ダイヤ・ノ・ヒト
     歌と、芝居と、わたし。

安曇野めぐ留

2003年11月13日更新

第14話 夢

 高校生の時のデートで、黒澤明監督の『夢』を観た。そして、映画の中の美しい風景に見とれながら、私は深い眠りについて熟睡。違う夢を見てしまった。時々、子供の頃の描いた将来の夢は、睡眠中の夢とどう違うのか考える事がある。少したったら忘れてしまったり、パッと胸が高鳴り、嬉しくなったと思えば消えてしまう。また、叶わない日々が続くと、こんな幻にとりつかれながら生きていくぐらいなら、夢など持たない方がいいのかとさえ思う時もある。
 劇団員やバンドマン、レーサー等の私のたくさんの友人も、それぞれの夢に向かって歩いている。そのほとんどが、団体やスポンサーからの支援なしに、バイトをしながら続けていて、何十枚のチケットや維持費は、周りの評価や結果より重く圧し掛かり、彼らの首を締め付けている。それでもお金をかけて、人に知られる為に表へ出て行かなきゃならないから、成功者達の「継続は力なり」は、どこまで信じて過ごせばいいのだろう。もちろん、才能はあっての事だが、チャンスをつかめる事と同時に、親が金持ちか、立派な後援会の支えを得るのも、実力のうちかもしれないと思う。最近は、国からの援助など、芸術や育成にも協力してくれる団体は増えてはきたが、生活の基盤を作るまでのこの長い過程で多くの人たちが諦め、その道を去っていくのが現状なのだ。
 歌をうたうと決め、ライブ活動を始めると途端に、お金に足が生えてお財布からドンドン消えていった。ストリートでひとり歌う分には、場所代も人件費もかからない。ところが、自分の頭にあるモノを作るとすれば、ライブハウスへのノルマやスタジオ代、お客さんを呼ぶためのダイレクトメールとチラシ代、また、協力してくれる仲間にも交通費程度は払わなければならなかった。深夜のカラオケボックスのバイトや、知り合いの店で働いて全てをライブ活動へあてる。応援してくれる人達の、アリガタイ言葉に何度となく救われる。お客さんのほとんどいないライブも、自分を鍛えるためだと思えばないがしろにはできずに、どんなチャンスも大切にした。夢を与えるようなヒトでいたいのと同時に、同情されるようなかわいそうなヒトではいたくなかったから、着る物や付き合い、気持ちの持ち方も決して貧しくならないよう心掛けた。それは母がいつも言う、「心だけは貧しく、卑しくならないで。」だった。
 渋谷アピアのライブハウスには、カリスマ的なアーティストを含む、200人近くがオーディションに合格し在籍している。渋谷の駅前で歌っているような若者もたくさんいる。都内には、プロダクションの絡んだ豪華なライブを毎日やっている所もあるが、ここはアンダーグランドで自力で生きている、力強い音楽ばかりだ。私のように一見、バックアップもあって、チャラチャラ着飾ったような奴は、初めっから相手にされなかったし、馬鹿にされていただろう。そう思われる分だけ悔しさはバネとなり、実力をつけなきゃならない。そう、強くたくましく雑草のように、女は涙と共に育っていく。夢は夢で終わらせないように、私は歌うのだった。