第12話 唄の魅力へ
ひとり旅とは新たな発見や出会いに励まされ、また照らし合わせた自分との戦いでもある。異郷を知る事で故郷を知り、他人を知る事で自分を知る。日本にいれば、何の気なしにテレビをつけてゴロゴロ。たまの休みも気がついたら夕方になっている事もしばしばだが、電話や友人の訪問もない異国では、絵を描き、本を読んで好きな事を充分楽しめる。また、自由になりたかった人間が人恋しく手紙を書いたり、カフェで静かな孤独を味わうのもタマラナイ。
チェンマイのムーンムアンという、お堀沿いの通りを少し入った所に、滞在場所の「ジェムハウス・ゲストハウス」がある。とても安く、シャワーとトイレ付きで、ベットだけある10畳ほどの部屋が9室ほど。昔、錦糸町で働いていた、日本語のできるタイ人夫婦が経営していた。長期、短期の観光客が滞在していて、その中には元祖フォーク・ヒッピーの南正人さんもいたから、寂しい日も彼の歌でずいぶんと励まされていた。安いラジカセを買って、日本から送られてきた、遠藤ミチロウさんやブルーハーツをよく聞いた。旅が長くなればなるほど、日本語の歌に飢えていくから、日本人旅行者とテープの交換をして、普段は聞かないアムロやミスチルも、飽きるほど聞いた。 メロディーで好きな音楽を選ぶ人もいるが、私の場合は詩がどうしても先行する。美しい言葉の連なりやリズムに、共感し酔いしれる。日本から持っていったCDの中には、父の『タキオスピリット』があった。彼が新しい世界で民謡を唄うようになってからの3枚目にあたる、自主制作で出したチャレンジ作品。それまで何度も、聞いた事はあったのだが、海外で耳にして初めて、違う感動に涙した。この旅には、10代から5年間も続いてしまった恋愛に、終止符を打つ為の意味もあった。そんな私には、"江差追分"のストーリーの中の男女の別れが、松前江差の海の、深い緑色を想像させ、なお悲しかった。今までは、労働や生活の唄とし捉えてきた民謡であったが、歌詞はもっと奥深く、今の時代に生きる私達にも、充分共感できる内容のものだった。 4ヶ月あまりのタイでの暮らし。最後の最後には、また振り出しに戻っていた。父のコンサートでコーラスをやっていた頃は、一生懸命タンバリンやお囃子をかけても、お客さんのアンケートではコテンパにやられていたし、自分でもバンドを離れた時は「二度と民謡なんか唄ってやるか!」そう思っていた。だから、いつも他に、存在の表明や自己表現の場所を探していたのだ。いくらやっても上手くならない民謡を、唄わないと決めた今頃になって、唄いたくなる。寝る間を惜しんで書いた一人芝居の戯曲や、その為に借りた小屋も無駄になってしまった。ただ、他人の評価を気にして怖がるより、まず自分がやりたい事へ進んでみよう! もちろん父と同じ事は出来ないし、やりたくない。自分の目線で感じた、私だけの民謡を、私の声と言葉で伝えて行く事を決めた。それは、自分が日本人であるという事や、嫌というほど耳にした民謡が、私の何よりの財産だと感じたからだった。逃げてきたつもりではなかったが、また日本へ飛び込む勇気を、この町での時間からたくさん与えられた。 |