80年代ロードレース倶楽部
98−2−23一部更新
80年代から現代までを作者の独断で総括
注)このページは大変重いです。心して見ましょう!
KING KENNY往年の走り
作者は無類のレース好きでもある。
レースと言えば四輪のF1が一時大人気でしたが、二輪のレースはその芸術
にも似たコーナリングにも関わらず今一つマイナーの域を脱しません。
二輪のレースを、少しでもメジャーにしたいと願っているひとりです。
作者が初めて心奪われたライダーは、1978.79.80年に計3回世界
チャンピオンになったケニーロバーツです。
彼の芸術的なコーナリングに釘付けになり、菅生にやってくると聞いてTBC
ビックロードレースを観戦にも行き当時新人だったエディローソンと共に生の
走りを見て大興奮大会になったのを覚えています。
ちなみにその帰り道、私はケニーになりきり、コーナーで転倒という良くある
パターンにはまってしまったのでした。
当時外国人レーサーは、特別な存在でレース中に日本人ライダーが一瞬でも彼
らの前を走ろうことがあるものならば、ものすごい歓声があがったものでした。
現在の世界グランプリは、日本人チャンピオンが連続して誕生するなど、当時
では考えられない状況ですが、それも当時のアメリカンスーパースターが世界を
席巻していた反動からかもしれません。
世界GP情報ミレニアム
このページで今シーズンのWGPシーンの全てがわかります。
レースマニア必見のページ
作者の独断による過去のずばらしいライダーたち
1位 なんといってもケニーロバーツ
1978.79.80年500cc世界チャンピオン
ケニーレプリカのヘルメットを十年来愛用してます。
完成された芸術的なハングオン。まさに神様です。
完成されたコーナリング、まさに芸術の域
8耐に出場した時のスナップ
4ストに初めて乗りいきなり
コースレコードを更新した。
2位 フレディスペンサー
当時ヤマハ党だった私にはホンダのスペンサーは驚異に思いつつも天才的
な走りにいつしかファンになっていた。
当時の鈴鹿ラップレコードである2分19秒台を出したときには、絶句と
共に改めて格の違いを感じた。(当時日本人トップで22秒台だったと思う)
現在は、125ccクラスのタイムなのだが...改めて技術革新の早さを
痛感する。
その後もホンダのトップライダーとして活躍し、1985年には250cc.
500ccのダブルタイトルも獲得した。
ケガを契機に引退し数年前一度復帰したが、そこに往年の彼の姿はなく、数
戦で撤退した。
自由自在にモンスターを操る
3位 ウィン、レイニー
十数年前本屋にならんでいたバイク雑誌を開いて私は叫喚した。ラグナセカ
のコークスクリューのS字コーナーをウイリーしたまま切り返す。
(バリ伝にも似たようなストーリーがあった...)
当時無名に近い新人ながら必ずNO1になると確信していた。
その後ケニー、ローソンらに続いてヤマハのマシンで世界チャンプとなり、
ヤマハのトップライダーとして活躍したが、数年前のレース中の事故で半身
不随になってしまった。
しかし今も監督としてがんばっています。
4位 ランディ、マモラ
知る人ぞ知る、マモラ乗りで一世を風靡したライダーです。
誰よりも深いリーンアングル、外足を外した独特のライディングで人気が
ありました。
外足がステップからはずれる。 これがマモラ乗りだ!
深いリーンアングル
5位 平 忠彦
80年代日本人ライダーの頂点に君臨したスーパースターライダー
ルックスも抜群で映画汚れた英雄他数々のCMにも出演した。
全日本では無敵に近かったが、世界では見えない壁に苦しんだライダー
福島県出身ライダーということもあり特に力を入れて応援していた。

当時世界に一番近かったライダーのひとり
このカラーリングにあごがれていました。
6位
クリスチャン・サロン
リーンウィズのライディングで日本での人気も高かったライダーのひとり
別名雨のサロンと呼ばれ、とりわけ雨のレースには強かった。
みなさまからサロンはどうしたとの御意見がもっとも多かったライダー
一時期弟のドミニクと共に兄弟で参戦していた。

'85雨のホッケンシイムをスペンサー、ハスラムを抑えて優勝
7位
ケビン・シュワンツ
ヨシムラに見いだされ世界で花咲いたライダーのひとり
長身のライディングは豪快のひとこと
画像がわるくてすみません。
8位
ワイン・ガードナー
8耐そしてGP500と80年代後半は彼の時代だった
90年前半まで長くHRCのトップライダーとして活躍
オージーパワー炸裂
忘れられないライダー
片山敬済
'74WGP初挑戦し'76には250.350.500ccにトリプルエントリー
'77にも250.350ccにダブルエントリーし350ccで念願の日本人
初の世界チャンプ獲得。'85に引退するまでWGPで活躍。
ロン ハスラム
ロケットスタートでロケットロンの愛称を持つ
深いリーンアングルのコーナリングもすごい
エディ ローソン
冷静な走りでステディエディと呼ばれる
晩年は、ガジバに移籍しがんばっていた。
木下恵司
80年代平、水谷とともに日本のトップライダーとして君臨
極端な前輪過重のライディングがまたかっこいい
辻本 聡
80年代全日本TT−F1クラスで活躍
平と共に世界に一番近かったひとり
90年代には全日本500ccにも参戦していた
F1ヨシムラ時代はスポットで海外のレースに参加
世界グランプリ回想録 80年代にタイムスリップ
83年の世界グランプリは、特にすばらしかった。チャンピオンを獲得
して引退すると公約していたケニーに対して、若き新星スペンサーが各レース
で白熱のバトルを繰り広げ、結局スペンサーが初チャンプに輝いた。
このシーズンのバトルは、終生語り継がれる程の名勝負であった。
ふたりの王者の背中
日本人ライダー受難の時代
80年代は、日本人ライダー受難の時代であった。’77に片山が350ccで
世界チャンプを獲得して以後、いくらがんばっても世界との壁が高くそびえ
立っていた。
83年の日本グランプリ鈴鹿では、フレディスペンサーがゲスト出場し、他
の日本人ライダーに1周あたり約3秒のアドバンテージをつけ圧勝してしま
った。
日本最高峰のレースでこのような事態に、ある雑誌では日本人によるヤング
アメリカンのための日本グランプリーとの酷評をされた。
各コーナーの立ち上がりで派手なウイリーで余裕を見せ、(世界戦では、タ
イムロスをするウイリーはめったにやらない)、平、木下のチャンピオン争
いをあざ笑うかのようにワンマンショーを繰り広げた。
86年の全日本第1戦では、TT−F1クラスにワインガードナーが出場し
なんとVFRアップハンドルの仕様で2位の日本人選手を大きく引き離し優
勝してしまった。
なんだこりゃ〜
当時外国人ライダーが出場すれば勝つのが当たり前の時代でした。
まさに外国人招待選手は、日本にいい骨休めに来ていたと言われてもしかた
のないほど、楽勝ぶっちぎりだった。
そして長い間、日本人冬の時代が長く続きました。
唯一の希望だった、平忠彦選手でさえ世界では、見えない壁に苦しみました。
世界戦でのスタートシーン
2列目に平忠彦「26」がみえる。
90年代そして日の出はやってきた!
みなさんは、バリバリ伝説というマンガを知っていますか。約10数年前
少年マガジンに連載スタートし高校生の主人公が、公道レースを経てレース界
入りし、ルーキーイヤーで全日本チャンピオンになり、はたまた2年目には世
界チャンピオンになってしまうというまさに現実離れした内容なのですが、作
者の大好きなマンガのひとつでした。
当時誰もが願っていた、日本人の世界チャンプをマンガの世界で実現し、それに
酔っていました。
ところが時代が流れ93年マンガを地でいくライダーが登場します。
原田哲也その人です。
92年全日本250ccチャンピオンとなり、その翌年93年世界参戦1年目
で250cc世界チャンピオンとなってしまったのです。
日本人ライダーは、外国人ライダーと戦ったら問題外との時代の終焉でした。
彼のライディングは、性格と同じくクールで正確な走りです。
92年全日本250ccで原田と語りぐさにもなる激闘を繰り広げた岡田忠之
選手も現在GP500でがんばっています。
これ以降の日本人ライダーの活躍は、まさに日出ずる国ニッポンを思わせるよ
うな、快進撃が現在まで続いています。
80年代のうっぷんを全て晴らすようなすばらしい活躍です。
現在では、世界グランプリーに最も多くライダーが参戦している国がニッポン
です。
94年125ccでは、坂田和人選手がチャンピオンになり95.96年は
125ccで最年少記録となる青木兄弟の3男青木ハルチカ選手が世界チャ
ンピオンになりました。
世界グランプリで表彰台を日本人選手が独占することもしばしばありました。
中でも史上最年少で全日本500ccチャンプになった阿部ノリックなどは、
まさに新しい日本人ライダーの典型です。豪快なドリフトと、暴れるマシン
を力でねじ伏せ、リアをドリフトさせながらコーナーを抜けていく正に従来
ニッポンにはいなかったタイプのライダーです。
二輪GPレースは日本では知名度も今一つですが、世界チャンプと言えばもし他の国
だったら国民的英雄になる程のスーパースターなのです。
世界GP情報ミレニアム
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