あ・ら・カルチャー

阿武秀子

2008年1月13日更新

第9回 お稽古というもの(その7)

「お稽古後日談、ちょっとしたピンチを切り抜けたことの巻」

 少々ご無沙汰してしまいました。新しい年もよろしくお願い致します。
 さて、この年末から年始にかけて、大々的な本の整理を決行。大晦日31日にブックオフの宅本便にもきてもらい、今後縁がないだろうなあという本は3箱分おさらばとする。それから、そばに置いておかずともよいと判断した本は段ボールに入れて、とりあえずは倉庫行きとなった。
 それにしても、スペースのなさよ。本は増えていく、紙類もたまっていく。何かの仕事のケリがついた時も、資料を多少は残しておきたいし、捨てなきゃよかったという苦い経験から一応とっておこうというクセがついている。
 本との付き合い方は、以前と同じようなわけにはいかないなとつくづく思う。きちんと読んだはずのものでも、あとから繰ってみると、何を書いてあったのだか覚えていないことがこのごろ本当に多い。夢中になって読んだものでも忘れてしまっている。付箋とかメモとかカードとか、記憶を引き出すための方法を心がける必要がありそうだ。

 前回まで息子の能のお稽古について書いたが、先日ちょっとした事件があった。「船弁慶」がある程度仕上がったので、小さな発表の場をもうけましょうということになったのである。
 息子は、お稽古ならいいけれど本番をやるのはイヤだとはっきり言っていた。けれど、私はいちおう舞台のかたちでまとめたいと思っていた。声変わりをする前の、二度とないチャンスである。先生もそう考えてくださっていた。
「発表会というから大げさになるのです。お稽古会とでも言えばいいのでは」と先生がおっしゃる。
 場所もうまくとれそうとのことで、私から先生には、お願いします、話をすすめてくださいとメールでお伝えしたのが12月半ばのことだった。
 しかし、「お稽古会」という言葉に息子は抵抗を感じたらしく、その話が出ると泣き顔をみせるようになってしまった。
 先生はいろいろ手配してくださろうとしているのに、まずい。とにかく正月明けから再始動することにしようと、私は勝手に自分に言い聞かせた。先生から資料を送っていただいたのをただ受け取っただけで、2週間程ろくな挨拶もせずに放っておいた。

 年明け4日。お稽古会に向けてこれこれの日程なら稽古にうかがえます、と先生にメールを送った。そこに私は、本人がまだ納得していないので、という一文を添えてしまった。すると、すぐに先生から電話が。
「本人が納得していないなんて、いったいどうなっているんですか。この2週間のあいだも本当は稽古ができたはずなのに、何も言ってこられないからおかしいと思っていました。当日のために準備してくれている人もいるのですよ。そんな調子では絶対にうまくやれません。稽古の日数も絶対的に足りません」
 こんな話から始まった。私は謝るのみだった。軽はずみな言葉を先生宛のメールに書いたこと、この2週間手当てを何もしなかったこと、息子をうまくのせることができなかったことなど、一気に自分の中が後悔の思いでいっぱいになる。
 先生はまたこうもおっしゃった。「お稽古会という言い方だと緊張させてしまいます。お客を入れるわけではないのですから、稽古の仕上げとでも言ったほうがいいです」
 先生と話しているうちに私はだんだん、本人の取り組み、稽古の日程や場所について解決策をさぐってみようという気になってきた。

「失敗してつらい思いをするのはご本人なのです。やる気を出して頑張って当日うまくこなせてほめられたときと、嫌々やってうまくいかなくてそれでも周囲が無理してほめたときとでは、やった意味がまったく違ってしまうんですよ」
 先生のこのような言葉が私にずーんと響いてきた。稽古をやる子供の立場にたっていてくださる、なんて有り難い言葉だろう、と。
 先生とは翌々日に会うことになった。そのときの息子の様子で今後のことを決めることにした。

 先生との電話のあと、息子はそのことに気づいていて、ぜったいお稽古会はイヤだからね、と言ってくる。
「会というようなものではないの。せっかくここまでやってきたのだから、しめくくりをした方がいいと思うんだよね。夏休みの自由研究だって調べたことをまとめるでしょ、あれと同じよ」と私。
 息子は蓑虫のようにベッドの毛布に入り込んでしまった。

 翌々日、久しぶりのお稽古の日。
 朝食のあと、先生が送ってくださった資料のDVDを見ることにする。無理強いはしないで、面白そうなところだけ「おいで、いっしょに見ようよ」と声をかける。すると息子は、何回かチラリとではあるが見にやってきた。
 そこで私は「せりふを思い出してみようか」と言う。
 息子はしばらくどうしようという感じだったが、ちょっと謡を口にしてみたくなったらしい。1年以上かけてやってきたことだから、2週間くらい遠のいていても何となく思い出せるようだ。私もいっしょに声を出しているうちに、全体をさらうことになった。
 その日は天気がとてもよかった。私は先生のあの言葉に心底うたれていたので、とまどいは消えていた。息子にはイヤとは言わせない。もう進むしかないと思っていた。
 稽古はとてもうまくいき、先生たちとは多くの言葉を交わしたわけではないが、仕上げの日に向けて進んでいく覚悟をその場で確認することができた。

 何かが変わる機縁。ピンチが別の次元に変わること。
 今回の件では、先生がその経験を通して身をもって感じていることを、こちらにまっすぐに伝えようとなさったことが大きい。
 能の技だけではない。人生の局面を開いていくときに、師が示すもの。
 心から語られる言葉の重さを、私は信じたい。