1月10日だったか、夜のTVニュースを何の気なしに見ていたら「草思社が民事再生法」との報道が出て驚いた。そのときまず感じたのは、ずいぶん大きな会社になっていたんだなということと、まさかこういうことになるとは、ということだった。
各地の書店では草思社の支援コーナーをつくる動きもあるらしい。どうか、それを「あたりまえ」のこととして受け止めないで、再出発をしてほしいと願う。
私が草思社の社員でなくなったのは、最高の売上額を出したという年の少し前だった。入社以来15年近くたっていた。今よく知られている草思社は以前の「草思社出版部」であり、私が所属していたのはそちらではなく、おもに楽器会社のPR誌や広告を編集・制作する「草思社」のほうだった。私がやめるタイミングで(会社側から与えられた「タイミング」だったのだが)会社の組織替えがあり、出版部のほうが草思社となった。売上げも世間の評判もおおいに伸びていたときである。
やめるまでの話のもっていき方など、いかにも中小の会社らしかった。出版部の勢いがよい反面、私のいた方が今ひとつだったから、能力主義を前面に押し出して、人減らしをしようとやっきになっていた。「家庭的な会社」が変貌するときはこんなものかと思った。やめさせる者は追い立てるようにして、残る者は談合をしているみたいに、私には見えた。出版部にいたわけではないので、そちらの動きについてはよくわからない。
その後も縁がなくなったわけではなく、たまに寄ったときに編集の人たちの姿をみることがあった。ベストセラーを出した人の自信のあらわれとでもいうか、一流の編集者然としているなと思った。数年前の感じとはだいぶ違う。
編集者には「一介の」という単位がいちばん合っているのではないかと私は単純に考えていたものだから、違和感を覚えた。
そういえば、草思社では「編集部」という言い方をあまりしていなかったように記憶する。「部」を付けずに「編集」と呼んでいた。部といった組織に所属する感覚ではなく、編集という総合的な仕事に取り組む一人ひとりを尊重していたのだろうか。新しいビルに引っ越した時に、グループ会社が一つの建物におさまった。いちばん上の階が編集部で、それぞれが高いパーテーションのお城の中に席を占めていたのは象徴的である。
倒産に至った理由がいろいろ取り沙汰されている。
私は次のように考える。
企画の面白さで勝負し、ベストセラーを世に問う出版社、そういった栄えある自己イメージに「身体を合わせすぎた」のではないかということだ。
かつては、地道だったり、ニッチだったり、変わった視点をもったりした本を、とにかく作りたくて作って、少しでも広めたいと頑張って、そうして出したら意外に売れたということだった。書き手が著名だとか、どこかで出した本が売れたからとか、そういったことでは企画は絶対に通らなかった。
世の権威から背を向けるところがあった。静かな闘志は十分にアバンギャルドだったし、反俗精神がみなぎっていた。
一方で、地に足のついた、日常を大切にする発想を忘れなかった。
私が慕っている元社長が言っていた。「学者が何ですか。官僚が何ですか。市井でものを知っている人にはすごい人がいるのです。そういう人に読んでもらう本をつくらなきゃいけないんです」
いつの頃からだろう。方向性が変わっていったのではないか。
これは事情通でもなんでもない私の感慨にすぎないのだが。