子育てと関連して仕事のことについて書きます。ぼちぼち話題を追加していきたいです。体系だってないかもしれませんがご容赦。
大学卒業と同時に入った会社を、最初の妊娠中に辞めている。直接の理由は妊娠ではなく夫の転勤だったのであるが、ウラの理由は仕事が忙しいことと向いていない管理の仕事をしているのがストレスだったからだ。...表も裏も、理由は妊娠ではなかったですね(^^;
とにかく一度仕事を辞めて、専業主婦妊婦ライフを送り出産し、専業主婦として子育てが始まった。振り返ると自分は専業主婦に向いていなかった。向いていないなりにもなんとかその時期を過ごせた時期、主に心の支えだったのはダンナとパソコン通信だった。当時約6年前にはまだブロードバンドという言葉すらなく、電話回線につないで通信にかかった時間だけお金がかかっていく時代、インターネットという概念も一般に普及していず、今日のさまざまなWebでの掲示板のように多数の人と意見を交わす場がパソコン通信だったのだ。初めての子育てのしんどい部分を、ずいぶんパソ通で知り合った仲間に助けられた。
「これが私の生きる道」−は、Puffyの超ヒットソングだが、パソ通友達の一人が「大学院で勉強する。それが私の生きる道」と宣言した。一人目の子が1歳前後のときだろうか、、、。子育て以外の自分の道。家事と子育てだけの生活に何か違和感を持っていたのだど思う。そこを刺激された。私にとって生きる道は?
生涯の道だ!とまでは思わずとも、とりあえずの道を仕事復帰に選んだ。子供が生まれてから1ヶ月ほど自宅で少し前職と同様にプログラムを作ったことがあり、それが面白かったこともあったように思う。(専業主婦から兼業主婦になるにあたってちょっとした壁があったのだが、それはまた後日、、、)
久しぶりにシステム開発の現場に戻ったのが一人目が1歳3ヶ月の時だ。それから2人目が生まれる前後の9ヶ月休みをはさみつつ約5年経った。WM、もう辞めないだろう。会社はいくつか変わったし、これからもいくつかお世話になるかもしれない。だけど仕事は辞めないと思う。子供がいて仕事をしていなかった時期、仕事を思いっきりできなかった時期、思いっきりできた時期と経験して、自分はこの仕事が好きで、仕事をしているから自分らしいのだと感じている。たまに独身や子供のいない友達に「仕事もして子供の面倒も見て大変」「すごい」「えらい」といわれることがある。自分では「子供の面倒だけ見てるほうが(向いていなくて)大変」と思っているので、ちっともすごくないのである。
「なぜWorking Motherなのか?」というタイトルの問いに対する自分の答えは「プログラムを作っているのが好きでそれを職業としているから」「今子供がいるから」の2つを連結したもの、といえる。
小さい子供がいるうちは、仕事に割ける時間が限られる。基本的に保育所が面倒見てくれる時間=仕事の時間である。普通の保育所は朝〜夕方の預かりで、たとえば現在の我が家がお世話になっている保育所で言うと朝7時〜通常夕方6時半の預かり、有料の延長を加えて7時まで。じーちゃんばーちゃんなど頼れる人が他におらず、フルタイムで働いていて通勤時間をプラスすると母はほぼ残業はできないことになる。
私の場合も、両親が近くにいるわけでもなくだんなが毎日定時に帰れるわけでもない。子供を持った最初の仕事は、残業ナシ、時間がきっちり決まっている客先への派遣であった。
再開の前後は、ただもうそれだけで満足していた。開発することや外の世界に出ること、自分だけの時間が持てることに。
しかし洗礼がやってくる。子供の急な病気、発熱だ。集団生活に入った頃、年齢的に小さい頃は本当によく病気になる。免疫が少ないからこれは仕方のないことなのだが、それは即ち急に仕事を休まねばならない事態が頻発するということである。
誰が休む? ...まず、母である私。父であるダンナではなく。何度か、何日かはいい。だけどそれが続くと「同じ仕事をしてるのに、なんで私だけが?」という思いが強くなってきた。「私のほうが責任の軽い仕事をしていて休みやすいからといえばそうだ。だけど、それは好んでやってるわけではなく、時間が限られているからそうなっているだけであって、時間制限がなければもっとずっと仕事だってできる」。
子供が元気な時は隠れている不満は、お迎えコールや病気の時に顕在化する。だんだんと子供が丈夫になってきて休むことが少なくなってくるまではこの思いはずいぶんと強く、葛藤した。
たまたま、この話を見つけて、縁があって小さい会社で在宅勤務することになった。2人目の子供が腹にいると分かり派遣の仕事を辞めるので、でもまだ産み月には間があるということで短期の在宅でできる仕事があれば、、、と探していた時だった。1,2ヶ月の仕事という思惑からは外れたけれどとりあえず在宅でできるのでお世話になった。
今考えるとこれは大きな転機だった。「在宅で」、私にとって新しい言語「PC系の、オブジェクト指向のVC++を使った」仕事だったこと。
在宅で=通勤があまりないのは妊娠中期〜後期の妊婦には非常にありがたかった。そして家で仕事をする素養がある(これは先輩たちのコツを実践した結果でもあるのだが)と分かった。
そして、今後つながっていく糸口になるのだが、全く未知の言語VC++での開発が始まった。Cは最初に勤めていた会社の社員教育で習ったことがあり本などを見ればなんとなく分かった。しかしVC++は、、、。ホスト歴長くPC系も少しやったけれどオブジェクト指向というものすらまだ知らず。その概念(のさわり)を知るだけでも一苦労だった。苦労はしたが、その仕事はスキルアップにつながり、経歴が次の会社への転職のステップになっていた。
もし、この仕事に巡り合っていなかったら、、、2人目の出産後はまた派遣でホスト系の仕事をしていたかもしれない。通勤で、スキルアップなく。
2人目の産前・産後の休みをはさみ、あるアプリケーションのAPIを使って要求された動きを実現する関数やサンプルを作る仕事をしていた。目新しいVC++と業務の世界についていくのに必死な時期を過ぎ、一定以上の仕事ができるようになったと思えるようになった。報酬を見直してもらいたい。そう思うようになった。報酬は時給換算、この業界の標準からいうと決して高くないものだった。しかし自らも初めてづくしであったため了解し、その後の働き次第でアップを考えるということでスタートしたのだ。評価して欲しいと私は社長に言った。提示された金額は、やはりそう高いものではなかった。
急激に、この仕事に対する気持ちが冷めていった。作っているアプリケーションの業務に興味があまりもてない。興味がもてないからアプリケーション自体にも愛着がわかない。作っているものが内部的な関数だけであるなど、一部だけであることも一因だった。思考がマイナスに傾いていく。
仕事量は多くない。できるだけでいい、と社長は言う。子供が小さく頻繁に病気をするだろうことを考えると、休みを簡単にとれることはありがたい。しかも在宅勤務である。
働きやすさをとって、おもしろみに欠ける仕事を安めの値段で引き受けていくのか? それでいいの?もっとおもしろい仕事があるんじゃないの?...でもきっと勤務条件は厳しくなるだろう。
そんなことをぐるぐると考えつつ新聞の求人欄を眺める日が続いた。「何かあったらいいな」程度の読み方ではあったが、ある時「在宅勤務可」のプログラマ募集広告を発見した。要件はVC++経験者、OKだ。そして仕事は「XMLを用いたアプリケーション開発」とある。XMLとは当時注目を浴び始めた、ごく簡単にいうと新しいデータの記述方式だった。おもしろそうだ。会社への通勤は1時間を超えるが、在宅が可能で週に1度くらいの通勤ならばなんとかなるだろう。
久しぶりに履歴書を書いた。そして面接。。。採用だった!
2000年の夏。子どもは4歳と1歳。自身は33。まだまだ、募集年齢上限を気にすることもなく新しい言語も実地で吸収できることを当然と思っていた。これから勤める企業がベンチャーであることや、ベンチャー企業がどういうものであるかも知らなかった。とにかくまた新しいことに対して興味と希望が湧いてきていた。
結局この会社には2年余り在籍することになる。自分の値段、スキルアップ、安定がどうなったか、、、次回へ!
(まだ続く予定)