波斯的週末

 今、北大では学祭が開かれています。六月のすがすがしい空気と新緑の中、若さが破裂しているようで、二日酔いの僕なんかは頭がクラクラしてしまいます。

 そんな学祭にイラン探しにでかけました。


イラン料理屋 

 たこ焼き、焼きそば、お好み焼き。模擬店の定番料理といえば、まあこんなもんでしょう。そんな中、僕の鼻をとらえてはなさない香りがただよってきました。キャバーブの香りです。そう、北大の学祭では、何とイラン料理屋が出るのです。

 北海道でイラン料理屋を見つけることは僕の人生の課題の一つですが(このHPの、小樽の「ペルシャ・レストラン」というページをご覧下さい)、こうしてその課題は、一時的に解決されたのでした。
 
芳香を放つキャバーブ
 
 このイラン料理屋を開いているのは、イランから留学してきていたり、サバーティカルで来ていたり、サバーティカルで来ている父親についてきていたりしているイランの人たちです。各種のキャバーブ(バルグ、バフティヤーリー、クービーデ)、ドゥーグ(ハーブ入りヨーグルト・ドリンク)、アーシェ・ジョウ(大豆入りシチュー)などが売られていました。

 客はいるのか、という疑問が湧くかもしれませんが、これがかなりの繁盛で、二日酔いで涙もろくなっている僕は思わず涙がチョチョ切れそうになってしまいました。 頑張れイラン料理屋! 

 料理屋の名前は、とテントを見てみると、聖ミカエル幼稚園と書いてありました。多分店員のイランの人たちはムスリムでしょう。思わぬところに心温まる交流を見て、また泣きそうになりました。ということで名前は、レストラン聖・ミカエル、レストーラーネ・モガッダス・ミーハーイールに仮決定となりました。

イラン料理屋の勇姿 *キャバーブを焼くのは、心懐かしい方言で話すエスファハーンの人


 
サントゥール

 イラン料理屋を見て勝手に色々理由をつけて泣いていると、今度はなにやら懐かしい音色が聞こえてきました。今日は次々と奇蹟が起こる日です。なんとまあ、サントゥールの音色ではないですか! 音に惹かれてキャバーブを食べながら文学部に向かいました。

 文学部では、「アジアの伝統的パフォーマンス・アートを楽しむ」という長い名前の公開シンポジウムが開かれていました。大学の先生や実際にパフォーマンス・アートをなさる方々が、江戸芸能、お能、京劇について、それぞれに興味のつきないお話や実演をされていました。北大文学部、なんて粋な企画! なんて素晴らしい学部!

 サントゥールの音に惹かれて、シンポジウム会場に入ってまたびっくり、何とサントゥールを奏でていたのは日本人でした。谷正人(たに まさと)*というこの人は、なんでもテヘランで開かれたイラン学生コンクールのサントゥール独奏部門で賞までもらった名奏者なのだそうです。今度は席について、谷さんのイラン音楽についての講演とサントゥールの演奏に聴き入ることにしました。

 サントゥールの説明をする谷正人氏
 

 サントゥールとは、むきだしの金属弦を独特のばち (mezrab) で叩いて演奏する楽器で、よくピアノの先祖だと言われるものです。谷さんのお話は、イラン音楽を楽しむ際に知っておくといい大事な要素、たとえば微分音という西洋音階から1/4ずれた音の存在やそれがもたらす陰影に富んだ情緒、楽曲が拍子のある部分とない部分からなること、などを説明しては、それが分かるような曲を奏でていくというものでした。これがお上手で、確かにお話の最初と最後では、聴いてる感じが違ってくるのです。それに聴衆の高感度、ここでもイランの株は上がりっぱなしです。音楽には感動するはイランの株は上がるはで、また泣いてしまいました。

 谷正人氏によるサントゥール演奏

 結局、晩はその公開シンポジウムの打ち上げに潜り込み、なぜかイラン料理ではなく中華料理を食べて遅くなり、今、つまり六月八日の昼は、少し二日酔いという仕儀にあいなったわけでございます。これをアップしたら、今日の昼飯を食いに、再び行きますぞ、レストーラーネ・モガッダス・ミーハーイール!



*この谷正人という人物にまつわる逸話の一つに、メフラーバード・ショックというお話があります。
 ピアノをやっていた谷さんは、ある日突然サントゥールに恋しました。イラン留学を決意した彼は、ペルシア語の会話の本を買って、salamとかmoteshakkeramとか書いてあるのを必死で勉強して飛行機に乗りこんだ訳です。長く夢見たイラン、ああ、きっと空港にはsalamとかkhosh amadidとか、歓迎の言葉が書いてあるんだろうなとメフラーバード空港に降り立った彼は、しかし大ショックを受けます。なんとイランではペルシア語をローマ字ではなく、アラビア文字で書いてあったのです! 
 ローマ字で表記した会話帳にまんまと騙された彼は、しかしその後、大変なペルシア語の話し手になりました。今ではローマ字でペルシア語を書かれても分からないとのことです。
(多少の脚色あり:本当は、モスクワからテヘランに向かう飛行機の中で慌てて数字を習ったりしたらしい。いじましい。)


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