熊野勉

             2009年11月16日更新

第239話 モビール 

 夜七時すぎ、東の空、仰角およそ50°に満月。現代の月でもウサギがモチをついている。意識の産物に過ぎないその姿を月の陰影になぞる時に感じるずっと昔から同じ姿でいるお馴染みさんに会ったような安心感。それに解放感。視線が一時地上を離れ遠く遠く外へ放たれるような、その空間を一本の直線になってどこまでも伸びてゆけそうな解放感。そんな時、永遠という言葉が習い性のように浮かぶ。かつて永遠と一体だった架空の宇宙はもうない。電波望遠鏡によって人間の現実は宇宙の果てまで届こうとし、その先も理論にもとづいた仮説によって説明しようとされる。私が想うのも永遠ではなく、永遠という言葉、形而上の永遠。現象の世界に住み、この身も生まれ死ぬまた一つの現象である私がそれを想うのは一つのバランスである。現実に傾いた姿勢をしばし平衡にもどすことができたかのような安堵感。炭焼きという肉体仕事はそれとは逆向きに作用してくれているのだろう。まるで天井から吊るされたモビールのような意識の構造。人の姿と狼の姿を行き来した彼のそれもきっとモビール。百年後、二百年後、地上に生まれる新しい人たちは、その時代にも永遠という言葉が生きているなら、それを何に仮託するだろう、やはり星か、それとも。
 夜はしだいに冷たくなってきている。昨夜、富士山麓の町にお住まいの親しくさせて頂いている陶芸家の方と電話でお話しする機会があった。富士山がもうまっ白であることを知った。東北の平野部に初雪が降ったニュースを少し前に耳にした覚えがあり、富士山にもひょっとして初雪がとお尋ねしたのだが、もうとっくに真っ白ですということで、少しわくわくした私の予想は見事に外れた。二日後、お贈りした炭のお礼にと、炭を飾るための円筒形の陶器二点、富士山の写真、そして黄粉をたっぷりまぶした信玄餅が届いた。モダンと枯淡という言葉が浮かんだその陶器はしばらく何も飾らず机の上に置くことにした、うっかり筆立ての代わりにしないこと。十一月四日の富士山は中腹までがまっ白だった。前景に見る紅葉の赤、大気の青、頂から左右に流れる稜線。絵に写真に映像になった富士山、定型の美。いつも均整のとれた姿を見せるその山、見慣れているために見えなくなっている何かがあるように思え、その写真もしばらく机の上に置くことにした。
 届いた小包を開け、写真を見、ああこんなに雪が積もっている、と思うのとほぼ同時に、秋葉原で七人を殺害し十人に傷を負わせた青年もこの山の麓の別の町のマンションに住んでいたことを私は思い出していた。事件報道の中でその事を知った時、彼は富士の山をどんなふうに見ていたのだろうかと思った。見とれ心を和ませたのか、その端正さゆえに毛嫌いしたのか、巨大な山容の圧迫感が苦しかったか、日々目に入ったはずのその山と彼はどのような関係を結んでいたのか、それを考えた。今私は、彼は人だけを見ていたのではなかったか、と思っている。人は人の中で生きている、家族、友人、地域、職場、立ち寄った店、時に情を通わせながらそこに自画像を求め、そして作る。しかしその数よりもはるかに多い〈もの〉の存在の中に生きてもいる。それらとも関係は結べる、別の表情を持った自画像が現れもする。彼にはおそらく富士の山は見えなかった、何の関係も生まれていなかった。人だけに求めるのは淋しい、ものだけに求めるのも淋しい、それではモビールはひしゃげる。人と〈もの〉のあわいで、これは私の執着である。人でなくてもいい、彼が〈何か〉と和解していたなら。苦しければ逃げていいとも思う、それはそれでタフな事なのだが。
 明けて冷たい朝、戸口を出ると草や屋根瓦や道といった私の前の景色は夜に静かに降りた大気の水分ですっかり濡れている。窯の辺りも同じで、積んだ原木や口焚きの木、地面に張り付くオオバコ、ちょっと背の高いヨモギ、それに風に吹かれて飛んできた穴だらけのサクラの落ち葉やすっかり色が抜けて蒼白のススキの枯葉など、みんな濡れている。こんな朝はたいてい、どこかの湿った田んぼから野焼きのまっ白な煙がもくもくと昇っている。アラジンの魔法のランプから現れた巨人。今日は昼過ぎまで大きい方の開墾山で伐採、それから窯へもどっての口焚き。今頃はもう、山の裾に土を運び込むダンプが走り始め、ユンボのエンジンが低く力強い唸りを立てているかもしれない。



第238話 手書きの日々

 パソコンが全く起動しなくなって約四カ月。何かのまじないでひょっと動き出すかもしれぬと、今もそれは一方の机の上に鎮座している。けれどもパソコンに詰められた科学の逐一を解明するよりそんなまじないを会得する方が途方もなく難しいにきまっている。その内修理に出すか新しいパソコンを購入するか、ネットもメイルもあまり利用しなかった私だから、新しいものといってもワープロ機能と原稿等の送受信機能でもう充分で、それも延び延びに、というよりは仕方なく始めた手書きに満足し始めた今、しばらくパソコンは必要ないように思えている。手書きの良さを知ったということではなく、私の日々の勉強量ぐらいなら手書きでも何ら支障は出ず、それはこれまでのパソコンの使い方がいかに貧しかったかという証でもある。パソコンの前はワープロを使っていた。だからすべて手書きとなるのはおよそ二十五年ぶりで、そうなって痛感するのは少なからず漢字が書けなくなっていることである。すらすら漢字を書けることが立派だとは思わない。かぜを〈風〉と書けようが書けまいが身に吹く〈この風〉は掴めるだろうし、ものごとを見つめ、その根本に触れも出来よう。ただ困るのは忘れてしまった漢字を書こうとするたびに文章が一旦停止することである。人は得たものを捨てられないように出来ている、とは誰の言だったか、なまじ以前は書けていたという思いがあるから、喉に何かつまらないものがひっかかった様で、先を急ぎたいのに信号待ちになった気分でやむなく漢和辞典を引く。キーを押しアルファベットを並べる英語の単語の綴りは忘れないが、ペンを持つ手が情けないほど強張った。頭の中に現れる綴りのスピードを追えない手に気ばかりが急ぎ、結果、それらしくはあるがeが抜けたりtが重なったりと出鱈目な単語を書き連ねることになった。
 大まかな事項に分けて常用するノートは八冊。日々の備忘録的なメモ書きは裏面白紙の新聞広告を切りそろえ、部屋と車と窯に置き、原稿などの下書きには以前いろいろな会議でもらった今は用済みのプリントの裏面を使っている。書き直したり書き加えたりするのがわかっているから最初からまっさらな紙は気がひける。それを使うのは清書の時である。原稿用紙は使わない。あの几帳面なます目にきちんと字を入れるのが今はかなり苦痛で、それはとても我慢できない。字数のわからない紙だから、私の不定形の字が一枚に何字ほど詰まっているのか不便さも感じたが、慣れた今はこの位だと見当がつく。パソコンを機能的に使うことに熱心でなかった私には、どこでもいつでものメモ用紙に走り書きをし、少し大きめの机の上では、これは実は四人掛けのテーブルで、ノートやファイルを何冊か広げあちこちに書き込む作業の方がはるかに臨機応変でコンパクトな作業に感じられる。いよいよ私とパソコンの付き合い方がいかに貧弱であったかが浮き彫りになる。
 似合う似合わぬということもある、言い訳ではなく。乗用車よりは軽トラック、お茶よりコーヒー、レストランや宴席よりも小ぢんまりとした店や駅の食堂でパスタを一人で食べている姿の方が自分には合っていると思うし落ち着きもする。大きな勘違いだと言われてもこれは仕方ない。大いなる勘違いも飽くなき繰り返しでスタイルになる。手書きに感じる心地良さ、どうもその辺りの感覚もあるように思える。
 それに手書きの余禄が一つ。ノートに書いた文章を、自分のものも他からの抜粋も、以前より多く見直し考え直すようになっている。パソコンの画面上に整然と並ぶ美しい明朝体のフォルムに目が眩み、貢物でもするかのように文字を打ち込む作業にどうやら私はかまけていたようである、打ち込めばひとまず完了とばかりに。美形のその明朝体に比べ、時に解読不能な私の字ではそんな幻想は起きづらく、宙ぶらりんは宙ぶらりんのまま、私の再考を待っている。良いことばかりではない、先々解決しなくてはいけない問題も一つ。それは机とするテーブルの上が徐々に本やノート、ファイル等で占領されつつあり、足元にも十冊ほどの事典が立ち並ぶという、つまり手の届く範囲内にものが寄り集まって来る現象が、これはこれでとても機能的なのだが、起きつつあることである。今のところ机の上は半分ほどのスペースが空白地域として確保されているがと隣の机を見ると、もはや自力では動くことのないデスクトップ型のパソコンがすまし顔で広い場所を占有している。処分しようか。いやしかし、内蔵された実に多くの機能が日の目を見ず、故障しがちの晩年には目を覚ませとばかりに私に何度も小突かれたパソコン、やはり一度は修理に出してけじめをつけないとこのままゴミではあまりに不人情、と思いつつ、どうにもこうにもスペースがなくなるまではきっとこのままだろうとも思う。そんな状態が私に似合っている?、いやそれは単に私の面倒くさがりの仕業である。



第237話 エスペンとアレキサンドラ

 午後五時を過ぎれば夕焼け空になる。窯場からもわずかだが西のその空が見える。夏はあまり夕焼けを見た覚えがない。夏の六時頃ではまだその時には早く、ようやく暮れ始めた頃にはとうに私は家に帰り、梅畑の土手が見える東向きの部屋でたいていは机に向かっている。昨日は窯へ帰る途中、きれいな夕焼けの空を見た。少しの間車を停めて眺めた。快活なオレンジ色のその空は充分見事だったが、それよりもそこに浮かぶ五つ六つ横一列に並んだ墨汁のようにまっ黒い小さな雲に目がいった。その時その場だけの混じりっけのない黒。沈む太陽を追ってどんどん西の方角へ行き、それらの雲を追い越したあたりの海の上や陸地から太陽を背にして見上げれば、それらは光を存分に受けたまっ白な一列の雲となる。
 この二日間は皆伐を頼まれた小さな山の伐採に午前中をあて、いずれも昼過ぎからの口焚きになっている。梅の作業場を拡げるために造成する計画ですべての木を伐ってほしいとの事、備長炭の原木である樫やウバメも多くはないが混ざっていてありがたく引き受けさせて頂いた。いつもは朝から口焚きを始め夕方の五時、六時で区切りとするが、昼を過ぎて始めた分、夜の八時や九時頃まで続けることになる。といっても、空が暮れ始める頃からは、ただ窯の口に木をくべて火を絶やさないようにするだけの暢気な残業である。気が向けば、本を読んだり書きものも出来る。六時半ともなると窯の辺りはすっかり夜で、月のない今夜は真っ暗である。車で清川の道を走ったとしても、所々にある街灯以外はやはり真っ暗で、ぽつんと離れてある一軒家やかたまってある家々の灯りが一番明るい光である。灯りの下に人がいるということが、夜の暗さに強調されてやけにあたたかい。
 足元に明るい薄茶色をした野ネズミが近寄ってきた。イスに坐ってじっとその様子を見る人間の気配には気付かず、長靴の横で一度立ち止まり、彼にとっては充分広大な窯場を一気に横切り積んである雑木の下にもぐりこんだ。時計は八時。木を伐採している時と同じように、ものを書いている今のような時も、その時間の過ぎるのは早い。キーホルダーの裏側に組み込まれた寒暖計を見れば18℃、その数字は思ったよりも高かった。四角いキーホルダーの表側はノルウェーの国旗、赤地に白の縁取りの青い十字架が描かれている。エスペンとアレキサンドラからの贈り物である。
 二人はノルウェーの人、約一か月の日本滞在の最初の地として、紹介されて窯の真上にある旅の宿〈紫音〉さんを選んだ。エスペンはエンジニア、アレキサンドラはその会社の経営陣の一人だったように覚えている。グラウンドで野球をする中学生たちの姿を、窯へ上る坂道から眺めている背の高い二人に声をかけたのがきっかけで、二泊三日の滞在の間言葉を交わすようになった。そのほとんどが彼らからの質問となった。炭焼き仕事の事、清川の事、日本の子供たちの事、初めて訪れた日本への知的な好奇心を感じた。困ったのは日本の人たちの信仰の対象について尋ねられた時である。この国には八百万の神々がいる。仏教やキリスト教だけでは話が足りず、新規参入のカミ〈現代科学〉は別として、山のカミ、海のカミ、田のカミ、家屋敷に宿るカミなど、いわゆる民俗信仰のおおよそを紹介しようとしたのだが、そのカミはGodではない。苦しまぎれに私はsoul(魂)という単語に頼った。アイヌ語のカムイ、それは人を取り巻くあらゆるものに宿るカミを指す。祖母が語った13の物語を『アイヌ神謡集』として日本語に訳し19歳で逝った知里幸恵さん(1922年没)の感性は、日本語で書いたその序文で、カムイの概念を〈神〉という単語には託さず〈自然〉という言葉で表した。
 即席ながら私もそういうことを説明したかったのだが、果たしてsoulが適していたかどうか。それともう一つ、時制が気になった。諸々のものに心性を付与することにより、それらとの対話や交流の回路を開き、仲良くしたり仲直りしたり、つかず離れずの間合いをはかったりといった人の心の在り様を現在形で表してよいかどうか。確かにこの国の人たちの生活や祭祀、儀礼伝承の内にそういう心持ちを今も見受けることができるから現在形で差し支えないのだろうが、それは過去の余韻としての現在形か、それとも未来に続く現在形であるのか。そんな事が気になりながら話したので、聞く側のエスペンも曖昧さを感じたに違いない。説明不足の穴埋めに別れ際、The
JapaneseだったかJapanだったか、ライシャワー氏の著書を手渡した。岡倉天心が英文で綴ったTea Ceremony(茶の湯)もと思ったが見つからなかった。青い十字架のノルウェー国旗をあしらったキーホルダーは二人からのそのお礼の品である。
 明日も今日と同じ仕事になる。後三日ほどで皆伐完了のめどがついた。先日、その山でチェーンソーを鳴らしていたら近くのおじいさんが顔を出し、「樫もあるからウチの梅畑の上の山も伐ってもらえんやろか。太うなってしもうて年取るときつい。いつでもええから伐っておくれよ」と声をかけてくれた。一段落したら私の手に負えるかどうか見せてもらおう。時刻は午後九時、そろそろ口焚きも終了、軽い空腹感を覚えた。


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