年明けに次の回をなどといっていたのが、春になってしまった。この頃は毎回こんな調子なので我ながらあきれるが、開き直って、こうして書いていくことを続けたいと思っている。
さて今回は、教材で読んだ文章として印象深かったもののひとつ──堀田善衞の「未来からの挨拶」──を紹介したい。
同じ題の本が筑摩書房から1冊の本として出ている(1995年刊行)。この文章を最終章に据え、1992年から94年に雑誌『ちくま』で連載されたエッセー30数編をまとめたものだ。
30数編のエッセーは、おもにヨーロッパの都市について書かれている。
冒頭の章で取り上げるのは、ドブロヴニク市という旧ユーゴスラヴィアの都市。ヨーロッパに住んでいる堀田氏も実際に行ったことはないのだが、「長年にわたって」「愛して来た」と言う。
この都市はアドリア海に面したダルマティアの海岸地方にあり、かつてはラグーサと呼ばれていた(シチリア島にある同名の観光地とは、もちろん違う)。
私は地図をながめてみる。現在はクロアチア共和国の都市で、この国がボスニア・ヘルツェゴビナと接しながら、細く長く南東に伸びて領土を狭めていく突端に「ドブロヴニク」の文字が見つかる。
ブーツのかたちをしたイタリアの、「ふくらはぎ」にあたる長い海岸線もアドリア海に面している。だから、クロアチア共和国のダルマティアの海岸地方は、アドリア海をはさんで「ふくらはぎ」の向かいにあたると説明すればよいだろうか。イタリア北部のヴェネツィアはアドリア海の奥まったところに位置しているから、ダルマティアの海岸と「ふくらはぎ」の海岸線の両翼にヴェネツィアが挟まれていることになる。
一つひとつの都市を地図でたしかめてみると、文字を追っているときとは異なった味わいが生まれる。さまざまな都市を取り上げる各章では、都市がそこに点として存在するように思うけれど、地図でみていくと、それらがつながっていることを認識させられる。
95年刊行のこの単行本を私は図書館で見つけた。気になるページを折る癖(しかもページの上を)のある人が読んだらしく、いくつかのページにその痕跡があった。
まず「ベイルートとダマスカス」の章。
堀田氏は1958年と1966年にレバノンのベイルートを訪問した。
58年に行ったときに知り合ったアメリカ人が、何をしているのかという堀田氏の問いに対して、「Drop bomb.(爆弾を落とす)」と答えたというエピソード。この時代とこの土地をうまく切り取っている話だなあと思う。
66年にはベイルートでA・A作家会議があり、そのあとにシリアのダマスカスを訪れた。そのときベイルートからダマスカスに移動したのだが、あいだのベカー高原にレバノン杉の「森がある筈」と期待していた。ところが、一向に見えてこない。1本、2本、3本と、「それっきりであった」。
かつてこの本を読んだ人は、どうしてこの章に興味をもったのだろうか。
次が「ラ・ザイネ(La Seine)」の章。
この章で堀田氏は、ヨーロッパの「地理歴史の複雑さ、あるいは重層性というもの」を、いろいろな地域で実際に使われている言葉にまつわるエピソードを通して語っている。
「ラ・ザイネ」を、ドイツとの国境の町ストラスブールで堀田氏はたびたび耳にし、やがてそれがパリのセーヌ川のドイツ語読みだということに気づいた。
ストラスブールを首都とするアルザス地方が、政治と言語における苦難を背負ってきた土地だということはよく知られている。
そしてもう一つが「喜望峰(Cape of Good Hope)」の章。
27年間獄中にあったネルソン・マンデラ氏が、南アフリカ共和国で初の黒人大統領に選ばれたのが94年。それをきっかけにこの章では、A・A作家会議の運動で知った南アフリカ出身の作家アレックス・ラ・グーマを思い出している。アレックスは作家として作品を発表してすぐに投獄され、脱獄してロンドンに亡命していた。マンデラ氏の選挙の勝利のときには、アレックスはANC(アフリカ民族会議)からキューバ大使として派遣され、「その地で客死してしまって、この祝祭には間にあわなかった」という。
……この3つの章に「痕跡」を残した読者がいた。こうしてたどったら何かがわかるかと思ったけれど、どうもみえてこない。あえていえば「文学と政治」を追求している人なのかという程度だ。
1章につき5ページから6ページ。長くはなく、ちょこちょこと読みつつ休める本という意味では読みやすい。堀田氏はパリやバルセロナなどに住み、その経験が、古今東西の文学や世界各地の歴史や文化への深い教養と結びつき、こういった文章に結実しているのだから、一度読んだだけでは本当のところは理解できないのではないかと思う。
本の題名になっていて、教科書に掲載されていた最後の章「未来からの挨拶」は、全体からみると異質な感じがする。
副題がついていて、それが「─Back to the Future─」。言うまでもなく、これはハリウッドの映画の題名にもなっている。
何年か前にはこの文章を理解した気になっていたのだが、読み返してみると、自分の理解がどういうものだったか、信用ができないという気がしてくる。次の回で読んでいくことにする。