あ・ら・カルチャー

阿武秀子

2008年9月2日更新

第14回 かえってこい、教材〜国語教科書に取り戻したい作品

市原豊太『自己嫌悪』その4

 9月に入ると思うと、妙にさびしくなる。夏休みが終わることもあるけれど、私自身が9月生まれということもあるだろう。今年の8月は、とくに下旬は雨に降られたなあと思う。被害も各地で出ているから、そうのんきなことを言ってもいられないのだが。
 夜半から明け方にかけての雷雨が花火の爆裂のように聞こえた。爆弾というものを体験したことはないが、ひょっとしてこんな感じかとも思った。夢うつつの時間からしばらくたち、朝になって目がさめるとセミがやたら鳴いている。日中にスコールみたいな雨があるとその声はしずまり、雨が止むとまたはげしく鳴き始める。8月末になった今、ツクツクボウシの声のシャワーのなかで書いている。
 学校の仕事があれこれあって、夏休みらしく過ごせたのは(ダラダラと過ごすということだが)結局8月下旬の2週間ほどだった。これでも働く人の平均的な夏休みよりは長いのだろうか。

 この期間に読んだ本をいくつか挙げておきたくなった。
 まず松本清張が書いた森鴎外の評伝『両像・森鴎外』。
 晩年に書かれた「渋江抽斎」などの史伝について執拗に追いかける。
 鴎外が独自の人物観を盛り込んだのではなく、遺族・子孫の記録・著述や江戸期の史料を忠実にたどり、それらを鴎外が自家薬籠のものとすることで練り上げられていったのではないかという。
 当初は新聞の連載小説だったのだが、新聞紙上で漢文を白文で表記するようなことを平気でやった。夏目漱石が同じ時期に新聞小説を連載していたことを考えると、そしてその表現の平易さ(鴎外と比べて)を考えると、「二人の文豪」などと気楽に並べて語っていいのだろうかと思ってしまった。
 漱石は教授をやめて文学に専念したことでも、読み手からの信頼を得ている面があると思う。しかし、漱石の作家活動は、文学研究という学者の仕事からさほど遠くはない。鴎外が軍医つまり官僚の仕事をしながら作家をやったことのほうが、費やされたエネルギーとしては漱石よりも大きいのではないか、と松本清張は述べている。軍隊での出世がかんばしいときのほうが多作になる傾向があった、というのも面白い。
「そうせずにはおられない」という度合いおいては、どうやら漱石よりも鴎外のほうに軍配があがるようなのである。
 嵐山光三郎さんの『文人悪食』によれば、漱石はイギリス暮らしの影響か、クッキーのような洋菓子をたびたび食していた。胃がわるいのにピーナツが好き。死因もそのへんにあるらしい。
 一方、鴎外は生ものでお腹をこわしたりすることをおそれて、果物は煮て食べていた。梨も桃も葡萄も「コンポート(砂糖煮)」にされて食卓にのぼった。
 鴎外名物の「まんじゅう茶漬け」といったら、知られているのだろうか。あんこ入りのまんじゅうを御飯の上に置いて、上からお茶をかけるという。これまた衛生上、安心な食べ物なのであった。
 こうしてみると、「二人の文豪」といって取り上げたくなるのは、比較の楽しさゆえかとも思ったりする。

 次の本からは、さらりとみていこう。
 1978年刊行の木下順二著『古典を訳す』。
 平家物語、古事記などの日本の古典を木下流に訳していく。古典のリズムをそこなわずに訳すことへの工夫があちこちに見られ、「劇作家の耳」が生きていることが伝わってきた。

 今年夏に出たばかりの小川剛生著『武士はなぜ歌を詠むか』。
 鎌倉時代中期以降の歌壇がどうなっていったかを、数人の武士歌人に焦点をあてて探っていく。宗尊親王(鎌倉幕府6代将軍、最初の宮将軍)にはじまり、足利尊氏、太田道灌といった人々が登場する。百人一首以降の歌、つまり藤原定家よりあとの和歌の行方が気になっている私としては、とても興味深いものだった。

 辻邦生著『森有正 感覚のめざすもの』。
 だいぶ前に図書館で借りて読んだのだが、また借りてしまった。借りるときにそういう気がしたのだが、読みはじめてそれがわかった。
 森有正は森有礼の孫。辻邦生は学生時代、東大の教授だった森有正と出会ったが、本格的に交流がはじまるのは、森が教授をやめてフランスに住むようになってからであった。
 辻邦生の文体に引き込まれてついつい読んでしまう本で、森有正の思想については、感覚的に伝わってくる程度。日本を離れてから何かすごいことが森有正という人のなかで起きたらしい。森有正その人の本を読むしかない、か。

 白洲正子著『古典の細道』。
 1970年に出た新潮選書の復刊。選書のときはソフトカバーだったはずだが、この本はハードカバー。単行本の形態の点では出世したわけだ。
 和歌や物語、能の世界にたゆたい、古典にまつわる土地を訪ねあるく。白洲さんは現役バリバリのときはすごい人だったのではないかと感じた。
 私が知るようになった1980年代半ばには、すでにファッションや美術雑誌の定番の人だったように記憶する。やがて夫の白洲次郎とセットで「生きざま」が話題になり、「まつられる人」なってしまった。
 かつての「そうせずにはおられない」時代のほうが、文章の上ではどれほど魅力的だったか知れない。

 鹿島茂著『ドーダの近代史』。
 昨年出た本で、読みたいと思っていたら図書館で出会った。
 「ドーダ」というのは「ドーダ、まいったか」。人間の営みの多くは有史以来、自慢や自己愛の表現からなっているという視点で書かれている。はい、ごモットモ。
 この本では、ドーダの発現者を日本の近代史の人物たち、高杉晋作、西郷隆盛、中江兆民、頭山満にしぼっている。とりわけ西郷さんにページを割く。西郷さんの報われなかった「ドーダ」心が、戦前はもちろん戦中、戦後にも影響しているということだ。

 周囲を見渡せば彼女も彼も、そしてここに書名を連ねている私自身も、ささやかな「ドーダ」をやっているのだと思う。
 で、「自己嫌悪」を探究しようとしているところにこの「ドーダ」。まさに両極にあるという気がする。
 だが、筆者の鹿島さんによれば、「ドーダ」にも種類がいろいろあり、時代により状況により千変万化する。なんてダメな私、と自己嫌悪することも、ダメな自分を気にすることであり、気にする側の関心がなければその心の動きは起きてこないだろう。自己嫌悪にも「ドーダ」的要素はある。
 「ドーダ」と「自己嫌悪」をぶつけて考えるのはしないことにするが、「ドーダ」という切り口は、折々に思い出すと役に立つかもしれない。

 さて、市原豊太は「嫌悪する」ことについて、「愛好の反対」と述べている。
 愛好とは、自分がこれはよいものだと認め、それに自分を結びつけていっしょになろうとする心の動きだ。
 嫌悪はその反対だとすれば、「よくないと認めた事物から自分を引き離したい情念」
となる。もし、よくないと認めた事物が自分の外側にあるのなら、その事物から離れるようにふるまえばよい。
「自己嫌悪」は、嫌悪する側とされる側がひとつの自己のなかに存在する。そこで、よくない自分からよき自己を引き離そう、悪い自己から縁を切ろうとする動きが、自分自身のなかで起きる。

 漱石は初期の作品「虞美人草」を乗り越えようとして、その後の作品を生み出した。
「それから」「門」「行人」などの主人公たちは「みな近代知識人としての豊かな自意識・反省癖から、おりおり深い自己嫌悪に陥っています」と市原は言う。彼らは「潔癖な理想主義」「自己というものを、倫理的に、あるいは審美的にも、虚偽のない、矛盾のない、濁りのない、純粋な強い存在へ高めたいという欲求」を抱いているとも言う。
 漱石のあとに志賀直哉の随筆を引いている。
 志賀は、自己嫌悪の全くない若者を見ると腹が立つ、そういう者には向上はないと言い、「自己嫌悪がないということは自分を愛することのない証拠だ」と断じる。

 市原は、夏目漱石や志賀直哉の例によって裏づけを得たと考えたのだろう。自己嫌悪を「向上の意欲の一つの形」とさらりと言ってのけてしまう。
 しかし、この部分より少し前の、文章の中程で市原が述べる次の言葉の方に対して、高校生たちは強く反応した。

「もともと精神的にぶたのような人間ならば、自己嫌悪は起こるはずはないともいえます」

 向上心をもて、と真正面から言われるよりも、ぶたになってもいいのかい、自己嫌悪しないのは精神的にぶたのようなものなんだよ、と搦め手で言われる方が、どうやら説得力があるようだった。