もじりさん解禁の日@2007 昨年の10月の終わり以来、釣りはすっかりご無沙汰でありました。
会社の事務所の模様替えの時にうっかり捻って痛めた腰のこともあり、釣りと車で長時間同じ姿勢で座り続けるのが辛かったことと、冷やすのが怖かったこともあって、休日となると飽きることなく足腰の鍛錬を続けておりました。
おかげさまで「松坂牛」状態だった体もそれなりにシェイプでき、昨年同時期に比べて体重も約14Kgの削減となり、ささやかながら地球温暖化に協力できたのではないかと喜んでおります。(^^)
ということで春3月。周囲の華々しい釣果を横目で見ながらじっと我慢していたのでありますが、3月10日、めでたく解禁となりました。3月10日
かなり遅い今年の開幕戦は岡山方面に出向くことと決めていた。
できれば土曜の夜は姫路あたりで野宿して、そのまんま加古川でやってみようと言う算段だったのだけれど、あいにく天気予報は寒波到来を告げている。
加古川では、ヘラ研阪神さんの例会にお邪魔して、杉原氏と合流するつもりでいた。
しかしこの寒波。
野宿は馴れているから苦にならないが、寒波到来となればちょっと辛い。良くはなったとは言え、まだ雨の前には腰が重怠く感じることも多いので、大事を取って開幕戦は市川一本に絞ることにした。前夜、まるで子供が遠足に出かける準備をするような浮かれる気分で準備をする。
アレがない、コレがない・・・などと大騒ぎしながら、ようやく準備が終わったのはもう深夜になっていた。
熟睡できないまま目覚ましに起こされる。
午前五時。まぁ、今年の初釣行だから重役出勤で良いかと、はやる心を抑えながらメールチェックをする。「加古川へ例会の下見に行きます」という杉原氏からのメールが届いていて、それならばと、読んだ瞬間に家を飛び出し、目的地を市川から加古川へ変更した。
通い慣れた国道372号線をひた走る。社から175号線に入る頃には、もう社会はしっかり活動していて、通勤の車だとか工事現場の重機がせわしなく動いていた。
加古川の堤防道に入る。
加古川の釣りは、1979年9月30日のNHR秋期大会以来である。当時の記憶に残っている中州だとか江湖はすっかり姿を消していて、川はコンクリートを塗りたくった、直線的な流れに変わっていた。
とりあえず河川敷の駐車場に車を乗り入れ、遊歩道での軽いウォーキングを済ませる。
不思議なもので散歩の日々を繰り返していると歩けない日はストレスを感じるので、できるだけ時間を作って歩くようにしている。久しぶりの釣りだというのに、先ずは散歩から始める自分がおかしくてならなかった。(^^;;
右岸を走る。下流から上流に向かって走っていると、通称・牛小屋と呼ばれるあたりに釣り人が二人竿を出している。話を聞こうと河原に降りていくと、携帯電話の真っ最中。
じゃまをしてはいかんということで、その釣り人の上流、牛小屋の真下に釣り座を構えることにした。
ええい、とにかく始めての釣り場と同じなので、どこに入ろうと迷っている場合ではない。ポイントなんてものは全然知らないのだから、先釣者がいるだけでそこがすなわちポイントなのだ。(^^;;
ぐふふ・・・ ステーキ(^^) うまそ まだ昇りきっていない朝日を正面に受けながら、上着を脱いでいそいそと準備を始める。
竿は飄々12尺。
久しぶりに和竿のバネをこの手に感じ、なんか、懐かしい気分になってくる。釣りができる喜びを、下流から運んでくるさわやかな風とさざ波の音が受け止めてくれているようで、実にすがすがしい朝であった。白い餌を打つ。ウキが立つ。馴染む。切る。
そんな、単調な作業を繰り返している時、杉原さんから電話が入る。
2号線下流の階段で竿を出しておられ、すでに一枚GET!されているとのこと。
打ち出してまだいくらも時間が立っていないので、とりあえずお昼までここでがんばってから合流しようと言うことになった。約2時間。ぴくりとも動かないウキに愛想を尽かせ、杉原さんの釣る2号線まで右岸を下る。
途中、渋滞に巻き込まれながら到着したのだけれど、釣り道具はあってもご本人の姿がない。(^^;;
散歩中の近所のおぢさんを捕まえて時間を潰していると、「飯に行ってました」と戻って来られた。実は杉原さんから嬉しいお話を頂いていて、私が敬愛する故・一之江鮒夫さんが所蔵しておられた「源竿師」16尺を信じられないような価格で譲って頂く事になっていた。
しかも、オリジナルはそのままに、現代の釣りにも耐えられるようにと、元、元上に合わせて3番、穂持ち、穂先を別に、新しく作ってくださっている。
取り出された竿はまだハコ釣りが全盛の頃の、古きよき時代の釣りに合わせた華奢な作りで、7,8寸のへらさんを釣る釣りに適した調子のものであった。
でも、川の釣りを覚えるちょっと前までは、ボクはこんな調子の竿が大好きだったので、神池だとか青土ダムだとか、ちゃんべら主体の釣り場なら今でも充分通用するから、コレはこのままでも良いのかもと考えていた。
しかし、最近の釣行の主体となっている川の釣りに使うにはあまりにも弱すぎて、川の釣りにも使えるようにと新しく組んで頂いたものはそれとは対照的に強靱で、同じ竿とは思えないほどバネの強い調子に仕上がっていた。これなら川の強い引きにも十分に耐えられる。竿なんて所詮道具であって、どんな高名な銘であっても高価な竿であっても使ってやらなくてはなんの価値もない。故・一之江さんが所蔵していらっしゃったものだからといって、大切に飾って置くだけではなんの意味もないし、大切に使ってらっしゃった氏に対しても申し訳ない。
あの、敬愛する故・一之江鮒夫さんの竿が今私の手に収まっている。それだけでも感激しているのだけれど、再びお日様の元で水を切れるようにしたくださった杉原さんの好意に報いるためにも、臆面することなく、がんがん使ってやろうと思った。
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元より上側が源竿師16尺6継ぎオリジナル。
下側の3番、穂持ち、穂先が飄々作14尺5継ぎ。つまり、オリジナルの16尺でチャンベラ用としても使え、14尺として川の強いへらさん用としても使い分けができる。
特筆すべきことは、飄々作の穂先は高野竹と真竹の合成となっていて、強く軽く仕上がっている。
この竿、源竿師オリジナルに孤舟道場の手が加わった、へら竿界の二大巨頭のJVでできあがった、ちょっと信じられないような竿。
-----この竿を横にこれを書いている今、故。一之江鮒夫氏が中心になって書かれた「新・野べら釣り」の中の「体験的へら釣り談義」に綴られた氏の文章の一文字一文字が浮かんできて、今とは違うへら鮒釣りの時代の、あの懐かしい草息れの香る牧歌的な光景が目に浮かんでくる。
あの時代にもう一度、、、、とは思わないが、あの時代の釣りは私のへら釣り人生の中の大切な一齣として、いつも心の片隅に残しておこうと思うのである。-----「アタリが無くなりました。給水管を見に行きますか。」と杉原さん。
二つ返事で後に続く。河原に降り立ち、いそいそと準備を始める。
先に竿を出している地元に人たちよりも少し下流に釣り台を立て、蛇篭の沖目を狙って18尺を伸ばすことにする。夕方からは雨が予想されたこともあって、この日は夢さんから頂いたカーボンで釣ることにした。
午後1時半。再び餌を打ち始める。
朝と同じで、単調な作業が着々と時間を消費する。まったくアタリがない。気配もない。緩やかな流れに任せ餌を流す。流しきって切る。再び餌を流す。
とにかく、退屈なだけでまったく気配の無い加古川の風景 1時間半ばかりそんな退屈な時間を使い、しびれを切らせて上流に入られた杉原さんの様子を見に行くが、やはりダメとのこと。
予想より早く小雨が降り出して、いよいよ本降りになるかという心配もあったものだから、私は急いで自分の釣り座に戻った。
「床休めが効いたかな?」なんて餌を打つ。馴染み際になんか違う動きが出て、馴染んだ瞬間に2節もある押さえ込みが出る。「ん!? まさかっ??」
合わせるとずっしりとした重量感が伝わってきて、沖目に走ろうとするへらさんを無理矢理引っ張り、右に左に走ろうとするのをなだめながらタモに納める。
「やった」
今年初釣行で初釣果である。しかも、始めての加古川のへらさん。
型は尺2寸。ちょっと頭でっかちの野武士的風貌である。(^^)
あまりの嬉しさに杉原さんに報告に行き、戻ってしばらくすると再び同型が釣れてくる。その後はウキが落ち着かず、小さな触りが出るものの明確なものは出てこない。
胸の張った川独特のへらさん。尺2寸級の口を割らない頑固者。 餌を練り込んで小さくしてみたり、硬くしてみたり、床をずらせてみたり鉛を噛ませてみたりと、いろいろと試すのだけれど、一向に明確なアタリは出て来ない。
それならば・・・と、少し床を切って流してやると、今までのモヤモヤが嘘のように小さいけれど明確なアタリでハリに乗ってくる。
ヘラグルテン単品をべちょべちょにして、まるでとろろ状態にまで柔らかくして小さく付けてみる。
いきなり「ズルッ」。尺1クラスではあったが、なかなか口を切らない胸の張った元気なへらさんがタモに収まる。(^^)明日の例会に備え、先に帰路に就かれる杉原さんを見送って、夕方、小雨の降る中をウキが見えなくなるまでがんばったのだけれど、同型を2枚追加するのが精一杯だった。
結局、尺1から尺2までを5枚。
私にとって、初釣りの釣果としては上出来だった。