ちょっとした修正のついでに書いてみる...毎月更新ではなく、毎年更新になってしまっていますね..
何のことでもそうだが、基準は人によって違う。子育てもそうで... 最近一番「それは私にはできない」と思ったこと2件。
子どもを留守番させて夜飲みに出る。子どもは現在小学5年と4年、飲みに出るのは小学校に入ったころからか? この母が言うには「ウチの子たちは置いていっても絶対大丈夫。一回寝たら起きないし、起きていたとしても(親がいなくても)全然平気でいられる」「何かあったらかけつけられる近所で飲むから大丈夫」だそう。確かにいくつから留守番できるかは子どもの性格によってかなり違うから、一概にNGとは言えないけれど、やはり「夜」「飲みに行く」ところにひっかかりを感じる。もちろん、親の趣味・嗜好はそれぞれで、私も飲みにいくのは大好きで、それはいいことだとは思うけれど、時々起こる、親が不在の時にたまたま起こった火事で子どもだけ亡くなったとかいう事件を思うと、これはできない。
2つ目は乗車時にチャイルドシートに乗せない。子どもは5歳と2歳。正確には乗せないのではなく、乗せても勝手に子どもが抜けてしまい、それを容認している。「何回言っても(抜けてしまって)ダメ〜」とは母の弁。うーん、ウチはもう私も夫もチャイルドシートは絶対!小学生になってからはジュニアシート必須!主義なので、これも受け入れられずにいる。
まぁ、かといって、二人ともそのほかの行動は特に常識から逸脱しているわけではなく、きちんと子育てはしている。また、代わりにウチでは甘い何かの基準が、それぞれの家では絶対許されないことになっている可能性はあるので、もう、それぞれの基準があるとしか言いようがないことである。
いつもながら久しぶりすぎて...「久しぶり」という単語が続くので使うのもためらわれるくらい。ですが、書いて見ます。
タイトルの「ゆく年くる年」とは、年度末のことで今回は結構大きな節目でした。下の子は保育園修了→小学校入学、学童開始。上の子は4年生進級で学童終了。子どもはもちろんですが親も生活が変わります。
特に保育園修了に関しては、ずっと昔からこの日にあこがれていて(というのも変な表現だけど)心待ちにしていたという面と、上の子から通算すると9年、保育園と関わっていることがあまりにも長く日常だったからそれがずっと続いていくような気がしていた面があり、本当に終わるのかとても不思議な気持ちです。実際卒園してから1週間が過ぎたけど、同じ修了組の子とともに学童へ送迎していたのもありまだ実感が湧かず。来週始業式以降に、送迎がなくなったらじわじわと感じることがあるのかな、と思います。
当の本人は別にどうってことない様子。学童も仲のいい友達が一緒であることもあり、「保育園より面白い!オセロとか将棋があるから」と通っています。...そう、子どもは前だけ向いているから。いつもいつも。振り返って感傷に浸るのは大人だけなんですよね。
そして上の子。非常にお世話になっていた学童終了、いったいどうなることか、、と夏休みくらいは頭が痛かった。しかし、年初にインフルエンザで学校休んだ時(タミフル効いて?熱もさほどあがらずそんなにしんどそうでもなかった)、わりとおとなしくゲームしたり本読んだり。暇で構ってほしげではあったが、私が仕事をしていたらそれは理解して邪魔しないようになっていた。子どもが休みで家にいる時に自分の仕事ができないのが一番ネックだったから、その点ではかなり心配は軽減されていたのです。そして3月末日から本当に一日休みの日が始まり、彼は彼でかなり過ごしてくれるようになっていて、さすが学童がなくなる時期だけのことはあるのだな、と思いました。
この春休みでステップアップしたこと:
・今まではチャリで10分弱の将棋クラブへ親が一緒でないといけなかった → 一人で行って帰れるようになった。
・カギを持たせることを嫌がっていた(留守の家に一人で入るのは無理!と言っていた) → やってみる、と言い、実際できた。
・2,3年前は下の子を保育園に迎えに行く時留守番していたが、20〜30分経つと(たいていもうすぐ家に着くというところ)ケータイに「まだ?」と電話がかかってきた。1年前は1時間の留守番もイヤ!とできなかった。→
2時間でも平気に。
もちろん、同年代のほかの子で当たり前にできている子も多いと思う。けど、ゆっくりしたペースのこの子も、ゆっくりとできることが増えていって自立に向かってるんだな...と感じます。
ついでに、前回のトピックの続き「3年生の夏休みの決算」について。
もう、惨憺たるもので。スケジューリングした通りに、プリントなどの課題は「学童でやってきた」と「済」のチェックをして、毎日進めていった...はずが、残りの日が2桁を切ったくらいにそれがウソであったことが発覚。実はやっていなかったのです。そうやってウソをついても最後にはやらなくちゃいけないし、自分に返ってくるってこと。そういうことがまだまだ分からないと、思い知らされました。
それ以外にも宿題をやっていなかったり、やっていたのにプリントを出し忘れていてそのままになっていたとか、そういうことも明らかになり。自分のためにならない、とこんこんと言い聞かせたのだけど....いったいどこまで通じているのか、いないのか。
夏休みの宿題は残りの日で順番に片付けていくよう再スケジューリングし、毎日毎日やったかどうかまで親が確認、でなんとか完了。学校が始まってからの宿題は、連絡帳を「親が」ちゃんと見てなんの宿題かを把握、できたかどうかもチェック。何より、宿題を忘れたらゲームをさせない!という、一番やりたくない脅しを使ったのが一番効いて、きちんとこなすようになりました。罰のようなことは極力したくなくて、やらなくてもわかってくれるだろうと思っていてここまできたけど、子どものレベルはそこまでついてきていなかったので...。ちなみに後日同じような学年の子の保護者と話をしても、ウチもそう!ということでした。
最初のトピックで「成長した」と誉めたところだし、夏休みは半年前だし、、。次の時にはもうちょいがんばってもらえるかなぁ。いやでも親チェックはまだやります!
久しぶりに書こう!と「あいう..」を見ると最新は去年の夏休みの話題(^^;; 約1年経ってしまった。どうせなら、ということで今年の夏休みの話にします。
小学3年生の夏休みが始まって10日ほど。といっても朝小学校内の学童へ行き、夕方帰ってくるため、お弁当が必要な以外は普段の日とあまり変わらない。問題は、今年でそれが終わり、来年からはずっと家にいるという事実だ。果たして家に子どもがいて仕事ができるのか?あまり自信がなく、まだ来年のことであるのにいろいろと考えてしまう。...実際のところは来年になるとまた1年分子どもも成長しているから事情は変わってきているのでしょうが。
とりあえず今年の夏休み。まず、宿題について。いつやるのか、とりこぼさないよう予定をたてていただいた。さっそく、おととい熱を出し、図書館で本を借りる→読書という予定が崩れていて、それを彼はどういう風に考えているのか?今日聞いてみよう。明日土曜日に借りに行くのが現実的だと思うけど。
保育園年長の弟とダンナ実家へ遊びに行くのは、今年は9日間だけ。昨年より1週間少なくていいんですと。。親的にはいくらでも行っていただいてかまわないところですが、まぁ家にいる方が都合いいこともきっと出てきたのでしょう。
あとは将棋。毎週末に近所の碁・将棋クラブへ通っている。もう半年くらいか。子ども対象と言うわけではなく大人がほとんどで、相手をしてもらっているという感じ。徐々に腕をあげてきているらしく(私には良く分からないが)、他にもと、ちょっと遠いところの「こども将棋教室」へ夏休み始まってすぐに連れて行ったところ興味を示したため、土曜日はそこへ行くことにしました。夏休みは臨時で水曜日午後に開催するということで、普段子どもサービスしていない分送迎してやるつもりでいます。そうそう、子どもの将棋大会なるものにも8月頭に初出場予定。どんな結果になるのかちょっと楽しみな母です(^^)
下の子のことも書いておこう。こちらは保育園で、夏休みは基本的になくこちらこそまったく普段どおり。兄と一緒にダンナ実家へ送り出す以外は日常生活、です。兄が学童へ持っていく用のおべんとを、私が作っているのを見て「いいなーーー、K(兄)だけいいなーーー」とか言ってますが、保育園の給食の方が毎日メニュー違うし栄養価も考えてあっておいしいと、母は思う。。
夏休みの決算は次回(^^)
あと3日。上の子小2、小学校の夏休みが終わる。
簡単な読書感想文または絵、とか日記2枚分、とか、そんな残りがちな宿題が最後まである。...別に何をどれだけいつしようが全然構わないのだけど、放っておくと最後までやらない事態が発生してしまう(昨年経験済み)。自分でどれだけの宿題があって残りの分量がどうかということが把握できないようなのだ。まだまだか、小学2年生。
かくして「宿題やったの?」「今日は学童でどれやるの?」と口やかましいおかーさんに。。。子供たちだけでいなかへ行っていたときにも電話で声かけ。「もーうるさいから電話切って」などと言われる始末。でもっ、こっちだって言いたくて言ってるんじゃないんだよ。。。むしろ言いたくもないんだよ。。。早く勝手に自分でスケジューリングして自分でとっとと進めて欲しいんだよ。。。。来年に期待いたします。
親と離れていた分、帰ってきてからきょうだいの仲良し度があがったような感じがする。下の子はちょっとしっかりしたようだし、上の子は下を無用に怒ることをしなくなっていた。うーん。いい感じで面倒見てくれてありがとう、ダンナ両親。感謝。
翻って自分のこの夏はどうだったか? 先に書いたように、ダンナ実家へ子供たちが行ってしまい、子ナシの期間約2週間。大人の夏休み到来!ということで、ふだんなかなか会えない友達と遊ぶ、夜ごはんを食べる、飲みに行く。去年の経験を生かし、わりと早めに入れられる予定は入れたため、プライベート面では充実した毎日だった。
そして仕事。子供がいない分時間は普段より多くある。開発中のWebサイト、ある機能まで作りこむことが目標だった。こちらはあと1歩。子供の宿題と同じで、最後のスパートが必要だ。。
朝晩風の中に秋の気配が感じられ、あんなにうるさかった蝉の鳴声も全く聞こえない。夏に心を残さないよう、もう少し、あと少し、夏を過ごそう。
とある縁で(なりゆきとも言う)、学童の保護者会役員2年目、会長になっている。そんな器では全くなく、本来なら遠慮したいところである。しかし誰かがやらなくてはいけない。私が断れば、いろいろと問題があり別のところで被害を被っていた、この人にだけはやって欲しくないという人に、この役目が決まりそうだった。それだけは避けたい。そして決め手は行事の少なさ。忙しい保護者の実態に合わせてだんだんと行事が減ってきて今は年に2回だけ。これならなんとか私にもできるんじゃないか。
ということでなんとなく会長である。役員9名の連絡のためにメーリングリストを作った。1通メールを出せば、登録した人全員に自動的にそれが送られる仕組み。今は携帯電話のメールが浸透してきていて、グループ間の連絡にかなり便利である。
役員メーリングリスト立ち上げ、しばらくして学童の指導員さんと話す機会があった。その中で緊急時、例えば暴風警報が発令された時には保護者が児童を迎えに行かなくてはいけない。連絡手段は電話であるが本数が少ないうえになかなかつながらない。時間がかかる。このような時にメーリングリストがあれば便利ではないか、という話になった。
確かに一つメールを打つだけで皆にお知らせができるとよさそうだ。しかし緊急時にうまく相互の連絡がとれるだろうか。。。?
さらに「誰が管理するねん。。」と不吉な考えが頭をよぎった。たまたま私はPCを使った仕事をしていて日頃からネットも使っており、巷の無料メーリングリストサイトを使えば簡単に立ち上げることはできる。今年は自分がやってもいい。だけど来年からは?
特に「管理者問題」は非常に気になりつつも(最後は、自分が学童にいる間はやってもいいかと思い)、とりあえず開設することになった。なにごともやってみないと分からないのだ。
そして登録を希望する半数弱の二十数名と指導員さんで先日スタートを切った。とりあえず自己紹介をお願いします、、と開設メールを出した直後から次々とメンバーの投稿があった。反応が、最初はないんじゃないかと思っていたので、これは本当にびっくりした。嬉しい誤算で、この後も指導員の方から学童に関する意見募集メールが流れたらすぐに返事が多くかえってきて、なかなかいい感じの立ち上がりになった。結構、メールを使い込んでいる人が多いと言うことか。。
今後、どのように活用できるのか? 自分自身興味があるところである。
上の息子はこの4月で小学2年生になった。朝一人で登校して行くのを安心して送れるし、学童を終えて当たり前のように子供たちで下校してくるし、その後友達が遊びにきたり、遊びに行ったりしているのが日常となった。
思えば小学校にあがるときの1年前は、親などの大人と離れて一人だけで行動したことがなかった。例えば徒歩3分の公園へすら行かなかった(このご時世でもある)。だから一人で登校できるのか、また同じ保育所から進学する子供がおらず、近所にも知り合いがなくまったく友達がいない中のスタートであることも非常に心配だった。
しかしそれは杞憂だった。こどもはちゃんとそれだけの能力があるのだ。まず学童が楽しくなり、夏を過ぎたあたりからクラスでも緊張がとれてきた。もちろん登下校も親がいなくても大丈夫。あれこれ心配するのはこどもに対して本当に失礼なことだ、と1年過ぎた今は思える。親が思っている以上にひとりで行動できる年齢になっているんだ。息子が成長して、親も成長した。
この先もやはり節目ごとには心配をして、そのたびに子供の能力に気づかされて失礼しましたと心の中で謝る、、それを繰り返していって、最後にきちんと親離れ・子離れできればいいな、と思う。
今日たまたまブックオフという古本屋へ立ち寄り、なにか面白そうなモノはないかと本、CDをさんざん探したがそそられるものがなく、2Fから階段を降りて帰ろうとすると。踊り場には「おすすめ本コーナー」が設置されていて、そこには育児本で大いに共感して楽しめたまついなつきさんの本があるではないか。キレイで結構最近出た本なのか定価に近い価格であるが本好きのため即購入。
帰宅してぱらぱらと読んでみて、あとがき。。。。「夫をリストラ」とかなんとか書いてある。ええっ。リコンしてたの?まついさん。驚きのあまりさっそくWebで検索、ご自身のサイトがヒット。そこにもちらりと、他のサイトでの著書紹介でも、書いてありました。リコンしてました。
そうかぁ〜。みんな、リコンしちゃったんですねぇ。
みんな、とは、もうちょっとコドモが小さい頃に読んだ育児本の作者さんです。サイトでも感想を書きました。まついなつきさん、さくらももこさん、内田春菊。
内田春菊の場合はなんだかドロドロなことになったようで(情報源:友人と週刊誌と2ちゃんねる)、マンガに出てきたオットと別れて、3人目のコドモが生まれてからの話しではいけしゃあしゃあと(?)新しいオットを登場させたりしてて、どうも受け付けなくなってしまいました。結婚なんてどーでもいいやという割には結婚という形態に実はこだわってるんじゃないの??って。
さくらももこさんは何年かのシングル生活を経て再婚しましたねぇ。
そして、まついさん。いい感じの家族が描かれていて、ラクにいってもいいんだよ、という雰囲気が好きだったのでショックですね。別の著書でリコンに絡んだ話を書いているようなので入手しよう、と思いました。
まー今時リコンなんて珍しくもありません。ありませんが、「いい時代」を楽しく読んでいた分、びっくりした出来事でした。なにがあっても、みんな楽しく過ごせればそれが一番いいんですけどね。
※育児本で大いに共感して楽しめたまついなつきさんの本/サイトでも感想を書きました :「実録 育児トピック」から、 「出産前後に読んだ本 −いわゆる軽い出産育児本−」 を参照。
タイトルのキャッチフレーズ、小学校低学年の男の子を持つ親ならおなじみではないだろうか。
「かいけつゾロリ」とは、怪傑ゾロリで、「自らの城ゾロリ城を建て、およめさんをもらうという野望を抱いているゾロリ(キツネのキャラクターです)が、双子のいのしし、イシシとノシシを子分に引き連れて、いじわるの王者を目指して旅をするという物語。これが、いじわるしたつもりなのにみんなハッピーになってしまったり、ようやく運をつかんだと思ったら情けない失敗でそれを手放すことになったり、とにかく思い通りにことが運ばない、毎回とんでもない事件が起こってしまうというストーリー。
上の子供が小学校の図書館で出会ってはまり、そんなに好きなら、と母(私)がオークションで20冊ほど入手。新刊は買ってほぼ全巻ある状態。下の子(4歳)も、兄がドラえもんに移行してからもじっと読んで(眺めて?)いる。
ライターの友人によると、児童書は今売れなくて大苦戦である中、絶大な人気を誇っているそうだ。あまりにも人気なためかマンガ化され、ほぼ同時に今年の2月アニメが始まり、日曜の朝7時にこどもたちは起き出して視聴しています。
ゾロリは半分マンガがミックスされているような本だからとっつきやすく読みやすい。
「おなら」「うんち」など、クレヨンしんちゃん系の、いかにも子どもが好きそうな汚い単語が出てくるのも(^^;
(そういう意味ではあまり安心して読ませられないかも? しかし推薦図書にもなってます。)
昨年、AERA(週刊誌)のとある号のとあるコーナーにも登場。発売に合わせて連日サイン会、初版は缶バッチ付きとかなり力入れてると書いてありました。
そして夢が「ママと約束したとおりお城を建てて、すてきなお嫁さんをもらう」ことだなんて30過ぎのこすいマザコン男みたいとのコメントが。まぁ確かにそういわれりゃそうだ。
こずるい話も多いけど、知恵で権力に対抗したり(きょうふのカーレース)、ちょっと泣かせる話(ママだーいすき)もあったり、最後には散々な目に会いつつも「また目標ができた!」「おれってスゴイ」とめちゃくちゃ前向きな姿勢なのは感動的でもあります。
何かあるとつい悲観的になってしまいがち。ゾロリのように夢を持って前を向いて歩いていきたいもんです。
本当にやりたいことをしたいのなら、探し続けること。求め続けること、訴え続けること。2003年の終わりに実感する。
違った方面の、新しい技術を使った仕事をしたくて、この1年は動いていた。
ネット上の仕事情報探し。一度だけ小さな仕事につながったが、相手の求める方向性とは違ったようで後には続かなかった。いくつか、応募もしてみたが量に対して納期が短く価格が異常に安かったり、見積もりのための仕様をいただくにあたり機密事項に関する契約書まで判をついて送ったのに、それが1部返送されてこずそのまま連絡が途絶えてしまったり(要は他へ発注してしまってこちらはどうでもよくなったってパターン。それはビジネスマナーとして最低!)。
焦って仕事を探しても仕方がないか、ちょっとクールダウン。一歩離れて自分自身の周りを固めることを考えた。
やりたい方面の勉強に集中した時期もあった。
人とのネットワークを広げようとも思い、SOHO関連のメーリングリストへ入りオフ(実際に会う集まり)へも参加。
昨年末から引き続き「大阪保育園ガイド」という本の制作にかかわった。
仕事以外の、ちょっとした実用ソフトウエアを作った。
日常と離れて旅行をした。
そんな中、保育園ガイドで一緒に活動した友人を通じて、昔の知人と久しぶりに会うことができた。いずれも数年前Niftyのパソコン通信時代に、在宅仕事関連フォーラムでのオフで一度会ったという縁だった。その知人はある通販サイトの全体的な運営をメインにしており、ショッピングモールへ出展しているが諸々の費用や管理の面から自社独自でサイト構築を模索し始めたと言う。Webシステムとは私のやりたい方面、もし何か手伝えることがあれば声をかけて、と伝えておいた。
それが2003年の夏。冬になるころに、その知人から自社サイト開発に向けて動き出したとメールが来た。何度かやりとりするうちに、システム開発担当者という立場で参加することになったのである。来年本格的な開発スタートの予定だ。
「人とのつながりはとても大切」...と、参加したメーリングリストで言われもし、漠然と感じてきたこと。そして「したいことは求めて何か活動していくべき」。それを今回体感した。自分が動いていなければ何も得られない。動いていればこそチャンスの芽や種を発見できる。
「〜だから、私は〜できない」じゃなくて、「〜だけど、〜ならできる」「〜に向かって今は〜している」と来年も前を向いていきたい。
ベッカムという超有名なサッカー選手がいる。先日も来日し異常な人気だったようだ。ようだというのは私はあまり興味がないのだ。
その「ベッカム」という”あだな”で、上の子は呼ばれている。
サッカーが得意なわけでもなく、端正な顔立ちなわけでもなく、女の子にもてるわけでもなく、ただ単に髪の毛が硬くていつも朝真ん中が立ってしまい、W杯当時のベッカムのトサカ頭みたい!ということで、学童の上級生が言い出したらしい。
何かの折に「ベッカム」と言われてるのかと思いきや、本当に「おい、ベッカム」「次ベッカムの(順)番やで」とごくフツーに呼ばれていてびっくりした。一度友達の家へ一緒に行ったら、そこのお母さんに「ベッカムくん、来てくれたの? どうぞ」とか言われたり。
それにしても将棋やゲームが好きなインドア派で、最近やっと買った自転車もたった一度練習しただけでほったらかしの彼には、どうもしっくりこなくて、、、。
あんなに有名になってラクさせてもらえたら嬉しいが。あやかれないものか?!
5月末から夏のような日が続いてます。
朝、えいすけ(4歳児)を保育所へ送っていった時。
えいすけ「今日はお外で遊べへんねん。」
母 「なんで?」
えいすけ「だって、ぶあついから」
ぶ厚い日。いったい何cmなのか。
すごく暑そうという気配は分かるが...。
■追加<03.06>
飴を持ってきて「めろめろしてぇ〜〜〜」 → ペロペロして、が正解。飴をなめてメロメロになっちゃうのか。
妙なリズムで踊っている。「何、それ?」と聞くと「踊りダンス!」。それは英訳すると「ダンスダンス」? 和訳すると「踊り踊り」??
上の子の小学校入学まであと2ヶ月を切った。
「4月になれば小学生は一人で歩いて小学校へ行ってくれる。保育園への送迎は下の子1人になる。」とぼんやりのんびりと思うくらいだった。留守家庭児童会、放課後に子供を見ていてくれるところ、いわゆる学童は夕方の5時までで、現在の保育時間6時半までに比べるとかなり早い帰宅になる。が、幸いにも現在だいたい在宅で仕事をしており5時過ぎに子供が帰ってきても安心だ。(仕事ができるかどうかは別問題として。きっと、できないだろう。)
だが児童会には大きな問題点が、、、。
お弁当!
夏休みや春休み、それらの長い休みには給食がなく児童会へお弁当を持っていって食べることになる。そう、お弁当をつくらなければならない。炊事苦手な者、すなわち私にとってはかなりゆううつである。
そのゆううつが4月早々やってくるということが、小学生を持つ友人の弁によって最近判明した。新入生の授業は4月いっぱい半日で給食がない。お弁当がいる、と。
毎日毎日お弁当。ネタがない。早起きだ。...くらくらする。児童会へ行く子ども向けのお弁当販売があればいいのに。需要は絶対あると思うのだが。などと言っても仕方がない。用意できるおかずを洗い出してローテーションを考えなければ、とくらくらしながら頭のはしっこで思っている。
親である私よりも、本人にとって大きな節目であるはず。いったい、どう考えているのか?...よく分からない。保育所の友達同士では小学校に入ったらどうするか、という話をしている(こともある)らしい。しかし家では何も−期待も、不安も−特に何も言わない、寡黙な男、きょうすけ。
ぼんやりしていると、いつの間にか4月になってしまいそうだ。少しあせった方がよさそうだ。
ということで、割とのんきに構えていた入学準備を進めることにした。具体的には学習机、ランドセルの選定と購入。入学式のいっっちょまえな服。...これらは今週末に購入した。「まだまだ大丈夫」「ネットで買っても大丈夫」という気持ちがないでもなかったが、そうやってペンディングにしておくとあたふたな3月下旬になっているようで。
残りは机を置くためのスペース確保。いっしょまえな服に合うくつ、細々とした文房具、カバンなどの購入。うわばきとかも。そうだ指定銀行に口座を作って、書類書いて学校に持って行ったり、留守家庭児童会の申し込みしたり、そのためには就業証明書も必要で確か2月半ばが締め切りだったぞ。
...やっぱりすぐに4月になっていそうな気配である。
「雷さまにおへそをとられるよ、おへそ、ちゃんと隠してる?」と、雷が鳴るたびに言い続けた結果、上の子はぴかっと光るととたんに真剣な顔になり、異常な速さで上着のすそをズボンの中へつっこむようになった。「トイレ行けへん(行かない)」と寝る前のトイレへ行こうとしない。着替えもしようとしない。なぜ、と聞くと、いずれもズボンを下げたり脱いだりすることによって腹が出て「おへそとられてしまうやん」と半泣きになって言う。
そこまで信じていたとは! 親の方は冗談のつもりだったのに....。しかしあまりの真剣さが面白い。5歳代あたりがそんな調子で、6歳過ぎてちょっとかわいそうかなと思うようになり、ある雷の鳴る日、まじめな顔で腹を隠す彼に説明してやった。「かみなりさまって本当はいない。おへそをとられるから隠せと言うのは、おなかを出したまま寝たりすると冷えてカゼなんかの病気になってしまうから、そうならないために言ってるんだ」と。
一応理解はしたのか? ぴかっとまた雷が光った。「いやや、今日はお風呂入れへん〜」と怯える子供。...理解してないようだ。というよりも「かみなりさま」という怖い怪物の存在を信じてきて、急にそれはウソだと言われても気持ちがついていかないというところだろうか。そりゃそうか。おばけも幽霊も、子供ワールドにはちゃんと健在でかみなりさまもきっと仲間だから。
現在6歳半、最近雷は落ちていない。どんな反応を示すのか見てみたい気がする。
一方3歳児は3歳児で幼児のかがみのような反応をする。
「えーちゃん、雷鳴ってるよ、おへそ、隠してる??」「うん、隠してるで、ほら。」とお腹を指す。
「ほんと? おへそ、とられてない?大丈夫?」「だいじょうぶ。」
「ほんまに(おへそ)あるの?」としつこく言うと、一生懸命ズボンを下ろして「ほら、あるやん」とちびちゃいおへそを見せてくれます。こちらも怖がってはいないが至って真剣。
「あっ、ほんまやー。おへそ、あったね。よかったね」というと満足そうにしています。
5年前に自分用のノートパソコンを買った。初代VAIO505。当時モバイルとしては画期的な薄さと軽さだったように記憶する。とにかくひとめぼれで買った。その時、コドモを産む前に辞めた仕事を再開して間もなかった時だった。といっても派遣で、かつパソコンの仕事ではなくでっかいホストコンピュータ相手だったため、直接仕事用ではない、年3回の帰省時での使用が主目的だったと思う。
とにかくひとめぼれのノートを手に入れて、なんといってもSONYのVAIO、デザインがいい、それはそれは大切に使っていました。メインには帰省時のメールチェック、Niftyチェック、Webチェック。あるときは開発のサブマシンとして。
昨年、家族用のデスクトップが模様替えの際の移動によりなぜか起動不可になり(これは悲しかった、、、)家族の使用できるパソコンがなくなった。当時きょうすけ5歳、夫の影響を受け、四川省にはまっていた。新しいパソコンを買うまでの間、ちょっとだけならと、愛用のVAIO505をコドモたちにも開放してやった。パソコンの起動・終了はもう大丈夫、そんなむちゃなことはしないだろうから、、、とその読みが甘かった。
2歳児に、やられました。ノートパソコンは液晶を閉じることができる。2歳児は、閉じることはできてもあけることができない。パソコンやりたい→開けたい→開かない→なんで?ええい、振ってやる〜〜〜〜と考えたのかどうか、母である私が目撃したのはB5のノートパソコンを上下にシェイクする2歳児。「ぎゃーーーーーー」。
そのときにはまだ動作しておりましたが、その後間もなく夫が使用中に突然ぷしゅーと電源が切れ、それっきりいとしのVAIOは立ち上がらなくなってしまったのでございます。4年も前のマシンは、そりゃスペックも古くてハードディスクの容量も小さくて最新のOSだって全然入れられないから、もう引退してもおかしくはないさ。ないんだけど、悲しいできごとでございました。
教訓。幼児(特に3歳未満児)に軽いノートパソコンを与えてはならない。
子供を寝かしつけるために添い寝をする。そして、いっしょに寝てしまう。ありがちなパターンである。すうっと気持ちよく、寝てしまう。 なぜあんなに気持ちいいんだろう? 「子供が寝たら自分は起きようと思っている=寝ようと思っていない=寝ようというプレッシャーがない」からか? 子供が寝かけたときの寝息、鼓動が心地よいからか? 不眠症の人がいたら添い寝をお勧めしたいくらいだ。夜、自分の時間としてあれこれしたいと思っていたときに寝てしまうと非常にがっかりする。
しかし「絶対にコレ(たいてい仕事)はやらなくてはいけない」と思っていると、寝ずにすむことが多い。強い、せっぱつまった意思があれば大丈夫なようだ。...そのように強い意志をもって子供と寝ずに仕事を夜までしていた時期があった。たまにならよいのだけど続くと辛くなる。「とにかく早く寝かしつけて、、、」と焦る心があるのもだんだんイヤになった。
結局そういう仕事のやり方が避けられない事態になったため、その会社を辞めた。辞めると決めてからは、添い寝でぐっすり寝てしまうこともあるが、それはそれで幸せなのかもしれない。
家族で海水浴に和歌山へ一泊旅行へ出かけた。その先のホテルで、ごはんの準備をしてくれているおばちゃんに「ボク、どこから来たの?」と聞かれたきょうすけ。「日本!」。....それはそうなんやけど...。間違ってはないんやけど....。「日本なの、そうなの、おばちゃん、ブラジルから来たのかと思ったわ」と返されるも、「日本やで!」ときちんと(?)答えていました。
*タイトルは苦しまぎれです...(^^; 「小話」とでも読み替えてください。
ふと、思った。最近楽になってきたなぁ、、、と。考えれば2人で集まってトランプやビデオや、ビデオごっこやミニカーなどでよく遊ぶようになった、本当に。下がよくしゃべり、理屈がかなり通じるようになって上の子にとって遊ぶのに十分な相手になってきたみたい。でもその分下も自我が強くなって、譲らないときは譲らずけんかもよく発生しているのである。がそれを差し引いても、子供たちが家にいる時にそんな風に遊んでいるから、横で新聞読んだり雑誌読んだり、別の部屋でパソコンしたりと自分の時間を作れるようになっていた。平日が忙しく休みの日にすごく眠たくて耐え切れずに昼寝を、ダンナとともどもしてしまったときでも、子供たちは一緒に遊びつづけていた。親を起こすことなく。...欲求のままに親を呼びつけて何かを訴えるあかちゃんや乳児ではなくなったのだ。
「下の子が3歳児クラスになると楽になる」と、保育所で、子供の大きくなったお母さんたちに言われたものだ。そのときまだ下があかちゃんだったので「そんな夢のような日が果たしてやってくるのだろうか....」とまるで現実味を感じずに聞いていた。しかし、3歳児クラスは来年の4月ではあるが、かなりそこに近づいていると思う。振り返ると一つステージが新しくなったような、そんな感じ。まだまだ5年の短い子育て人生、先は長いぞ、と言われればそのとおりで、これから先がもっとすごいことが待ってるぞ、と言われるかもしれないけれど、とりあえず今の気持ちは「楽になってきた」。
早いものでまた子供の誕生日が巡ってきた。きょうすけ、6歳である。誕生日といえばケーキ。ケーキに年齢の数だけろうそくを立てて祝うのが通常思い浮かべる誕生日の風景である。
しかしきょうすけは生クリームが嫌い。ケーキもキライ。保育所のおやつで出ると仕方なく食べるらしいが、家では食べない。よって誕生日ケーキもなしである。代わりに何がよいかと聞くと「きなことあんこのおモチ」。....和菓子は好きなのである。当日和菓子屋2件で探すもののそのようなおモチはなく、代打で大好きなわらびもちがお祝いの食べ物になった。ろうそくは立てられないけど、誕生日の歌をなんとなく歌ったのでした。
そしてプレゼントのリクエストは「おりがみとパズル」。ちょっとイイやつを電車に乗って買いに行こうか?と誘っても「ヒャッキンがいい」という。ヒャッキンとは近所の100円均一の店である。結局、おりがみ、パズルとらくがきちょう、クレヨンを弟の分も合わせて2人分、総計840円でした。安上がりで助かるのでございます。
余談。この前夜から弟・えいすけはみずぼうそうなのでした....。
ともだちとあそぶ。そんな様子が兄・きょうすけにはなかなか見られなかった。2歳になりたてくらいの時の保育所での朝の別れ際、おもちゃに群がる先に来ていた他の子達には混ざらず少し離れたところにちょこん座っている姿。保育参観でリズム音楽で踊らずに壁にひっつきみんなを見ている姿。保育士さんたちからは「踊っていないからといって参加していないわけではない、見ているという参加の仕方もある。」と言われていたし、まだ友達関係ができなくても当たり前の年齢。さほど心配していなかった。いつかは友達とかかわっていくだろう...。
その時は3歳半ばにきた。保育所へ迎えに行き荷物の整理をしていると同じクラスの子がやってきてなんだか楽しそうに笑い合って部屋の中をぐるぐる走っている。...別に何も話していなかったと思うが、ああ、ともだちとあそんでいるんだ...と思えてやはりすごく嬉しかった。
現在、もうすぐ6歳。基本的にきょうすけは保育所であったことなどを詳しくしゃべらないので、誰と遊んだ、誰と仲がいい、、、といったことはあまり分からない。保育士さんとの話や連絡ノートでも友達関係を知ることはできるが、ダイレクトに伝わるのは登所時、降所時に遊ぶ様子。新しい保育所でも、会話してふざけあって、庭であそぶ姿を見たらやはりうれしいものだ。ふざけあう内容がたとえクレヨンしんちゃんの真似で「おしり〜〜」などと言いながらのおしり見せ合いであったとしても。(子供は下ネタが好きなようだ~~;)
余談。えいすけ(もうすぐ3歳)はまったく違うタイプで0歳の時から同じクラスの同じ月齢の子とすごく気が合って、なにかにつけて一緒に遊んでいたらしい。2歳過ぎの保育参観でその子と2人、部屋のすみっこでけらけら笑いながら転がったり飛び跳ねたりしていたのがおもしろかった。転園したためもうその子とは離れてしまったが、新しい保育所でもいろいろ交流してるようだ。本当にきょうだいの違いはおもしろい。
引越しに伴って、子供たちは保育所を転所(転園)した。新しい環境になじめるだろうか、、、いや案外子供は適用力があるから大丈夫、、、。いろいろ思いつつ通い始めた保育所、友達関係ができていた5歳児が慣れなくて、まだあまりよく分かっていない2歳児は大丈夫だろう。それが予測だった。だけど実際は逆だった。にーちゃんの方が朝、園庭へ出て行ってすんなり「バイバイ」、ちーさい方は「いやぁ、、、かーーちゃんーーー」と泣き叫んでいた。1週間くらい過ぎて、自分のクラスではなくにーちゃんと一緒になら、泣くことはなく「バイバイ」できるようにはなったが。...意外な一件だった。子供のことをすべて分かっているなんてことは思い込みに過ぎないですね。
そんな感じで始まった新しい保育所生活、3ヶ月弱過ぎて徐々に力が抜けてきていい感じになってきたみたい。にーちゃんも、やはりそれなりに緊張してたところもあったのが、自分の「〜したい」「〜はいやだ」と欲求を口に出して言えるようになった...と担任の先生から聞いた。下の方もにーちゃんと一緒でなくても、自分のクラスの、お気に入りの場所でなら別れることができるようになったし、友達のことも分かるようになって2歳児にしては割と交流してるらしい。
今度の週末は生活発表会、クラスごとの出し物でどんな風に遊んでくれるのか、お楽しみ....。
住んでいた社宅を出なくてはいけなくなった。当初は住んで5年、それなりに慣れている周辺の中古マンションを探していたのだがなかなか希望に合う物件が見つからず、そのうちにきょうすけのぜんそくの気があることを考えて空気のよい別の場所へ移ることを考え出した。住んでいたマンションは大きな道路の交差点のすぐ近くで空気がよいとはいえない。実際子供のぜんそくに対して市から認定を受けると医療費が助成される。きょうすけもその認定を受けていて朝晩のインタール吸入、その他治療代は無料だった。「別のところに住めば状態がよくなるかもしれない」。...そこから家を広く探し始めて結局同じ府内ではあるが他市へ移ることになった。
引越しにあたってもっともネックとなるのが保育所である。入居時期とのからみでどうしても年度途中の入所となる。一般的に途中入所は難しい。どこも定員きちきちなのが普通。近くへの引越しならひきつづき同じ保育所に通えるのだがとても通える距離ではない。
「保育所が決まったら引越し」。入所決定は前月にしか出ない。「いつ引越しできるのか」というか「引越しできるのか、できないのか」。次の家が決まった3月から入居可能な11月の直前まで非常に不安定な状態だった。
ところで「途中入所しやすいか」もリサーチしつつ家探しをしていた。最終的に転居を決めたところ(T市)の児童課へ話を聞きに行ったとき、非常に親切で丁寧な対応をしてくれた。保育所の数も多い。ここは保育所をはじめ福祉に力を入れている市だ、という印象を強く受けた。T市へ住みたい、と思ったことの大きな要因だった。そのころ住んでいたM市では市民の反対運動にもかかわらず市立の保育所が一部民営化されようとしていたのである(その後正式に民営化決定した)。対照的だった。
保育所の数が多く通えるであろう範囲の保育所を第一希望から7,8個くらい申し込み、どこかになら入れるのではないか....と10月まで待った。T市児童課へ様子を聞きにいく。選考が始まってみないとなんともいえないということ。参考に、と待ちの順位を保育所ごとに教えてくれた。第一、第二、第三希望あたりは上の子、下の子ともに3番目とか6番目とかで到底入れそうにもない。きょうだいそろって同じところになんて夢のまた夢。「これは数字だけの問題であって、選考には各家庭の事情を考慮しますから...」ということであるが、それにしても絶望的。
見通しが甘かったのか....。暗い気分になりながら児童課の担当者の「ここは別の課の管轄なので(入れるかどうかは)わからないのですが」と言っていた保育所があるのを思い出した。そういえばパンフレットにもこのS保育所だけは直接申し込んでくださいと書いてあった。そこで空き状況を電話で聞くことにする。...すると、上の子のクラスには空きがあるというではないか。下の子は今はいっぱいだが、もしかすると転所する子がでるかもしれないというおまけつき。もし下の子には空きがでなくても一時保育を行っているところが近くに2箇所あるので4月まではそれで乗り切ってもいい。少し展望が開けた。
数日待って児童課へ電話で確認すると「今回は入所可能なリストには名前は載っていない」とのこと。だめだった。頼みはS保育所だ、すぐに電話してみると「2人とも入所できますよ」。やった、入れた。あとで聞くと、すぐあとに下の子のクラスへの入所希望があったというから、絶好のタイミングで私は連絡をとったようだ。4月の時点で一度見学に行きいろいろ話を聞いて申し込んでいたのもよかった。
こうして10月半ばに保育所が決まって、やっとやっと引越しのいろいろが動き出したのだった。
夫婦2人とも働いていたら保育所に入れないと本当に困ってしまう。年度代わりならまだ入れる可能性は高いがそれも確実とはいえないし、今回の我が家のように年度途中は非常に神経をすり減らした。「いつでもだれでも」入れる、利用できる保育所を整備してほしいと改めて思った。
転所後の子供たちの様子などは次回の話題で....。
下の子えいすけは2歳を過ぎたあたりからしゃべりだした。現在2歳4ヶ月、文章になっている。「おつきさま、いた!」「おつきさま、かくれちゃった」「まくど(=マクドナルド)いく〜」「ばなな、えーちゃんがたべてるの!」「ここがいたかった、いたかった」「かーちゃん、これ、ないないしてぇ〜」....。会話もできる。彼のおやつを指差して「これかーちゃんにちょうだい?」「あかん〜! これ、えーちゃんのっ!」と本気で怒る場合がほとんどだがたまに「はい、どーじょ」とくれる時もある。表情も豊かで反応がはっきりしていてすごくおもしろい。
...結構普通の発達で普通のことかもしれないが、おにーちゃんが同じ年齢の頃、ほとんどしゃべらなかったので新鮮なのだ。兄は本当にしゃべらなかった。しゃべっても一言とか、語彙数も少なかったように思う。ただ親も含めた周りの言っていることは理解していたし、保育園生活も普通に過ごせているようだったため心配はしていなかった。途中、「い」行が言えず「う」と発音していた時期もあった。3歳半を過ぎて、ようやくしゃべりだした....という記憶がある。(どうも頭でじっくりいろいろ考えているタイプ、口が追いつかないことが、今もある)
兄がそんなだったからこんなにちっちゃいヤツがいっちょまえに「えーちゃんは、、、」とか言ってるのが面白い。きょうだいの違いを見つけると楽しくなる。
きょうすけ5歳の誕生日のことである。去年まではどれがよいか自分から言うことがなく親の方で適当に見つくろってプレゼントを買っていた。が今年ははっきり意志を伝える。「何がいい?」との問いに「おりがみ!」。おりがみ?? おりがみなんて安いからいつでもかってやるよー、誕生日というビックイベントなんだからもっとこうでっかいモノが欲しくはないのか?「自転車は?」「いらんっ、おりがみがいいー」。何度聞いても譲らない。
本人の欲しいものだから、結局プレゼントは折り紙。200円もしなかった。ばーんと張り込もうとしていた、親が拍子抜けしてしまった。こんなチャンスを逃すのはもったいない!って思ったけれどそれは大人の発想で、本当に値段に関係なく一番欲しいと思ったものを選ぶというのが子供の純粋さだなぁとも思った。
「一番欲しいのはおりがみだけど、とりあえず今日は自転車買ってもらって、おりがみは来週買い物についていって買ってもらおう」なんて、そのうちかけひき覚えるのはいつのことだろう。