MORI's Homepage about KOREA はじめての韓国


#1. 出発まで (〜1997年2月)

24歳の時に生まれてはじめてパスポートを取った。 しかし、そのパスポートにはただの一回もスタンプが押されることなく、失効させてしまった。海外にひとりで出る勇気と自信がなかったからである。

そのまま、8年が過ぎた。すでにオヤジの年代に突入し、20代からの趣味も倦怠期に入り、新たな分野にも手を染めたくなった。そこで、海外に出かけようかという気分が蘇ってきた。漠然とではあるが、どこかに出かけたい。

しかし、なぜ、韓国だったのか?
思い付くまま挙げてみると

(1) 近い → ダメでもすぐに帰国できる
(2) 船でも行ける → ホントは航空券の買い方を知らなかった
(3) だから安いはず
(4) 日本語が通じるらしい → ひとりでも安心

(1)+(2)+(3)+(4) = なんとかなりそう → GO!

パスホートが手に入ると、俄然やる気が出てきた。
次は言葉。
ガイドブックの巻末に、韓国語入門のページがあるので、それを見てハングルの読み方を強引に覚える。ハングル一文字につき10秒ぐらい掛かるが、なんとか読めるようになる。それから、ぼったくりに遭わないようにするために、数字もたたきこむ。何か英語よりもスーっと頭に入っていく感じ。
「やればできるじゃないか」
自分で自分を誉めてやりたい様な気分になってきた。

この自信がプラス方向に働けば良かったのだが、「まだ、あと半月あるから大丈夫」「一週間あればOK」と思っているうちに、出発前日になった。
いくらなんでも、そろそろ切符ぐらい手配しないとヤバいのではと思い、重い重い腰を上げ、JRが発行する割引切符「日韓共同きっぷ」を買いに行く。これを買うとソウルまでの旅行代金が大幅に安くなる。
切符の手配をしてもらっている間、韓国に渡ってからの行動計画をシュミレーションしていたら、窓口嬢が戻ってきた。
「関釜フェリーには空きがあるようですが、出発まで日が押し迫っているので、日韓共同きっぷの発行はできません」


「ぶっつけ本番か...(嘆)」
冷静に考えたら、もっともな話ではある。(もっと早くから買いに行けよ〜。) しかし、自業自得にしろ、行きの交通機関の手配ができなかったのはショックであった。

家に帰って、クレジットカードの番号を控えていたら、更新して間もないカードの有効期限が早くも切れているのに気が付いた。・・・・・間抜けな事にカードの更新時に、新しいカードの方にハサミを入れて捨ててしまったらしい。

「持ち金をなくしたら、おしまいか...(嘆)」
不安の種が発芽して、双葉から四つ葉へとなっていくようだ。こんなので本当に海外に渡れるのだろうか....なんて考えながら、ザックに荷物を詰め込んでいく。「賽は投げられた」というよりも、いつでも「さじを投げ」られる状態にあった。


持っていったガイドブック
「個人旅行 韓国 97年版」(昭文社)
「韓国自由自在 韓国 89年版」の会話のページの切れ端 (交通公社)

「日韓共同きっぷ」
JR西日本の発売するソウル行き割引切符(主催旅行)。新幹線+関釜フェリー (ビートル)+セマウル号がセットになっていて、セマウル号の料金以上トクする。しかし、韓国の列車はすべて指定席のため予約が必要で、駅によっては即日発行されない場合がある.....ということを知りませんでした





#2. 何もやることのない待合室で (下関)

「出港時刻の2時間前までにはお越しください」 ということだったが、いきなりフェリーが満員で乗船拒否になるシナリオは非常に哀しいので、石橋を叩いて渡った。その結果、15時過ぎには早くも下関駅の前にいた。
海外初体験を前に、この歳になってもガチガチに緊張しているようで、背中のザックも重い。まずは遊歩道のベンチに腰掛け、ビールを飲んでみる。身体がほぐれていき、少々酔っ払いモードになった。

関釜フェリーの出航する国際フェリーターミナルは、駅から歩いて10分ぐらいの所にある。なんとなくゆっくり動くエスカレーターで2階の待合室に上がると、少々寂しい感じの下関駅前の雰囲気とは全く違う空間がそこにあった。

「力に溢れている。」
血色の良さそうなおじさん。ひとりでは到底運べないような荷物を台車に載せているおばあさん達。すでに出国ゲートの順番待ちをしているおばさん連中。何も隠さずストレートな感情の表現。顔に刻まれた深い皺。細い眼。笑い声。言い合い。そして随所から耳に入ってくる、聞き取ることのできない会話。

ここにいる日本人といえば、「WELCOME TO 下関」のプレートの下、仏頂面で廻りを観察している警官2人と、自分だけの感じがする。誰かと話をしたい気はあっても、それを阻害させている何かがあって、無表情を装ってしまう。

切符が確保できると、いよいよ何もすることがなくなってしまった。17時の出国手続きまで、まだ1時間以上。2年前に買い3回読みかけて途中でやめてしまった文庫本を開いたものの、なかなかページに乗っていけない。たばこを少し吸ってはもみ消すのを繰り返した。

気付けば人の波が動き出している。出国審査が始まったようで、その一番後ろに紛れる。すぐ後ろのオヤジの台車が、かかとを断続的に押してくる。ここでなめられてはと思い厳しい顔を作ってみたものの、状況は変わりはしない。周囲を観察すると欧米人を含め、同じような旅行者が4人程いるようだ。その中で日本人の顔は甘いので、すぐにわかる。きっと、自分もそう思われているに違いないだろう。

出国審査の前、各自が取り出したパスポートの色が、自分の持っている赤色とは違うのに気が付いた。
「みんな、ガイジンか」
誰かに話し掛けるという気力も萎えてしまった。

出国カードのローマ字表記を間違えたりしたが、あっけなく手続きは終了。もう、ここから先は日本ではなくなる。動脈瘤のようにタラップの行き来の障害となるおばあさんの荷物を運ぶのを手伝わされながら、フェリーの船体に足を踏み入れた。


「パスポートの表紙」
日本のパスポートの表紙は赤色だと信じ切っており、5年旅券の表紙の色が韓国パスポートと同じ.....ということを知りませんでした。よく考えてみれば、乗客のほとんどが韓国人ということはありえないのですが、その時は孤独感にさいなまれていました。

しかし、パスポートはやっぱり5年旅券ですね。私の場合、まだ8年もこの間抜けヅラと対峙していくのかと思うと、失敗だったと後悔してます。




#3.フェリー釜関にて

下関釜山航路には、双方の船籍を持つ2隻の船が交互に就航している。
本日は韓国籍の「フェリー釜関」。"釜関"という語順に少し不自然な感じを覚えてしまうが、普段耳慣れている「日韓関係」という言葉も韓国では「韓日関係」になるのだろうし、今日からしばらくはそれが当然だと考えるようにしなくては。

昔の宇高連絡船を彷彿とさせる雑然とした船内は、使い古されているという表現がふさわしい。
随所にハングル表記があり、これからはじめて韓国に足を踏み入れようとしている者とってはなかなか楽しい。自動販売機のジュースも、缶のデザインは普段見なれたものだが、製品名はハングル文字で書かれている。まずは、コーヒーらしき缶を買ってみる。隣の韓国ウォンの使える自販機の方が30円も安い。

大部屋である2等B船室に入ると、大方の場所取りは終了してしまったよう だ。すでに、何枚もの毛布を積み重ねたねぐらがセッティングされている。早 くもジャージに着替えた親父が、タオルを首にかけて歩いて来る。
自分には、各自の縄張りに侵入するほどの勇気もないので、辺りを見回した後、たまたま空いていたマス席にザックを放り投げた。今夜はここでザコ寝。

船のエンジン音が力強くなり、振動が身体に伝わってくる。ミシミシミシ...どこからともなく発生するきしむ音。
最初に韓国語の船内放送が流れ、夕方6時、下関を出港。

船内をひととおり探索した後に、営業時間の短い食堂へ。メニューは6品ほどしかない。韓国の食生活に身体を馴染ませるために、唯一知っていた韓国料理 ヒビンバを注文。
無愛想なお姉さんの持ってきたステンレス製の深い皿の縁には、辛子味噌が塗りつけてられている。思ったほど辛くないので、全部混ぜてみる。韓国料理はとにかく辛いものだと聞いている。ここで、お腹の調子が悪くなるようなら、 前途多難だ。
自分以外の客は、日本よりもひとまわり大きくて丸いスプーンにご飯をいっ ぱい載せて、豪快に召し上がっている。みんなやっているので、そうやって食べてみる。

自分の陣地に戻ると、韓国人の夫婦が日本で買った電気製品のパッケージを開けて、説明書を読むのに一生懸命だ。その対面に寝転がってしばらくすると 、徐々に口の中に辛さが込み上げてきた。
「やっぱり辛い。」
喉が渇いてきたので、再び自動販売機へ。缶のデザインから見て紅茶のつもりで買った缶の中身はクリームソーダだった。胃の中がカオスになっている。

文庫を読むのにも飽きて、目をつぶる。どうもこの「梅」席は排気ダクトかボイラーの真下らしく、すごい騒音。輪を掛けるように、さっきの夫婦の方からハイトーンの鼾が聞こえてくる。今夜は眠れそうにない。


サービス施設使用料

前回書き忘れたのだが、どうして下関国際フェリーターミナルはサービス施設使用料を600円も取るのだ。福岡国際フェリーターミナルではそんなものは取られなかったし、"サービス施設"も優れていたぞ。

(附記)
どうやら、1999年(時期未定)より福岡国際フェリーターミナルでも施設使用料を取られるようになりそうです




#4. 2等B船室の朝

いつまで続くのだろう。
騒音と振動。鼾。別のマス席で突如始まった歌声。夢の中でずっと不協和音が鳴り響いていたのだが、あるタイミングでパッと我に返った。

午前3時。宴の後の静かな光景が広がる。どうやら船は停泊しているようだ。
現在地はどこだろう。暗い船室をすり抜けて、デッキに出る。
驚いた。闇の中に数えきれない程の灯かりが転がっている。
初めて見る異国、釜山の街だ。


マス席に戻り、寝返りを数回繰り返した頃、船室が点灯された。
向かいの夫婦もすでに起きていて、荷物の整理をしている。その光景をぼんやり眺めていると、今まで話していたのとは違う言葉がこちらに向けられた。

「学生さん?」
「いえ、ビジネスマンです」
「そうには見えないねぇ。」
昨日、岡山を出てから誰とも会話を交してなかったから、少し嬉しくなった。
「ひとり?」
「ええ」
「これからどちらへ行くの?」
「釜山 (プサン) から、麗水 (ヨス) を経由して、木浦 (モッポ) に行き、それからソウルに寄って、板門店 (パンムンジョム) を見学しようと」
「麗水はうちの女房の里でね。これからそこへ行くんだ。宿は取ってるの
「いえ、何も決めてないんです。現地調達で何とかなるかなと」
「それは、言葉の問題があるから、難しいかもしれないな」
「......」
楽観的に物事を考える性格とはいえ、やはり現実は厳しいのかと思い、すぐに次の言葉を口に出すことができなかった。
更に追い討ちを掛けるかのように、日本人の旅行者がお金を紛失して一文無しになったというような話が続く。この奥さんの甥は警官なのだが、何とかして帰国させようと思ってお金を貸してあげたのだと教えてくれた。
「......」
不安を打ち消すために、韓国の情報を次々と尋ねる.....韓式旅館のシステム、ぜひ泊まってみたいオンドル部屋のこと、食事は辛いのだろうか?.....。そんな気持ちを察してくれたのか、ご主人が言った。
「どこに行っても、ぼられることはないと思うよ。」

そのまま、一緒に朝食を食べに行く。「朝食は和定食と韓定食がありますが 」と聞かれて、韓定食と答えたら、受付の男は持っていた札を下に置き、別の札を手渡した。
ご主人は奥さんの里に行くと辛いものばかり出されるので、家では浅漬けを食べるのだそうだ。奥さんは、「あれは全然味がなくて....」と笑った。ご主人はこの定食で徐々に辛さに慣らしていくのだという。


何時の間にか窓の外は明るくなっていて、「釜山港に帰れ」にも歌われている「五六島」の岩礁が真横にある。夕食の時にはNHKだったテレビも、韓国の朝のニ ュースが流れている。

再び船が動きはじめ、目前の釜山へは、あと30分ほど。
「旅する中で毎日日記を書きなさい。きっとこれから先の人生で大切な財産になるから」


◆「フェリー釜関

この時のフェリーはガラガラだったが、夏休みには大変な混雑である。マス席 (2等B船室) には事前に毛布が敷かれていて、ひとりあたりの区画が決まっているほどだ。ここで、日本船籍のフェリー関釜は、人数をカウントしながら客を順番に詰めていっている。一方、韓国船籍のフェリー釜関はというと、やはり早いもの勝ちの世界だった。


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