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ここのページでは、私の心に残る「死」「なくなった出来事」等を紹介しながら故人、故物を偲びたいと思います。合掌。
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モールス信号 1998年07月 |
モールス信号がなくなるそうで・・・私とモールス信号の出会い 先日、朝のラジオニュースを聴いていたら「モールス信号が通信手段として使われなくなる・・」旨のニュースを流していました。 私がモールス信号を覚えたのは高校生の時でした。アマチュア無線技師の上級資格を取るために必要だったのです。「電話級アマチュア無線技師」(初級:今この名称はなくなった)の講習時にお世話になったNHK技術の故杉本哲氏が勧めてくれた「ごうちょうほう」(実は今でも正しい漢字がわからない、合聴法かな?号調法かな?)で覚えました。具体的にこの方法を説明しますとアルファベットの「A」は「・ー(トツー)」ですが、これを「アレー」と語呂合わせで覚える方法です。これで私は欧文(英語文)・和文(日本語カナ文)・数字と全部覚えました。 この方法では、モールス信号をすぐに覚えて簡単に打てるようになるのですが、逆に受信の際には、 ・ 「・ー」を聞いてもすぐに「アレー」とは聞こえない ・ 聞こえてもそれが「A」と結びつくには時間がかかる ・ 特に欧文・和文の聞き分けが難しい(「・ー」は「アレー」で「A」であるが 同時に「イトー」で和文の「イ」である) 等との批判が多く、いわゆる邪道と見られていたようです(無線技師をしていた私の叔父も上のように言っていました)。それでも杉本氏は超ご多忙の中、精力的にこの方法を勧めておられ、私がカセットテープを渡すと無料ですぐに教習を吹き込んでくれました。 それをテープがすり切れるまで聞いて(繰り返し聞きすぎて最後にはテープレコーダーのピンチローラーにテープを巻き込み本当にオシャカになってしまいました)、私の結果は・・・と言いますと、邪道はあまり関係なかったようです。確かにすぐには「アレー」とは聞こえなかったようですが、繰り返し聞くうち「アレー」は関係なくなり「・ー」=「A」と即、頭にでてくるようになったのです。その後、かなり速い速度の欧文・和文モールス信号の送受が受験資格にある「1級アマチュア無線技師」や「3級無線通信士」の資格試験にも合格でき、実際のQSO(Q符号という無線用語で「交信」の意味)ではそれ以上の、まわりが驚くような速さで電鍵をたたくようになり(今では誰も信じてくれないし自分でも想像できない、夢のよう!)、邪道でもできることを証明した形となりました。 今思えば、一つ一つのモールス信号を最初に覚える方法は何であれ、繰り返し聞くことによって最初に覚えた方法など関係なくなったのだろうと感じます。 さて、モールス信号は誰がどう決めたのかは知りませんが、アルファベットやカナの配列はかなりランダムなのです。しかし、数字だけは規則的な配列になっていまして、その覚え方は、 1 ・ーーーー イチョーキョーセーホー 胃腸矯正法 2 ・・ーーー フクキョートーホー 副橋頭堡 3 ・・・ーー ミタビレーコー 三度励行 4 ・・・・ー ヨロコビソー 喜び草 5 ・・・・・ ゴノココロ 碁の心 6 ー・・・・ ローゼキモノ 狼藉者 7 ーー・・・ ?(忘れました) 8 ーーー・・ ヤーヤーモーキタ やぁやぁもう来た 9 ーーーー・ クーチューコークーキ 空中航空機 0 ーーーーー レージョーフーリューコー と聞こえて意味不明 でした。モールス信号がなくなれば、こんな覚え方をしたことも記憶や記録の中からもなくなってしまうでしょう・・・しかし、こんな方法はやはり博物館入りものですな。それにしても、若いときの頭は柔らかいものですね。QRT(Q符号:閉局)してモールス信号を打たなくなって15年以上になりますがしっかり覚えていました。 |
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高橋竹山 1998年03月 |
この盲目の三味線奏者の演奏を始めて聞いたのは渋谷のあるライブハウスでした。20年も前にエライ迫力に圧倒されたのを覚えています。 三味線といえば、当時、私がケースワーカーをしていた老人ホームで生活していたおバアさんから三味線を教わったことがあります。場所柄、昔は花街で芸者としてならした方で、当時から楽器に広く興味を持っていた私はそのおバアさんが三味線を弾けるのを知り、個人教授をお願いしたのです。 その初日、へたクソなギターやバンジョーを弾いていた私はその感覚でハーモニックス音をだしてだいたいの音の見当をつけてペンペンひいたところ、おバアさんはそれこそ目をむいて大驚き。お喋り好きなおバアさんでしたが、昔おバアさんが習った頃は三味線教授は「見て覚える」ものだったそうです。バアさんの修業時代の話を聞いているとそれこそ「三味線道」と言った感じでしょうか。とても日本的感覚ですが何だか合理的ではない気もしました。 それと合理的とも関係あるのでしょうか、三味線の構造もギターなどと比べて驚くところがあります。弦の張ってある「ネック」が二つになって持ち運びが便利なのは良いところですが、フレッドがない!フレッドとはギターなどについている左手で押さえるところについている「線」です。古くからあるウッドベースなどもフレッドレスですが、時代が下るに応じてエレキベースが出るとそれはギターのようにフレッドがつくようになりました。演奏者が増加したのはこのフレッドがついたことも大きな原因と思うのですが、三味線には今でもフレッドがありません。ひき「易さ」から言えばついている方が格段に楽なのですが。 それとこちらの方が大驚きでが、「糸巻き」がただの棒なのです。ギターなどにはそこにギヤによる減速器がついていて微妙な調整が容易にできるのですが、1:1では微調整がエライ!加えてひいている途中でもすぐに糸がゆるんでくるのも何とも言えず・・・。 よく言えば古い伝統をかたくなに残している、わるく言えば時代の流れに無頓着。「それが三味線だ!」と言われればそれまでですが、ガンコオヤジみたいで・・。 竹山さんはどうか知りませんがやはり「一徹」だったのでしょうね。 |
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ジョン・デンバー 1997年11月 |
ジョン・デンバーが亡くなりました 私が洋楽を好きになったきっかけの一人でした。彼は「警部マクロード」( NHKの人気番組「刑事コロンボ」の後に続いた番組)の初期の作品のいくつかに出ていて、歌を歌っていました。当時、 FENを訳もわからないながら聞いていた私は、時々耳にするハイトーンの澄んだ歌声が、今テレビに出ている「彼」だとすぐに気がつきました。もう20年以上前になりますが、初めてLPを買ったのも彼のレコードでした。バンジョーを習い始めた(下手くそなまま終わってしまった)のも彼の音楽の影響でした。 合掌 # FEN・・「極東放送」。在日米軍向けの放送で小学校6年の頃からそれを聞くことが友達の間で流行したのです。洋楽は当時から私のウマに合ったらしく、全然英語がわからなくても「Top 40」(司会のケーシー ケイソンの物まねがはやった)など音楽番組が多かったので結構楽しめました(日本の洋楽ヒット曲番組より約2ヶ月早くFENチャートを登っていくという、「時間差」がわかったのはずいぶん後になってから)。アメリカンフットボールの中継などは臨場感「だけ」がビシビシ伝わってきて、それはそれで楽しめてBGM がわりにいつもラジオをつけていました。静岡県に引っ越してきてから、ラジオでうまくはいらないのです。少し、残念。 |
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マザー・テレサ 1997年09月 |
マザーテレサがなくなりました 個人で何ができるのか、個人はどこまで強いのか・・・など今を生きる私たちの疑問に対して、マザーは一つの回答でした。 ノーベル平和賞を受賞したときのエピソードなどは彼女の本質を表しているでしょう。「無私の精神」などと簡単にはくくれない、マザーの意志が感じられます。 学生時代、私の学校でマザーか講演をしたことがあります。小さい体、以外と太くてしっかり話す声、少し黒い顔・・・マザーはあの時に十分お年寄りでした。あの体で、先日まで活動を続けていたことに改めて感動します。もう20年近くも前なんだなァ。マザーの講演を聞いてから、彼女の動静は私にとって一層気になるものとなりました。たまたま、マザーの死を伝える朝日新聞夕刊にその時の講演会の写真が載っていました。なんだか、古い記憶を一気に引き出されたようでもあり、複雑な心境もあります。 マザーの死の直前に、黒塗りの超々々高級車の中で亡くなった方もいましたが、なかなか好対照です。黒塗りの彼女に対しては週刊誌で特別号が各種出されているようですが、マザーについてはあまりありません。日本社会の関心の方向がわかって興味深いものがありますね。 |
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吉田嗣義 1997年07月 |
7月に吉田嗣義氏が死去されたことを知りました。吉田氏は私の大学時代に大きな影響を受けた本の著者でした。その本を使った読書会を開いてサークルで勉強をしたりして、氏の福祉に対する思想は若い私たちに大きな影響を与えてくれました。火事でその本はなくなってしまい、今は手元にありませんが、確か「協同生活」という言葉を使い、老人ホームでの高齢者の生活を語られていました。「人間らしく生きていくのを互いに助け合っていく」ことがその意味だったと記憶しています。助け合いながら肩を寄せていくのではなく、自分が生きていくことを第一として、助け合いながら更に人間らしく生きていく思想です。 他にも管理される施設を激しく批判する(おむつの定時交換もその例)のと合わせて、利用者の家族には「施設に老人を預けっぱなしにするな」とも厳しく戒められていましたし、そのほか本当に勉強になる内容が詰まっていました。ミネルヴァ書房の「老人ホームはいま」がその本ですが、福祉の仕事に戻った現在、また読んでみたい本です。 |
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