第13話 「私」の民謡
北海道や地方の、知り合いの農家や牧場も、お嫁さん不足や後継者問題から、泣く泣く規模の縮小や土地売却を迫られる事も少なくない。親の店や会社を継ぐという事は、比較的美談であり、親族にはありがたい事であるはずだが、私が歌う事や民謡を選ぶ事に対して、父や家族をはじめとする、ファンやスタッフにはあまり受けが良くない。
何でも完璧主義の父は、民謡大会などでタイトルひとつ取った事がなく、お師匠さんに習ったこともない私に、子供の発表会を楽しみにする親の気持ちにはなれなかったのだろう。もちろん、カエルの子はカエルとは限らないし、タカがトンビを産む事だってある。同じ場所へ足を踏み入れたら、偉大な背中が大きく圧し掛かってくる事は、私が一番に承知しているというのに、民謡と演歌の区別のわからない友人やほとんどの人が、反対した。民謡をアレンジして歌う事が、親の真似でしかないと言われる分だけ、新しい創造はどんどんと膨らんでいく。 「絶対違った世界を創り出したい!」 一緒に音楽を作ってくれる仲間探しから始め、民謡大全集などの本と高校生の頃から書き溜めた詩や曲を片手に、スタジオへ通った。一人芝居をやるはずだった渋谷アピアで、ギター片手に弾き語りする何組かのミュージシャン達と、月に一回のライブをするようになる。アピアでライブを行う為の条件には、体重がかかっている事。表現に、その生活や想いのすべてを籠める事。それぞれの30分あまりの持ち時間には、心の奥底から湧き上がる叫びや憂いの歌が戦いあう。出番前にはいつも緊張に体を縛られ、呼吸すらまともにできなくなる自分。宗教心はないものの、神や仏にすがりたい気持ちで祈る。父の言葉のように「客や小屋をなめるな」そう言い聞かせる。 レパートリーには、北海道の瞽女さんが唄っていたと言われる、道南口説を選んだ。小学校の時に、あるテレビ番組の大会に出場する為、父が稽古をつけてくれた唯一の曲だ。夏休み中、眠りながらテープを聞き、鬼の様な顔をした父に、正座をして叩かれながら教わった。いまだにあの時の事を思い出すと、この曲は私にとって、寒い冬の海のようなものだという気がしてくる。北の荒波に育った訳でもないから、函館の地名がたくさん出てくるこの曲を、情景浮かべて歌う事もできないが、洋楽やカバーを歌う人にも言える事で、その曲への想いや思い出があれば、心の中にそれぞれの曲が存在する。生い立ちや川崎での暮らしを乗せた民謡があってもいい。 民謡が一部の人だけのものとして受け継がれていくより、もともとあった様に民の唄としても親しまれて欲しい。そして、芸を磨いた特別な者には、名人となって人々をウナラセテもらいたい。伝統芸能の領域に入らずとも、日本の文化のひとつとして、世界に届けたい。私も及ばずながら、誰でも歌えそうな民謡を、いつまでも街に向けて発信していきたい。 |