00956/01081 HFD03224 YASU eye's 1
( 5) 97/10/09 07:25

             「eye's」
                                 YASU

「やれやれ、こいつらに餌をやるのもこれで最後か」
「ああ、こう釣り人が少なくなってはしょうがないな」

  夕暮れ時のし〜んと静まり返った湖で年老いた男達が桟橋で何やら放流しよ
うとしていた。

「もう、バスでやっていける時代は終わったよ」
「ああ、以前はロッドを振る場所がないくらいにバサーが押し寄せたのに」

 コウタロウとヤマ太郎は、そんな二人の会話を暗い桟橋の藻穴の中で聞いて
いた。コウタロウは大口バス、ヤマ太郎はヘラブナ、奇妙と言えば奇妙だが、
小さい頃から二匹は仲良しでこの桟橋の下で暮らしているのだった。

「ああ、可哀想だが、もう金も無くなっちまった」
「それ、最後の餌だ」

 男達の姿が水面にゆらりと映る。バケツの中に入っていたワカサギは湖面に
放たれ、水中は細かい泡と驚き逃げまどうワカサギで、にわかに騒がしくなっ
た。

 やがて、その音につられるように腹を空かしたコウタロウの仲間が我先にと
ワカサギを追いかけ回しはじめた。

 時は西暦2100年。全てのスポーツフィッシィングがデジタル化され、昔
ながらの釣りがすっかり影を潜めてしまっていた。子供達は3Dバーチャルフ
ィシングに夢中になり、大人達もこの事故のない釣りを歓迎した。

「これを喰い終わったら、こいつらはどうなるのだろう?」

 モコッ、モコッと、ワカサギを追いかけまわす魚が盛り上がる湖面を見なが
 ら白髪の男がタバコに火を付けた。

「ああ、ブラックはヘラブナと違って生きた魚しか喰わないからな」

 隣の火を借りながら、もう一人の老人は山に沈む夕日を寂しそうに眺めてい
る。

「昔のブラックは共食いはしなかったが・・・」
「ああ、でも、こいつらは生き餌をふんだんに与えて改良したからな」

 過剰なブラックバスの放流は湖の生態系に著しいダメージを与えた。共食い
をしないブラックバスは湖の魚を食い尽くす前に自然の摂理によって個体数を
調節する。しかし、利益を追求する人間にはこれが面白くなかった。釣り客を
呼び込みたい漁協は、定期的なワカサギの放流をおこない、そんな人工的な環
境下で個体も変異を始めたのだった。

「そう、誰でも釣れるように、どん欲に改良された」
「しかも、どう猛で暴れるからそれがまたブームになったんだっけ」
「ああ、でもそれも今日でしまいさ」

 こう言い残すと男達は、ゆっくりと湖を見回すと静かに桟橋を後にした。

           △    △     △

  そんな、陸上の静けさとは逆に、水中はまるでバケツをひっくり返したよう
な大騒ぎになっている。

 コウタロウも男達の姿が見えなくなるのを待って放流されたばかりのワカサ
ギを10匹ばかり飲み込んだ。そして、ゆっくりとヤマ太郎がいる桟橋の下に
戻ると大きなあくびをした。

「そう言えば、ここ最近、仲間の数が減ったような気がするな」

 ヤマ太郎は大きな魚体を反転させ、トロンとした目を声の方向にむけた。

「そうかな?俺の仲間なんかとっくにいなくなっちまった」

 ヤマ太郎は山上湖がブラックバスの釣り場でにぎわう前、ヘラブナ釣りのメッ
カと呼ばれた時代に放流された古参である。漁協の方針で湖はブラックバス専
用の湖になって以来、小さいヘラ達はやがてブラックバスの餌になり、とうと
う湖は餌にするには大きすぎるヤマ太郎とブラックバスのみという環境になっ
てしまっていた。

「どうだい。俺の目の赤みはとれたかい」
「ああ、いつもの目に戻ってるよ」
「どうも腹が減ると目が赤くなり、何がなんだかわからなくなっちまうからな」
「それがお前達が赤目バスなんて呼ばれてるゆえんだろう?」
「そうだけどさ。俺たちゃウサギじゃないんだから、いやんなっちゃう」
「あはは、そりゃそうだ」

 そんなたわいもない会話をしていた二匹だったが、やがて湖が闇につつまれ
る頃になると、仲良く体を寄せ合い、ふんわりとした藻穴の中で眠りについた
ようだった。

 夜の湖は本当に静かだ。液体までが眠りについてその流動性を失い、ゼリー
状になった中に全ての生き物を封じ込めている。生き物達もとろりとした微睡
み(まどろみ)の中に体をあずけ、一時の平穏を享受する。

 しかし、そんなけだるい夜もやがて水面がさざ波をたてる頃になると終わり
を告げ、一気に躍動する朝がやってくる。

 水中から見る山上湖の日の出は想像を絶するくらい美しい。夜明けとともに
雄大な富士がうっすらとその輪郭を湖に投げかけ、やがて荘厳な光のシャワー
が湖面を渡ると、いっせいに何千、何百万もの色彩達が目を覚ます。

 そして、朝を待っていた小鳥達の楽しそうなさえずりがモーニングコールと
なってコウタロウ達が眠る桟橋の下にも聞こえてくるのだった。

「おはよう」
「ああ、でもまだ眠いよ」
「相変わらず寝起きの悪い奴だ」

 こうしてコウタロウとヤマ太郎の一日が始まる。ヤマ太郎はゆっくりと藻穴
を出ると、悠然と湖を泳ぎながら、植物プランクトンをゆっくりと飲み込みは
じめる。大きなヤマ太郎を見ると大抵のブラックバスが物陰に隠れ、餌を追う
のをやめた。朝寝坊のコウタロウもヤマ太郎の出た後で、少し赤くなった目を
させながら小魚を追うのが日課だった。

 何年も何十年も二人はこの生活をしてきたのだった。一度、コウタロウが釣
り上げられた時には死ぬほど心配したヤマ太郎だったが、それ以来、目が真っ
赤になり異常な行動に出る前にコウタロウに餌を追うように教えるようにして
いた。それが、この二人の長生きの秘訣のようなものだった。

              eye's 1

00957/01081 HFD03224 YASU eye's 2
( 5) 97/10/09 07:26

 しかし、あの最後の放流から1ヶ月が過ぎ、コウタロウとヤマ太郎の朝の日
課にも微妙な変化が起こっていた。いつもなら、ヤマ太郎はコウタロウの目が
赤みをおびてくると餌を追うように言うのだが、この頃は一切、目のことは言
わなかくなった。

 毎朝の散歩でヤマ太郎はブラックバスの共食いを何度も目撃したし、ヤマ太
郎自身、ブラックバスだって目が赤くなり、異常興奮状態でなければ共食いな
どやってられないだろう、と思ったからだった。

「行ってくるよ」
「ああ、気をつけてな」

 そんな会話を残してコウタロウは真っ赤になる寸前の目をしながら出かけて
いった。ヤマ太郎はそんなコウタロウが見ておれず、しばらくしてから朝の食
事に出かけるのだった。寂しそうなコウタロウを見ていると、生き餌を人間が
放流し、二人は釣り師のルアーだけ注意していればよかった時代が懐かしかっ
た。

 湖は日増しに静かになった。まず、小さなバスが姿を消し、やがて中型のバ
スも姿を消してしまった。あちらこちらで、目を真っ赤にしたバスがどう猛な
表情で泳ぎ回っていた。数が減った分だけ大型はさらに大型になった。そして、
少しでも小さいバスを飲み込むのだった。

「ヤマ太郎、世話になったな」

 ある日、突然、いつものように桟橋の下から出ようとするヤマ太郎にコウタ
ロウは寂しそうに話しかけた。

「どうしたんだ」
「どうやら、俺はここを出て行くしかないようだ」
「どうしてだい。長い間、仲良く暮らしてきたのに」
「ヤマ太郎、俺は湖の反対側で生きていくことにした。もう二度とお前と会う
  ことは無いだろう。ヤマ太郎、絶対に湖の反対側には近寄るなよ」

 コウタロウはヤマ太郎より大きくなってしまった魚体を大きく反転させなが
ら、恨めしそうに住み慣れた桟橋の天井を見上げた。

「俺はいつまでも、何があっても、お前の友達だからな」

 コウタロウの優しさがやっと理解できたヤマ太郎は聞こえないくらいの小さ
な声でつぶやくのがやっとだった。

            △    △    △

 そんな別れから数ヶ月が経った。あれから何倍にも巨大化したコウタロウは
毎日のように仲間を飲み込み続け、腹がいっぱいになる頃に、ふと我に返るの
だった。

「ああ、こんな事がいつまで続くのだろう」

 気を許せない弱肉強食の毎日が続いた。自分を振り返れるほんの少しの瞬間、
長年住み慣れた桟橋とヤマ太郎との幸せな穏やかな生活がもう随分と昔のこと
のように思えた。

「ヤマ太郎、元気かなぁ。会いに行きたいな」

 そうつぶやいたコウタロウは、この時点で湖には、もはやヤマ太郎とコウタ
ロウしか生存していないのに気がついていなかった。

 コウタロウの体は以前の数倍以上も大きくなっていた。そして、より大きな
魚体は大量のエネルギーの補給を必要とする。コウタロウは自己抑制が利かな
 くなる時間が段々と短くなってくるのを感じ始めていた。

「ああ、まただ。また、訳が分からなくなってきた。もう真っ赤になっている
かな?」

 コウタロウは恨めしげに大きな自分の体を見渡すと意識が遠のくのを感じた。
数時間後、真っ赤な目をした、どう猛なブラックバスそのものと化したコウタ
ロウはものすごいスピードで湖を泳ぎ、獲物を探しまわっていた。

 そんなコウタロウをよそに、ヤマ太郎は今朝ものんびりと起き出すと悠然と
藻穴を出て朝の散歩に出るところだった。大きなあくびをすると「さあて、メシ
でも喰いに出るか」とサイハの中の水をプーと吐き出した。

  朝の光がカーテンのように水中にさし込んでくる中をゆっくりと泳ぎはじめ
 た。水草の中をかき分けるようにして大きな口を開ける。こんなにも素晴らし
 い環境なのに周りは静まり返っていた。

 やがて餌を食べ終わってのんびりと桟橋の藻穴に帰ろうとした時だった。だ
れもいないはずの桟橋に何かの大きな魚の気配を感じた。薄暗い桟橋の下から
ただならぬ気配がして赤い目がこちらを睨んでいるようだった。

「コ、コウタロウか?」

 目を凝らしてみると、何倍にも大きくはなっていたが藻穴の横にいるのは、
あの懐かしいコウタロウだった。

「コ、コウタロウ元気だったか。生きていたんだな。心配したぞ」

 嬉しさのあまりに早口に話しかけるヤマ太郎。だが、先ほどからコウタロウ
は真っ赤な目をしてヤマ太郎をじっと見ているだけだった。しばらくの沈黙の
後、ヤマ太郎は全てを悟った。

「そうか、もうこの湖には僕らしかいないんだね。君には前にも言ったけど、
  僕達は何があっても何時までも友達だよ」

 そう言うと、ヤマ太郎はゆっくりと寂しそうに桟橋の藻穴に近づいていった。

         ・・・ゴボッ、ガバッ・・・不気味な音が桟橋に響きわる。

           △    △     △

「ああ、なんて事だ。ヤマ太郎っーーー」

 冷静さを取り戻したコウタロウの目に映ったのは、あの懐かしい桟橋と、見
るも無惨に破壊された藻穴。ヤマ太郎と楽しく過ごした藻穴だった。もちろん、
ヤマ太郎の姿はどこにも無い。

  コウタロウの顔面からサーと血の気が引いた。

「嘘だ。嘘だ。嘘だぁーー」

 コウタロウは気が狂ったように叫びながら湖中を猛スピードで泳ぎ回りヤマ
太郎を捜し始めた。泳げども泳げども湖には生ける物はいなかった。目からは
大粒の涙が流れ、ヤマ太郎の思い出が次から次へと浮かんでは消えた。

 太陽が山並みに隠れる頃、コウタロウは桟橋の前で泳ぐのを止めた。そして、
「ヤマ太郎ーーー」と大声をあげると猛スピードで桟橋に体当たりをし始めた。
桟橋は死を覚悟したコウタロウの体当たりでぐらぐら揺れている。コウタロウ
はそれにも飽きたらず、時には近くの鋭い岩に体当たりをすることもあった。

 しかし、何倍にも大きくなった体と鎧と化した皮はとてつもなく頑丈だった。

「死ぬことさえ出来ないのか。死ぬことさえ・・・」

 コウタロウは悲壮な叫びをあげながら何度も何度も桟橋に体当たりを繰り返
 す。コウタロウにとっては泳ぎ回り叫ぶしか、やるせなさを追いやる手だては
 無かった。

 やがて、そんなコウタロウにまた変化が現れた。体力を使ったためにまた異
常な食欲が精神を蝕み始めたのである。以前にもましてコウタロウの目は真っ
赤に染まっていた。だが、もう湖には生き物などいない。それでも、コウタロ
ウの体は獲物を要求し、コウタロウの体は「喰う」と言う命令のみに支配され
たのである。

 そんな異常なコウタロウが獲物を求めて反転した時、赤目に何かの尻尾が映
った。コウタロウの大きな口は思わずガバッと獲物の尻尾に食らいついた。そ
 して、ゆっくりと獲物を飲み込み始めたのである。

 月の光に照らされている湖の中央ではゴボッ、ガバッと何とも奇妙な光景が
展開されていた。冷静さを失っているコウタロウはあろう事か自分で自分を飲
み込もうとしているではないか。ゴボッ、ガバッ、不気味な音が何時間も静か
な湖にこだました。

 やがて、コウタロウの赤目に獲物の頭の部分が見えはじめ、コウタロウは渾
 身の力をこめて腹の底から大きく獲物を一気に飲み込もうとした。その瞬間、
 不思議なことが起こった。コウタロウの口は両目だけをそぎ落とすようにして、
 くわえ込んだ全てを暗い亜空間に「するり」とすべり込ませてしまった。

          ☆      ☆     ☆

 大きな波紋が静まり返る頃、湖面にはコウタロウの目だけが、ぷかり、ぷか
り、と浮いているだけだった。月光にきらきら光るコウタロウの目はまるで大
粒の涙を流しているように見えた。

 しばらくの間、目は恨めしげに大きな月を映していたが、やがて、ゆっくり
 と大きな弧を描くと暗い湖底へと沈んでいった。

          (「eye's」 読んで下さってありがとうございました)