手話活動をしながら |
手話や聴覚障害者に関わる活動をしながら考えたこと、エピソードなどを披露しましょう。
|
| HOME|我が家の動物記|フィンランド記|墓碑銘|手話活動をしながら|大学にて|ちょっと真面目に|畑仕事|我が家の 「まわりの」 動物たち|我が家のリフォーム記|しんちゃんの日記 |
![]() |
| CS障害者放送 2003年07月 |
聴覚障害者はテレビを見ても音が聞こえませんので、十分楽しめることができません。そこで近年、「耳の聞こえる方と同じように楽しめる放送を」、とCS障害者放送「目で聴くテレビ」が開局し、まだ時間は短いですが、放送を開始しています。 今回、同放送の中継時に関わりましたので、様子を報告いたしましょう。山梨県で「全国ろうあ者大会」が開催され、大会の中継の応援依頼が来ました。お隣県での開催ですので静岡からも手を挙げたのです。事前に(株)アステムから「中継時にはスイッチャー(カメラの切り換え係)をお願いします」と言われていました。 ところが金曜の夕方に突然、携帯に電話がかかってきて、「読みとり通訳者の都合が急に悪くなったので、代わってくれませんか?」・・・・土壇場での変更はこの業界では慣れっこ。技術スタッフから通訳者に変換・・・・やりましょ、やりましょ♪ 中継のキャスターは、おなじみ那須英彰さんと山梨県のキャスター村松裕子さん。読みとり通訳は目で聴くテレビの柳喜代子さんと私。当然のように私は那須さんの読みとりになりました。私は今まで那須さんとはあまり話しをしたことはありません。彼の手話もよく見たいし、番組の際に使う山梨の話題を収集するためにも、シナリオ打ち合わせもそこそこに、甲府の街へ一献飲みにくり出しました。技術スタッフは明日の中継仕込み(準備)で慌てまくっていたので少し後ろ髪を引かれましたが。 飲み屋では静岡県内のろうあ者が早くも盛り上がっていまして、楽しく甲府の夜は更けました。 さて、中継当日の日曜日。特設のスタジオは山梨県民会館ホール裏の楽屋の一室。窮屈で調整卓などは全て廊下に出し、入口は数多くのケーブルがはい回り、ドアが閉められない状態。廊下を通る方々は皆覗きながら歩いていきます。 山梨県障害福祉課長さんが来ました。と、課長さんは周りのろうあ者と流ちょうな手話でお話しをしているではありませんか!!お聞きしましたら、何年も前から「県登録手話通訳者」とのこと。現役の障害福祉課長さんで手話通訳者は・・・・全国で一人かしら!? 静聴協の伊藤会長も手を振っていきます。全難協の来賓で来ている静難協の佐野さんも手を振っていきます。視覚の隅で色々な方が手を振りながら通り過ぎていく中、リハーサルは続きます。 いよいよ、生中継が始まりました。私の声がライブで全国に流れている、と思うと、柄にもなく上がります。那須さんはシナリオにはない話題をアドリブでどんどん入れながら喋ります。まさに一瞬も目が離せません。万が一詰まっても誰も助けてくれないし・・・・。終始オンタイム(時間通り)で進行し、大きなミスもなく、終了した時には皆で万歳でした。メデタシ♪メデタシ♪ 私たちは大会の様子も全部テレビで見ていましたが、一番感心・感動したのはマレーシアから留学生で来ていたジェシカさんの挨拶。日本手話を完璧に使うことは当然ながら口話まで日本のろうあ者のそれとかわりません。口の形も手の動きなどと一体のものとして覚えているのですね。 |
![]() |
| 楽観論は意志の問題 2003年02月 |
障害を持っているが故に各種の免許や資格試験を受験することができない「欠格条項」というものがあります。 例えば、耳の聞こえない人は医薬関係の資格試験はことごとく受験することができませんでした。しかし、一口に「医師」といいましても臨床医もいれば研究医もいるわけで、耳が聞こえなくとも活躍できる場はいくらでもありそうです。また、弁護士で耳の聞こえない方が全国に複数名活躍している現状を考えますと、通訳などの情報保障がしっかりされればその専門知識を生かしての対人援助も可能なことがわかります。 このような背景があり近年この欠格条項が大幅に見直されました。要するに欠格条項が各種法律からなくなってきたわけです。 法律が改正され、ろうあ者第一号の薬剤師が誕生し、先日話を聞く機会がありました。その彼女、早瀬さんは中学生の時に将来の夢で「薬剤師になりたい」と心に誓っていて、それを母親に相談すると「そのうちに聴覚障害者でも資格が取れる世の中になるから」と、積極的に応援したとのことです。早瀬さんは1998年に大学を卒業していますので、逆算すると中学生の頃は1990年前後になりますか。 1990年頃といえばアメリカでADA法(障害を持つアメリカ人の法律:包括的に障害者差別を禁止した画期的な法律、日本に同様な法律はまだない)ができ、筑波の聴覚障害技術短期大学が開設し、福祉8法の大幅改正があり、在宅福祉が強く全面に出され聴覚障害者情報提供施設設が法制化された頃。前後して社会福祉士や手話通訳士試験が始まり、国連障害者の10年が最終年を迎え、アジア太平洋障害者の10年が始まっています。確かに障害者福祉が一定の前進をしていた時期ですが、当時の私の感覚としても欠格条項の改正は全ったく見通しがない時代でした。 障害者団体などが「差別的な欠格条項の改正を」と大きな声をあげたのは1990年代の後半。それを考えますと、親として確固たる確信は全然なかった、と想像されます。そんな中で母親は娘の夢を肯定し応援していたことに感動を覚えます。 彼女の話を聞いて数日後、新聞を読んでいましたら、ノーベル賞を受賞した田中耕一さんが勤める島津製作所社長の矢嶋英敏氏の対談が載っていました。 その中で氏は信条として『悲観論は気分の問題、楽観論は意志の問題』と述べています。読みながら「これは早瀬さんの母親への評価でもあるな」と感じ、さっそく私の辞書に記憶しました。 私はよく「悩みはないのかね?」とか「いつも明るいね」と言われますが、これは強固な『意志』なのですよ〜!! |
![]() |
| 映画「アイ ラブ ユー」1999年10月 |
映画、「アイラブユー」。聴覚障害者と健聴者が共同で作った映画として現在、各地で話題になっています。静岡県では、ロケ地が豊田町であったことも原因で、私たちもいろいろな形で関わっています。 6月。私の職場でロケ撮影がありました。映画の中ではわずか20秒足らずのシーンですが、監督以下30名近くのロケハンがやってきました。彼らが先ず始めたとこは部屋の蛍光灯を全部取り替えたこと(ロケハンは何本もの蛍光灯も持っているのです)。映画のカメラは私たちの目とは色をとらえる感覚が微妙に違うらしくて、入れ替えた蛍光灯で部屋の中はキャバレーみたいになってしまいました(キャバレーに入ったことはないのですが、あんな赤い感じでしょう)。その他にもライトを持ち込んだりあれやこれやで大騒ぎ。半日かかりました。私も撮影に立ち会い、カメラの前にも立ちました。さて出来栄えは・・・・。 9月。完成して、試写会。私はどのように映っているか・・・・。それだけを先ず楽しみに見てみました。映っていたのは・・・・立っている足だけでした。あれじゃ私しにしかわからないわ。6月のロケの時、実は前日まで福岡県に出張で出かけていて、夜行で帰ってきて、そのまま職場へ駆け込んだのです。残念だなぁ、もう少し大きく映っていればうれしかったのに・・・・。 10月。完成して、ご当地、静岡県内でキャンペーンをしています。そのとき、始めて主演女優の忍足(おしだり)亜希子さんとゆっくり話をしました。第一印象は・・・・とにかくカワイイ・・・・。 県内のある大きな市でのキャンペーンに一日同行しましたが、圧巻は記者会見。新聞やテレビの記者と忍足さんや監督の大澤さんが対面で座っているのですが、記者からの質問は全て私が手話で通訳をします。忍足さんはジ−ッと私だけを見つめています。私の手話を見ているのは当然ですが、柄にもなくあがってしまいました。それを話したら仲間からは現在まで「おめでたい男だ」とからかわれております。 映画の配給会社の担当者が帰りに「私も加藤さんぐらい手話ができれば彼女と色々話ができるのに」とうらやましそうに言いました。私の記者会見での喜びもまんざら大げさではないのです(あまり証明になっていない?)。 さて、手話と聴覚障害者について、です。 最近、聴覚障害者の役柄が主役になってヒットしているドラマが多数あります。それに合わせて「手話ブーム」と呼ばれるような状況になっています。手話ブームの功罪については面白いテーマで書きたいこともたくさんあるのですが、今回はやめて、他の話題を・・・・。 今までヒットしたドラマは全て耳の聞こえる(健聴者とか聴者と呼ばれる)役者が手話などを覚えてろうあ者(=聴覚障害者)の役柄を演じていました。これは見ていてやはりぎこちないのです。手話がうまいとか下手というのではなく、アメリカ人が日本語を学んで日本人の役を演じているような、文化的背景が全くチグハグな感じなのです。 例えば、ほとんどのドラマや映画などでは(星の金貨、愛しているといってくれ、etc.etc...映画:息子でも)ろうあ者は一人か、ほんの少数しか出ていません。実際のろうあ者の生活は、社会の中でマイノリティとして非常に横のつながりが強いものです。たまには他のろうあ者と全く没交渉で生活している人もいるのかも知れませんが、本当に例外的です。そんな中で、周りが全部健聴者の中で全ての生活をしているろうあ者の役どころを見ると、瞬時に「アッこれはウソクサ・・・・」と感じてしまうのです。 その他、現在「ろう文化」と呼ばれるようなろうあ者の日常性とはかなり食い違ったものとなっています。ドラマを制作する側の意図があり、現状のろうあ者の生活とすり合わせながら制作してきたのでしょうが、やはり難しいところがあります。 「アイラブユー」を見たろうあの友人達からは「安心して見られた」と一様に好意的な反応です。ただ「ろうあの母親はあの映画ように子どもに接することは考えられない」。曰く、「子どもは健聴なのだから手話だけで話すことはない。必ずオーバーすぎるぐらいに口を動かすものだ。」。なるほど、彼らの様子を見ていると、まさにその通りだ。忍足さんが母親になった経験がないから、ではないでしょうが、役どころを完全に演じきるというのは本当に難しいものですね。 監督の大澤豊さんが飲みながら言っていました。「ろうあ者の役者は正直言って役どころは少ないだろう、しかし、だから要らない、ではないのだ。忍足さんにはがんばって欲しい。」。私も大応援。 |
![]() |
| 映画「アイ ラブ ユー」その後 2000年06月 |
6月某日には映画「アイラブユー」の主演女優忍足さんと監督の大澤豊氏の公開トークショウが静岡でありました。例によってまた私は通訳です。忍足さんについても書きたいことがたくさんありますが、通訳場面で考えたことなどについて記すことにしましょう。 今回の通訳で一番気を遣ったのは「トークショウを成立させる」こと、それにつきます。私の担当は大澤監督がしゃべっている内容を手話で忍足さんに通訳する役です。忍足さんの読みとり通訳でもよかったのですが、彼女のきれいな手話に合わせて「今回の映画で・・・」とドスのきいた男の声が会場に流れるのはチョット???、との判断で読みとり通訳は女性が担当しました(これは賢明な判断)。 それと今回の通訳では通訳配置のマチガイがあって通訳者が足りず、1時間半の約70%をしゃべる大澤監督の通訳を私一人がすることとなってしまいました。忍足さんに1時間半見つめられる事はそれはそれでよかったのですが・・・・。 「トークショウを成立させる」ことと通訳者の関係について具体的に述べてみましょう。 トークショウは会話が発展的に続いていく過程を楽しんでもらうものです。大澤監督の話しや問いかけに忍足さんがトンチンカンな答えをしたら、モロに通訳者に疑いの眼が向けられるわけで、これは気が抜けません。どうやったらできるだけ短い手話で100%忍足さんに理解してもらえるか、私の持っている手話表出方法を総動員して、今までの彼女との会話を思い出しながら、通じやすい表現を考えまくった1時間半でした。 例を一つ挙げれば、大澤監督がジョークを言って会場が沸いたとき、同時に忍足さんも微笑まなくてはなりません。これは想像以上にタイヘンで、会場が沸いているのに彼女が澄ましていては、これまた通訳者には完璧に疑いのマナコが集中します。通訳はその性質上、発言に対してどうしてもワンテンポ遅れているので、会場が沸くと当然その雰囲気が彼女もわかって「ナニナニ?」とさらに身を乗りだして通訳者を見つめます。そのジョークを手話でオカシク表せられれば彼女も笑い、会場は一体感を保てます。誇張でなく汗だくになって「これでもか、これでもか」とかなり力をいれて通訳にあたりました。マァそれが報いたのか、トラブルもなく終了でき、ヤ・レ・ヤ・レ・でした。通訳後に飲んだビールがうまかったこと。 監督の大澤豊さんは待ち時間に次作の映画についてタバコをふかしながら(一日に3箱は吸うそうな)熱っぽく語ってくれました。曰く、 「聴覚障害者が映画を楽しむために字幕を入れようとすると『金がかかる』とスポンサーなどからクレームがつくのが今まで。まして視覚障害者が映画を楽しむなんて発想すらなかった」 「たとえば海岸のシーンは波音で視覚障害者はそれとわかる。そこに『バックに大きな夕日』『手をつないで歩いている』とト書きのような副音声をFMで飛ばしてヘッドフォンから流せば視覚障害者にも十分楽しめるはず」 「そうするには映写機と解説をうまく同期させるように映写機の改造も必要だが、ぜひやってみたい」 視覚にはそれこそ無限といわれるほどの情報量がありますが、その中から短い言葉でまとめるのは、制作者がそこで何を訴えたいのかがそのまま反映される訳で、併せて声の情報で最大限に視覚的イメージを喚起させるような解説になるでしょうし、どんなものになるのか今から私も楽しみです。 |
![]() |
| 緊急時の対応 1998年03月 |
耳の聞こえない人たちは聞こえないが故に社会生活上困ることが多くあります。例えば「地震の警戒警報」。静岡県では、東海地震が予想されるだけに、特に大きな問題です。 耳の聞こえる健聴者は、行政の広報放送でどこにいても聞こえるのですぐ次の行動に移れますが、聞こえない人はどうしても情報が遅れがちです。今まで解決方法として、「ファックスで警戒警報の発令を知らせる」、「街頭に電光掲示板を設置する」等と考えられていたのですが、ファックスは家に不在では意味がないし、電光掲示板も町のどこにいても見えるようにするのはほとんど不可能で、以前ならここで思考停止状態になっていました。 ところが、ポケベル・携帯電話などの普及で、今まで全く考えられない方法で一挙に解決できる見通しとなってきたのです。これらのツールを持っていればどこでもいつでも、情報を受けることができるのです。数年前までは、方法としては考えられても、「夢みたい」と一笑ものだったのに・・・。 そういえば先日、盲導犬を連れた視覚障害者と話しをしていたら、最近では人工衛生等を使った盲人用のナビゲーションシステムの研究が始まっているとか・・・。 科学技術の進歩には多くの新しい可能性がたくさんあります。しかし、技術には色々な顔がありますので、その使われ方次第ではとても怖いこともあります。技術の「使われ方」は常に注意をして見ていることが大切、と感じます。 |
![]() |
リンクで〜す |
全国手話通訳問題研究会 |
手話通訳・聴覚障害者福祉の向上を目指して活動している団体です。 |
財団法人全日本ろうあ連盟 |
手話を生活の中で中心的な言葉として使用する聴覚障害者の当事者団体です。 |
社会福祉法人 全国手話研修センター |
日本初の手話通訳事業で社会福祉法人となりました。京都の嵯峨野にあります。 |
目で聴くテレビ |
CS障害者放送「目で聴くテレビ」のホームページです。 |
私のココログ |
気づいたことや感じたことを書いております。 こちらも暇つぶしに寄って下され。 |
![]() |
| HOME|我が家の動物記|フィンランド記|墓碑銘|手話活動をしながら|大学にて|ちょっと真面目に|畑仕事|我が家の 「まわりの」 動物たち|我が家のリフォーム記|しんちゃんの日記 |
|