ缶の容器を散乱さ
せたままで帰って行きます。誰かが片づけてくれるとでも思っているのでしょう
か。

 東播のある池へ行った時、ビスケットの箱が開けられ、そのほとんどが残った
ままで捨ててあったり、まだ沢山残っているドーナッツの袋が転がっているのを
見て驚きました。家族連れの釣人が帰った跡のようでした。

 こんな釣人は、まず釣りの雑誌など読んだこともないに違いないのです。雑誌
の上で、いくら「釣場を汚さぬように」と呼びかけても、それは空へ向けて鉄砲
を打っているような事に等しいのではないでしょうか。

 市島の神池(ミケイケ)へ行った時は、釣台を据えて釣っていたぐらいで、ヘ
ラ釣りには経験のあるらしい若い2人連れがいましたが、早仕舞いして帰って行
った後には、ポリ袋や弁当カラ、ゆで卵のカラ、新聞紙、エサの空袋が、何とそ
れが2人で出して行ったゴミかと驚くくらい派手に散らかっていました。

 神池のような釣場は、新聞雑誌の情報でしか知る由も無いはずなので、多分若
い2人は雑誌ぐらいは手にしていたと思いますが、誌面を見るのは釣場の案内記
事と釣場の地図ぐらいなのかも知れません。(その後、神池は釣り禁止)

 先日は篠山町の奥の鍔市ダムへ行きました。ここはあまり知られていない釣場
で、釣人の数も知れたもののはずですが、もうこんな新場所にも早くも酒類の空
カンや餌の空袋が転がっていました。

 釣の会に所属しているような者はそんな事はないと、私のクラグの者が言って
いましたが、なるほど、会では釣人のマナーとして、お互いに戒め合っているの
で、後は野となれ山となれ式の者は少なくなっていますが、しかし人気釣場へ行
くと、釣場の片隅へ段ボールや弁当カラ、空カン等が一と所に寄せ積み上げられ
ているのを見ることがあります。例会等が行われた後の始末をこんな風にして行
ったのでしょう。

 近ごろの釣場のゴミは、ほとんど釣人が出したゴミばかりです。あながちフリ
ーの釣人だけが出して行ったゴミばかりではないように思われます。

 見渡したところ、結局散乱しているゴミの主役は、空カンと餌の空袋であるこ
とが判りました。雨に濡れたりしても溶けたりしないものばかりです。ここ数年
の間に開発された新製品ばかりです。

 10数年前の釣場は、そう言えばこんなには汚れていませんでした。弁当は握
り飯、飲み物は水筒や魔法瓶に詰めていたからでしょう。たまに散らかっていた
のは、餌のウドンの空瓶と料理用のマッシュの空袋ぐらいでした。

 釣りを終えた後の掃除は、誰でもイヤなものです。ことに釣りの帰りは心が急
(せ)きます。跡片づけして帰ることは判っていても、仲々実行できないもので
す。

 餌の空袋ぐらいなら忘れずにバックに押しこんで帰れますが、始末に困るのは
空カンのたぐいです。

 そこで私は実行の可能なことを、ここで提案しましょう。

 釣場へは、初めからゴミの主役となっている缶入りのジュースや酒類は持って
行かないようにすることです。そうすれば空カンなど出るはずがありません。ゴ
ミのもとを断つのです。そうして、この際水筒と魔法瓶を再び活用させることで
す。
 これならほんの一寸した心がけで釣場は汚さずに帰れるように思われますが、
いかが。
                      [転載・もみじのてんぷら]

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 『新野べら釣り』(「釣の友」社刊) 一之江鮒夫・著
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■第1章 体験的へら釣り談義(33)

(33)『北陸の釣り旅』

 私達は5、6年前の5月の連休を北陸路のヘラブナ釣りで明け暮れしたことが
あります。

 年に一度の大型連休、さて何処へ行こうかとかなり前からプランを練りました
が、山口県の菅野ダムはすでに東京組で満員という情報が入り、鹿野川湖はフェ
リー予約が満席とのことで、行動の自由が利くクルマを使って、釣場の多い北陸
路へ行くことに決めました。

 5月の1日から5日まで、1日おくれ、2日おくれで後続も加わって一行8名、
北潟湖、木場潟、新堀川、動橋川の吐き出し、片山津の旅館脇を釣り歩きました。

 5日間とも曇天か降雨、時にはげしい降りもあって天候には恵まれませんでし
たが、魚影の濃い北陸の釣場のこと、交互に良型を入れ食いさせて、さすが遠征
の甲斐があったと皆大喜びでした。

 私は10年余も前から北陸の釣りには度々出かけていますが、片山津の温泉宿
へ泊まると近ごろは8000円から10000円もかかります。周辺の宿でも5
000円〜6000円、これでは釣り一方の旅では宿泊費が高すぎる。つい二の
足をふむことが多いのでしたが、その年にわれわれ釣人向きのよい宿が紹介され
ました。

 山代温泉近くの財団法人石川県勤労者保養センターという鉄筋3階建ての部屋
も小ぎれいな温泉旅館でした。通称「いこいの家」(07617・6・0215
〜6)というのですが正味1泊2食付で3000円〜4000円というのですか
ら、とても安いのです。

 食堂は午前8時から開くとのことで、私達は前夜の内に朝食代わりの握り飯を
作ってもらい、それを持って早朝から出かけました。制服を着たパートのオバさ
んらしいのが、食膳をととのえたり布団を敷いたりしてくれましたが、仲々親切
でした。

 釣りから帰って来て、宿賃に反比例したような広々した浴槽にたっぷり浸って
からの湯上りの一ぱい。
 「釣りから帰って、温泉につかって、もう言うことないなア」と、みんな楽し
そうでした。

 先発したK君と私達は、1日の午後5時近く、1時間ばかりですが新堀川で竿
を出しました。折から柴山潟では温泉旅館主催の「ヘラブナ祭り」が行われてい
たので、さぞかし釣人が入りこんでいるものと思いましたが、全長1.4kmの
両岸には一人の釣人の姿も見当たりませんでした。

 拍子抜けしましたが、同時に不調なのかも知れないと、不安な気持ちで、とり
あえずこの川筋一番のポイントである豚小屋前の下水の落とし口の下手に3人並
んでかかりました。

 雨雲が流れる空模様で、北東の風が強そうでしたが、ここは高い土手を背にし
ているので、ポイントの前は小波一つ立たず、下流の潮止め水門は閉じているら
しく(水門が開いた時は新堀川は流れが強くなって釣りになりません)、微かに
左から右へウキが流れる程度の絶好のコンデションでした。肌寒い陽気でしたの
で、タナを底近くにとって、下バリにオカユを付けました。竿は丈三(4m)。

 5、6発目でまずK君が釣り、妻君、私と続いて、その内私のところが30c
m近くの良型が入れ食いとなりました。こんなに釣れるのに誰も入っていないの
が不思議なくらいでした。

 釣れる時の時間の経つのは早いものです。短時間でしたが、3人のフラシには
バシャ、バシャと良型がずっしり重くなりました。

 翌日は私にとっては久しぶりの北潟湖へ行きました。前の年の冬、小雪の中で
K君が大釣りをした釣場です。
 宿のある山代温泉から大聖寺川沿いに吉崎へ出て、日の出橋から潟沿いに芦原
(あわら)へ向いて進むと昭和橋へ出ます。

 周囲約10kmといわれるまことに広大な北潟湖の内、この昭和橋の周辺が、
ヘラブナの岡釣場となっています。

 私達が着いた頃は、もう各地からの釣人で、ここは、というポイントはみんな
ふさがっていました。私達は集落の対岸の入江の奥で、丈六(4.8m)の竿を
出しました。底藻が密生しているらしく、その藻面を狙うと水深1mぐらいの浅
さでした。

 たちまち魚が寄ってウキの動きが活発になりましたが、仲々ハリにのって来ま
せん。コイにハリスを切られたり(北潟湖はコイの多いところです)している内
に、ようやく小ベラ2〜3尾を釣りました。

 「いらっしゃい」と声をかけて、あいそのよい集金の老人がやって来ました。
入漁料300円です。昔は無料でした。それから150円になりましたが、いつ
の間にか何とその倍になっているのには驚きました。

 入漁券の裏面に「4、5月の産卵期のフナは持ち帰らぬようにして下さい」と
いう意味のことが印刷してありました。ヘラブナ釣りでは釣った後の魚は、4、
5月に限らず、再び水に戻して帰るのがすでに常識みたいになっているのですが、
ここでこんな断り書きをしなければならないところから察すると、多くの釣人は
依然として魚を持ち帰っているのでしょう。

 ここの漁業組合は、昔から時々網を引いてヘラブナを獲り、中京方面へ出荷し
ています。値になる魚を釣人が持ち帰るとなると入漁料300円くらいは、とい
うことになるのでしょう。処がこのことはまた、300円も?払ったのだから魚
を持って帰らなければソン、という気持ちにさせているのかも知れません。

 北潟湖ばかりではありません。地方へ行きますと、地元の釣人はたいがい魚を
持ち帰っています。ヘラブナであろうとなかろうと、釣った魚を食べる風習がま
だまだ地方には残っているのです。

 地方ばかりではありません。昨年柴山潟で中京方面から来た釣人達が引き上げ
た後へ行くと、ヘラブナの内臓(わた)やウロコが散乱していました。どうやら
釣ったヘラブナを料理して食べたらしい跡を見たことがあります。

 3日目、後続の3名を加えて再び新堀川へ行くと、東京から観光バスでやって
来たらしい30人〜40人の釣人がずらりと並んで竿を振っていました。小雨の
降りしきる中の釣りでしたが、豚小屋前にかかった2、3の人を除いては、ぼつ
ぼつといった程度で、この川筋の釣りとしては低調のようでした。

 私達は前日に釣った下水の落とし口の下手へ間隔を置いて並びました。落とし
口のすぐ近くには東京の釣人がいて、この人が後でフラシを引き上げたのを見る
と20kg近く釣っていました。カッツケ釣りでした。

 仲間のN君が3mほど離れたその隣に入り、その釣人にならって初めからカッ
ツケで釣り始めました。たちまち入れ食いとなり良型を次から次に釣り上げてゴ
キゲンでした。N君は私達のクラブに入会したばかりの新進気鋭の若手です。

 結局その日はN君が最高で、私が最低、他の者は平均4〜5kgの釣で、総体
に不調の時は、ほんの少しのポイントの差が大きく釣果を左右するようです。

 四日目は、一行の顔が全部揃った日でしたが、あいにく早朝からのはげしい雨
で、宿から雨具を着こんで木場潟のポンプ小屋周辺へ出かけてみました。先着に
東京からの釣人が4、5人かかっていました。雨で増水のため、かかり場が少な
く、また雨中のことで気分が悪い釣りでしたが、U君、K君は間もなく小ベラを
続けて釣りました。

 浅場では時々葦がゆれて、産卵に反転するフナがバシャバシャと音を立ててい
ました。しかし小休みなく降る雨に小屋近くの細流の水嵩が増え、昼近くになっ
て、赤濁りの水がどっと私達のポイント近くに押し寄せ、とたんに食いがとまっ
てしまいました。いったん引き上げようということになりました。

 近くの「ドライブイン」に入り、一と休みした後で、再び新堀川をのぞくと釣
人が一人もいませんでした。水門が開いて流れが強そうでした。釣りにはなりそ
うもありません。

 近くの篠原の池へ行ってみますと、新堀川から逃げて来たらしい釣人で一ぱい
でしたが、あまり竿が立っていないようでした。

 万策つきて、今度は旅館街に戻って、旅館の間から竿を出そうということにな
りましたが、建物の間からガード下を狙うような釣りで環境はすこぶる悪い釣り
となりました。

 黒い雲が流れ、北東の風が強い日でしたが、ここばかりは風を防いでいました。
しかし戦意を失ったN君は竿を出さず、妻君は温泉街へ土産物を買いに出かけま
した。

 残りの者は宿に帰るのには早すぎるというので、次々に竿を出しましたが、K
君は旅館からの下水の流れ口を狙って、良型を僅かの間に10kg近くも釣りま
した。Y君もそれに続きました。いずれも30cm近い良型でした。

 最後の5日目は、柴山潟、動橋川(いぶりばし)の吐き出し口の最下端の出ッ
張りに入りました。私達はこの釣場へは度々来ていて、お得意の場所でした。水
位が上っていてポイントが少なくなっていましたが、最突端にかかったY君が良
型の入れ食いとなりました。続いてK君、U君、妻君やN君。この釣場は最突端
のY君の場所以外は小流れがつきます。

 その日は増水のためか動橋川の流れはいつもより早いようでした。関東以来、
川筋の釣りには慣れているはずの私が、またしても最下位でした。

 それにしても、いつもながらこの動橋川周辺のゴミの散乱ぶりは目をおおうば
かりでした。洗剤類の空びん、ポリ容器、こまごましたプラスチック製品、ビニ
ール袋等、旅館街から流れついたらしいゴミに混じって相変らずのエサの空袋、
弁当カラ、まるでゴミの集積所です。

 かつては葦が密生して、ヨシキリが鳴いて、岸辺はかん木の緑に囲まれ、野趣
横溢していた頃の柴山潟の風景はもうそこにはありませんでした。ゴミの山の中
から竿を出すような環境は釣人の心を荒れさせるのか、至る所にビールやジュー
スの空かんが転っていました。

 それにどこからともなく悪臭が漂って来るので、足元を見回すと、おびただし
い30cm前後のヘラブナの死骸が、そこにもここにも岸に打ち上げられていま
した。北潟湖でも時々見かけました。木場湖でもそうでした。乗っ込みが終って、
急な減水にあって、岸に取り残されてしまったのかも知れません。いずれも無傷
の白いきれいなフナでした。それらの死骸なのです。いたましい限りでした。

 昔はこんな風景をあまり見かけませんでした。昔のフナは強かったのでしょう
か。
 あるいは釣り上げたフナを持ち歩き、最後に放流というより、放置して行った
釣人の乱暴な扱いによるのかも知れないな、とも思いました。

 どの釣の会も競技会が終ると一と所へ集って検量、検寸しています。暖期には
その場所まで魚を持ち歩いたり、魚をいじくり回したりすると、たいがいのフナ
は半死半生になってしまいます。魚はモノではなくて生き物です。死んだフナを
水に戻しても、それはゴミを捨てて行くのに等しいのです。

 私たちは釣り上げた魚は生かし、そのまま水に戻してやりたいと思います。帰
り支度をした私達は、自分達の出したゴミはバッグに押しこみましたが、残念な
がら、おびただしい雨にぬれた他の釣人が棄てて行ったゴミまでは手が回りませ
んでした。

 連休最後の日の交通難を考えて、正午に竿を納い、山代温泉近くの「ガリバー」
という店に入って食事をとりました。
 行きずりに入った店でしたが、入ってみて驚きました。店は小さいが鄙(ひな)?
には稀れな本格的なレストランでした。

 釣人のことです。メニューには載せていないようなカレーライスとか、スパゲ
ッティ、せいぜいカツレツ程度しか食べませんでしたが、都会の一流レストラン
に負けぬ味でした。値段も安いものでした。

 トイレも洗面所も一流ホテルなみだったのにも驚きました。こんな田舎で果た
して経営が成り立つのだろうか、と余計な心配をしたくらいでした。
 主人がコック場を受持ち、サービスとレジを妻君が受持っているといったあん
ばいでしたが、一人、学生アルバイトらしい可愛らしい清純そうな女の子がサー
ビスに出ていました。

 山口百恵と桜田淳子をつきまぜたような可愛さで、老人の私でもハッとしたく
らいですから同行の20代の若者達は、もううっとりとして、声もいささか上ず
ったのも無理がありません。

 雨に崇られた連休の釣りでしたが、最後のしめくくりの「ガリバー」の後味は、
フナが釣れたより、また北陸遠征をしようという魅力をみんなに持たせたようで
した。

 さて、予想されたように帰りの交通渋滞はたいへんなもので、8号線から彦根
のインターに入るまでに五重衝突の惨状を見たり、名神高速へ入ってからも3カ
所の交通事故を見ました。

 茨木、豊中方面まで、高速道路の車は終始のろのろ運転で、登り坂にかかると
対面車線のライトが金色の帯となって連なり、下から向う車の尾灯の赤の群れが、
あたかもお花畑のように見事でした。

 吹田のインターを出てからも追突でつぶれた車を見かけ、5時間で帰れるとこ
ろをその倍近くもかかって、ようやく帰りつくことが出来ましたが、ほってして
気がゆるんだのか、若い人達は「また、近い内にガリバーに食事へ行きましょう
よ」と言うのには驚いてしまいました。
                      [転載・もみじのてんぷら]

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 『新野べら釣り』(「釣の友」社刊) 一之江鮒夫・著
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■第1章 体験的へら釣り談義(34)

(34)『釣場の水洗トイレ』

 釣りは朝が早いです。ことに釣の会などで、集合時間の早い時は、午前2時、
3時起きしないと間に合わぬことが度々です。

 近ごろテレビの深夜放送まで見るクセがついてしまった私などは、午前2時、
3時となるとほとんど眠る間もないほど、起き抜けが大へん辛いのです。

 が、まだその方は何とかなるにしても、何とかならないのは体調の方です。
−−ずばり言うと用便のことです。こっちの方は、普段の朝食の方が終らないと、
絶対に門外不出なのです。

 無理もありません。一晩かかって消化されて、貯留されて、排泄されるのには、
午前2時や3時では早過ぎるのです。まだ貯留されていないのです。

 少しおくれて朝4時、5時だって、とにかく用心のためと思ってトイレに入り、
一心にお腹をもんだり、息をつめたり、祈るように御出門を願っても、ガンとし
て言うことを聞いてくれないのです。

 そのくせ普段は、朝食が終った朝8時頃には、待ちかねたように、無理なく、
いや先方の方からすすんで出門するのです。待てしばしもないくらいなのです。

 自分の体のことでもままならぬことが多いものです。彼等?はその日が釣りの
日であろうと何であろうと、この普段の出門時間をかたく守ろうとするのです。

 そこで私は、彼等を排泄せぬまま釣りに出かけることが多いのです。やがて釣
場へ着き、竿を振りはじめて、普段の定刻がやって来ると、ああ何たることでし
ょうか、彼等?は間違いなく、正直に、そこがどこであろうと、門外から出たが
り始め、腹の中で、ぐりぐりと音を立てて催促をしはじめるのです。

 私はアタリの出はじめた竿を置いて、さり気ない風を装って、近くの草叢に分
け入って、適当なポイント選びに出かけます。思いもかけぬ所でも人眼はあるも
ので、こっちから見えるなら、向うからも見えるであろうと、仲々いい場所が
見つからないものです。だが出門の催促の方はいよいよはげしくなります。

 ええ、ままよ、と手当り次第の場所でパンツをずり下げることになるのですが、
こんなカッコは恥しいですね。無防備の肉体を、たとえそれが一部であろうと露
出することは心落ち着かないものです。

 早々に切り上げて、何食わぬ顔で元へ戻りますが、「そんな時は跡へ土をかけ
るか、枯草などで、かくしておくものよ」と同行の妻君は私に注意してくれます。
良い女房です。犬だって後足で土をかけているんだものね。

 多くの釣人には定期便などというものが無いのでしょうか。いやあっても、時
と場所によっては、定期便をいつでも欠航出来る体質になっているのでしょうか。

 私のような経験を誰も持っていないのかと悩んでいたら「いや、私も青い物を
見たら、とたんに便意を催す口なんですよ」と言ってくれたのは田中武氏でした。
田中氏の青い物というのは、草の色のことで、釣場の草叢を見たらということら
しいのです。
 
 ある夏、田中氏が釣友2、3人とダム湖へ釣行した時、例によって青い物を見
たせいでしょう、とたんに我慢が出来なくなってポイント探しに出かけたそうで
す。ダム湖のことです。釣座の近くには格好の場所がありません。
 急斜面の崖を登り、その奥の林の中へ分け入ったら、細い糸のように流れのあ
る所へ出ました。

 これはよい、と田中氏はその小流れを跨いで、ゆっくり用を足しました。山奥
の水洗便所というところです。後始末も快適にすませて、坂を下って、元の釣座
へ戻ろうとして、ふとその小流れの行き先を見たら、何とその小流はダム湖へ注
いでいました。

 しかもなお驚いたことは、その流れ込みの先の出ッ張りに同行の釣友I氏が竿
を出していたことでした。
 万が一、さきほどの門外排泄物が、やがてプカプカ浮かんで、このダム湖に流
れこむようなことがあったらどうしょう。田中氏は人には言えない不安にかられ
ました。

 その不安を知らぬI氏は、背後をふり向いて「ここのダムの水はきれいだなァ、
下手な水道の水より美味そうだ」と今にも掌ですくって飲みそうなことを言うの
です。名状し難い気分になった田中氏は、ぐッと声がつまって「ああ、そうだね」
と辛うじて小さな声で答えるのみだったと言います。(そして、その後の後日談
を、私はまだ田中氏から聞いていません)。
                      [転載・もみじのてんぷら]

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 『新野べら釣り』(「釣の友」社刊) 一之江鮒夫・著
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■第1章 体験的へら釣り談義(35)

(35)『徳島の釣り旅』

 この4、5年、正月休みには徳島へ釣りの旅に出かけています。徳島は冬でも
ヘラが釣れます。大阪地方よりやや暖かく、魚にもまだ処女性が残っていて、冬
でも春のようなアタリを見せるのです。

 元旦の真夜中、正しくは2日の午前2時20分、東神戸港から徳島行のフェリ
ーが出ています。
 いつも釣りには一緒の私達夫婦と清田氏とが待合室に入ると、同じ私達のクラ
ブの仲間達数人とばったり顔を合わせました。別に申し合わせていたわけでもあ
りませんでした。

 「おやっ、皆さんも・・・・」ということになり、お互いに物々しい釣り服姿
で新年の挨拶を交わしました。みんな晴ればれとした顔をしています。

 乗船するとフェリー慣れした者ばかりで、すぐ缶ビールや弁当のたぐいを仕入
れて来ます。すぐには眼れそうもありません。車座となって、ブスッ、ブスッと
缶ビールを開けて、ひとしきり「ヘラつり談義」が賑やかです。

 気の早い者は朝食代りの弁当を待ちきれずに、早くも食べてしまいました。
 年末は超満員だったフェリーも、年を越すと乗客もがたッと減って、のびのび
と足を伸ばして眼ることができました。

 午前5時30分、徳島に着きました。僅か3時間ばかりの船旅ですが、ぐっす
りねこんで、みんな元気で外へでました。空はまだ暗いのです。
 とりあえず、その前の年の正月、最も好調だった桑野川の袂の三日月溜(みか
づきだめ)へ行くことに一決しました。そこは徳島から高知へ向う国道55号線
の小松島市を経た阿南市にあります。

 その小松島港前には、土産物屋があって、午前6時半にはもう店を開いていま
す。暁闇の中でそこばかりがアカアカと電灯が輝き、土産物を並べた店先の奥に
四つか五つのテーブルが並び、そこが食堂になっています。
 早朝のフェリーの乗客相手の店なのでしょう。私達はいつも、この店で海苔、
生卵、味噌汁にタクワン、この最も日本的な朝食をとりました。

 阿南市までの国道55号線沿いには徹夜営業のドライブインが一軒もありませ
ん。或る時、小松島港に迷いこんだのが幸いで、この店を見つけた時は、未開拓
の好釣場を探り当てたような気分になりました。

 私は旅へ出ると、どういうものかお腹の調子がさっぱりしなくなるのです。そ
の店で日本的朝食をとりながら、配達されたばかりの地方新聞を読んでいると、
不思議に家庭的な調子が戻ってきて、落着いて排泄作業にとりかかることが出来
ました。
 処が正月2日になるその日は、あいにくまだ店が閉っていました。丁度午前6
時半頃なのですが、さすが正月早々のことです。開店時間もおくれているのでし
ょう。

 ようやく夜が明け始めてきました。風もなく、絶好の釣り日和を思わせます。
外でじっと店のあくのが待ちきれません。三日月溜(ダメ)は近頃すっかり有名
になってしまったので、早くも釣場には竿を出している釣人がいるのではないで
しょうか。思いは同じで、みんな気がはやってきました。

 とにかく現場へ行こうということになりました。味噌汁には未練は残りました
が、朝食は夜中に食べた弁当ですましたことにしました。
 三日月溜に着いたのは、かれこれ午前7時を回っていましたが、こんな遅い時
間にもかかわらず釣人の姿が無かったのには拍手抜けしました。このところ不調
なのかも知れません。

 池の西寄りが深場で水深3〜4m、東寄りは浅場で水深1m半。私はその前年、
深場の宙釣りで15kg〜20kgの大釣りをしました。夢よもう一度で一行の
大半は深場にかかりました。

 徳島は初めてという吉田氏だけが南岸の中央部に入りました。私達が竿を出し
始める頃、地元の釣人の案内で、東京からの釣人らしい5,6名が吉田氏を挟ん
で池の中央部の両岸にかかりました。

 雲が切れて陽がさし、西寄りの微風が時おり流れるように吹きましたが、ウキ
がくっきり浮かんで上々のコンディションらしかったが、ヘラの動きは甚だ鈍い
ようでした。
 僅かに中央部にかかった吉田氏だけが三日月溜らしい入れ食いを見せただけで、
ベテランの西村氏、清田氏も忘れた頃竿をしぼるだけで、深場にかかった者は軒
並み総くずれでありました。

 まるで春のような暖かさでした。みんな部厚いコートをぬいで「四国はさすが
にあったかいなァ」と釣りの不調を、せめてもお天気をほめ合うことでお互い慰
め合いましたが、内心はこんな遠くまで来てと、おだやかでなかったことは言う
までもありません。

 あんなに濃かった魚の群れはどこへ行ってしまったのでしょう。度重なる釣人
の攻撃にあって魚もスレッカラシになって、私共のハリにかかるようなウブなの
がいなくなったのでしょうか。全く首をかしげたくなるような不調さでした。

 午後3時、まだ陽は高いのでしたが東京組が竿を仕舞いはじめました。
 私達もスゴスゴと道具を片づけました。



 かつて北海道の大沼で50cmを超す巨ベラを釣って勇名をはせた江藤隆介氏
が3,4年前に東京から徳島の大学へ転勤されてきて、氏の力で新しい釣場が次
から次へと開拓されました。

 四国上陸2日目は、その江藤先生が、暮れに20〜30枚ほど釣ったという天
神池へ行きました。

 3,4年前に田中氏が、初めて竿を出して、近くにいた子供に池の名をきくと
「げんげ池」と言いました。田中氏はそのままこの池を雑誌等に紹介しましたが、
ゲンゲは土地のなまりでレンゲのことでした。処が大学の先生はさすがに違って
いて、その後の江藤氏の調べで「天神池」が正しいことがわかりました。

 天神池は吉野川橋の近くにある円形の用水池で、ぐるりと囲むと30〜40名
ぐらいで一ぱいになるような小型の池ですが、水深2〜3mで意外に小深く、冬
向きの釣場です。

 徳島地方はどこでもそうですが、ことにこの池の畔には、土地の人が投棄して
行くゴミが山積していて環境はあまりよろしくありません。天神様の「ゆかり」
などどこにも無さそうな池です。

 北東岸にはすでに徳島の人が2人ばかりかかっていました。ポイントを教えら
れて、その先へ奥野氏と山本氏が入り、私達はその対面に入りました。田中氏は
東岸のゴミの山の上に釣台を据えて、お得意の19尺(5.7m)の長竿を出し
ました。

 今日も僅かに西の風があるだけで温暖の日和でした。

 最初に山本氏に50cm級のコイがきました。立ち上がって両手で竿を握って
大格斗の末、ようやく玉網におさめました。
 山本氏は「大きいナ、大きいナ」と言いながらコイを抱えるようにして、隣の
奥野氏の所まで歩いて見せに行っています。

 その内奥野氏に30cmもある大きな合ベラが掛かりました。それがきっかけ
で、奥野氏と山本氏が交互にコイ、合ベラ、ヘラと上げています。
 その度に立ち上り、格斗し、ようやく玉網におさめるといった大型ばかりです。
 みんなの羨望の眼を浴びて、お二人は、いささか興奮気味で声も上ずっていま
した。

 山本氏は2年程前に私のクラブに入会した、まだ野釣り経験は浅い人です。
昨年大学を出た息子さんが就職して、やれやれと肩の荷を下ろした50年輩で、
若い人の多いクラブの中では年長者の部に入ります。

 恪勤精励そのものピタリといったタイプで、クラブの例大会もほとんど欠席し
たことがありません。無口でおとなしい人です。息子さんが軽自動車に山本さん
を乗せて例会の送り迎えをしていました。希れに上位の成績を上げた時は、帰り
のドライブイン等で、息子さんとさし向いで、ウマそうにビールを飲んでいまし
た。人生無上の楽しみといった風でした。

 もう我慢が出来なくなったベテランの西村氏と清田氏が山本氏の隣りに場所変
えしました。けれどベテラン組のウキはピクリともしません。その内にも山本氏
に又大型が掛かって「これ合ベラかナ」と例によって魚を抱えるようにして隣の
清田氏に見せに行きました。魚を持った手が小刻みにふるえています。それは一
目で合ベラと判るようなフナですが、山本氏は大切そうにフラシに入れました。

 奥野さんは大阪の守口で食料品の卸小売を手広く商いしている人です。
 山本さんと同じ位の年輩で、年に1,2度は東南アジアまで出かけてフナに似
た魚を釣って来ます。
 私は山本さんの若々しい興奮ぶりを見ている内に、これが釣りの原点なのでは
あるまいかと、ふと思いました。
 
 私などはコイが掛かれば、竿の傷みをおそれて、早くハリスが切れてくれるこ
とを望み、それがマブナや合ベラであったりすると、とたんにがつかりするので
す。何故こんなことになってしまったのでしょう。邪気がありすぎるのではない
でしょうか。

 初心の頃は、それがコイや大ナマズであっても、オソレに似た感激に興奮した
ものです。そもそも釣りは他人に見せるために釣るのではなく、その楽しみは自
分だけが味わうものです。私は大型を釣り上げた山本氏に心から拍手を送りまし
たが、その感激ぶりは、私の釣りの原点を刺戟して、心から羨ましいと思いまし
た。

 天神池ではゴミの山の上から釣った田中氏が小ベラ20〜30尾釣っただけで、
山本氏、奥野氏といった中年組が大当りしました。

 天神池を引き上げると、私達は正法寺川畔の喫茶店「ロック」(今日では代替
りして「阿波ッ子」になりました)で休憩しました。店の前には「徳島へら鮒発
生の地」という看板が建っていました。
 ヘラブナがここで発生したというわけでなく、徳島の本格的なヘラブナ釣りが
正法寺川から始まったという意味で、当時の「ロック」のマスターの河野さんが
建てたものです。

 店に入ると、宝塚へらクラブの北氏等数人がいました。
昨日私達のアブレた三日月溜で20枚ほど釣ったそうです。
 部屋の隅の方で坂出市の大谷富男さん達がニコニコ顔で「今日は大谷川で1尾
だけでした」と頭をかいていました。

 店の棚には「つり人」「釣の友」「月刊へら」「へら鮒」等の月刊誌がズラリ
と並んでいて、お互いにそれらを引っ張り出しては、釣談に花を咲かせ合ってい
ました。

 「徳島はいいナ、いいナ!」を連発しているのは、5日から出勤のため、心を
残しながら夜行のフェリーで帰らなければならない山本、奥野の両氏で、終始憮
然として、ニガそうな顔でコーヒーを啜っていたのは西村氏、清田氏の両ベテラ
ン。
 輪島や貴の花が初日2日と連敗して、カナエの軽重が論議された時の心境そっ
くりで、私はなるべく、お2人の傍には近寄らないようにしました。



 上陸3日目は、最後の切り札の名田池へ行きました。
 名田池は吉野川の河川敷にある溜りで、吉野川が増水すると水をかぶって魚が
入りこむので魚影は濃いのです。
 帯状の川なりの池で、東西の端が浅場となっていて、中央部は3〜4mの深場
となっています。名田橋の袂にあるので釣人が勝手に名田池と名づけました。

 清田氏と私達夫婦は北を背に西寄りに釣座をきめました。水深を計ると私の所
は1m半と浅く、隣の妻君の所から先ががくっと深く2m〜3mありました。
 私たちより少しおくれて、田中武、西村、吉田氏等がやって来ました。徳島野
べら会の田中氏が同行しています。

 名田池近くに住居のある徳島の田中氏は、この池の主(ぬし)のような人で、
季節々々のポイントに詳しい人です。そして入れ替り立ち替りする釣人達の残し
て行ったゴミを独りで清掃している篤志な釣人でもあります。

 その田中氏の指示に従って西村氏が清田氏の隣に入りました。田中武氏は実績
のある中央部の柳の木の下、その先に吉田氏、季節風を考えて、みんな北側へ陣
どりました。
 四国の釣りの3日目、天候は当りに当って、この日も時おり西の風が吹くくら
いで、暖かいこと無類でした。

 田中武氏、西村氏、清田氏等はいずれも私のクラブの年間ベストテン内の名手
達で、これが一線に並びました。3日間の陽に暖められて、名田池のフナは春先
のような動きを見せて、みんなの竿先に黒くなるほど群れているかと思われまし
た。

 西村氏、田中氏が入れ食いに釣り始めて、吉田氏がそれに続いています。
しかし浅場狙いの私の所はポツン、ポツンといった状況でしたが、それでもフラ
シの中にはバシャバシャと景気のよい魚の音を聞くことが出来るようになりまし
た。

 昼近くになって、女房は携帯コンロでお湯を沸かしはじめました。カップヌー
ドル、即席うどんの類いが次々と作られてゆきます。
 土堤に座りこみ、熱いお茶を飲んでいますと、それはどんな高級なレストラン
で食事するよりもおいしい味でした。

 田中武氏がパチッ、パチッと写真を撮って歩いています。はるか彼方、煙突か
ら直っすぐに煙が立ち昇っています。
広い河川敷には私達以外に人影も無く、ウソのように静かな一と時でした。

 名田池では西村氏が7〜8kgも釣りました。僅かの差で田中武氏、吉田氏。
 西村、田中の両氏に挟まれて苦戦した清田氏と私は3kg内外。それでも冬の
釣りとしては上々で、さすが徳島ならではの釣りでした。

 「どうです、ゴキゲンが直りましたか」と西村氏にきくと口髭の間から白い歯
をニコッとさせて、「徳島はいいなァ」と山本氏や奥野氏が残して行ったセリフ
と同じことを言いました。


 私は早目に竿を仕舞って、カップ類の空ガラや餌の空袋と枯れ枝を集めてタキ
火を始めました。焚火を所によってはトントン、またはトンド、ドンドンなどと
言うらしいです。

これは余談ですが、関西で焚火の事をトンドと言ったりするのは、大阪近郊で、
1月15日、門松やシメ縄等正月の飾り物を集めて焼く行事を「大とんど」と言
うので、タキ火をどんど焼き、または「どんど」と言うようになったのでしょう。

  初め関東育ちの私がそれを聞いた時はびっくりしましたが、考えてみると「ど
んど」というのは火勢を表現しているように思えて、タキ火にぴったりだと思う
ようになりました。
 けれど餌の空袋を集めた程度の焚火では、やはりドンドという程のものでなく、
手あぶり程度の小さなものでした。
                      [転載・もみじのてんぷら]

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 『新野べら釣り』(「釣の友」社刊) 一之江鮒夫・著
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■第1章 体験的へら釣り談義(36)

(36)『アホかいな』

「暖かくなりましたなァ」
「すっかり春になりました」

 町で知人に出会ったりすると、「どちらまで?」などと聞かれる。聞く方
も別段それを知ったからといって、どうということはないのです。

「ええ、ちょっとそこまで」

 答える方もそれで答になっていると思っています。これが日本人の挨拶とい
うヤツです。

 釣りをやらない知人が私に会うと、しばしば
「いま、何が釣れますか」などと聞きます。

 いささか私の意を迎える風で、時候の挨拶代りのつもりなのです。それがわ
かっていても私は不本意なのです。私はれっきとしたヘラ釣師なのです。今さ
ら私に向って「何が釣れますか?」はないでしょう。

 私は意地悪な気持になる。

「釣ろうと思えば、コイだってタイだって釣れるんじゃないですか」

 さすがに相手も、それが本気の返事ではないことがわかるらしく、続いて二
の矢をついでこない。

 なかには両手で竿を握った格好をして、
「まだ、これ、やっていますか?」などと失礼な質問をするのがいます。

 ヘラ釣りならば片手で竿を振る格好ぐらいしたらいいのです。てんでわかっ
ちゃいないのです。下腹部の位置で両手でピンピンはないでしょう。ヘラ釣り
が侮辱されているみたいで私は憮然とします。

「ああ、まだ(ここに一寸力を入れて)やってますョ、この寒いのにね」私の
答は精一杯の皮肉のつもりです。

 拙宅には一日おき位に釣り仲間がやって来て釣談に花をさかせている。ここ
では最初の挨拶が「釣れた?」なのです。関西の商人仲間が「もうかりまっか
」で挨拶が始まるのに似ている。休日には雨が降ろうが風が吹こうが、誰も彼
も竿を担ぎ出しているのは問うまでもないことなのです。

 注釈すると、この前の日曜は釣れたか?ということなのです。続いて「いま
何が釣れますか」の代りに「どこへ行ったの?」が挨拶代りの質問となる。「
暖かくなりましたなァ」もヘチマもない。前略御免下さいです。短刀直入のや
りとりから釣談の口火が切られるのが常なのです。

 昨年の冬は異常に寒かった。釣場はいつ行っても厚い氷が張っていました。
氷割りに1時間もかかって、やっと竿が出せるといった日が多かったのです。
むろんヘラの食いも悪く、オデコ(1尾も釣れぬ)の日も度々でした。しかし
我等が釣り仲間は、そんなことではひるんだりしない。苦行僧の如く、1尾2
尾のヘラを追って釣行しました。

 金になるわけでもない。釣った魚を食べるわけでもない。釣った後は再び放
流して帰る魚を釣りに行くのです。アホかいな。

 そんな「アホかいな」の仲間の話を聞くことは、私にはとても楽しい。ひょ
っとすると私も、その「アホかいな」の仲間なのでしょう。



 私は1月中旬、風邪をひいてしまいました。年のせいか一たんひくと永びく
のが常です。ゴホンゴホン、朝の起き抜けが最もはげしく、息がつまる程大へ
ん苦しかった。
 
 とうとう2月に入ってからも、私のクラブの例会に出席した以外は、家の中
で静かにテレビを見ていました。

 私は高血圧症で、週に一度通院して薬を貰っている。こんな体なので、寒い
内の釣行はやめておきなさいとお医者さんは言うが、私は内諸で釣りに出かけ
ています。けれど今度の風邪ひきには参りました。ことにこの寒さでは、すこ
し落着きかけた風邪も、たちまちぶり返すことであろうことをおそれて、ここ
10年ほど、かつてないくらい長い間、釣りを休んでしまいました。

 休日に釣りを休んでいると一日中、心が落着かないものです。釣友はみな釣
りに出かけています。私の体のことを心配してでしょう、誰も誘いに来てくれ
ません。

 朝から小1時間おきぐらいに戸を開けて空を見ます。釣行した釣友のことが
心にかかるからではなく、それが証拠には、雨が降って来たり、風が強くなっ
て来たら、妙に落着いた気分になるから妙です。

「どうせ釣りに行けないなら、むしろお天気が悪い方が、あきらめがつく」と
いったところなのです。−−−自分本位なのです。

 ところが風なく雨なく、青空が広がった釣り日和だったりすると、家の中を
行ったり来たり、落着かないことおびただしい。さぞ今日は釣れたろうなァと
思うと、むしろお天気のよいのが、うらめしくなるのです。

 釣友の釣り日和を喜んだりする余裕などはありません。どうせこっちが釣行
出来ない日は大風、大雨になってくれた方が、何とサバサバしてよろしいこと
か。

「それで、あの日どうだった?」と聞いて「やっぱり食い渋りが続いていて、
釣れませんでした。」
「あのお天気で、それは残念だったねェ。」と同情するみたいな言葉を吐いて
いるが、何とまァ、私の心底では、それでよし、よしと喜びの声を上げかけて
いるのです。

 自分が釣りに行けなかった日は、日本国中の釣人がみんな不漁であってくれ
ればよいと、私の心の底は望んでいるみたいなのです。浅ましいな、まったく。
                          [転載・SIVA]

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 『新野べら釣り』(「釣の友」社刊) 一之江鮒夫・著
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■第1章 体験的へら釣り談義(37)

(37)『女性ヘラ釣師』

 それにしても女性のヘラ釣師が少ないのはどうしたことでしょう。近ごろは
女性も色々なスポーツに進出し、ゴルフなどはプロで世界一が誕生したほどで
、ソフトボールとなると女性だけでも仲々手強いチームが出来ているらしいし
、なかにはプロレス、プロ野球までやる女性がいます。

 が、釣りの世界となるとおびただしい釣り人口の割に女性の数は少ないので
す。

 昔、20年ほど前、私達が関東で竿を振っていた頃には、それでも20人近
くの、女性ヘラ釣師に釣場でよく会ったものです。関西へ来てからは、女性の
野釣りのヘラファンをほとんど見かけたことがありません。

ヘラの餌は、ピクピクしたり、くねくねしたり一見気味の悪い生き餌を使う
わけでなく、餌は普段料理用に使われているものばかりなので、甚だ女性向き
だと思われるのですが、ママさんバレーはやっても、ヘラ竿を手にしようとは
しないのは、むしろ不思議なくらいです。

 私のクラブの仲間でも奥さんにヘラつりを手ほどきして一緒に釣りに出かけ
たいと思っても、何しろ、まだ子供が小さくてね、釣場へ連れていくわけにい
かないんだ、というのが大半です。

 こんなところが女性ヘラファンの数が少ない最大の原因であるのかもしれま
せん。実状は、子供がいない夫婦だけが一緒に釣りに出かけているのでしょう。

 しかしスキーなどには、若い高校生や女子大生、OLなどがろくに滑りもし
ないのに出かけています。若い男の子の誘いに釣られて出かけているのかも知
れませんが。
 
 我がクラブでもこの事が問題になったことがありました。若い女性のヘラフ
ァンが会員になったら、会の雰囲気はもっと華やかになり、品もよく、マナー
も一層よくなるのではないかというのです。

 若い会員は、職場で若いOLを誘ってこい!出来れば女性班が作れるところ
まで増やそうじゃないかと、もうみんな眼を輝かし始めていました。

「その時の釣りの手ほどきはワシがやる。」
「いや、適任者は僕だ」などと、まだどこの誰が入るかもわからぬ内から、世
話役志願者続出でした。

 ところが、どんな場合でも冷静、沈着に物事を考える人がいるもので、この
時も一人、
「若い女の会員が入ったら、ウチのカミさん、今までのように快く釣りに出し
てくれるかなァ」とぽつんとつぶやきました。

 この一ト言が利きました。みんな現実に立戻った風で、今までの熱気が一ぺ
んに冷えてシュンとしてしまいました。下手に浮き浮きしようものなら「あな
た、釣りに行くのがそんなに楽しいの、若い女の会員が入ってから妙に張り切
っているわねェ」などと白い眼でにらまれたりする場面が、たちまち連想され
たのでしょう。

 これで若い女性を新会員に勧誘する件は、オジャンになってしまいました。

 ヘラ釣師というヤツは、揃いも揃って恐妻家揃いです。若い女性より、白銀
色に輝いた魚型を追う事に夢中な無邪気な種族なのです。世の奥様方御安心下
さい。
                         [転載・SIVA]

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