仕事(2)


 今日は、早く終わったな。

 あたしが、右手首にしている自分の小さな腕時計を見ると、夜の10時少しまわったあたりというぐらいの時間だった。道理で、商店街の店のいくつかが、シャッターも下ろさずに店の光を商店街の石畳に投げかけている。
 あたしがいつも帰る時間なんて、商店街の店はほとんどおしまいになってしまっているのが普通だ。街はすっかり暗くなり、街路の片隅には水銀灯に集まる虫のように若い奴らが群れて座り込んでいる景色しか眼に入らないのに、今日は流石に、街がそんな姿になるにはまだ早い時間だった。

 しかし…どうしたもんだろう。
 家に帰って何をするって言うわけでもなし。それこそ、湯を少し被るぐらいのことしかすることなくて、そのままベッドに直行。ほんとにそれだけだ。気楽な事に、あたしの髪は短くて、あたしに似ずに我慢強くてとても素直だから、面倒なお手入れなんてヤツとは無縁でいられる便利さがほんとにありがたいよ。
 恵美の、長くて綺麗な髪はいいなって思わないでもないけど、丁寧に髪の手入れをしなきゃならないだろうから、大変だろうなあって思うぐらいだ。もっとも、本人に言わせると「長い髪だからって、時間をかけて丁寧に手入れしているわけではないですよ、あっさりとしたものです」らしいんだけどさ。

 しかし…さ。
 最近午前様で、遅くなってばっかりだけど、忙しい人間がたまに早く仕事が終わってしまうと、却ってそのできてしまった時間を持て余すってのは本当なんだな…って、そんなことを感じている自分自身に気がついて、あたしはため息をつきたくなる。なんだ、これじゃあすっかりワーカーホリックのOLみたいじゃないか。そうなるにはまだ早すぎるよ、あたしは若いんだ、と思うあたし。でも、そんなことを考えていること自体が、結構まずい状態っぽく思えてくるよ。

 うーん、ダメだな、これじゃ。
 そりゃあこの仕事は嫌で嫌でたまらない。第一、あんな卑怯なやり口で人に強制してやらせているなんて…人として許せることじゃない、気に食わないなんて言葉で済ませられるものじゃない。初めのころはほんとに嫌で嫌でたまらなかった。くちびるをかみ締めて、仕方なく―――大事なもののために仕方なく。そういう気持ちで自分を抑えて仕事をしてきたけれど、段々とわかってくること、見えてくるものが増えてくるにつれて、嫌だ嫌だの一辺倒で片付けるほど、あたしもガキじゃなくなってきていることに気づいてしまって…。
 いや、それでも「やり口」だけはどうしても許せない、それこそあいつを殺って済むことなら―――と思ってしまうぐらいだけれど…。
 この仕事が、世の中の人のために少しは役立っているっていうもんじゃなくて、ほんとに闇の中の闇の仕事でしかなかったら…きっとあたしは、もう切れてしまっていて、「終わって」いると思う。そうじゃないのが多少の救いだけれども、でも、嫌なものは嫌だ。それこそ、誰かに嘘をつかなければならない生活が嫌だというだけで十分だ。

 そんなに嫌がっているはずの仕事、今すぐもとの暮らしに戻してくれて、足を洗えるならさっさと洗いたい世界なのに。少しでもそれを忘れることができる時間が持てるなら、あたしはかなりの代償を払ってもいいって思っているぐらいなのに。それなのに、今のあたしはちょっとできてしまったこんな一時の時間すら、楽しむ余裕がない。ぽっかり空いたこの空間を、どう埋めていいのかわからずに、途方に暮れてしまうというのが正直なところだ。


 あたしはそんなことを考えながら、夜の商店街をゆっくりと歩いていく。いつもならば用もなければ早足で通り過ぎるしかないこの街中を、することもないという消極的な理由で、あたしは見回しながらゆっくりと歩いていた。

 なんだ、結構色々な店があるんだな。

 ウインドゥショッピングなんてガラじゃないし、昼間や休日の人込みの喧騒なんて、あたしにとっては近づきたくもないものでしかなかったし、灰色のシャッターが下ろされた夜の店の姿しか知らなかったから、今まで店の様子なんて知らなかったけれど…。まあ、夜だって看板ぐらいは出ているから、もしあたしがきちんと観察しようなんていう姿勢で商店街を歩いているんだったら、大体の様子はわかっていたのかもしれないけれど、さ。
 シャッターが下りる直前の店先で、歩道に出していた看板やらの片付けをしている店員さんの姿。明かりがまだ消えていないショーウインドゥ。まだまだやっている居酒屋やレストラン、喫茶店。ほんと、色々な店があるもんだよ。そんなものにあたしは眼を向けながら、歩む速度を落として、ゆっくりと歩いている。
 夜の街の、あたし風のウインドゥ・ショッピング、かな。そんなもんでもないんだけど…。

 ふと、あたしは自分が空腹なんだということに気が付いた。
 そりゃそうだな、今日は昼からして何も食べてないからな…。
 今日は、昼間っから突発的に厄介事が見つかってしまって、急に調べものをしなきゃならない羽目になってしまったもんだから、昼休みにゆっくりする暇なんてなかった。ましてや昼飯を食う余裕なんてあるはずもないし。そうなると、朝に手を抜いてリンゴ1個だけ、ってのじゃ足りないどころの騒ぎじゃない。物を食うことに執着心があるわけじゃないし、緊張感が空腹感に勝ることのほうが多くて食欲そのものが薄かったりすることも多いけれど、激しく動いたりしていれば当然のように腹も減るってもんだし、落ち着いてくればそれが余計に気になるよな。
 さて、どうするかね。帰ってもリンゴ、リンゴ。せっかく恵美がくれたものだし、嫌いじゃないけど、最近リンゴばっかり食ってるような気がする。冷蔵庫に何かしまってあるわけじゃないし、かといってコンビニの弁当なんてものにも手を出したくないし。なんかそういうものって、ニセモノの食い物だしな。それを食うならリンゴでいいや。

 ああ、恵美の作ったおにぎりが食べたいなあ。

 あたしは、この間の休みの日に恵美の家にお邪魔したときに食べさせてもらった、あのおにぎりのことを思い出した。炊き立ての白いごはんを荒塩で握った、自家製だっていうおっきな梅干の入った…。あたしがこうやって疲れて帰ってきたときに、そんなものが用意してあったら、ほんとに幸せだろうな…それだけで生きていて嬉しい、って思うだろうな…。
 ということを思い願っても、眼の前に出てくる訳でもなし。
何か適当なものでごまかすしかないか。注文したものを待つなんて悠長なこともしたくないし、すぐに食えるもんならなんでもいいや。
 そんなことを考えて歩いていたら、向こうの方に、どこにでもあるファーストフードの店の看板が明るくなっているのが眼に入った。うーん、しょうがないか。
 あたしのこだわりは、あっさりと面倒臭さの前に消え去った。ま、そんなもんだろうな。
 色使いがなんとなく気に入らない、というか落ち着かないファーストフード店の電気仕掛けの立て看板が、店の前に置かれている。その側を通り過ぎて、あたしはそのファーストフードの店に入っていく。もうすぐ閉店の時間のようで、カウンターには人もほとんどいなくて、すぐにあたしは注文することができた。
ええと、どうしよう。面倒だな。コーヒーにハンバーガーのセット、それでいいや。


 あたしは、ハンバーガーやポテトの乗ったトレイを持って、二階席の方へと階段を上がっていった。
 二階の席は、やはり閉店間際だということで、やっぱりもう人影もまばらになっている。それはそれでありがたい。ごちゃごちゃでうるさいより、遥かにましだ。
 あたしは店の中を見回した。
 なんだか、落ち着かない場所だなあ。

 今風って言えばそうなのかもしれないけれど、壁紙の色から飾られている植物―――いや、植物もどきの様子まで、なんだかあたしの肌に合わない調度品で統一されていると言ってもいいぐらいだ。今はこういうのが流行っているのかね。あたしには合わないね、こんなのはさ。あたしに合わないってことが、繁盛するための大きな理由になりそうな気がしないでもないけれど。でも、こんなのに合わないでもいいや。

 店内には一人の客が何人か座っているほか、2、3人のグループが店の中にいる。喫煙席で煙にまみれて、ただ漫然とだべっている奴らの姿が視界の隅に入って、着ているものがあたしと同じ高校の制服だってことがわかる。
こんなの、珍しいご時世でもないな。昔は校舎裏やトイレで隠れてやっていたもんだって聞いているけれど、今の世じゃあ人目をはばかることもなく。あれは堂々としているんじゃなくて、単に無自覚なだけだろうな。

 がやがやとうるさいその若い男のグループを避けて、あたしは人の全然いないほう―――窓際の禁煙席のほうへと歩いていった。静かな方がいいし、煙なんか吸いたくないから好都合だったけれど。
 あたしは煙は嫌いだ。あれは自然じゃない。空気の綺麗なところで吸うのがたまらない、なんて言ってるヤツがいるけれど、そんなことをするヤツの気が知れない。いや、煙を好むヤツの気なんて、頭っから知る気になれない。

 ―――酔ってすべてを忘れたい、っていう気持ちのほうは、わからないでもないけれど。
 いや―――それは―――
 よくわかる、かな…。


 あたしはトレイをテーブルの上に置くと、コートを脱いで隣の椅子にたたんで置いた。昼間はこんなもの必要ないけれど、夜遅くなるとあったほうがいい季節になってしまっている。寒くなったもんだな…。
 あたしは席に座って、とりあえずポテトを何本かつまんで口に入れた。
しょっぱいな、これ。ま、こんなもんか…。
ああ、おにぎり、食べたいな。

 そんなことをあたしが考えながら、黙々と食事を続けていると―――
 階段を登ってきた人物の姿が、あたしの眼に入る。これまた同じ学校の制服のヤツ―――っていうより、あいつじゃないか。なんだ、あいつ…。こんな時間に、こんな場所でさ。っていうか、この店はうちの学校の人間の溜まり場なのかい?それにしちゃ、随分な時間だけど。
 そんなことを思いながら見ていると、そいつは階段を登りきって、ちらりとさっきのグループ―――吹かし軍団の方を向く。なんだい、連れかい、と思う間もなく、そいつらの間には軽いいざこざが始まったようだった。またかい、しかしよく衝突するヤツだねえ。
 しかし、その衝突が本格化する間もなく、近くにいた店員らしい男が近づいていった。
 いや、身なりや風貌から考えて、店長かな。胸のバッジが大きかったし、年齢だって―――頭の薄さや苦労してそうな顔つきからして、それなりの年齢みたいだ。そういう風体の、大人の男が間に入った。
 その店長らしき人間は、あいつを押さえて制しながら、何やらぺこぺこ謝ってその仲裁に努めようとしている。押さえられたほうのあいつは、相変わらず睨みつけたままだ。でも、すぐに一瞥だけくれて、その場を去っていく。
「逃げるのかよ!」という台詞がヤツの背中に投げられ、ヤツの眉がその言葉に正直に反応する。
 ま、色々な意味で、わからんでもないけどな…。ゴタゴタは今日はしまいにしたいんだよな、もう。仕事は終わってるんだしさ。それに、お前が突っかかるような相手じゃないだろ。

 あたしはそう思ったから、真っ直ぐそいつの耳に入るように呼びかけた。
 「早乙女、こっち。」
 あたしの低くて突き通るような声は、思惑通りヤツの耳に入ったようだった。一瞬別の意味でどきりとしたような表情をヤツは見せたけれど、すぐにふっと軽く笑ってこちらへと近づいてくる。
 ヤツはハンバーガーを盛ったトレイを、テーブルの上、あたしの斜め前に置くと、乱暴に音を立てて座った。
 やれやれ。相変わらず態度に出るヤツだな。
 あたしはそう思ったけれど、それは口には出さないで、会話を続ける。
 「もう眠いんだよ。あんまりガタガタするなよな。
 気持ちはわからんでもないけれど。」
 「すまないね。
 それはそうと、こんな時間に何だい、こんな場所でさ。」
 それに正直に答えるわけにはいかないな、別に真面目に聞かれてるのでもないだろうけどさ。そう思ったから、あたしはその問いかけには答えないで、敢て冷やかすように言う。
 「相変わらず、すぐかっとなる性格は治ってないねえ。喧嘩っぱやいのもね」
 「喧嘩じゃないって。あんなのと喧嘩するほど落ちぶれてないね。」
 そのへんはあたしと一緒、のような気もするんだけど。
あたしは無視して通り過ぎたけれど、同性の分だけぶつかっちまうのかね、どうなんだろ。
 あたしはそんな疑問を隠したまま、
 「じゃあ何をしてたんだよ。」
 と、聞いた。
 「いや、席は空いてないかなって探した時に、ちょっとだけ眼が合ったんだよ。なんだこいつ、偉そうに、なんだ良く見りゃお前ごときの分際で、とか思いながら見てたら、ガンたれてんじゃねえよとか安っぽい台詞で返されてさ。」
 「お前、眼つき、悪いからな。」
 「そういう問題と違うだろー。」
 「一緒だよ。」
 「ったくもう。ま、それに答えずに“馬鹿かお前”って気持ちを込めつつ見てたら、流石にちゃんと伝わったみたいでさ。以心伝心ってのはありがたいね、いや全然ありがたくないんだけど。」
 「何だお前、何が言いたいんだよ。伝わって嬉しいとか嬉しくないとかさあ。」
 「う、まあ、いいじゃないか。
 でもそれ以上に腹たったことがあるんだよ。だって、店の人が入ってきて何をするのかと思ったら、俺のほうを抑えるんだもんなー。俺じゃないだろ、てめえは大人の癖にガキが吹かしてるのに何もいわねえのかよ、って思ったらそっちのほうが腹たったよ。」
 「ふーん。」
 「俺を止めるぐらいだったらそっちを止めろよ、って思った。でなきゃ、両方止めるな。とことんやらせろっての。」
 まあ座ってる複数をどうにかするより、立ってる一人を抑えるほうが効率的で確実だろうしな、と咄嗟に考えてしまう。あたしだって面倒だからそうする。しかし、ああやだやだ。こんなことを考えるなんて、きっと職業病だよ。そう思ったあたしは、適当に話に合わせることにした。
 「そうだなあ、あんなの追い出すかどうかすりゃいいのに。」
 「…まあその辺も、難しい問題があるんだろ。店の売り上げとか商売上のトラブルは避けたいとかでさ。所詮猿でも犬でも金を払ってくれればいいんだ、厳しく言って客が減ったら困るって考えもあるのかもしれないぜ、店ってのはさ。」
 なんだ、随分と客観的な見方をするんだな、お前。っていうか、熱が冷めたらどうでもよくなっちゃう性格なのかもしれない。
 「まあ…あたしだって、同じ学校だって言うだけで知り合いでもないし友達でもないんだから、注意してやるほど親切じゃないからな…。あたしは知らないヤツなんて、どうでもいいや。自分の責任で好きなこと、やればいいって思うほうだし。
 恵美なら誰にでもきちんと言っちゃうかもしれないけどね…。」
 「あはは、そうだね。それが彼女の素敵なところで、困ったところだろうね」
 「困ったところ、っていうなよ。それが恵美の恵美たるゆえんなんだからさ。」
 あたしの声のトーンは、恵美という名前が出た瞬間にどうしても一瞬高くなってしまう。
 うーん、どうしても恵美のことだと、そうなっちゃうなあ。
 でも、あいつはそんなあたしの言葉に怯むことなく、自然に言葉を返してくれた。
 「そうだな、だから彼女は彼女なんだよな。
 …まあ、そういう方針なら邪魔しないよ、店長ってのも面倒なんだろうな、って思ったから、逃げてきたんだよ。ああ、でもやだやだ。っていうか違うだろ!俺じゃないだろ!注意するならあいつらだろう!大人が大人の義務を果たさないでどうすんだよ。ましてや店長だろう?責任あるんだろう?」
 なんだ、こいつ、こういう考え方をするのか。普通のヤツならちょっとおかしいって考えても無関心を装うか、関わりにならないように避けるか、どっちかなのに。どうも生来の無鉄砲さというか、怖いもの知らずというか、そういうものがあるみたいだな。今時の高校生が、ヤニ吹かしてるなんて珍しいことでもないんだから、いちいち目くじら立てていてもしょうがないだろうに。
 …ま…嫌いじゃないけどさ…そういうの。

 「…って言ったって、あんなのと競るほど暇でも馬鹿でもないんだけど、さ。あーやだやだ。もうやめ!無視無視!さ、メシにしようっと。」
 そうヤツは言うと、トレイの上に置いてあったハンバーガーの包みを空けて、それをぱくつきはじめる。
 …ってお前、ハンバーガーばっかり5つかい?
 さすがにその不審感が伝わったのか、ヤツは1個目を食べ終わった時に、口を開いた。
 「貧乏でね。安いと助かるよな、こういうの。」
 「貧乏…って、お前、帰ればメシぐらいあるんだろ?作ってもらえないのか?」
 「あ、一人暮らししてるから。」
 「一人暮らし…そうなのか?」
 「うーん、正確には、追い出された。親父に。出てけ、って。」
 そうなのか、知らなかったよ。そういや、以前にこいつを家の前まで送って行ったことがあったけど、うちはどうみてもワンルーム…っていうか狭い木造アパートだったよな。あまりプライバシーに入るのもなんだって思ったから、突っ込んで聞いたりしなかったけどさ。
 そんなあたしの思いをよそに、ヤツは次のハンバーガーを片付けにかかった。2個、3個。いやいや、良く食うねえ、このぐらいの年の男の子ってのはこういうものなのかね?と思うぐらいの勢い…と思いきや、いきなり動きがとまって変な目つきになる。
 はいはい、世話の焼けるヤツだ。
 あたしはさっと眼の前の、自分が頼んだ、氷が半分以上溶けて薄くなりかけたコーヒーのカップを差し出すと、飲めよ、とそれだけ言った。こんなのしかないけどさ。
でも、大体お前、貧乏だからって飲み物も頼まずにハンバーガーだけ5個か?それじゃあ、あたしがいうのもなんだけど、栄養のバランスが悪いんじゃないのか?
 ヤツはそんなあたしの、他人に対する珍しい心配に気づいたか気づかないか不明のまま、あたしが差し出した、薄まったアイスコーヒーを飲み干した。
 「あ、ありがと。助かったよ。」
 「お前さあ、飲み物ぐらい頼めよな。」
 「うーん…今月厳しいからな…。切り詰めないと、さ。
 クソオヤジの支払いも渋いし、今日だってしょうがないから割のいいアルバイトを見つけてやってたら、こんな時間にまでなっちゃうし。それでも家賃も食費もすべて切り詰めて、質素な生活してるんだよ。それもこれもみんなクソオヤジのお陰だなあ。まあ、ただで生活費を貰ってる身分で何か言えたもんじゃないけどさ…。
高校生になったんだから自活しろ、っていうのも、俺は間違ってるとも思えないし…。」
 「喧嘩でもしたのかい、親父さんと」
 追い出されたとか、クソオヤジとか、穏やかじゃない言葉が飛んでいるので、ちょっと興味を持って聞いてみる。
 「そうじゃない、けど、高校に入るときに、家から追い出された。これ以上うちにいることまかりならんって言われてさ。
まったく、何考えてるんだか。新しい女でもできるのか?とか思ったけど、再婚するなら別に反対なんかしないのに。むしろあのクソオヤジのところに来てくれるような寛大な女の人なら、大歓迎だってのにさ。ああ、でも邪魔かもしれないよな、コブつきだと。」
 「再婚?…って、お前…」
 思わずそれを言ってしまってから、聞きにくいことだったかなと考えてしまう。ちょっと、遅かったかな…とあたしは一瞬気にしたけれど、当人は全然気にすることもなく、すっと返す。
 「ああ、うちはオヤジしかいないからね。うちの母親は物心付く前に亡くなったんだってさ。ま、しょうがないね。病気だったって言うし。まあ男親一人って状態で、よくここまで面倒見てくれたもんだよ。それは感謝してるんだけど。」
 「そっか…。」
 「あんな親なのによくここまで真っ直ぐ正直に成長したもんだ。さすが、俺様。」
 「親父さんが今の言葉を聞いたら、泣きそうだなあ」
 「うっ…きついなあ。
 まあそれはそれで仕方ないさ、そういうのだって運命だよ。
 しかし、オヤジはオヤジで母親のこと、今でも大事に考えているみたいだし…。再婚ってのも考えにくいな。ほんと、だからわけわかんなかったよ。あれは一体何考えてんだか。
 だってそれを言われたのって、高校の合格発表が終わってすぐだよ?そんなこと突然言われたって、出て行くにしても仕事のつてもあるわけでもなし。生活はどうすんだよ、って言ったらさ。
 “やることやれば最低限度の金はくれてやる、あとは自活しろ”ってさ。それが嫌なら本当に一人で出て行け、とにかく家には置かん、ってさ。わけわかんないよ、俺も。」
 そこまで一気に言い切ると、気が済んだのだろうか、あいつはまた眼の前のハンバーガーにかじりついた。
 そうだったのか…。色々、あるんだな…、こいつにも。
 あたしはこいつのちょっと曲がったのか曲がってないのかわからないような性格が作られた理由が少しだけわかったような気がした。でもまあ素直じゃないけど悪いヤツじゃないし。あたしはそういうの、雰囲気でわかるしね。ま、とにかく、こいつのオヤジさんってのは、こいつ以上に変わってるってのは間違いないな。根は悪い人間じゃないだろうけど。
 「やることやれば…って、家の手伝いかい?」
 あたしはふと、ちょっと疑問に思ったことを聞いてみた。それはちょっとした疑問でしかなくて、ああ、こいつもあたしとちょっと同じように…仕事を、いや、家の手伝いとかをしろって言われてるのかな、と思っただけだったんだけどさ。
 あたしは何の気もなく聞いたつもりだったその疑問は、意外なことにヤツを面食らわせてしまったようだ。ヤツはいきなり食べる動作を止めて、あたしの顔をまじまじと見る。と、しばらくあたしの顔を見つめた後、何も言わずにまた目の前のものを片付け始めた。なんだよ、言いたくないこと聞いちゃったのかい?ならそういえばいいのにさ、言いたくないことだって人間にはあるって、あたしはよくわかってることなんだから…。

 「…ま、大したことじゃないよ…いや、大したことじゃないってわけじゃないけど…」
 珍しいね、こいつのこういう受け答え。そりゃあ初めて話した時はなんて歯切れの悪いヤツだ、ってあたしは思ったけれど、それはほんとに恵美の言うとおりに誤解で、ちょっと勢いが良すぎるぐらいに歯切れ良く(というより言いたい放題に)思ったことを返してくるヤツだって、すぐにわかるぐらいの人間だったのに。
 ま、言いたくないことはある、よな。

 だからあたしは「ふうん」とそっぽを向きながら聞き流すふりをしておいた。ヤツもそれ以上、その話題を続けようとしなかった。

 「それはそうとさ、なんで神条さんはこんな時間にここにいたんだい?」
 何でって…それを正直に言うのは、当然のように無理だ。
 「あたしにはヤボ用があるんだよ」
 しまった、この間もこいつにそう言ったっけ。ええい、いつもヤボ用だな、って追及されてもしょうがないな。もう、それで通すしかないさ。怪しいだろうけれど―――。
 そういう心構えをしてるのに、さ。
 「そうかい、大変だな。」
 とだけ、ヤツは言った。
 「まあ色々あるもんだね、人それぞれ。」
 変なところで達観したような、物分りのいいようなヤツなんだよな。さっきの店長の立場を理解してみせたり、さ。それだけ度量が広いってことかね?どうなんだろ。
 あたしはその疑問を頭の隅に追いやって、ヤツに聞いた。
 「お前は…あ、そうか、アルバイトしてたのか。偉いな、生活の為に…。」
 「そうだよ。そうそう。わざとじゃないからね」
 「わざと?何が?」
 どうやらこっちのほうが突っ込んではいけないことだったらしい。ヤツの表情から簡単にそれがわかる。というか、わかりやすすぎる、な。でも、なんだよそれ。

 ま、聞かないでおいてやるか。お互い様、だ。
 さて―――こんなところかな。帰って寝るかね。何もすることない、なんて思っていたけれど、まあこうやって話をするってのも悪くないね。一日の終わりとしては、さ。
 あたしはすっきりとした気分になったような気がした。これで今日が終わり、ならばすっきりと眠れそうな気がする。

 だけど―――

 店の中で起きたことが、まだあたしにそれを許してくれないようだった。


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