我が家の動物記 |
数年前に購入した山中の我が家。大きな栗の木をはじめ緑も多い中、犬1・ネコ5・ニワトリ10・人間2が生活しています。
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おネコの出産 2003年07月 |
5月の日記に書いた我が家に来たお猫さん達、元気です。オス2匹(名前は「三太」と「タマノスケ」)は近所の野良猫にけんかでコテンコテンにやられて、ほとんど家の中で生活しています。メス1匹は外出好きで(誰に似たんだか?)朝帰りも珍しくありません。そのメス猫「ハーティ」がどうやら妊娠したよう・・・・と気づいたのは5月中旬頃。相手は事もあろうに我が家のオス猫たちをいじめる「ヤクザ猫(我が家で勝手につけた名前)」のようです。「あんな、うちの猫を追いかけ回しているのに」「強い遺伝子を望むのは本能?」などとカミサンとも話していましたが、ネコの世界の睦みごと・・・・よくわかりません。 さて、妊娠したにしてもネコの妊娠期間を知りません。早速インターネットで「猫;妊娠期間」と入れて検索したところ、幾つかのサイトがヒットしました。曰く「63日〜65日」。7月になってから動きが緩慢になり、床に横たわっている時間が長くなりました。お腹はもこもこ大きくなり、乳もどんどん張ってきます。 そして13日の日曜日、朝5時前。いつも足元で寝ているハーティの様子がおかしい。アッと見ている時に続けざまに2匹出産。続いて1匹。「初産だからもう終わりか」と思っているともう1匹。ベットは汚れまくり、「シーツの下に何かパットを敷いておけば良かった」との想いも後の祭り。ベショベショの赤ちゃん達はハーティがきれいになめているうちに乳にしゃぶりつき初食事。目も見えないのに本能だなぁ。布団など一式は即座にクリーニング屋へ直行。人間は2階のベットを追い出され、1階の和室へ寝床を移すハメに。 ネコ親子はベット上で暮らしていましたが、4日目の早朝、誰もいなくなっています。「ネズミに取られたのでは」「4次元世界へ行ってしまった」と超現実的なことを言いながらカミサンは早番で職場へ。残された私は冷静に思いをめぐらします。そして気づいた洋服かけの中。暗いボックスの中に手を入れると・・・・いましたいました。ハーティが1匹ずつくわえて運んでいたのです。 その暗いところで約3週間。赤ちゃん達の食事は全て母親ハーティの母乳、下の世話も母親がなめて済ませます。子猫たちは目も開き、片手の手のひらに乗るぐらいの大きさになりました(時々引っ張り出して眺めていました)。そして8月に入ってすぐの朝、4匹は初めて床に降りていました。これも母親がくわえて降ろしたのでした。 しかし、ハーティは昨年5月に生まれた猫。体も他のネコに比べて小さく、まだ子ども子どもした感じ。「猫や犬は1年で人間の20才ぐらいに相当する」と頭では知っていますが、出産して育てているところを見るにつけ、本能の偉大さを感じないわけにはいきません。 そして、どこかへ嫁入り先・婿入り先を見つけなければ・・・・どなたか子猫はいかがですか?カワイイ子ですよ。 |
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庭の風景・新しいネコが来た!2003年05月06月 |
愛猫編 昨年の初め頃、ネコの世界では毎年さかりがつく頃、我が家の愛猫アスカも例外なく、挙動不審に陥りました。たまたま同じ部落のある家で雌猫が2匹おりまして、その親娘を目当てにアスカは日参していたようです。 「ぉわ〜ご」「ぃや〜ご」とさかり独特の鳴き声が「やろ〜よ、やろ〜よ」とその家では聞こえていたそうで「また、やろーよネコが来た!」と毎日の話題になっていたようです。結局親娘両方にタネをつけたらしく、揃ってご懐妊、出産の運びとなりました。 「これ以上 タネを蒔かれては困るな」とアスカはその後、避妊手術を受けることに。術後「肥満にご注意」と言われていましたが、正にその通り。どんどん肥えてしまい貫禄ネコとなりましたが、ある朝自動車にはねられて昇天。享年10歳の波乱に満ちた生涯を閉じました。 その少し前、罪滅ぼしではありませんが、くだんの親娘から生まれた子猫をまとめて3匹譲り受けました。「どこかで里親を捜して・・・」などとカミサンと話していましたが、家で数日飼っていたところ、やはり手放せなくなりました。と言うわけで現在我が家では3匹のネコが走り回っています。ここ何日かでモグラを3匹つかまえてきまして、「近日中にはいよいよおネズさんを・・・」と期待しています。 野鳥編 雉は始終出没しています。裏の田んぼに立っていたり、前の畑に歩いていたりしています。昨年の秋には我が家のニワトリ小屋の前にいて、人が寄っても逃げません。少しずつにじり寄り、ついにつかまえました。ニワトリとご対面させるためにとり小屋に放してみましたが、ニワトリに追われる始末。 「こりゃダメだ」と再びつかまえて庭に放しました。雉は夢から覚めたように首を何回か降った後、土などついばみながらどこかへ去りました。体も小さいしまだ若い鳥だったのでしょう。先日裏の田んぼのあぜ道にいた立派な雉はあの時の鳥と同じかな?ニワトリに追われたことを覚えているかな? 家の前の興津川に鷺が住みついています。川を生活の中心にしていて、下流にいたり、上流にいたりします。それでも早朝は我が家の前の川中にある石の上に立っていることが多いようです。また、以前いた鷺と今いる鷺では色が違い、どうやら別の種類が入れ替わったようです。つがいではないようだし、真冬でも川にいますし、どのように生活をしているのでしょう? 庭の風景 その1 我が家の駐車場の半分近くにおおいかぶさるように桑の木が伸びています。家を買って庭をいじった時にはなかったのですが、その後自然に生えてきて、現在のようになりました。我が部落の昔はどこの家でも屋根裏などでお蚕さんを飼っていて、以前住んでいた家にはお蚕さん専用の囲炉裏が家の中にいくつかあったぐらいでした。ですから、桑の木もあちこちから出てくるのでしょう。 その桑の木が5月下旬頃からおいしい実をつけてくれます。大豆ぐらいの小さい実ですが、酸味もそれほどなく甘くて、毎年の楽しみとなっています。毎日仕事に行く前の愛犬モモタロウの散歩にでる時などに黒く熟したのをいくつか口に入れ、赤くなった手を洗ってから車に乗るのが日課となっています。しかし、6月の半ば頃になると蟻や蝿やカメムシがたかるようになり、彼らがついていないのを探しことが必要になり、この毎年の楽しみもそろそろ終わりになります。 駐車場の上に生えているために、熟して落ちた実は自動車を直撃し、赤いシミがついてしまいますので、この時期だけは車を桑の木の下へは停められず、少々不便ではあります。しかし甘い実は初夏の楽しみです。 庭の風景 その2 山菜を庭で採ろう、とタラノメを植えてあります。これが「タラノ木」になってしまい、今年の正月すぎに短くしてしまいました。「どうなるかな?」、と思っていたところ幹のあちこちから芽が出てきて、今年はタラノメを堪能しました。また、ウドは植えてもいないのに庭のあちこちから出てきます。先日も採って食べましたが、さすがに6月になるとスジっぽくなります。その他、今年家の周りで採って食べた野草は甘草・タンポポ・イタドリの芽等々でした。 庭の風景 その3 4年前に現在の家を購入した時、ベランダにブドウの苗を植えました。 「そのうちにツルが伸びて、日よけになればいいな、しかし何年後かな」などと思っていましたが、今年は自作のブドウ棚を元気よく這い回るように伸び始めました。今年の夏は日よけ効果を十分に期待できそうです。 また、昨年初めてそのブドウを食べました。一昨年に初めて実がなったのですが、知らない間になくなっていましたが、昨年は袋をかけて人間が食べられるまでに熟したのです。一つだけでしたが。それが今年は20房近くなっていまして、これは摘果が必要なのかな?この後どのように管理したらいいのかよくわからず近所の農家で聞いているところです。さい、どれだけ秋に楽しむことができますか。 |
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室内の自然動物・猫の受難 2001年01月 |
正月にネズミ、新年にチュー太郎とは縁起がよいのでしょうか・・・・?よくわかりませんが、我が家で「おネズさん」と呼んでいるネズミの話を21世紀最初の日記の導入に。 我が家の裏の世界でデカイ顔をしているのはこの、おネズさんです。猫がいればネズミが逃げ出すかと思うと、そんなことはなくて、猫が入れないような隙間で生活をしています。時々アスカ君が捕まえてくわえてきますが、とても一人では睨みがきかないようです。 以前、我が家で百姓をしていた頃、ニワトリのエサがふんだんにあり、おネズさん達にとっては絶好の住処だったのでしょうが、そのわりには姿が見えませんでした。当時は猫も3匹おり、おネズさんに目を光らせていた為もあるのでしょう。しかし、それ以上におネズさん達を震え上がらせていたのは蛇でした。 アオダイショウが数匹、我が家に同居していたのです。その中でいつも出てくるので名前までつけた「アオチャン」は横綱級で、1メートル数十センチはあったでしょうか。胴体も中程はかなり太くて、堂々としたものでした。「家の主」と呼べるでしょう。そのアオチャン達がネコの入れないような隙間へ入って、おネズさんの子どもを狙っていたようです。人知れず天井裏や納屋などでは常に壮絶なバトルが繰り広げられていたのですね。 洗濯物を干しに行くとき、鴨居のところが何となく気になって、ヒョィッと見上げるとアオチャン達が無限大のかっこう『∞』になって休んでいるのに目が合うこともよくありました。別に悪さをするわけではなく、日向ぼっこをしているだけなのですが、カミサンは何回悲鳴を上げたかわからないほどです(よく実家へ帰らなかった)。しかし、彼らも寝ているだけではなくキッチリ仕事をしていたのですね。 現在の家の周りにマムシはいるのですがアオダイショウはあまり見かけません。ときどき天井裏はおネズさん達の大運動会になります。たかがネズミといっても、シロアリ駆除を仕事としている友人に言わせると、年間に数百件の被害報告があり、漏電・火事・停電・ガス漏・ダニ・食中毒や寝ていた赤ちゃんを齧った例もあるそうです(これは死亡事故になったそうです)。 今年はヘビ年。ぜひ以前のようなアオチャンが我が家に来ますように新年の願・・・・。 アスカの災難 昨年の暮れ、さかりの時にアスカ君は毎度毎度の大喧嘩をしてきました。耳の後下を大きく裂いて帰ってきたのです。以前も同じようなことが何回かあるので、今回も自然治癒に任せていたのですが、日に日に膿みが激しくなり、治りそうにありません。仕方なくいつもの動物病院に連れて行きました。その後、治療は長引いて、一月以上かかりっきり。現在も二日おきの通院が続いています。 病院では消毒をして何針か縫うことになりましたが、暴れるわ、吠えまくるわ、失禁するわで大騒ぎ。治療中に麻酔の針一本と縫い針二本が曲がってしまい、先生曰く、「山がのネコは面の皮が厚い」。 また、ある時はインターンの若い子に縫ってもらいました(何回か縫い直しているのです)。 グイッと縫って針を引っ張ったら糸も縫い穴を抜けてしまいもう一度・・今度は縫って縛ったら、糸の縛り方が緩くてもう一度・・・・、 これだけ何回も縫われたら、いかんせんアスカがかわいそうだ。しかし、名医は一日にして成らず・・・・この若い彼女が名医になるための今日のミス、としてアスカに納得してもらうことにしました。 アスカ君にとってこの状況はどんなものだったのでしょうか。傷が膿んでも元気に毎日遊びに出かけ、しまいには肉の腐る異様な匂いがしてきても生活のスタイルは変わりませんでした。悪化すれば死ぬだけ、それが自然なんですね。人間は言葉(言語)で「今は痛いんだけれどもこれで怪我が治るから我慢、ガマン」と頭で考えて治療の痛さに耐えますが、アスカにとっては理不尽この上ない話だったでしょう。いつもは撫でてくれるご主人様の手に押さえつけられて、死ぬような痛い思いをしているのですから。 自宅での投薬もひと騒動です。犬の場合はエサに薬を混ぜれば何の問題もなくガツガツ食べてしまうのですが、ネコは薬だけキレイに残してしまいます。以前、粉末の薬の場合には獣医に教えられた方法で、マヨネーズに混ぜて割り箸につけて飲ませましたが、今回は丸薬。最初はすりつぶしてマヨネーズ和えにしましたが、エラク苦いようでした。またまた獣医が「口を開けさせて奥の方に放り込めばいいよ」とアドバイスをくれましたが、これがなかなか難しい。しかし、何回か行っている内にコツを掴み今ではスムーズに薬を飲んでくれます。感謝、感謝。 正月三が日も毎日消毒に連れて行きました。ということは、獣医さんもお休みがないのですね。一日中仕事をしていたわけではなさそうですが、白衣をぬぐ日はありませんでした。本当にご苦労様。 |
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晩秋の風景・鶏がやってきた 2000年11月 |
11月は晩秋から初冬です。空気も冷たくなり、山の色も変わってきて、畑も、庭の木々も寂しくなってきます。 我が家で晩秋・初冬を感じるのは・・・・ その1 食堂の窓にくっついているカエルの姿が見えなくなった。 室内の電灯の光に誘われてよってくる羽虫を食べるために、毎晩アマガエルさんが窓にくっついていましたが、いなくなりました。最後の最後までアズキのような、ずいぶん小さいのもいましたが、あの子たちも冬眠するのですかねぇ。よくわかりません。 その2 愛犬モモタロウ、愛猫アスカが太ってきた。 冬毛に変わったせいもありますが、皮下脂肪もついてくるのですね。毛の生え替わり時期はモモタロウなどは「ヒツジになったか」と思われるぐらいよく毛が抜けます。また、アスカは夏にはガリガリにやせて、あばら骨も外からゴツゴツ見えて、おまけに表でのケンカが激しく、顔はいつも生傷が絶えません。「オマエさんはどこのドロボー猫じゃ!」と叫びたくなるぐらい、貧相な(?)顔がこの時期になるとずいぶん太ってきます。おなかも肉が付き、貫禄もでてきます。私個人としてはこのぐらい太っている方が好きなのですが・・・・毎年、季節によって体型が変わります。 その3 愛犬モモタロウ、愛猫アスカの寝る場所の変化。 モモタロウは玄関のタタキに寝ていたのが、自分の小屋へ入って寝るようになりました。アスカは好きな場所に勝手に寝ていたのが、ベットの上になり、そのうちには布団の中に入ってきます。昨夜も私の腕枕で寝ていました・・・・何と贅沢な・・・・。 また、猫は毎年寝る位置がだいたい決まっています。そして以前、何匹か飼っていた時の様子では、人間の顔に近い場所で寝ている猫ほど人間に対する依存心が強いようです。前にいた、何回名前を呼んでも律儀に返事をしていた元気クンは、私の首を枕にしていました。アスカは以前にはお腹の横あたりに寝ていましたが、一匹になってからは胸の横あたりで寝ていることが多くなりました。 その4 ニワトリさんが卵を産まなくなってきた。 初卵からちょうど1年。昼間の時間が短くなるのに合わせて、卵を産まなくなってきます。このまま正月頃まで、産卵率が下がります。二日間ぐらい巣箱に卵がないと「産むのを忘れたかな?」と思ったりしますが、次の朝には誰かが産んでいます。まぁ、産むだけ食べるのですから、なければないなりにしていますが・・・・。ちなみに、昼間の時間が長くなってくると厳冬期の2月でもだんだん卵を産んできます。 ニワトリ3姉妹がやってくる 「エー!また飼うの?」 私の提案に対するカミサンの反応。 「・・・・だから、毎日とりたての健康な卵が食べられるし、生ゴミだって食べてもらえるし、だいいち3羽なら世話は全然楽だよ。」 ・・・・というわけで知り合いが新しいニワトリの雛を注文するときに3匹余分に注文してもらいました。それが9月の始め、我が家に届いたのです。 「ピヨピヨ」は卒業して「コッコッコ」と鳴く、日齢120日(生まれて120日目)のニワトリですが、赤いニワトリの特徴でとてもおとなしいのです。我が家の愛犬モモタロウ君とご対面させたところ彼は「久しぶりに見たな」という感じで喜んでいました。 急ごしらえで物置のような鶏小屋を作りその中に放しましたが、「私は何をしましょうか?」といった感じで、オドオドしています。草を放り込んでも「これは何ですか?」と3人で見つめ合っています。今までニワトリの雛というと初生(生まれて1日目)や60日ぐらいから育てていたのですが、それらと比べるとだいぶ様子が違います。今まで飼育場では配合飼料だけで育てられていたようですね。初生から育てた場合など、120日齢ぐらいにになると草を放り込めばワーと集まってきて大争奪戦になるのですが・・・・それが、草のおいしさを知らないとは・・・・、と小さくはさみで草を切って餌に混ぜてあげてみました。2週間ほど経った現在では、やっとおいしさに目覚めたようです。 現在のニワトリの品種は約150日齢で初卵があります。高効率追求型養鶏では、とにかく早く生ませて短期間にワーッと集中的に採卵し、(母胎が育ちきれていないので早い時期に産卵率が下がる)1年足らずで総入れ替え・・・・、との方法が一般的なようです。我が家では以前、できるだけ初卵を遅くして母体を完全にでかくして体力を付けさせて、長い間集卵する方法でニワトリを育てていましたが、今回はもうそろそろ、やはり150日齢過ぎには初卵がある感じです。 ブースカ、ブースカ言っていたカミサンですが、ニワトリが来ると「今朝はとまり木に10時過ぎまで乗っていたのでおろしてあげた」だの「やはり雄をいれて有精卵がいい」だの「とまり木はあの形は良くない」だのいろいろ言ってくれます。現在は雄がをいれて、「コケコッコー」の声と共に朝がくるようになりましたが・・・・、マアその辺はまた次回にでも。 皆さんに提案。自宅に庭があり、新鮮な卵が食べたい人はニワトリを一つ飼ってみませんか。小屋は犬小屋程度の大きさで十分。餌は4人家族なら残飯を中心に米ヌカを少し買ってきたりオカラを混ぜたりすれば(コ)ケッコウ(コー)。我が家でも餌は一日に一回だけ、パンくずをもらってきたりで少ない羽数ならほとんど経費もかかりません。以前、農業雑誌で読みました・・・・東京に住む人が北関東に畑を借りていて、そこにニワトリも何羽か育てているのですが、餌・水やりと卵とりは一週間に一度・・・・それでも何とかなっているのですから、やりようです。是非あなたも如何? 最近の両河内のお山の様子 今年は一番茶、二番茶共に収量が二割方少なく、市場での取引単価が下がらなかった割には収入が伸びなかったようです。 我が両河内はお茶の産地ですが、昭和40年代の半ば頃から「葉っぱを売るだけではなくて、自分らで製品(荒茶)にして市場に出した方がよい」と部落単位で農家が集まって組合を作り共同製茶工場を建てて、生葉を集め荒茶にしていたのですが、農家の後継者不足などでほとんどの共同製茶工場が今年度の生葉の加工が終わった時点で閉鎖することとなりました。 いろいろと話を聞いてみても、組合員は減少し約半数になってしまったり(自園製茶工場を作って脱会したり:発展的脱会?、規模縮小で脱会したり:消極的脱会?)、高齢化が進んでいたり(若い衆がサラリーマンになってトウチャン・カアチャン・ジーチャン・バーチャンしか百姓をやっていない)、それやこれやで自動車が行けないなどの条件の悪い畑は放置されて荒れまくっているし、生葉の収量も最盛期に比べればだいぶ落ちて、それに合わせて売上金も相応に落ちていたり、と閉鎖に至るまでにはたくさんの背景があったようです。今までの共同工場は「跡地利用を」などと、工場誘致や倉庫に、と動きがあったみたいですが、結局何の進展もなく、崩される運命のようです。 来年からは、広域の地域内(小学校区程度)で一つの工場にして、そこに各農家から生葉を集めるようになるそうです。工場は会社組織になるようで、できあがった製品と農家との距離は確実に広がるでしょう。飲み屋で会ったトウサンの弁「生葉売りたァー、昔に戻ったみテーだなぁ」。 |
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迷い犬の顛末記 1997年08月 |
2月に子犬が我が家に来ました。それは捨てられた犬のようで、腹を空かして我が家のモモタロウ君の餌を食べに来たのです。それが2月。この子をどうしよう?と、あれこれ画策の顛末記・・・。 我が家の奥に「布沢」という部落があり、そこで毎年4月下旬に「タケノコ祭り」をするのです。それは大きなお祭りで、どこから来るのか毎年約1万人が訪れます。当然田舎道は細いので車が入るとどうしようもなく、車両進入禁止にして、専用駐車場から送迎バスを出しています。天気がいいとゾロゾロ我が家の前を歩く人も多いので、カミサンが「この子犬をもらって下さい」とポスターを貼りました。 良いアイデアでしたが反応はゼロ。その後すぐにクロベェ(仮の名前です)は自分でそのポスターをビリビリに破いてしまい、「加藤家の子どもになりたい」と意志表示をしているようでした。 我が家に来た頃はロクなものを食べていなかったらしく(当時は散歩の時も茶畑で肥料に撒いてある魚カスを食べたがった)、ドロを塗ったように毛並みも悪くて、あばら骨がゴツゴツ見えるほどやせていて、オマケに臭かったのですが、何回か体を洗い、コラショと餌を与えていたら(とにかくよく食べた)良い犬になってきました。ただ、おびえることが多くて、最初の頃は自分のクサリが足に巻きついただけでキャンキャン大騒ぎしたり、ホウキなどの棒みたいな物を持つと逃げてしまったりと、悲惨な幼児体験を想像させてくれました。顔の特徴はやたらとヒゲなどの顔に生えている毛が長くて、ちょうど村山前首相みたいでした。その顔で小首を傾げて見つめるしぐさがとてもかわいかったのです(完璧な親バカ!!)。 また、クロベェはシェパードがかかっているらしく、見る見る間に体が大きくなり、6月になるとモモタロウと同じ大きさになりました。2ひきを引き連れての散歩はカミサンが音を上げ、完全に毎朝晩の私の仕事となりました。体格の良い二人の散歩は確かに大仕事で、「何とか、どこかへ婿入りさせたい!!」と切に思い、会う人ごとに「かわいい犬(もう子犬とは言えなくなったのダ)はいらない?」と聞いていましたが、やっと7月に磐田市へ婿入りが決まったのです(パチパチパチ)。 7月には足の長いクロベェはモモタロウより背が高くなっていて、「どこまででかくなるのだ?」と思っていましたが、幸いそんな「クロ(新しい名前)でもよい」と言ってくれたので・・・良かった〜。磐田へ連れていくときはおとなしく車に乗っていました。新しい庭につながれてひとしきり遊び、さて、お別れの時・・・私たちが車に乗り込んでも「べつに・・・」といった顔つきでしっぽを振っていました。ワンワン鳴いて後ろ髪を引かれる別れの場面を想像していたのに拍子抜けでした。 その後連絡をとると、すぐに家族とも慣れて、新しい家の子になった様子。本当に良かった、良かった。半年間の共同生活でした。 クロベェがいる間は「散歩が大変だ、庭が汚くなる、なんだ、かんだ」と言っていたカミサンは、いなくなると「さみしい・・・」とメソメソ。こんなんじゃ娘がいても嫁に出せないぞ〜。 |
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