ダイヤ・ノ・ヒト
     歌と、芝居と、わたし。

安曇野めぐ留

2003年8月14日更新

第1話 果てなき旅へ

 モノゴコロついた時から、ダイヤモンドに憧れた。物に依存する女性の言葉のように聞こえるかもしれないけれど、私の憧れはダイヤモンドの強さから作られる輝きにである。
 最近は、ダイヤモンドに似せてガラス等で作られた、手ごろなものもたくさんあるが、これはすぐ割れてしまう。いくつもの断面をもつ最高級のカットにしても、透明度や強度にしてもフェイクにはやはり作れない。
 私の憧れる人間像と言うのもこれによく似た、たくさんの面を備え、方々に反射し、クスミなく強く輝いているようなヒト。と、簡単には話せるが、こんなヒトにはなかなかなれない。
 私も含めて、周りには「強くなりたい!」と嘆くヒトが多い。'類は友を呼ぶ'だ。相談を持って私の家に逃げてきた友人や、精神病院への毎日のお見舞いなどからはたくさんを学んだし、彼らと会話する事で、通り過ぎてきた自分を思い出した。そのヒトの純粋さからくる悩みもあれば、他人から受けたきっかけによって、終わらない悲しみに打たれている。ただ慰めて欲しい、話を聴いて欲しいヒトもいれば、力強く叫ぶヒトもいた。
 助けてあげたい気持ちと、私だって助けてもらいたいという自分に葛藤する日もある。募金をする時と同じで、あまっている物や時間で人が救えたらいつでもできるが、そんな事では人は救えない。家族や恋人、友人は、時に自分を犠牲にしてまでも彼らと向き合わなければならない。普遍的な愛を持つことが必要とされ、それは容易ではない。
 最近は、海外の医療からの影響もあって、社会や地域でも心の病気に対しては、ずいぶんと理解されてきていると思う。それでも実際のところ、自分にあった病院に出会うことは難しくし、また、カウンセリングや入院、仕事をしながらの薬での治療と、結局いいきっかけもさがせないまま、何年も見えない悪魔と戦っている人が多い。私は中学が新設校だったため、先輩や地域の同級生との交流もあまりなく、幼稚園や小学校の"おててつーないでー"の延長で、模範一期生を務めた。その為、高校進学と同時に、友達作り、先生、先輩との付き合いを初めて経験する事になり、私達は、軟弱な高校生、裸で投げ出された気分だった。幼稚園だって、子供にとっての新しい社会との交わりだが、うまくは行かなかった。結果、中学の同級生には、高校中退者がたくさんいた。
 私は親との関係や環境も、決してうまくいっていた訳ではなかったので、入学してすぐ登校拒否になり、祖母の家に暮らした。今になれば「もっと辛い事もあるだろう!」と笑えるが、北風に吹かれ、ひとり凍えているような日々だった。その頃から、度々カウンセリングに通い、薬の治療も受けたことがある。今になれば、少しは救われていたのかもしれないが、効果があるように感じられなかったし、結局は誰に何を話しても、解決できるのは自分だけだったから、長期の通院はせずに、答えを自分から探すよう切り替えた。
 父の知り合いのヒトから、本を頂いた。今でも大好きな『アルケミスト』だった。ひとつの旅が、ひとつの人生に思えた。私は少年に憧れた。その影響もあってか、私は旅に出かけるようになる。小さな外出から、数ヶ月の短い一人旅を繰り返す中で出会った事を、人生と置きかえてみた。ヒントはたくさんあった。これが私の、フーテンの寅さんの始まりだった。