ちょっと真面目に |
色々好きで書いていますが、少し真面目に考えた文書群です。
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最近の聴覚障害者福祉 2000年1月 |
はじめに 大きな福祉全体の中に障害者福祉があり、さらにその中に聴覚障害者福祉があります。その規模を、例えばそれぞれの就労者数で見た場合、県内の福祉現場全体で約2万人の職員がいます。その中で身体障害者福祉に係わる職員は約880名、さらにその中で聴覚障害者福祉に係わる職員は4名しかおりません(静岡県社会福祉施設・団体要覧平成11年度より)。このように、社会福祉全体の中でも小さな領域である聴覚障害者福祉ではありますが、今までの経過と最近の動向について特徴的な点をレポートいたします。 聴覚障害者情報提供施設 視覚障害者のために情報提供をする施設に『点字図書館』が古くからあることは皆さんご存じでしょうが、聴覚障害者のための同じような施設はこれまでありませんでした。 聴覚障害者への援助とは人と人がコミュニケーションをとる、まさにその現場において最も必要となり、手話通訳など「人の手による情報提供の援助」が、障害の当事者からも要望として強く出されていてました。そしての要望に添った事業(後述)が以前から行われてきました。それと、視覚障害者にとっての点字図書や録音図書にあたるような、聴覚障害者にとってストックのできる情報素材の製作も長い間技術的に不可能だったのです。それが近年、パソコンやデジタル技術など、ハイテクの進歩で可能となってきました。 マンパワーによる援助の必要性も聴覚障害者の社会進出の広がりと共に、件数も増えながら多様化・専門化し、その重要性を更に増してきています。そこでハイテクを駆使した情報提供とマンパワーでのそれとを機能的に備えて、適切にサービスできる施設の必要性が高まってきました。 そんな背景があり、平成2年の身体障害者福祉法の改正により『聴覚障害者情報提供施設』が新たに法制化されました。字幕入り・手話入りビデオの貸出しなどで情報提供する機能をも備えた法定施設です。全都道府県に一ヶ所ずつの設置が進められ現在、二十数施設が開所しています。ちなみに静岡県は20番目の施設として『静岡県聴覚障害者情報センター』が平成11年3月5日に県総合社会福祉会館の5階に開所しています。 手話通訳事業 前記しました、聴覚障害者に対する「マンパワーによる援助」に関して国の事業が始まったのは『手話奉仕員養成事業』が最初で昭和45年でした。その後『手話通訳者設置事業』や『手話奉仕員派遣事業』、加えて要約筆記奉仕員の養成と派遣に関する事業が、厚生省の社会参加促進事業(現:「障害者の明るいくらし」促進事業)のメニユー事業として次々と事業化されてきました。合わせて『市町村障害者社会参加促進事業』にも上記の各事業が基本事業としてメニュー化され、市町村での実施も増えてきました。 その後平成11年には、それまではボランティアから専門に手話通訳にあたる者も全てを『手話奉仕員』と定義していたのを、その技術と経験によって『手話奉仕員』と『手話通訳者』とに分けて整理されました。そして、それまで各地域の実状に合わせて養成講座を行ってきましたが、それぞれの統一カリキュラム(奉仕員養成80時間・通訳者養成90時間)を厚生省が示すことによって、全国で同じレベルの養成講座が開催できるようになったのです。 さらに、平成12年4月には『「障害者の明るいくらし」促進事業』から上記の各事業も含めた、視覚・聴覚の感覚障害者への支援事業などを別立てにして『障害者生活訓練・コミュニケーション支援等事業』が実施されています。県内の事業の実施状況を見ますと、『手話奉仕員派遣事業』を例にとれば静岡県をはじめ、静岡市や浜松市など19市と菊川町・金谷町など6町で実施されるまでに広まっています。 一方では『手話通訳士』の認定試験が厚生省から委託を受けた聴力障害者情報文化センターの主催で平成元年から開始されるなど、関係者の努力により聴覚障害者福祉に関する制度は一定の前進を見てきました。 そして、昨年11月の社会福祉事業法などの一部改正で『手話通訳事業』が新たに第二種社会福祉事業として法定されました。事業の内容としては今までに行われていた手話通訳者や要約筆記奉仕員の養成・派遣の事業などがそれにあたります。 手話通訳事業の課題 養成事業を受けて手話通訳者となるまで最低で170時間という長期にわたる講座の開催が必要となります。しかし、各自治体とも財政的な裏づけが乏しく、かなりの部分を運営団体や講師が「手弁当」で行わなければならない現実があります。また各地域でこれらを開催した場合、指導者の確保の問題もあります。 そして、聴覚障害者に情報を提供する『手話通訳者派遣事業』などは、聴覚障害者本人から利用料などを徴収することは事業の主旨からしてそぐわない、と以前から考えられていました。現に、昭和62年に『手話奉仕員派遣事業』を『家庭奉仕員派遣事業』に組み入れる旨、厚生省が表明したことがありましたが、それに対し聴覚障害者自身や手話通訳者など手話に関わる健聴者が反対運動をおこし、見送りとなり現在に至っています。 最近の社会福祉基礎構造改革の流れで、各種サービスが支援費支給制度となっていく中で、手話通訳派遣事業などが今後どうなっていくのか(現段階では支援費支給制度への移行計画にのっていないようですが)、最も注目されているところです。 |
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自由競争の流れの中で 2003年3月 |
病院経営に株式会社参入!! 2月28日朝刊の一面に載っていましたが、「いよいよ」の感があります。医療の分野は保険により利用できる診療と、公的保障の枠外に置かれた、個人が費用を全額負担する診療とが混在していますが、後者に限って市場原理を導入して自由に競争ができるよう規制を緩和し株式会社の参入を認める、と首相は主張しているわけです。 福祉の分野では2000年4月から始まった「介護保険」がこの構造の先鞭をつけました。要するに介護保険の制度の枠内で受けられる介護と、金さえあれば自由に受けられる介護が、いわゆる二階建てのサービスとして社会の中にあるのです。そしてサービス提供事業者も今までの社会福祉法人の他に株式会社、NPO法人など何でもあります。 これまでの福祉や医療、もっと広くいえば社会保障は公の責任で実施されてきました。ここで福祉の「公の責任」を詳しく見てみますと、「実施する責任」「費用を負担する責任」「質を高める責任」などがその内容となっていました。憲法89条にも「公金その他の公の財産は・・・・公の支配に属しない慈善、教育、若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」とあるとおり、これらは戦後、厳格に決められた福祉の大元の方針です。この考えを無理矢理歪曲解釈した(否定した)のが介護保険です。 介護保険は基本的に、「福祉サービスを必要な人がサービスを購入するためにかかる費用を補助する制度」であります。ここで公の責任とは利用者に対する費用補填がその全てです。福祉の市場化を目指すために、「お金がなくて福祉を買えないのなら購入費用を出しますのでそれで買ってください、という制度」と言えばわかりやすいでしょうか。ですから福祉サービスを提供する責任も、サービスの質を高めていく責任も公には基本的にありません。これは「公的責任の後退である」と各方面から指摘されているのは全くその通りと言わざるをえません。「障害当事者の主体性、自己選択・自己決定・契約の尊重」等とお題目は立派ですが、責任は全て個人にかかってきます。その地域で福祉サービスの選択肢が少なくても誰も責任は問われません。情報不足により誤った選択をしてしまっても「全て個人の責任」です。「契約」も個人とサービス提供事業者間では大きな情報量の差があり、対等な契約関係など絵に描いた餅にすぎません。契約の選択権はサービス提供事業者にもあるのです。 お金のある人はサービスを多く受けられますが、一般の人は自己負担分の支出をも嫌うせいかサービスを受けなくなったのが介護保険が導入されてからの介護サービス利用状況です。結局、カネの力によってサービスの享受に大きな差が出たことになりました。 障害者福祉の分野でも「支援費制度」がこの4月から始まります。介護保険と全く同じ制度ではありませんが、公的責任が大きく後退する点では同様なものです。支援費制度導入に際しても、障害者自身の選択の自由の尊重・質の高い福祉サービスの提供、とすばらしい目標が掲げられてきた。しかし、開始直前の1月になって、厚生労働省もそれまでの方針を急転してホームヘルプサービスの利用上限の検討を始めたり(当事者団体などの大規模な抗議にあって半月後に撤回)、市町村地域生活支援事業を一般財源(何に使ってもかまわないお金)化する方向を打ち出すなど、充実した障害者支援費制度にする方針であるのか疑問を感じる姿勢も見られます。 市場化を追求した新制度になってサービス 利用者の立場は弱くなりました。今後、医療の分野も同じような道を辿っていくのでしょうか。一度方向が決まれば「自由診療に限り」の範囲が何年か後に段々広まっていくのは他の例を見ても明らかです。 自由競争の尊重が叫ばれていますが、それがそぐわない分野もあります。「社会保障は個人の責任を越えた社会全体で担わなければならないもの」との考えがしっかり社会に根付かなければこの流れは止められないでしょう。 |
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聴覚障害者支援と著作権 2000年6月 |
1 はじめに テレビ番組へリアルタイムで字幕をつけてインターネットで配信する活動が試行的に行われ、聴覚障害者の「情報のバリアフリー」を進める上で大きな期待が寄せられています。また、選挙が行われる際に、演説会などでパソコンを使った要約筆記(話されている内容を文字で表示する方法)の必要性が中途失聴者や難聴者から叫ばれています。それら、聴覚障害者への新たな情報支援の取り組みを進める際に「バリア」として立ちはだかっているのが「法律」です。 前者の例では「著作権法」の規定が、後者では「公職選挙法」の規定が実施を困難にしています。今回は「著作権法」について、その法律と現状にそぐわなくなってきている課題などを述べてみたいと思います。 2 著作権法の経過 著作権法は文化の発展を目的として、著作物やその実演・複製・放送などに対する著作者や隣接する諸権利を保護するために定められた法律です。できたのは古く、明治32年に法律第39号として制定されました。その時点では市販されている本(墨字本)を点訳して点字図書を制作するような例はほとんどありませんでした。従って著作権は強力なものだったと言えるでしょう。 新著作権法が成立したのが昭和45年の4月です。古い法律からの改正点はいくつかありますが、その中の一つが「著作権の制限規定」で著作権の及ばない範囲を作りました。具体的には、主旨は著作物の公正な利用を図るために、図書館での複製(コピー)や教育機関での複製などを認める、といった規定を新たに設けたわけです。 これを書くのに改めて古い著作権法を見ていましたら「条件付利用」として「発行スルノ意思ナク且機械的叉ハ化学的方法ニ依ラスシテ複製スルコト」との条文を発見。ウーン、この条文の前段は「私的使用のため」ですが、後段の規定は・・・「手で書けよ」という意味はわかりますが、それだけ印刷・録音が広まっていなかったのですね。昭和45年の改正では当然、この規定はなくなりました。時代や社会の背景が垣間見られて古い法律を読むときの楽しみです。 加えて、著作権法が改正された昭和45年にだされた制令を官報で調べていたら「内閣総理大臣 佐藤 栄作」とありました。いましたねー、ノーベル平和賞をもらった首相が。もうそろそろ日本史の教科書に載る名前ですね。 3 目の不自由な方への情報保障と著作権 閑話休題・・・ 目の不自由な方々のための点字出版の歴史を見てみましょう。 先ず、点字図書館が初めてできたのは明治43年と伝えられています。しかし、これについてはその後の経過が不明でして、その後も散発的に点字図書を集めて閲覧できる取り組みがありますが、周知されるには至っていません。おおざっぱに言って現在まで続くものとしては大正が昭和にかわる前後から始まり、本格的な活動は昭和10年代からのようです。 ・・・・とにかくそれでも歴史が長いのですね。目の不自由な方に対する情報提供は制度的にも点字図書館の他に「点字出版所」があり(現在では視覚障害者情報提供施設に吸収)、各種の点字図書を出していた歴史があります。そのような中で前記した45年の著作権法改正時に、市販されている本を「視覚障害者向けサービス」として点訳や録音テープを作る(音訳)際の著作権の制限規定も認められたのです。これは法律を現状の視覚障害者のニーズに合わせた、と評価できるでしょう(遅かった、との意見もあるのでしょうが)。 3. 聴覚障害者への情報提供 かわって聴覚障害者へのサービス提供手段は長いことマンパワーによるものが全てでした。聴覚障害者の要望も、人と人とがコミュニケーションするまさにその現場での情報保障に関するものがほとんどでした。また、技術的にも盲人の点字図書にあたるようなストックできる媒体は長い間制作不可能で、例えば、ビデオなどの活用につきましても高品質の加工ができるようになったのはつい最近のことです。併せて現在ではデジタル技術の進歩やパソコンのパワーアップで、それまで専門の放送局などでしかできなかった画面に字幕をつけたり、手話通訳を挿入したりすることが容易にできるようになってきました。聴覚障害者情報提供施設が法制化されたのが平成2年ですが、背景にはこのようなAV技術の格段の進歩があります。 テレビ放送を健聴者と同じように聞きたい、という聴覚障害者にとっての積年の願いが技術的には可能な環境が整ってきたわけです。著作権法が現状とそぐわなくなったことが第一の問題点です。現法ではビデオ編集をして、画面上に手話や字幕をつけて聴覚障害者のために情報提供をすること(できること)は想定していません。最終的には目の不自由な方々への点訳や音訳と同じように、聴覚障害者への情報保障という条件で著作権の制限を規定することが望まれます。 4 現状での苦肉の策 それじゃぁ、現状では字幕入れも手話入れもできないではないか、といわれれば自分で作ったコンテンツ(作品:番組)以外は原則その通りです。 テレビなどで放映されたものにつきましては細かいことは省きますが、一定の手続きを踏んで著作権使用料も払った上で、字幕入れや手話入れができる場合があります(という書き方をしたのは全部の番組が認められるわけではない、ということで説明も面倒ですね)。 ところが、一般に市販されているビデオについては消費者の側から字幕や手話をつける方法は「なし」です。制作者が「つけたい」と意思表示をしてそれなりの機関に依頼すれば問題は起きないのですが、それ以外に方法がありません。字幕や手話挿入などの聴覚障害者に対する情報保障の必要性を説きながら制作者に理解を求めていく以外ありません。 著作権法も徐々に変わっていますが、聴覚障害者から見ればまだまだ規制の多いものになっています。 |
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ボランティア活動を考える 2001年2月 |
「手話」・・・・考えてみますと手話や、それを母語としているろうあ者ともう20年以上つき合っています。私が自分自身で感じていることを、断片的に記すことによって私のボランティアへ対する考え方に・・・・なるかなぁ、心配ですが始めてみましょう。 手話を始めた動機は大学に入ったばかりの時、先輩の女性が使っているのを見て「これはスゴイ!カッコイイ!!」・・これだけ。やや不純ですな、我ながら。当時は耳の聞こえない人の抱える問題など、全く知りませんでした。その後、手話の勉強やろうあ者との交流の中で、たくさんの事を学びながら今日までに至っています。 考えてみれば、それぞれの分野が専門化している現在、日常生活の中で私たち個人が知っている知識なんて、ほとんどゼロに等しいのですね。誰でも手話の活動を始める前から、ろうあ者の生活の問題を正しく知っている訳はないのです。これは他の分野でも同じ事でしょう。ですから活動に入るキッカケは憧れでも勘違いでも、何でもいいと思います。大切なことは活動に入ったあと謙虚な態度で当事者や仲間達から学ぶことです。 手話を学ぶ場合、聞こえない人の世界を理屈ではなく、実践的に理解しないと生きた手話は身につきません。これにはろうあ者と一緒に経験を共有し、聞こえない人達の全てを謙虚にわかろうとする努力が必要になります。そして(ここが大切なのですが)聞こえない人達と価値観を共有しようとすると、それは必然的により良い社会へ変えていく運動になってしまうのです。ろうあ者が今、日本の社会の中で不平等な状態に残念ながらおかれている。その現状を学ぼうとすると、ボランティア活動も結果として運動につながるのです。 最近、「自己実現のためにボランティアを」といった意見も聞きます。ボランティア活動を始める導入としてはよいのでしょうが、当事者なりを重視しない独りよがりな姿勢では継続は難しいでしょう。人生の一時期ボランティア活動に関わり、他の時は活動はしないがボランティアの気持ちは忘れずに生活する、というスタイルもあるかも知れません。しかし、できればたくさんの人に、長い期間ボランティア活動に関わって欲しいと思います。 そして、私は活動に際して自分に課していることがあります。それは「少し無理をする」ことです。無理とは、活動時間でも資金の援助でも何でも同じです。たくさん無理をしては長続きしないでしょう。全く無理をしないのも活動する者として道義的に問題があると感じます。「少し」の内容は環境など人それぞれで違うでしょう。また、同じ人でもライフサイクルで「少し」の度合いは違ってきますが。「少しの無理」を忘れずにこれからもやりたいと思います。 |
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