第244話 静かなもの 
冬、窯場はほとんど陽があたらない。夜が明ける前の震える冷気がそのまま残る午前は夜より冷え冷えとしている。太陽の低い軌道は裏手に迫るそれほど高くない十m程の崖の向こうをちょうどそれと平行に進み、穏やかな晴天の日も辺りの明るさ暖かさからここは取り残されている。今年は積もるほどの雪は一度しか降っていない。それもわずか二、三cm程度だったが、その時も、周囲の雪がすっかり消えたその日の午後も翌日も、またその翌日も、外に積んだ木のすき間で凍った雪は白いシャーベットになって残っていた。しかしすぐ脇の道沿いの木々にはよく陽があたる。春になるとてっぺんにとまったウグイスがケキョケキョホーホケキョと鳴く濃い緑色の杉の木の列は防風林となって道に沿って続き、それらと道の間の狭い路肩には等間隔に桜の木が植えられている。小さなサクランボが実る頃にメジロ、エナガ、シジュウカラなどがやってくる桜はまだ花も葉もなく裸で立っている。そのくすんだ赤茶の幹は光の加減では紫めくときもあり、その横に自生する細い数本のハゼの木の枝に毛糸のショールのようにぶら下がる沢山の小さな種子の殻の集まりは黄土色で、それもキラキラとは光らない品の良い金色に見えたりもする。動的なエネルギーに溢れた緑がない分、裸の枝をさらす落葉樹は静的で、そこに冬の光が差し込んで繊細な色のニュアンスが様々に生まれる。それは初々しさ、はにかみ、幸福で明朗な笑顔などを連想させる。この冬の明るい道、モネなら暫くは立ち止まっているかもしれない。セザンヌはきっとどんどん歩いていくだろう、曲がりくねった道やごつごつした岩塊、サント・ヴィクトワール、レスタックの海のあたりへ。
モネに〈ひなげし〉という作品がある。十九世紀後半フランス、セーヌ川沿いのアルジャントゥイユ郊外の野原が描かれ、ひなげしの花が一面に咲く中を二組の母と子が散歩する。おそらくは午後、四人は黄色っぽい帽子をかぶり、手前の黒と鼠色のロングドレスの婦人は青い日傘を手にしている。そこにある時間は曖昧にゆったりと進行する。それは縁側に坐りぼうっと垣根代わりの三、四本の背の低い杉の木の茂みや地面を往来する蟻を見ていた小さい頃の時間の感触を思い出させる。音も、わずかには吹いているかもしれない風以外はなさそうで、四人の他は誰もがまだ昼の眠りの中にあるような世界。野原のたくさんのひなげしの花は赤い絵の具の斑点で表現されている。私がモネの作品の中でこの絵が一番好きなのは、画布に浮き上がるその斑点の鮮やかさのせいである。モネは光や大気が示す色彩の微動をその目と技巧で捉えた。セガンティーニは、ピサロは、セザンヌは。画家の目と色彩と絵の具の密接な関係が、しばしば憂鬱や苦悩を画家にもたらしもするのだが、私にはやはり羨ましい。
一月三十日にみなべ町内の二つの梅林が開園したことを新聞で知った。まだ三分咲き、満開は二月半ばということである。二つの梅林より山奥の清川の梅畑にもちらちらと白い花が咲いている。満開になった梅畑には何が似合うだろうかと考えた。青い空、日向ぼっこをする野良猫、三日月、静かなものばかりが浮かぶ。花の白さのためだろうか、まだ冷たい冬の風のためなのか、満開になっても背後の風景をすかせて見せるほどに花の集まり具合が密でないためなのか。先月はあまり本は読まず、ほとんど絵を見ていた。言葉を読むことも書くことも引き潮のように遠ざかった今は干潟に立っているようで、それは心地良くまた気だるい。しばらくすると満ちてくるのだろうが、海の干満が太陽と月の引力によるのになぞらえれば、私の言葉の干満はどんな力学に支配されているのだろうか。
第243話 簡易白炭窯
間伐材、剪定の際に切り落とされた梅の枝、それに梅の種、それらを炭にする時に利用している簡易窯の前に軽トラックが止まっていた。すぐ側の梅畑のミノさんのものかと思ったがそれにしては新しい。この窯はもう十年ほど前になるだろうか、精錬度の高い良質の白炭を手軽に焼く窯として県の補助を頂き、林業研究会が設置したものである。正式名称は移動式簡易白炭窯、メンバーである私は年に数回、去年は計五回、使わせてもらっている。備長炭を焼く土窯と違い、それは鉄製の窯で1.8m×2.3m×高さ2.4mほどの箱型の窯である。鉄枠の内に赤土を詰めた天井は、炭材の詰め込みや炭を取り出す際にチェーンブロックで吊り上げ外せるようになっている。今の所この窯で焼く炭はたいてい砕いて粉にし、間伐材のそれは土壌改良材として商品化されている。しかし梅の枝を炭にするという企画は思うようには進んでいない。剪定シーズンの冬場には梅の枝が大量に出る、それを農家さんは野焼きし、その灰や消し炭を畑に撒く。ならばこの窯でより良質の炭にすれば土壌改良材として利用価値が高まるのではないかと思われたが、やはり野焼きに比べると手間がかかり、そのあたりがハードルとなっている。確かに純度の高い炭、炭素の含有率が90%近くの炭が出来る。備長炭のそれはおよそ97%であるので簡易窯としては優れているだろう。梅の種の炭も炭素含有率は90%近くで、大坂の製紙メーカーさんが微細な粉にして紙に漉き込み様々な商品を開発している。野菜パックといえばいいのか、野菜の鮮度を保つ貯蔵用の袋もその一つで、洞爺湖環境サミットの折にはホテルの調理場で採用されたということである。
今日この窯にやって来たのも、間伐材の炭を使った土壌改良材の施用データを新たに集めるため一窯分今月中に作ってほしいとの話を頂き、ともあれ窯の底にそのままの前回の炭の粉を掃除しておかないと、と思ったからである。こざっぱりした軽トラックの横に車を止め、電源のブレーカーをONにし、手袋をはめチェーンブロック始動のスイッチを押す。1t近くの天井がゆさっと浮き上がり、鉄の鎖を巻き上げる滑車が時々ギリギリと緊張した音をたてる。ゆらゆら揺れる重そうな天井、ボタンを押しているだけの指にも力が入る。天井を窯の横に静かに着地させ、中に小さなスコップと空の肥料袋を十枚ほど放り込み、続いて私も四角い箱の底に降りる。備長炭と違い間伐材の炭は柔らかく粉が出る。光が差し込まないから見えないものの、窯の底を這いずりまわる度に炭の微塵が舞い上がっているはずである。「わかっているのに、マスクぐらいしろよ」とひとり言、いつもの事。十五分ほどで掃除は終わり、外の新鮮な空気の中に出ると、山の奥に続く細道からこちらに向かう二人の女性の声が聞こえてきた。「誰やろ?」「ミノさんか?」、「まいど」と窯の陰から顔を出すと、「あっ、ちごうた」「車止めてごめんよ」。名前は知らないが二人ともどこかで顔を合わせたことがある。「全然、邪魔にならんよ。サカキ(榊)採り?」、昔話の挿絵のように二人は葉の美しいサカキの枝をきれいに束ねて背負っていた。「サカキとビシャコ」、ビシャコとはヒサカキのことで姫榊という字をあてる本もあり、サカキよりその葉は小さいがどちらも光沢のある濃い緑で、神事で使われ仏前にも供えられるツバキ科の常緑低木。サカキの幹は軽くて美しい炭になる。「このずっと奥の植林まで行ってきたんよ、なかなか美しいもんがないよって」、虫に食われて穴が開いた葉は価値が半減、採ってきたサカキやビシャコは業者さんが買い取りもして、おばさん二人の昼下がりの小遣い仕事だろうか。「ここで梅の枝の炭焼くんやね」「うん、間伐材とかも」「土壌の試験に使うんやね」、その通り、ご名答。「邪魔したね」と言って走り出す軽トラックを見送り、さてさてさて、いつこの窯を動かそうかと考えた。簡易窯だけあって要する日数は備長炭よりはずっと短く作業も簡単である。朝から夜まで一日口焚きをすれば炭化は始まり、翌日の夕方から夜中にかけて焼き上がる。後は二、三日、排煙口や焚き口を密閉したまま放っておいて冷めた頃に取り出せばよい。炭材の調達や詰め込み、炭を砕いて製品にする日数を加えてもおよそ延べ五日で作業は完了する。しかし備長炭の窯を動かしながらその余分を作るのは結構きびしい。そこでさてさてさてとなったのだが、さして選択肢が多いわけでもなく細かな段取りを考えるのはやめにした。スコップや炭の粉が入った肥料袋を荷台に積むと、目は伸びをするように明るく開けた展望に向いた。少し離れた所、山裾に横並びになった家屋の屋根や二階の窓がちょうど目線の高さに見え、その背後には梅畑、植林山、雑木山が大きくゆったり広がっている。
以前用あってここへ初めて来た清川の人が、「まあ、清川にもこんな田舎らしい所があるんやね」と言って面白そうに道の手つかずの土手やすぐ横を流れる小川をのぞき込んでいた。澄んだ水の中を小さな魚が泳ぎ、シュロの木が三本いつも所在無げに川べりに立っている。私がどうしてこんな所にと思い、それが「シュロとカツミさん」を書くきっかけとなった。清川に長年住んでいる人が田舎らしいと言ったこの場所、彼女の表現は仕事場として見慣れてしまった私にはとても新鮮な形容で、作業の折々、どこを見るでもなく辺りに目を遊ばせるだけで何かしら落ち着くような、伸び伸びしたような気持になる理由がなんとなくわかったような気がした。
第242話 一大プロジェクト
十二月半ば、晴れ空の下の山仕事、いつもはすぐに脱ぐ上着もそのままの自分の姿に気付き、今日が昨日より少し気温の低いらしいことがわかった。山を崩し谷を埋め、草野球の球場ならすっぽり入りそうな平らな梅畑を開くという梅農家さんの一大プロジェクト。それに先立ち、崩す斜面の立ち木をすっかり伐り倒すという私の役目は昨日でひとまず完了し、今日からは急がない反対斜面に移っての仕事である。うって変わってここは一日中陽があたりそうにない。しかし畑や道の向こうに見える真正面の低い山の連なりは日あたり良く、開けた視界とその明るさが日陰にいることを忘れさせる。冬のゆるやかな陽射しでも、青い大気と高空の白く薄く毛羽立つ雲だけのこんな日は、照葉樹の厚い革質の葉がプラチナに輝き、風が吹きつけると椎の木の濃い緑の葉の群れは表と裏がひっくり返ってザザァーと薄茶色に波立つ。しかし今日の私はそれを面白く観察する役回りではなく、茂る下草の煩雑さの中を鉈を振るって出来るだけ真っ直ぐ進もうとする役どころである。過って握ってしまった茨の棘は泣けるほど痛く、蔓はその習性とはいえ執拗に鉈の柄にまでからみつく。この斜面の初日はまず原木を放り投げて下りる狭いルートをつけることから始まった。
下には地道が走り、トモさんが運転する二tダンプがガラ(岩の砕片)を積んですぐ先の谷に上がってゆく。ここから五分ほどの所にある小さな山を、その立ち木も伐らせてもらったのだが、スーちゃんがユンボで崩し、そこで出る土や岩を来年の春頃には広々とした梅畑に変わるこの谷を埋める足しにと、一日何十回もトモさんのダンプが走る。あんな小山なのにと思うほど土が出る。掘ると土は二倍のかさになり岩は三倍になるという。その山の造成があらかた済めばスーちゃんも本格的にこの谷にやって来て、いよいよ大きなこの山を二台のユンボで突き崩すことになる。「もう五百回も運んだ」と先月教えてくれたトモさんはお酒の好きな偉丈夫、酒粕でも酔うというスーちゃんは裏表のない誠実温厚な土木の専門家、もちろん二人は梅も作る。
「設計図はないよ、こうしようあうしようでなんとか。埋めるのに実際どんだけ土が要るんか、やってみんとわからん」と笑うスーちゃんやトモさんの頭の中にはそれでもおおよそ確かな見当がついているようで、谷は手順よく、本当に手順よく埋められ、ユンボで均された地面が小さな台地になって少しずつせり上がってくる。地盤の緩そうな箇所にはガラを投入し、所々排水管を埋め、何やら二人で相談すると手つかずのこの山裾を削る。そんな様子を山の上から時々眺める私、あの二人ならナスカの地上絵の再現もさほど難しくないに違いない。
大きな山も小さな山も同じ梅農家さんの山である。みんな伐ってくれんか、と伐採の話を頂いた時、そしてまだ狭かったこの谷に案内されて立った時、ミニパイロットと呼んでもよさそうな広い梅畑を開こうとするこの事業は親から子への大きな贈り物であるように私には思えた。二代目も熱心に梅作りをしている。備長炭の原木であるアラ樫の姿はあまり見えず、椎の大木ばかりが目立つ山を前にしどれ程原木を出せるか少し気がかりでもあったが、それよりもその大きな贈り物に立ち会えることが嬉しく、チェーンソーの歯をまっさらなものに変え、気合いを入れ、なにせバケツの一回り二回り太い木もあって、この山の最初の一日が始まった。そしておよそ二カ月、なんとか仕上げることができ、ほっとした気持ちで急がなくてもよいこの斜面に今日取りかかったのである。
地道から見上げて予想していたのだが、山裾は細い木が疎らに立つだけでそのぶん下草がごちゃごちゃに茂っている。十一月の恒例となった林業教室の今回は、用意した落ち葉、ドングリ、花、木の枝、そして海の貝殻、それに持っていけなかった空を加え、子供たちとクレヨンの十二の色を探した。その時に、山や野の話と一緒に、その豊かな色の中に入った例えば私の今の状態、うんざりするほど茨にまといつかれ下草や蔓に手こずる姿のことも話しておけばよかった、と思った。いつの間に下りたのか、トモさんのダンプがまた上がってゆく。昼前にはチェーンソーを回してあの太い樫の木を伐りたいのだがどうなることか、その木を見上げながら「やってみんとわからん」と声に出して言うと、急ぐ気持ちが炭酸飲料の泡となってシュワシュワッと消えてしまった。