畑仕事
畑仕事の四季、日曜百姓記です。

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 早春のほとんど緑のないない畑で 2000年04月

 「あんたっちン畑はいい色だねぇ」
カミサンが昼間に庭いじりをしていると、いつも乳母車を押して通る近所のおバアさんが声をかけてきました。「いい色」といわれても、我が家の畑で4月のはじめに、自己主張をしているのはネギとニンニクだけです。足の悪いおバアさんが庭に来てしきりと感心するのはニンニクでした。このニンニクは昨年、保存してあるお米についた穀象虫を追い出すために買ったもので、秋に芽が出てきたのを畑に植えたのです。
 あまり感心するのでカミサンが聞いたところ、この時期に根っこと葉っぱと全部ゆでて味噌で食べるとのこと。いつもお世話になるので「どうぞ持っていってください」と言ったところ「ありがとうね」と抜いていったとか。
 その日の夜にカミサンがこのエピソードとともに「ニンニクの味噌和え」を作ってくれました。これがまた、なかなかいけるのです。ニンニクは根っこを太らせたものを食べるもので、葉っぱなどはタマネギのように切ってうっちゃるものと頭から思っていたのですが、こんな食べ方があるとは・・・・。でも考えてみればネギと同じで「ボウズ」がでるまではそんなにスジっぽくないのですね。
 しかし、「ニンニクの芽」とやらは八百屋でみたことがありますが「若いニンニク丸ごと畑から抜いたまま」なんて見たことがありません。これも八頭の親イモと一緒で、作っている百姓だけが味わえる贅沢な一品、の一つなのでしょう。おいしいレパートリーがまた増えました。こんな風においしく食べられるのなら今度の冬はもっとたくさん植えよう、などとカミサンと話し合いました。
 しかし、味噌というのも百万力です。特に春の野のものに相性がよいように感じます。今春も庭のフキノトウをやはり近所のバアさんから聞いて軽くゆでて酢味噌で食べたところ、ニガさが強烈に残って抜群にうまいのです。連綿と引き継がれる食文化に改めて脱帽。


 ミカン切りの季節 2000年02月

 友人がやっているミカン山トラストファームは今シーズン、大豊作でした。摘花もせずにあれぐらいよいタマがつくのならとても楽ですね。でもこんなことは何年かに一回で、やはり簡単にはいきません。それにしても日曜日のミカン山は沢山人がいます。ほとんどの農家が休日百姓なので、農作業が休日に集中し、農道が混雑してにぎわうわけです。
 「清水」といえば「ミカン」と連想される(た?)くらい、ミカンは清水の代表的な農産物でした。
 当時、古き良き時代にはみかん農家は威勢がよくて、「ミカン農家は一冬で倉が建つ」とか「雨降りには皆、農協で酒を飲んでいる」とか言われ、鼻息も荒かったようです。事実、「ビク(ミカンを切るときに腰につけるカゴ)一杯で男一日の費用がでる」ほどにミカンが高かったのですから、当然でしょう。・・・今考えれば、あの30分も切れば一杯になるカゴ一つで約1万円になったのですね・・・これはすごい!!ミカンで儲けた金で、伊豆や遠州に山を買って、通いながらそちらでもミカンなどを作っていた農家も多く、金回りが良ければ色々な悲喜劇もあったようです。ちょっとしたゴールドラッシュ状態だったのでしょうね。
 また、当時の有名な風景として「いどうはん」というのがあったそうで、「移動班」とでも漢字を当てるのでしょうか、ミカン切りの時期、東北や北陸から農民が泊まり込みで各農家に応援にきていたのです。そのままこちらに居ついて結婚された方もかなりいるようで、「清水に行けばいくらでも好きなだけミカンが食える、といわれて清水に来た」と、そんな一人から聞いたこともあります。
 我が両河内でも「3月になると甘くなるミカン(年末や正月には酸っぱくて食えない)」を山の上の方でたくさん作っていました(山の下の方では気候の関係でミカンができない)。家から1時間以上も歩いたところで作っていたのです。今でも山の上には当時のミカンの木が、ツルが絡まりぼうぼうの草や木に囲まれて残っています。 昭和40年代の前半にミカンの大暴落があり、全ては夢の話になってしまい、その後はオレンジの輸入自由化など、ミカン農家にとってまさに泣きっ面に蜂の時代になりました。価格低下から生産調整、減反とお決まりのコースをたどり、「上の段に立って下の段にあるミカンを切る」(小島部落のミカン山の形容)ような急斜面ではミカン以外に作るものもなく、後継者もいなくなりました。
 そんな経過の清水の山をねらってやってきたのは「開発」です。ゴルフ場・第二東名高速道路・中部横断道路・野球場・等々などナド・・・ぞろぞろ出てきています。何回かにわけて、書いていきましょう。
 トラストファームのミカン切りが終わった日、山を見上げるとミカンがありません(あたりまえ!)。山にミカンがあるとオレンジの電気がついているようで斜面が暖かい感じがありますが、ミカンを切り終えると電気がなくなり本当に寒々とします。冬を追実感する一瞬です。


 田舎の食文化 里芋 1999年12月

 立冬を過ぎても暖かい日が続いていますが、我が家の畑ももう冬の風景です。今年はあまり雨も多くなかったせいか里芋の葉っぱも大きくなりませんでした。それでも先日掘ってみたら結構おおきな芋がたくさんついていてビックリするやら、嬉しいやら・・・・。

里芋のおいしい食べ方  両河内編

 以前たびたびお茶刈りの応援に行っていた百姓家でお昼ご飯に出されたメニューです。な〜に簡単。
 熱いご飯の上に蒸かした里芋をのせてオカカをかけて少し醤油をたらしその上からお茶をかけて・・・・これだけ。お箸で里芋をほぐしながら食べるとこれがなかなかウマイ!!食べると山芋に少し近いねばりもあり、里芋の味がお茶づけと妙に合うのです。初めて見たときは「エ〜何とも粗食・・・・」と正直なところ思ったのですが、味は見かけではありません。そうそう、里芋は少し焼いて少し焦げ目がついていたりするとなお美味しく食べられます。
 私は芋や栗などは食べているとどうしても胸につかえて仕方ないのですが、この食べ方ならば水気もありスムーズにのどを通るのもうれしいのです。簡単にできますので、晩酌の後に食べてもとてもグ−です。
 また、これに使う里芋は「やつがしら(八頭)」が最高です。普通の「わせいも」などでは少し水っぽいのです(おいしいですが)。でもやつがしらはなかなか八百屋にもおいていないようで・・・・見つけたら試してみてください。
 ぜひ今晩いかがですか。


 雨の多い夏 1998年08月

 カラッと朝から晴れて夕焼けで日が暮れる日が一日もありません。梅干しもいつ干そうかと空ばかり見ていました。起きると天気がよいので梅酢から出してお日さまにあててヤレヤレと思っていると、昼過ぎから雨が降り出し慌ててしまうことが何回かありました。土用干しも思うようにできず、たまたま晴れる時間が長い時には私もカミサンも家にいなかったりでタイミングが悪く、結局まだ赤梅酢に漬かったままです(少し干したのでちょっとだけ赤くなっています)。今年は約25キロの梅を漬けましたが、これだけあれば一年間食べ続けることができるでしょう。昨年漬けたものを先日食べきってしまったので、今では梅酢の中から今年のを一つ一つ拾いながら食べています。
 こんな天気で喜んでいるのは里芋とショウガなどです。乾燥した時に水を撒かなくともよいのでそれは私も喜んでいますが、雑草達もおおいに喜んでぐんぐんはびこってくれています(草むしりが大変!)。さて里芋ですが、まわりの畑のものと同じように我が家の無農薬有機作品も葉っぱが異様にでかくなり、秋の収穫がとても楽しみになりました。その他のカボチャやトウモロコシ、大根、モロヘイヤ、枝豆なども順調に育ち、毎日の食卓をにぎわしています。
 以前、ジャガイモを収穫した後にナスなどを植えたら順調に育ったことがあったので今年もジャガイモ後にナスとトマトを植えました。ところが、ジャガイモの葉っぱも敷き草にしたところ、これが大失敗。雨が多かったせいもあるのですが、ジャガイモにつく病気がトマトやナスにも移り、葉っぱが次々に茶色に変わり、あれよあれよと言う間にトマトは数本植えてあったのが全滅。ナスは何とか持ち直しましたが、生育が遅れたので収穫開始時も遅れてしまいました。そういえば、何年か前に農業雑誌で、北海道かどこかでジャガイモの病気が隣の畑に植えてあるトマトに移ったのどうの・・・との記事を読んだことがありました。そう、思い出したときは遅かったのです。残念。
キュウリがたくさんとれているので、その日は職場で配りました。ある女性職員が持って帰ってご主人に見せたところ「フッフッフッ、カトウ君のより俺の作っている方が勝った!」と無邪気に喜んでいたそうで・・・家庭菜園族バンザイ!!


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